接触――青天の霹靂
遥か向こう。彼方。遠い…遠い向こうだ陸は。陽炎のごとき儚さで、それは。
飛べば遠くない距離が、ここでつくねんとその先を見やるだけで、まるで世界と自分とを隔てるような、途方も無い感覚――それが、紛れも無い実感へと変わる。
際限なく、今まさしく揺られているモノと同様に、感情は次々と押し寄せ、去来していく。だが、暗い喪失感がそれらをことごとく塗りつぶしてしまうのか、彼女はしばらくの間、焦点の合わない視点をただ、前面へ向けるので精一杯。
そこは、だだっ広い海上であった。揺れる波間の上、浮いた黄色い戦闘艇の上部にはい上がり、両手を付いてへたりこんでいる姿の少女――ファムは、ぼんやりと自分の住む土地、工業都市・ネージュの薄らいだ姿を見ていた。
「…私って……凄く、とてつもなく…ついてない…?」
どれだけ陸地を見ていたか。少なくとも十数分の時が流れた後、ファムは呆然としたままでつぶやいた。
「なんでこうなるわけ…」
なんとか口が動かせるだけで、力は依然入らない。しかし、視線を遠い陸から戻す事は出来た。実は、首がガクリと下がっただけだったが。
「…素質があるとか言われて、担ぎ上げられたみたいに先生の元へ師事したけど…その結果がこれなのね…」
ファムは再び顔を上げる。弱々しい。普段は明朗快活、しっかり者、だが時には大胆と、肝もかなり据わっている彼女でも、さすがにこの訪れた事態には、面に暗い影を落とさずにはいられなかったのである。
彼女は戦闘艇に乗り、操るガンナーとしての資質を見出され、通っているネージュアカデミーの強い後押しもあってだが――引退もそろそろ近い、あるガンナーの元へ師事していた。
言うべき文句は無かった。師匠たるガンナーは、ネージュに多い、金を積んで強引に街に認めさせた者達とは違い、実力とガンナーにふさわしい人間性を認められて許可を与えられた一人で、人柄は良いし評判はなかなか。だからファムも、好感を持って学んでいた。
――だだし、非常に熱心に…とまではいかなかったが。
文句は無かった。が、自分からこうなりたいと、望んで、進んで選んだものではないことが、拍車まではかけなかった。
女性ガンナーは珍しいという。周囲は沸くが――だからなんだと? 少なくとも彼女には、その程度のものでしかない。
ファムの、今のガンナー見習いという身の上は、何となくであった。跳ね除けなかったのは、その理由もないから。別段、嫌というわけでもないからだった。
しかしそんな、ある意味、人生を決める重大な選択を、よりにもよってどこか優柔不断なるまま安易に決めてしまったから、こんな結果を招いたのだ――。
彼女は揺られる今時点、そんなことをじわじわと思っていた。
「…私、なにやってるんだろ……。分からないままで、ここでまさかお終いかしら…」
つぶやいて、ファムは頭上を見上げた。雲の少ない、蒼空。晴れ。ただし流れは速い。遥か上空は、かなり風が強いはずだ。結構煽られつつ、ここまできた。
…ここで、不時着した。さて、戻ろうかと思った矢先。
思い返して、彼女はなんだか急激に、今までの反動か、ムカムカと腹が立ってきた。
「もうっ…! 何でこんなときに、よりにもよってトラブル起こすのよ、このマシンは! 丈夫じゃないの、デュール社製品は! 整備も楽なんでしょ! 飛び立つ前は全然問題なかったじゃないのよ!」
右手の拳でガンナーマシンの背を数回叩く。その答えは硬い音のみで、無論慰めてなどくれないし、言い訳にも聞こえない。無機質で、あるがままをそのまま、変わりようの無い存在を、厳然とさせるだけ。
練習用に与えられたファムのガンナーマシンは、『信用と固さ』をモットーとするデュール社製品だった。耐久性以外の性能面では他社に引けを取るが、まあ安価であり、確かに壊れにくいと定評がある。たとえ彼女の代物が中古品でも、メンテナンスはしっかり欠かさず行っており、異常など普通に飛んでいて現れるはずが無かった。
