温泉村を救え!
<3>
深更にして明るい空であると言える、満月が鮮明な夜だった。しかしその月明かりに晒されることもなく、彼らは囲まれ、限られた空間に身を潜ませる。疲れにより、常に傍らにあろうとする倦怠感と、眠りへのいざない。次第によどんでいくような、流れの錯覚。ただ鈍くなるまいと戦う。ただただ堪えるに等しい、移り変わりの乏しい時の中――。何が最も困難だったかといえば、口から生まれてきたような精霊を黙らせることだった。さすがに手狭となった脱衣場の中では、もめるにも苦しく、それなりに強硬な手段によって静寂を保つしかない。モーモーの胸元で茎を握られて、ぐったりとこうべを垂れたそれは、およそ一時間前からめそめそと花びらを散らしている。曰く、男に抱えられたくないのだとか。刺激にはなるのだが、それでも極力音を立てないように動作を制限し、気を配り、灯りもつけられない暗い内部では、その啜り泣きはよく目立つ。だが、周囲は誰も気にしない。そんなことより、外に注意を払わなければいけないので、気にしてなどいられない。脱衣場の窓は高い位置に小さい木窓が幾つかあるだけで、視界はあまりよくなかった。モーモーやはしごに登ったロビーが一応隙間から見てはいるが、視覚に頼るのではなく、何かしら動く気配があるなら察知しようと、持てる感覚をできるだけ研ぎ澄ませている状態だ。そうして、勇者軍が山岳地帯に続く道を、見張り始めて既に六時間が過ぎようとしていた。そろそろ、今夜は現れないかもしれないと、交代で睡眠をとる話をリイムが始めようとした時、スカッシュが鋭く囁いた。
「来る」
一斉に、通常の呼吸すら潜める。ミラクルもぴたりと止まった。そして長く感じられる数分が経ったのち、窓から山道を見ていたモーモーが、小さく言った。
「マウスマンか、ちょろちょろして小さいのがちらほら……ラビットマンやオークもいるモー。あと、ウルフマンやスカルパイレーツも見えたような……。どうも、飛ぶやつもいるみたいだ。他に一回り大きいのもいるようだが……固まられるとさすがにはっきり分からねえな。……温泉の周りに広がって……何か動いてるモー。うん? いま温泉に……。チッ、だめだ、やっぱりよく見えねえ。……どうする?」
少し苛立ったモーモーの声に、リイムはすぐに答えを出した。
「出よう。何をするのか確認できたらいいんだけど、ここからはっきり見るのは困難だから」
皆、頷く。
「そうね。私たちの任務は魔物の動きを探るんじゃなくて……魔物が現れるこの事態を早く解決しないといけないんだもの」
タムタムが続けるように言うと、揃って動き出す。モーモーが先頭を切り、扉を勢いよく開けて、素早く脱衣場から飛び出した。
バンと鳴った扉の音に、進行していた静寂は打ち破られる。温泉の周りに広がっていた魔物たちが驚く先で、勇者軍は脱衣場を背に、いったん立ち止まった。まだ武器は抜かず、構えない。
対面し、魔物たちから人間の言葉ではない、動揺や悲鳴の声が上がる。閉ざされた脱衣場より遥かに明るい月光下、夜目に慣れた勇者軍の面々には、魔物の個々の姿がはっきりと見えた。そこにいたのはねずみのマウスマンに、丸っこいブタのオーク、狼男のウルフマン。動く骸骨のスカルパイレーツと、空から降りてきたコウモリ男のバットマン、そしてロビーと同じ種族であるラビットマン。後続か、少し遅れてゾウマンやカンガルー、パンダマンも現れる。
「早々に出てきてくれて助かったぜ。でもやっぱり、それほど大きな奴は見当たらねえな」
モーモーの開口一番のつぶやきに、魔物たちは気味悪そうに唸ったり、後退ったりした。
それに紛れないように、リイムは大きな声で言う。
「僕たちは勇者軍! 国王の命を受けて、君たちが来るのを待っていたんだ! ここで何をしているのか、話が聞きたい!」
たちどころに魔物たちがざわめき出す。警戒や訝しがる声で、気をゆるめる気配はない。
「……確かに僕たちは丸腰ではないけれど、君たちが話し合いに応じてくれるなら、武器を抜いたりはしないよ。戦うつもりで来たわけじゃないんだ」
しかしリイムのそれに、オーク、スカルパイレーツ、ラビットマンから信用できないという意思表示が上がった。
「ブヒ! ブーブーブヒ!」
「ギギッギー!」
「ラビラビ……!」
リイムは聞いて、眉をひそめた。
「怪しい……奴……信用できるかって……。え、見るからに凶暴……?」
メンバーの中に、そう呼ばれそうな者など見当もつかず。凶暴と言われたことが引っかかりリイムが困惑すると、マウスマンたちが騒ぎ立てた。
「チュー!」
「怪しいミノタウロス?」
リイムのつぶやきに、誰もがモーモーを見やったが、それで何となく分かってしまった。
凶暴かどうかは別として、真剣で緊迫しているはずのその場に似つかわしくないものが紛れているとすれば、他にないと思われる。右腕の先に。
「あ……? もしかしてこれか? いや、すまん。つまり……忘れてただけだモー」
モーモーは半ば枯れたようなミラクルを持ったままだった。気づいて、ぽいと離す。
それは地面にぱさりと落ちて数秒すると、いきなり復活した。
「――モーモー!? てめーは俺を殺す気か!? なんかもー……俺は! 俺はなぁ……朦朧としてお花畑が見えたぞ!? 一面が! あれはたぶん天国だった! そうに違いない!」
「そりゃあ……いい夢みたな」
「どこがッ!?」
ミラクルが飛び跳ねてモーモーに突っかかる。それを見ている魔物たちは、いっそう戸惑いながらも、時間の経過により当初のショックが薄れてきたためか、敵愾心を募らせていった。
「ゾウゾウゾオォォ!」
「ワオォォォォォォン!」
ゾウマンが地団駄を踏み、長い鼻を横に振り払う。ウルフマンが空に向かって遠吠えを上げる。魔物たちは次々と構え始める。
「おっと……まずかったか。しまったな」
「ぁあん……? えっと……なに? な、なんだ? いまどうなってー!?」
魔物たちの殺気立つ様子に、モーモーとミラクルもそちらを気にする。リイムは思わず半歩踏み出し、誤解だと精一杯否定する。
「違うよ……! 僕たちは君たちの邪魔がしたいわけじゃないんだ……! ただ、村の人たちが困っているから、なぜ君たちがここに来るのか、教えて欲しいんだ! 君たちに理由があるなら、まずそれを教えて欲しい!」
「ギッギッギー! ギギ!」
「チュー! チューチュー!」
既に戦うつもりである魔物たちの口からは、反発しか出てこない。話す気はない、騙すつもりだろうと怒鳴り、苛立ちながらはやし立てる。
『教えることに意味があるのか!』
『これからもここに来ると言ったら、困るんだろ! だったらどうせ力ずくで追い出そうとするに決まってる!』
『人間は自分たちの都合しか考えないし!』
怒りをぶつけてくる魔物たちに、リイムは必死に説得を試みた。
「待って……理由があるなら、僕たちが村の人たちに話すことだってできるんだ! 話し合いで、穏便に済むかもしれない。どうしてもここに来なければならない事情があるなら、例えば夜間の数時間だけは君たちのために温泉を閉鎖してもらえるよう、僕から頼んでみるよ。教えてもらわないことには、それもできないんだ……!」
しかし何を言っても、向こうの怒りは増すばかりだった。
『でたらめ言うな!』
『こちらが事情を話して、お前が村の人間どもに話したとしよう。だが、その連中が我々の要望を拒否したら、お前はどうする……!? 人間だから、人間の味方をするだろう! 最後は結局、我々を近づけないようにするのだろう!』
『そうだとも! 大体、人間がこっちの話なんか聞いてくれるもんか! 分かりきってるぜ!』
『ばーかばかしいっぺ! 人間と話しあうなんて時間の無駄だっぺ!』
『騙そうたって、そうはいかないよーだ! 引っかかるもんか! もし本気で言ってるなら、馬鹿な奴!』
リイムの悪口まで出てくると、言われた当の本人よりも、ロビーやジョージ、ミッキーが落ち着きを失った。
「リイムは馬鹿じゃなーいッ! もームカムカだよ! 話し合いも知らないなんて、野蛮すぎるよキミたち!」
「分からずや! リイムはでたらめなんか言わなし、一方的に人間の肩を持ったりしないよ! コッケッー! リイムを嘘つき呼ばわりするなら、僕たちが許さないぞ!」
「……! ……! ……!!!」
抗議するように腕を振り上げたり、羽ばたいたりするので、向こうにますます刺激を与えることになったのは言うまでもない。
一触即発の雰囲気に、リイムは奥歯を噛み締めた。いかにリイムが相手の気持ちを理解しようとしても、その相手が彼を素直に理解してくれるかは、また別の問題となる。
「待って……みんな、待って!」
リイムはそれでも止めようとするが、スカッシュが隣に歩み出て、刀の柄に右手を掛けた。
「こうなっては無理だ、リイム。じきに攻撃してくるだろう。頭に血が上って、何を言っても聞こうとしない。興奮を冷まし、戦意を殺がない限りは……」
「――ラビ!」
そして、同時だった。スカッシュが言い終わるのと、ラビットマンが弓に矢をつがえ、その手を離したのは。
「わあッ!?」
ロビーが甲高く叫ぶ。誰もが一瞬、そこに釘付けとなる。矢が向かうであろうその先が、もう見えていた。
「……くっ」
リイムは飛んでくる矢を、自分に向けて矢が放たれたのを見据え、決心した。腰の帯剣に素早く手を伸ばす。ためらいを捨て、リーダーである自らが火蓋を切ることを。
瞬く間を切り払う。ガラバーニュが迷いもろとも、迫った矢を真っ二つに切り落とす。
「仕方がない。みんな、やるよ!」
敵意のこもった声を打ち消す力強さ。短い開始の号令が、瞬発に響き渡る。直後にモーモーが、スカッシュが飛び出した。彼らの後を追って、リイムも地を蹴る。
「戦いが目的じゃないんだ。手加減を!」
「分かってるモー! まあ、酷くびっくりさせてやるだけさ」
軽い仕種で不敵に笑って、モーモーは一気に進み出る。ミノタウロスの足腰は比肩する他種族がほとんどいないほど強靭で、魔物たちが行動しようとする前に、早くもそこへ到達した。
「ラビラビッ!?」
「大事なものだろ? しっかり握っててくれよな!」
暗い影、巨漢が満月を隠してしまう。見上げて目を丸くするラビットマン。
「ラ、ラビ――」
とっさの恐怖。退く間もなく、筋骨たくましい大振りな腕が唸り、迫る音に身を竦ませた。そして身の毛もよだつ感覚。横殴りの力に逆らえない。
「ラアァァビラビイィィィィィ……ィッ!!!」
悲鳴を伸ばしながら、ラビットマンが宙に舞った。モーモーは弓矢を掴んで放り投げたのだ。告げたとおり弓矢を放さなかったラビットマンは、投げられたそれごと放物線を辿り、温泉の中に落ちた。
バシャンと盛大な飛沫が上がったころには、モーモーの勢いに気を取られ出遅れた魔物たちも、仲間がやられた怒りに震えて次々と飛び出す。
