それは夢か幻か


<3>

 違和感に満ちた暗闇を走る。足を緩めていないのだから、ずっと走っているはず。感覚がおかしく、平衡であるのか分からないし、眩暈のように揺れている気もする。足が踏み抜くものがないが、苦しくはないから、闇の中で溺れているわけではなさそうだ。前を向いているつもりでも、真っ直ぐ走り続けているのだろうか。しかし、そうでなければ辿り着けないかどうかも不明なのだろう。ここが一体どこなのかは考えられないし、考えても判明するとは到底思えなかった。自分の理解の及ばない場所ということ。それでも気を確かに保っていられるのは、リイムたち仲間の存在。あまりにも暗すぎるのか、それとも視覚がないのか、誰の姿も見えはしないが、つかず離れず側にいることだけは不思議と感じられる。そして、抱え込んだ女の子の人形の感触は、しっかりとある。
 それだけ確かなものがあれば、十分だった。ここで迷うことはない。今まさに、自分の信じる道へ向かっているのだから。

 暗闇の中で小さな白い点が見えたのは、一体どれだけ経った後なのだろう。
「あ! なんか……見えねー?」
 未知なる体験の影響か、泣き言の多かったミラクルも、ここまでずっと無言だった。だが、ともすれば口が開いている、元々おしゃべりすぎな精霊だ。話す切欠を探していたのだろうか、変化に声を上げたのは一番だった。
「なー? 見えるか、俺だけじゃないな? なあおいってばっ! 聞こえっかー!?」
 声が必死なので、返してくれと言うのだろう。
「大丈夫。見えてるわ」
「僕も」
 皆もずっと黙っていたのだが、普通に会話ができる場所のようだ。ミラクルは言葉が届き安心したようで、またその口が大きくなったと思われる。
「あれって、出口だよな。俺、真っ暗って苦手なんだよ! だって植物の精霊だし、光合成するし! 分かるだろ!? 早く明るいとこに出してくれー!」
 まだ遠い気がする点だったが、ミラクルの叫びが何かに届いたのだろうか。急激に眩しくなってくる。形を変えて膨れ上がり、闇へ差し込む光へと。
「おおっ! やっぱ出口か! 出られるぞー! あ……でももう変なとこは勘弁だー!」
 今度は光の大波に飲み込まれる。視界すべてが輝きとなり、埋め尽くされて白になる。あまりにも眩しくて、とっさに目を閉じかけたが、それでも足は止めず走り続け――。
 一瞬身体が落下するような感覚に、タムタムは驚いて目を開けた。