…が、現には運が悪いとしか言えない。何故かエンジントラブルを起こしてしまった。海の真っ只中で。
「通信機も何故か一緒に壊れてるし…信号弾は無いし…」
まさかマシンが故障するとは思わなかったが、そんなことだけで彼女は慌てたり落ち込んだりなどしない。ところがだ。もう最悪としか言えないが、どのガンナーマシンにもまず搭載されている、通信機までもが壊れてしまったのである。理由はこれまた分からない。さらにさらに悪いことには、空に発射して合図や救難信号を打ち出す信号弾までもが切れていた事実。
残りは、人が通りかかるのを待つしかないのだが…
「この海域、確か暗礁が多くて船が通らないのよね…。それに、定期的な飛行船の航路からも外れてるし…」
口にして、ファムはますます腹立たしくなり、しかし見る見る虚脱していく。再びうなだれた。両拳を握って。
周囲には求めるものなど見えなかった。動くものは面白くもない、もはや不愉快でしかない波のみだ。
「ひとりで調子に乗って、こんなところまで飛んでくるんじゃなかった…」
ここ最近やっと、練習用のガンナーマシンに乗ることを許されたばかりだった。師と一緒に飛行するという条件つきで。それでも、その道程に至るまでは、並の人物ではもっともっと時間がかかるというもの。彼女の素質は群を抜いて見出されたにふさわしく、恥じない程の天賦だった。
ファムの師匠は彼女の飲み込みの早さに感心し、もう今日から一人であっても飛行することを許したのだったが…その初日に、最悪最凶の事態に遭ってしまった。離岸してからここまでは、唸る風さえも切り、障害の無い空を自由に渡る、なかなか楽しい時間であったのに。
「…先生は昨日から出かけて明日まで帰らないから、誰も私がこんなところまで行ってるなんて分からないだろうし……もう、こんな事態どうしたらいいのよ…」
泣きっ面に蜂状態。
ゆるりと彼女は空を見上げ……唐突に、心の奥に溜まり込んだ鬱屈を吐き出した。
「バカぁーッ!!!」
誰にと言うわけでもない。愚かな自分にでもあり、この漂うままに揺られているガンナーマシンにでもあり、雲しか浮くもののない空へでもあり…
「…え?」
そこで、ファムは目を瞬いた。空に、点…それ以上の物が在ったのだ。一瞬信じられず、目をこすってもみる。しかし消えたりはしなかった。
「うそ……あれ、飛行船?」
地味でほぼ単色。少々客船とは考えにくい、貨物船だろうか。褐色に塗られた、横長、中型ぐらいの飛行船が空を悠々とやってくる。
ほんのしばらくそれを見ていたが、ファムはすぐ我に返って、行動に移った。飛行服のポケットから、白いハンカチを取り出す。
「お願い、気づいて!」
揺れている、不安定な場所にもかかわらず立ちあがり、彼女は飛行船を見上げながら両手を、ハンカチを必死に振った。
ここで気づいてもらわなければ、もはや偶然が訪れるより、遭難…海の藻屑にまず決定だ。あと二時間もたたず、夕刻となるはず。夜になればもう遅いのだ。誰かがまた奇跡的に通りかかったとしても、マシンのライトは――これも重なる不遇か、壊れていて、そのうち修理に出す予定で…。発光信号弾がない以上、気づいてはもらえないだろう。もう、お終いといっていい。
北の大都市、ネージュの緯度は高い。昼間は涼しく快適だとしても、日の落ちた夜間になればかなり冷え込む。マシン内に簡易暖房器具など積んでいなければ、食料もないそんな状態で、一夜明かせるかどうか…。
必死になるのは当然だった。
「ねえお願いよ! こっちに気づいて!」
飛行船は悠然と、しかし実際には結構な速度で進んでいるようだった。やがてファムの上付近を通りかかるが、スピードが衰える様子はない。
「気づいてよ!」
怒声にも近く彼女が張り叫んだときだった。真上に差し掛かった飛行船から、何か動きが、何かが見えた。
「…気づいた?」
つぶやくが、その後彼女は目を剥いた。すぐさま伏せて、ガンナーマシンにしがみつく。
――何か落ちてくる。そう思ったのだった。だが悪い予感が脳裏によぎった。
次に。
ドッゴォォォン!!!