「アオォーン!」
ウルフマンが鋭く伸びた爪を振り上げて、近くのスカッシュに迫る。その身を切り裂こうと右手を突き出すが、瞬間、銀光が面前で弧を描く。
「……ッ!」
爪先の硬い音と、何かに触れた衝撃にびっくりして、ウルフマンは反射的に手を引っ込める。すると、鋭角に尖っていた爪がない。そして相手の手には、抜き身の刀。それでも切り落とされた結果に焦ることなく、本能で即、左手を繰り出したが、再度の閃光にその手もまた引っ込める。
「アァウ……」
顔の前で左の爪先を見やり、また右の爪先を見やり、さらに次の攻撃は思いつかなかった。
両手の爪を落とされ、呆然と佇むウルフマンを無視して、スカッシュは前に進んだ。今度は赤いグローブを構えたカンガルーが、大きくジャンプしてくる。
「シュッシュッシュッ!」
カンガルーは軽いフットワークで、すかさずジャブを撃つ。スカッシュは一転して後退するが、カンガルーは離れずに追いかけ、パンチを繰り出し、猛攻する。
「シュシュシュッ! シュシュッ!」
攻撃の手は速まるが、まだ当たらない。スカッシュが退く間隔も速まるが、カンガルーはよりいっそう踏み込み、距離を保ちながらさらに撃つ。隙を与えず、隙を作ろうとひたすら撃つ、撃つ。
そして再度の後退。いままでよりやや長い距離に、カンガルーは離されまいと強く地面を踏み抜いた。相手がちらりと後ろを気にしたことに、思わず口元を綻ばせて。
「えぇーぃやッ!」
足が地に着くなり、カンガルーは体を回転させた。遠心力が加わった長い尻尾を、会心の勢いで目標に叩きつける。
「――ギャウッ!!!」
しかし直撃の手応えに喜んで相手を見やれば、ばんざいをするように手を上げたウルフマンが、横に倒れて伸びている。
「ァ……れ!?」
自分の尻尾が、手を振り上げて何かしようとしたらしい、目前の仲間を張り倒した事実にカンガルーが気づいた時には、避けるために屈んでいたスカッシュが伸び上がった。
「ぐぇェ……!」
視界に飛び込んできた相手に慌てふためき、もろに峰打ちを受けたカンガルーは、呻いて前に倒れた。
「よし、僕も……」
その横を通り抜け、追い抜いたリイムは、自分にスカルパイレーツが頭部を投げつけようとする様と、ゾウマンが投げナイフを取り出す姿を見る。ただし、実力の違いがある彼の目には、ゆっくりと見える動作だった。それに思い切り、リイムは一足でスカルパイレーツの懐に飛び込んだ。
「――ギギッ!?」
「ごめん。ちょっと、貸してくれるかな」
投げる寸前、自ら外し、手の上で驚愕するスカルパイレーツの、その頭部を掠め取る。
「ギィィィィィ!!!」
うるさく悲鳴を放つ頭部を持ちながら、リイムはすぐに走り出した。後ろからは、スカルパイレーツの体がそれを取り替えそうと、慌てて追いかけてくる。
「ゾウ!?」
そこで、仲間の懐に入られたせいでナイフの狙いが定められず、険しい顔で動きを追っていたゾウマンも驚く。ぴったり、リイムと視線が合ったから。
「じゃあ、これは仲間の君に返すよ。暗いから、落とさないよう気をつけて!」
リイムは笑うとにわかに告げ、ゾウマンに向かってスカルパイレーツの頭部を緩やかに投げた。
「ギヒィィィィイ〜〜〜!?」
くるくると回転しながら、宙を舞う頭部。
「ゾ……ゾウ……? ゾウゾウ……! ゾウ!」
突然の出来事に戸惑ったゾウマンだったが、おたおたしつつも夜空を見上げ、落ちてくる頭部をなんとか両手でキャッチした。
「ゾウ……」
ゾウマンは思わず胸を撫で下ろしたが、走ってくる何者かの気配にはっとして、顔を上げた。目前に、手を伸ばしてダッシュしてくるスカルパイレーツの体があって。
「……ゾ、ゾォオオウッ!!!」
避けられない。頭部を捜すスカルパイレーツの体に体当たりを受けて、慄いたゾウマンが倒れた。ぶつかったスカルパイレーツもまた、衝撃で骨の体は散乱、バラバラに。再び宙へ放られたその頭部は、落ちて目を回している。
「うはははっ! ……馬鹿なやつらだなぁ。人のこと言えないだろ!」
そんな有様に、後方のタムタムの側にいるミラクルが笑った。頭に来たパンダマンに、バズーカで狙われているのが見えているのかいないのか、げらげらと遠慮がない。
「……」
肩に担いだ竹筒のようなバズーカの砲口を向け、パンダマンは無言で狙いを定める。大きな口を開けるその丸い顔は、的として狙いやすかった。仲間の失敗も見ているし、油断はしない。笑いすぎてむせ、苦しがっているらしい精霊へ、問答無用で発射する。
「――タムタム、ミラクル! そっちだ!」
いち早く察したリイム。振り返って叫んだ後、ドォンと音を轟かせ、タケノコのロケット弾が撃ち出された。
「えっ、こっち!?」
身を固まらせたのは、タムタムだった。しかし、ミラクルはさらに笑った。にやにや不敵に。
「はっ、こぉの青二才が! タケノコでサンフラワーの俺様に勝とうたぁ、百億年はえーッ!!!」
とたん地面からタケノコが生えるや急速に成長し、飛んできたタケノコ弾とぶつかって爆発した。
「きゃあ……!」
爆風にタムタムが身を伏せる前で、立つミラクルは相変わらず笑ったまま、顔を振った。
「おらおら、タケノコ勝負だ! じゃんじゃんくれてやらぁ! うけとれぃ!」
「……!」
攻撃を防がれたことに驚愕したパンダマンだったが、とっさに予感を覚えて一歩退いた。するとさっきまでいた場所に突然、身の丈以上の尖がったタケノコが生える。
「……!?」
さらに驚いて身を引いたところへ、再びタケノコ。横を向けば目の前に、逆に身をよじればその前に。パンダマンの周りに、次々とタケノコが生えていく。それはまるで柵のようであり、囲まれて怯んだパンダマンだったが、隙間から見えるミラクルの笑い顔に怒りを抑えられず、再びバズーカを構えた。夢中で、とにかくタケノコの柵を壊そうと引き金を引く。
「……?」
ところが、予想に反して何もおこらない。もう一度、さらにすばやく二度、三度。それでもバズーカから弾は出ない。狙いをつけた先のミラクルが、愉快そうに大口を開けるだけ。パンダマンの神経を逆なでる笑い声が、そこから届く。
「もうひとつサービスしといたぜ!」
「…………っ!」
一体どうしたのだと、パンダマンは息を荒くして急ぎバズーカを降ろす。そこまでは、焦っていたが思考できていた。ところが、砲口を塞ぎ、にょきにょきと中から生えてきたタケノコを見ると……ショックのためか、ほどなくその場にひっくり返ってしまった。
「あ〜、ちょろいちょろい! わはは! ――ひびゅぁッ!?」
上機嫌のミラクルははしゃいでジャンプした。しかし、目前を掠めていった何かに、大きく身を仰け反らせ、後ろに倒れる。僅差でその上を、黒い影が舞い上がる。
「てめ……ろびぃぃぃッ!?」
「あぶなーい! あ・ぶ・な・い・よ〜キミ! なーに油断してんのさぁ」
絶叫したミラクルを掠めたのは、向こうからロビーが放った弓矢だった。
「ふ、ふざけんなぁぁ!? 俺様を射抜く気か! さすがにヒヤッとしたぞ、ヒヤッと!?」
怒声に、ロビーは肩をすくめた。
「なに言ってるんだろね。ボクが狙ったのがなんなのか、見えてないわけ? すぐ調子に乗るんだからさぁ……。ほら上、見てみなよ!」
「あぁん……?」
「――チィ!」
見上げると上から舌打ちが聞こえる。ミラクルに襲い掛かろうとした、バットマンだった。
「モウ、スコシダッタ、ノニ……」
片言で人語をつぶやくと、バットマンは身を翻した。向こうに逃げて、再び空から襲い掛かるチャンスを待とうとしたのだ。しかしさらにその上から、白い影が躍り掛かった。
「コッケー! まさか飛べるのが自分だけだと思ってたのかな!」
「シ、シマッ……!」
襲撃するジョージ。バットマンを蹴って突く。
「ワアァ〜〜〜ッ!?」
きりもみ状態でジョージと共に落ちるバットマンは、温泉の中へドボン。立った水柱の側から白い影が飛び去り、揺れる水面には気絶した黒い影が残った。
「えーっと、あと残ってるのって……」
つがえた矢が放てずに終わって、次の出番がないものかと、ロビーは周囲を見渡した。まだ騒いでいるといえば、突っ立っているミッキーの周りで、必死に棍棒を振るっているマウスマンたちが見える。襲ってみたものの攻撃が通用せず、しかし後に退こうとしないマウスマンと、歩くと彼らを潰しかねない、困惑のミッキーといったところだろう。
「まあ、いっか……」
放置しても問題なさそうなので、ロビーは再び視線を動かした。そして、向こうに残る敵を見つけてから、息を吐きつつ弓を下ろした。
「あらら。ボクの出番って、もう終わりみたいだなぁ……」
他に残っていのはオークだけだった。既にモーモー、リイム、スカッシュに三方から迫られている形である。盾を構えじりじりと後退していたが、いよいよ岩に背中をぶつけて、追い詰められたことに飛び上がった。
「ブヒィィ! ブヒブヒィィ!!!」
「……もう十分だと思う。僕はこれ以上、戦いたくないんだ。お願いだから話してもらえないかな。君たちが温泉にくる理由を……」
リイムは優しく話しかける。オークは冷や汗を流し、震えているが、それでも意地を通すつもりか顔をぎこちなく横に振った。その返答に顔を曇らせて、リイムはどうしたものかと逡巡するが、ふとした予感に横を向いた。温泉のほうへ。
ぼんやりと歪んだ満月を映す、水面へ。
「温泉……?」
深い夜間の底、湯気がたゆたう広い温泉に波があった。落ちたラビットマンやバッドマンのそれではない。見える範囲には、さらにぼこぼこと泡まで立ってきた。
「やっとでてくる気になったようだ」
「そうか、なんか足りない気がしてたが、最初のあの時だな……。隠れてたのかモー」
スカッシュとモーモーもそこを向き、つぶやいた。ロビーとミラクルは、怪訝な面持ちで構える。
「え、なに……? 何がいるのさ! もしかして、例の……?」
「けっ。もったいぶってないで早くでてこーい!」
警戒、あるいは驚き、不安の感情と共に誰もが泡立つそこを睨む中、水面が急激に膨れ上がった。くぐもった声が聞こえる。
「――よくもわしの仲間を! もう……我慢ならんわい!」
それは見る見る大きくなって、お湯を割り、流し、もうもうと立つ湯気の中から現れる。ミッキーを超え、さらに脱衣場よりも一回り大きくなった、単純なる丸い塊。手も足もなければ、くびれさえ一切ない、大きくてぶよぶよした体。濡れた表面が月光を浴び、てかてかと光っているが、色は鮮やかな青色である。
「コケー! 大きく……大きくなった! そこまで大きくないけど、話の通りだよ!」
飛んでいたジョージがロビーたちの側へ降り立つ。動揺か、ミラクルは小振りに激しく揺れていた。
「な、ななな、なんだこいつぁ……!? ぬるってしてそうだぞ! うわぁ……」
