プチ・ファンタズマ計画



 人体と兵器の融合を目的としたファンタズマ計画。ウェンズディ機関が極秘に進めていたその計画も、機関の消滅と、完成形である兵器システム、ファンタズマの破壊により、世界に公表されることなく裏舞台のうちに消えた。
 キッカケは一つの奇妙な依頼だった。レイヴンス・ネストのネットワークを介してはいたが、どこの誰かも分からない相手から、公募ではない指名――ただ一人に当てられた高報酬の依頼。
 傭兵であるレイヴンにとって、危険など日常。不明な点にそれを感じたとしても、その依頼を断る理由にはならなかった。
 接点はそこから始まった。『プロジェクトファンタズマ』。行う者がいれば、それを知り、阻止する者も現れた。
 依頼を引き受けたレイヴンは、届けられる依頼を引き受け続ける後に、ウェンズディ機関に捕らわれた一人の女性レイヴンと出会った。


『依頼がまたお前に届いているぞ、レイヴン』
 その時は言葉に示された情報に気付かなかった。活動拠点であるアイザック・シティへ戻り、つい日頃のくせで、無意識にコンピュータの小型端末からレイヴンズ・ネストのネットワークにアクセスしてしまった数分後。珍しくも担当マネージャーが、メールではなくリアルタイムで音声を飛ばしてきた。
「さすがに、しばらく依頼を受けるつもりはないんだがな……」
 珍しいとは思ったが、疑問には思わなかった。小さく映し出されたオンラインであるマークが普段と違うだけ。別に顔が表示されるわけでもない慣れたモニタ画面を見ながら、相手にもまた見えるはずも無い表情をして。
 生業上、体力に自信はあったが、長い依頼を終えたばかりだった。関わった期間から、疲れは確実に溜まっている実感があった。どちらかと言えばそれは精神的なものの方だったかもしれないが、とりあえず少し休めば回復する事には違いない。差異は自分でも気にしないようにした。
『断るのか?』
「何も問題はないだろう」
 既にモニタなど見ず、一段と埃っぽくなった狭い室内を回って、パイプを組んだだけの簡易ベッドに腰掛ける。
 光量は足りるはずだが、照らしているのは質感ぐらいだった。どこか薄暗く、無機質である建材の匂いと形を感じる部屋だ。湿度が高いわけではないのだが、下にうずくまろうとする陰湿な湿っぽさがある。一時的な借り間であり、いない方が多いせいか、久しぶりだといっそう鼻に付く。
 もっとも、地下に存在しなお広がる複合都市のどこにも、その匂いがしない場所はないだろうが。残された大破壊前の装置と、企業のテクノロジーによって維持される都市は、常に人にとって快適な環境に調整されているものだが、それは失せないようだ。
 半世紀程前に起こった地上での国家間最終戦争は、大破壊と呼ばれている。その時、地上は破壊尽くされ、人類の選択肢は一つ…残っていた地下都市に、地下に潜るしかなかったのだ。
 だから、生まれたときから触れている割には慣れず時折強く感じるのは、人がその大破壊まで、今の深い地下ではなく地上に住んでいたことを遺伝子が懐かしむ…そんなところだろうか。依頼によっては地上に出られるものの、そこで見られるのは今でも荒廃した表土や凄まじい破壊の跡。その他僅かに、企業の所有建造物があるに過ぎない。
「…………義務は無い。受けるも断るもレイヴンの自由だとそっちが言った」
 ぼんやり返すが、遠慮などしない。声には十分だるさが混じっているから、疲れているのは相手も分かるだろう。
 レイヴンズ・ネストのマネージャーは一番やり取りのある相手だが、直接会ったこともない。オペレーターでもあり、要は世話係だが、むろん生活の方の世話をしてくれるわけではない。今のところずっと同じ人物であるようだが、どうせ異動もあるだろう。
 互いにとって完全にビジネス上の付き合いであり、それ以上にも以下にもならない。そしてそれが望ましい。情など介入して、賢く上手くやっていける世界ではない。パートナーと言うより、監視役と見るべきか。
『まあその通りだ。こちらは契約の強制などしないが』