「――きゃあっ!?」
 気がつけば、そこは黒でも白でもない。まずぼんやりと映った輝きは、先ほどの光とは異なっている。目を凝らしてみると、光量の抑えられた明かりで、四方に置かれている燭台からだった。熱く赤い炎の揺らめきではなく、淡く微かに青白い静かな魔法の放射が、控えめに視界を照らし出していた。
「明かりが……」
 薄暗い、仕切られた内部にいるようだった。足が地を踏みしめており、上には天井らしきものが見え、前を向くと先が遠くない距離感。そして先ほどまでと比べるならば、圧倒的な閉塞感。
 ふと息を吸って感じたのは、少しのカビ臭さだけでなく、知らない間に強張っている身体の硬直と、何故かは分からない胸の奥のざらつき。鼓動が速い。
 気になったが、場面の急な変化に体が戸惑っているのだろうと、息を吐き出しながら自らに思い込ませる。
「ここは……どこ?」
 とりあえず、場所が変わりどこかへ出たのだと、確認を進めた。仕切ってあるものは鈍色の厚い布地のようで、それと骨組みによって空間を作り出してある。今、その中にいるのだ。
「テント……みたいだね。この中は」
 リイムのつぶやきに、タムタムは自分の傍らをようやく見る。
 彼とモーモー、スカッシュ、ミラクル。それから自分自身に、手の中の感触――しっかり抱え込んだ女の子の人形。
 誰も欠けず、全員いる。
「テントなぁ……。って、なんでこんなところにいんだろな、俺たち……。ったく、明るいとこに出してくれって言ったじゃねーかよ……。しかしまた、ずいぶんと狭い場所にきちまったな、今度は……。いや、今までだって、なんであんなところにいたかわかんねーんだが……」
 驚くようなものが視界に飛び込んでこなかったためか、ミラクルの発言も勢いはなく、すぐ止まる。
 自分たちの確認が済んだ後で、タムタムは周囲をひとつひとつ注視したが、それに時間はかからなかった。
「私たち以外はいないし、特に気になるものもなさそうだけど……」
 内部はがらがらだ。寝具もなければ、目立つ家具もない。あるのは視認ができる程度の明かりと、端においやられた長方形の机、椅子がいくつか。
「家財らしいものはないし、机や椅子もあまり使ってなさそうだし……誰かが住んでる様子がないわよね。そこそこの広さで、生活感がないとなると……何のテントかしら?」
「少なくとも住居ではなく、素早く設営、撤収できる仮設の天幕だろう……外の様子も考えるなら」
 言ったスカッシュが、他の誰でもない先へ顔を向けていたのは、付け加えたテント外の様子によるものか。しかし目で見ているのではない。テントにはいくつかの窓と出入り口もあるのだが、どれも閉められていた。明るい日の光は差し込まず、内部を浮かび上がらせているのは魔法の明かりのみ。今も探りながら話している。見えざる向こうを突き通す、彼自身の研ぎ澄まされた感覚で。
「閉めてあるとはいえ、窓や出入り口の隙間から僅かな光も入ってこないところをみると、時はどうやら夜更けのようだな。周囲には大勢の人間の気配があるが、動きは少ない。静けさからすれば大半は就寝中だろうが……辺りには安らぎがない。不安や恐れ、怒り、そして覚悟……緊張した空気が漂っている」
 するとモーモーが厳しい眼差しで左右を見た。それは恐らく、スカッシュと同じで内部を見てのことではない。
「ああ、そうなんだろうな。俺もここに出てから全身にピリピリ来てる。落ち着けない感じだぜ、身構えたくなるような……」
 普段より彼の声が小さく、少し苛立ちがあるように思えたのは、彼自身が既に何かを察知し、警戒しているため。
「この感じ……覚えがあるんだがな」
 拳を握りながらのモーモーは、それが不快、嫌なものであると表していた。
 彼らの勘と感覚が告げているなら、気のせいではなく、不確かなものではない。なるほど、自分の体の不調はそのためだったかと納得するが、同時にここも決して落ち着ける場所ではないのだと、タムタムの声は自然と小さくなった。
「ここも危険なの? 周りに大勢いるって……私たち、ここにいて大丈夫なの……?」
 視線が集まったが、返答は誰からもなかった。それは答えられないからではなく、考えるまでもないことだったから。
 気持ちを少しでも紛らわせようと、無意識にタムタムはリイムを見たが、彼の表情は張り詰めたまま、変わることがなかった。
「夜間、物々しい雰囲気が満ちている場所で……その中にある、あまり使われてなさそうなテントに僕たちはいて……。外の感じはたぶん……僕が知っている中では、戦っている時に近いんだと思う」
 その発言というよりつぶやきの後、スカッシュがゆっくり顔を向けてリイムを見た。
「……大勢が臨戦態勢にありながらも就寝しているとすれば、ここはどこだと考える?」
 リイムが少し間をあけたのは、躊躇があったためだろうか。
「……。もしかすると、軍の大規模なキャンプで……どこかの陣営内、かな」
 彼は視線を落としたが、スカッシュは僅かに頷いた。
「考えたくない状況だが……」
 彼らの意見が一致して、タムタムに挟める異論はなく。
「そ、それって……」
 勇者軍の置かれた今がどれだけ危ういか、考えるのが容易すぎてタムタムは思わず声を上げたが、それ以上は怯んで口にできなかった。
 モーモーは聞いた後、何かを思いついてのことか、怒った顔つきになってスカッシュを見た。
「待てよ……。陣営ってことは、いるのは兵士がたくさんってことだよな。じゃあ……さっきまで追いかけられてた奴らのところか?」
「違うだろうな……。導かれて辿りついた場所だとすれば、ここは……」
 スカッシュはその問いがあるのを見越していたか、一拍すら置かず即返答に応じたのだが、さすがに途中でミラクルが割って入り、騒ぐことまでは考えていなかったようだ。
「――ちょおい待ちゃあぁぁっ!? 軍のキャンプ内って、それって結構ヤバイどころかマジで超ヤバい激ヤバじゃねーかよ!? だだだってさ! 部外者じゃん!? つまり俺たちイコールクソ怪しい連中よ!? 軍隊の中に紛れ込んでて、もし、もしもし見つかったとしたら……こ、殺されるか、捕まるかだろ……! 捕まったら捕まったで、どうやって侵入したかとか、どこからきて何が目的なのか当然尋問されるだろ!? んでもって正直言ったところで話が納得できなかったり、口を割らなければ拷問とかもう普通だろ!? ――いやあぁぁ!!!」
 言いながら早速パニックに陥りかけているのか、目も口も頭も動きが激しく。
 これにはリイムの顔が、そしてスカッシュの顔色もさすがに変わった。モーモーさえも慌てて押さえつけようとした。
「ちょっと落ち着けミラクル……! ここでわめくなモー……!」
 しかし泣き叫ぶ表情ながら、どういうわけか相手はひらりとかわし、のらりくらりと回って背後へ立つ。
「あぁー分かってる……! そう、知ってんだよ! こういう場合はだ……外をたまたま通りかかった誰かが話し声を聞いて入ってきて、知らない相手に驚いて騒ぎが起こるってパターンが濃厚だってのが……。うわあぁぁ!!! もう俺たちどうすりゃ――」
 またぞろわめき始めたそれを、すぐ大人しくさせたのはスカッシュでもリイムでも、今度こそは押さえて静かにさせようと、手を伸ばしたタムタムでもなかった。
 誰かが合図したわけでもないのに、同時にその場から声という声が失せた。
 瞬時、走る緊迫感と。
「誰だ」
 音――。考えるよりも何よりも早く、タムタムは聞えるなり息を殺していた。しかし、聞えてしまうのではないかと思うくらい、鼓動が激しく打ち始める。
 耳にしたのは小さな声だった。くぐもっていてはっきりせず、これが城で皆と雑談でもしていた時であれば、聞き損ねてしまう程度には。この場ではないところから届いたからか。だがそうであっても、反応できなかった者はいなかった。泡でも吹き出しかねないほど真っ青になったミラクルも含めて、今の状況が読めないうつけはさすがにいない。
 聞こえたのは、この場にいない誰かの声だ――。
「……」
 何をするにも躊躇われる時、タムタムが恐る恐る視線だけでリイム、スカッシュ、モーモーを見やれば、皆同じ方向を、一点を凝視していた。彼らは止まっているようで、既に構えは出来ているようだった。
 テントの出入り口――色や質感から重そうな、いまだ閉じられた厚い布地の向こう側。彼らと合わせるため、その先をタムタムも見据えたが、表情としてはミラクルに近い顔をしているに違いなかった。本当は事態の深刻さのあまり、体が硬直して思うように動ける気がしない。それなのに震え始める自身を腕で押さえるようにして、ただただ息を殺す。
「誰かそこにいるな……」
 そして無音の中、今度はよりはっきりと聞えた。再び向こうより発せられた声は、やはり勇者軍の誰でもない男性のものだった。落ち着いて深みがあり、老人ではないがあまり若くないのは間違いない。
 当然誰も返答はしなかったが、ここにきて何事もなくやるすごせるはずがなかった。程なくして、左右に押し上げて開くテントの出入り口が揺れた。頭を少し下げ、静かにゆっくりと入ってきた人影は、一人。
「う、う、うわ……」
 我慢し切れなかったか、ミラクルがうめきを漏らす。
 姿を見せたのは、整った短い頭髪に口髭、皺も見受けられる初老の男性だった。武具や防具の類は見えないが、身の丈を覆う、深緑が基調の長いローブを身に纏い、腰には皮紐で巻きつけられたポーチ。身なりからすれば魔導の使い手なのだろう。ローブには見たこともない、複雑な術式も織り込まれている。立ち塞がっているのか、それとも踏みとどまっているのか、入り口の一歩前ですぐ停止した。
「……?」
 上から下まで相手を確認した後、タムタムは引っかかった。先ほどミラクルが騒いだ内容もあり、極限まで高まったストレスと楽観できるはずもない先の展望に、とても冷静ではいられなかったのだが、それでも何か変だと思った。対面し、緊張感は依然として変わらないままだが――。
タムタムが違和感の正体を探す間、黙ったままでは正気でいられないためか、がたがた震えるミラクルがまた口を開いてしまった。
「あ……あはっ。ど、どどっ、どちら様で……ござい?」
 不審者側からのそんなふざけた問いかけに対して、意外にもすんなりと応答があった。
「それはこちらの質問だ。お前たちこそ何者だ……。一体どこから……どうやってここに侵入した?」
 目や立ち姿に警戒の様子こそあるが、向こうもこちらを知らない以上、突然の遭遇にしては非常に冷静な対応であったと言えた。対話以前に、普通であれば大声を上げたり、驚いたりするものではないか。襲ってくることも十分ありえる。ここが軍の陣営内であるならば、それこそ仲間に助けを求めたり、まず騒ぎになるのではないか――。
 タムタムは徐々に違和感が何なのか分かってきたが、判明するまでに状況が変わりそうな雲行きだった。
「……答えられないのであれば捕らえて尋問するまでだが、私はそれでも構わん」
 すぐに言葉の調子が強くなった。互いの緊張が均衡状態にある今が異常なことで、突然襲われなかった幸運も、さすがに長くは持ちそうにない。
「黙ったままは認めない。今すぐ答えないのであれば、兵を呼ぶ!」
 強い苛立ちも含まれてきた。
 そこで一番早かったのが、またもミラクルだった。冷静どころか、パニックのままだったが。
「おおーーっちゃんっ! 待ってくれい、ちょい落ち着いてくれ! 確かに俺たちはめちゃくちゃ怪しく見えるかもしれんが、何もしないし! そっちが襲ってこないなら! ほんと! ね、ね!? 悪いことしにきたんじゃないよ、これほんとよほんと!」
 ミラクルのほうが全く落ち着いていないが、それで警戒を解いてもらえるほど甘いはずもなかった。視線も口調も、強さが増すばかり。
「ならばまずは答えることだ、先ほどの質問に」
「えっ……。や、ねぇ……。だ、だって、どう答えたらいいか分からんし……。こっちがどうしてこうなってるかさっぱり分からんし……。ど、どっから話すもんなのかも全然分からんし……」
 棒立ちでつぶやくミラクルに、相手は溜息をついた。
「……全く話にならん。仕方がない、向こうで口を割ってもらうとしよう」
 右手を上げる仕草に、ミラクルが涙か唾か分からないものを振りまいて跳ねた。
「――ぃやあー!? 違うんだぁ、違うっ! 話す気がないんじゃなくて、どう話せば納得してくれるんか分かんなくてー! 苦手なんだよ! ――おぉいこらリイムっ! スカっ! 肝心な時に黙ってないで何とかどうにか上手く説明してくれよ! 俺は矢面に立って説得とか交渉とかする役じゃないっつーの、分かるだろ! 普段は俺が物申しても勝手に話進めるくせに、困ったからって頼るのは勘弁してくれよ! 大体なぁお前らこうなるまで気づかなかったわけ!? 俺だって近くに誰か来てるって言われりゃ大人しく黙ってるもんを――」
 もはや待たないという男性に、ミラクルが焦って八つ当たりを始めたところで、タムタムは動いていた。
「待ってください!」
 解決する手立てがあったわけではない、場当たりだった。とにかく誰かを呼ばれてはまずい、この場をなんとか切り抜けなければと、逸る気持ちでミラクルの前に出ていたが。
「お願い、待って……!」
 これから何をしようというのか、自分自身で分からないままそうしていた。無謀ではなく、意味があることだと気づいたのは、ずっと胸に、大事に抱え込んでいたそれを咄嗟に両手で突き出した瞬間だった。
「タムタム」
 リイムがつぶやくが、そちらを見ない。前にある人形のさらに前に重なる、相手を見る。
「どうか話を……聞いてください」
「その、人形は……」
 小さかったが、僅かに震え、掠れた声だった。
 じっと人形に注がれる視線を感じ取って、タムタムは姿勢を保ったまま、一度息を飲んで続けた。
「覚え、ありませんか……。この女の子の人形に」
「……」
 問いかけに無言。だが、自分の行動に意味があると気づいてからのタムタムには、迷いがなくなっていた。
 女の子がずっと導いてくれているのだと、思ったから。だからこの場所に来たのだと。だからこの相手に会ったのだと。
「知ってますよね」
 確信を持って言う。すると相手は明らかな迷いを見せながら、尋ねてきた。
「なぜ……その人形を?」
「……託されたんです。あなたを探すために……娘さんから」
 ――この、偶然のように現れた男性こそ、女の子の父親。
 タムタムはそう信じたが、目の前の相手は人形から視線を逸らさないものの、首を横に振る。内心の動揺を振り払うためなのか、緩やかに何度も。
「……信じ難い話だ。いや、あり得ない」
「どうしてですか」
 否定されて揺らぐ心はない。タムタムは短い問いかけに、真剣な眼差しを込めた。
「どうして……だと? そうだな……何から何まで、起こり得ることではないからだ……」
 微かな苦笑が口元に浮かんで、自問自答のような呟きが返る。出会った瞬間からずっと考えていたに違いない疑問を。
「厳重な警戒態勢を敷くこの場に、殺気も持たない、こうも目立ち過ぎる侵入者が複数もいるのがまず信じられない……。隠密行動をしている様子もなく、諜報員や暗殺者にはとても見えない。ではそれ以外の者だとして、ここに何の用があるだろうか……? それに大小男女取り混ぜた不揃いの集団が、どうやって忍び込めると……? 大人数の見張りにも全く見つからず、魔術探知、トラップにも引っかからず……そんなことが、あるはずがない。しかも魔物までつれているなど……遥か遠い、名も知らない異国の者か? 未知の魔法や技術を持っている者たちなのか。だがそうだとしても、その異国の存在が何故ここに、この場にいる必要があるのか……。私には全く見当もつかない……。他国に雇われて、我らが師団の撹乱目的ならいざしらず……そうでないならば……」
 戸惑い、そして理解できない故の恐れもあるのだろうか。声は控えめなものの、真っ向から鋭い眼差しが返った。
「そうだ、おかしいのだ。……お前たちは何だ。繋がらない。挙句の果て、その人形を娘から託されただと? ふざけている……訳が分からない。……それこそあり得るはずがない」
「でも、あなたは知っている……この人形を。私たちが言えるのは、先ほど言った通りです。私たちはあなたを探しにここへ来ました。それがあの子の……あなたの娘さんの願いだから……」
 一瞬相手は黙ったが、苦悩に満ちた声は、やはり否定だった。
「それで答えになるとでも……? どう信じろと言うのだ、たったそれだけで……。それだけの理由でこんなところに忍び込むなど、正気の沙汰ではない」
 話しだけで思いを伝えることが難しい出来事であるのはよく分かっているが、それでも気持ちは届くはずだと、タムタムはさらに辛抱強く聞いた。
「十分な理由にはなりませんか。……では、託されたことが信じられない理由は? あり得ないと思うのは何故ですか?」
「ああ、もちろんその人形を知っているさ……。当たり前だ、娘が私にくれたものだからな。……今も、ここに持っている」
 男性は腰のポーチから人形を取り出した。タムタムが突きつけている人形と、全く同じものに見える、手作りの女の子の人形を。
 手元のそれを俯き加減でじっと見つめ、やがて重い溜息が吐き出された。
「一瞬、娘が二つ作っていたのかと思ったが……よく見ると違うようだ」
「えっ?」
 タムタムが思わず声を上げたのは、違いが分からなかったから。
 すぐ自分の手にある人形を見て、もう一度見返した男性の顔は複雑で、どこか悲しげな顔だった。
「そちらの人形……くたびれているようだ。色も褪せている。古さを感じる……」
「……」
 そう言われて、返す言葉が思い浮かばなかった。実際、自分の持つ女の子の人形は長い時を経て発掘された、太古のものだ。形、色が残っているのが不思議なくらい、保存状態がいいとはいえ。
「娘が……お前たちに人形を託したというのは一体いつだ? 古びた人形……私が受け取った後のものとは思えない。しかし私が人形を受け取る前……ここへ赴く前に、私を探すために託されたという話は当然、考えられない。……一体どう信じろと言うのだ? 信じろと言うのであれば、今度こそ納得のいく説明をしてもらおうか」
「そ、それは……」
 強く迫られ、言葉に詰まる。目前の相手に、自分たちは未来である時代の者で、ミラージュの塔に入ってここに来たのだと説明して通じるかどうか。あまりにも飛躍した話である。普通は信じられないだろう、互いの立場が逆であっても。それどころか、ますます怪しまれる可能性が高い。
「私たちは……」
 自分の返答のいかんで、間違いなく信じてもらえる機会が失われる――。
 迂闊なことは言えないと思うと、口が開かない。だが説明できなければどのみち疑われると、心は急く。
 まさかここにきて、迷いの境地に立たされるとは思わなかった。その苦しさを見透かしてか、相手は畳み掛けようとしてきた。
「どうした? やはり説明できないのか……。ならば、これ以上の話は無駄だ。戯言でこちらを惑わせる者とは……」
「ま、待って下さい! 無駄なんかじゃ……。ただ、これは私たちも驚いてくるくらいで……最初から話せば長くなって、上手く伝わるか――」
 女の子にここまで導かれながら、再び窮地に戻ってしまうとは。
 口にしながら必死に出来事を脳裏で辿り、考える。色々と、起こりすぎた。驚き、怒り、悲しみが次々と襲ってきた。感情を抑え切れなかった。きっとまだ何か、足りない点があるはず。それに未熟な自分が気づけないのだ。
「お願いです、最後に私たちがここにいる理由……全ての出来事を話す時間を下さい……!」
 始まりから話していけば、自分もまた振り返り、確認することができる。見落としているものに気づけるかもしれない――。
 タムタムは女の子の人形に詫びる気持ちで、追いすがってでも話を聞いてもらわなければと、再び身を乗り出そうとした。
 だがそれよりも僅かに早く、スカッシュが一歩前に出たため、身体を揺らす程度で終わった。
「スカッシュ……」
 数秒見返してきた目には、冷たい眼光があるものと思っていたが、特に平時と変わる様子はなく、むしろ仲間内では彼が今一番、穏やかな表情かもしれなかった。
「信じ難いという理由で、そ知らぬふりか。お前は既に気づき、分かっているはずだ」
 対してスカッシュを見返す瞳は、どういうことか射抜くようで敵意すらあり、今までで最も厳しく見える。
「……それは、どういうことだ」
「人形には何よりも確かなものが残されている。微弱とはいえ、目前に出されたそれが分からないはずはあるまい。……お前の魔力だからな」
 そこまで言われてタムタムは思い出し、ようやく気づけた。必要な、見落としていたものを。
 発掘された小箱に入っていた人形は、魔力を帯びており、ミラージュ第五の塔の鍵だった。それに直接触れており、比較対象もすぐ側、目前にしているからこそ判断できる。手からごく微かに伝わる魔力と、女の子の父親であろう男性の魔力が同一のものであると。
「そうよ、この人形は……」
 助けられ、救われたような気持ちで、タムタムは女の子の人形を抱きしめる。物言わぬそれが、暖かく感じた。
 しかしそれでも視線の先の相手は、まだ首を横に振った。まるで信じたくないように。
「……覚えがない。その人形に魔法を掛けた記憶などない。……あり得ないのだ。そんなものはあり得ない」
 頑なな姿勢に、スカッシュのほうはやや呆れた感すらあった。
「だが紛れもなく一致している。他の誰でもない、お前のものだ。それが嘘、偽りでないことは本人が最も分かるだろう。魔導を研鑽する者であればなおさらな……」
 スカッシュの言っていることは魔導の真理だった。存在が異なれば魔力も異なる。内在する魔力の質は各々違い、存在を唯一のものとして特定する。限りなく近いものがあったとしても、異なる存在の間に、完全に一致する魔力はない。それは魔導の資質を持つ者なら、たとえ教えられなくとも自ずと感づき、理解するもの。
「……」
「人形はここに二つある、それがこの場の事実だ。あり得ない話があり得る話になったなら、その理由を知らないままにして、後悔はないのか」
 黙して睨んでくる相手に淡々と、お前にとっては大事な品だろう、と言い放つ。
 タムタムにはよく分かる心境だが、スカッシュの言葉には隙がない。何かを返す緩い部分、隙間がない。だから押し黙ってしまうのだ。だからそこへすかさずリイムが出たのは、間を取り持つ必要があると察しての、彼らしい対応だった。
「僕たちがあなたに誠意を示せるのは、話すことだけです。僕たちが人形を持っているのも、ここにいる理由も……最初から話すことができます。彼女が先ほど言ったように、時間をもらえるのであれば……。まずは、聞いてもらえませんか?」
「……」
 それでもすぐには返事がなく、皆じっと待つ。男性が口を噤んでからの沈黙は少し長く、悩んでいるのは誰の目にも明らかだったが、やがて目を伏せ、嘆息するようにつぶやかれる。
「これは……夢か幻か……。一体、一体何が起こっているというのだ……」
 それから相手の視線が上がった。困惑以上に、諦めにすら思える眼差しを見返したタムタムは、自然と足を踏み出していた。
「これを……」
 側に行き、女の子の人形を差し出す。女の子は父親を探していたから。そうするべきだと思った。
 受け取った男性は、まじまじと見つめながらつぶやいた。
「娘の人形が二つ、か……。目の縫い付け方、顔の歪みや手足の長さの違いもまったく同じ。……だがやはり古いようだ、本当に。……あり得ないことが起きている。いや、あり得ないことが起こりすぎだ……」
 警戒する様子は、もう消えていた。溜息が聞え、懊悩に疲れきっている。静かな問いかけだった。
「まず聞かせてもらいたいのだが……娘は無事なのか」
「……」
 会って必ず聞かれる話であることは、理解していた。恐らく、真っ先に聞かれるだろうと思っていた。だからどう答えるものか、タムタムはずっと頭の片隅で考えていた。再度五番目の塔に突入した時から、今の今まで。しかし結局、考えが結論に行き着くことはなく、答えは空白のまま。
 その俯いた戸惑いが、相手の目にどう映るのか、分からないはずもなかった。
 失望の色を滲ませる。
「まさか、それも答えられないというのかね。全てを話すと言っておきながら、何なのだ……。君たちは本当に、私に会ってどうしたいのだ。何が起きているのか分からないが、君たちの意図も全く見えない」
 何故、答えられないか、答えが出てこないのか、タムタムは自問した。頭の中で次々と駆け巡っていったのは、思い出すのも何度目かになる、塔に入ってから起こった出来事。辛い、生々しく凄惨で、悲しいことがほとんどだったが――。
 タムタムは顔を上げた。
 はっきりと、笑いかけてくれた顔が浮かぶ。そして、これは幻という言葉も浮かぶ。
「ごめんなさい。言えません、それだけは。なぜならそれは……私たちがここで答えられることではないと思うから。その答えは……まだないんです、きっと」
 即変な顔をしたのは、相手ではなくミラクルだった。
「……は、うん? タムちゃん、それって俺も……あのね、どういう意味なんだか分かんないんだけど……なんで? だってあの嬢ちゃんは俺たちの前で……うごごっ」
 見上げてくる顔を見返したところで、ミラクルは口を無理やりに閉じた。強い視線を送ったので、条件反射なのだろう。また余計なことを口走って、怒られると悟ったようだ。
「よく考えて。あり得ないことが起こっているのよ。……思い出して。こうなる前も、そしてたぶんこの先も……。何が起こったか決められないのよ。……塔を出るまで、ずっと」
 そこで反応があった。
「塔、だと?」
 無駄なことを省き、大事なことを伝える。冷静であることに努め、頭の中を整理しながら、再び女の子の父親を見る。
 聞かされる側からすれば、とんでもない内容に違いないが、もう話しても大丈夫だと思った。
「ここに辿りついてあなたに会ったのは、運が良かったとか、偶然に起こったことではないんです。私たちはその人形に導かれて来ました。……ミラージュの塔に入って、ここに」
 ミラージュのくだりで見開かれる目。
 女の子から、父親は塔を調べる仕事をしていると聞いたのだから、それ以上の説明は不要のはず。それに五番目の塔の鍵を作ったのは、間違いなく目の前の人物だ。
「ミラージュの塔から……!? まさかそんなことが……。だがしかし、それなら……」
 タムタムは言葉を繋げた。
「人形が二つあることも否定できない……そうですよね」
 あり得ないことが起きていると理解した上でも、禁じえない驚きに襲われている。混乱を落ち着けようとしているが、普通に進まない話に思考がますます複雑になって、一向にまとまらないようだ。
「……。これは……本当に幻になるのか? 君たちが……いや、私のほうが……?」
 動揺によりさまよっていた視線が、再び合った。
「答えられないのだったな……。そうか……本当に幻の塔に入って来たと言うなら……。できないか……」
 深い溜息は、精神的な疲労が限界をこえたからだろうか。突然、視界全てに霧がかかってしまったら、途方に暮れるだろう。自分の存在も、相手の存在も、今見えているものも――何が真実で何が幻が、全く分からないのだから。お互いに。
「私は今……何を考えればいいのかも分からない……。だが、幻の中であったとしても、何かが起きていて、我々が出会ったことに意味があるとするなら……為すべきこともあるのだろう。だから聞かせてくれ。君たちはどうしたい? 私はどうすればいい?」
 しんとした僅かな間。タムタムは一度、意識して息を吸った。
 自分の気持ち、目的はずっと何一つ変わっていない。
「先ほども言いましたが……私たちはただ、あの子の父親を探すためにきました。塔にいると聞いて。そして……やっと出会えました。娘さん……お父さんが戻ってこないって、とても寂しがっていました。ずっとずっと……いい子で、約束を楽しみにして、待っているんです。だからどうか、あの子のところへ戻ってあげてください」
 相手は真摯に聞いてくれたが、困った様子で俯いた。そしてすぐに、首を横に振る。
「娘のところへ、か……。それは無理だ」
「何故ですか!」
 タムタムはショックを隠せなかった。声が震える。
 戸惑い、道を見失いかけながらも、ようやく出会えたのだ。苦難の末、やっと目的を打ち明けることができたというのに。ほとんど悩んだ様子もなく、短くはっきりと拒否が返ってくるとは思ってもいなかった。娘の小さな、だが心から望むひとつの願いを、父親が聞き届けないとは、まさか思っていなかった。
「どうして……!?」
 食い下がるように相手の顔を見れば、辛く、悲しそうな顔が上がった。
「聞いているだろうか……。私は軍籍の身だ。娘に会うには、軍を抜けて戻らなければならない。……無論、私も娘には会いたい。だがそれを言えば皆、家族に会いたいのは一緒なのだよ。今我々は……国の明暗を分ける作戦を遂行するため、進軍中だ。そんな個人の勝手が許されるはずがない。ことに師団の参謀長である私が……たとえどんな理由があろうとも……」
「そんな……」
 聞いて、タムタムは怒らせていた肩を落とすしかなかった。
 軍人でこそないが、自分も軍属の身だ。命令に従い、遂行することが軍人の務めであり規律。その責任が重く大きいことは理解できる。個人の意思が易々とまかり通ってしまえば、成り立たない。そういう職業だ。
「やっとあの子の願いを伝えられたのに……」
 本当にこれが、最後の最後だろう。ここに来て、まさかあの子の願いは叶うことがないのか。これからもずっと父親を待ち続けるのか。
 あまりにも悲しく哀れに思えて、タムタムは涙ぐみかけた。
「本当に、すまない。私の娘のために、君たちがここまで来てくれたことは感謝しきれない……。だが我々の目的は帝国のため、ひいては娘のため……。こればかりは……」
 続く断わりを聞いて、いたたまれなくなったか、顔を真っ赤にしたミラクルが飛び跳ねた。
「娘のためって、なあ……! おっちゃん! あんたの嬢ちゃんは……。あんたの奥さんだって……! 見たんだ、見たんだよ俺たちは……二人は……」
 今度はもう、その続きを口にするなとは言えなかった。だがミラクル自身も結局は、その先にある言葉の重みに口をわななかせ、続きを話せないでいた。
「二人は……? 娘が妻が、どうしたと言うのだ……! 私はそれが一番聞きたいのだ。君たちは何を見たと……教えてくれ!」
 切実な目が向けられる。
 言いたくない言葉だった。取り返しがつかなくなるような、二度と親子が会えなくなることを裏付けるような気がする。だが覚悟を決めて、命を賭して戦地に赴こうとしている軍であるのが知れた。先ほどの話を聞いた後に、なんとかして、どうしても戻るよう説得するのは、伝えた内容だけでは無理に思えた。身内なのだから伝えるべきかと、もうこれを言うしかないのかと、気持ちが揺らいだ。
「あなたの奥さんと娘さんは……」
「妻と娘は……?」
 それでも最後を言い出せずにいると、スカッシュが片手を上げて制してきた。
 何を言うのかと思えば――。それは今の流れでは、唐突で関係ない振り出しに聞えた。
「命運がかかっていると言うだけあって、軍の編成は大規模だな」
「……ここに帝国軍の七割……いや、錬度を考慮すれば八割の戦力が集結している。それが何だと……」
 訝しげな表情。それはタムタムも同じ気持ちで、彼の続きを待った。
「お前たちが自国を憂い、想うのであれば、一刻も早く全軍で戻ったほうがいい。お前の住居があるのは、都だな?」
「そうだが……」
 戸惑う相手に淡々と言って、スカッシュは横手を見た。
「リイム、まだあれを持っているだろう? 渡して見せてやれ」
「あれ? あ……うん、分かった」
 リイムは一瞬考えたが、すぐ意図していることが読めたようで、頷き返した。そして話の続きを待っている相手の側に行くと、握る何かを開いて前に差し出す。
 見たところ、鈍い色をした金属の小さな塊が二つあった、形が異なっている。
 タムタムは今ようやく形を見たが、あの時――訳も分からず、武装した男たちから逃げていた時、僅かな休憩を取った間にスカッシュがリイムに渡していたもののようだ。
「これを見てください。少なくとも一つは……ご存知だと思いますが」
「これは……。確かに一つは知っている……もう一つも……知っている……」
 受け取りながら口にする言葉が、僅かに震えていた。顔は険しく、明らかに悪い予感を浮かべて。
「どういう……ことだろうか」
 他に何も言わず、ただ深刻な様子で尋ねてきたのは、考えたくないことがあるためなのか。
「僕たちは、事情を全く知り得ないのですが……見て遭遇したことを話します。帝都……と呼べばいいのでしょうか。あの子にあった大きな街は、火を放たれ生存者も見つからず……ほぼ、壊滅状態でした」
「そ……そんな、馬鹿な! そんな話が……! 壊滅状態だと……で、では残った者は……そうだ、陛下、帝は……っ!?」
 当然と言えば当然に。取り乱す相手を前にして、リイムはただ静かに続けた。
「すみません、それは分かりません……。話を続けますが、僕たちは街に来て、すぐに武装した集団に襲われました。統一された装備から、賊やならず者の類ではなく、軍属の兵士だと思いますが、一つはその相手がつけていたものです。街に火を放っていたのも……。そしてもう一つは……燃える街の中で絶命していた、街を守る側の……やはり兵士のものだと思いました」
 聞き終わらないうちから、その表情には激しい怒りと悲しみが表れた。
「なんということだ……! 三百年に渡る同盟国を裏切るのというのか……! 公家の不穏な噂は事実だったということか……! やはりこの作戦、急ぐべきではなかった……! 帝都が落ちたとすれば……我らにはもはや……」
 肩を震わせて、慟哭を必死に抑えようとしていた。
 だが、タムタムは待たなかった。きっとそうする必要はない。それよりも側に行って急かす。
「戻って……どうか、戻ってください! とにかく早く!」
「戻る……? 私の知る街は……もうないのだろう。我々が守ろうとしたものはもう……。敵が知れたなら、陛下のご無事も望めそうにない……。終わりだ、帝国は終わってしまった……」
 うな垂れた表情はそれ以上、上がらない。顔を片手で覆う仕草を見せる相手に、タムタムは苛立ちすら覚えた。諦めるのはまだ早いのだと、その強すぎる気持ちが頭に昇っているのか。
「忘れたんですか。私たちはミラージュの塔から、ここへ来たんです……! あり得ないことが起こっているって……起こりすぎだって、あなたも言いましたよね」
 気持ちばかりをぶつけて、説明が上手く出来ていないと思えば、リイムが隣で微笑み、小さく頷いてくれた。
「僕たちは、僕たちが街にいた時が何日で……そしてあなたに会っている今がいつなのかを、知りません。僕たちは一度、あなたを探す手段が見つからず、途方に暮れました。でもあなたを想い、会いたいと願うあの子の人形によって、道が開かれたんです。あなたに会えたんです……。だから……これで終わりとは思えません。僕はあの子を信じていますから……みんなも」
 スカッシュは、小さく溜息をついたようだった。
「この陣営があの帝都からどれだけ距離があるか、お前たちにどのような伝達手段があるか知らないが……。陥落したとしても、その前に誰かが、なんとしてでもお前たちに襲われたことを伝えようとするだろう。その知らせがいまだないのであれば、望みはあるかもしれない……」
 二人の話も聞いて、女の子の父親はようやく顔を上げた。そこには既に悲壮感はなく、曇りも打ち払われている。
「我々が会ったこの今が、帝都が襲われる前の可能性がある……?」
 つぶやくたびに、声は力強さを増した。
「もし……もしもそうであれば……魔法ですぐに連絡はつく。向こうもそれはよく分かっている……帝都に不意打ちをかけるなら、軍が戻れない距離まで進軍してから実行するはず。相手が分かっているのであれば、今から情報を送って動向を探り、出方によっては動きを封じることもできるかもしれない……」
 思慮深い眼差しがこちらを見る。僅かに滲んでいた涙が、今は希望の強い輝きになっていた。
「……ありがとう。諦めるのは早いようだ。これから帝都に連絡をつけ、戻る手筈を整える。向こうとて裏切りの準備は必要だからな……探れば証拠も掴めるだろう。急がなければ……一日、いや一時間でも早く……」
 つぶやきながら、何か気づいたのか、少しだけ笑う。苦笑いか。
「そうだ。お礼をしたいが、帝都に戻らなければそれもできないとは……」
 タムタムも笑い返しながら、首を横に振った。
「いえ、いいんです。そんなこと気にしないでください。私たちはあの子が父親に……あなたに会えればいいと思っただけですから。それが叶うなら十分です。だから私たちのことより、今はとにかく早く、戻ってあげてください」
 相手は一度、頭を下げた。
「失礼だとは思うが、私も気持ちとしては早く、今すぐにでも戻りたい。……本当に、感謝する。ありがとう」
 そして向きを変えると、テントの出口に数歩ほど足を進めたが、すぐに立ち止まった。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか……」
 振り向いての問いではなかったが、視線が向けられているのは自分のような気がして、タムタムは応じた。
「何でしょうか?」
「君たちは……。娘のために、たった一人の子供のために、大変な目にあったようだ。塔に入ったのだから、そもそも全てが幻かもしれないというのに……なぜそこまでして関わろうと?」
「……?」
 しかし、タムタムはどう答えていいのか、分からなかった。それに、わざわざ問われることなのかと。
「何故って……。困っている女の子がたまたまいて、助けてあげようと思っただけで……。それがここまで大事になるとは、思っていませんでしたけど。……何か変でしょうか?」
 リイムにも視線を送ってみたが、彼も小首を傾げただけだ。見ればモーもーも首を横に振っているし、ミラクルは違和感があるほど激しく動いているので、直視しなくても分かる。
 結果として苦労したことは否定しないが、そんなことを考えて行動していれば、何も出来ないし、助けることなどできないだろうと。
 ただスカッシュだけが、どういうことか、また溜息をついたようだった。しかもかなり露骨で大きい。
「……ただの趣味だ」
「は?」
 それには思わず声を上げて、タムタムは見た。
 疲れたような、嫌そうな顔だった、彼は。
「……自己満足で困っている相手を助けたがる。そのためには迷いがない。大事も小事もない。好きでやっていることだから、見返りも求めない。当然、自分の苦労は頭にない。人助けは考えるよりも先に体が動くからな。これで現実か幻か……そんなことを気にする思考を持ち合わせているはずがない。単純そうだが、かなりの難儀な連中だ……」
 しかし聞いていて、タムタムは少し癪に障るというか、徐々にムカムカしてきた。睨む。
「ちょっとその言い方……褒めてるわけ?」
「まさか……」
 呆れた様子を誤魔化しもせず。
 その時――今まで緊張を強いられていたからだろうか、タムタムの中で音が聞こえた気がした。心の中の我慢という堤防が、一気に決壊した音が。
「……ひっどい! なに、何なのよ!? こんな時にどうしてそんなこと言えるわけ……!? 大体、あなただって今は勇者軍でしょう!? ――リイム! そこ笑うところじゃないんだからね! もちろん聞いてたでしょ!? 好き勝手なこと言われてるのよ!? ちょっとミラクル、あなたどうしてこういう時は口出さないで黙ってるの! いつもは黙って欲しい時でもしゃべってるでしょ! モーモーも、言いたいことがあったら遠慮しないで、言ってもいいのよ!」
 みんなは妙に引き気味で。
「いや僕は……いつもどおりでいいかなと思って。ここまで大変だったし……そんな余裕なかったから。ちょっとほっとできたというか……」
「お、俺? だって、こういう時にしゃべりすぎると、タムちゃんいつもぷんぷん怒る……じゃん? 花びら抜いちゃうじゃんじゃん?」
「いや別にないぜ……? 大体、わざと黙ってるわけじゃないモー……。言える時は言ってるつもりなんだがな……。それに、俺は考えるより身体を動かすほうが向いてるんだよ。話はみんなで決めてくれて、特に文句ねえし……」
 返答にタムタムは嘆いた。みんな人が良すぎるのだ。信頼のおける仲間だが、疑うということもなかなかしない。リイムは考えないわけではないが、良い方向に捉えようとするし。鈍いところがないとは言い切れないほど。
「あ〜〜もうっ!」
 リイムの目を見る、モーモーの目を見る。二人とも何故か視線が揺らぎ、気後れしているような気もするが。
「おかしいわよ……どうしてみんな気づかないの? これがいつもどおりってどういうことなのよ? みんなで決めた話でもないし、この人、褒めてないって今言ったじゃない。皮肉よ皮肉! ねえ、それでいいの? ――良くないでしょ! って……今まで私、花びら抜いたことなんてないじゃない。何かあると人聞きの悪いこと言うんだから!」
 そしてミラクルを睨む。
 すると飛び上がったと思えば、目を逸らすようにくるりと向きを変えた。
 小さくぼそぼそと口が動く。
「でも引っ張っられたことはあるし……」
「――何かしら、声が小さいけど」
 聞き返すと、ミラクルは半回転してまた向きを変えた。
「あやややっ! いややぁ、タムちゃん、俺はしっかり奴に物申すことがあるので、言わせていただきまぁーす! ……はい!」
 スカッシュに顔を突き出して。
「やいやいスカ……! 聞けよ!? 最高に酷いお人よしだって、お前長々冗長と言ってくれたが、俺様は違うぜ!? だって俺がついてきたのは、タムちゃんにいいところ見せるためだしな! そうじゃなきゃ女子率低すぎな勇者軍なんかについてこねーし! こうなったのは成り行きだし!」
 どういう自信なのか、強気なヒマワリの顔に。
「お前は数に入れていない……」
 絡まれて迷惑そうな、酷く嫌そうなそのつぶやき。
 ミラクルは一瞬呆けたようだったが、絶句に変わる。凍りついたのだろうか。ただそれも数秒のことで、口が一際大きく開けば、いつも以上の酷さだったが。
「や……ヤロォ……。何を言うかと思ったら……聞いただろみんなっ!? 一緒に何度も困難を乗り越えてきた俺が中に含まれてないって……これがこいつの本性だぞ! なんて薄情な……冷酷な奴だよ!」
「……お前は客分で、勇者軍じゃないだろう」
「ハァ、なにそれ? 自分は訳ありでも曲りなりに勇者軍だけど、お前は完全に違うよな〜って言いたいわけ!? それ自慢、それ嫌味!? すっげー感じ悪い!」
 こうなると非常にうるさい。スカッシュは相手が面倒になったのか、溜息だけついて黙ってしまう。放っておけばミラクルだけがひたすら喚き続けるだろう。しかしそれよりも、先ほどの話は少し聞き捨てならない。
「――いけしゃあしゃあと、よく当お花を前にして言ってくれるよな! なぁ酷いだろ、タムちゃんもそう思わな……ぁ」
 タムタムはミラクルの背後に立って、花びらを一枚つまんだ。こうすると大人しくなる。
「はいはい。そんなことより、さっき言ったことはまた何かしらね。よく恥ずかしげもなく堂々とみんなの前で言えたわね。あれが、今まで私たちにくっついてきた理由なわけ……」
「い、いえ、いいえ……! 断じてそれだけということではなくですね! もちろん人助けも含まれておりますともっ。だって幸せ振りまくのが生きがいですから! でも、でもね……ほら、俺だってちょっぴり邪まな心だってあるわけですよ。好きな子と一緒にいたいし、ちょっといいカッコ見せたいって思うの、おかしいですかっ? よく見られたいって普通じゃないですかね……。大体、俺が叱られるなら、スカも叱っていいと思うんですが……なんか凄く部外者ヅラしてるし……タムちゃんだって怒ってたじゃん……イデデデデデッ!!!」
 一度強く引っ張って、花びらをつまんでいた手を離した。
「ろくでもない理由で、勝手気ままについて来てるあなたが言わないの。本来は、理由もなく部外者を連れて行動したらいけないんだからね。リイムが優しいから、同行は駄目だって言わないだけで」
 だがミラクルの言うことも一理ある。危うく話がそれて、このままうやむやになってしまうところだった。
「でも、そうね……いつの間にか素知らぬ顔をしてるけど、あんなに好き放題言ってくれて、このまま済むと思ってる?」
「ううう……やっぱり引っ張るしぃ……」
 側の呻きは無視し、スカッシュを再び睨みつけると、相手は感づいたようだが、向けられたのはミラクルを見ていたそのままの――呆れた眼差しだった。まだ続けるのかと言いたいのか。
「どこかが違っていたか? お前たちが好き好んで首を突っ込み、打算なしで動いているのは事実だろうに」
「それは……まあ、ええと、客観的に見たらそうなるのかも……だけど。いや、でもそうじゃなくって……! 言いようってものがあるじゃない!?」
 わざわざ人を怒らせるような言い方をするのが、気に入らないのだと。それが分からない相手ではないのに、何故そうするのかと、問う。
 しかし、見下ろす視線を逸らすこともなく何か思案したらしいスカッシュが、一拍置いた後口にした言葉には、何を言ったのかと耳を疑った。
「……分かった。なら、上手く言えない俺に代わって、どんな言い方をすれば角が立たないのか聞かせてもらおうか」
「――は!?」
 思わず見返した先では、小さな溜息が吐かれたところだった。
「……それだけ気に入らないと怒るなら、納得できる言い方があるんだろう。だが残念ながら、俺には分からないな」
 頭にきていたが、聞いたとたん返す言葉も出ないどころか、突然大量の水を顔面にかけられたような気分になった。びっくりして、視線も泳ぐ。
「ど、どんな言い方をすれば納得するかって……それは……」
 考えようとしたが、それは、考えられなかった。その時点で気づいた。切り返されていると。
 そして気まずい雰囲気の周囲から、声がかかることはない。
 程なく見返してくるその目は、隠す必要もない哀れみなのか。
「言えないのか……いや、言えるのか。他人事ならともかく……そもそも人助けに理由を必要としないお前たちが……お前が、それを自分自身で語れるなら、聞いてみたいものだが」
 スカッシュが言った内容を言い換える――。たったそれだけのようで、実際はとんでもない話だった。
「んんんっ……」
 スカッシュは自分で述べたが、彼は他人事として話しているから言えたこと。自分が皆の前で言い直すというのは、完全に別。話すとなれば、自分で自分を語ることになってしまう。それになにより、助けることに理由などない。必要ない。言い直すとなると理由を作り、語ることにもなってしまう。ナルシストでもなければできそうもない。
 相手の言う通り。
「――っ!!!」
 またしてもやられたと思った。相手の表情はまったく動かず固定されたまま。先を促してくることはないものの、内心は笑っているのではないか。
「んんーっ!」
 吐き出すものがないためか、昇ってくる熱が溜まっていく。冷ややかな無表情を睨めば睨むほど。
 しかし、そこで間にリイムが割って入ってきた。彼にしては珍しく、妙に焦った顔色で。
「タムタム……! ええと、スカッシュも別に悪い事だとは言わなかったし……わざわざ言い直さなくてもいいんじゃないかな。それにほら、さすがにそろそろ、ね……」
 彼が誰に対して焦ったのか、気まずいと思ったのか。ずらした視線を何気なく追った先で、タムタムは硬直した。
「……きっともう、言葉にしなくても伝わっていると思うよ、なんとなく」
 耳打ちでそうつぶやいたリイムは、隣で苦笑しているようだが、前を見た今、逸らして彼のほうを向くことはできなかった。
 数歩離れた先で、今や完全に振り返ってこちらを眺めている顔があるのだ。置いてけぼりだろう。流れについていけなくて、少し呆けたような顔が。
 ――本当に少しの間だが、存在を忘れていた。
「す、すみませんすみませんっ! 急いでいるのに、私たち……」
 今度は羞恥心が顔を火照らせる。隠すように頭を二度三度と下げた。
「たち……って、え? その中、まさか俺入ってないよねっ!?」
 後方から何か聞えてきたが、さすがにここで怒れない。
 熱いが凍りつく。怒り焦り、恥じて詫びる。上がり下がりの感情に翻弄されるまま、頭の中はもうパニックになっていて、くらくらと眩暈がしてきた。
 そんな自分を見てのことか、前から小さな含み笑いが聞えた。我慢しようとしたが漏れてしまった様子で、僅かだけ眉間に皺を寄せて。
「ああ……。そこの彼が今言ったとおり、分かったような気がする……」
 流れに便乗するように、スカッシュが小さく溜息をついた。
「助けられる者を助けるだけ。困っている者を助けたいと思うだけだ。……こいつらはな」
「なっ!?」
 上手く言えないなどと言っておきながら――言えるではないかと、タムタムは声を上げて睨らもうとしたが、そんな雰囲気ではなかったため、一言の呻きで終わった。
「ふむ、他意はない、か……」
 笑い声と共に、視線を一巡させる。
「なるほど……口にする相手が相手だけに、納得もできる」
 いつの間にか、スカッシュを見るときの敵意すらあった眼差しが失せていた。そしてリーダーはリイムと判断したか、最後に彼のほうを向く。  「それにしても君たちは、ずいぶんと打ち解けているのだな」
「仲間ですから」
 笑顔のリイムの即答には、どこか寂しそうな、羨望の眼差しが返った。
「仲間……。違う種族でありながら、絆で繋がっている、か。人間同士でありながら戦っている我々には信じ難いが、間違いないのだろうな……」
 つぶやきがそこで止まったのは、何かに気づいたためか。重要であるのか、やや強い調子で聞いてきた。
「時に君たちは、どの塔に入った? 幻影の塔に入って私の元へやって来たと言ったが……」
 何故そんなことを尋ねてくるのか――。タムタムがまず疑問を感じた時に、戸惑いもなく返答したのはスカッシュだった。
「分かりきったことだ。鍵である人形に導かれて来たと、話したのだから」
 女の子の父親は、答えた彼を数秒ほど見つめたが、ほどなくつぶやいた。感慨深く、かみ締めるように。
「そうか……」
 それから再び背を向けて僅かに仰ぎ、息を吐いたのか。その姿は先ほどより、ずいぶんと強張りが解れていた。
「本当に、得心がいったよ。君たちどこから来たのか……。人間に、魔物……獣人に精霊、初めて見たが魔族まで共にいるなど……」
 第五の塔から来たという答えだけで、一体どれだけのことが分かったのだろう。不思議に思い、タムタムは口に出していた。
「……分かるんですか?」
 僅かな間があったのは、再び微笑んだのかもしれなかった。その時には、再び背を向けていたが。
「きっと、彼の地から来たのだな……。幻ではなく……」
 返答としての声だったのか――とても小さなつぶやきだった。誰かが話していたら聞き取れないほどの。
「……」
 タムタムは黙って背中だけを見ていた。相手に答えるつもりがあったのかも分からない。特に浮かぶ言葉もなかったが、声をかけられないことによる焦りが生じることもなかった。そして他の誰もが同様であるのか、静かなだけの沈黙が揃った。
「では、これから急ぎ手筈を整えるから、一旦失礼するよ。君たちのことは上手く言っておくから、心配は無用だ。……また後ほど会おう」
 見るからに軽くなった肩を揺らし、ゆっくりと踏み出した音、衣擦れの音が遠ざかる。
 ここに何も迷いを残すことはないのだろう。もう一切振り返ることはなく、誰の返事も待たずに、その姿はよどみなくテントから消えて行った。