ミラクルは知らなかった。また、隣にいるタムタムも、知識としてはあるが初めて遭遇した魔物だった。
「私も初めて見るわ。これって……」
あまり目撃例がない魔物である。主に魔界に生息しており、ライナーク王国に姿を現し始めたのは、数多の魔物を引き連れたゲザガインが、ラクナマイト大陸に、そして王国に攻め込んで来たときからだ。
そして、過去のその時、遭遇した見覚えのあるものを見上げて、リイムは言った。
「……ブルーゼリーだ!」
「でかいのはこいつだったのか……? 珍しい奴が出てきたモー」
見上げる面々の前で、お湯が流れきった丸い物体に、ぎょろりと大きな両の目玉が現れた。非常に鋭い目つきで、周囲を見回す。
「酷い連中め! 身を潜めてやり過ごすつもりだったが、ここまで仲間が倒されたからには黙っておれん! わしがみんなの敵をとってくれる!」
かなり怒っているようで、人間でいう青筋のようなものが丸い体に見える。
そのブルーゼリーの前に、リイムは話をしようと急いで進み出た。
「待って! 熱くならないでほしい! 僕たちは君たちと話し合いがしたいんだ!」
「馬鹿な、ここで出てきて引けるものかぁ! そんなに話がしたいなら、このわしに勝つことじゃな! おちびども!」
返ってきたブルーゼリーの答えも、やはり他の魔物同様、聞く耳持たないものだった。しかも随分と自信があるようで、態度も大きかった。
ロビーは呆れたように言った。
「そう言ったって、戦意があるのはもう、キミ一人じゃないか。自信があるみたいだけど、多勢に無勢だと思わないの? それに、ちょっとばかり体が大きくても、ボクたちは怖がらないよ! 大体、聞いた話より小さいじゃないか。もっと、も〜っと大きい相手とだって、戦ったことがあるんだからね!」
そう返されるのは分かっていたとでもいうのか、ブルーゼリーは逆に馬鹿にするように薄ら笑いを浮かべた。
「な、なんだよ! 気持ち悪いな!」
ロビーが身を引いたところで、ブルーゼリーは笑みを止めた。
「まあ、見ておれ。小さいというが、これではどうかのう?」
すると、ブルーゼリーの体が小刻みに揺れる。合わせて温泉のお湯が波立つ。その中で、体がさらに膨らんでいく。むくむくと、いままでの二倍ほどに。高さは七、八メートルあるだろうか。横幅はもっと長い。
「――なっ、なんだか、もりもりでかくなった……ぞ、またっ?」
元からよく開いてるミラクルの大きな口だが、今度は顎がはずれたようにぽっかりと開かれた。
「こりゃあ、どーなってんだ……!?」
「……温泉の湯を体内に取り込んでいるようだ」
スカッシュがつぶやくと、ブルーゼリーはそれを認めた。
「そのとおり。わしらの体の大部分は水分で柔らかく、よーく伸縮するからのう! これはわしの特技じゃ! こうやって水やお湯を溜め込めば……フフフ、体は見てのとおりじゃよ!」
それが自信の理由らしい。胸を張る動作と同じか、ブルーゼリーは丸い体をやや後ろに反らして愉快そう。
「どうじゃ、ほれ、大きいじゃろう!」
聞く限りでは、自慢に思えた。ロビーは先ほどの出来事に一瞬圧倒されたが、それが気に入らなくて、我に返ってむきになり、再び弓を構えた。
「お、大きくなったからってこっちが怖がると思ってんの……!? 確かにびっくりはしたけど、だからなに!?」
「そうだよ……! 大きくなればいいってもんじゃないよね、コケケ!」
少しうろたえているようだが、ジョージも羽ばたいて続ける。そして、ミラクルも顔が嫌そうに引いているが、負けじと口を開いた。
「ああ、大体なぁ、うん……大きさなんて関係ないぞ! ……それに、まだまだ! その程度、この俺のお花で埋めつくせる! ……ほんとだ、マジだぞ!」
「むっ……!」
ブルーゼリーは目を吊り上げた。もっと驚き、怖がると思っていたのだろう。その自信があっただけに、気に障ったようだった。息むように目を瞑ると、再びその体が震えた。
「なら、これで! ぐぅう……ど、どうじゃぁあッ!!!」
叫びながら、勇者軍の前でまたもや膨らむそれ。一層の巨躯は月光を遮り、暗い影が彼らを襲う。今度は前の倍以上になるだろう。側にいるだけで圧迫感を感じる図体だ。他のどんな大型の種族よりも飛びぬけて巨大であり、形容するならばまるで、聳え立つ山のようである。これにはさすがのロビーたちも心底驚き、言葉が出なくなった。
「ふ、ふー……っ! ふふふっ、ふぐっ、はっはー……わはははは……っ!」
肝を抜かしていると感じとったか、ひとり、ブルーゼリーが勝ち誇った大声を上げる。夜の温泉に、おそらく村の隅から隅に、木霊した声が不気味に響き渡る。
「驚いておるな! どうじゃどうじゃ、これでまいったか……っ! 分かるかのう! お前たちなど一瞬で……ぺちゃんこじゃぞ!」
息が荒く、苦しそうだが、満足らしかった。体から流れ落ちる大粒は、温泉のお湯なのか、ブルーゼリーの脂汗なのか。話すたびにぷるぷる、ぐらぐらと体が揺れている。どうしても、よろけているように見える。おかげで温泉は海のように波が立った。
場にいる誰もが、ブルーゼリーの仲間であるオークやマウスマンたちさえも、今度の光景を見上げて、そこで何も言えなくなってしまった。
「……ほれ、だんまりは嫌いなんじゃ。わしらと話し合いがしたいと、言っておった気がしたがのう……? ど……どうなんじゃ!」
それでもブルーゼリーは機嫌を良くしたものだ。沈黙を自分への恐怖だと思っている。見下ろすのも気分がいいようだった。語勢も強くなる。顔を近づけるように、前のめりになってきた。
「さてさて……そこのこわっぱ! お前さんはどうするつもりじゃ? このわしと……戦うか! ……このわしを倒せるかッ!」
「……」
そしてリイムは、言葉に詰まった。黙っていたのは、つい先ほどまで考えていたからだった。ブルーゼリーが動けば、自分たちだけの話ではなくなる懸念を。ここはイーユの村なのだ。巨大なブルーゼリーであるから、少し動いただけでも村の建物が、村人が巻き込まれるかもしれないと、慎重に考えていた。そのことをブルーゼリー自身が気づいているのか分からないが、下手な挑発はしたくないと考えていた。少なくとも相手は、自分が部隊の指揮者であることは分かっているようだし、自分が迂闊なことをすれば、最悪の方向に傾くかもしれないと、悩みながら思っていたのだ。
「うーん……」
――だが、考えすぎかなと思ってしまった。いまのブルーゼリーの姿は、見るからに不自然でいびつであったし、魔物の気持ちが分かるリイムだからこそ、よく分かるのだ。思わず、俯いてしまった。
「そんなに無理しなくても……」
溜息と共に流れたその言葉に、ブルーゼリーの体がぶるぶると横揺れした。
「む、無理などしておらんぞ……! だ、だっ、断じて!」
「いや、誰が見ても無理してるモー……。なんかバランスもとれてなくて妙に体が揺れてるし……苦しそうだし……」
動揺、虚勢だと見え見えで、モーモーも視線を少し逸らし、ぼそりとつぶやいた。
なんと自分が憐れに思われているのだと知って、ブルーゼリーは憤慨した。おそらく顔を赤くして、むきになって。
「くぅぅ、ば、ばかにしておるな!? ……いいじゃろう! お前たちみんな、踏み潰してやるわい! このわしが一回ジャンプするだけで、みーんなまとめてぺちゃんこじゃからなッ!?」
しかしそこで、スカッシュが言い難そうに、余所を向いて口を挟みたくなさそうに、小さく言った。
「ここにはお前の仲間もいるんだが……」
「――あっ!」
とたん、仰け反りかけたブルーゼリーの体が、小さな悲鳴を洩らし確かに硬直した。
見上げていたオークが取り乱して慌て、ミッキーの周りにいたマウスマンたちがその後ろに隠れ、正気を取り戻したパンダマンが、バズーカからタケノコを引き抜こうとして手が滑った時、そこには気まずい間が漂った。
「「……」」
忘れていたんだな、とは誰も言わなかった。ただ、訝しげな表情をしているタムタムが、やはり言い難そうに、ためらいがちに追い討ちをつぶやいた。
「ちょっと、疑問に思ったんだけど……。そもそも……お湯をそれだけ溜めていれば、相当の重量だと思うんだけど……その体でジャンプってできるの?」
「――ああっ!?」
再びびくりと。体からぼたぼたと流れ落ちるのは、やはり汗らしい。しかも目の焦点が合っていないし。
ますます悪化した気まずい雰囲気の中、盾や剣を落としたオークが、がっくりと地面に向けてうな垂れたのが印象的であった。
できないのだな、とはやはり誰も口にしなかったが、見上げるのも疲れたロビーは、淡々と思った。
「……これって、自滅パターン?」
「――あああっ!?」
「なんか、びっくりして損した……コケ」
「――ああああああっ!?」
「なんか、違う意味で驚いたモー……」
「――うわあぁぁぁぁぁ!!!」
ジョージが。そしてモーモーが。ショックも抜け、ひそひそとつぶやきだした彼らを前にして、ブルーゼリーの取り乱し様は酷かった。
「くっ、くぅぅううっ……。おっ、お、おのれえぇ……わしを馬鹿にしおって……!」
地団駄を踏んでいるようで、体がより激しく揺れた。上下左右に。そして、その振幅がどんどん大きくなっていく。丸だった体も、ぐにゃぐにゃと歪んでいる。地面もまた、揺れている。
「うぉぉぉぉ! 年寄りだからってぇ……馬鹿に、馬鹿にしおってぇぇぇ! もうろくしたと、思ってるんじゃろぉぉぉぉ!!! まだまだぁ……まだまだ若いモンには劣っておらんわあぁぁぁ!!! 生意気なヒヨッコどもめぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
「――な、なに言ってんだあぁぁぁぁ!!!」
全員の叫びを代弁したミラクルの悲鳴が夜空に突き抜ける。だが聞いていないらしいブルーゼリーは止まらない。
「くぅうっ……! 何かあれば、いつもわしに冷たい目を向けるんじゃぁぁぁ……!!! 小馬鹿にした目でわしを見るんじゃぁぁぁぁぁッ!!!」
日頃の鬱屈が爆発したのだろうか、それとも被害妄想か。リイムたちには理解できないが、一方的にふて腐れ始めた体は、円を描くようにぐんぐん揺れる。そのために温泉は激しく波立ち、お湯の波がリイムたちの元にまで打ち寄せた。
タムタムとロビーが下がる。
「きゃあ! お湯が……!」
「うわぁ! この波は……危ないよ! これ以上酷くなったら……!」
タムタムに届いたのは、まだ足下程度の波だが、彼女よりずいぶん小さいロビーからすれば、腰まで来ている。さらに向こうから、もっと悲痛な悲鳴が上がる。
「……!」
「チュ〜〜〜! チューチューチューーーーッ!!!」
ミッキーがしゃがむ。波を被ってすっかり怯えたマウスマンたちが、その後ろにしがみつき、固まって震えている。
