ドッキドキマジックショー


<3>

「ヒューゴ、ルース!」
 悲鳴とスカッシュの言動から、二人の子供が魔物に襲われた事態の想像は容易だった。迷うこともなく、タムタムが全力で走ってたどり着いたのは、目的の失われた礼拝堂。使われないものは取り払われ、古く傷んだ部分は修復され、面影すらも薄らいで。窓から差し込む光によって、不自然な隙間と造作を淡く照らし出された内部は、そのむらに関係なく、ただ静謐が満ちているはずだったのに。
「なんだ……! 誰だ! こ、今度は女か……」
 聞き覚えのある吐き捨てられた声の方向で、タムタムは我が目を疑う。
「ヒューゴ……?」
 先に、子供が二人いる。一人は歳相応の体格、一人は大柄。胸倉を掴まれ吊り上げられている、恐怖に表情が爛れたルース。そして、そのルースを片手で吊り上げている、不敵な笑みを浮かべたヒューゴだ。
「なんなの……!」
 一見して異質な空気に身構える。
 タムタムが聞いた声はヒューゴのものだった。しかし、いくら彼が孤児院内の子供の中でも体つきが大きく、自信が態度に表れやすい少年だったとしても、憎悪に苛立つ印象を受けた記憶は彼女にない。それに、体に見合った力があるとはいえ、同年代のルースを片手で吊り上げる力は異常すぎる。
「憑かれた状態だ」
 状況を考えようとすれば、スカッシュが短く疑問に答えた。
 見れば彼は、タムタムより二人に近い位置におり、構えず立っている。到着の違いは数十秒ぐらいだろうか。その知らない間に戦闘の跡は感じられず、刀は黒鞘。抜き放たず、手に下げられたままだった。
「憑かれたって……。憑かれるって、じゃあ、あなたが言ってた……?」
 憑かれた。憑き物。孤児院の前で言われた話を思い出す。魔物になる前の霊がいると言っていた。タムタムには見えないものだから、どうしても脅されている気持ちが強かったが。
 ここに隠れる場所は、ほぼない。移動しつつ逃げていた二人は、アリアが既に探した礼拝堂で、休んででもいたのだろう。そこで悪霊に襲われ、ヒューゴは体を乗っ取られてしまった――。それが目の前にする状況か。手の内と側に二人も人質を取られた状態で、スカッシュも刀を抜いていないのだろう。
「あれは今、ヒューゴじゃないのね……?」
「ああ。……手品に意識を向けていて、気づくのが遅れた」
「でも、すぐに危険を及ぼすような霊じゃないって……」
「そうだった。だが、子供といえども人間は自我が強い。その体を乗っ取るほどの力をつけてしまった。……自分で言っておきながら、事態の予見ができなかった。俺のミスだ……」
 タムタムが疑問を投げかけると、見据えたままで逸らすことはないが、苦い返答が返る。
 そこで、ヒューゴが顔を振った。歯を噛みしめ、こちらも苦く、苦しそうに。
「――うるさいぞッ!!! ごちゃごちゃと……何だ!? オレの……俺の、邪魔をしようとしてるんだろう!? ようやく来たんだ……来た……ぞ!!!」
「ぅううぅあぁぅ……!」
 力みが伝わる。片方が震えるならば、もう片方も。
 より締められ、吊り上げられたままのルースからは震え、やはり苦しげな声と喘鳴が。
「ルース! ……ルースを降ろしなさい!」
 見かねてタムタムは叫んだが、悩ましく疲弊したような顔、陰りある面に浮いてぎらつく、血走った眼が返った。
「……め、命令するなぁ!!! お前は何だ、何様だ……! 俺は……俺はぁ……お、俺に命令するなぁ!」
 敵意むき出しの相手。何か言おうとしているが、その何かに苛まれているのか、常に苦しげな声を上げる。
 そしてルースの顔色は青白く、時折つぶれた声を漏らすだけで、助けを乞う僅かな言葉もだせない様子だった。
 タムタムは胸の詰まる切迫感に駆られた。
「あなたは……どうしたいの! 二人をどうするつもりなの!」
 ヒューゴは分からないが、ルースの状態は長くそのままにしておけるものではない。タムタムが抑えがたい感情を悪霊に叩きつけると、ちらりとスカッシュが振り向く。
「……まともに話しができる相手じゃない。古い霊だ。怨みと未練で己を繋ぎとめ、長らくこの世に残り続けたが、既にその理由すら忘れてしまった。……自分が過去、何者だったのかも思い出せない。そうしてなお苦しんでいる。……存在意義を失い、この場において望む目的は分からず、衝動だけが急き立てる」
 声音の変化はなかったが、聞いていて錯覚を覚える。誰に向かって話しているのかと疑問に思った時、悪霊がうめきながら後退った。
「だっ、黙れ! お前……? お前は誰だ!? そうだ、お前……。俺を、お、俺を見ていたな……! いつから……知っている!」
 まるで牙を剥くかのように、口元をひん曲げ、歯をかみ締めてスカッシュを睨む。そうするのに邪魔となるのか、襟から手は離さないものの、ルースを掴んでいた腕を下ろし、襲い掛かる寸前の剣幕を見せた。
 地に足が着いたルースは、へたりこみ首に力が入らない状態で、激しく咳き込む。
「――ルース!」
「う、動くなぁっ!!! 動くんじゃない……!」
 思わず身を乗り出しかけたタムタムだったが、ヒューゴの顔で悪霊は怒鳴る。
「げほ……。ううううぅ……うっ!」
 咳が落ち着き、ぐったりとしたルースに容赦なく、悪霊は掴んだ襟を引っ張った。
 掴まれているため、倒れるに倒れられず、ルースは苦しい態勢に再び顔を歪める。
「酷いことはしないで……!」
 駆けつけたい勢いを、睨むことで制動する。その相手の悪霊は震えており、空いている方の手の平で、擦り付けるように顔を覆った。
「いいか、一歩も動くな……。が、ガキの命がどうなっても知らないぞ……。人質は……二匹だ! 一匹減っても……いいのか! ぐうぅ……!」
 何がしたいのか不明だが、悪霊は興奮し、酷く苦しんでいるのは間違いない。しかし目的が分からないから、これからどう動くかなど、皆目見当がつかない。
 二人の危機を目の当たりにしていながら、下手に動けず、何もできないまま、時間が過ぎるのを待つだけなのか――。
「どうにか、どうにかしないと……」
 タムタムの感情は積もり、乱れるばかりだった。考える、考えるが、悪霊を祓う事が不可能である彼女には、打つ手がない。頼みの綱は考えのありそうなスカッシュだが、彼もまた、人質を取られている状態で、積極的な行動に移れずにいるのは分かりきったことだった。
 事実がよりいっそう重くのしかかってきて、どんなに胸が痛んでも、彼女は二人から視線を逸らすことはできなかった。精一杯できるのは、それしかなかったのだから。
「ヒューゴ、ルース……」
 つぶさに、ほんの些細な変化も見逃すまいと二人を見る。ただ、立ち上がることもままならぬだろう、ルースの状態は分かるが、憑かれた側のヒューゴについては全く見えなかった。憑いた悪霊は苦しんでいるが、彼自身はどうなのか。彼の意識はどうなっているのか、今、助けを求めているのか。
「ぐぐぐ……! うぐぐぐぐ……」
 懊悩を続ける悪霊。ヒューゴも同じなのだろうか。
 タムタムは心を砕く。今は二人が無事だとしても、いつ手を出すとも知れないのだ。一刻も早く助けなければ、と。
「どうすればいいの……?」
 押し寄せる不安の波に、助ける策は見当たらず。途方に暮れつぶやくタムタムの前で、ルースが身じろぎした。
「う……。ね……さん…………て……っ。うぶっ!」
 なんとか言おうとしたようだが、動きを感じ取った悪霊に強く引っ張られ、再び咳き込む。
「ルース……!」
 かろうじてか、涙の溜まる目が向けられた。それは恐怖と不安がありありと伝わってくる顔で、力をほぼ失っていた。
 それからその瞳さえも下がって、タムタムははたと気づく。助けを求められた自分が、同じように力ない表情をしていることに。
「がんばって……!」
 いけないとつぶやく。タムタムはいま一度、ルースをしっかりと見返し、頷いて強張っていた手を上げる。
 自分に、ルースに、そしてヒューゴに、握りこぶしを作って見せる。
「必ず助けるから……! がんばって!」
 その気持ちだけは、何が何でも失わない。見失ってはいけない。強く願って諦めず、乗り越えてきたものを信じている。まだ先に機会がないとは言い切れないと、再び強く悪霊を睨んだ。
 すると、振り向いてきたわけでもないのに、スカッシュの姿が目に留まる。視線だけは、向けられたのかも知れなかった。そう感じただけだったが。
「……お前はその人質をどうする? 子供の体を乗っ取ったところで何ができる。……そのままそうしているのか? 炙られるように苦しみながら」
 彼は淡々と言った。まるでその言葉自体に力があるように、悪霊はさらに身悶えし、震えた。
「……うるさいッ! 何を……さ、さっきからお前……うるさいぞ! 黙れ黙れぇ……。俺を見るなぁッ! おおぉんっ! わ、分からない! やっと……。ぐっ苦しい! 体が……俺は……苦しいぞぉお! なぜだぁあッ!!!」
 錯乱しているのか。掠れるほど吠えて、タムタムには悪霊の――ヒューゴの姿が一瞬、ずれたように見えた。
 驚く間もなく、その体は前に崩れ、
「――うがあぁ!」
 倒れるかと思えば、曲がり、傾いだそれが猛然と前に跳んだ。――狙いは、見据えている。
「スカッシュ!」
 悪霊が飛び掛るまでの刹那、彼はどこかをちらりと視線で指した。
 直感が閃く。
「ルース……!」
 合図だった。タムタムもまた、飛び出す。悪霊は飛び掛る際、ルースを手放している。