 そこに後を引く感情はなく、ずっと胸にあった息苦しさ、不安という重みも今は綺麗に失せていた。しばらく前まで騒いでいたはずの場の空気は嘘のよう。深更らしく静まり返ってすっかり冷めて、何もないと思った場所に取り残された寂しさと、忘れた肌寒さがやってくる。
 足元からくる冷えのためだろう。タムタムは何気なく両腕を抱え込んでいた。探していた女の子の父親が、去っていったテントの出口を見たまま。
 少し前までそう抱えていた形は、もうない。
「二人とも……行っちゃったわね……」
 意識もせずつぶやく。ただ声に反応してか、皆が微かに動いたのは空気で分かる。
 近くの足元にいたミラクルの大きな口が、ようやく一度閉じるのは見えた。無意識とはいえ、息苦しさがあったのだろう。すぐにパクパクと、おしゃべりを始める。
「でさ、でさ、これからどーすんの……? 俺たちゃなにすりゃいーわけ?」
 見上げて葉っぱをばたつかせるが、タムタムは見返しても答えることができなかった。
 その横を、スカッシュが無言で通り過ぎた。
「あ……こらスカ! お前勝手にどこ行こうってんだよ!」
 ミラクルの呼びかけに、スカッシュはそちらを見ることはしないものの、足だけは止めた。
「ここに残っている意味はもうないだろう。出口はひとつだけだ」
 ミラクルは渋い顔をするが、はねつけるだけの意見もないためか、口をへの字に曲げながらリイムに振った。
「うーむむ……。確かにここにいてもすることはねぇわなぁ。また会おうって言ったものの、別に待っててくれとは言われなかったし。――おおい、リイム?」
「そうだね……行こうか。まだ終わりじゃない気がする」
 この場でやるべきことは終わったと。呼ばれて頷いた後、リイムも迷わず足を進めた。僅差でモーモーが続き、スカッシュは止まっていた場所から再び歩き出し、彼らを追ってタムタムも前に出た。最後にしぶしぶと、ミラクルが跳ねてついてくる。
 テントを出るまでに何かの兆しも予感もなく、始めからずっとそこにある出口から、やや重く厚い布地を少し持ち上げて出て行く。先に行くスカッシュやリイムの足取りに淀みはなく、タムタムも普通にそこを潜って越える。
 踏み出した前は、確かに開けたと感じたはずが、深夜というにはあまりにも暗かった。星もなく明かりもなく、他の何かが一切見当たらず。
「あれっ……」
 真っ黒だった。前にいるはずの彼らも見えない完全な。
 またも闇の只中なのだと気づくや否や、一瞬にしてそれが真っ白になって、タムタムは思わず眩しさから手をかざし、立ち止まった。

「……れ?」
 そして、聴こえた、見えた――。
 明るい声がある。走り、歩く、人の姿がある。
 気が付けば、どこかで見覚えがある景色が見えていた。薄暗くなく、形を持った色があり、胸を満たす風の香りがある。広い道に沿って整然とした街並が見える。青い空が広がり、映える白い雲も、眩しい太陽も見える。夜ではなく昼間だ。
「明るい……」
 あの間に何があったのだろう。暗闇は瞬時のことだったのか、それとも気を失った時間が僅かでもあったのか。全く分からないが、覚えているのは先ほどまでテントにいたはずという思いだけだった。しかし振り返ったところで、そのテントは陰も形もない。
 驚きはいまさらなかった。もう何度も起きたことだと、変化を受け入れる。
「今度は……どこ?」
 つぶやくと、前にいるリイムとスカッシュがこちらを振り返った。モーモーは辺りを見回しており、残りのミラクルは隣にいたが、花びらも葉っぱも張りがなく、茎は曲がり開いた口はだらしなく、かなり疲弊している様子だった。
「まぁーた場所が変わったかよぉ……。ころころと、いい加減にしてくれよなぁ」
「でも、変わったと言うより……戻ってきたのかな」
 もううんざりだというミラクルに答えたリイムの声。タムタムは下を見ていたのをやめ、彼の方を向いた。声に少しだけ迷いがあったから。
 戻ってきた――。その言葉にタムタムが真っ先に浮かべたのは、ライナークのことだったが、この景色は自分の知るそれとは違う。ここは幻影の村ではない。だからモーモーが先ほどしていたように、自分も周りを見回した。
 知っているものは近くにあった。背後に続く道の先には高い塔。見た目の形状は同じだが、ある程度離れて聳え立つ四塔。五番目の塔を現す鍵は既にないから当然か。ミラージュの塔だ。
「帝……都?」
 塔を内包するこの街が、そう呼ばれていたのを思い出す。しかしそれでも違和感がある。
「でも……」
 確かに覚えがある。だが記憶とは異なっている。
 並んでいる建物は破壊された跡がない。それにどこにも火の手は上がっておらず、あれだけ空を汚し、気分を酷く悪くさせた煙も異臭もない。冷たくなった亡骸が無造作に転がっていることもなければ、襲ってきた男たちの気配も、少なくともこの付近にはなさそうだ。
 同じであって違う街。
 リイムが何故迷っていたのか理由が分かって、彼を見返す。
「ここはあの街じゃないの?」
「帝都と呼ばれる街なのは、間違いなさそうだけどね……」
 彼は再び周囲を見た。だが、自分だけの視点と感想では判断できかねると思ったのだろう。スカッシュとモーモーのほうを向いて、話しかけた。
「何か、分かったことがあるかな?」
 リイムを向くモーモーが、自分の耳を動かして指差した。
「……大勢の声だと思うんだが、この道のずっと向こうから、風に流れて聞える気がするモー」
 その後、スカッシュが向きを変えた。彼の視線の先は道行く人々。
「見かける通行人の行動だが……今のところ、一様に同じ方向からやってきて、モーモーが言った先に向かおうとしているようだ」
 説明に添えるように、視線を移ろわせる。
 合わせ、タムタムも街を通り抜ける広い街路の端から端まで一通り、調べるつもりで見てみた。
「みんな同じところへ?」
 老若男女、ばらばらで普通の住民に見える姿は、いくつかあるだろう路地や並ぶ家屋からではなく、大きな街路のあちら側から向こう側へ――。なるほど、同じ経路を辿っている。駆け足の者もいたが、追われているのではなさそうだ。何より、表情は明るい。
「どういうことかしら」
 つぶやきにつぶやきを返してきたのは、リイムだった。
「もし、あの後……だとしたら?」
 人の流れを見ていたスカッシュが、またこちらを向いた。少し間があったのは、彼もまた考えあぐねているためか。
 時間は自分たちにおいて、正常に流れていないのだ。違う幻を行き来しているのだとしたら、そこに繋がりはあるのか。塔に入ってから幾度も場所が変わり、情景が時刻が変わっている。予測が成り立つ状況なのかどうかもあやしい。
 それでもタムタムは黙って待った。分かるのは、まだ幻影の塔を出ていないということ。第五の塔に入ってから目の前に現れ、身の上に起こる出来事には意味があり、導いてくれた女の子の人形がなくなった今も、まだ続いていると思っている。だからリイムは仮定したのだろう。彼の言ったあの後とは、女の子の父親と話した、後のことだ。だからスカッシュは、問われた以上答えるだろう。あの後に起こるかもしれない出来事を。
「……ここが統治された国家で、攻められることに事前に気づけたなら、自分たちの街を戦場にすることも、一般市民を巻き込むことも避けたいと思うだろう。すべて上手くいったと仮定するなら……念のために住民を避難させて、違う場所で敵を迎えうつことができたのかもしれない」
 リイムは小さく頷いた。
「避難していた人たちが、戻ってきたのかもしれないね……」
 そこで芽吹くように、縮んだミラクルが突然伸び上がり様に飛び上がった。
「じゃあ、じゃあ? それって勝ったんじゃねえ? だって、勝ちしかないじゃんな!? あのぶっそうな奴らもいねーし!」
 敗戦しながら、人々が普通に街へ戻ってくることは考えにくい。何より、物々しい雰囲気もなければ、街を行く人々に悲壮感もない。
「そうなら、助かったってことよね……」
 タムタムは本当に間違いないかと、通っていく人々をよく見た。足取りもゆっくりで、話しながら歩く老夫婦らしき姿もあれば、子供数人の集団が、じゃれあい騒ぎながら駆け抜けていく。そして小さな女の子一人が、母親らしき女性と手を繋いだまま走り出そうとして、引っ張る姿もある。
 そこにふっと脳裏に浮かんだ、二人の姿が重なった。
「あの子も、あの子のお母さんも……」
 口にしたのは無意識だったが、自分で気づく前に、ミラクルが大口で騒ぎ出した。
「あ〜、そーじゃん。ここが襲われてないんだもんな。そうだそうだ! やったじゃん!」
 ゆっくり、頭の中で順を追って考えていたらしいモーモーが、頷いた。
「見たあの街は襲われなかった……ってことにしてだ。俺たちはこれから、ここで、どうすればいいんだモー?」
「どうってそりゃモーモーよぉ、考えるまでもないじゃん! あの家に行って確認するんだろ! 二人をさ!」
 当然とばかりにミラクルが勢いよく返したが、その後になったスカッシュは違う意見だった。
「街の確認が先決だろう。人の流れがあるなら、その先に行けば分かることがあるかもしれない」
 ミラクルは不満をあらわにして花びらをざわつかせ、声を大きくした。
「はぁ、何だって? 別にそんなの後でもいいだろ! だって俺たちゃあ、あの子のために塔に入ったも同然なんだぜ? 真っ先に確認するならそっちだろ! 無事かどうか、気になるだろが! ……だよな?」
 同意を求めるミラクルに、一同の沈黙が揃う。
 予想外の反応だったか、ミラクルは見上げて一瞬鼻白む。しかし、すぐに頷きながら再び口を動かした。わざとらしく笑って。
「えっ……ハハ、なんでそこで黙っちゃうわけ? ……ははぁ、家がどこにあったか忘れたってことだな? まったくしょうがねーなお前ら! つっても、俺もどこら辺だったか覚えちゃいねーがな! ワハハ! でも心配ないって! 結構立派な家だったから、探せばたぶん分かるだろ!」
 スカッシュは無表情でミラクルを一瞥しただけだったが、困った顔になったのはリイムだった。
「そういうことじゃないんだ……。あの家の場所は、塔の配置と方向から考えれば大体分かるよ」
「ふうん? じゃあ……?」
「さっき話したことは、あくまでも憶測だからね。二人の安否はとても気になるけれど、この街が前見た街とどう違うのか……見た目以外の何が変わっていて、何が起こっているのか。確認することがまず一番だと思う。本当に、あの後の街なのか……」
「ははい……?」
 リイムを見上げるミラクルの口が、半開きになった。理解できないと、怪訝そうに。
「いやでも……それって二人に会っても分かることじゃ? あの後だったとしたらさぁ、無事でいるはずだから! 直接、話だって聞けるじゃん?」
 やはり気になるのだろう。食い下がるミラクルに、リイムは言葉を選んでいるようだった。
「もし、本当にあの後の街だとして、スカッシュが言ったように上手く進んだとしたら……二人も避難していて、あの家には誰もいないかもしれないし、そうだった場合……あの子は軽くない病を患っているみたいだから、すぐ戻ることが可能なのかも、ちょっと分からないよね」
 リーダーのリイムの意向は変わらない。自信がなくなってきたのか、ミラクルは口をもごもごと、それでも話しにくそうに動かす。
「……でも、でもさぁ? それって、行ってみないと分かんない……じゃん? それに、こうは考えられねーかなぁ? 逆にあの子が病気だから、危険は承知で避難しなかったってことも……」
 心配して会いに行きたいのが伝わるためか、リイムは微笑んだ。少し寂しそうに。
「確かにその可能性も、あるかもしれないね。でも、避難したとかしてないとかじゃなくて……会いにいっても、戸惑うかもしれないし」
 リイムの述べた内容に、タムタムは思わず胸に手を当てた。切なくなるのを、抑えるため。
 そして彼を見るミラクルの口は、どんどんだらしなく、大きく開いていく。しかしそこからあのうるさくて仕方ない声は一言も出てこない。ただぷるぷると、小刻みに震えるだけ。汗が浮かびそうな感じで。
「会いに行って、戸惑うかもって……? は、なんだよそれ……」
 やがて聞えたのは、スカッシュの小さな溜息だった。
「俺たちが前の街で、あの母子と遭遇したのは死に際のことだった。それがこの街では無事で、生きているとしたら、いつ出会ったことになると思う」
「……なんだってっ」
 ミラクルの口がわなないた。答えられず、混乱している。しかし言わんとすることには気づき始めている。
 いつ会ったか――。その答えはない。襲われた様子もないこの街では、答えられない。
 タムタムもつい先ほど気づいた。街が違う、変わっているということには先に気づいたが、まだ理解が足りなかった。人も、違っているかもしれないということに。その時起こることが変わっていれば、どうなるか。前に見た街と、今いる街は確かに違っているのだ。状況が変わったからだとすれば、二人と自分たちの出会いはどうなるだろう。この街では会ったことになっているのか。
 リイムもスカッシュも、おそらく出会っていないと考えている。
「なんなん、なん……?」
 理解したことで、辛うじて搾り出した呻きか。がっくりと頭を下げたミラクル。
 モーモーはその相手を見下ろしながら、考えるのが苦しそうに言った。
「俺には……分からねぇ話だモー。でも、スカッシュの言ってることには答えられねぇよ」
「うん。僕たちと会った時のことが、この街は起こってないとすればね……」
 少し言いにくそうなリイム。少なからずショックがあるミラクルを見ているからだろう。
 タムタムも心境は同じだった。気づいたとき、心が平常で何も感じなかったとは言わない。寂しさがなかったとは言わない。それでも穏やかになれた。人の息吹のある街の様子を見れば。あの母と幼子が戦禍を免れているのなら。
「でも……無事だったらいいわよね」
 ふっとぶつやいていて、リイムがモーモーが、そしてくしゃくしゃな顔のミラクルが見てきた。
「そうだね」
 リイムが微笑んだ。同意を得られたためか、それとも彼の優しさに触れてのことか、塔に入ってから積もるように、折り重ねるように溜め込んで、晴れることがなかった気持ちもようやく開放していいのだと、自然と笑みを浮かべることができた。
「それで……いいわよね。あの子とお母さんが無事で、お父さんと会えたら……」
 目的は子供の父親探しだった。それでいいのだ。
 リイムから受け取った微笑を渡すように、タムタムはしょげているミラクルを見た。人間で言う鼻はないのだが、何故かそれをすする仕草が返った。
「ま……そーだなぁ……」
 そう言ったあと頭を一度揺らしたミラクルは、いつもの春を振りまいているような、どこか能天気に思える表情に戻っていた。
「でも、早いだろ言うのは! まだ決まってないんだからさ! さっさと確認しに行こうぜ〜。あの子が本当にあのおっちゃんと会えてるのかさ……ここで話してても何も分からんしな」
 見下ろす皆の間を抜けて、進みだす。その先は、一見普通の街並、人々が歩む道。さらにその先を確かめるために。
 深呼吸か溜息か、モーモーが大きな息を吐いた。
「やれやれ。勝手について来て意地張って。分からねぇなら、そう言えば済むことなのにな。まったく、面倒くさい奴だモー」
 苦笑を覗かせながら、それでも歩き出す。そこで話は決まった。
 だから誰も返さないまま、ずいぶんと軽くなった足取りでばらばらと動き出し、少し先で飛び跳ねながら待つミラクルを追いかける。
 そして、皆で話している間に、街に変化があったのだろう。人々の進む先ということもあるのだろうが、感じる空気が変わってきた。賑わいの波だろうか。おそらく、モーモーが言っていた大勢の声。誰もがそれに気づいて、進む足も徐々に速まる。それは向こうからも近づいているようで、うねりはどんどん近づき、大きさを増していく。やがて、はっきりと人々の歓声が判別できるようになったのは、何度か街路を曲がった後だった。街の構造が分からないため、どこであるか不明だが、いつしか開けた広い通りに出る。街並だった視界も大きく変わった。
 やはり大勢の人がそこに集まっていた。
「うおっ、なんだなんだっ? 何でみんな集まってんだ? お祭りか?」
 先頭を切って進んでいたミラクルが止まる。人の数と声に気圧されたのだろう。タムタムも声こそ上げなかったものの、やはり足を止めていた。
「何が起こっているの?」
 そのままでは大勢の人の姿で見えにくいため、波を掻き分けて進み、もっと先へ行く。なんとか厚い層の前面へ出ると、隊列を組みゆっくり行進している、統一された武装の集団が見えた。
「兵隊……さん」
 集まった人々は両端に分かれ、彼らへ向けて手を振ったり叫んだり、大きな歓喜を向けている。また彼らも沸きあがる盛大な声の中、黙々とは歩いておらず、軍旗、武器や拳を掲げるなど応えていた。
「……凱旋パレードだな」
 頭に思い浮かんだ言葉を、スカッシュが後方から口にした。
 街の人々の行動は、戦いに勝利し、戻ってきた者たちをねぎらい、迎えるためだった。それで納得がいく。
「これって、勝って帰って来たのよね」
 他に考えようもないが、塔の中で起こってきたことを考えると、どうしても自分一人の思いでは不安になってしまい、誰かの同意を求めてしまう。
 ふと見た先で頷いたリイム。
「帝都が襲われなかった……ということは、やっぱり話した通りになっているのかな」
 目の前を過ぎていく軍の凱旋を眺めながら、彼は彼で、あの後であるかどうか、まだ決め付けていない様子だった。タムタムが自分だけで確信できないのと同じことであり、また別の何か、決定付ける事柄を探しているのだろう。しかしそれは意外なほどあっさりと見つかった。
 探すまでもなく、向こうからやってきたのだ。
「――君たち!」
 にぎやかな声に紛れそうだったが、聞えた。そしてなお続いて行進する軍隊の列から、一人の人影が抜けるのが見える。深緑のローブ姿は覚えがあった。声も姿も、感覚としては少し前に見て聞いたばかりのもので、忘れようもない。
「あの子の……お父さん!?」
 彼は軍にいたのだから、凱旋パレード中のこの場で出会ってもおかしな話ではないが。こうもタイミングよく再会できたのは、これまでの流れでの必然なのか。
 タムタムが驚きで声をかけられないうちに、ミラクルが嬉しそうに顔を出し、小さな葉っぱを振った。
「おっちゃーん! あのおっちゃんだよ! おーいおーい!」
 軍の行進から完全に外れたあの女の子の父親は、人混みの中、誰にも止められることはなく、出迎える側の列に入り込んできた。テントで会った時と比べて、明るく清々しい顔だった。
「良かった、ここで会えるとは。戻ってみればあの場に姿はなく、陣営内からも消えてしまったから、本当に幻だったか夢でも見ていたか、はたまた亡霊とでも話をしていたのかと思ったが……。それでも君たちが教えてくれたことで、敵国の企てを阻止し、最大の脅威を退けることに成功したのだ。国中に触れ書きを出して、なんとしてでも探すつもりでいたよ」
 それを聞くなり何か思ったらしく、ミラクルが青覚めた顔で後退った。
「お……俺たち、手配されるようなことした覚えないんだけどっ?」
 返ってきたのは愉快そうな笑顔だった。
「ハハハ。まぁ少しの報奨金くらい出す予定でいたが、安心したまえ、そうではない。後日改めて礼をしたかったのだよ。また会おうと言ったのはそのためだ。先ほどもすぐ気づいたが、一番大きなそこの彼が目立つからな……国内に留まっている間は探しだせると思っていた」
 視線の先はモーモーだった。確かにこの人溜まりにあって、彼の姿は相当に目立つだろう。高い身長や逞しい体つきの話だけではなく、人間のものとは違う頭部も含めてだ。
 タムタムはそれを聞きモーモーを見てから、なんとなく疑問が生まれた。そして周囲も見るのだが、変った様子はない。まだ凱旋パレードは続いていて、民衆は変わらず歓声を上げている。誰一人としてパレードから抜け出した父親や、人間以外が混じった、目立ちすぎる一行であろうこちらを気にかけることはない、不思議と。まるで最初から見えていないような。
 しかしタムタムがそれを言おうとしたところで、改まった声が先に話を進める。
「……君たちのおかげで敵は自国へ撤退し、帝国は救われた。言葉どおり、君たちの報せがなければ間違いなく帝都は落ち、我々は守るべき国も、帰る場所も大事な家族も……失っていただろう」
 そこで一度、深々と頭を下げた。
「何度言っても、足りないくらいだが……。ありがとう。どこの誰かも知らない子供を、相手を、親身になって助けようとしてくれたその志に……未知なる塔に侵入し、危険を感じてまでやり遂げてくれた君たちに、本当に感謝する」
 少し照れているのだろう、ミラクルがぐにゃぐにゃと曲がりながら大口を動かした。
「まあ、な。いいってことよ〜。俺たちゃ、困った奴は放っておけないだけだから!」
 反りながら片方の葉っぱをバタバタと振るミラクルに、呆れた口が開くモーモー。
「塔に入るを一番嫌がってたのって……お前じゃなかったか?」
「チッ、なんでこんなときだけ妙に鋭いんだモーモー……! だがな、一番はスカだったろーが!?」
「スカッシュ? ……あれは、なんだったっけな? そういえばタムタムを止めてたが、要は……勢いで突撃するなって言ってただけで、嫌ってわけじゃないだろ」
 きょとんとするモーモーに、力説するミラクル。
「いやいやいや! あれは自分も勇者軍だから仕方なくのことで、建前だったとみたね、俺は! 面倒だから内心はすげー嫌がってた! 分かる俺には! じゃなきゃ、ニコニコしてハイハイ言って、大人しく付いてきてるってモンだ。あーだこーだ小うるさく言わねーよ。大体これって、毎度のことだろ!」
「……そうか? そんなこと考えたこともねえよ」
「そりゃモーモー、お前はそんなこと気にしないだろうがな、俺様は誤魔化されんからな! 分かってんだからな!」
 どうして、この面子の中で真面目な雰囲気は続かない。相手構わず、時と場所を考えず。
 タムタムはこの場の違和を探していたことが、だんだん馬鹿らしくなってきたので止めた。
「はあ……。今どうでもいいことでしょ、そんな話。議論することって他にあると思うけど」
「えーっ!? よくないしー!? 先延ばしにするとぜってー後でまた問題になるって!」
 下からの抗議は無視して、タムタムは女の子の父親に向き直った。気になる点、知りたいことは、考え始めればいくらでもでてくるだろうが、今ここで話したい、まず確かめたいことはひとつだけだった。
「とにかく……良かったです。それで娘さんと奥さんとは、まだ……?」
 多少、傍らのうるさいやり取りが気になったようだが、相手からは頷きが返った。
「なにしろ、我々も戻ってきたばかりだからね。もちろん、これからだが」
「――ちょぉい、まだなんっ!?」
 さっきまでのことはどうでもよいのか、まずしゃべる、口を出すことが最優先のようだ。思った通りの答えに手のひらを返し、あけすけに声を上げ、口をひん曲げたのはミラクル。
「ったく、なんだよおっちゃん! 俺たちのことなんて後でいいからさ、さっさと家族の元に行ってやんな。いない間、当然心配してるし、すっげー心細かったと思うぜ! 無事帰って来たぞーって、一分一秒でも早く安心させてやりなって! 俺たちはさ、あの子があんたを探してるって聞いたから、なんかあれやらこれやらしてだな……? だから、とにかくくたびれた!」
 何一つ上手く説明できないくせに、ふんぞり返り説教する。その目に余る偉そうな態度に、タムタムは掴んで後ろへ引っ込めようと思ったが、ふいに何かを感じた。
 多くのざわめきの中で混ざって消えない、小さな響き。
「声……?」
 それを探ろうとして辺りを見回し、気づく。まだ多くの人がそこにいるのは確かだが、明らかにこの場へ来た時より人数が減っていた。歩き出し、離れていく人も見える。そのおかげで耳に届いたのか。
「どうやら、隊列の最後尾まで来たみたいだね」
 リイムの言葉につられて見たのは、街路の中央を整然と行くパレードの列。後続の兵隊の姿はなくなり、代わりに後ろへ続こうという人々が、隊を成すわけでもなく、各々追いかけ始めていた。このままパレードを追いかける人がいて、出迎えが済んだと家に帰る人がいて。仕事がある人もいるかもしれないし、これから帝都を離れる人もいるかもしれない。みんなそれぞれ目的のために、ばらばらになっていくのだろう。
 足を止める人が少なくなり、その場から散り散りとなっていく人の群れ。それら雑多を目で追っていた間にだろうか、今度は近くではっきりとした呼び声が聞えたことに、タムタムは驚いた。
「――お父さん!」
 周囲の大半よりずっと小さな白い姿。全く気づかないうちに、そこにいた女の子。探しに来たということか、タムタムが見やった時は、大人の人影の間からこちらに向けて、走ってきた。
「お父さん、やっと、やっと見つけた!」
 弾んだ声。女の子は、今までの印象とは打って変わる、元気な姿と声だった。
「あ!」
 僅かに燻っていた不安や疑心が、頭の中から消え去った瞬間。
「お父さん、お父さん! 帰って来たっ!」
「フィーネ……!」
 それが初めて聞く、その子の名前のようだった。白い服を来た女の子は、走ってくるなり、父親に抱きついた。
 そして父親もまた、受け止めるように女の子を抱きしめた。
「おっ? まさか……嬢ちゃん? おいおい……嬢ちゃんかよー。良かった……やった、やっぱり無事だったんだな……! 安心したぜ」
 その子よりさらに小さなミラクルが、顔を確かめるなり言った。この時はさすがに、騒がしいこの精霊も、常に緩んでいる笑顔よりさらに弛緩したような、ほっとした様子だ。
「わざわざ迎えに来てくれたのか……。外を歩いて、こんなに人が多いところへよく来たな。……身体は辛くないのか?」
「うん、もらった新しいお薬ね、体が軽くなる感じがするの。とってもとっても気分がいいの、大丈夫!」
「そうか……」
 父と子が再会を果たしたところで、側のミラクルはもうそわそわし始める。
「な〜、なぁなぁ嬢ちゃん嬢ちゃん? ところでさ、俺たちのこと覚えてる? いやえっと……何だ、知ってるか? 知ってるよな? だって同じ嬢ちゃんだもんな???」
 その、語尾が上がり疑問符がたくさん浮かんでいる尋ね方に、女の子は一瞬首をかしげたようだが、すぐににこりと笑った。
「うん。お兄ちゃんたちもお姉ちゃんも、それにお花さんも、一緒にお父さんを探してくれたでしょ。ありがとう!」
 聞いたミラクルは、再び笑顔を女の子に返したかと思いきや、急に顔を上げて叫んだ。
「おい聞いたか聞いてたか!? 知ってるってさ! 少し前に話してたことは何なんだ! 変に考え過ぎるとロクなことにならないぜ! この俺様をしょんぼりさせやがって……まったく時間の無駄だったな!」
 ターゲットは明らかにスカッシュだったが、その彼は喚く相手を気にする素振りなど見せなかった。何か他のことを考えているのか。
「あ、無視か? 知らんぷりか? えらそうに言って違ってたから、ハズカシーんだろ!? 素直に言えって!」
 絡みはじめたミラクルは誰も無視。なぜなら女の子が父親の服を引っ張り、せがみだしたからだ。
「ねえねえ、お父さん。私、いい子でずっとずっと待っていたんだよ。だからね、ほら、あの約束!」
 話す女の子の顔はとても嬉しそうで、はしゃぎだしたものだから、とても楽しみにしていたものに違いない。
 その響き、何か見て聞いた気がするが、タムタムにはすぐ思い出せなかった。あまり思い出したくない記憶の中に、綴られていたものだったから。
「約束……お父さんと?」
「うん、約束! お仕事から帰ってきたら、楽園に連れて行ってくれるって。まだ、本や絵でしか見たことないんだもん」
 無邪気に話す、とびきりの笑顔で思い出せた。焼かれた街で、確かに女の子から聞いた話だった。
 だがタムタムは黙る。聞いて笑いかける者は誰もいない。父親さえも。
 迷ったような顔だった。
「ああ、約束か……。そうだな、すぐに見せてやりたいところだが、もう少しかかるかもしれない。すまないな、慌しかったから、まだ準備が出来ていないんだ」
「えぇー……!」
 楽園が実在するか否か、それは分からないが、愛する我が子を騙したい親がいるはずもない。ただその話の真実が、やりとりがどうであれ、父と子の会話に詳しい事情も知らない他人がおいそれと介入するものではないだろう。だから口こそ挟まなかったが、見て分かるほどがっかりした女の子を、タムタムは少し不憫に思った。
 ところがそんなところで、何故か自信に満ちた声で大きく笑い出す者がいた。
「ウワハハハッ! やだねぇ、せっかくの感動的な場面って奴だろ。なんでそこで暗くなんだよ、明るくいこーぜ!」
 またミラクルだ。取り巻く雰囲気がわかっているのかいないのか、脳天気を振りまく。
「嬢ちゃん、楽園ってさー、アレだろ? 家の壁に掛かってたお花畑の絵のやつ!」
 顔を女の子にぐっと近づけたかと思えば、素早く離れて踊るようにくねくね揺れる。
「うん、そうなの。とっても綺麗で、とっても平和なところなんだって」
 女の子の答えに満足したのか、今度はその場で回転し始めた。
「そうかそうか。なら任せておけって! 探してた父ちゃんと会えたんだもんな。だから俺様がお祝いでプレゼントだ! どどーんと大大、大サービスで見せてやろうじゃねぇか、今すぐここでよお!」
 自信満々、調子に乗っているのだろう。誰にも口を挟ませないまま、一気にまくし立てると、ミラクルは最後に回転しながら真上に飛び上がった。
「――てやーーーっ!!!」
 高く高く、空に止まったかと思ったとき、変化が始まった。飛び上がるまでいたその位置から放射状に、緑の芽が生え、さらに色とりどりの花が次々と咲いて急速に広がっていく。
「え、なんで、花……?」
「おい、何が起こってるんだよ!?」
 静まってきた周囲だったが、再び騒ぎ始めた。唐突に花が咲き始めて驚かない者も、普通はいないだろう。日常ではあり得ない出来事だ。
 親子も一瞬、何が起こったか分からなかったのだろう。棒立ちになっていたが、やがて女の子の歓喜の声があがった。
「こ、これは……」
「わあ、すごーーい! お父さん、お花がいっぱいになっちゃった! とっても綺麗!」
 この光景は、タムタムも過去に何度か目にしたことがあった。精霊サンフラワーの能力である。どこでも植物を生やし、花を咲かせることができる。力のある個体ほど、より多くの花を広範囲に咲かせることができるらしいが。
「ぬぬぬーーーん!!」
 力んだ顔のままで、空から降り立ったミラクル。女の子が喜んでいるからだろう。そこから踏ん張るような体勢で顔を激しく揺らして、なおも花を咲かせている。
「ぐおお〜〜〜っ!!!」
 爆発的な勢いで広がる花園。見える範囲で、今いる大通り一帯は埋め尽くされたようだ。
「ぐががががっ!!!」
 しかし顔を赤く染め、歯を食いしばるように口をひん曲げながら、まだ止めないミラクル。
「ねえ、ちょっと……」
 その時になって、タムタムはようやく声を掛けた。今までは、気づけば得意満面で自分の能力を語り始めたものだが、今回は力をずっと使い続けており、ずいぶんと苦しそうだ。何度か見ているものの、一面に花を咲かせるこの能力は、どれだけ魔力が必要なのか見当もつかない。
 一体いつまで、どこまで咲かせようというのか――。もう十分ではないかと、言おうと思った。ところが、声にしたつもりが、聞こえなかった。
「……?」
 何故、どうしてか。それは意識が遠くなってきたからだった。何の影響か、眩暈のように足がふら付いていた。突然のことで、とにかく助けを求めようと周囲を見回したつもりだったが、回るような視界には仲間の誰一人として映らず、なぜか街並みも住民の姿もなく、ただ色とりどりの花園だけが見えた。おかしいと思っても、すでに自由は奪われ、自分の意思では抗えそうもない。塔に入ってから何度か経験した幻の変化――身体が浮いたような沈んだような、またあの感覚が来たのかと思ったが、今回は違っていた。そして倒れると思った時、親子の嬉しそうな声が届いた。
「ふふふ、楽園だね、お父さん!」
「ああ、どうやら……お前との約束を果たすことができたようだ」
 どこから聞こえたのかも分からなかった。すでに花園も見えない。そんな意識も真っ黒になった瞬間、すべて失われ、遮断された。