爆音。そして、塔のように突き上がった白き海水。
ファムがしがみついたガンナーマシンは、激しく揺られた。飛沫が降りかかってくる。
「ちょ…ちょっと、爆弾!? 爆雷!?」
顔色を青くして、爆発物が投下された地点を見る。まだ白さを残していた。
近くではなかったから助かったが、もっと側だったらひっくり返っていたかもしれない。もしも直撃だったら…直行あの世行き。
それから、まだ強い波に揺られつつも、彼女はすぐに双眼鏡を取り出し、上の飛行船を確認した。
「そう…これは、まともな連中じゃないわけね…」
こちらへの行為で既に分かったが、過ぎ去ろうとする飛行船、所々にかなりの砲台がついていた。細部をよく見てみれば、他にも格納してある銃器類がありそうだった。
「こんなところを飛んでいるなんて…空賊のたぐいかしら…」
ファムは機体にしがみついたまま双眼鏡で窺っていたが、その視界をちらりと掠めたものがはっきり意識出来た。叫ぶ。
「――! やだ、またっ!?」
双眼鏡を離し、再び彼女はしっかり機体にしがみついた。思ったとおり、数秒後には激しい音が耳をつんざいた。
「きゃあっ!」
さっきより近い――。前以上に激しい揺れに、一時手が離れそうになったが、何とか堪える。
「…つっ…。やってくれるじゃないの…。さては、遊んでるわね…」
掴まりながらも、振り仰いで飛行船を睨む。既に真上を過ぎてそこそこ離れ去り、三撃目はくるかどうか分からないところ。だが、そんなことは今彼女にとって、些細な事となっていた。とにかく腹立たしいこと、この上なかったのである。
「このままじゃあ、いくらなんでも腹の虫が収まらないわよ…」
つぶやいて、彼女は何を思ったか、ガンナーマシンの背から操縦席へ滑り込んだ。座席に着くと、起動に必要なイグニッションガンを取り出す。やや古いリボルバー、シングルアクションの短銃だった。
「ちょっとでもいいの…ちょっとでもいいから動いて…! こんなことになって…このままじゃあ嫌なのよ!」
願をかけるように、訴えるように言ってから、マシンのスロットへイグニッションガンを差し込んだ。ONへ回し、ハンマーを引いてコッキング。
「お願い…!」
トリガーを引いた。リコイルが体を一瞬ほど固くしたとき――その僅かな間を彼女は恐れたが、弛緩した瞬間だった、唸る音がたちどころに噴出し、機体が猛然と震えた。
「や、やった! …飛べる! 飛べるわ!」
操縦レバーを握り、そこから息吹とも思える微震を感じ取って、ファムは声を上げた。――奇跡かもしれない。
だが、今はそれを喜んでいる場合では、無い。彼女の内面が素早く喚起させる。目的へと。
「…EXアクションは無いし、オプションウェポンも発射できないけど…一応機銃ぐらいついてるんだからね。…まってなさい!」
ちらりと上の方を見やり、機体に向き直って計器類を見ながらエンジンを吹かし、発進させる。
海面に白い道を描きながら、ファムは――彼女の操る機体は空へと舞い上がった。
「よし、行くわよ!」
そこそこ上昇してから、大きく旋回する。ターゲットは、見える前方の飛行船だ。ブーストをかけて、一気に速度を加速。距離はぐんぐん狭まった。
そこで相手も気づいたのだろう。側面にある、大小、複数の砲身が動きだす。
「簡単には、絶対やられないんだから!」
ファムは教えてもらったとおり、サイトをひとつの砲台へ合わせ、機銃の弾丸を打ち込んだ。
「…どう!?」
近づきすぎたので素早く距離を取る。その間に見た。
初めてやったことだったが、狙いは合っていた。砲台が黒い煙を上げていた。
「よし」
彼女はさらに続けて、機銃の狙いを定めようとする。が、今度は相手の砲台が火を吹いた。
「――危ない!」
間一髪、パワースライドでやり過ごす。これはかなり練習したので、咄嗟に反応できた。そして、そこで止まらない。ファムはすぐさまガンサイトを合わせ、攻撃してきた砲台へお返し。直後、機体を翻した。
ボンッ!