 交錯する目前にして、スカッシュは僅かに後退する動きを見せた。
「オォォ!」
 緩やかに半歩引くスカッシュの前で、一気に悪霊の速度が伸びる。無造作に腕を振り上げて、掴み、抉るように両手を順に繰り出した。上、下、左右からと、その動きは大きく乱雑だが、初めの跳躍も闇雲にしか見えない攻撃も、普通の子供ができる動きではない。だが、それは攻撃が当たらないから見える動きだ。比べると緩く思えるスカッシュの動作は、少しずつ後退しながら、一向に掠りもさせない。
 そして歯を食いしばっていた悪霊が、大きく口を開く。
「ふああああっ!!!」
 叫ぶとともに両腕を振り上げ飛びかかると、相手の姿はそこになく。勢いがついたヒューゴの体は踏みとどまれず、派手に転倒した。
「……!? ……ルース、しっかりして!」
 ヒューゴが気になったものの、たどり着いた先で、タムタムは倒れるままのルースを抱え起こす。手ごたえのなさに急ぎ見れば、いつの間にか気絶していただけで呼吸はある。とりあえず命に別状はなさそうだった。
「……よかった」
 その一時だけ、安堵する。しかし聞こえてくる怒りの声が、否応なしにタムタムの顔を上げさせた。
「ぅがが、が……。なぜ俺が……! ぐうう……苦しい! いつまで……いつから俺は……! なぜ今も……」
 そこから見える両者には、再び距離があった。悪霊は倒れたまま、もぞもぞと動き苦痛を吐いているし、反対にスカッシュは立ったまま、相手を静かに見下ろしていた。しかし、彼の何かが気になりよく見ると、その眼差しも表情も変わらない様子に思えたが、頬には汗が伝っていた。さらには、ベストの腹部に少し裂けた跡すらある。動きが止まったわけでもなく、最中はまったく気づかなかったが、実際は僅かに攻撃が掠めていたのか。
「スカッシュ……」
 襲われた二人を心配するあまり忘れていたが、彼は酷く疲れていたのだ。最後の手品の前が思い出される。顔色が悪くなり、肩で息をした。それが数分のうちに回復するとは思えない。
 タムタムは懸念でスカッシュを見やったが、無視しているのか、それこそ疲れのためか、返答はない。その間に、余談を許さない悪霊の動きが視界を掠め、そちらから目を離せなくなる。
「ぐぅおおお! どうして俺を苦しめるぅ……! 誰が!」
「……既に、誰もお前を苦しめてなどいない。お前は自分で望み、苦しんでいるだけだ」
「――だ、だまれェェッ!!!」
 怒鳴り返すと、ヒューゴの姿がまた一瞬ずれたように見えた。
 少なくともスカッシュの語調は変わらなった。そのせいかどうかはタムタムに判断できなかったが、彼の言葉は特に気に障るらしく、悪霊の憎悪は今、その睨み付ける相手に食らいついていた。
 そして咆哮は強くなった。
「言っていることは……嘘だ! お前……お前は現に、さ、さっきから……俺を苦しめている……いるぞ!!! 苦しい……苦しいッ!」
 床を掻き毟りつつ、縺れたように悪霊が身を持ち上げる。しかし、立ち上がりかけたところで急に膝を落とし、再び前に倒れた。
「あぁぁッ……! ……ダメだ! こんなガキじゃあ……ダメだ! そうだ……足りない! 俺の……。ぐぁおおぉ!」
 嘆き、震えながら上半身だけは持ち上げる。だがそれ以上は立ち上がれないのか、悪霊はままならぬと憤怒し、両手の拳を握って床を強く叩きはじめた。
 タムタムはその行動に引っかかりを覚え、すぐに気がついてしまった。叫び、悲鳴になる。
「――やめなさい! それ以上はやめて!」
 悪霊が憑いても、体はヒューゴのままだ。先ほど立ち上がれなかったことで明白。悪霊によって、力が強くなったわけでも素早くなったわけでもない。本来ならばできるはずもない動きをし、無理やりに動かされ使われたその反動は、確実に体へ響いているのだ。
 このままではきっと長くは持たないだろうと、脳裏をよぎった。
「お願い、ヒューゴを返して!」
「お、お前も……俺に命令するな! この体は……もう俺のものだ! 待ち続けた……そう、だ! 待ち続けたはず……だ! ようやく……体さえあれば……。俺は……ど、どうすれば! ……ぐああッ!」
 目障りだとタムタムを睨み、怒りに任せて悪霊は立ちあがる。そこで苦痛のためか顔を歪め、頭を抱えた。
 ふらつく足元――。それを立て直そうとする。
 先ほどまでとは何か様子が違う。
「……な、なに?」
 別々の動きに思えた。その違和感を覚えたとき、再度、タムタムにはヒューゴの姿のずれを感じた。それは前のときよりも酷く、黒くてもやのようなものが確かに見えた。
「う、うう……ぁ……あああっ! いたい、痛いっ! 助け……タムねえ…………ぐぁ!」
 そして、タムタムは聞こえた声にはっと息を飲む。
 苦しみを訴えたのは変わらない。けれども違う。悲鳴を上げたその声は、同じ口から出たものであっても、全く違う。
「――ヒューゴ!?」
「待て! まだだ……」
 ヒューゴ自身の声を聞き取り、タムタムは飛び出しかけたが、とたん強い制止が入る。
 反射的にそちらは向いたが、スカッシュの表情を見る間もなく、タムタムは視界隅の不自然な動きに視線を戻す。
「ヒューゴ……!」
 ヒューゴの体が、よたよたとさ迷いはじめた。足元はおぼつかなく、そんな状態で頭を抱え、首を振っている。
「うっ! ぐががが……。だ、ダメだ! ダメだぁっ! 役に……立たない! こ、この程度で……くたばってたまるか……っ! うごけぇ……!」
 黒いもやは消え、声の質もヒューゴではなくなった。だが、先ほどより悪霊は苦しんでいる。……ヒューゴ自身も、間違いなく。
「このままじゃ、ヒューゴが……」
 タムタムは、その姿に差し迫った危機感を覚える。ヒューゴの体の強度はそのままだ。堅くも強くもなっていない。だからこそ、使い方に無理がきた体に、悪霊は先ほどまで立ち上がれなかった。それを今、持ち上げているということは、無理を重ねて強引に動かしているに違いないのだ。壊れかけた体を。
「力は徐々に衰えている。……失せない苦しみと、取り憑いた体が負う痛みに削られて、もう長くはない」
 聞こえる声。スカッシュは悪霊のことを言ったのだろう。だが、タムタムには苦しむヒューゴしか見えない。
「だめ……だめよ、壊れちゃう!」
「他に手はない。……力を得られず、衰えるばかりの悪霊は限界に近づいている。もはや、体を離れれば数分も待たず消えてしまう。追い出そうとしても、今攻撃すればその方が確実に……」
「そんな悠長なこと……!」
 言い聞かせようとするスカッシュの言葉に、タムタムは苛立ちを感じ、思わず睨んで遮ろうとしたが、それより先に悲鳴と咆哮が上がった。
「――ぐおおぉん! 痛い……! い……苦しい、苦しいぞぉおおっ!!! からだ……がっ! ウオオォ! 離して……たまるかぁ! オレ……どうして……き、消えないゾォ! ぐ……くそ、くそぉ……お、お前たちの思い通り……なってやるもの……かあぁっ!!! からだ、からだががっ……! た、助けて……」
 ヒューゴの体から、黒いもやが現れては消える。声も強く太く、弱く細くなる。その顔には涙と脂汗が流れ、血の気は失せ、歪み崩れていた。
 タムタムは叫ばずにはいられなかった。
「ダメッ!!! 早く助けなきゃ、ヒューゴが限界よ!」
 見ていられない。もう我慢などできない。悪霊を追い出す術がないから、じっと待っているしかないと、見ていながら忍ぶのは耐えられない。
 何か、どんなことでもいいから自分にできることがあるはずだと。
「……。そうよ、強引に追い出せないなら……」
 衝動的に足を半歩踏み出せば――そこで考えがぼんやりと浮かんできた。自分には手段がないと悩み、見通しの立たない不安に胸を痛め、それしかできなくて心配していたにも関わらず、考えを改めれば実に単純だったのだと彼女は知る。
「タムタム……?」
 動きが見えたからか、様子を怪訝に思ったのか、スカッシュが悪霊から目を離す。
 タムタムも彼を見返すが、一瞬の符合だった。相手が不審を感じ取る前に、逸らして叫ぶ。
 助けることにおいて、選択肢のない自分ができる唯一の手と思えば、迷いもない。
 その考えはとたんに鮮明となり、今まで必死に押さえてきた体を突き動かすには、十分すぎた。
「体に限界を感じているんでしょう! なら、今度は私に取り憑きなさい! だからヒューゴを放して!」
 追い出せないなら、誘い出せばいい。そうなれば、ヒューゴが助かる。
 言葉に反応するままに、振り向いてきた悪霊に向かって、タムタムは全力で走る。
「――待て、早まるな!」
 スカッシュの声は聞こえた。だが今度は止められないし、止まらない。今にも倒れそうに向かってくる悪霊と、それに向かう自分とを彼は見て、躊躇したのか。遅れる形で飛び出した。
 三人がその場で入り交じったのは、僅かな時だった。間近まで迫ったヒューゴの体から黒いもやが浮かび上がり、急速に長く伸びて広がると、タムタムを包む。
「キャァアア!!!」
 無数の冷たい手に撫でられたような感覚で、寒気がし、鳥肌が立つ。
「タムタム!」
「――ウァアアアオオオオオッ!!!」
 声も混じった。黒いもやに包まれ、震えながら、タムタムはヒューゴと悪霊が同時に叫んでいるのを見て、聞いた。
「……ヒューゴ!」
 そして、自分が乗っ取られなければ、ヒューゴは解放されないのだと思うと、彼女の意識がそこで落ちた。