「……タムタム、タムタム」
 誰の声か。リイムか。
「――えっ!?」
 驚いて、タムタムは目を開けた。居眠りから呼び覚まされたように覚醒。記憶は空白。
「あ……れ?」
 自分は両膝をつけて座り込んでいる。周りは花園。そうとしか言いようのないほど、目の前一面の花々。そのためか清々しく、どこか甘いような香りに包まれていた。
「いい香り……」
 そして忘れていなかった。確かに花に囲まれた。
 その後どうなったか。
「……リイム!」
 回り道をした思考がようやく声の主へ到達した。そのままの姿勢で見上げると、笑いかけるリイムがいた。
「うん、大丈夫そうだね」
 咄嗟に返す言葉はなく、無言で彼を見つめたが、ふいにその顔がそれたので、朧気になっていた意識もようやくはっきりしてきた。
 倒れたと思った身体は座っているだけで、怪我も何もないようだ。ゆっくり立ち上がって、リイムがそうしているように、タムタムも周りを見渡した。
「ここは……今度は一体どこなの」
 花は移る前も咲いていたわけだが、かなり違いがある。以前は建物があり人が行き交う街の中だった。しかしここは遮るものはなく、見渡す限り、どこを向いても花に埋もれた平野に思える。ただ遠いのか近いのか、ずっと向こうは霧がかかったようにぼやけ、はっきりとしないが。
「今までとは……全く違うところね」
 第五の塔へ入ったときも、今まで体験した塔の幻とは違うと思ったが、今見ている光景はまたそれらとは完全に異なるようだった。何しろ一面の花以外、特に見えるものがないのだから。
 リイムも頷いた。
「また違う幻なのかな……? どうなったんだろう」
「今度は何が起こるんだモー。敵も何も見えないのが、逆に気になるよな……。ただ五番の塔の中なら、今までのことがあるから安心できねぇよ。花の中から突然襲い掛かられたりとか……いや、花が襲ってくるってことも……?」
 モーモーは注意を怠らず周りを見ているようだった。しかし身構えようにも花以外何一つないので、警戒するのも戸惑いがある。
「うううっ……ううううっ」
 そして下から聞えてきた声があった。うめき声かと思えば違う。めそめそとした、だがいつものあの声。
 何も分からない状況なのに、緊張感はこの瞬間、なくなった。
「すまん、すまんみんなぁぁ……っ。俺が、俺があぁ……!」
 タムタムは思わず溜息がでる。そういえばいたのだ、この精霊。少し忘れていた。
「うぉおお! 俺が俺が……っ!」
 見やれば、花の絨毯にうつ伏せで突っ伏していたため、すぐ側にいたことに気づかなかったミラクルが、花びらを少し撒き散らしながら、ごろごろと転がって仰向けになり、泣き出したところ。
「俺がっ、俺がっ……めちゃくちゃがんばり過ぎたばっかりにっ!」
 むせび泣きに、今度は花園に何度も顔を叩きつけるような仕草。これは後悔している様子なのだろうか。
 タムタムはまたまた溜息を吐いてしまった。そう、どうせこちらが尋ねるまで止めないのだ、この精霊は。
「はぁ……。何がなの?」
 やはり待っていたのだろう。尋ねたとたん、顔だけが勢いよく花の中から跳ね上がって、こちらを向いた。
「だって! ここはな! ここは……。うううっ……見てくれよ! そこらに生えている白いお花を!」
 言われてタムタムは、最初は仕方なく、たくさん咲いている白い花のひとつを注視した。だが一瞬にして、今までの言葉を失った。
「……このお花」
 見覚えがある。それも最近、いや、せいぜい数時間前の話になるのだろうか。幻であるはずの光景を行き来していた中で、とても忘れられない出来事のひとつだった。女の子の母親が息を引き取った時の。
「あなたが手向けた……」
 誰も忘れていない。周りも静かだった。
 透けるような白い花弁の、小さく可憐な花。ミラクルは、天国の入り口に生えているのだと言った。その道を迷わないようにという、計らいだったのだろう。
 好んで思い出したい話であるはずがない。だが、タムタムは振り返り、それから考えた。
「でも……」
 あの子の母親については、前までいた帝都の内の出来事で考えるなら、存命になるはず。しかし塔の中、幻の中であるなら、あの立ち会った死についても言えることだが、真実は見つからない。見て遭遇してきたことすべてが当てはまる。それはもう、考えても仕方がないことだ。
 それでもタムタムは、信じている。今まで起こったことが、無作為で、無意味な流れではないと。今ここにいることにも、なにかがある。きっとあの子と繋がっている。偶然ではないとすれば――。
 怒られると思っていたのだろうか。黙っている間に、ミラクルは大きな声で泣き始めた。
「ごめん、ごめんよぉ……! 俺がやりすぎたから……こんなところに来ちまった! みんなを天国へ連れて来ちまったよ! うおおおっ! ほんとに……まさかこんなことになるなんて……!」
「モぉ〜? 何だって、今なんて……? 天国だ? ここが天国……おいおい、ほんとかよ。ウソだろ……」
 モーモーが間抜けな声を上げた。
「じゃあ、あれか? 俺たちみんな死んじまったって? お前のせいで?」
「――ハぐおっ!」
 ミラクルは答える代わりか、それとも純粋なダメージによるものか。花に顔を突っ伏した。
 タムタムは見ていたが、何と言えばいいか思い浮かばなかった。大体そんなことを言われても、実感がないのだ。怒りも悲しみも焦りもないので、彼らのやり取りを立って眺めているだけだった、まるで他人事のように。
 首筋を掻き、困惑しているモーモーも、実感がある様子には思えなかったが。
「えーっとだ……もしも、そうだな、ここが天国としてだ……どうするモー? ……いや俺たちどうなっちまうんだモー?」
 天国だったらという前提のその問いかけに、答えられる者はいないと思われた。だが軽快な笑い声が聞えたのに驚く。
 自分たちではない後方から。
「ハハハ。ここは天国ではないよ。だから安心したまえ」
 みんなして振り向いた。タムタムもだったが、誰もが少なからず驚いている。ミラクルに気をとられていたとは言え、周囲は既に確認済みだった。隠れる場所はなく、見える範囲には仲間以外誰の姿もなかったし、気配もなかったはず。ところが少し離れた位置に、今は人形を片腕に抱くあの女の子と、その父親の姿があった。
 忽然と現れたとしか思えない。咄嗟に話せないでいると、しなびたヒマワリの顔が上がった。
「お、おっちゃーん!? 嬢ちゃんも……! ほんとここ、天国じゃないのかよ……! 俺のせいじゃないんだな!? マジで……違うんだな!?」
 身も心もぼろぼろとなり、まるで差し伸べられた救いの手にすがろうとするような。よろよろと、なぜか這って前進するミラクル。
「本当だよ。ここは天国ではない。君たちは記憶しているだろう。塔に入り、中にいる……すなわち幻だ」
「これ、塔の幻だって……? なんだよ、今までと全然違うんだから分かるわけねーじゃん、こんなの……。ったくよ……マジで天国だって思ったぜ! あぁクソ、紛らわしい! なんで天国でもないのにお花畑にいるんだよ! どうなってんだ誰のせいだ!?」
 ミラクルは立ち止まって呆然としていたようだが、やがて腹立たしく思ったのか、飛び跳ねた。
 父親は忙しく上下するミラクルを興味深そうな視線で追いながら、答えた。
「誰だと言うなら、おそらく君なのだろうな。少なくとも、私が意図したものではない」
「ぇへ?」
 一転して、花びらを散らす。
「や、やっぱり……お、俺様な、ん……?」
 そして再び、花園に枯れ落ちて倒れるミラクルを見て、相手は少し笑った。
「正直なところ、私も何が起こってのことか、はっきりとは分からないのだ。断言はできないが……塔の幻に作用したのか、打ち消したのか……。この幻が今、我々の前に現れたのは、花を咲かせた君の力があってのことかもしれない」
 言葉を続けるその瞳は、次々とこちらを、ひとりひとり見てきた。
「……そして我々がこの幻まで辿りつけたのは、間違いなく君たちみんなのおかげだ。ようやく、君たちが見つけてくれたのだ。私を……娘を、そしてこの塔の真の幻を……」
 語るその表情は、安らかな笑顔だった。
 リイムが周囲をもう一度見やってから、訪ねた。
「真の幻……ですか。この花一面の光景が?」
「とってもきれいでしょ! 穏やかで、誰も争いなんてしなくていいの。楽園なんだよ、お兄ちゃん」
 女の子が嬉しそうに言う。
「忘れなかったの。ずっと覚えてたの、お父さんが帰るのを待ちながら。一緒に行く約束だったんだもん。楽しみにしていて、やっと叶ったんだ!」
 父親はわが子の頭を撫で、微笑み返して、再び向き直った。
「分かっただろうか。これが私が娘に約束していたものだよ。幻の塔の隠された幻……。第五の塔が見せる、望むものを映し出した幻だ」
 聞かされても、分からないことはたくさんあった。タムタムも無意識に尋ねてしまう。
「第五の塔の……。でも、私たちが入って見たのは……」
 真っ先に見たのは燃える街並であって、花園ではない。だがその光景を話すのは胸が苦しく、気分が悪くなりそうだった。花の香気に満ちた中にありながら、焼ける異臭が鼻の奥に戻ってくるような。
 相手は言葉を止めたことで察したのだろう。
「……元々幻影の塔は、入った者の恐怖を映し出す塔であるのは、君たちも知っているな。だがある時、私は古い文献を偶然見つけた……。書れていたのがこの、それ自体が幻であるという、隠された第五の塔の存在だった。そしてその塔は、志半ばで倒れたのか、それとも飽きて止めてしまったのか……作り出した者の事情は不明だが、未完成のまま終わったということだった。だから願望を映し出す幻は、確実に見られるものではなかった。ずっと調べていたのだが……結局私は、娘との約束を果たすことができずに終わった」
「えっ、でもおっちゃん今、見れてんじゃん、な〜?」
 ミラクルが言うと、父親は少し寂しそうに笑った。
「だからこれは、君たちのおかげなのだ」
「あ〜ん、う〜ん?」
 不思議そうに一回転するミラクルに、父親は陰のある表情を伏せながら話し始めた。
「私は帝国のためにこの塔を調べ研究したが、我々の理解を超えるもの……いつ頃から存在しているのか、結局判明しなかった。当然、塔が建てられた経緯も謎のままだったが、考えることは同じだったのかもしれない。……君たちも、目的を持ってこの塔に入ったことが、あるのではないかな?」
 何が言いたいのか、リイムは理解しているのだろう。小さく頷いた。
「ええ、何度も」
 父親は予想していた答えに満足した様子はなく、小さく吐息した。
「少し、我々の話をしよう。……帝国が開戦する切欠となったのは、一つの大国が大陸中の国々へ向けた宣告からだった。それは実質宣戦布告であり、帝国だけではなく、大陸を大きく揺るがすことになった戦禍の始まりだった。……天の啓示を受け力を授かり、人類を救済するという名目のもと、大陸の国々を改宗、統一せんとする国の名は、十聖皇国といった。そしてその強国は、自らの行為を『大救済』と掲げながら、次々と近隣の国に攻め入り降伏させていったのだ」
「そりゃ世界征服ってやつじゃあ……。それで、それから……? ん、それと塔が、何だって?」
 話の流れに戸惑いつつも、しゃべりたい衝動が戻ってきたのか、ミラクルがむずむずと口を動かすと、鷹揚な頷きが返った。
「……大それた野望が本気であることは、遠方である当地にも瞬く間に知れ渡った。太平を望む周辺諸国の緊張も、これまでにないほど高まりつつあった。皇国は教化と称し改宗を迫る国で、異教を全く認めず、他のあらゆる信仰、無神論者までも厳しく弾圧し許さないことで知られていたのだ。だから信仰の自由を認める我が帝国も、いずれ戦は避けられない。否でも国を守らねばならない。……早々に下された帝のそのご決断に、この塔を利用することにしたのだ。きたる時に備えて」
 戦いの話しとなると、モーモーもしっかりと耳を傾けている。
「戦のためか……。幻で兵を鍛えようってことだな」
「その通りだ。大陸の外れに位置する我が帝国と周辺の国々は、中央の紛争地帯と比べるなら穏やかな関係が続いていた。歴史は古いが、戦の経験は乏しく、国土も国力もない小国の集まりだ。このまま大国に攻め込まれれば、勝てる見込みはない……。強い危機感に皆、国を守ることに必至になってくれたよ。塔の幻による訓練は期待以上の効果を上げ、軍の著しい強化に繋がった。……だがそれが、結果として帝国の破滅へと繋がってしまった」
 比較的おとなしくしていたミラクルが、納得いかないと顔を突き出した。
「――えっ、なんでだよっ! みんな強くなったんだろ!? それ話おかしいじゃん!」
「……国のためと思ったことが、行き過ぎたのだ。勢いの止まらない皇国の手が側まで迫った頃には、いつでも戦えるまでに帝国軍は大きくなり、士気は高まっていた。攻められたら守るのではなく、こちらから打って出て思い知らせるのだという流れにまで……。皇国からしても、周辺諸国からしても、短期間で軍事力を増した我が国は、無視できない存在になってしまったのだよ」
 リイムが眉を顰めた。
「周りの国からも、ということは……」
 少し仰いだ姿は、嘆きを堪えきれないためだったのだろう。始め少し震えた声は悲しみに満ちていた。
「帝国は共に十聖皇国と戦うはずだった隣国……古くからの同盟国による裏切りにあい、滅亡することになったのだ……。初めから大国と戦うことに消極的だった同盟国は、数年で急激に力を増した帝国が脅威に変わった。そして皇国は、自国の損害を抑えつつ、野望達成の近道としてミラージュの塔を手に入れようと考えた……。二国のそれぞれの思惑が、やがて接点を生んだのだろう。皇国と秘密裏に手を結び、帝都を落とした裏切り者は、帝国を己が領土として差し出し十聖皇国に降伏。公家の存続と資産、命の保証、引き続きの統治を約束させ、属国となった……。塔を利用し、招いた結果が……」
「「……」」
 自分の国に起こった話だ、淡々と語れる内容ではない。苦しいのは見て分かる。一旦声が切れ、沈黙が流れた。
 誰も慰められるなどと思っていない。だが、何とかして声をかけたがる者もいる。気持ちを伝えたいのだろう。赤い顔のミラクルは必死だった。
「それは、どうしようもないじゃん……! 攻めて来た連中が悪いんであって、自分の国を守ろうと思っただけでさ、一所懸命でさ……。よかれと思ってさ……」
 それに返ってきたのは、寂しそうな、自嘲の笑みだったのか。
「第二、第三、第四の塔は封印されていた。その機能を戻したのは私なのだ……」
「へ、え……?」
「……思ったのだよ。私がミラージュの塔の究明を進めなければ、また違う結末もあっただろうと。帝国に戦える力がなければ、降伏する道になっていたかもしれないし、犠牲も少なく済んだかもしれない。たとえ力に屈服し属国になろうとも、今までの生活が一変しようとも……娘と妻だけは失わなかったかもしれないと……二人は死なずに済んだかもしれないと……」
「えっえっ……。それなに? なんで? どういう……」
 ミラクルの驚きと戸惑いには、色々な問いが含まれていた。
「おっちゃん……。なぁ、嬢ちゃん無事だったろ? 奥さんだって、無事だったんだよな? だって俺たち、パレードで会ったもんな? 勝ったんだから……」   話が分からないと訴える。だがそれには僅かな笑みがあっただけで、答えてくれなかった。父親は我が子の頭を撫でながら。
「……初めは娘に必要な薬のため、塔の研究者を勤めていたが、ひとり第五の塔の存在と秘密を知った私は……その幻を追求するために、帝国の変化を目の当たりにしながら、ミラージュの塔に関わり続けた。生まれたときから重い病のため外を自由に歩くこともままならず、物心ついたときには、戦の話ばかりが飛び交う時代になってしまった娘に……本で知って、行ってみたい見てみたいと嬉しそうに話す娘に、楽園を見せてやりたかった……たったそれだけの個人的な理由のために」
「……」
 開いたままの硬直したその口から、次の言葉はなかった。
 誰も尋ねない中で、語りは続けられる。昔を思い出しているようで、怨嗟には聞えないが、深い悲しみに満ちている。悔恨による懺悔なのか。
「君たちと会ったあの地で、我々は帝都陥落を聞いた。帝も処刑されたと……。帰る場所を失った軍は、最期の戦いを始めた……。目前には皇国軍が迫り、退いたところで帝都はなく、公国の敵が待ち構えている。挟み撃ちになるだけだった。勝ち目のない戦いだから、誰も強制はしなかったよ……多くの者は残ったが、私は帝都だった地へ戻ることにした。酷い有様だった……妻と娘の死を知った……。全てを失ったことを知った……。それが結果だよ」
 今更誰も、話がどんな結末となっても驚かないし、考える始めることもない。誰も口をはさまない楽園で、話は終わろうとしていた。
「ただ……心残りが、ひとつだけあった。私は結局、真の幻の解明はできなかった。だから、何かの形で残しておこうと、娘の人形に第五の塔の鍵を施し小箱に入れ、封をした後、敵に発見されにくそうな場所へ埋めた。どこかへ逃げようという気は初めからなかったから、最後にもう一度行ってみようと、私は第五の幻の塔に向かった」
 そこで再び、こちらを見る表情に笑みが現れた。話したことで、気が楽になったのだろうか。
「それから……私は楽園を探して幻の中をさまよった。……君たちと出会うまで」
 簡潔に流れを説明する内容だったが、タムタムは愕然とした。
「……最後に塔入ってから、今までずっと塔の中にいたって事ですか」
 ライナーク王国以前の国となれば、一体どれだけの年月なのか。数百年程度ではないだろう。想像を絶する時間の中、ずっと悪夢の幻を見てきたというのか。
「そんな間……」
 辛うじて、タムタムに言えたのはそれだけだった。誰も想像が、理解ができないというのに、軽々しく同情の言葉はかけられない。
 しかし当人の顔は晴れやかで、途方もない苦痛を垣間見せる様子はもう感じなかった。
「だが終わったよ。未来永劫続くのかと思われた、私の恐怖と後悔を映す幻は消え失せた……。君たちが娘の人形を見つけてくれてよかった。本当に……」
 親子には満面の笑みがあった。
「今ようやく楽園に辿りつくことができた。娘も私を探しに来てくれた。すべて君たちのおかげだ、ありがとう」
「お兄ちゃんたち、本当に本当にありがとう!」
 説明を受ける必要はもうないだろう。親子は再会できた。勇者軍は目的を達成できた。リイムが笑って、短い一言だけを返した。
「どういたしまして」
 その後だった。突然、今までになかった風が吹いた。楽園を横切り、両者の間を隔て、通り抜けるように。いくつかの花びらが散り、ふわり舞い上がる。
「きゃっ……」
 タムタムが思わず身を引き、目の前に映った花びらを追った間に、女の子は父親の手を引っ張って言った。
「ねえ、そろそろ行こ、お父さん。お母さんが向こうで待ってるよ」
「……ああ、そうだな。長く留まり過ぎたよ。母さんもずっと待たせてしまったな」
 母親は今どこにいるのか。向こうとは。親子はこれからどこへ向かおうというのか――。
 それを尋ねようとタムタムは声を掛けたはずが、何故か言えなかった。いや、口は開いて話しかけているはずなのに、自分の声が聞えないのは。
「――」
 この楽園へ来る前と同じか――。そう思って気を失わないよう意識をしっかり保ち、まだ伝えたいことがあるのだと身振りを交え、なお話しかけながら女の子の父親の顔を見るが、相手はこちらを訝しく思う様子もなく、静かに微笑を湛えていた。
「塔の幻が終わるようだ。短い間だったが、どうやら君たちとはここでお別れだな……」
 向こうの声は聞える。しかしこちらの声はやはり出ていないのか、自分の耳に聞えないのか。
 分からないが、話しかけることは止めず、タムタムは前に進もうとした。
「――!!! ――!!!」
 視界に飛び跳ねるミラクルが映ったが、何か叫んでいる感じがするものの、やはりあのうるさい声が聞えない。
 そして気づけば、花園の色が失せている。少し前は遠くだけが霞んでいたのに、視界はどんどん白く濁っていく。周囲から迫る濃い霧に塞がれ、覆われているのか。花は徐々に見えなくなる。その中で二人だけはまだはっきり見えていた。
 幻が終わってしまう――。タムタムは慌ててリイムたちを見るが、彼らは別段驚く素振りはなかった。このまま見送るつもりか。
「――!」
 待ってと、タムタムは出せない声で言った。心の中でも。
 質問が残っていたわけではない。ただ、別れが早過ぎると思ったのかもしれない。心の準備が出来ていなかった。タムタムは焦って二人に駆け寄ろうとした。
 親子は笑っていて、背を向けるわけでも、後ろへ下がるわけでもなかったが。
「「さようなら」」
 手が届くのは、もう少しだった。向こうから突然、濃霧か吹雪か、真っ白な突風が吹き付けて進路を阻む。息もできない暴威に体が吹き飛ばされると思った寸前、いくつかの花びらが舞い散ったのを見た。
 目前の二人と足元に残る僅かな楽園は、その瞬間遠のき、完全に消えた。