それを目撃したリイムは、少し焦った。
「僕たちはまだいいけど……」
これ以上波が酷くなれば、ごく小さいマウスマンは流されてしまうだろうし、気絶して倒れている、他の魔物たちにも危険があるだろう。
ブルーゼリーは相変わらず何か叫んでいるが、悩む間も惜しいと感じ、リイムは大きく息を吸って上に呼びかけた。
「ブルーゼリー! お願いだ、止まって欲しい! このままじゃ、僕たちの前に君の仲間が危ないよ!」
「そうだ! とにかく落ち着けぇぇぇえい!!! とにかくいったん止まれぇぇぇぇッ!!! よく分からんが、悪かった、悪かったからなぁぁぁぁッ!!!」
並んで、ミラクルも必死に叫んだ。それがブルーゼリーに届いたか、少し体に違う揺れが加わった。人間で言えばたたらを踏むような。
「ぅおぉぉぉぉぉ……お、おっ、おぉ……? ぉおうぅぅぅぅぅっ……?」
しかし、止まることはなかった。むしろ酷くなっているような。
そこで誰もが不安を覚えた。揺れの激しさもそうだが、ブルーゼリーのその叫びが、なにやら悲鳴に聞こえてきたからだ。
モーモーがリイムを振り返る。
「なんか変だモー……!」
「もしかして……」
リイムは見上げて胸中の不安を目の当たりにした。なんと、その目はまったく焦点があっていないではないか。
タムタムが悲鳴で続けた。
「自分でやっておきながら、目が回っちゃったの……!?」
さらに周囲から悲鳴が衝いて出る前に、それ以上の悲鳴が耳を劈いた。
「……うぉぉぉぉ!!! ……な、なんじゃぁ……目の前がくらくらするぅ……っ! 周りがなんで揺れておるんじゃぁぁ……。うっ、気持ちわるぅぅぅぅいぃぃぃ……! 腹が苦しいぞぉぉおい! くらくらが……と、と……とまらぁあ……!」
大きくよろめくブルーゼリー。目にした誰もが、悪い予感を拭えなかった。揺れるのは自分の意思ではなく、いまや、バランスの悪い巨体に振り回されている。鋭くリイムたちをにらみつけていた眼光も消え去り、さまよう瞳が夜のどこかへ向いている。怒りに赤くなっていた表情は、その体の色より真っ青となっているに違いない。姿勢は覚束ないし、その丸い体上、揺れる勢いで倒れるというより、どこかに転がり始めそうだった。
リイムの脳裏に、さっき考えていたものとは少し違う、しかし最悪である事態がよぎった。
「このままじゃあ……下敷きに……!」
さすがのミラクルも真っ青だ。ジョージは飛びながら慌てている。
「じょ、冗談じゃないぜ! あんな体に押しつぶされたら、誰も助かんねえぞ! 俺の生け花は認めるが、押し花は嫌だぁぁぁッ!」
「に、ににに、逃げようよっ、リイム! みんなほんとにぺちゃんこになっちゃうよー! コケコケッコー!」
とにかくパニックが広がっていくが、リイムはそれを振り払うように、首を横に振った。
彼の目には、慌てているオークたちや、倒れている他の魔物たち、さらには巨大化したブルーゼリーを嫌でも見て、慌てているだろうイーユ温泉村の村人たちが見えた。
「それは……だめだ! 僕たちは助かっても、倒れている魔物たちや、イーユの村人たちまで巻き込まれるかもしれない!」
納得するが、それでもロビーの頭はぶんぶんと横に振られ、両手は宙をかき、泳いだ。
「でもでも! だって、あわわ……このままじゃ……!」
「とにかく、ブルーゼリーを止めるんだ……!」
「止めるたって、あんなデカブツを止められるのかよぉッ!?」
ブルーゼリーを見上げるリイムの周りで、ミラクルは跳び回った。そこにスカッシュがかけてきた。
「あれだけの巨躯にもなれば、動きを力ずくで押さえ込むのは難しい。だが、あの体の中にあるのはほとんどが温泉の湯だ。少なくとも、それを出せば元の大きさに戻る」
「――だ、出す!? お湯を出すぅ……!? な、なるほどッ!? そーかもしれんが、でもど、どー……ッ!?」
まだパニックのままで、妙にねじれたまま顔を振るミラクルは自分で首を絞めてしまったようだった。
前に倒れてきたそれを、嫌そうに放置して、スカッシュはリイムに言った。
「……体に高い伸縮性があるだけで、大量の湯を同化させたわけじゃない。穴でも開けばふきだすだろう。自壊寸前の極限状態で、それを塞ぐ余力はないはずだ」
「穴でも……? そうか……うわっ!」
リイムが納得しかけたところで、地面が大きく揺れ、言葉が途中でさえぎられた。ブルーゼリーが後ろに傾ぎ、倒れかけたが、かろうじて踏みとどまったようだ。そして、いまある悲鳴の中に、異変を察して意識を取り戻した魔物たちのそれがさらに重なり、頭が痛くなるような絶叫になった。さらにブルーゼリーの悲鳴もまた、その絶望に唱和するように一段と高くなる。
「ぁああっ! だ……だぁあめじゃぁぁあああッ!!! も、もうなんだか……わ……から……。目の、前がぁ……う、うっぷ……たっ、たっ……」
いよいよブルーゼリーの様子が怪しい。悲鳴はあるが、意識のほうはどうか。次に大きくバランスを崩せば、今度こそ巨体が降ってくるように思われた。さらにその巨体の揺れと比例して、地面の揺れは酷くなり、温泉の波は一段と高く激しくなるのだ。そこで見える光景は、側に近寄ることさえ困難に思えた。
モーモーの声が切羽詰まる。
「――リイム! いよいよ倒れそうだモー!」
「だめだぁ、押し花嫌だぁぁぁぁぁうっぷ!」
混乱は最高潮だった。冷静さを失ったジョージが周りをぐるぐる飛び回り、ミラクルが波を被りながら張り叫ぶ。いつの間にか、ミッキーの周りにはマウスマン以外の魔物たちもすがり付いており、仲間であるブルーゼリーの巨体を脅威として泣き叫び、震えていた。
「もう、やるしかないのか……!」
一刻の猶予も許されない状況に、リイムはとっさに剣を、魔剣ガラバーニュを構えた。その力の手加減は難しく、ブルーゼリーを殺めかねないことを危惧していたが、山のような巨体を見上げた時から、頭の隅でこうする覚悟も決めていた。
「くっ……」
もはややるしかないと、握る手に力を込めた。ブルーゼリーへ向かう、剣の切っ先を鋭く見つめる。その先に映るブルーゼリーを直視せず、己の剣をひたすら睨む。
しかし、極限の緊張状態であるその時、手をばたつかせたロビーの悲鳴が、リイムの思いつめた考えを、一瞬で塗り替えた。
ロビーはその手に、弓を持っていた。
「ど、どーするの、どーするのリイムーーーっ! うぁあああん!」
「――そうだ! ロビー、君なら! ブルーゼリーに矢を射るんだ!」
恐慌状態であるため、突然言われても理解が追いつかず、ロビーはおろおろする。
「へっ! えっ! あんなばかでっかいののどこに……!」
すかさず、スカッシュが言った。
「できるだけ上方がいいだろう。まっすぐ射れば、直接こちらに噴き出して危険だ」
「わ、分かった……っ!」
急ごうとする思いが空回りしたか、ロビーはしきりにこくこくと頷く。そして、ぎくしゃくとした動作であったが、素早く弓に矢をつがえた。
乱れた悲鳴が飛び交うさなか、ひとつの声が一段と甲高くなる。引きつった表情。当のブルーゼリーの姿はこちらに傾いで、より大きく見えていた。揃って、他の悲鳴も掠れるほど甲高く――。ロビーの声もそれに合わさる。
「――うわぁぁぁぁん!」
手が離された。放たれた矢は月明かりを受け一瞬輝き、緩やかに上ると、まるでブルーゼリーの天辺に吸い込まれたかのように消えた。「あっ……」と、誰かがつぶやいて、酷い絶叫がぴたりと止まる。そして、誰もが見上げるその巨体が、虚ろな目を見開いていたそれが突然目を閉じて、ぴくりと体を硬直させた。
「――あイタっ!」
それは軽くつねられたような反応で、小さなつぶやきだった。
「や……やった……よね……? あんな大きい体だし、外れるはずが……ないし……それに止まったし……」
矢を放ったポーズのままで、呆然とロビー。その直後に、ブルーゼリーがかっと目を見開いた。次に体が細かく震えだす。
「ぉ……おおオオオオオオオッ!!!」
そこで、固唾をのんで見守り、ずっと見上げていたリイムたちだったが、体に降りかかる温かいものに気がついた。ぽつぽつと当たるそれが何であるか、ほどなく理解する。
ロビーが振り払うように、長い耳を振った。
「うわ、これって……」
「温かいモー。温泉のお湯だからな」
濡れるままに、さほど気にしない様子でモーモーは言う。タムタムは逆で、既にお湯を被って濡れている法衣のスカートをつまみ、少し持ち上げ、しきりに気にしているが。
「やだもう、全身びしょぬれになっちゃう……」
誰ももう驚かなかったが、地面に当たり音をたて、皆を濡らしていくそれは、さながらお湯の雨だった。ブルーゼリーの上方から、噴水のように潮吹きのように高く、お湯があふれ出していた。
「どわわわっ……! 俺様、お花だからお湯のシャワーは遠慮したい!」
雨が次第に強さを増していくと、ミラクルが踊るかのように小刻みに跳ね始める。降りかかるお湯を避けているつもりらしい。地面に降りたジョージは、羽毛を立てて、お湯を弾き飛ばしている。
「リイム、こうしてたらびしょびしょになっちゃうよ〜」
「ボクはもう濡れてるから、早く体を乾かしたいな……」
疲れたとロビーが軽い溜息を吐き、向こうからはミッキーがマウスマンたちを連れ、賑やかに歩いてくる。
「……」
「チューチューチュー!」
「チュー!」
すっかり危機感は失せていた。むしろ、安心して気が抜けている様子でさえあった。リイムはみんなを見て軽く笑うと、早足に踏み出した。
「濡れるから、脱衣場で雨宿りしようか」
「――あぁぁぁぁ……! お、お湯がぁあ……。力が抜けるぅ……」
自分の上を見ようと、上目遣いになっているブルーゼリーは情けない声を出しながら、少しずつ縮んでいく。
小雨だった雨はすぐに大雨へと変わった。そして、ひとしきり降って上がった後には、すっかり縮んで小さくなったブルーゼリーが、温泉の中で気絶していたのだった。
翌朝、勇者軍はイーユ温泉村の村長と共に、ブルーゼリーを含む介抱した魔物たちに案内され、奥地へ続く山道を登っていた。温泉に現れた理由を尋ねるリイムに、すっかり大人しくなった魔物たちは、行って見てほしい場所があるとだけ答えたからだ。道程はブルーゼリーを先頭にし、およそ三十分。魔物たちが通っていたためか、さほど荒れておらず、思ったより緩やかな勾配の坂を一行は進む。そして魔物たちが立ち止まり、振り返ったのは、岩場の少し開けた行き止まり――掘り当てられて村の開拓が終わった、最後の温泉がある前だった。ただし彼らの目に映ったのは、浅めの穴の底に、足首が濡れるくらいの水溜りができているだけのものだったが。
「おや、これは……」
「これが……温泉?」
穴の底を覗き込んだ村長が首を傾げ、リイムが疑問の声を上げると、神妙な面持ちのブルーゼリーが答えた。