中型の砲台が爆発し、煙を吐く。それから隣の小型砲台も、誘爆により吹き飛んだ。
「さあ次は…」
油断無く、次を狙おうとファムが再び接近しかけると、飛行船の船体の一角が少々変わった。格納されていた火器が現れたのだ。
「――ガトリング砲!」
ファムが確認するや、それは一斉に弾丸を放射した。加速して逃れたが、穿つ音からして、二・三発は被弾した。
「これ借り物なんだから…壊されたら堪らないわ…」
ダメージを確認する暇などない。鈍い砲台よりも、まず厄介な方を壊そうとして、彼女が再び機体を翻そうとしたときだった。
――ボスン!
後部のエンジン部から、最悪そうな音が聞こえた。
「えっ…? ま、まさか…もう駄目…なの?」
彼女の声を肯定するがごとく、後ろへ黒い煙が――エンジンからだろう――流されだした。
「た…確かにちょっとで良いって言ったけど…これじゃあ短すぎるわよーっ!」
悲鳴と文句は届かない。ファムのマシンは急激に失速し、下降し始めた。何とか機体の立て直しを試みるが、減速は免れず、もはや上昇は出来そうにない。彼女はそこで、ふと気づく。
「こ…これじゃあ的に…格好の的になっちゃうじゃない!」
まさか見逃してなどくれないだろう――。彼女の予感は、危惧は正しく、ちらりと見やったその先には、非情なる全砲台とガトリング砲が、うす笑っているかのように狙いをつけていた。
「もう駄目なの…? もう…」
ファムはつぶやいて、とうとう目を瞑った。レバーを握る手が震える。――数秒。
銃器の音が派手に響く。お終いだ――。その瞬間、覚悟した。
「……」
と、音から数秒。
「…??? あれ…」
いくらなんでも、弾が届くのが遅すぎる…。そんなことを彼女が思い、思いきって目をあけ、飛行船を確認すれば、
「え? え? …え?え?え?」
思わず間抜けを連発していた。不思議なことだった。攻撃してくるはずの船体は、ファムが攻撃した以上に黒い煙を上げていた。
だいぶこちらは下降していたが、分かる。砲台はほぼ全滅しており、ガトリング砲も完全に沈黙している。
「…なに? 何なの…? あっ!」
ただ怪訝にファムが見やっていれば、その視界に黒い影が過ぎ去った。
追う。
「あれは…」
一瞬、鳥のようにも見えた。まがまがしい黒鳥――獲物を狩る、黒い魔鳥。それほどまでに動きは素早く、隙が無く、まこと自由に空を己の世界としているようだったから。
認識するまで、しばらくあった。実際にはそれは、黒い機体だった。
「戦闘艇…。ガンナー…。ガンナーなの?」
ならば、驚くべき手際の良さ。凄まじい手練だった。おそらく一分も経たないうちに、全ての火器を簡単に黙らせたのだ。
その後もしばらく、ファムはどんどん下降しながらも、黒い機体に見入っていた。実に短かったが。飛行船はあっという間に、機銃によって、堅牢であろうはずのエンジン部を破壊されたようだ。一際大きな黒煙が上がり、終わりを告げた。あっけなく落ちていく。
そこで、数個のパラシュートが開くのが見えた。乗っていた者達に違いない。
それを見届けた頃には、既にファムは着水していた。また機体の背に登り、さらにずっと見ていた黒い機体は、海面に落ちた飛行船の方へ向かった。そこで残骸に隠れてしまい、見えなくなる。
ファムはその時点で沸き上がった。
「…凄い。凄い凄い! あんな凄いガンナー、見たこと無いわ!」
感嘆を洩らす。ネージュで今まで見てきたガンナー達とは、全く比べ物にならなかった。けた違いだ。見入ってしまったのも無理は無い。そして、そんな彼女は今、自分の最悪な現状を完全に忘れていた。
しかし――強く冷たい風が吹き抜け、薄緑の髪をなびかせたと同時に、ファムはぞくりと寒気…つまり一挙に、嫌な事を思い出した。
「そ、そうだ…。そう思えば…エンジン!」
コックピットに戻って、後ろにあるエンジンを調べる。が、その手はすぐ止まった。
ラジエーターがいかれたのか。まだ猛烈に熱気を発するそれは…
「…ほとんど焼けてる…。もう、いくらなんでも奇跡は起こらないわね…」
ガックリと、そのまま気絶でもしたい気分だった。しかし、音が聞こえてきて、それは阻まれた。
「この音…」
彼女が誘われたように、無意識なまま座席から身を乗り出そうとすれば、水飛沫が上がるのが目に映った。