「――待って!」
 酷く驚いたのは大きな自分の声だった。咄嗟に、伸ばしていた手を慌てて引っ込めた。
「えっ? ええっ?」
 自分の声が聞き取れる。激しく胸を打つ鼓動。驚きがおさまらないまま周りを見る。そして見知った光景が目前にあることを知った。側には変わらずリイムたちがいて、後ろにはミラージュの塔がある。
 立っているのは、幻影の村の中だ。
「あ……うぅ……」
 自分はもう何度驚いているのだろう。なんとなく恥ずかしく、また何を言えばいいのか戸惑っていると、リイムが優しい眼差しで目を合わせてきた。
「僕たちはあの塔から出たんだよ。ここは、四番目の塔の前だけどね」
「四番目……?」
 自分たちが入ったのは五番目の塔のはず。しかし四番目の塔の前とは。
「ここから出てきた? ううん、違うわよね……?」
 現実感のある幻の中にいたため、どこからが現実でどこからが幻か、境目の記憶に自信がない。それは皆も同じだったようで、お互い顔を合わせた。
「えっ、だって、俺たちこの塔を通り過ぎたじゃん! ……だな? 俺必死に飛んでさ、追っかけて……そんな感じ?」
 いつも無駄に胸を張るミラクルも、今回は曖昧だった。
「俺の頭の中もここを通り過ぎて、五番目の塔が現れたってことになってるモー。リイムもスカッシュも、記憶は一緒か?」
 モーモーが残る二人に尋ねている最中に、翁の声が掛かった。
「どうされた、勇者軍の皆さま」
 見れば杖をついてゆっくりやってくる、幻影の村の村長。塔の前で、何か騒いでいると思われたのかもしれない。
 リイムが向き直る。
「村長」
「勇者殿、もしやこちらにお越しになった時の件かな?」
「そうですね……。でも、お尋ねした件については解決しました」
「おお、それは良かった。……しかしその言い方だと、まだ何かあるということでしょうな」
 察して尋ねてくる村長に、リイムは少し考えた後、話すことに決めたようだった。
「村長……第五の塔について、ご存知ですか?」
 第五の塔と聞いた村長の表情は、単純な驚きではなく、露骨ではないものの、訝しげだった。
「はて、第五の塔とは……。塔というからには、ミラージュについての話でしょうが、我々が知る限り、塔は四つだけ……」
「でも、僕たちは忽然と現れた五番目の塔に入ったんです。……今、そこから出てきたところです」
 リイムは当然、真剣だ。しかし村長は首を横に振った。
「私は……勇者殿がまさか、冗談や嘘を言っているとは思いません。しかしながら、あなた方が入っていたのが幻の塔なら、見ていたものは幻となる……。だから、現れたという第五の塔もおそらくは……」
「幻のうちだったと?」
 答える村長も困った表情が浮かんでいるが、真面目に言っていた。考えられるのはそれだけだと。
 現実ではないなら、それは幻――。幻影を見せるミラージュの塔があるこの村は、その考え方が通用する場所でもあるだろう。
 だがそれで納得できるはずもない。
 今までの塔とは違う幻。移り変わる幻に翻弄され、涙し、苦しみ、乗り越えてようやく戻ってきた。何日も戦い抜いてきたような疲労感もある。だから心情的に、自分たちが先ほどまで体験していたことを、知らない者にただの幻だったと一言で済ませられるのは、到底容認できるものではなかった。
「おお、おお、そりゃ幻だったさ! ないところに突然現れたんだからな、塔自体はな! だからそれが村に現実で現れて、俺たちはすったもんだで入ったって言ってんだよ、幻で出来た塔にさ! 分かりにくいかもしれんが、そこんところは幻じゃないぜ! 五番目の塔はあったんだよ!」
 怒ったようなミラクルに、村長は答えなかった。深い溜息をつく。  「……私には、そうとしか。何しろ我々は、その第五の塔を見ておりませんゆえ……。私一人の話で納得できなければ、村人にも聞いてみると良いでしょう。突然現れたという五番目の塔……。村人の誰か一人でも目撃すれば、必ず私の耳にも入るでしょうから」
 話を聞いた後、僅かに黙ったリイムだったが、やがて表情を緩め、村長に頷いた。
「……そうですね、村長の話は僕も頷けます。この村に第五の塔が現れて、村人が誰一人として見なかった、知らなかったというのはさすがにおかしいですから」
 村長の話に同意を示す彼に、ミラクルが口を尖らせて待ったをかけた。
「えっ、お……おいリイム! 俺たちはさ……!」
 リイムはミラクルに笑いかけるだけ。
 タムタムには分かる。彼は村長が困惑したことで、これ以上尋ねても困らせるだけだと、迷惑をかけるだろうと判断し、話を打ち切ったのだと。
「リイム……」
 だが、同情する呼びかけにこちらを向いたリイムからは、わだかまり、後味の悪さは見えなかった。含みのない彼の人柄を映す、すっきりとした笑みがある。
「幻か現実か……。大事なのは、そんなことじゃなかったよね」
「え……」
 タムタムが出来ることは、彼に笑い返し、頷くことだけだった。
「……うん、そうね」
 リイムはやはり強い。困難に立ち向かうほど強くなっていく。彼はいつも信じたものを見失わないから。だから頼りになるし、彼自身を信じられる。反面、自分が気にかける、心配する必要があるのだろうかと、少しの寂しさも覚える。そしてそんなことを今思った自分に呆れる。ようやく区切りがつき、安堵できたせいなのだろう。気持ちとしては穏やかだったが。
「終わったんだって、やっと実感できたけど、ちょっと複雑かも……」
 リイムの目を見て、気持ちを端折って言う。言葉の示す意味を考えたのか、彼は一瞬、きょとんとした。
 タムタムはもう一度笑って、くるりとリイムに背を向けた。視界は彼から塔に移り、上部の空には傾いた太陽が見える。そこでようやく時間の経過を知った、現実の。
「やだ、大変……!? もう夕方が近いわよ。教授が首を長くして待ってる……というより、まだ帰ってこないのかって、不機嫌になって誰かに当り散らしてるかもしれないわ!」
 頭を小突かれたかのように、現れた記憶。さらに何故か浮かび上がる、助手ピーコックが小突かれる姿。
 もう幻の話ではないのだ。塔に入った時から数時間か。現時点ではまだ明るいが、今から王城へ戻ったとすると、着いたときはかなり暗くなっているだろう。
 モーモーも思い出したと、露骨に顔をしかめた。
「そうだモー。じいさんが待ってるってこと、忘れてたぜ……」
 幻は跡形もなく消え去っても、現実の問題は消えないのだ。
 リイムの表情も苦くなった。
「しまったな、僕もすっかり忘れてたよ……」
 ミラクルはあたふたしながら真っ青に。
「待て、待たせたってだけじゃすまねーぞ! だって……どーすんだよ!? あの嬢ちゃんの人形、もうないじゃん……。ヤバいんじゃね……?」
 そのとおり。実際かまりまずい状況なので、誰も答えられない。
 勇者軍には、余韻に浸る暇もなかった。今圧し掛かっている難事をどうするか、やっと落ち着けたはずが、一瞬にして慌しくなった。
「とにかく……ここでこのまま話してたら、どんどん遅くなって暗くなっちゃうわ。まずは帰りましょう、お城へ!」
 タムタムはまず、目先の事態だけを考えることにした。その先のことを考えるのが怖くなったというのもあるが。
「そうだね。うん……とにかく戻りながら考えよう」
 すぐに話はまとまった。
 どこか呆れている村長にリイムが別れの挨拶をし、歩を進み出したスカッシュやモーモー、お城に到着するまで騒がしそうなミラクルを見やった後で、タムタムも足を踏み出す。数歩後、塔を振り仰いだが、高く聳えるそれに何か変化を感じたわけではない。心残りがないといえば嘘になるが、今できることが、ここで分かることがあるとも思わなかった。
 だが、なんとなく後ろ髪を引かれたのは何故だったのか――。言えなかったことをひとつ、思い出した。
「さようなら……」
 塔に向かってつぶやく。最後の別れの挨拶が残っていた。
 そこで聞えてきたものといえば、先からのうるさいミラクルの喚き声だ。早く来いと言う。
「あ〜もう……」
 軽い苛立ちを覚えつつ、タムタムは前を向いた。大きく息を吸う。そしてこれからやるべきことに、頭を切り替える。
「よし」
 落ち着けたのはこの今まで。急いで王城まで戻らなければならないし、帰ったら処理しなければならないことが山積みだ。忙しくなる。
「――はいはい、すぐ行くわよっ!」
 とりあえず怒っておく。
 急いでいるのがよく分かる。短い間でありながら、彼我の開いた距離を縮めるべく、タムタムは思い切って駆け出した。