 そして、タムタムの体が少しよろけた。取り囲んでいたもやが消え、俯いていた顔が上がると、その表情は笑っていた。ただし、彼女の明るく、単純明快なそれとは相反していた。
 いやらしく口元を曲げて、やや間をおいて立つスカッシュにそれを見せ付け、愉快だと馬鹿にして。
「あはは……。クククッ! フフフフ……」
 その上げた声もまた、別人のようだった。下卑た含みは、若い娘のものとは思えないほど陰湿で、容姿にまったくそぐわない。
 礼拝堂に異様な高揚。それは耳障りな笑い声であり、産声でもあった。
「――アハハハハハハハハハッ! ハハハハハッ!!!」
 タムタムを乗っ取った悪霊は、目を細めて返している相手に、笑いをこらえることができなかった。他に、今の充足感を見せつける相手がいなかったからだ。先に手放した子供は気絶したままであるし、さっきまで憑いていた子供は、傍に倒れぴくりとも動かない。観客はたったのひとり。それでも、この笑いが止まらないのは理由がある。もうそれらに、そんなものに興味はない。誰であろうと、何であろうと構わなかった。
「フハハハハハッ!!! いいぞ! これはいい!」
 悪霊は狂喜していた。今までの抑圧された苦しみや、おさまらない痛みはどこへいったのか。綺麗に吹き飛んでしまったかのように、その跡すらない。その代わりか、心の底から笑いがこみ上げてくるのだ。いや、笑いすぎてそれが少し苦しいぐらいかもしれない。得た力は、子供のそれと比べようもない。そう、天と地の差がある。
 笑いが止まらない。
「ククク……。思い出せそうだ! 分かる……。足りなかったのは、俺の望みに達するだけの力だったんだ! ぁあ……長かった。そうだ、俺が生きた歳月よりも長かったぞ……! 俺は苦しみながらも待っていた。ずっと、ずっとだ!!! いつしか、記憶は失われた……。まだ肝心な部分は思い出せないが、そのうち……」
 饒舌になった悪霊の言葉が窄む。自分を睨んでいる視線が、いっそう厳しくなったことに気づいたからだ。
 だが、さきほどまで、散々自分を苦しめた相手である。悪霊にはそれがますます愉快に思えて、笑みを卑しくするだけだった。
「フッフッフ……。ただの気の強い女かと思っていたが、まさかここまでの力を持っていたとは驚いた。思わぬ拾い物に、興奮してしまったぞ。ガキのときは窮屈で扱いづらくてたまらなかったが、この女は悪くない。……いや、実に快適だ! 魔力が満ちて、駆け巡っているぞ! 俺はようやく抜け出した! これだけの力があれば、俺は待ち続けた以上のものを取り戻せる……! フハハハッ!」
 自信に満ち溢れた悪霊は、機嫌よく話しかけた。しかしそこには、なんの返答も返らない。酷く冷たい視線以外は。
「ふん……?」
 初めは感じる力に夢中だった悪霊も、次第に気になってくる。自分は力と共に、新たな人質も手に入れているのだ。相手は圧倒的に不利な状況に直面しているはずなのに、恐れも焦りも見えてこないとは。
「……どうした。さっきまでお前は俺に何を言っていたんだ? ごちゃごちゃと言っただろうが! あのときのように言ってこないのか? アハハハッ!」
「……」
 挑発のつもりで笑うが、やはり無言。
 悪霊は、逸らすこともなく、ただただ睨みすえてくるだけの相手が面白くなくなってきた。何とか口を開かせようと、言葉を荒らげる。
「言葉もないのか! それとも動けないか! ……ぁあ、分かるぞ、分かるとも! 見えるぞ! お前、立っているのがやっとだろう!」
 体が変われば、分からなかったことも見えてきた。自分の攻撃をかわしきった相手であるが、それが最後に残っていた体力で、今はせいぜい睨むだけが関の山。
 悪霊は並外れた力を手に入れ、苛まれた苦しみから解放され、恐れるものなどないと自負している。絶対的な自信がある。だからこそ気にいらないのだ。立場は完全に逆転しているはずなのに、それを実際に確かめるだけの反応を得られないのが不愉快で。
「――何か言え! このままくたばりたいのか!」
 一気に機嫌を裏返し悪霊が吠えると、スカッシュはようやく口を開いた。
「……お前如きに、その娘を扱えるものか」
 鋭い視線、温度のない声とあいまって、蔑みとなる。
 向けられた鋒鋩に、悪霊は思わず震えた。混じりあわない感情に揺れた。燃え盛る激しい怒りと、忍び寄る寒さのため。
「お……お前……。自分の立場が分かっているのか! 強がりでどうにかなると思うのか!? こけおどしと思うなよ!」
「……」
「ぐっ……。つまらん奴だ! ……いいだろう! この女も女の力も、完全に俺の手中だ。それを実際によく見せてやる!」
 無言の相手に湧いた衝動を押さえ、悪霊は震える両手の拳を握った。なんとしてでも目に物見せようと、集中し必死に力を手繰る。
 悪霊が乗っ取ったタムタムの体は、琥珀使いだと分かるものの、若い娘のそれである。どうしても外見の印象が強く、それ以上の能力を秘めているなど、悪霊自身も取り憑くまでまったく気づかなかった。だが実際は、悪霊が狂喜するほどの強い魔力を彼女は秘めていた――。
 そして、悪霊はその力に触れた。
「……クックックッ! これだ、この力だ! 後悔するなよ!」
 高らかに悪霊が叫ぶと変化が起こった。ボンと短く何かが弾ける音が鳴ると、タムタムの全身が一瞬で白い煙に包まれる。
 その現象は紛う方ない、彼女が持つ変身能力の現れだった。
「フッフッフッ……。ハァーッハッハッ! さあ、これでも黙っていられるか!」
 煙はすぐに薄れていく。笑う悪霊の声が響く中、薄っすら徐々に現れるその姿は、一回り以上太くなっていた。白と黒が混じる体。牛を思わせる頭部には目、角や耳があり、口にあたる部分が大きく開いていて、そこからタムタムの顔だけが覗いていて。
 早い話が、完璧に厚ぼったい着ぐるみなのである。ミノタウロスのモーモーそっくりの。
「……」
 不敵な笑みを見せるそれと対峙し、スカッシュはさすがに眉を顰めた。
 リイムたちと違い、仲間として月日が浅い彼であるが、タムタムの能力はよく知っている。目の前で起こった事態も、知らないわけではない。だがそれが、彼女がぬいぐるみと称するお気に入りの着ぐるみで、着用すればリイムたちと比肩できるという、彼女の極めて高い潜在能力を発揮する姿であっても、まったく慣れないものだった。過去はおろかこの今も、納得していない。
「ハッハッハッハッ! ――見ろ、分かるか!? この駆け巡る力が! 体が燃えるように熱いぞ! 巨体のサイクロプス、ジャイアント、ドラゴンだって一撃で吹き飛ばしてやる! 一捻りだ! 今の俺はそれだけのパワーがある! あぁ、どんな奴にだって勝てる! そうだ、この力さえあればもう負けはしない……!」
 彼女の秘めたる力がどれほどのものか――。その場の光景が示す通りだ。ぬいぐるみに変身した悪霊は、指もついていない手を振り、厚い生地の胸を反り、ただひとり盛り上がって酔い痴れている。己の格好が見えているのかいないのか。
 タムタムが憑かれて以降、ずっと悪霊を見据えてきたスカッシュだが、そこで目を側めた。
「ぅうん、どうした? フッ、恐れ入ったか!? だがお前は俺を苦しめたからな……! 泣いて謝っても許してやらんぞ、もー!」
「……」
 言ったとおり、悪霊がタムタムの、ぬいぐるみの力を手中に収めたのは間違いなかった。語尾まで一緒になれば、もはや疑う余地がない。
 次にはスカッシュが目を伏せる。
 脱力にも見える相手の態度が理解できない悪霊は、また怒り始めた。
「な……なんだ、その嫌そうな顔は! ふざけているのか! ……そうか、さては俺を怒らせて判断を狂わせようとしているんだろう! だが、そんな姑息な手が通じると思うなよ! もー、もぉーっ!」
 言い放つや、悪霊が右腕を引く。この時、戦闘経験を積んだ実力者なら、その瞬間に気が膨れ上がった事に気づいただろう。高く、澄んだ音が聞こえたかもしれない。
「――うもぉぉ!!!」
 その腕が、拳が前へ繰り出されると、火の玉のように見える赤い気の塊が、前方に向かって勢いよく放たれた。
 ごくごく一瞬。風が唸る音、焼ける音。目を閉じていたスカッシュの側を抜け、それは後方の壁をうるさく爆砕する。衝撃に、礼拝堂が揺れた。
「……」
 無言のまま、スカッシュは目を開く。しかし、ぬいぐるみを見る表情は、冷ややかなものに戻っていた。