「あ…」
音の正体は、飛沫を上げたものは、先ほどまで見ていた黒い機体だった。間違い無い。遠くでも感じられた、どこかうすら寒い威圧感を与えるガンナーマシンだ。それが横に並び、少々過ぎた地点で停止した。
ファムがまるで意識を奪われ、ただぼんやり見ている前で、ゆっくり身を起こす者がいた。腹ばい状態で操作する機体らしく、最初は体が見え、後から顔がぬぅっと現れた。
「……」
一目見て、ファムはぽかんと、変わった人物だと思った。
性別はまだ若い――自分より数才は年上のようだが――男性だ。飛行服は白と黒という地味な色のみだが、使い方が大胆奇抜。肌は少々浅黒く、銀髪の髪は後ろへ撫で付けていて、長く余る部分は一箇所でくるくると巻かれている。しかも顔には変わった金属製の眼鏡があり――。
目は離せなかったのだが、彼女は言葉を失っていた。
「どうした?」
操縦席から離れ、マシンのフロート部に降り立って、男。ところが、彼女の耳には聞こえなかった。代わりではないが、声無き口のみが開きかける。
「どうしたと聞いている…」
男の口調はかなりぞんざいだった。少し、いらついているようだった。ファムはようやく言葉を理解して、だが、まず何を言えば良いのか…とたん分からなくなってしまった。
「えっと…」
普段の彼女らしくなく、言葉に迷って詰まっていると、男の方が聞いてきた。
「ガンナーか?」
「え?」
やはり普段どおりにはいかず、理解が遅効。男はファムを見ながら、またいらついた感と共に、すぐ言葉を付け加えた。
「…お前はガンナー、なのか?」
「え、いや。…私、まだ見習いなんです」
答えると、男はファムには何故か分からない言葉を――つぶやきを、「ほう…」と洩らした。
「なるほど…それでそんな機体か…」
ひとりごちながら、変な眼鏡のせいでいまいち分からないのだが――男はじっと見てきているようだった。
「あの…」
言ってから、彼女はそれが無意識に出ていたことを知った。そしてまた、言葉を詰まらせてしまった。思わず男の顔から視線を逸らす。
男はそれで何を思ったのか、
「そうか……戦う相手でもなし、これでは少々失礼かもしれないな」
手を上げて、眼鏡を外した。すると紫色の双眸が現れる。やや、気だるそうだったが。
「……」
ファムはまた呆然とした。男の雰囲気は、一瞬にしてガラリと変じた気がする。ある種、奇妙、奇怪じみていた感じが、全く正反対の実に理知的で…気品すらあるような感じへと。
さらには、どこかで見たような気さえした。そんな気がしたぐらいで、思い出そうとしても、どうにも思い出せそうにないが…。
男の方は、ファムの様子などまるで気にしていないのか、さらに聞いてきた。
「そのガンナーマシンの上で、白い…ハンカチかスカーフだと思うが…それを必死に振っていたようだが、何かトラブルがあったのでは?」
「あ、は、はい。そうなんです。私、今日初めて、ひとりでも練習機で飛んでいい許可をもらって、それでこのあたりまで飛んできたんですけど…急にこの機体が調子悪くなってしまって、不時着して…何故か通信機も一緒に壊れてしまって、さらに信号弾もなくて…場所は誰も通りそうにない海域ですし……海の上でほとほと困っていたんです…」
一辺に話してみれば、これが非情に恥ずかしい。なんという運の悪さだろう…。甘かったとも言える。
男の方は、表だった変化は見られないものの、どこか微かに笑っていたような気もした。
と、そこで、彼女はある点に気がついた。
「…見ていたんですか? 前から」
「ああ…さっき沈めた奴を、追っていたのでな。…かなりのトラブルがあって、布を振っているのだと思ったが…しばらくすればマシンが飛び立ったので、少々近づかないまま、一部始終見させてもらった」
話振りからして、男は少々、ファムに疑いを持って見ていたようだった。同じ相手を狙う同業者かもしれないと、窺っていたのかもしれない。
「さっきは本当に偶然、マシンがまた動いてくれたんです…。私、何だか無性に腹が立っちゃって…。でも、飛べたのは結局、少しだけでしたけど…」
「そのようだな。再びエンジントラブルが起こらなければ、落とせただろう」
「…はい?」
男の言葉に、思わずファムはきょとんとなった。――落とせた、とは?