「温泉じゃった。しばらく前から、お湯が出なくなってしまったんじゃ……」
「お湯が出なくなった?」
おうむ返しに尋ねたリイムに、頑なに見て欲しい場所があるとしか答えなかった魔物たちが、諦めたようにぽつりぽつりと口を開き始めた。深い悩みを表しながら。
「わしらは、ずっとここの温泉に入っておった……。疲れもとれるし、傷や病によく効くんじゃよ。大事な温泉じゃった。……しかし、お湯がほとんど湧き出なくなってしまったんじゃ……。見てわかるように、あれでは入れん。だから、別の温泉を探し始めたんじゃ」
「別の温泉を……。それであの広い温泉に降りてきたのか」
「そうじゃ。だが、わしらとて馬鹿ではない。人間と事を構えるつもりまではなかったんじゃ。お湯さえあれば……この温泉にお湯が戻って、みんなで入ることができればそれでよかった。だから、わしが人間の温泉のお湯を、ここまで運ぶことにしたんじゃ」
そこまで聞いて、リイムは魔物たちの行動に納得した。いままで入っていた温泉が涸れてしまい、入れなくなったから、別の温泉を求めて村まで降りてきた。しかしそこには人間の姿があったので、彼らなりにトラブルを避けるため考えた結果が、その場で入浴せず、お湯を持ち帰ることになったのだろう。そして昨晩に判明しているが、ブルーゼリーが大陸一広い温泉のお湯を体内に取り込み、膨らんだので、村人たちの目撃情報は突然大きな影が現れる話になったわけだ。
ミラクルはまだ、得心がいかないようだったが。
「でもなぁ……。もめたくないって言うわりには、人間がいるときに堂々とお湯をとりに降りてきてたんじゃねーかぁ? しかも集団で。騒ぎにならなきゃ、俺ら村にきてねーぞ? それに、襲ってきたのはどっちだったんだぁ? せっかくリイムが話し合いを持ちかけたのによぉ。言ってることとやってることが違うんじゃねーのかよ?」
当のお花からすれば斬り込む指摘なのだが、魔物たちには横柄な態度に見えたか、声を荒らげて反発された。
「……わしらにだって都合がある! 温泉に入れればどんな時間でもいいわけじゃないわい! 重いのに、のんびり運んでいたらお湯は冷めるし、持って帰ったらすぐに入らないといけないんじゃ。かなり苦労しておったんじゃぞ! ……そうじゃ、苦労の連続じゃった。最初はどれだけの量があればいいか分からんかったから、多めに持って帰ろうと思って道が通れなかったり、途中で疲れてやむなく捨てる事になったもんじゃ……。少なすぎて足りなかったりしたことも……。そもそも微調整が難しいんじゃ! 思った量を取り込むのも大変で、大きくなりすぎたり、減らそうとしてお湯を捨てすぎたりを繰り返し……」
「ニンゲン、アンナニ、オンセン、アル! ……ヒトリジメ! イツモ、チカクニ、ダレカ、イル……」
ブルーゼリーが体を突き出すように揺らし、しかし終いには一人でぶつぶつ言い出すと、バットマンが代わるように翼をばたつかせて叫んだ。そして、妙におどおどしているカンガルーが、両手のグローブを前でこすり合わせながら小声で言う。
「あのでっかい温泉が、こっちにしたら一番近かったしぃ……人間が見えないときもあったしぃ……あんなに広いから大丈夫かなって思ったしぃ……大体、襲ったことなんかないしぃ……少人数だから、こっちだって本当は怖いしぃ……実際、昨日やられたしぃ……」
魔物たちは不満を連ねる。元々秘めていた思いであるから、感情的になると止まらず、非難の眼差しと声をミラクルにぶつけ始めた。
「ラビラビラビッ!」
「ブヒー……! ブッヒブヒッ!」
相乗し、高まっていく険悪な雰囲気。憤懣やるかたないが、暴力に出て勝てる相手でないのはその身が分かっている。だから悔しさも含めて、口で何か責め立て、訴えなければ気がすまないのだった。膨れ上がる感情により、怒りの方向もずれ始める。「お前も魔物のくせに!」「なぜ人間に味方しているのか答えろ!」と、こじつけにしかならない発言が飛び出す。
「うっ……。お、俺はお花なんだ! お花を贈るのに、幸せを振りまくのに対象が限定されるわけじゃないんだぞ、お花だから! うん……だから、人間とか魔物とか関係ないだろふつー……!」
一斉に攻撃され、数の差もあり、反論しても圧倒的に不利だと悟ったミラクルは、そそくさとリイムの後ろへ隠れてしまった。そして、入れ替わって罵声を浴び、敵意の篭った眼差しの矢面に立たされたリイムは、愁いの表情で謝った。
「ごめんよ。ミラクルは君たちを怒らせたくて言ったわけじゃないんだ。でも、本音の部分は僕も教えてもらいたかった。……僕たちの視点と、君たちの視点は違う。どうしても事情が変わってくる。でも、君たちが必要以上の争いは好まず、我慢したり遠慮してくれたことはよく分かるから……。話してくれてありがとう」
「「……」」
素直に侘びられたせいもあり、意表を突かれ、さら攻める言葉が咄嗟に見つからなかったか、魔物たちは揃って口をつぐんだ。ただし、不機嫌な表情と高じた熱はすぐに戻らない。燻った状態の魔物たちを前にして、再び燃え始める前に、リイムはやんわりと話を続けた。
「とにかく、君たちの話は聞いたから、僕たち……村人のみんなことも話すよ。まず、聞くだけ聞いて欲しい。もちろん、話し終わったあとで不満は残るかもしれないし、それを言ってくれても構わない。でも、互いの事情が分かれば、歩み寄ったり、譲ったりできる選択肢もでてくると思うんだ」
そうリイムが言い終えた直後、ブルーゼリーが渋面を見せた。
「歩みよる……か。フン……」
見下した言い草に、先ほどからいらいらしていたらしいロビーが、とうとう腹を立てて口を出した。
「なんだよ! ほんと、感じ悪いよキミ……。リイムがまず聞いて欲しいって言ったじゃん。とにかく聞いてからにしてよね!」
しかしブルーゼリーはロビーを無視し、リイムに意味ありげな視線を送った。
「言いたいことがあるんじゃ、先に言わせてくれんか? さっき、サンフラワーがわしらに言ったことへの答えじゃが……」
「……。分かったよ」
リイムはほんの数秒迷ったが、どうしても言いたいのだろうと思い、頷いた。「えー」と声をあげ不服そうなロビーに視線で気持ちを伝え、静かになだめる。そして彼が黙ってむくれたところで、ブルーゼリーは語った。
「もめたくないのに、なぜ話し合いをせず、襲ってきたのかと不満そうだったがの……。元々な、決めておったことなんじゃよ。人間の群れの近くに降りるんじゃ……当然、覚悟はしておったわ。わしらは自分たちで、できるだけ接触を避けるよう考えたが……もしも目の前に、立ち塞がる意思をもった人間が現れた場合は、戦うつもりじゃった。人間と話し合う選択など、考えられなかった。まず話し合いをと最初に言ったが、お前さん方は強硬な手段に打って出ることも可能な部隊じゃろう。差し向けられたと分かるなら、意地を通す。昨日はそういう事じゃよ。……やらねばやられるんじゃ。あの時に言ったが、人間はそもそも信じられん」
「――待ってよ、それって食わずぎら……」
反駁しかけたロビーを、リイムは手で制した。ただいまは、視線をじっとブルーゼリーへ。
「それは……いまもかい?」
問われて、ブルーゼリーは視線を横に逸らす。
「……。わしらは……負けたから話したまでじゃ……。勘違いしてもらっては困る」
「……」
リイムが黙り込んだその隙に、ロビーが再び口を開いた。リイムの手前、いくぶん語気を遠慮して。
「信じられないってさぁ……。ボクたちはもうキミたちに危害を加えるつもりがないって言ったし、実際にキミたちをどうこうすることはないんだよ? もちろん、また襲ってこない限りの話だけど、それくらい分かるよね? あれから暴力を振るったり、無理やり口を割らせようとした覚えはまったくないし! キミたちもさすがに思ってないよね?」
「……」
問いかけだが、無言。否定でなく肯定でもない、微塵も仕種のない佇まいにロビーは苛立ちを覚え、後は肩をすくめて吐き捨てた。下を向いて相手も見ずに。
「……キミたちはボクらがリイムの、人間の仲間になっているのが不満で、納得できないかもしれないけど、ボクもキミたちの考え方には納得できないな。約束を破らなくても信じられないって言うならさ……じゃあ、キミたちは何を、何なら信じるわけ」
それには我慢の限界を突破したようで、向こう側の苛立ちが返ってきた。
「綺麗事ばかりがまかり通っているものか……! 正論や理屈だけで何でも解決できないから、わしらだって悩むんじゃ……! 見極めるのに時間をかけるのはおかしいことか!? 自分自身で確かめ、自分自身で身を守る……これはわしらのやり方なんじゃよ。わしらから言わせれば、慎重に判断しているだけじゃ。決して人間だからという理由だけではない……。いまはまだ、お前さん方を信じるわけにはいかない……」
一瞬ブルーゼリーは強く言い返したが、言い終える頃には疲れたように弱くなった。後は目線下げたその前に、マウスマンたちが群がる。
「チュー……!」
「チュチュチュー!」
ブルーゼリーの前で必死に手をばたつかせ、次にはミッキーの側に走って、やはり同じようなことをする。それから、リイムの周りを走り出す。
彼らが自らの仲間に対して、何か訴えているのは、誰の目にも明らかだった。たとえ言葉が分からなくとも。
ブルーゼリーはマウスマンたちを見つめていたが、しかし目を伏せて、それでも同じ意思であることを繰り返した。
「……途中で仲間を庇ってくれたことは、恩に感じておる。本当じゃ。お前さんが……わしらを騙すつもりがないのも、分かるんじゃよ。それでも、いまはの……無理なんじゃ。わしらも貫いてきたものがある、どうしても時間は必要……」
うつむいたまま言葉を消し、顔を上げようとしないブルーゼリーへ、リイムは静かに頷いた。
「……うん。すぐになんて言わないよ。僕たちだって、時間をかけて考えることはあるから。慎重に決めなければいけない場面は必ずあるし、君たちがいま、そういう選択をとっても責めたりしないよ。でも、あとはきっと、時間が解決してくれると思うんだ。少しずつでいいから、僕たちや村の人たちを見ていって欲しい」
魔物たちの固く結ばれた意思はなかなか解けない。むしろ、安易に決断することではないと、ゆるみかかったところを、もう一度固く引き締めようとしているのだ。もうこの場で頷くことはないだろうと思わせるに十分な、拒絶を示していた。まだまだ消えない不満を抱えて我慢しており、落ち着いて考えているかといえば、黙っているだけで、いまも興奮状態にある魔物もいる。だからリイムは、これ以上食い下がるのは悪化するかもしれず、良くないと判断したのだが、そこでイーユの村長が入ってきた。