「フン! ……いいか、当てられなかったわけじゃないぞ! わざと外したんだもー! これぐらい幾らでもできる! 今度は壁じゃなく、その顔にぶち当ててやるのも面白いな? アッハッハッ!」
 開いた大きな風穴を指し、それをスカッシュの顔にずらして笑う。
「さあ、お前はどうする? 言っておくが、逃がしはしないぞ! さあさあ、どうするもー!」
 また饒舌になる。実際に威力を確認し、一段と機嫌をよくした悪霊は、なぶっているつもりなのだろう。完全に優位であることを疑わず、にやけながら言った。
「フフッ。どうしてやろう! 考えてみれば、一撃で終わらせるのも面白くないな。……俺の苦しみは一瞬で終わるような、楽なものじゃなかった! お前にもそれを教えてやらなければ気がすまん! ……いや、だがたとえ手加減したとしても、立っているのがやっとの相手なら、一撃で終わってしまうか! ククク! そうだ、そうか、無理な話か……」
 そこで、小さな溜息が吐かれた。自分に酔った口述が止まるや、
「こい」
 一言だけ。
 スカッシュを見ながらそれを聞いたものの、すぐに判断できなかったか。数秒、口をぽかんと開けたままの悪霊だったが、瞬く間に顔が赤く染まった。
「お、おお……オマエェェェッ!!!」
 興奮状態の悪霊へ、スカッシュは淡々と言った。
「その娘とその力、手中に収めたと言ったな。……だが、お前はその娘の何が分かる? お前に分かるものなどひとつもない。お前に得られるものなどない……。その体はお前のものじゃない」
 冷たい言葉だが、それは炎を消す冷水ではなく、注ぐ油だった。
「……かかってくるがいい。もう一度言うが、お前にその娘は扱えない。それを教えてやろう」
 そう突きつけられた直後、悪霊は床を力いっぱい踏みつけた。硬い石の床が耐えられず、散り砕けて陥没する。
 有頂天となり、力もひけらかし、既に勝ち誇った気分になっていた悪霊には、侮辱同然であり、堪えがたい言動だったのだ。
「ぐぉおおおおおッ!!! ゆるさんっ、ゆるさんぞ! お前はボコボコにして、その口引き裂いてやるもーっ! いーや、ぼろぼろずったずた、ぐちゃぐちゃのミンチだもー!!! 絶対に後悔させてやるもぉおおッ!!!」
 わめき散らした悪霊は、ぬいぐるみの腕をぐるぐる回す。これから突進すると言わんばかりの勢いだった。
 スカッシュは誘いながらも、相変わらず構えもしない。そんな彼が見ているのは、ぬいぐるみではなく、その覗いた顔だった。今は苛立つ双眸。
「――謝るんなら今のうちだぞ! もちろん謝っても許さないもぉぉッ!!!」
 興奮のあまりしゃべり続ける悪霊を、完全に無視する形でやおら口を開く。
「……よく俺を見ておけ」
「ッ……? ……何を言ってる、お前!」
「お前に言ったわけじゃない」
 スカッシュは冷たくあしらうように返すが、意味を理解した悪霊は、逆に小馬鹿にした。
「……フハッ! お前馬鹿だな!? 言っておくが、女に意識はないぞ! ガキの時はなぁ、強引に乗っ取ったから意識が残っていたんだもー。だから俺が苦しむ間に、あのガキがでしゃばったんだ。だがぁ、この女はそうじゃないぞぉ? ……ククク。見ただろう、こいつは自分から俺に体を明け渡したからなぁ! ずっと眠ったままだ! 当然、俺はこの体を手放すつもりはないもー。だから二度と目覚めることはないわけだ、分かったか!」
「ああ……ただのまじないだ」
 悪霊の言葉を気にすることもなく、スカッシュは微かに笑った。
 どう受け止めるものか、再度、悪霊は顔を顰める。
「あまり使いたくない手だが……仕方がない」
「ぐぬぬ……」
 それは苦笑であり、自嘲なのか。悪霊にはさっぱり分からない。相手の状態は何も変わっていないはずなのに、力も見せ付けたのに、全く怯まないどころかどうして挑発的な態度が取れるのか、それが分からない。いかにも奥の手があると匂わせているが、しかしはったりだと思っている。悪霊にはどう考えても、自分から切り抜ける術を、疲れきっている相手が持っているとは思えない。だから今なお、さも悠然としているスカッシュの姿に納得できないでいた。本当にはったりか、逆転可能な奥の手があるかで思考は堂々巡りとなり、焦りと怒りで感情が昂る。動揺を誘い失敗を狙っている、あるいはただの時間稼ぎだなどと考えつつ、なんとか敵の手を探りだせないかと思ったり、焦燥のため黙ったままの気分でいられなくなったり。油断を見せるな、相手の思う壺にはまるなと、悪霊の思考は止まらない。落ち着くことができず、考えれば考えるほどまとまらず、それに我慢ならなくなって、とにかく怒鳴る。
「ぐっ……。ぐぅぅ! な、なんだ! へろへろでへとへとのくせに! もうまともに動く気力もないんだろう……! 強がりだって分かってるんだぞ!? 俺は騙せないぞ! ……俺は手加減なんかしないぞ!? お前なんか……ものの数秒だ……もぉぉ……!」
「……お前の言うとおりだ。勝負はすぐにつく。なら、数秒も動ければ十分だろう」
「うぐぅぅぅぅ……!」
 悪霊はわななく。絶対的な自信と力を得たはずが、その高みにまで、不安や不満が並んでしまった。そして、消え去ったと思った理解できない圧力の苦しさを思い出し、呻く、唸る。
「お前……! また俺を苦しめるのか……っ。なぜ俺がまた、苦しまないと……いけないんだ! もう縛られるものなど……あるものかぁッ! 俺はあの苦しみから逃れたんだ! なのにィ……ぐおぉぉ!」
 感情による衝動を抑え込もうとし、悪霊は悶える。しかし、それも限界が来ていた。
「こないのか? こなければ、俺から行くぞ……」
「おまえ……ぃう……。――ァガアァァッ!」
 スカッシュが動きを見せようとすると、悪霊は床を踏み抜き、蹴った。
 先手を取らせまいと焦った気持ちが、半ば反射的に突き動かした、それが初動だった。
「――めざわりだアァッ!!!」
 悪霊はスカッシュ目掛けて、弾丸のように跳躍した。同時に、その相手の左腕が動く。刀を持った左手。刀に右手が掛かる。速いと思う。到達する前に抜くことが可能だろう。だが悪霊には全て見えている。
 ならば、かわすことなど造作ない。
「見切ったぞ!」
 もう一瞬で終わる。一撃さえかわせば勝つ。揺らいでいた勝利を今度こそ確信し、圧力から一気に解放された悪霊は、にたりと笑う。
 そして、スカッシュの右手が動いた。悪霊はいよいよ、白刃を見逃すまいと構える。しかし刀は鞘ごと傍に放られ、床を僅かに滑っただけだった。
「――なにッ!?」
 刀を、その動きを見ていた悪霊は、自分の洩らした声にはっとした。予測が崩れた。
 フェイントなのか――。だが得物を捨て、次はどうする?
「ぐ……!」
 冷やりとしたが止まれない。相手を見ていない間に、隙を見せた間に、その遅れに体を持っていこうと、悪霊は夢中で右腕を引き絞った。
「……タムタム」
 声に、悪霊はスカッシュを見た。今まさに交錯寸前という空隙中とは思えないほど、張りがなく、淡々としていた。どこか気だるそうな表情。そうしてどうなるというのか、何も持っていない右手を、滑らかに前に伸ばして。
 認めるしかなかった。自分の理解が及ばない相手だ。手が全く読めず、掴めず、無意識に恐怖がある。
「――っ! くぁっ……!」
 触れられて、悪霊は硬直した。直後、左手をぐいっと引っ張られ、あえなく体が傾く。
 そして、体に力が加わった。左右から締め付けられる感覚に、一瞬苦しさを覚えたが。
「……?」
 数秒か、十数秒か。それ以上、何も起こらない。体に加わる力は強くならず、緩むでもなく。ふと気づけば、軽く抱き締められているだけのよう。
「……なにを――!」
 正気に戻った悪霊は、夢中で腕に力を入れた。理解できずとも、とにかく相手を突き放そうと。しかし、それが突然止まる。
「な、なんだ……? この……」
 顔を上げると、やはり変わらない眼差しが間近で見ている。回されていた腕は緩められ、抵抗を受けた様子はない。そもそも、相手に押さえ込む力など残っていないはず。
 違和感。意図して体を止めた訳ではない。悪霊が訝しがった時だった。
 なぜか、口がぽっかりと開いた。
「あ……キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
 そこで悪霊は、今まで聞いたことがないほど甲高く、酷いの絶叫を耳で聞いた。