相手は、彼女の様子が分かったようだった。微笑しながら、
「…あのまま何も問題が起こらなければ、私ではなく、君があの飛行船を落としていただろうと、言ったのだが」
「え? 私が…?」
それ以上言葉は無い。彼女は、まさか飛行船を落とそうなどとは…落とせるなどとは全く考えてもいなかった。ただ、嬲られたのが悔しくて、やり場の無い怒りも一つとなって――ただ、ただただ…一泡吹かせたいという気持ちが、突き動かしただけだったから。
男の視線は、まるで見透かしているようだった。そして、探れそうも無い、深い思慮を湛えた瞳が微妙に変わる。
「ついていなかったな、君は。だが、なかなかのものだった。見習いとはいえ、そこらのネージュのガンナーより腕がいい」
一拍後、男が自分のことを誉めているのだと分かって、ファムは思わず頭を下げていた。
「あ、ありがとうございます…!」
「私は別に、礼を言われるような覚えはないのだが」
変化自体は少ないが、今度は明らかに苦笑を浮かべる顔に、ファムは首を振った。
「いいえ。だって…あなたが飛行船を攻撃していなかったら…私、一斉に攻撃を受けて、マシンをきっと完全に壊されてました…助かりました」
「君がもはや攻撃不可能と覚ったから、私はすかさず自分の仕事に移ったまで。別に助けたつもりではない」
「でも…結果、助かったのは事実ですから。それに、あなたみたいな凄いガンナーに会えて、なんだか…ううん、とても嬉しいです」
素直に笑うファムに、男の方は黙った。
「あの、どちらのガンナーなんですか? ネージュではないですよね」
無邪気にすらなって問う彼女に、男はやはり黙ったまま。見れば、表情もやや固くなっている。
どこか気まずさを感じとって、ファムは頭を下げた。
「すみません。調子に乗ってしまって…」
「…私は、どこのガンナーでもない」
ぼそりと、男は言った。ファムは顔を上げた。
「どこの…ガンナーでもない…?」
一瞬、分からず怪訝に思った。ガンナーは通常、街に登録して仕事を請け負うようになる。だからガンナーとは普通、どこそこのガンナーとなるはずであった。それが、どこのガンナーでもないと答えられれば――。
「じゃあ…」
ファムは、息をごくりと呑んでいた。聞かされたことはある。街に登録せず、主に裏方――闇で暗躍する、非公認なガンナーもいることを。彼等は大概腕が立ち、ときには違法行為ともなる仕事すら請け負う。そして、支払われる報酬はどれも法外。
「おそらく、思ったとおりのガンナーだ、私は」
顔色を変えず、男。今度はファムが黙る番だった。
それから、数秒ほど。男は急に動いた。操縦席まで一歩で戻ると、通信機を操作したようだ。受話器を持った。
「大量の煙で確認中かもしれないが、ネージュ湾岸南南西の、距離およそ140Kmの暗礁地帯に、女性のガンナー見習いが、マシントラブルが相次いで救助を求めている。名前は…」
そこまで言って、男はちらりと振り返り、視線を投げてきた。
「あ、ファムです…」
「名前はファム。…日が暮れる前の、迅速な出動と救助をお願いする」
男はそれで、通信を切り、受話器を戻そうとしたようだったが、
「…それと、付近に指名手配犯の一味、空賊シガールが浮いているはずだ。丸腰だから、ついでに逮捕するといい」
付け加えて、完全に切った。一方的に、どうもネージュ市警へかけていたらしい。
「…これで助けが早くくるはずだ。後は待つがいい」
淡々と、彼。見ているファムへも、ついでといったふうに加えた。
「もし、君が私に恩義を感じるならば、私の事は適当に誤魔化してもらいたい。…話したところでどうにかなる事はないが、たとい些事でも、ないほうが当然楽なのでな」
平然と。これはよほど権力のある人物が後ろにいるのか、あるいは彼自身が相当の力を持っているのか…男が言っている事は、つまりどうなっても彼の存在は表に語られない、流れないということ。
そして、男は完全に背を向けた。――もう、飛び立つつもりだ。ファムは思った。