 少し気だるい朝。本と書類の束を左脇に抱え、タムタムはひとりで小さな欠伸を済ませてから、前のドアノブを回した。
 王城内にある勇者軍に与えられた部屋で、夜間以外鍵がかかっていた記憶はあまりなく、わざわざノックで確認もしない。開くということは、勇者軍の誰かがいるということだから。
「おはよ……」
 入ってすぐに見えたのは、長四角のテーブルの真ん中で、恐らく眠いため突っ伏している正面側のモーモーと、奥の幅が狭い側の席で、ペンを走らせ、何か書き物をしているスカッシュの姿だった。
「おう、タムタムか……おはよう……モー……」
「おはよう」
 大きな背中の山から、顔だけをもぞもぞと動かして、もごもごとモーモーが。こちらを見もせず、書き物を続けるスカッシュが淡々と一言、それぞれ挨拶を返す。
 しかしタムタムが気になったのは、二人の態度ではない。
 全体を見回しても、すっきりとした部屋だ。テーブルに椅子に棚。特に見えにくい場所はなく、彼ら以外誰もいないのは明白。よって、リーダーのリイム、勇者軍に所属する魔物たちの姿が室内にない。
「リイムや、他のみんな……は、どうせリイムと一緒なのよね?」
 リイム以外の行動は分かるとして尋ねると、モーモーが低いうなり声を上げながら、腕と背筋を伸ばして身を起こし、それから頬杖をついて答えた。
「……王様のところだモー。もちろん昨日の件でな」
「……そうよね、昨日は正式な報告ができていないわね」
 昨日、幻影の村から王城に戻ったのは、日が落ちており、ほぼ夜に入った時間であったこと。そして、報告するべき勇者軍の行動と遭遇した出来事は、至急を要する内容ではなかったことから翌日に持ち越し、つまり本日となった。
「王様は疲れているだろうからって、明日でいいって気遣ってくれたのによ、じいさんときたらなぁ。……酷使されまくりだよな、俺たち」
 いつもは頼もしいモーモーの目も、今日はどこか虚ろ。
 王城に戻った勇者軍をすぐさま出迎えたのは、当然ながら待たされてイライラしているラドックだった。タムタムもだが、リイムも黙って濁すことや、適度に嘘を交えることができる性格ではない。なぜ戻るまでに時間がかかったのか、現れた第五の幻の塔と、そこで起こった出来事をかいつまんで話すうちに、目を輝かせ興奮状態になったラドックが最後、発掘された人形が失われたことを知ったとたん、嘆き怒り出したのは予見できたこと。だが、既に十分暗い時刻であるにもかかわらず、これから調査隊のキャンプ地へ戻ると言い出したのは、さすがに困った。見立ては正しかった、発掘を進めればもっと凄いものが見つかるに違いないと息巻いて。その後、もう遅いので明日にするべきだと宥め、説得したものの頑として聞かず、放っておけばひとりで城から出て行く勢いだったため、勇者軍はやむなくラドックについていく形でキャンプ地まで護衛、それからまた城に戻る破目になってしまったのである、暗い夜の中を。さすがに、とりわけ精神面でくたくただった。
「ラドックの性格は分かりきっているはずだ。お前たちが性格上、幻であろうと黙っていることが出来ないなら、振り回されるのも仕方ない」
「はいはい。自業自得、傍若無人な教授を上手く扱えない私たちが悪いってことでしょ」
 言わなくてもいいことを話すからそうなるという、嫌味なのか。手を止めないまま口を出してくるスカッシュに、タムタムはわざと卑屈っぽく返し、モーモーの席の前の椅子を引いて、腰掛けた。
「あなたはあれこれ誤魔化したり、都合が悪い部分は伏せて上手に言えるかもしれないけど、教授もそれが分かっているから、私たちに説明させるんだし」
 これ以上相手にするつもりはないという意味で、持っていた書類を広げる。
 スカッシュは一旦手を止め、ようやく見てきた。呆れた様子で。
「包み隠さず話すつもりなら、相手の気の済むまで付き合うしかないだろうと言っている」
「それも頭ではよーく分かっているわよ。けど、感情は上手く制御できないの。割り切れないから困ってるの」
 言われるまでもない。つっけんどんに返して、昨日できなかった仕事を始める。
「とにかく、昨日は何もできなかったの。やらなくちゃいけないことが溜まってるから、仕事させて。何をやっているか知らないけど、あなたも途中なんでしょう」
 突き放すよう冷たく言い放って、それで会話を打ち切ろうとしたのだが。とたん、彼からの白眼視を感じた。
「お前が一昨日に頼んできた、勇者軍の先月の支出書だが……。今日が提出日の」
 あれはつい先日だ。昨日の昨日の、今日。もう忘れているのかと。
「俺も昨日はできなかったからな、今やっている」
「あ……。あ、あはは、そうよね、頼んだわよね……私……。昨日あんなことがあったから……」
 完全に忘れていた。師の遺跡調査の予定と人数が大幅に変わったことで、自分の予定も狂ってしまった。後回しにしていた勇者軍の仕事が提出日に間に合いそうにないので、彼に頼んだのだった。
「……ご、ごめんなさい。手伝ってくれてありがとう」
 空笑いをし、タムタムは消え入るような声で小さく謝って、下を向いた。
 相手は露骨に大きな溜息をついてみせたが、他に言葉で何か言ってくることはなかった。
 会話は打ち切られ、きまりの悪さだけが残る。雰囲気は変えたいが、さすがにタムタムからは話を振りにくかった。仕方がないので仕事に集中するしかないと書類に向き合あうと、モーモーが少し、おかしそうに笑った。
「幻は覚えてるのに消えちまって、現実の仕事は忘れててもしっかり残ったままってわけか。ま、本当に昨日は大変だったし、うっかり忘れることもあるかもな。俺も頭の中がごちゃごちゃだぜ。結局どこからどこまでが幻だったのか、よく分かんねえし……。あの五番目の塔に、小さな嬢ちゃんに、親父さんに……。なんだな、気づけば俺たち、親父さんの名前すら聞いてなかったな。お互い、ゆっくり名乗りあうような余裕はなかったが……」
 言われてみるとその通り。狭間はあいまいで、女の子の父親の名前すら知らない事実。
 とたん、タムタムは情けなくなった。必死になっていたはずが、自分たちの記憶はずいぶんとお粗末だ。鍵である人形もなくなってしまったため、本当に間違いなく五番目の塔があったのか、今問われると自信がなくなってくる。何が幻の出来事で、どれが現実に起こったことだったのだろう。幻で起こったことは全て虚構だったのか。現実で見たことが幻ではないと言い切れるのか。真実であったものは何か。塔を出て分かったことは、結局何もないのではないか。これでは幻の中にいたときと、変わらないのでは。
「ほんとね……。五番目の塔は、幻影の村の人たちは見てないってことだし……。あの子の名前だけは呼んでいるのを聞いたけど、あの子のお父さんの名前は知らないわよね。幻の中にいる限り、真実は分からないと思っていたけど、今だって何も分からないんだわ、私たち……。形として残っているものが、何もないんだもの」
 早く仕事を終わらせなければと思いペンを握っていたものの、事実を認識したとたん、それ以上進める気力がなくなってしまった。
「せめてあの子の人形が残っていればね……」
 鍵さえ残っていれば第五の塔の存在を立証できるのに。ラドックの嘆きと落ち込みが激しかったのも、今ならばよく分かる。
 向こうにとっては、落ち込むことでもなければ、いまさら気づいたことでもないのだろう。スカッシュは書き物を再開しており、続けながら言い切った。
「塔の中で見た幻に過去の事象があったとしても、確かめるすべがなければお手上げだ。いくら考えたところで憶測にしかならない」
「そうだけど……。結局、二人のことも幻だったのかしら……本当に存在していたのかしら……」
 思わず大きな溜息が出た。だが相手もまた溜息をついた。何度目になるのだろう、またもや呆れた感じの。
「考えもなしに塔に突進していって、いまさらあれこれ考えるのか」
「考えなしって……失礼ね。助けようって考えたから塔に入ったんじゃない」
 答えると、スカッシュは手を完全に止めて、一段と深く長い溜息をついた。
「あの時に納得したものと思っていたが……気づいていなかっただけか」
 なぜ沈痛な趣なのか。
「何がよ」
 不服だと睨むと、スカッシュは真っ向から見てきた。
「何番目の塔だろうが、見たものがどうだろうが、変わらない。俺たちが入った塔が幻の塔である以上、得られるものは無形の体験だけだ。その記憶が信じられなくなったら、得るものはおろか残るものもなくなってしまう。塔に入る前は迷いはなかったんだろう。昨日リイムが言ったことにお前は頷いて、どう思ったんだ。お前にとって大事なことは、幻か現実かをはっきりさせることなのか」
「……分かってる、分かってるわ。あの二人を助けることができたかどうか、よ」
 視線を逸らしつつ、そこまで念を押すように言わなくてもと、タムタムは口を尖らせる。
「ありがとうって言ってくれたわ。……笑ってくれたもの。だから良かったって思ってる。記憶を否定するわけじゃないわ。でも……」
 現実、幻は関係なく、二人の笑顔も、言葉も思い出せる。
 それでも理屈ではないのである、これは。呼び起こされた感情はもう抑えきれないのであって。
「それとこれは別なのよね。気になり始めちゃったんだから、しょうがないじゃない。知りたいって思う純粋な欲求よ。発掘された箱から人形が出てきて、それが鍵で、あの子で……塔で色々見たんだもの。話を繋げる肝心の人形がなくなったからって、幻だったで片付けるのはやっぱり納得できないわ。少しでも、何か分かる方法ってないのかしら」
 尋ねたつもりだったが、スカッシュは下を向いてまた手を動かし始めた。言葉は淡々と。
「……さっき、自分で割り切れないから困っていると言ったくらいだからな。好きなだけいくらでも考えればいいさ。急ぎの仕事が終わらなくていいならな」
 非協力的な態度である。歯痒く顔には出てしまうが、不満はなんとか呑み込んで助力を頼む。
「もちろん仕事はするわよ……! でも気になっている今のままじゃ、集中できないんだもの、 能率上がらないじゃない。それに自分だけで考えても、見落としたり気づけないこともあるし……。だからとりあえず聞きたいんだけど、あなたは何か気づいたことや分かったことってないの?
「ない」
 早すぎる返事に一瞬言葉を失って。惑わない、考えた間すらない拒絶にタムタムはたじろいだ。
「ないって……。即答しなくても……。でもあなた、いつも何かしら考えてるじゃない」
「何度も言うが、証拠になるものがなければ憶測の域を出ない。ことごとく幻だった可能性もなくならない。それでも何かないのかと問うならば、ただお前の喜怒哀楽のために話すということになる」
 タムタムはうめいた。相手の言い草には口答えも面倒になってきたほどだが、現状では話す気はないというのが分かった。
「あ〜〜もういいわよ……! 証拠になるものがあれば別。でも該当するのはあのお人形以外ないんだから、話す気はないってことね」
「……正確に言えば第五の塔の鍵だ。あれは元々普通の人形で、鍵としては後から加えられた機能だからな」
 今の話の中で、些細な違いを投げかけることに果たして意味があるのか――。じわじわと鬱憤も溜まり、気が短くなっていたこともある。再び心が波立とうとしたが、スカッシュを睨もうとしたところで、僅かな引っかかりが先に気づかせてくれた。
「待って……? 後からって……」
 ここでスカッシュがわざわざ言い直しことには、間違いなく意味がある。今までの経験からして、だ。
 それは始め朧でありながら、つぶやく毎にはっきりしていく。
「そうよ、元々は鍵じゃなかったのよね……。思い出したわ……あの子のお父さんが魔法を施して、人形を鍵にしたって話」
 違いと意味によって、解けていくもの。
「だとしたら……第五の塔の鍵って、作れるものなのよね? たとえ失っても」
 自分の中で答えに辿りついた時、何度目になるのか、スカッシュが書き物を止めた。だがこれまでと違い、あしらう様子もなく、溜息もつかない。
「確かに、第五の塔の鍵は魔法で作り出せる代物だ」
 彼にしては神妙に答え、言葉を一度切ったのも意味があったのだろうか。予感なのだろう、どこか嫌そうな顔はしている。
「……それに気づいてどうだと?」
 じれったいのはもう十分だった。タムタムは単刀直入に聞いた。
「あなた、作れないの? 魔法で」
 数秒ほど黙った後。荒らげることはしないが、彼の声には呆れの他、憤りが感じられた。語調としては、何回話せば理解するのかと。
「何度も言わせたいようだな……。俺は魔法が得意じゃない、苦手なんだ。あの魔法は魔力の高さや総量は関係ないが、技術的には高度だ。緻密で繊細すぎて俺の手には余る」
 ここまで言えば納得するかと。向けてくる視線がきつい。
「苦手ってことは、もちろん忘れてないわよ……。それでも、一応は聞いてみようと思ったの。だって、一口に苦手って言われてもよ? 琥珀が必要な上、限られた魔法しか使えない私たちとは異なるんだから、私にはあなたがどこからどこまでできるのか、全然分からないんだもの」
 予想はできたが、やはり機嫌を損ねたので弁明しておく。
 その言い分には文句をつけないが、また別の不満はあるようだった。
「大体だ、しつこく絡まれる面倒を考えるなら、初めから言っている。できるものならな」
 それにはカチンときてしまい、我慢できなかった。
「何よ、しつこく絡まれるって……誰が!? ちょっと尋ねてるだけでそんなに迷惑かけてる? 返答に困るほどのこと、聞いた? そんなの、こっちだって難癖つけられてる気分だわ」
「さっきからお前の期限付きの仕事をしている俺の手を、何度も阻んでいるということだ」
 さらりと真っ向から返され、頬を膨らませることしかできなかった。
「……ごめんなさい、邪魔しちゃって!」
 こちらが頼んだ手前、頭が上がらない立場すら利用してくる。本当に食えない相手で苦手だ。
「私が悪かったわ、もう聞かないから専念してっ」
 これ以上強く言えないが、しかし無理をしてまで彼に聞く必要もない。
 タムタムは見限って、スカッシュから顔を背けた。一緒に第五の塔へ入ったのは彼だけではないのだ。対象を変えればいいと。
 今度は同室の残るもう一人へ向き直った。
「じゃあ、モーモーは? 何か気づいたことや分かったこと」
 尋ねると、強烈な不意打ちを食らったように、小山のような存在がはねた。目を見開いて。
「――はっ!? なんで、お、俺かモー? いや、いきなり振られてもな、全然……。というかいきなり振られなくても全然……。何を考えりゃいいのか全然……」
 逞しい筋肉の一際大きな体ながら、先ほどまでの彼は静けさそのものだった。思考より行動、ひとたび戦闘となれば目覚しい活躍が期待できるが、会議など話し合いの場はいつもあまり関心がない様子。発言は少なくなりがちで、この場でもそうだった。
 だがそれでも、人間である自分とは違う、発見があるのではとタムタムは考えた。ミノタウロスの野生の勘の鋭さには、期待できるはずだと。戦い以外でも、きっと。何かが。
「ほんと、なんでもいいのよ。違和感があったこととか、不思議に思ったこととか、何か話が繋がるかもしれないわ。どんな小さな手がかりでも、ないよりいいの」
「いや……なぁ、何でもって……そう言われてもなぁ……」
 顔を見てこない、モーモーの目があちこちをさまよい始めた時だった。
 二度打ち付けるノックがあった。
 まったく意識を払っていなかったので。後ろから小突かれたように、思わずタムタムは自分も入ってきたドアを振り返った。
「えっとどうぞ、開いてます」
「助かったモー……」
 後ろから小さな声が聞こえたが。
「僕だけど。入るよ」
 ドア越しのくぐもった声の後、ドアノブが音を鳴らし回る。
 まず姿を現したのは、声と合致するリイムだった。
「おっは〜! だぜ! お、タムちゃんも来てんじゃん!」
 そして彼の足元に笑顔を振りまくヒマワリの顔。
 こちらを見るなりすぐさま近寄ってくる。また今日も面倒なのがついてきたなと、タムタムは内心苦笑した。
「おはよう。……あなた、今日も暇なのね」
「おおタムちゃん、いきなりなご挨拶だが、実はちょい違うんだな……。俺がヒマっつーかな、今日も姫さまが忙しいんだよな、最近ほんと公務で多忙って感じで!」
「何も変わらないと思うけど……まあいいわ」
 顔を合わせたとたん呆れざるを得ない。きっと意味はないが、ミラクルはその場で頭を振り始める。
「ところで、リイムと一緒なのはあなただけ? 他のみんなもいたでしょう?」
「おう。リイムが先に訓練に入ってくれって言ったから、連中とは別れてきたんよ。今頃始めてんじゃねぇの? 俺は勇者軍じゃなくて姫様のお客様だからやんねーけどな!」
「先に?」
 その間にリイムも中へ入ってくる。ミラクルからの別れてきたという答えと、小脇に何か、あまり厚さはない箱を抱えているのが少し気になったが、問う前に声をかけられた。
「おはようタムタム。……やっぱり仕事が溜まっていたみたいだね」
 彼の笑顔に他意はないのは分かっているが、机に広げた書類を見られると、なんとなく後ろめたい。
「えぇ……教授の強行軍で予定通りに進まなかったのもあるけど、昨日もできなかったから……」
「そうだね。昨日こそ、する暇はなかったよね……」
 昨日の疲れを思い出したのだろう。リイムもそこは本心から同意してきたのが分かった。
 それから彼はスカッシュからは真向かいになる席の椅子を引いて、気になっていたのか、座りながら声をかけた。
「ところでスカッシュ、何を書いているんだい?」
「勇者軍の支出報告だ」
 やはり顔を合わせることはなく、手を動かしながら返す彼。ただし、リイムのほうは不思議に思ったようだった。それはおそらく、勇者軍内での日常の事務は、ほとんどが担当一人の仕事であるからで。
「支出書? ……手伝ってるんだ?」
「――そうなの、手伝ってもらってるの……!」
 スカッシュが答える前に割り込んで話す。リイムは怪しむ様子もなくさしあたり納得したようで、それ以上の追求をしてくることはなかった。向こう側では筆記音が一瞬止まったがすぐに再開し、表情は分かりかねるが、彼の呆れた意思表示の最たる溜息は、もう聞えてこない。
「じゃあ、僕も二人と一緒に早く終わらせてしまおうかな」
 そして席についた彼は、タムタムが気になっていたもの、持っていた箱を机にのせた。
 目の前で開かれたその箱からは、意外なものが出てくる。自分たちと同じ――取り出されたのは筆記用具と紙だった。先に魔物のみんなと別れたことにも、合点がいった。
「リイムも? ああそれで、みんなには訓練に入ってもらったのね」
 勇者軍の光景としては珍しいだろう。モーモー以外、みんなして書類と向かい合っているのは。
「うん、昨日の件をね。……王様にも申し上げてご判断を仰いだけど、正式な報告書を出すことに決まったよ」
 話を聞いて、スカッシュの筆が再び止まった。
「……第五の塔の存在を、公の記録として残すのか?」
 意外そうなその問いに、リイムは僅かな苦笑を浮かべて答えた。
「確かに重要な『鍵』はもう手元にないし、塔自体が僕たちが見た幻だったのか、本当に現実に現れたものだったのか、今では確認しようがないけど……。謎に満ちたミラージュの塔についての数少ない出来事ではあるし……なにより教授が納得しないだろうから」
 結局のところ、問題は最後の部分ということなのだろう、彼の笑みが示すところは。
「そうだな……。『鍵』の出所が新発見や謎の解明を期待される遺跡調査の発掘品となれば、あの博士が『なかったこと』では認めるはずもない。俺たちが見たものは、まさしくラドックが熱望するものと合致するからな」
「間違いないわね……。誰も知らない第五のミラージュの塔だもの。調査最大の発見になるかも」
 タムタムもうな垂れるように頷いた。これは簡単に場面が浮かぶ話。もしもスカッシュの言う『なかったこと』にでもすれば、師は怒って長々とミラージュの塔について語り記録の必要性を説き、王様に直談判をもって陳情するだろう。
「昨日のことを考えれば、それこそ意地でも通しそうね……」
 リイムの苦笑は続いている。
「記録して残すわけだから、これで真実が、実は第五の塔が現れる幻を見ただけ……なんて、幻影の村の村長に言われた話じゃなければいいんだけどね」
 彼としてはそれで話題を終わらせたつもりだったのだろうが。
 気持ちがそうさせたのか、タムタムは少し腰を浮かせ、身を乗り出していた。
「それについては、やっぱり気になっているんだけど……リイムは実際どう考えてるの? 何か気づいたこととか、分かったことってない?」
 笑い返さずに真面目な顔を向けると、リイムの様子は戸惑いに変化した。
「それは……個人の希望を盛り込んでいい話じゃないからね……。あの子の人形がなくなってしまったから、僕はもうなんとも言えないかな……。村長が示した可能性は、体験上受け入れ難いのは確かにあるよ。でもミラージュの幻に関しては、塔に入ったはずの僕たちみんなが見たからといって、現実である根拠にはならないし。幻影の村の人たちが、誰一人として五番目の塔を見ていないのも考えるとね……」
 話が続くと思わなかったと。歯切れの悪い返答は、彼も内心、何故いまさら尋ねてくるのかと不思議に思っているためか。
「父親探しを達成できたこと、現在も継続中である調査の進捗はさておいて、第五の塔やあの親子が実在したのかどうか、個人的に気にかかって仕方ないんだそうだ」
「そう。なんだ……」
 横からのスカッシュの口添えに、リイムは言葉に窮した返事。
 ――何故なのか。周囲の態度に、タムタムは疑問すら感じた。誰もこちらを見てこない、何も言わない。気になっているのはただひとり、自分だけなのか。納得いかない。
「リイムも気にならないの? 全然? 知りたいって思わない? 理屈抜きで衝動としてよ?」
 リイムはそそくさと報告書に視線を落として、書き始めながら。
「え? っと……僕はあの子たちは助けることができたと思っているからそれで十分で、謎についてははっきりしなくても、そこまで気にならないかな……。いまさら僕たちに出来ることもないだろうし……」
「そうなんだけど……」
 そうではない。
 心情的に。物分りが良すぎるのではないか。
「そうなんだけどね……!」
 気持ちが体が、力んでしまう。どうして皆、自分たちが体験したことにこうも無関心でいられるのか――。ちょっとした好奇心があるなら、もう少し話が続いてもいいだろうとタムタムは嘆息しかけたところ、小さな影が飛び跳ねた。
「ほーい、はいほいタムちゃん! ほらほら俺! 俺もここにしっかりといるんだけど! 忘れないで聞いてくれよな!」
 短い葉っぱを上下させながら側に来て、必死にアピールしてくるので、無視するわけにもいかなかった。
「……じゃああなた、何かあるの?」
 別に期待していたわけでもなかったが。
「はい、なーんもないまったく分からんね……ぎゃわ!」
 笑顔が屈託なさすぎた。
 タムタムはその花びらを一枚つまんで少し引っ張った。
「あああ、のののォぅ……この場にいる全員に意見を求めているものかと思いまして……俺も一応答えておくべきかなぁとまぁ……」
「無いならわざわざ言ってくれなくても結構よ」
 言ってから、指を離して解放すると、ミラクルは花びらを揺らしながら一歩退いた。
「でもなぁタムちゃん、やっぱ無いと思うぜ。こうだったらいいな〜とか、ああだったら嬉しいな〜とか、想像でおしゃべりするくらいしか、ほんと」
「――今回はその精霊と同意見だ。いい加減にして、後は大人しく調査の朗報を願って待つことだな。これ以上考えたところで、目の前にある溜まった仕事は片付かないぞ」
「――じいさんのことだからな、何か新しい発見があったらきっと真っ先にすっ飛んでくるぜ、ここに」
「――今話しておかないと逃げるってものでもないし、どうせなら情報が出揃ってから考えたほうが確実じゃないかな」
 ミラクルを皮切りに、スカッシュ、モーモーそしてリイムと続けざまに言われ、タムタムは口を噤むしかなかった。
「そ、そう……かしら、ね……」
 自分以外の意見が一致している。しかも連携された。もはやここでごねたところで、誰も付き合ってくれないのは自明の理。何よりリイムまで完全に向こう側なのが痛い。
「はぁぁ……。分かったわ、とりあえず待ってから考えることにするわ……」
 タムタムは溜息をつき、仕方なく諦めて仕事に取り掛かることにした。
 だが、彼らはそれからすぐ話を戻すことになるとは思わなかっただろう。タムタムもだったが。
「……あー……えー?」
「モー……」
 交わす言葉が途切れてから一分も経っていなかった。ミラクルがよじれながら頭を振り、モーモーが困惑気味につぶやいたので、タムタムは紙を広げなおし、少し書き始めたところで手を止めた。
「なに、どうしたの?」
 覚えはないが、自分が何か変なことをしたのかとタムタムは見回す。すると、二人だけではなく、スカッシュやリイムも無言で筆を止めているではないか。
「え、何なの、みんな……?」
 尋ねても返事がない。タムタムは彼らの変化に戸惑ったが、僅かな間だけだった。
 ざわめきのような音を感じた気がして、ふとドアを見た。近くであれば、それはけたたましい声であり、廊下を全力で駆ける足音であったのか。
「……?」
 小さな予感が胸に生まれた。だがそれを言葉に変える前に、廊下側から聞えてくる騒音は大きくなり、瞬く間に流れ込んで来た。部屋を飲み込む濁流のように。
 思わず立ち上がる。
「――きゃあぁ!?」
 一瞬タムタムは、爆発でもあったのかと錯覚した。それくらい驚いたのだ。バンと、全体に響く音と共にドアが全開となり、衝撃によって弾き出されたような小柄な影が、室内に飛び込んできて。
「たいっ、へんっ、じゃあぁーーーー!!!」
 絶叫を上げた親しい老師。
「き……教授っ!?」
 師の姿を認めてから、言葉が消える。ふと気づいたのは、リイムたちが黙り込んだ理由だった。ラドックが接近していることに、いち早く気づいたためだったのか。
 しかし先に気づいた誰一人として、声を掛けないのは――。
 調査結果が待ち遠しいと思った気持ちなど、一気に吹き飛んでいた。
「教授……?」
 タムタムは恐る恐る声を掛ける。
 絶叫を上げた後のラドックは、真っ赤な顔で白髪に覆われた眉を吊り上げていた。肩を激しく上下させ、右手に今にも振り上げられそうな愛用の杖を握り、左の小脇に小箱を抱えている。
 どういう精神状態かは、即分かった。
「あ、あの、何か見つかり……」
 そしてタムタムが話しかけている途中で、ラドックは杖を振り上げ、熱病にうなされてでもいるように話し始めた。
「――ぅおお、タムタムやっ!!! 一体これは何がどういうことかワシには分からん! あり得ん! あり得んぞい! 確かに重要な人形は消えてしまったが、それが入っていた箱をワシらは間違いなく現場で発掘したのじゃ! 当然、事前調査にも誤りはないと判断して、本調査に踏み切ったのじゃ! ぬかりはない、王国暦以前の埋蔵物が何かしら見つかるはずなのじゃ! 決め手は地質調査じゃった! カオスドラゴンがラクナマイト大陸を支配していた頃の地層ははっきりとした特徴がある! 知っておるじゃろう、当時、大陸に生きていた全ての命に対し、破壊の限りを尽くした混沌の龍により、ラクナマイトは精霊すら宿れぬ死地と化したことを。ワシらが生きる今でこそ大陸は豊かな大地に戻っているが、その時の痕跡の一部は長き年月の間に地中深くへと埋もれ、間違いなく残っておるのじゃ。ここからが大事じゃが、箱が出てきたのはなんとその地質の下なのじゃよ、下下! 下ということは言わんでも分かるな、上の地層より時代が古いわけじゃ! それがなんと、幻影の村近辺のみで確認されている特殊な地質と同様の分析結果が出たのじゃからたまげたわい! 事前調査で判明したその結果に、ワシはひとつ仮説を立てた! ミラージュの塔は、周辺にも恒常的な影響を与えているのではと! そして、カオスドラゴンが大陸に現れる以前に、塔は既に存在していたと考えられておる。だがのう、一見普通の石造の建築物なのに、激しい経年劣化もなく、今も聳え立っておるのが不思議と思わんか! カオスドラゴンによる破壊の時代を通過してなお、じゃ! 実は前々から考えておったことなのじゃが、今回の調査でワシは確信をもった! これは塔の状態を保存する魔法が掛かっているのではないか? そして影響は塔のみではなく、その周辺にも及び、カオスドラゴンにより破壊される前の状態が現代まで保存されているのではと! こう考えれば今も塔の周辺でさほど掘ることもなく見つかる地質と、調査地帯の発掘現場である地中深くから出た地層の分析結果が同じことの辻褄が……」
「――教授っ!」
 しかし、タムタムはついに声を荒らげた。くどい、長いと出かかった言葉だけはなんとか引っ込めて。
 様子を伺い、聞いているだけでは終わりが見えないことを忘れてはいけなかったのだ、師に対しては。放っておけば迷走する。
「それで再び現場に向かって、何があったんですか!?」
 詰め寄るように尋ねると、面食らってあごを引いたラドックが、たじろぎながら答える。
「それが……何もないんじゃ……」
「何もないって……」
 お互い冷静ではなかったためだろう。あったのかと尋ねて無いとの答えに、一瞬タムタムの思考は中断し、ラドックも長く白い眉を揺らしたが、やがて齟齬に気づいて言い直す。
「おお、つまりな……ありえんのじゃが……。何も出てこないんじゃ、他に何も……」
 おかげで、上手く話を仕切りなおせた。
「価値のありそうなものが、他に何も出土しないってことですか?」
「いや、価値のあるものどころか、あれから一切、出てこないんじゃ……破片も何も」
「……それって、ある程度の範囲を掘り進めての結果なんですよね?」
「無論じゃとも……」
 片手で頬杖をつき、呆れた顔で横から口を出してきたのはモーモー。
「なんだ、どんな大事があったのかと思えば……別におかしいことじゃねえだろ、いつものガラクタしか出ないことを考えれば。あの人形以上のものは埋まってなかった、それだけじゃねえのかモー?」
「――それだけではないわっ! 出ない理由があるからおかしいんじゃ! ……ん? いつもガラクタしか出ないじゃと?」
 話の進行が逸れかけたのを察知して、タムタムは慌ててラドックの睨む視線をふさぐように前に立ち、方向を修正した。
「――あー! 教授、どういうことなんです!? それ以上発掘されない理由がはっきりしているって……一体……」
 考えてみると不可解な話であった。調査の終了予定日はまだ先のはずだ。調査は始まって間もないが、今回は長期日程で発掘を進めることが決まっていたのだから、数日で結論を出すのは早過ぎる。打ち切る決定的な理由でもなければ。
「検証によって、もう発掘されるものはないって結論を出したんですか……? 今回の調査、最低でも三週間は続ける予定でしたよね」
「そうじゃ……。それだけ期待されていたし、時間も当然かかるものと考えておった……。しかし、もう調べ終えることになるとは……」
 ラドックの声が弱くなっていく中、皆がそこで続きを黙って待った。
「分からん、本当に分からん……。何なんじゃ一体……」
 怒りが失せて勢いがなくなり、悲しみだけが残った様子。思わず溜息をついたことで、続けようとした言葉が切れてしまったようだ。
 ねずみの獣人であるラドックは元々小さい姿だが、しょげることで俯き、背が丸くなり、一回り小さく見えた。
 今回の調査、本当に張り切っていた、喜んでいた。
「教授……」
 声をかけるも、先を促すのは気が引けた。だがラドックは疲れきって、長話を続けるのすら嫌になったか、余計なことも挟まず自ら話し始めた。
「はぁ……まあなんというか……とにかく本当に不思議なことじゃよ。……聞いてくれ。人形が入っていた小箱が見つかった地層がな……突然途切れてしまったんじゃ」
「それは……? 途切れたって、地層がずれているんですか」
「ところがそうではない。上にも下にもない……何より他の地層を見る限り、ずれたり曲がったりする跡がない。ならばどうして途切れてしまったかというと……小箱が見つかった周辺のな、そう、この部屋を二つ並べたくらいかのう……それくらいの範囲にしか、例の地層はなかったからなんじゃよ。だから数日で調査が終わったというのは分かるじゃろ」
 調べる範囲が狭いなら、調査が早く終わってもなんら不思議はないのだが。
 タムタムは話の流れで一度頷いたものの、強い違和感を覚えた。
「……?」
 なぜ地層がそんな狭い範囲内で途切れているのか。その場合、どういうことが起こったと考えられるのか。タムタムには分からなかった。
 そんな表情を読み取ったのか、ラドックが苦笑した。
「やっぱり理解しかねるじゃろ、おかしいじゃろう? 極めて限定的な地層が一部分だけそこに存在するための説はどう考えたものか……分からん。一体全体、何があってこんなことになるのやら……。 まさかどこかから切り出してきた地層を、そこに埋めたとでも……」
 思ったとおり、答えなど返ってこなかった――。それがラドックの自嘲に含まれていた。
「誰かの仕業なのか、何かワシらの想像できん特殊な出来事があったのか……全く分からん。ただはっきりしているのは……そこ以外の地層は、特に珍しくなく時代も異なっておっての。……その現実を踏まえると、ワシらはどうすればいいか……後はまぁ、言わんでも分かるな」
 まさかそんな顛末とは。話を聞き、調査隊が直面した出来事を知って、呆然とタムタムはつぶやいた。
「……予定と違う調査はできない」
 異なる地層を掘削し続けるのは計画にないこと。掘れば何か出てくるというなら、誰も苦労はしないし、誰でも成果を上げられるだろう。よって目的の地層を全て調べ終えた以上、調査は終了としなければならない。ラドックと調査隊は結果について納得がいかないまま、苦渋の断念を下さざるを得なかったのだ。
 調査終了のいきさつを話し終えて、ラドックは最後に残った未練を完全に吐き出すように、大きく溜息をついた。
「……そういうわけじゃ。だからもう片付けに入っておるよ。今日中に帰ってくるわい」
 黙って聞いていたリイムたちから、質問や慰めの声は上がらなかった。ねぎらいの言葉などかけられるはずもない。初めの期待が大きく、成果を見込んでいただけに、意気揚々と城を出発した調査隊はすごすごと帰ってくるだろう。
「まさかこんなどんでん返しで終わるとは。発掘したと言えるものは、この小箱と中に入っていたものだけ。誰が予想できたじゃろうか……。結局ミラージュの謎も、何一つ解明できんかった。……いや、むしろ謎が増えたのかもしれんのう」
 もっていた小箱を眺めながら、寂しそうにラドック。それを見て、タムタムも自分がつい先ほどまで調査に期待していたことを思い出した。
「じゃあ、第五の塔についてはもう何も……」
 普段はラドックの遺跡調査の結果について気にすることはあまりなかったのだが、今回ばかりは気分が沈んだ。判断する材料が揃わない以上、もはやあの親子については、塔で見た幻影とみなす他ないのか。
「いっそ何も出なければ良かったのかもしれん……。なまじこんなものが出てきたばかりに……舞上がってしまったわい」
 ラドックらしくない弱気な発言だったが、望みすぎた期待の反動なのだろう。
「これだけではのう。せめて中身の鍵さえ残っておればまだ何か……」
「すみません教授。持ち帰ることが出来なくて……」
 調査で見つかったものが小箱のみとなれば、その中に入っていた鍵である人形が、最も重要な出土品となる。しかし今回の不思議な出来事は、小箱に入っていた人形が消えたところから始まったが、自分たちはそれを探しに出かけたにも関わらず、結局その目的は果たせずに帰ってきた。
 申し訳ない気持ちはあった。元気のない師を目の当たりにすれば、なおさら。
 ところがラドックは、ふっと笑った。
「……誰しも予想できなかったことに巻き込まれたんじゃ、仕方ないわい。お前さんたちが無事帰ってきただけで十分じゃよ」
 そしてラドックは机の上に、もはや興味を失ったかのように小箱を置いた。
「さて、ワシはこれからまた調査地へ戻る。総責任者だから、最後に引き揚げを指示しなければならん。現実、不運を嘆く暇はないんじゃ、無駄に潰していい時間などワシらにはないからの」
 断言したラドックに、モーモーの眉間に皺がよった。
「……じゃあじいさんは何しに一回城に戻ってきたんだモー?」
「そんなもの決まっておるわ! これはお前さんたちに先に話しておくべきと思ったからじゃ!  調査の結果が気になって気になって仕方ないだろうとな」
 その発言で、ラドックを思って沈んでいた場の雰囲気が、一気に砕けた。
 ミラクルが何か信じられないものでも見たかのように、だらしなく口を開けた。
「はあ……そっか。あぁ、そだなぁ、若干一名だけが……」
「残念じゃが、ミラージュの塔に関しては裏付けるものがなく、今回の調査で新たに判明したことはなしと決まった。また別の発見が無い限り、進展はないじゃろう……。謎は結局、謎のまま……。しかしじゃ、塔がある限り、いつか分かるものと信じておる。ここはすっぱりと、一旦手を引くべきじゃろう」
 だが既に、ラドックは周囲の声を聞いておらず。
「まぁ……本音としてかなり手痛い結果じゃよ……。大体、他にも調査したいところはいくらでもあるんじゃ。しかし今回の件で次の予算がどれだけ下りるか……。難しいが、上手く考えなくては……」
 ついさっきまでの、悄然としていた姿は一体なんだったのかと思うほど。ラドックはブツブツといいながら、唖然とする皆を見ることもなく、さっさと部屋から出て行ってしまった。
 途中、誰も声をかけなかったから、ドアが閉まる音は一際大きく聞え、強さに一瞬揺れたと思ったほど。
 ラドック一人に拘束されていた間がそれで解け、各々は反応し始める。ミラクルは我に返ったのだろう、飛び上がった。