 礼拝堂が震えるかと思うほど。
「――ナ、ナンダアァッ!?」
 絶叫の末尾を聞きながら、悪霊は仰け反った真っ赤な顔のぬいぐるみを見た。
 ――いや、見えた。その事実に悪霊は愕然とする。何かに映して見ているのではない。自分で自分の顔を見ることなど、できない。
「バ、バカナ! ハジキダサレタ……!? イッシュンデ……?」
 人の影にも見える黒いもやの悪霊は、ぬいぐるみの頭一つ分ほどずれて上にいた。
 そして、そのぬいぐるみを突き飛ばす相手。
「ヤアァァぁあーッ!? あ〜〜〜ぁ、ぶっ!!」
 バランスを崩し、手をばたつかせながら転倒するタムタム。体を失い宙に取り残された悪霊は、何が起こったのか理解できず、ただただ混乱し、叫んだ。
「……ナゼダアァァァッ!?」
「元々お前は、自力でその娘に取り憑く事はできなかった。都合よく譲り渡されただけだ。タムタムの意識が戻ってしまえば、お前の支配は及ばない」
 震えたのか、もやがざわめく。
「ソンナ……ヨビサマシタダト……! アンナコトデ!」
「……お前には取るに足らないことに思えても、その娘には一大事ということだ」
 答え、タムタムから離れたスカッシュは、側に落ちていた刀を素早く拾った。
「強力な力を手に入れても、扱えなければ意味がない。弱点が見えなければ攻略される……。それがたとえ、些細な事に思えても――」
 悪霊に一筋の白線が閃く。
「ァアア!!! ソンナ、ィヤダァァ……ァ……」
 微かな断末摩を残し、黒いもやは霧散した。
 それから、刀を黒鞘に納めて、スカッシュは大きく息を吐いた。
「僧侶だからな、普段から異性にも触れているくせに……逆にされるのは酷く抵抗があるらしい……」
 既に聞く相手もいない中でのつぶやきだった。
 悪霊は消え去り、子供二人は気絶したまま。しかし、静けさを取り戻したと思われる礼拝堂には、まだ呻き。
「うぅ……。あ、あぅ……頭痛い……」
 スカッシュはもう、そちらを見なかった。ただ、吐息をもう一つ。終わった安堵でも、疲れた証しでもない、やるせないため息をもう一つ。