「――あの! どうしてガンナーをやっているんですか?」
咄嗟に、そんなことを聞いていた。男は肩越しに振り返る。不機嫌そうな口だったが、開いた。
「そうだな…不謹慎と思うかもしれないが、道楽だ。…普段が退屈でな。戦うことで紛らわせている」
「ガンナーって、楽しいですか…?」
「…私にとっては、今のところ最高の退屈しのぎだ。近頃はあまり、楽しめないが」
確かに彼の腕なら、てこずることなど少なそうだと、ファムは思った。
男はつまらなさそうな顔をしながら、だがその後、何か思ったらしき眼差しを僅か湛える。
「私もひとつ問おうか。…君はなぜ、ガンナーに?」
ファムは精一杯考えた。やや、下を向いて。
「…周囲から、才能があるからって。それで…」
「…ならば、あまり面白くは無いかもしれないな」
耳に小さく届く。見れば男は、既に前を向いていた。その手が動く。例の眼鏡をかけたようだ。そして操縦席へあがる。
「…でも、でも! あなたの姿を見て、心から凄いって思いました。私も…私もあなたみたいになりたいって…初めてそう思いました!」
返答は返らなかった。それでもファムは続けていた。
「私も努力すれば…あなたみたいに…あなたのような凄いガンナーになれるでしょうか?」
一瞬だけ、男はこちらを向いた。言葉ではなかった。ただ、口の端が愉快そうに歪んでいただけ。しかしファムには、嘲弄でないことは分かった。
――と、周囲に騒々しいエンジン音が鳴り響く。男は素早く滑り込んで、機体を起動したのだ。
あれよあれよという間に、黒いガンナーマシンは水の上を滑り、上昇した。ファムはそれを、ずっと目で追い続けた。
やがて、
「…やだ。名前、聞いてなかったな」
教えてくれたかも分からないが。彼女がようやくそんなことをつぶやいたときには、黒い機体は点のようになって、遠い空の下へ行っていた。
「私も、なれるかな、凄いガンナーに…」
再び、つぶやく。もう黒い機体は全く見えなかった。それからふいに反対側を向けば、こちらへとやってくる数機の点が確認できた。
彼女は安堵する。そして――
「よし…明日からがんばるんだから! 絶対なってやるわよ!」
後ろをちらりと見返して、ファムは意気込みを空へ誓い、見せた。
おわり
<あとがき>
スカイガンナーでは初書きの小説です。いや『ファムは素質を見出されてガンナーになった感じで、近い位置の誰かにあこがれて、その人物の影響を受けたのかもしれませんね』…って、そんなことが書いてあったので、私の頭はつまり…「ファムの近い位置のガンナー…じゃあリヴァルの?」って、単純になっちゃったんです…。ネージュのガンナーの質はいまいちだそうですし…オリキャラ出すほど柔軟じゃなくて。そんなわけでこうなりました。
しかし、ファムがまだ若い感じです(苦笑)。しかも凄い運が悪いし…。自分で書いていて、リヴァルが「君」って言うのもちょっと引けましたが…眼鏡とると、あの人性格変わりますから…まあいいかなぁって。
そういえば…リヴァルのファントゥームの操縦席まわりって、操縦桿と計器しかないそうで…電話ないのかも(苦笑)。でもまあ、じゃんじゃん改造しまくってるお方ですので、この話しの当時は形も違っていて、電話もまだあったかも?ということで…問題無しと(苦笑)。ちなみに、出てくるやられキャラ空賊シガールには特に由来はありません。テキトーで、仏語じゃないです。英語も苦手なのに、フランス語が分かるわけないですし…知ってる語なら使いますけど…。
それと…断っておきますが、私、リヴァルとファムくっつけたいわけじゃありませんので。どっちかと言えば…ファムの相手はコパンがいいですね…。同志は多いのか少ないのか分かりませんが…。
最後に余談で、車は黄色が一番事故に遭いにくいそうで、黒は一番事故に遭いやすいとか。前、車校に行ってるときに何やら見まして。だからファムの名無しのマシンは黄色いのでした…。
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