「うへぇ、なんだなんだぁ、さっきまでしょぼくれてたってのに……。なんであんなに元気になんだよ。しかももう次のこと考えてやがるし……頭の切り替え早いっつーか、バイタリティ溢れるじいさんだよな……」
 僅かな恐れすらあるのだろうか、小刻みに震えた。
「見込みのないものに時間を割きたくないんだろう。あの割り切りのよさはなかなか真似できないが……」
 言い回しから、決して褒めているわけではないスカッシュ。
 モーモーは驚きも疲れた様子もなく、もはや慣れてしまったのだろうか。
「なんだな……いつもより大きく期待が膨らんでただけで、やっぱり結果は特に変わらなかったな」
 そしてリイムは書きかけていた書類を持って読み返し、思案しているようだ。
「教授があの様子だと……この報告書、細かく書かないとダメ出しがあるかなって思ってたけど、あまり気にしなくても大丈夫かな」
「ったく、何でも生真面目に考えるなよリイム。そんなの適当でいいって! もうどうでもいいんだろ。だって、喜んで掘り出した古いガラクタ……いや、お宝って奴か、それをここに置いてっちまったしな。提出しても、じいさん読まねーんじゃね? まったく済んでみりゃ酷いもんだ、せっかく俺とタムちゃんの愛の奇跡でこじあけたってのによ。なぁタムちゃ〜ん!」
 適当な言葉を返し、気にすることは何もなくなったのか、普段のように大口を開けて、ゆらゆら頭を揺らし見てきたミラクル。
 タムタムはどっと、気が抜けた。
「はぁ……」
 悲しいかな、ミラクルのたわ言を聞き終えた直後、認めてしまった。自分の中で今回の騒動の何もかもが終わり、片付いたことを。
「疲れただけね……」
 先ほどまでの心からの同情も、調査に対する関心もその瞬間冷めてしまい――いや、崩れたというべきか。ようやく諦めがつく。つまりタムタムは何もかもが馬鹿らしくなって、大きな溜息をついた。
「待って考えて、結局第五の塔について、分かることがなかったのに……。まったく、最後は嘆く暇もなかったじゃない。今回はさすがにショックで応えていると思ったら、教授は全然元気そうだし……」
「だなー。次の予算の心配してるくらいだから、精神的にもまだまだ余裕って感じだぜ。あんなに面倒なじいさんが師匠なんて、タムちゃんほんと大変だなー」
 そんな声が聞えてきて、頭が痛くなってきて。
「……あなたはあなたで、放っておくとすぐ調子に乗って好き勝手なことを言うし……ほんと呆れるわ。……一体どこに誰と誰の愛の奇跡があったって?」
 まるで自分は関係ないと、他人事のようにへらへら笑ってくるミラクルの額を指で突く。
「――きゃふん!? ほらでも……当人に自覚ないだけで、潜在的な愛のパワ〜が偶然働いたかもしれんし、って……」
 口で言うのも面倒になったので、両手を上げ、親指と人差し指でつまむ仕草を見せると、ミラクルは青ざめてさっとリイムの向こう側に逃げてしまった。
 腕を伸ばしたのだが捕まらず。しかし、追い掛け回すほどの元気はない。
「ありえないわね……。偶然の奇跡なんて、そうそう起きるものじゃないから」
 ただし、否定の断言はしておく。それでもミラクルは顔を見せて、まだ食い下がってくる。
「えー、そっかぁ!? そこはちょいと反論だが、ありえなくないって! だって、わりと俺たちってそういうこと体験してんじゃん? 思わなくない? 今回のことだって普通じゃなかったろ。あのじいさんがガラクタ以外を引き当てるのも奇跡みたいなもんだし、発掘でたまたま見つかった箱を開けたら……でっかいでっかい、凄いスケールの幻が出てきたんだぜ?」
 タムタムは一瞬黙った。
「幻が出てきた、ね……」
 遅れて反芻を吐き出す。
 その響きは、全てが幻だったと聞えたからだ。第五の塔に入ってからの体験だけではなく、女の子の人形が入っていたことも、現れた第五の塔の存在自体すらも。
 ミラクルは自分の発言の意味をどう捉えたのか気づいたようで、気まずそうな表情こそ見せたものの、考えを偽ることはしなかった。話しにくそうだったが。
「いや、さ……何にも残らなかったからさ……。形があるものどころか、新発見の期待すら消えちまったってわけだろ……。第五の塔だって、俺たちしか見てねーんだし。……もちろん、俺だって全部が幻だったとは思いたくないぜ? けどさ、幻じゃなかったものがどれなのか、もう分かんねーし……。それで、箱に幻が詰まってて、それが出てきたのかなぁって思ったんだよ。中の幻が消えて、空箱だけが残ってさ」
「……」
 手に取った人形の感触、女の子の手を引いた感触。自分の中では幻ではあり得ないことだ。だからタムタムは話を聞いたところで、同意はできなかった。ただ、ミラクルの意見は黙って聞いた。
 自分の心は変わらない。だが周りの出来事が意見が、不確かになり信じられなくなるのは仕方ないのかもしれなかった。何も残らず、分からなかったのでは。
 ラドックによる騒ぎで流れてしまったはずの感傷が、今更戻ってきた。
「……私は今も信じているけど、これは私の気持ちだものね。それぞれ思うことが違ってもおかしくないんだわ。意見が分かれるのは、これに限らずあることだし……」
 物分りがいいのではない。自分の意見をぐだぐだ続け、しつこく食い下がって変えられることならば、やっている。違うのだと言い返せるうちは、何を言われたところで塞ぎこむことはなかっただろう。それが出来ないのが少し悲しかった。否定できるものが何もないので、言い返せないだけだから。
 なんともやるせない気分になって、タムタムはテーブルに置かれた小箱を見やった。
「何も見つからなかったのが、残念だったね……」
 声をかけてきたリイムは、良いとも悪いとも言わない。結果にだけ触れた飾りのない慰めこそ、彼なりの優しさと配慮なのだろう。気持ちを伝えるのに大げさな同情を盛る必要はないし、必要以上の言葉が増えるほど、後々の感情が入りこむ空洞も大きくなるかもしれない。
「うん……そうなのよね……。教授の肩を持つわけじゃないけど、発見が忽然と消えたみたいなんて、さすがに考えられなかった結果になったのはね……。残ったのはこの箱だけで……」
 彼に心ばかりの笑みを。そして、すぐには薄れない寂しさから手を伸ばした先には、小箱があった。
 軽く触れることで思い起こす。調査の最中発掘された、魔法の鍵がかかった開かない小箱。まさか魔法の解除ができるとは思わず、驚きが収まらない中、期待を込めて蓋を開けたのがつい一昨日のこと。
「幻が出て行った、残りの空箱……」
 再び手にとって、ふいに口ずさんだのは先ほどのミラクルの言葉だった。何故言葉にしたのかは、自分でも分からない。いまさら否定したかったわけではないはずなのに。
「空……」
 しかしそこで、不思議なことに感情が浮かび上がってきた。強い疑念で、先ほどとは異なる個人的な気持ち、感情の問題ではなく。異議がある、事実として何かおかしい、何かが間違っていると、心が騒ぎ始めた。
 何故なのか――。
 開けた時の出来事が、より鮮明に目まぐるしく、記憶の中で動いた気がした。
「空っぽ……ううん」
 タムタムはすぐ答えに行き着いた。おそらく小箱に触れたことにより、あの時を振り返ったことで思い出せた。
「――そうよ、違うじゃない!」
 確信に、すぐさま小箱の蓋を開く。
「……はぁぁ〜ん? 何が……」
 ミラクルの呆けたつぶやきは聞えていたが、心には届かない。
 開けて中を見ても、見える範囲には何もない。当然、分かっているからそこに驚きはない。
 そして自分を突き動かす予感が、一瞬止めた指を再び動かし、上段と下段を分けている中の仕切りを外した。
 ミラクルも周囲も、それを見て思い出したようだ。
「あっ。……そういや入ってたのって、人形だけじゃなかったか」
「ああ、あれかモー。あったな、じいさんがその後、ガッカリ箱じゃーって叫んでた……」
 ミラクルの声もモーモーの声も、思い出したところで驚きも期待も含まれない。その理由は、魔法で施錠された小箱の中に入っていても、重要なものとは誰も全く思わなかったものだから。タムタム自身も。
 誰も気に留めなかったもの、すっかり忘れていたもの。小さく、だが確実な違い。
「あるわ。……残ってる」
 残された、もうひとつの形あるもの。
 小箱の底。赤、青や黄色、そして緑と、鮮やかな色で埋め尽くされた紙が一枚、入っていた。
「子供が描いたような絵、だったね」
 リイムのつぶやきに、ごく小さく息を飲んだ。
 今だからこそ分かる、何が描かれていたものなのか。
 絵はきっと、あの子が描いたもの――。
 覚悟はいらない。小箱を開けたあの時のように皆が静かに見守る中、タムタムは迷わず疑わず、二つ折りにして閉じられている紙を手にとって、開いた。
「……タムちゃん?」
 ミラクルが我慢しきれずすぐ声をかけてきたが、タムタムは少しの間、胸中に広がってくる感情に浸った。
「なぁなぁ、何か違うんー!?」
 温かなそれは、身をぐいぐい乗りだし顔を突き出し、待てない相手へ笑いとなってこぼれてしまったが。後はすがすがしく、弾んだ気持ちになった。
「ほら……やっぱり、幻じゃなかったわよ」
 タムタムは声を得意げに上げて、絵を見せ付けるようにテーブルへ広げて置いた。
 丁寧とは思えず、色も少なく線は太くのびやか。細部はよく分からない。子供の落書きのような、絵の出来栄えは前と同じと言える。しかし前の絵との違いは明確だった。驚きの声はすぐさま上がる。
「ほえぇ、え? ええぇ、絵がっ!?」
 真っ先に覗きこみ、驚きのあまり動転したのだろうか。ミラクルはふらつきながら回転した。
 冴えない様子だったモーモーも、絵を見て戸惑い、目が覚めたようだ。
「何でだモー? 変だぞ、前と全然違うじゃねぇか。この絵、どうなって……」
 まずそこに、間違えようがないものが描かれていたからだろう。白黒の模様で、牛の頭がある人らしき姿というのは。
「俺と、それに……」
 しかも描かれている人物はそれだけではない。
 リイムも驚き、一瞬言葉を失っていたようだった。絵から目線を逸らせないほど。
「これ……にわかには信じられないな、僕たちじゃないか。それにあの子とお父さんも……。でもどうして……この絵は小箱の中にずっと入っていたのに……」
 色とりどりの花はある。そして勇者軍の、第五の塔に入った自分たちの姿もある。親子の姿もだ。
 それが事実だとしたら一体何を示すのか。
 ミラクルは理解できる範疇を超えたからこそ、混乱しているのだろうが、それでも口は出さなければならないと本能が働き、意思に反してしゃべるのだろう。口は大きな半月なのに、無機質な笑みだった。
「あ、ああ……そうだ、あれだ……そうだった、これはきっとあぶり出し……」
「みんな忘れてたじゃない。誰も何もしてないのに、どうしてそうなるのよ」
「もし変わった現象があぶり出しだったとしても……いや、方法は何でもいいんだけど、たとえ何らかの方法で絵が変わったとしても、僕たちが描かれている説明にはならないよ……」
「あ? あぁ……? それはつまり……あのじいさんが小躍りして持って帰る古い古い大昔の箱だろ、しかも何か面倒な鍵がかかってて、それを開けたらその中に何故か勇者軍の面子がいる絵が入ってたってことになると……な、なんなんだ、どういうことだあぁぁーーッ!」
 リイムの指摘にミラクルの思考は無理やり動き出して、程なく爆発してしまった。
 天井に向かって吠えて、乗っていたテーブルの上で枯れるなり、はらりとうつ伏せに倒れる。
 あまりにオーバーなリアクションだと、タムタムは呆れた。せっかく喜んでいたのに、水を差された気分になる。
「別に難しい話じゃないでしょ。第五の塔で会った二人は、幻じゃなかったってことだもの。きっとあの子のメッセージよ、間違いないわ」
 ミラクルはしわしわの花びらの顔だけを重そうに半分上げて、訴えてきた。
「いやいや……。いや……その意見、まぁ分かるぜ、うん……。でもさ、そうだとして考えて……つまり、何が起こったらあの時の嬢ちゃんとおっちゃんが本当にいて、幻じゃなくなるのか、それが分かるのか、タムちゃん……」
「え? 何が起こったら幻じゃなくなるか?」
 ごく普通の疑問であるが。思わず聞き返すほど、タムタムには思いがけない問いだった。
 描かれているものから、絵は間違いなくあの女の子のものだ――。それが残っているのだから、二人は幻であるはずがない――。その嬉しさのあまり、出来事を突き詰めるという発想にまで至らなかったので。
「ん……ん。……と」
 言われてから考えようとしたものの、肝心の思考が回らないところで焦りが生まれた。考えようとすればするほど話が広がり、幻が入り混じる全貌ははっきりしないことも多く、複雑で掴みどころを見失う。何かとてつもなく大事であるような予感だけが、むくむくと大きくなって。
「実際に私たちが会ったってことになると……それって、どういうことになっちゃうの……?」
 実に間抜け。タムタムはぽかんと口を開いてミラクルを見返すことになった。皆が詰まっていた謎に、今ようやくたどり着いたところである。しかし恥ずかしいと思うよりも、驚きと疑問のほうが圧倒的に勝っていた。幸い周囲も、そんなことは気にしていない。
 問いかけであるつぶやきに、リイムとモーモーは見返してくるが、彼らも思案はしているものの表情は依然として困惑していた。考えを練り上げまとめることができず、判断に迷い、話すところまではいかないのだろう。
「まさかな……」
 返事ではないつぶやきは、顔を合わせた彼ら二人ではない方向からだった。
「――おぉらスカぁ! しれっと聞いてて、いまさらぼそっと何だ! ……続きはさっさと早く丁寧に頼んます分かるように」
 今までだんまりだったそちらをタムタムが向いたところで、既に用意が出来ていたかのように、いち早くミラクルの噛み付く発言。
 相手は周囲の話を聞きながらも、少し前まで書いていたのだろう。かなり進んだらしい支出書から筆を置き、視線を向けてきた。
「俺も少し驚いたが……」
「……って、顔も声も驚いてねぇ」
 さらに不満そうな顔と声が横からのぞくが、ここで構う者などいない。
 見た目の様子はともかく、実際は彼が口にした通りなのだろう。スカッシュにしては珍しく、言葉を発するのに躊躇いがあるように感じられた。
「……おそらくだが、他に考えようがない。ここにいる誰かが、絵を描いて差し替えたと言わない限りはな」
「だ、誰がそんな暇なことすんだよ……。あ、俺違うよ絶対!? ほら、見て! お花は指がないから、ペンとか持って絵は描けないって分かるね! ……で、何だって!?」
 ミラクルが一人だけ倒れたり起き上がったり、激しく顔を振ったり、忙しそうに動いたが、スカッシュが誰かの出来心を疑っての発言でないことは、分かっている。
「やっぱり、とんでもないことが起こったのね……?」
 本当は自分もリイムたちも、答えはなんとなく見えていたのかもしれない。だがそう結論付けるのは無意識ながら恐れがあり、とにかく自信がない。あり得ることなのかどうかが、判断できなかった。
 ライナーク王家の記録にも、過去の事例はないだろう。大陸中を探しても、あるかどうか。
 その予測を結果という形にして、スカッシュが言った。
「歴史の一端に変化が起きた……」
「……」
 短い内容だった。意味が分からない言葉ではない。誰も驚いて飛び上がることはなかったが、すぐに頷けない。
 言い回しこそ違うが、脳裏を一瞬過ぎって、そしてそれ以上考えなかった予感と一致した。
 タムタムが思った率直な言葉は、リイムがつぶやく。
「過去が変わったなんて……。簡単に信じられることじゃないけど……でも……」
 計り知れない事の大きさに、彼も笑みを忘れたのか、さすがににこやかではなかった。
 遅れてあたふたし始めたのはミラクル。ショックを受けたのだろうが、花びらと葉っぱをざわざわと揺らしながらスカッシュに反論を浴びせる。
「……お、おおおっ、おい、ちょい待て待て……! うんそう、まずは落ち着けいいな!? よし、ここは冷静にじっくり考えるべきだぜ。……そもそも、俺たちが入ったのは幻を見る塔で、見たのも幻なわけで……ミラージュの村人の誰も、五番目の塔なんて見てない、知らないっていってたじゃん! そだろ? 幻は幻! 現実じゃないだろ! な?」
「その謎については分からない。だが、解明が進んでいないミラージュの塔……しかも別に現れた未知なる第五の塔での出来事だ、逆に何が起きても不思議はなかった。……突入する前にも言った話だ」
 まくし立てたところでスカッシュの答えが変わることはないのだが、ミラクルは必死だった。
「んぐ……でもっ、でもなぁいくらなんでも……過去が変わるなんてそんなのあり得ることかよ。簡単に言うが、簡単に起こっちゃヤバいことだって! 過去が変わったら当然な話、その先の未来も変わっちゃうってことになるんだぜ!? 大ごとすぎるだろ! でも別に俺たちに変わりないよな……!? うん、そうだよ、ないじゃん! ほら、ライナークだってそのままだし、何か変わったって感じはねーし! やっぱ、考えすぎじゃね?」
 言ったように冷静にはなれないのだろう。顔を回すが、茎はそのまま。一回転して体がねじれていることに気づかない。
「確かに信じ難い事柄だが……絵が俺たちまで含まれる構図に変わったのも、確信があったラドックの言う世紀の大発見が忽然と消えてしまったのも、通常ではあり得ない事だ。第五の塔での接触により、未来が変わった影響と考えるのが妥当だろう」
 あり得ないと思う変化には、相応のあり得ない理由があると言う。
 モーモーは困った顔のまま、両手を後頭部に添え、天井を見上げながらつぶやいた。
「そこだよなぁ……。大昔の絵に俺たちがいるっていうのは、他にどう説明すればいいのか。過去が変わって、そこから先の未来も変わって……。だから、発掘された箱に入っていた絵も変わっちまって。……なるほどなぁ」
 素直に納得したという声ではないが。その点については誰も異論を差し込めず、さりとて溜飲が下がるわけでもなく、ふてくされたミラクルだけが内心の不安を口にした。
「グッ……。それでも、あり得ねぇって! ……大体、未来の変化ってのは、たったその二つだけで済むことなのかよぉ! そっちのほうが、おかしいじゃんか! ……俺たちの知ってる国が全く別の国に変わってたりとか、あったはずの建物や町がなくなったりとか、大地に巨大な穴が開いてるとか、知ってる誰かがいなくなったりとか……知らない別人になってるとか……嫌だぞそんなのは……」
 ミラクルが頑として頷かず、過去が変わったという話を受け入れられないのは、口にしたその恐れからなのか。
 そしてその心境は自分たちにもあること。だから途中で口を挟まないし、話の終わりを待っている。
 対する声は、返答を考慮した間を入れることもなく、すぐに続けた。
「気づいた変化は受け入れるしかないが、その懸念自体はあまり考えられないだろう」
 感情も表れず淡々と、普段の会話と変わりなく平然と返してきたものだから、片や深刻なミラクルの顔は、湯気が上がりそうなくらい赤くなった。
「それこそなんで簡単に言えるんだ、お前はっ。見もしないで適当なこと言ったら怒るぞ! お花畑すっぞ!! 部屋中をお花でぎゅうぎゅうに埋め尽くしてやっからな!」
 机の上で暴れて跳ねるミラクルをなだめつつも、リイムも気になるところか、視線はスカッシュに。
「確信があるのかい?」
「俺たちが見たあの国が、ライナークの前に存在していたなら……その後どうなるか察しがつくからだ」
 やはり声の質に変化はなかったが、彼はそこで改めてリイムを見た。今度は一拍置いて。
「……カオスドラゴンはガラバーニュでしか倒せない」
 リイムが息を呑んだ。
「カオスドラゴン……。そうか、あの国はカオスドラゴンがラクナマイトに現れる前にあった国なんだ……」
 つぶやいた表情が少し曇ったのは、話が見えてきたからだろう。
 喜んだのはつかの間となった。タムタムもほぼ同時に理解し、少なからずショックを受けた。ミラクルは落ち着いたというより、固まっている。
「変わったのがラクナマイトの旧時代として……その間にカオスドラゴンの支配にあった、大陸と人間にとっては暗黒の時代を挟んでいる。破壊と殺戮の時を越えて残されているものは、ごく僅か。カオスドラゴンが大陸を破壊しつくし、雷光の騎士がガラバーニュで討ち取った事実が変わらないなら……あの国の存在の有無は、その後の歴史に大きな変化をもたらさない、些細な違いにしかならないだろう」
 つい数日前にも会話をした。遥か昔、ラクナマイト大陸で起きた人類存亡の危機と、それを救った雷光の騎士の話。繁栄していた人間の前に現れ、彼らのどのような攻撃も受け付けず、生み出し、築いてきたものを破壊して大陸を完全に支配した混沌の龍。そして人間の命の灯火がまもなく大陸から消えようとした頃、光輝く剣を携えて、その龍を討ち倒した一人の若者がライナーク王国の初代国王。
 その時のことなど、王室で記録され語られてきた話以外知らないのに、タムタムは気分が沈み、胸が苦しくなった。たとえ想像しかできなくても、今は思いを寄せる記憶がある。
「あの国は……カオスドラゴンに滅ぼされて、あの子たちも……?」
 スカッシュは僅かに首を横に振った。
「それは答えられない。分かることが少なすぎるからな。ライナークより古い国だとしても、どれだけ遡った時代なのか、はっきりしていない。カオスドラゴンではなく、例えば塔の中で聞いた国とはまた違う国に滅ぼされたという話も、可能性としてないとは言い切れない……。遅いか早いかの違いだけで、いずれ滅亡する事実には相違ないというだけだ。それに国の存続は関係なく、滅ぶ前に天寿を全うしたのかもしれない。父親に肩書きがあったところで、恐らく当時としては普通の一家族のことだ、後世に残るものではないだろう。……あの親子が最終的にどうなったのかは、知る由もない」
「そう……よね。お父さんがいてお母さんがいて、女の子がいて……普通に生活していた人たちだったわね。ずっとずっと昔の……」
 知りたいことは不明のまま。分からないのだから、喜ぶことも悲しむこともなかった。しかし分からないために苛立つこともなかった。ただ事実を、ようやく素直に受け入れる気分になった。絵を見ていると、不思議と不安や疑問は残らず、心は穏やかで、ほんのり温かな気持ちになる。
「でも絵を残してくれて、時代を越えて、長い時間が経って……今こうしてちゃんと受け取ったんだもの。考えれば凄いことだわ」
「確かにね……。あの時聞いた話だと、一家が無事ならあの子のお父さんは小箱を埋めることもなかっただろうし……。でも出てきて絵が入ってたってことは、もしかして埋めて残しておいてくれたのかな……僕たち宛てに」
 ふと気づいたようにつぶやき始めたリイムが、笑った。
 そこで戸惑い始めたのはミラクルだった。普段は上が直線で下が曲線の半月が、不満そうに上下逆になった。
「な、なんだよ……みんなして過去が変わったってことで納得なのかよ。嬢ちゃんたちがどうなったか、分からないのは変わらんし……カオスドラゴンが現れるのが確定してるから、未来も大して変わってないって……。じいさんの見込みは正直信用できんから発掘のことはスルーして、確実に違いが分かってるのは、絵が変わったことくらいじゃん……。たったそれだけじゃん! 実際のとこは過去が変わったわけじゃねーのに、変わったって屁理屈こねただけなんじゃあ……!?」
 とにかく反発する。もはや依怙地になっているのが分かるからか、モーモーの表情が露骨に面倒そうな様相になってきた。
「お前なぁ、いつまでも拗ねるなよ。もういいだろ。そんなに意地張って、いい加減自分でも疲れねぇか?」
「き、気持ちの問題もあるしっ! 俺の意思は中途半端じゃねーから! 譲れないものってあるだろ、誰にだってよっ!」
 机の上で仰向けになってじたばたする。完全に邪魔だ。
 まともに相手にしていられない。目が合ったモーモーと、タムタムは肩をすくめた。
「それってこんな時に使っちゃう台詞かしら」
「やれやれだモー……」
 スカッシュもさすがに嫌気がさしたのだろう。心なしか少し疲れが出てきたように思えたが、再び書き物を再開しながらつぶやいた。
「過去の変化は憶測と言われても、別に否定はしない。無理をして信じる必要もないだろう。どう思おうとそれは自由だ。だが望んでいたんだろう、自分の知る世界が変わらないことを。ならばよく考えてみることだ、一体何が変わったのか……」
 不貞寝のミラクルが驚いたのか、寝返りをうつ。
「はぁん……? そうよ、変わっていたら俺は嫌なんだよ……! だからな……って、なんだ……じゃあ絵以外、特に変わってないってことはいいんか……」
 だらけた口で呆けたように言った後、急に顔を持ち上げ、今度はそれを机に打ち付けるように、突っ伏した。
「あ、ぃや……っ!? うぐぐっ、しまった……!」
 リイムが思わず噴出すように笑いを漏らし、モーモーはにやりと笑った。
「ほんと良かったじゃねぇか、心配するようなことにならなくてな。これで不満なんてねぇだろ」
「平和ね」
 タムタムは適当に思いついたことを言っただけだが、ミラクルは机の上を這い寄ってきた。
「――うう、いや違います、待った待った……! さっきのは誘導尋問だ! 平和って何で!? タムちゃん違うんだ、そういうことじゃない、俺の闘争心はまだまだ……。結果の話じゃなくて、スカの推論が不満なわけで、決してそこに納得したわけでは……」
全否定を伝えたいのか、必死の形相を向けてくる相手に、タムタムは問いかけた。
「別に、納得できなくてもいいでしょう?」
 相当驚き、わなないたのか、ミラクルの花びらが一瞬真っ直ぐに張った後、震えた。
「は……へぇ!? そ、そんなわけ……え? なんで? な、なに……?」
 理解に苦しみ、疑いの眼を向けているというより、血迷ったのかと心配するような顔に思えたが。
 自分にしては変わったことを言ったのだろうと、タムタムは思わずくすりと笑った。
「だって、誰にも分からないのよ。納得しようがないじゃない?」
「え……え……え……」
 ミラクルの顔は変わらないまま。さらに焦りが浮かび、じっと見てくる。
 タムタムは目の前から意識を外して、つぶやいた。
「ミラージュの塔のことも、あの子がどうなったのかも、それに、過去が本当に変わってしまったのかも。でも……」
 考えることはもうしない。すぐに前へと戻って、呆けた顔に再び笑いかける。
「どう思っても、何を言っても、たとえ触れることができなくても……真実は変わらないわよね。第五の塔は、もう現れることがないのかもしれないけど……確かめられないけど……私たちが出会った証だけは残っているわ。みんなが描かれたこの絵があるんだもの。だから、それだけでいいのよ。さっきあなたが言った、気持ちの問題ね」
 その答えに対して納得できたかどうか不明だが、ミラクルの口は開閉を繰り返した後、脱力して頭を下げた。
「タムちゃんがそう言うなら……いいぜ。悪あがき、かっこ悪いもんな」
「あら、素直に聞いてくれるのね」
 この相手にしては聞き分けがよく、しおらしく感じたので、珍しく反省したのかと思ったが。
 人間と同じように呼吸をしているわけではないのだが、溜息をつくような仕草。
「こういう時、一番白黒つけたがるタムちゃんに言われるなんて……相当見苦しかったんだな。そう俺ってば、少し前までのタムちゃんみたいになってたんだ……いかんいかん」
「……は?」
 何が聞えたのか耳を疑って、思わず固まった直後だった。
「ぷ……」
 ごく僅かな空気の振るえを、タムタムは聞き逃さなかった。
「リイム……ちょっと今、噴き出さなかった?」
「え? えっと……そう……かな……?」
 凝視すると、彼にしては視線が微妙に逸れている。しかしそれを追求しようとする前に、側の影が動きだした。向こうに離れながら。
「ぁハハハ! タムちゃん、気にしない気にしない! 俺たちがさっき話してた内容と比べるなら、リイムが思わず噴き出したことなんて、全然世界を揺るがさない、とるに足らんことだろさ!」
「あっ、こら……! ならその話は置くとして、さっきのどういうことよ……?」
 離れるのを阻止しようと素早く手を伸ばしたが、空を掴む。
 逃れたミラクルは跳ねて回りながらリイムの向こうへ。
「はてな? さっきのってー?」
「……私に言われるなんて、ってところに決まってるでしょ!」
「ど、どうって……もちろん反省を述べたまでですが! タムちゃんが言う通り、素直に聞いたのに何か怖そうな顔すんのはナシな! それにほら、もう時間がないんじゃね? そろそろ話しは終わりにしないと、仕事が間に合わないぜ!」
「心配無用よ。仕事は集中すれば小一時間もあれば終わるから」
 話をすり替える魂胆のようだが、そうやすやすと騙されたりはしない。相手をしっかり目で追いながら、タムタムは逃がすまいと足を踏み出しかけたが、そこでリイムが立ち上がったので、あっさりとそちらに視線が移ってしまった。
 どうしたのかと顔が尋ねていたのだろう、リイムは数枚の書類と筆記用具を持って、見返してくる。
「僕の書き物は今さっき終わったから、これから提出して訓練に入るよ。先に行ったみんなが待っているからね」
 勇者軍のみんなは先に訓練に入っている。その話をタムタムが思い出したところで、今度はモーモーが椅子から立ち上がった。
「よし、じゃあ俺も行くかモー! やっぱ、身体を動かすほうがいいぜ」
 彼が胸の前で、右の拳を左の掌に打ち合わせたところで、次にはスカッシュが腰を上げた。
「え? あなたも終わったの……?」
「出来るところまでは済ませた」
 その言い方に、タムタムの胸中はにわかにざわめき始めた。皆が立ち、自分だけがその場に取り残されそうな予感もあった。
「出来るところまでって……」
「受領証が足りないようだな。残額と合わない」
 想定外の事態に、タムタムは身を乗り出し、悲鳴を上げた。
「――うそっ!? この部屋に置いていたのが全部のはずなのに……! 間違ってるってことは……あり得ない? かしら……」
 冷静ではないため、思わず疑う言葉を最初に出してしまったが、スカッシュは特に気分を害した様子はなく言い切った。
「確かめたければ自分で計算してみることだ。それに自分の間違いは自分で気づきにくいものだからな、照合は二人以上で行ったほうがいいだろう」
 正論に挟む口がなく。降って湧いた難問に、タムタムはただ混乱した。真っ先に気になったのは残り時間。
「そんな……! これから探すことになるなんて時間が……それにもし見つからなかったら……!?」
「……提出期限に間に合わない? 僕たちも探すのを手伝おうか?」
 よほど切羽詰った顔をしてしまったのか、リイムが心配そうに言ってきた。
 タムタムは思わず頷いて、お願いと言いかけたが、次には自らの甘い考えを、縋る思いを振り払うように首を横に降った。
「あの、気持ちは嬉しいけど……。リイムたちは訓練の時間でしょ。王国のための重要な仕事で、大事な時間だから……よほどのことじゃない限り、予定通りに進めないといけないと思うの。みんなに迷惑はかけられないわ、これは私個人の問題で……。だからいいの」
 それでも心配そうなリイムの顔は晴れない。
「でも、午前中までだったよね」
 タムタムは無理やり笑って見せた。本音としては、口で言っただけの理由ではない。
「大丈夫よ! どこにあるかは、大体見当がついてるから……」
 たぶんと、心の中で加えつつ。
 断らなければならなかった。ありそうな候補として、真っ先に探すつもりでいるのは自室なのである。あまり他人には、特にリイムには見られたくない場所であった。たまたまだが、今はラドックから一時的に預けられている品がたくさん置いてあり、整理する暇がなかったため、ごちゃごちゃした様相になっている。まるで片付けができないように思われるのは心外なので、入られたくない。
 そんな思惑を見透かされたのか、スカッシュが同情の欠片もない眼差しを向けてきた。
「もっと前に取り掛かっていれば、その分早く不備にも気づいて、問題なく提出できたはずだが……」
 タムタムは黙って目を逸らした。そしてこれ以上何か言われる前に、部屋を去って早く探し始めようと考え後退りした矢先、リイム同様、心配するモーモーと目があった。
「別に遠慮しなくたっていいんだぜ、タムタム。締め切り前は仕事が増えて特に忙しいんだろ?」
「え……そんなことないから、ほんとに全然……。それに私たち、遠慮する仲じゃないでしょ、大丈夫だから、ね!」
 笑えないのに笑い続けるのも限界が来ていた。もう後先考えず、このまま走り去ってしまおうかと投げやりな気分になったところで、いつの間にか側に来ていたミラクルが得意げに言った。
「あ〜、モーモーそりゃ勘違いだ。仕事が増えるから忙しいんじゃなくて、締め切り目前まで溜めに溜めた分が多いわけでな……」
「何言ってるの! 今回は予定外の仕事が多かったんだから!」
 そんなことを言われ、恥ずかしいやら腹が立つやらで、タムタムは顔が熱くなったのを自覚しつつ、ミラクルへすかさず手を伸ばした。
 だが手刀のように素早く突き入れたそれが、空を切る。
「あっ!」
 読んでいたのか、飛び出していたミラクル。その先は部屋の出入り口――ドアの前だった。
 サンフラワーには葉っぱがあるが、自由に動く手はない。当然ドアは閉じられており、立ち止まることになる。
「こら待ちなさいっ!」
 タムタムはその間に追いつこうと駆け出したが、向いてきたミラクルは余裕の笑顔でそれを数回揺らした。
「――ワッ、ハハ! タムちゃん、行こうぜ! リイムたちが予定あるなら、姫様と会ってない時はフリーの俺様が一緒に探してやるよ!」
 見る間に植物の蔓がミラクルの側で伸び出し、ドアノブに絡みついて出口を開ける。
 またもや手は届かなかった。タムタムがドアの前まで走った時には、ミラクルは低空飛行で部屋の外。
 追いかけてタムタムも部屋を出る間際、後ろからモーモーの声。
「あいつ、ちゃんとドア開けられたんだなぁ……」
 頭も回らなかったが、リイムやスカッシュがどんな反応をしたのかが一瞬気になった。後で思えば実にどうでもよく、全く考える必要もなかったそれを振り向かず聞き流したのは、それだけ熱くなっていたからだろう。半開きほどだったドアを最大まで開き、とにかく飛び出した。
「タムちゃん早く早くー!」
 伸びる廊下の先で止まり、振り向いたミラクルだったが、距離を詰めたところで再び跳ねる。
「どこに行くつもりなの! あ、じっとしてなさい!」
「え? どこって分かってんだろ〜。それに時間がないんだからさ、立ち止まってなんていられないじゃん!」
「あなたに手伝ってもらうつもりはないわよ!」
「ええー? そんな、俺にまで遠慮しなくていいんだぜ、タムちゃん!」
 タムタムは面倒なことになりそうな予感に、頭が痛くなってきた。足は緩めないが。
「あのね! 私は誰にも遠慮してないから……!」
 走っていることもあるが、苛立ってきたのでつい強い調子になり、怒ったような声が出た。
 先のミラクルはショックを受け、黙ってしまったかと思ったが、振り向いた顔は普段どおり明るかった。
「んじゃあさ〜、探したいから探すってことで!」
「え?」
 機嫌よくはしゃぎだすミラクル。タムタムは迷惑だと言葉が浮かんだが、それはさすがに言えなかった。
「ええっとね……」
 何か返さなければ認めたことになってしまうと、考え始める。
「タムちゃんたちが、いっつもやってるやつな! 昨日だって同じだろ。人助けしたいからするー。嬢ちゃんが困ってたから助けようと思ったんだろ、そういうこと! 大体、困ってる誰かを見て知らんぷりってのは、幸せ振りまく精霊のすることじゃないからなぁ〜うんうん」
「困ってるって……困ってるけど、でも……あの子が困っていたのとこれとはね……」
 ミラクルが一人でしゃべって一人で納得しているそこで、タムタムは否定を探し始めたが、途中で気づかされた。
「あ!」
 飛び出した時につい、頭から消えていた。
 遅過ぎた。振り返るより、立ち止まるよりも早く、後方からリイムの声が届いてしまった。
「――タムタム! 大事な小箱と絵を持っていかないと!」
 忘れ物。
 予感に恐る恐る後ろを振り返ってみると、部屋を出たリイムが小箱を持ってこちらへ向かってくる。後ろにはモーモーとスカッシュも続いている。そして恐れていた言葉を聞く。
「やっぱり僕たちも手伝うよ! 皆で探したほうが早いから」
「そ、そんなぁ……」
 泣き言をつぶやいて前を向いた。
「もう、どうすればいいの……! このままじゃ……」
 察して欲しいのに、本当にどこまでもお人好し。一層の善意を断る術がどこにあるだろう。既に断っている理由は使えず、本音は言いたくないとなれば、どうすれば。
 ミラクルを追いかけているはずが、まるでリイムたちから逃げるようだった。そして追いかけているはずのミラクルが、上機嫌で楽しそうに回り出し笑い出し、余裕を見せ付けてくる。
「ワハハ! なんか楽しくなってきた! そうだよそう、これよこれ! この感じ! な〜んにも変わってないってほんと実感するぜ、安心した! タムちゃんが言った平和ってのが、今ようやく分かったぜ、俺! 過去でも幻でもない、これだよ現実はさ!」
 前と後ろとで、器用に感情を切り替えることなどできない。泣き出したい気持ちで、しかし相手をなんとしてでも捕まえるべく、タムタムは走る速度を上げた。
「何が、この今のどこが嬉しいわけ!? 平和なんかじゃないでしょ、全然っ!」
 どうしてこんな現実が待ち受けていたのか。今も実は幻の続きというのはあり得ないかと、考えながらひた走る。これが夢、幻であったら良かったのにと、願ってやまない。
「こんな現実、認められないわよ……っ!」
 誰にも届かない嘆きだった。現実であるが故に、追走か逃走か、走りあいが終わるのもほどなくの話であり――。