「……まあまあ、ちょっと待ってください。聞いていると、なんだか深刻そうに話が締めくくられているようですがな。ここで終わってもらっては困るんですよ。こちらとしては、今後のことを決めなければ話になりません。曖昧なまま待っているというのは、こちらにとっては未解決と同じなんです。決めておかないといけないことだけは、決めさせてもらいたい。それは、そちらとしても同じなのではないですかな? ですから、私にも話をさせてもらえませんか? まだ村のことを、我々のことを話していませんしな」
「あ、はい。……そうですね」
前に進み出てきた村長は、話す立場を譲るように数歩下がったリイムに、軽く笑いかけた。ふざけているわけではなさそうだが、流れを重く捉えている様子はなく、余裕があり、任せてくださいと自信を持っているようにも思えた。そして、いくつかの囁きと、しきりに動く視線の前に出た村長は、それらが収まるのも待たず、話し始める。
「魔物のみなさん、私はイーユ温泉村の村長です。村に住む……まあ、あそこで集落を作っている者たちの代表です。先ほど、そちらの言い分……事情は聞きました。確かに、そちらの立場からすれば、温泉を独り占めしているように見えるかもしれません。ですが、我々にとって温泉は、生活し生きるための糧であり、切っても切れないものなのです。先人より受け継ぎ、慣れ親しみ、ずっと大事にしてきました。温泉を使って、この辺りでは育てにくく得にくい食物や、生活に必要な品々を手に入れているといっても、想像してもらえることなのか分かりませんが、我々があなた方と同じように、温泉が好きで温泉を大事にしていることは分かってもらえるでしょうか」
「「……」」
魔物たちは無言になって、反応はしなかった。村長に対し、決して友好的な視線ではないのだが、それでも最後まで聞いてから判断しようという姿勢のようだ。
リイムはそのことに胸をなでおろし、自分が口を出す必要はないだろうと、村長にこの場は任せることにした。
「正直なことを話しますとな、今回あなた方が村の温泉へ降りてきたことで、我々は色々とトラブルに見舞われました……。もちろん、悪気があっての行動でないことは分かりましたし、そちらにこちらの事情は知る由もなかったでしょう。済んだことはしかたありません。ただ、我々は温泉を使って多くの人々をお客として呼び寄せ、もてなしをし、その礼としてお金を貰うことで生計を立てているのです。ところが、そのお客の方々がみなさんを見て驚き、逃げ出してしまいました……。そうなると、我々はお金を得られません。そしていまも……村はかなりの危機に直面しているんです。……言いにくいのですが、もしも魔物のみなさんが、ずっとあのまま温泉に降りてくるようであったなら、我々の生活が成り立たなくなっていました。ですから意を決して、私はしばらく前に国王陛下の元へ陳情に上がりました。そして、勇者軍のみなさんがこちらに来ています。それからのことは、言わなくてもお分かりでしょう」
村長がそう言葉を切ったところで、ブルーゼリーが神妙そうに言った。
「わしらがあの広い温泉に降りたことで、お前さんたちは多大な被害があったと言うんじゃな……。そして、わしらがそれを続ければ困るから……だからもう、降りてくるなと言いたいんじゃろう? それだけ決めれば満足かな……?」
問いかけに、しかし村長は首を横に振る。苦笑を浮かべながら。
「いやいや……。それだけでは、満足の行く結果にはならないと思うんですよ」
「ならば、どうしろと言う……!」
ブルーゼリーは気色ばむ。満足が行かないと村長が言ったことを、違う要求、さらに不利な条件のつきつけと受け取ったからだ。
村長はそれに気づき、すぐさま言い直す。
「ああ、いや違いますよ。すみません、誤解を与える言い方でしたな。いえ、まあ、確かにあなた方が降りてこなくなることは、解決策のひとつにはなるのですが……しかし、そちらは不満のままだ。そうですな?」
「それは当然じゃが……わしらは負けた。抵抗しても無駄なのは分かっておる……」
警戒していたブルーゼリーだったが、問われて再び神妙そうに目線を下げる。しかしそこで、村長は力強く否定した。
「でもね……駄目なんですよ、それでは。だって、あなた方は納得していない。いまは素直に頷いてくれたとしても、いずれ不満が噴出するかもしれない。それでは困るんです。……ええ、我々はもうね、トラブルはこりごりなんですよ。お恥ずかしい話、もう何年も前から苦しい状態でしてな、これ以上の災厄があれば、村の立ち直りの夢が潰えてしまう……。私も取り乱していましてな、王様には泣きついたと言っても過言ではありませんでしたよ」
話の流れに違和感があるようで、ブルーゼリーの様相に困惑が混ざってくる。
「だから、なんだと……?」
「こういう言い方は角が立つかもしれませんがね……我々も納得、そちらも納得、そういう話にまとまれば、両者間の不満や問題はほとんど無くなるはず……です。あなた方の行動による、温泉客が逃げ出すトラブルはなくなる……。少なくともその確立は減る、減るはずです」
「わしらが納得できるようにじゃと? わしらを納得させられると……!? しかも自分たちも不満のない話など……!」
魔物たちは一斉にざわめいた。村長の発言は、思いもよらぬものだったのだろう。顔を見合わせ、戸惑いを隠せない。そして村長のほうは、彼らの反応に手応えを感じたらしく、ひとつ咳払いをして注目を戻すと、すぐに提案した。
「我々とあなた方では考え方が違いますから、こちらが良いと思っただけでは駄目でしょう。ですからそこは、やはりよく話し合いたいと思うんですよ。とりあえず、私からふたつほど提案があります。実現可能かどうかは、実際やってみないと分からないかもしれませんが……まず、この温泉が再び戻るかどうか、我々で調べたいと思っているのです」
魔物たちは少しずつ、興味を示してきた。
「温泉が……わしらの温泉にお湯が戻る……?」
目を瞬かせる者、目を丸くする者、口を大きく開ける者。みんな次の発言を待っている。村長はそんな期待に応えるように、胸を反らすと、握った右こぶしでそこを軽く叩いて見せた。
「ええ。これは自信を持って言えますが、私たちはね、温泉のプロなんです。この辺りは地震が多いほうですから、地盤が沈下したり、隆起したり……ずれてくることもあります。そのせいで、温泉が湧き出る部分が塞がってしまったのかもしれません。しばらく前に、わりと大きな地震もありましたしね。大体、数年に一度はあるのですが」
説明にまた魔物たちがざわめく。心当たりがあるのだ。ブルーゼリーも否定しなかった。
「むぅ、言われてみると……あった。なるほど、大きな地震があった後から減ってきたような気がするぞい……」
「でももしかすると、少し掘るだけでお湯が戻ってくるかもしれませんし、それが駄目でも近くにまだ温泉が湧き出す場所があれば、そこからひくこともできるかもしれません。ですから、一度よく確認したいんです。村の者が何人もこの温泉や付近を調べますが、構いませんね?」
「う……うむ……。温泉が戻るなら……。本来なら認められないどころか、襲い掛かるところなんじゃが……仕方ない……」
背に腹は変えられぬといった物言いだが、視線はしっかりと村長に向けられている。村長のほうも調子が上がってきたようで、次々と話を進めた。
「では、それの詳細については後日また、相談しましょう。あと、もうひとつの提案ですが、この温泉が戻る戻らないは別として、条件つきではありますが、みなさんが村の温泉を利用できるようにしたいと思います」
村長の話は、魔物たちにとって驚くことばかりだった。何度も驚いているのに、さらにその声があがった。しかし受け取る印象は次第によくなっており、今度はブルーゼリー以外の魔物も尋ねだした。
片言を含めても人間の言葉を話せる者が少ないため、村長が聞き取れたのはバットマンとカンガルーのみだったが、他も同じような内容だ。
「ムラ、ノ、オンセン、ハイッテイイ……?」
「条件つきぃ……条件って何なのぅ?」
「それは、何か村の仕事を手伝ってもらえればと思っています。温泉に入りにきたお客様からはお金をいただいていますが、その代わりですね。それに、人間にはやりにくいことでも、みなさんなら得意なことがあるでしょう? 我々も別種族の人手が欲しいときがありますのでね。……ああ、もちろん、国内で普通に使えるお金を払っていただけるなら、いくらでも入ってもらって構わないんですよ」
そこで、ブルーゼリーがいささか疑念を持ったか、腑に落ちない表情をして、口を挟む。
「気軽に言っているように思うのじゃが、ほんとに入ってもいいのかの……? わしらが降りてきたから、人間の客が逃げたのではなかったか……?」
その問いかけには、少し苦笑が混じった。
「うーん……そうですねぇ、状況が状況でしたからね。……ある日突然、集団で、明らかに武装した、ただならぬ雰囲気の魔物のみなさんが夜間、人里離れた場所から降りてきたら……それはさすがに身の危険を覚えますよ。でもそれは、降りてくるのが人間であってもそうですから。山賊の類はほとんど出たことがないんですがね。みなさんがもし逆の立場だったら、どうですか? 驚きませんか」
「それはそうかもしれんが……」
言葉を濁す様子に、その強い躊躇いが何なのか村長は首を傾げたが、下がっていたリイムが隣に並び、送ってきた視線を受け取って、はたと気づいた。
「ああ、魔物だからと心配しているのかもしれませんが、問題はないですよ。イーユの村にだって、他にも働いてもらっている魔物のみんながいますから」
「そ、そうなのか……。むむぅ……」
それでもはっきりしない様相で悩んでいる姿には、彼らの人間に対する姿勢の堅固さを再認識できるが、村長はならばと、多少強くでも自分が場を引っ張るつもりで話を早めた。
「とりあえず、私からの話は終わりです。どうですか? さっそく今日にでも話し合いをしませんか。温泉に早く入れるようになったほうが、あなた方も良いのでは?」
「今日すぐにでも、か……? う、むううう……。まあ、温泉には早く入りたいんじゃが……」
ブルーゼリーの視線は泳ぎ、村長の語りを熱心に聞いていた他の魔物たちも皆、視線をどこかへずらす。
「でも……やっぱり……こうとんとん拍子に進むのはなんか……気になるしぃ……」
「イママデ、ズット、ニンゲント、カカワリ、モタナイヨウ、シテタノニ……ココデ……」
彼らにとっては、本当に重大な決断であるからこそ、リイムは下手なことは言わず、真っ直ぐに、直接伝えた。
「……僕たちを、村長さんを信じてもらえないかな?」
「う、うーむ……。いや、分かっておるんじゃ……負けたわしらをわざわざ騙すなど、考え難いことはな……だが、どうしても踏ん切りをつけるのが難しい……」