 悪霊の被害にあったルースとヒューゴは、共に命に別状なく、数日ほどベッド生活。一部破壊された礼拝堂の修復については、とりあえず後日の件。途中で止められた手品はさすがに再開できるはずもなく、最低限の事後処理をバタバタとこなし、子供たちとアリアに見送られ、重い気分のまま王城への帰路についた夕刻。
 孤児院も見えなくなった頃、街路を無言のスカッシュと歩いていたタムタムは、今まで我慢していた疲れを一気に吐き出した。
「はぁ……。疲れた……」
 気が重い、ついでに頭も痛い。普段、元気な点が特徴である彼女も、さすがに今日の一件は体に応え、へとへとだった。終わってみると一切合財、ろくな事態になっていない。
「これからの問題が山積みなのよね……。貸衣装屋さんに弁償しないといけないでしょ……それと、ライスおじいさんに黙っているわけにはいかないし……。うぅーん……でも、当面の問題は、お城に戻ってどう報告すればいいかよね……。リイムたちにも話さないといけないけど、魔物が絡んだトラブルになったから、正式な報告をしなくちゃいけないのが一番やっかいなのよ……。孤児院の建物は王国の所有物だから、勝手に直して黙っているわけにはいかないし……。……。あっ、そういえば、あのメダルって結局誰のか分かってないじゃないの……もう!」
 片付いていない事が多すぎて、頭を悩ませる。しかもほとんどが難事だ。そして、散々な目にあったにも関わらず、目的だった手品が成功したかと言えば、とてもそうは思えない。子供たちは喜んでいたが、事態が収拾した後にはそれも台無しだ。子供たちはさぞ怖い思いをしただろうと考えると、タムタムの心中は複雑だった。
 再度溜息しつつ、打ってできた頭のたんこぶをさする。
「それにしても……悪霊のせいで、手品をがんばった意味がなくなっちゃったかも……。はあぁぁ……一体どうしてこんな事になるのよ……。とりあえず、二人が無事で本当に良かったけど……」
 言葉に出して、思う。それだけが心の支えだった。それだけは本当に良かったと感じるし、これだけは胸を撫で下ろせる事実。
「うーん……ルースとヒューゴは痛い目にあったけど、しばらくは嫌でもみんなのお世話になりっぱなしにされちゃうから、ある意味、充実した最後の孤児院生活になるかもしれないわね……」
 ベッドに寝かせた二人を思い出すと、その周りにおまけがぽつぽつ、どんどんと増えてきた。
 仲がよく、やんちゃな年頃も多い孤児院のみんなである。世話焼き組と、野次馬組が押しかけて、寝ている側で騒がれたり、抱きつかれたり、話をせがまれたりと、混戦や、内乱状態になるかもしれないが。
「……まあ、そもそも二人が意地を張った事が原因でもあるんだし、これって自業自得かもしれないわね」
 想像に少し笑って、タムタムはほっとした。しかしその横で、狙ったように溜息が。
 睨むが、返事はなし。
「……何よ。言いたい事があるなら、言えばいいじゃない」
「……」
 見返しもせず、黙々と歩くだけ。いつものように面白みも愛想もない横顔で、気づけば悪霊の一件が片付いた以降、まともに話していない。
「……怒ってるの?」
 なんとなくそう思って聞くと、寒々しい横目。
「……なぜそう思う?」
「だって……何も話さないんだもの」
「それだけか……?」
 問われて、タムタムは目を逸らした。相手が怒っていると考えれば、思い当たる節がないわけでもなく。直視するのが躊躇われ、どこか気まずい。
「……悪かったとは、思ってるわよ? でもあのままだったら、ヒューゴはもっと酷い状態になっていたかもしれないし……結果として上手く終わったから良かったわ」
「……」
 スカッシュが再び黙り込む。見なくても判るほど不機嫌そうに。
「……か、考えなしに突っ込んだわけでもないんだから! 私は何もできなかったけど……だって、あの場にはあなたもいたし……」
「――俺の策をお前が知っていたと?」
 険のある言葉に押され、もうタムタムは俯かずにはいられなかった。自分に欠点があることは、悔しく、情けないが分かっている。
「それは、その……。……ごめんなさい」
 結局謝ると、隣の相手が肩を落とす。
 悪霊に向かって飛び出していった時は、まさに夢中で無策。ヒューゴを助けることしか頭になかった。どうしても抑えきれなかった。結果、上手く解決したものの、そうならない逆の可能性もあった。スカッシュがいたとしても、完全に独断行動であり、無謀だったと言えよう。それを承知しているから、責められると頭が上がらなかった。
「自業自得か……。全く、これほど今のお前にふさわしい言葉はないな……」
 スカッシュはすっかりあきれ返った様子を見せ付ける。
「なっ、何よっ! ……誰でも我慢できないことってあるじゃない! 善かれと思ってやったことで、足を引っ張りたいわけじゃないんだから……!」
 つい、売り言葉と感じタムタムは強く言い返したが、振り向いてきたスカッシュの打って変わった鋭い視線に、思わず身を竦めて止まる。
「そうなら、全て許されると思うのか」
 スカッシュも止まり、言葉同様、不愉快そうな顔をあらわにした。
「今回は上手くいったから良かったものの……。お前は危険を顧みないが、その行為ひとつでどれだけ周りが気を揉み、迷惑を被るか……いい加減に弁えて自覚しておけ」
 言い捨てるとひとり歩き出す。
 タムタムは少し驚く。視線だけが追い、きょとんと佇むが、スカッシュの言葉が頭の中で反芻され、彼の怒りの矛先が何であるのか、その勘違いに気がついた。
 少し離れた相手の隣に小走りで戻ると、ちらりと見上げる。あまり先ほどと変わらない表情があるが、そろそろと聞いてみた。
「……。私のせいで状況が悪化して、怒ってるんじゃなかったの……?」
「当然の事まで言わないと分からないのか……」
 さらに怒りを買い、不躾だと語る視線にタムタムは怯んだ。
「だ、だって……てっきりそうだと思ってて……」
「……」
 何か意外と思ったのだが。改めて考えてみれば、意外でもなんでもないのだが。何度となく、みんなにそれで謝っている。自分がするように、みんなもそうするだけの事。
「……その、心配かけてごめんなさい」
 もう一度謝る。すると僅かに間を置いて、スカッシュは何度目かになる溜息を小さく吐いた。疲れたと言いたいように。
「……分かったならもういい」
 それから次に移るまで、しばらく間があった。だから、その一言で終わったのかとタムタムは思っていた。だから肩を落としていた。
 しかし、まだ続きがあった。いつもの調子で。
「……今に始まったことでもない暴走の対処ぐらい、考えておくべきだった。それに今回の件は、起因となった俺にも全く責任がないとは言い切れないからな……仕方がない」
「――何よその酷い……って、え? ……何?」
 毎度ながら、その言い方にむかつき、突っかかって文句がでる直前だった。何か違和感。勢いが途中で引っ込むほどの引っかりを覚えた。
「起因……?」
 言葉の中に、状況として思いつかない単語があった。しかしそう言ったからには、彼が関わって何かが起こったという話になるのだろうが、今回の件を思い返しても、当てはまるものが浮かばない。だからなのか、妙に気になってタムタムは問う。
「思い当たらないんだけど……? 何かした?」
 ざっと始まりから終わりを見て、スカッシュの行為を抜き出しても、明確なものは手品を行った事と、悪霊と対峙した事ぐらいと思われる。だがそれに、今さら責任と言い出して過失を感じさせるような結果が伴っていたかどうか。
「……あなたの失敗って、手品の時と、悪霊に気づけなかった事だけでしょ?」
「――どうして、人間に取り憑けるようになったか……」
 脈絡の欠ける発言に、小首をかしげる。
「っと……?」
 後は黙ってスカッシュを見やる。
 疑問符を投げかけられた彼は、どこか沈鬱な面持ちで話しはじめた。
「……初めは無害だった。俺がそう言った。だが、あの悪霊は力をつけて子供を襲い、その体を乗っ取った……」
 そう言われ、タムタムは悪霊と対峙した直後を思い出す。あの時、スカッシュといくつか言葉を交わした中で、似たような話をした。
「あ……。あの霊って、突然に力をつけたのよね……。って、そういえばどうして……」
 また、しかも嫌な引っかかりを覚えたところで、スカッシュが答えた。
 ――あの霊は元々、力など持っていなかった。それが突然魔物化し、悪霊になった。何故か?
「あれは、俺が原因だ。正確に言えば、俺の魔力の影響だが……」
 タムタムの口が瞬間、ぽっかりと開いた。
「……」
「話したが、俺の魔法は色々と無駄が多い……。今回の影響については、何度も使用した経緯もあるが……行き場のない必要以上の魔力が辺りに流れて、どうやらそれがあの霊に力を与えてしまったらしい……」
 顛末を聞き、言葉もでなかったタムタムだったが、どんよりとして憂鬱そうな溜息を聞くと、一気に熱が上まで駆け上った。
「――ななっ……何よそれ!!!」
 大きな声で叫ばずにはいられなかった。それは降って涌いたような話で、今までの萎んでいた気分を吹き飛ばすほど、衝撃的な事実となりえた。
 そう。霊が悪霊となり、魔物化しなければ被害は起こっていないし、これから行わなくてはならない、多くの煩わしい報告もなかったはず。
「思いっきりあなたのせいじゃないっ!?」
 そして、その非難めいた叫びには、スカッシュもにわかに気色ばんだ。相当不服らしく、怒声と分かるほど力がこもっていた。
「だから始末はつけただろう……! 大体、誰のせいで、俺が手品をしなければいけなくなったんだ……!」
「だって、あんな事態になるなんて、思いもよらなかったんだもの……! それに、あなたが孤児院の霊は今のところ問題ないって言ったのよ? でも、結果はそうならなかったじゃない!」