 そして幻となったのは受領証。皆の助力を受けても見つからず、提出期限、間に合わず。情けない現実は消えてくれるほど甘くなかったのであった。


 
<おわり>

 
<もう疲れまくった>

出来はおいといてもうこれでこのSSとはオサラバだ!!! うひょー! ……長くかかりすぎたわもう駄目だ。
最後なのでなんか書こうと思います……。とりあえず直しても直しても直すところしかないです……誤字もまだあると思います。
このSSが今までと違うところはエピローグがかなり長いってところ……そこが伏線の回収なので長めになるのは当然ですが。
作り始めた当初は、後半は全然考えてない部分だったので難航しました……その場その場で考える感じ。
本当はこんなに長くなるとは思ってなかったのですが……。

リイム
リイムは好きな2とその後の虹でのギャップがありすぎて(苦笑)いつも書くのが難しいけど、それとなくリーダーしてたのではないだろうか……。
正直リイムが頭がいいとは思ったことなどないけれど、結局タムタムが暴走するのでメンバーの中では良識になるんだなぁこれが。

タムタム
タムが主役。もう私の中でタムタムは完全にギャグキャラ化してしまったので最後オチつけて落とさないと駄目。
頭の中では、リイムとかモーモーとかスカとか姫様とかアラビアまで1、2な流れで戦ってるけど、タムだけ虹の方でつぼまじんとかぬいぐるみやってるの。そんな感じ。
タムタムってほら……女の子だし、感情で動く生き物してるんです。こう書くと結構嫌な気持ちになる(苦笑)
教授の弟子なので、知識だけはあるはず……と常に思っているけど、生かされたことがあったっけ??

モーモー
いつもいてもいなくていいようなことしか話さないモーモー。バトルのときだけは動く。考えてないけどタムタムほど馬鹿なことはしない。えらいじゃん……。

スカッシュ
便利要員、お助け要員なので……。使われるだけ使われる。ちょっとしゃべらせすぎたわーとか思うと全然しゃべらなくなるシーンがでてくる。
器用貧乏で頼れること自体は多いけど、肝心なときほど役に立たなかったりして、細かく上がるけど一気に下がる株。しかも永遠に一定以上にあがれない仕組み。

お花
ほんとこれのせいでますます長くなるのですが、私の中で勇者軍の中だとこれとタムタムが感情的な役で情を語るならある程度必要なことも……。
みんな冷静だとつまらんでしょう(苦笑) リイムとモーモーとスカッシュだけだったら私、話作れないですね、間違いなく……。

教授
ある意味タムタムの師匠っぽく作れているのではないかと思ったり思わなかったり。でもこんなキャラだったかしらん……分からないし思い出せない。


ネタは残っていますが、作るか上がるかも未定です。やろうとは思っているけど急ごうとは全く思ってないです……。
個人サイト自体もう化石みたいなもので、すでに同じファン同士で盛り上がるってこともないですねぇ……。昔は良かったみたいなー。
リトマス自体もう動きはずっと前から完全停止しているわけですから、後は忍耐とか惰性とか。
もっと若いか、色々なスキルが高かったらゲームでもなんでも作ろうと思うでしょうが、もう無理だわ。
もうを使いすぎだわ。もうもうもう。



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