ブルーゼリーは、申し訳なさそうに目を伏せた。心は激しく揺れるばかりで、決められないのが向こうとしてももどかしいようだ。
あと何か一押しするものがあればとリイムが考えたところで、村長が軽快に笑った。
「やはり心配ですか。ははは、でも大丈夫ですよ。わだかまりを解消する方法が、我々にはあるじゃないですか」
「なにっ? そんな……それは、一体なんじゃ?」
皆、一斉に村長を見る。驚くべき発言だが、深く考えた感じもなく、気楽そうだった。リイムにとっては、この問題が実に根深いことが分かっているし、人間を拒絶することが根底にあり、いまも抵抗がある魔物たちにとっては、途方もない話だった。考えつかない、考えたことすらないその方法があると言われ、魔物たちは、驚きと期待の様子をにじませる。そして村長は嬉しそうに、得意満面で語った。
「難しい話ではありません。ただ、何より合致する点がある……。我々は、温泉を愛している同志なんですよ。それだけですが、それで十分だと思うんです。……時に、魔物の皆さん方は、どうやって互いに知り合いましたか? なぜ寄り集まり、仲間になったのですか? 温泉のおかげだったのではありませんか? こういう迷いは、みんなで温泉に入り、裸でぶつかりあえば解決するものですよ。ええ」
そこで誰かが何かを発するより早く、悲鳴が上がった。
「――はっ、裸でぶつかるぅ……ッ!?」
即反応し、うわずった声を上げたのはタムタムで、どう受け取ったのか顔が真っ赤である。ただし、衝撃を受けざわざわと相談する魔物たちはそちらを気にする余裕はなく、村長も笑うだけだったが。
「これ以上、先に進まないまま悩んでも仕方がないと思うんですよ。だから熱い温泉の中で、熱い議論を交し合おうではないですか。とりあえず、温泉に入ろうという軽い気持ちだけでも構いませんから、参加してください。勇者軍のみなさんもお願いします」
聞いていれば村長にいきなり頼まれている形で、思いもよらなかったリイムはきょとんと返す。
「え? 僕たちもですか?」
「何か不都合がありますか? 王城への帰還は明日なのですよね? 係わり合いもさることながら、我々とも魔物のみなさん方とも違う、第三者的な立場の方の意見も欲しいのですがね、だめでしょうか?」
「いえ、そうですね……」
まず、温泉に入ってのことだ。通常行っているような会議とは異なる流れが想像できるため、一瞬判断に間が開き、リイムが思案する顔つきになった。するとブルーゼリーが目線を下げ、まるで頭を下げるような仕種を見せる。
「わしらからもお願いしたいのう……。いきなり人間の村の内で、見ず知らずの人間と話し合うというのはやはり抵抗があるんじゃよ。その点、お前さん方のメンバーは魔物が多いしのう……。気持ちの面で参加しやすい」
そう不安を打ち明けられると、リイムはすぐに頷いた。自分たちが参加することで両者の話し合いがスムーズに、円満に解決すると考えれば、協力はやぶさかでない。そして、聞いた村長もまた、頷く。
「うん。分かりました。じゃあ、僕たちでよければ話し合いに参加します」
「ふむ。なるほど……なら村からも、働いてもらっている魔物のみんなの参加をお願いしましょう。我々の村が何をやっているのか、彼らから直接聞いてみてください」
配慮にブルーゼリーは素直に頷いた。
「うむ……ありがたい。そうしてくれると、話がしやすそうじゃ」
「チューチュー!」
「チュチュチュー?」
それから、マウスマンたちがはしゃぐように周りを走り出したところで、ミラクルが顔を反し、妙にえらそうな態度で言った。
「んむ。うむうむ、なんか決まってきた感じだな! ということは、これからみんなで温泉決定か! だな!?」
だが、その前にタムタムが慌てて身を乗り出した。なのに、その行動の後ははっきりとせず、視線も揺れる。リイムを見ようとしているのだが、あちらこちらと他所を向く。
「待って! あの……温泉で話し合い……って、その……えっと……私たちも……って……っ。えっと、ええっと……だから、あのね、リイム……」
「やったぜ! タムちゃんとおんせ――ビギャッ!!!」
それは息を呑むほどの早業だった。ミラクルがそう口にし、タムタムの前に出たところで、彼女は後ろから抱え込むように両手を使い、一瞬にして口を塞いでみせた。
「〜〜〜ッ!」
「「……」」
真っ赤になっているタムタムに、分かっている周囲と分かっていない周囲はともに沈黙。
「あの……リイム、ごめんなさい。勝手を言うようだけど、私はちょっと……」
ほどなく、恥ずかしそうに俯いた彼女。何事なのかと不思議そうに見ていたリイムだったが、聞いて普段どおりに頷いた。
「もちろん分かっているよ。温泉に入って話をするんだし、こればかりは仕方ないからね。今回は僕たちだけで参加するから、気にしなくてもいいよ」
「う、うん……。……ええ」
何も気にした様子のない、いつものように微笑んで理解を示してくれた相手に、タムタムの動きは少しぎこちなく、固まって見えた。
だから、口を塞いでいた手も上がり、緩んでいた。
「おぉ……ぅ? あれかぁ? あっさり頷いたけど、自分と一緒に入りたいって気持ちが全くないってことかしら〜とかなんとかちょっと複雑に……ぐびゃ!!!」
刹那、思わずびくつく生々しい音とともに、ミラクルの声が潰れた。短くはたくような音だった。
「「……」」
再び沈黙するしかない状況に置かれた周囲の目は、釘付けとなる。彼女は右手を横に払うように手の平をそれに叩きつけ、阻んでいて。
「うわ、なんか……微妙に当てすぎ、かな……」
「よく口にするねぇ……」
光景と音に身を引いたロビーとジョージは、数秒後、小さく囁いたものだ。その場でまったく平常でいるのは、女性の機微たる反応には相当疎いらしい、リイムとモーモーくらいで。
「……どうしたんだい、タムタム? ミラクルが苦しそうなんだけど……」
だからこそ平気で問えるのだが、彼女の行動が不理解であることを前で言うリイム。タムタムは焦ったように慌てて、明らかな空笑い。
「えっ!? な、なんでもないのっ」
「そうかい……? あっ、ミラクルが」
リイムは態度に訝しがったが、ミラクルが抜け出したのを目撃して、そちらを追った。タムタムが手を前に突き出して彼に答えたことで、隙ができたのだ。
「――ぶあぁぁっ! きゃあぁぁ〜助けて〜〜〜〜!」
リイムが見ている前で、あれよあれよとミラクルは逃げ出し、タムタムは真っ赤な剣幕で追いかけていく。
「あっ、こら待ちなさい! どうしてあなたは変なことばかり言うの!」
「そんなつもりはなかったんだ、タムちゃーん! ゆるしてー!!! まさか当たりまくってるとは……」
「アッ、ああっ、当たってない! 当たってないのッ! 断じてまったく、これっぽちも当たってないわよ!」
山岳に、甲高いヒステリックな怒声が響き渡る。
それに耳を揺らし、依然として状況が理解できないモーモーは、困った仕種か頬をぽりぽりと掻いた。
「なんか、よく分かんねえんだが……。まぁ、とにかく温泉に入るんだよな? 決まったからには、行くか……?」
「そうだね……」
ぼんやりとした問いかけだったが、その場で見ていてもどうしようもないことは分かるので、リイムはすぐに同意した。それに合わせて、皆も気を取り直すように彼を見やる。
そして、マウスマンたちが足元で心配そうに話しかけてきた。
「チュー? チューチュー……」
「うん? 一緒に入る温泉が深すぎやしないかって?」
リイムが聞いた内容を口にしたところで、村長はすぐに答えた。
「それなら大丈夫でしょう。マウスマンのサイズだとどれも深すぎですが、桶にお湯を入れて浮かべれば一緒に温泉に入れますよ。……しかし話を振ったものの、どの温泉にしましょうかな。おすすめの温泉ならたくさんあるのですがね、絞るのは悩みますな……」
温泉選びに悩み始めた村長に、おずおずとカンガルーが言った。
「こっちが、選んでも……いい?」
「気に入った温泉があれば、もちろん選んでもらっても構いませんよ。すすめられない温泉など、我が村にはありません。ただ、人数が増えてくると小さめの温泉なら窮屈でしょうな……。とりあえず、直接見てください」
気軽に答える村長に、魔物たちはずいぶんと緊張が解れてきた。やはり温泉に入りたいという願望は強かったようで、もう入る気持ちに傾いている。打ち解けるのも早かった。
ブルーゼリーは何か想像したのか、恍惚した表情だ。
「はあ、運んでいるうちにぬるくなった温泉に入っていたからのう……。昨日、身を隠したときはくつろぐ時間ではなかったし……。ゆっくりと熱っつい温泉に入りたいのう……! うむ、熱いのはいいのう……」
「おや、熱いのがお好みですかな。もちろん、熱い湯からぬるい湯までありますから、合った温度の温泉に入ってください」
そう村長が話し始めたさなか、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえてきた。若い男性の、少し苦しそうな。
「そ、村長ぉ〜!」
「ふむ? この声は……。おーい! 何かあったのかねー!?」
村の人間らしい。村長もすぐに声を張り上げ、呼ぶ声に応えると、ほとんどの視線は降りる道へと移る。そしてほどなく、二十歳過ぎ程度の青年が苦しそうな表情で、必死に坂道を駆けて上ってくる姿が見えてきた。
「村長〜! やりましたよ、やりましたッ! また、紹介してもらえるように、話つけてきました!」
「なに!? なんだって……そ、それは本当かね!?」
上ってくる途中から放たれた報告に、村長は一瞬目を白黒させたが、間もなく興奮へと変わった。青年のほうはその間に走り終えると、村長を前に呼吸も整えないまま話し出す。辛そうだが、声は弾んでいた。
当事者だけが分かる会話だが、リイムたちも村に来たとき一通り聞いていたため、何の話なのかすぐに理解した。積極的に村の宣伝してもらったという、例の商業組合との商談結果らしい。
「一時期、宣伝していた効果で……向こうも、温泉の問い合わせが多いから……と。問題が早急に解決できるようなら、すぐにでもツアー企画を再開する準備があると……。安全面で改善され、その説明が出来るなら、連絡が欲しいと言われました!」
全部告げ終えた後に、青年はようやく一息ついた。膝に手を置きながら前に屈む。しかし村長の話を聞いて、彼はすぐに顔を上げた。
「それはありがたいな……! いまのところ問題はひとつだけだ。今日の話し合いでいい結果になるなら、すぐにでも連絡ができるぞ!」
「は……話し合い、ですか……?」
「そうだよ。これからいつものように、温泉でやるんだ!」