 剣幕と剣幕。場所は王城に続くメインロード、大通りの街路である。二人の様子は周囲に筒抜けで、大きな怒声でも上げようものなら、多くの通行人は視線を投げかけた。対象が若い男女の二人組みなせいか、好奇の目も少なからず混じっている。何かしら囁かれた声も漏れ、タムタムは恥ずかしさに慌てて顔を逸らし、声音を下げた。
「安全が最優先に決まってるわ……。危険だって知ってたら、手品も中止にしてたわよっ……」
 周りを気にしつつ告げると、スカッシュも色眼鏡で眺められるのは避けたいか、声の質を普段に戻した。
「……。それは間違いなく俺のミスだ。それは認める。……だが、自分の魔力が周囲にどんな影響を及ぼすか、ある程度予測はしても、完全に把握まではできない。試すつもりも一切ない。だから最初に、責任は取れないと言っておいたんだ……。それでも構わないと承諾したのは誰だ?」
「うっ……」
「渋った俺に、どうしてもと頼み込んできたのはお前だからな……。自分の不始末は片付けるが、後はお前の責任だ。引き受けた時、恩に着るとまで言っただろう。上辺だけの言葉じゃないなら、済んだことは潔く諦めろ。おとなしく恥を忍んで報告し、始末書を書くんだな……」
「えぇっ!?」
 言葉に詰まったタムタムだったが、その見越した発言には、また声を上げてしまった。
「その口ぶり、私がひとりで全部報告して、始末書まで書けってこと……!?」
 今回は報告も厳しいが、なんと言っても、始末書は一番書きたくない書類だ。彼女の師匠たる博士、ラドックがよく書いているが、軽度と判断されるものを除いて、人為的な失敗による被害や損失が認められる場合、提出を求められる。失敗を詳細に書き綴ったあげく、反省点やら改善点を書き、署名するので、自分の失敗をまざまざと感じる反省作文そのものである。しかも、それを他人に見られる。数年は保管される。特殊なケースはもっと長い。恥ずかしいに尽きる。
 そしてこれが実際問題。始末書の提出は通常業務でなく、そうそう書かされる書類ではないのだが、まず今回は命令が下るだろう。脅かされてはならない、お膝元である城下での突発的な魔物事件は重大であるし、国の財産でもあり、重要なものも多い国有の建物の損壊は、どちらも提出が義務化されている。たぶん、特例はない。
「そんな……どう書くのよ……! 不始末を片付けるって、悪霊をやっつけて終わりじゃあ、納得できないわ……。確かに私がお願いした側だけど、酷いわよ! 手伝ってくれてもいいじゃない……!」
「……。……それこそ自業自得だろう。俺はもっと不服だ……」
 周りの目が気になるのか、非情だと叫ばれているのが先か、スカッシュは困惑した様子になった。考えていたものか、ややあってから、表情を変えないままタムタムの方を向く。
「言いたくはないが……。頼まれたから仕方なく、手品に見せるため不得手な魔法を何度も使い、そのせいで疲れきったところに戦いを強いられ……なおかつお前の無謀な行動で極めて困難な状況下に叩き落された俺に、許せない手落ちがあると責めるのか……?」
 それこそ非情ではないかと思わせる、痛い所を突く諭告。
 自分の非を隠せず、相手の表情から逃げられないタムタムは、苦しくなって咄嗟に出ない言葉を必死に捜した。
「んん……。それはね……違うのよ……? だってそんなことを責めたいわけじゃ……! そうじゃなくって……!」
 そこで、隣は露骨に嘆息した。その対象、その色ゆえに、面を下げていたタムタムが顔を上げかけた矢先、彼女が感じた様子がまるまるそこにあった。
 なんとふてぶてしい。
「むしろ、感謝して欲しいぐらいだ……。斬られても仕方がない行動を取ったお前から、無傷で悪霊を追い出してやったんだからな」
「無傷でって、あんなこと――――ッ!?」
 悲鳴も続けられぬまま、タムタムは一瞬で真っ赤になった。
 露骨な不平と呆れ。その言い種に切り返すため、反射的に口が顔が、体が反応し攻勢に転じかけたが、同時に話の情景が脳内に浮かんでしまったのである。
 その顔は湯気が上がりそうなぐらい。反動のようにタムタムの動きが止まると、そこで視線がぴたりと合う。
「〜〜〜〜〜〜!?」
 気がつけば、今も目の前にいる相手がもっと間近で、抱きしめられたという事実が蘇り。
 今にも飛び上がりそうなタムタムに合わせ、スカッシュが歩を止めて笑った。
「まあ、無事で良かったな」
 そう告げてすぐに歩き出す。即、別の熱気がタムタムに沸き立った。
 笑われた――。やられた、見事に引っかかったと思ったのだ。
「わ――わざとでしょ!? そうやってうやむやになんてさせないわよ……!」
 タムタムはとにかく怒りながら、さっさと進む背中を追いかける。
「――ちょっと、話はまだ終わってないんだから!」
「……何がだ? うやむやもなにも、俺はさっきから言っているだろう。後はお前の責任だと」
 再び歩調がそろう。なんとかして話を引っ張るタムタムに、スカッシュは気だるそうに答えた。
「責任って……あなたの不始末が片付いてないんじゃないの……!? ほら、えっと……そうよ! メダルはどうするのよ……!」
「心配するな。不測で呼び出したものの傾向から考えれば、あのメダルはおそらく勇者軍の軍資金だ。……リイムになら、事情を話せば酷く咎められることもないだろうさ」
「心配するなって、じゃあ、もしも違ってたらどうするの!?」
「それはその時だ。……見込み違いかどうか、確かめてからでも遅くはないだろう」
「く……。あ、あ……あなたって、けっこういい加減じゃない!?」
「当然だろう。予測はするが、予知能力があるわけじゃない。そんなものがあれば、ここでこうしている事もないからな……」
 のらりくらりとかわすスカッシュに、タムタムはとにかく感情でぶつかった。
「うぐっ……。じゃあ、それはその時としてもよ……。怒られるだけの話じゃなくって、事実は報告しないといけないでしょ……! 関わりがあるんだから、私だけするのは普通に考えておかしいわよ! それだけは譲れないわ! あなたにもしっかり説明してもらうからね……!」
 泥を被るなら一緒だと、タムタムはもはや意地。しかしスカッシュも飽きないようで、閉口することはなかった。
「そのことについてだが……。考えてもみろ。勇者軍に身を置いている形だが、俺の立場は特殊だ。伏せなければならないことがあるのは、お前もよく分かっているな? 素性や存在が割れるような話は認められない……。事情を知っているリイムたちに話すのは当然としても、表向きには今回の一件、全容を話すことはできないだろう。もちろん、俺の希望は関係なしに、だ」
「……!?」
 何を言い出すものかと思ったが、程なくスカッシュの言わんとする話が分かって、タムタムは絶句した。
 一度はラクナマイト大陸の国家をほぼ制圧し、大陸全土を震撼させた魔王、ゲザガイン。その息子であり、自身も王城を攻め、ライナーク王国を陥れた所業があるスカッシュの存在は、当然ながら世間において簡単に容認されるものではない。国内のみならず、国外においても物議を醸すであろう、彼の素性全てを知っている者は少なく、国王リチャードや勇者軍など、要職や関係者の一部のみが知るところであり、広く内証。それ以外が知っているのは、近いところを見ても、彼が元魔龍軍の将だった事までだ。
 王国に裁かれ、現在は勇者軍の監視下となり、拘束されているはずのスカッシュは、それが名目で全く効力をなさないながらも従っているのである。そして、そのような無罪に等しい罰を下し、決めた王国だ。彼の扱いについて方針を変えない限りは、少なからずトラブルが想定されるその素性が、これ以上知られるような事はしないだろうし、させないわけだ。
 そうなると、安易に扱えないであろう魔法や、霊を変化させてしまうような魔力など、素人でも人間離れが分かり、少しでも疑わしく連想に繋がりそうな部分は表に出させないと考えられないか。
「つ、つまり……」
 言葉が感情の乱れを映して震える。
「……俺の失態の部分を都合で伏せることになれば、話は相当絞られてくる。そうなればこの話、主役はお前だけにならないか? それを俺がでしゃばって説明するのは不自然だろう」
 タムタムは目を白黒させた。自ら微妙な立場を口にしながらも、まんざらでもなさそうなスカッシュを見ることしかできず、ますます注目する周囲が見えるはずもない。
 ショックで一度真っ白になった頭の中に、じわじわと浮かび上がる形。
「……。要約すると……手品中に突然現れて子供を襲った悪霊に、私が突っ込んで体を乗っ取られたあげく、孤児院の礼拝堂を壊して、あなたに助けられたって……話……?」
「そんなところになりそうだが……」
 考えれば考えるほど、自分が否定できないのが認められなかった。
「そんなのってっ……!? な、なななっ、何なのよ、それっ!? どういうこと!? 納得できないわ!?」
「ただ憶測を述べただけで、俺が決められる話じゃない。まず、文句を言うなら相手が違う。そうなればな……」
「くううう……っ。もう、信じられないっ! どうなってるの……! 嘘よ!? おかしいわ!? じゃあ処罰を受けるのって私だけ!? これって出来すぎてるんじゃ……!」
 混乱するタムタムに、スカッシュは少しだけ眉を顰めて見せた。
「そう言われてもな……。表向きはそうであっても、実際はそれで終わらない。気が進まなかったとはいえ、俺もお前に荷担した事実がある以上、厳重注意を受けるのは避けられないし、リイムたちには話さなければならない。それだけでも相当に気が重い……。結果的に、手品ができると思われるのも大迷惑で不満だ……。俺も、どこの世話好きのせいだと言いたい」
「う〜〜〜! だってだって、頼んだのは私だけど、失敗したのは私じゃないもの……!」
「だから、魔法に失敗したのは俺だが、無謀にも悪霊に体を明け渡したり、そのせいで礼拝堂を壊したのは俺じゃないぞ……。何度も言うが、自業自得だ」
「うーうううううー……ッ!!!」
 苦しまぎれのタムタムに、相手を続けるスカッシュ。依然、問答は終わらず、街路上ではタムタムの呻きと悲鳴が断続されて。


 結局のところ、二人は皆々の視線を浴びたまま、王城まで戻ることとなる。そして、チキンマンのジョージ、サンフラワーのミラクル、心配顔のリイムとモーモーたち勇者軍に出迎えられて、気の滅入る難事、報告へと突入する。
 さらに悲鳴は以降も続き――溜息も続く。
 相当にへこんだタムタムであったが、もちろんこれに懲り、以降自粛する……ということはないのである。
 ばたばたと繰り返さる。それが日常。


 
<おわり>

 
<語りまくる>

ここからがやはし、一番時間が掛かりました……。
目を逸らしたくなりますな……(苦笑) 考えたくないというか。情景がアレなので。

ヒューゴ、ルース他
このあたりのキャラにこだわり設定とかないですよ、もちろん。名前も適当。

悪霊
名前もなし。やや登場が長く何か言ってますけど、所詮脇役。ただのやられ役なので、背景はないです。
虹のようなかわいいオバケじゃなくて、1のようなかわいくないものか(苦笑)

そして、タムタムの体が少しよろけた。
これの前まではまぁたんなる王道な流れで、語るような部分もないのですが……。
これまではまぁ、そんなに止まってばかりじゃなかったのですが(修正は凄くあったけど)。
ここからが一番はずかしー部分なんで、PCの前で何もせず、ン十分とかざらでした。
情景が色々な意味で恥ずかしくて先を考えられないというか、ねえ(汗)

悪霊が狂喜するほどの強い魔力を彼女は秘めていた――。
ここでぬいぐるみ出さなかったら、いつだすって感じで!?

タムタムが憑かれて以降、ずっと悪霊を見据えてきたスカッシュだが、そこで目を側めた。
「もう嫌だこんな生活」
というか、ここらへんから、解決するまでの間が、真面目に書くの一番恥ずかしですわ……。

「あまり使いたくない手だが……仕方がない」
ただのコメディーじゃなくて、ラブコメなんじゃよラブコメ! という場面。
定番の流れ的ならチュー!(マウスマンだよ!)するシーンだろうけど、やめた方がいいなというか、私が耐えられないです(苦笑)。ブツがぬいぐるみだし……。ぐぉお!

そもそも、相手に押さえ込む力など残っていないはず。
そもそも、スカにそんな力は初めからありません。ぁあ、断じてない!

そして、そのぬいぐるみを突き飛ばす相手。
厚いので大丈夫ヨ!

悪霊は消え去り、子供二人は気絶したまま。
実は、途中で二人が気がついて、ぬいぐるみ見て、あーだーこーだなるのが面白いかもーと思っていましたが、やめました。きっとトラウマになるので(苦笑)

「今に始まったことでもない暴走の対処ぐらい、考えておくべきだった」
色々言うのですが、実は身内にめちゃ甘いのがうちのスカ……。
結局いいよになるので、いつまでたっても周囲は直らず、いつも自分が尻拭い。
うむ、それがいい。

「無傷で悪霊を追い出してやったんだからな」
たんこぶが! あるんだけど。

始末書
ライナークの始末書は凄く嫌なものらしい……?
まあ、最終的には、提出期限ギリギリになって忙しくなったタムタムに「遅れると礼拝堂の修理が遅れて、式の予定が変わっちゃうの! お願い!」と、押し付けられて、結局スカが代筆するのですが。
リイムに、「あれ、何やってるのスカッシュ?」と言われて凹みます。
和む!
ちなみにスカは字が綺麗です。

スカッシュの素性
バレてようが、機密で秘密なんじゃよ!
人畜無害ですが、パパンがゲザというだけで危険物扱いです。
どっかの大国が、核兵器もってるんだろ!と他国に攻め込むのと一緒です。
口実を与えてはいかんのです。
が、リトルマスターにそういうのは似合わんので書くことないでしょう。

「結果的に、手品ができると思われるのも大迷惑で不満だ……」
今まで「何だこいつは?」というのが、ちょっと好感度アップですよ!
以降、彼は手品をしません……。

で、お疲れ様でした。
えーと、これでタムのスカを見る目が、サンフラワーやラビットマンやチキンマンのレベルから、男性に昇格したぐらい。しかし、タムはリイム以外の男性はみんなへのへのもへじ(苦笑)
とりあえず、王道でラブコメでいいよね、ヒロインの格好が変なだけで……。
疲れた……。



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