村長の言葉には喜びだけでなく、気合が感じられた。一部が、いつも何をやっているのだろうと疑問に思ったところで、彼は青年の肩を叩いた。
「君、急いで伝えにきてくれて、疲れているところ悪いんだが……我々より一足先に降りて、みんなに説明しておいてくれないか? 魔物のみなさんと話し合いをすることになったから、参加希望の猛者を集めないといけない。今回の参加枠は一切なしだからね、村の魔物のみんなにもどんどん参加を頼む」
言われて、青年は嫌そうな顔もせず、むしろ爽快に笑った。
「あ、派手にやるつもりですね? ――分かりました! じゃあ、すぐに支度しないと! 失礼します!」
元気が戻ったように、くるりと背を向け山道を戻っていく青年を見ながら、ロビーとジョージが先ほどからの不安を口にした。
「猛者って……な、なんなの? なんか気になるんだけど……」
「派手に???」
「いえいえ、暗い話ばかりですと、気が滅入ってしまうでしょう? 少し騒ぎ立てるようにするだけですよ。もちろん、本筋を見失うようなことはありませんとも」
珍しいことだが、それにはどことなくモーモーも気になったようだ。
「うーん……大丈夫なのかモー?」
しかし両代表、まったく気にした様子はない。それどころか、勇者軍の誰もが口を挟めない状況で、見る間に意気投合していく。
「温泉はの、温まるだけのものではないんじゃ。ゆっくりと入るのもいいが、楽しく入ることもまた、体にとってはとてもよいのじゃよ。みんなで入って、賑やかなくらいがいいのではないかな」
「おお、やはり真の温泉好きですな。意図を分かっていらっしゃる……」
「いや、そちらこそ、まさに温泉を知り尽くしておる……。さっきの言葉は、目から鱗が落ちた……。わしらはまだまだ温泉を分かっていなかったのじゃ。本当に盲目じゃった。答えは側にあったのに、まったく気づけなかったそれをあっさり教えてくれた。言われた通りなのじゃよ。ここにいるわしらは、生い立ちも種族も違うわしらは……温泉によって仲間になったんじゃ。それを忘れていたようじゃ。恥ずかしい限りじゃ……」
「そんなことはありません。温泉を愛し、大事にしているからこそ、答えだと分かったのではないですか? こちらこそ、あなた方が温泉に来ていると分かっていながら、気づけなかった……。そう、温泉の利用目的など、限られているのに。入れなくなったから、降りてきただけなのに……。聞けば実に納得のいく、単純な困り事だったのです。しかし、勇者軍の皆さんが取り持ってくれなければ、あなた方が苦しんだ事情を知らないばかりか、こうして話し合いをしようという結果にはならなかった。我々も、村の危機のことばかりで頭がいっぱいになって、結局、温泉が何であるかを見失っていたのですよ」
熱い眼差しで見つめだした両者が、ふと微笑した。
「……。これから、多くの語りができそうじゃな」
「ええ、楽しみにしていますよ」
会話はそれで終わる。ずっと側で眉を顰めつつ、見守っていたモーモーにも、それが一旦の区切りということには気がついた。表情は変わらないが。
「なんか、俺たちには盛り上がりがよくわかんねえが……上手くいきそう、だな?」
「うん、そんな感じだね。一応、話し合いが終わるまで解決したとは決められないけど」
良好な雰囲気に、リイムは控えめの声で頷き返した。
その時まで、例の二人の事を少し忘れていたので。
「――ちょっ! い、いいっ、いまなんて言ったのーーー!?」
耳に突き刺さるような。いつの間にかこちらに戻ってきたのだ。大きな叫びがリイムを、他の皆を驚かせた。
タムタムはそれはもうかんかんで、周囲などまったく見えていないし、ミラクルは大きな口をぱくぱくさせ、実に余裕のない様子でこけつまろびつ逃げ回っている。
「うわぁぁぁああああ! リイム、助けてー!!! タムちゃんが暴走してきたー!!! だぁぁぁあ!?」
ミラクルはリイムに助けを求めて戻ってきたらしいが、止まれないためか、飛び込むチャンスを逃し、再び向こうへと逃げていく。
リイムには、そちらのほうが理解不能な状況だった。
「ところで……タムタムたちはさっきから何をやってるんだろう。分かるかい?」
「さあ、なんだろうな。俺にはどうしてああなってるのか、さっぱりなんだが……?」
リイムと同じもう一人は、振られてもお手上げだと肩を竦める。
そんな二人から視線を受け取ってしまったスカッシュは、嫌そうな顔で拒んだ。
「俺に聞かないでくれ。後で何を言われるか分かったものじゃない……」
「う……ん。でも、まあ、とにかくいつものことなんだよね?」
向こうからはまだ、悲鳴が時折聞こえてくる。リイムは首を傾げ困っているものの、毎度の二人であるから仲裁する必要までは考えていない。うな垂れたように頷くロビーは、他人になりたい気分ですでに呆れかえっており、投げやりに同意した。
「たぶん、そうだと思うよ……。うん……」
「――たまには口を閉じてなさーーーーい!!!」
「――そりゃ無理だあぁぁぁぁっ!!!」
しかし、テンションと気分が下がっていく勇者軍に比べ、村長たちは元気だ。こちらは聞こえてくる声に、心が逆に躍るのか、にこにことするぐらい。
「実に賑やかですな。さあ、我々も後に続きましょう。大いに騒ぎますぞ!」
「うむ、たっぷり温泉に浸かるぞい!」
「おおっ!」と掛け声が揃い、魔物たちから歓声が上がる。
そうして、村長が先導役を買い、一行は山道を降り始めた。最初のあの、緊張感ただよう場はなんだったのか、なんとも和気藹々とした集団だった。この先に一抹の不安を抱き、黙々と後ろに続く一団を除けば――。
その後、賑やかに村に戻った一行は、既に入浴する準備を整えた村人たちに出迎えられ、温泉の紹介を受けた後、満場一致の意見により、大陸一広い露天風呂で対話を開始した。途中、逃げ込んできたミラクルを一心に追いかけてきたタムタムが、気づいて赤くなるや、猛スピードで逃げ去ったり、酒が入りのぼせが入り、倒れて運ばれる者が数人いたり、酔っ払った村長や一部が踊り始めたり、肝心な話し合いがまともにできたかどうかはともかく。彼らはとても楽しそうで次の日も機嫌が良く、またやろうと交わしていたため、もう彼らだけで大丈夫だろうと安心し、勇者軍は早々と王城へ帰還したのであった。妙な疲労感と、わずかな徒労感を覚えつつ。
以降――。イーユ温泉村に勇者軍が関わることはなかったが、話によると温泉のバリエーションが増え、活気も戻り、客足が戻ってきたのは間違いないとか。一体何が影響して好転したのか、調べる者はいなかったが。
<おわり>
<はぁ……>
こ、今回は色々新しいと思うのですよ……!
まず動機が、温泉話作ろうではなく、スカッシュにデッキブラシ持たせて掃除させようである件!
ただの温泉ではなく、これはつまり温泉テーマパーク(?)
リイムの説得より村長の説得が効いている! しかも彼らの話がやたらと長い!
女の子の入浴シーンがない、むしろ女性であるタムタムが(事故?ですが)男性陣の覗きをしている!
別に新しくないかも……!
すんません、欲望にまみれた妙に長いもの上げて。まあいつものことですが。
うーん、途中でやり直しばかりして、やる気が失せて全然進まなくなったわりには、
いまいちでもオチが思いついたぶん、まぁマシかと思ってますが……。
長すぎて。量に内容がついていってないので、駄目です(苦笑)
ちなみに、半分くらいの長さで終わるつもりだったのですが、全く見当違いの長さになってびっくりですわ……。おかしいなぁ……とにかく後半からぐだぐだです。
しっかしもう、どんどんタムタムが酷くなっていくのですが、どうにかなりませんでしょうか(苦笑)
たぶん、シリアスだとそこそこまともになるのですが……?
はあ。どうでもいい話ですが、最初は仕込杖ならぬ仕込デッキブラシにしようかと思いましたがあまりにも酷いのでやめました。デッキブラシで戦わせてやろうかと思ってましたが(苦笑)
とにかく、投げやりです……。かなり強引だったりしてますし、見返すたびにやる気が削げた……。中盤からいまいち感ばかりなのですが、まあいつものことですか……。
『ばーかばかしいっぺ! 人間と話しあうなんて時間の無駄だっぺ!』
なんでここで「だっぺ」になったのか私もよく分かりません。
「シュッシュッシュッ!」
スカとカンガルーのとこ。思えば、これ口で言ってることになるんだよね……。
戦闘シーンは……スカ贔屓ってわけじゃなくて……まじめに相手してるから長いだけヨ!?
リイムはガラバーニュ抜いても使ってないし。というかガラバーニュ使われても困る……よね!?
まあ、なんだかんだいって、出番が一番なのはお花かもしれない……。
今回は戦闘パートも珍しく長めかも。まぁ、後半がアレですが……ぐふっ。
「コッケー! まさか飛べるのが自分だけだと思ってたのかな!」
滑稽、滑稽! なんか、鶏は人間を馬鹿にしているように思えました……こっけー!
「……ブルーゼリーだ!」
ここら辺からやる気が……。
ところで、ブルーゼリーの口ってどこにあるのでしょうか。体の真下にあって、上からジャンプして獲物に襲い掛かったりするんでしょうか、超肉食で。
あるいはこう、クリオネのようにどっかからすごいのがにゅにゅっと……。にゅ、にゅー!?
とにかく、ここら辺から苦しいのです。なんかもう、なんかもう、なんかもうもうもう!!!
「穴でも開けばふきだすだろう」
恐ろしいことを言ってます。
これが風船だったら、裂けてしまいますからね。
スライムでゼリーだから、大丈夫……とは思えないけど何もツッコンじゃだめでふ!
まあ、それ以前にどうしようもないのでもういいやって。
説明のしようもないことの連続なのですが(まぁ、リトマスそのものがそういう性質ですが)、こういうのばかりになると疲れる。
「――はっ、裸でぶつかるぅ……ッ!?」
タムタムって、まぁ、オチ担当なんですよね……。
いつからこうなったんだっけ……。でもうん、ほら、今回は温泉話ですから、ね……! ないけど!
ないですよ。欲情だして覗く人がいません(苦笑)。でも、ひまわりは覗くかもしれない。
「また、紹介してもらえるように、話つけてきました!」
営業です、企業戦士です。
全然関係ないですが、ずーーーーっと前に、ドット絵だかアイコンだか、なんかコンテストがあって、お題が戦士でした。
屈強な?戦士のドット絵の中、現代のサラリーマンが……。そう、企業戦士なんです。契約とれました〜!って。
うまいなって、思いました(笑)。 ……それだけ。
読んでる方には、退屈な部分が長かろうと思われます。私も疲れたよ!
ともあれ、また当分、リトマスSSは更新ないですな。
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