 何かひっかかる語尾だった。ネストは、企業などから合法、非合法問わず依頼を受け、所属する傭兵=レイヴンに実行させるわけだが、それは強制ではない。依頼に関してやっていることは、実力に応じてある程度は振り分けているようだが、仲介役として存在し、独自のネットワークを介して仕事があることをレイヴン達に知らせるだけだ。別に強要などしなくとも、決して少なくないレイヴンの誰かが契約するのだから問題ない。例外もあることはあるが、レイヴンは通常、それを希望してなるものだ。中には趣味という変わり者もいるし、高額な契約金にさほど執着しない輩もいるのだが、全く役に立たない――実力がない、または働かないレイヴンなどそもそも所属させていないだろうから、いつまでも契約されていない依頼が残っている事はない。
 なのに、一人のレイヴンが断ろうとしているぐらいで、語尾を濁すのは。
「しないが…なんだ?」
 その時すでに、嫌な予感はあったのかもしれない。だがおそらく、まさかと思う気持ちと、考えたくない気分になっていたのではないか。
 聞き返した事は、失敗だと思った後で。
『何しろ、ご指名だ』
 ふいに、普段どおりの声から、笑いが微かに聞こえた気がした。気にするほど、既に余裕がなかったが。
「指名…………だと?」
 思わず立ち上がって、よろよろと端末のあるテーブルの前に行く。端末との距離を狭めたところで通信中の相手との距離が近づくわけではないが、両手を着き、画面を食い入るように覗き込む。
『その通りだ。分かっているのだろう? ここしばらく、お前の受ける依頼は指名のものばかりだったからな』
「……」
 目の前がくらくらした気がする。しばらくその気分が悪い心地に支配されていると、含んだ声が終りを告げた。
『ともあれ、メールを見てみることだ。ではな、レイヴン』
「まて…!」
 通信を切ろうとする相手を呼び止める。初めはさほど気にならなかったが、これは少々、納得がいかない。
「問題にならないのか? ネストは直接の依頼をレイヴンが請け負うのを禁止しているが、一人のレイヴンばかりを指名する依頼人は、何れその相手に直接依頼するようになるかもしれないし、レイヴンもそのうち受けるようになるかもしれない……。それを考えたことはないのか?」
 レイヴンズ・ネストは、レイヴンにほとんど制約を課していないのだが、所属するレイヴンがネストを通さない依頼を受けることだけは禁止している。その考えられる理由としては、ネストも一応営利組織な面があり、仲介手数料が得られないのは困るからだろうか。運営するだけでも金が掛かるが、レイヴンの支援となるとまた多額の資金が必要だ。人が動けば人件費も掛かる。収入がなければとてもやっていけない。放っておいて直接依頼が増えようものなら、ネストの収益も、加えて存在意義も下がるというもの。また、今の世界に深く関わるあらゆる情報を、ネストは持っているに違いない。依頼者は通常、企業や有力者、特別な機関だ。ネストが世界情勢を知るのにも、今のシステムは一役どころか、何役も買っているはず。時に世界の存在を、動きを変えかねない依頼すら受けるレイヴンズ・ネストだから、まさか全くの無関心ではいないだろう。依頼がもしネストを通らないと、何が起こっているのか、起こりつつあるのかを予測し難くなるのは違いない。
 実情は他にもあるかもしれないが、少なくともレイヴンズ・ネストにとって、直接依頼というのは害であって益にならないのは分かる。
 そして、分かるから気になるところがある。同一人物による、同一人物への立て続けの依頼。直接依頼の前兆のような依頼の数々に、どうしてネストは全く口出しせず、黙っているのか。
「疑問に思っていたさ。そもそも、依頼人がレイヴンを指名するのも本当は好ましく思わないだろう? まあ、指名だからといってレイヴンが必ず契約するとは限らないが…。依頼者としては当たり前だが成功してもらいたいし、無名に近いようなレイヴンより、上位のランカーACに乗る名が売れたレイヴンや、遂行率の高いベテランレイヴンに任せた方がいいだろう。制限しなければ指名は増えるはず。それが何れ……」
 直接依頼に繋がりかねないのでは。と、言おうとしたところで、苦笑が入った。
『自惚れるな…。お前は名が売れているとでも思っているのか? お前より勝り、有名なレイヴンなどいくらでもいよう。戯言は、せめてアリーナで頂点でもとってから言うものだ』
 アリーナは、レイヴン同士が戦う闘技場の意味。参加権を得たとしても、参加するかはレイヴンの自由だった。そこで勝てば賞金やACパーツがもらえるし、名も売れる。他に、金持ちの見物客は娯楽。レイヴンズ・ネストは興行収入。スポンサーは宣伝。大体そんなもので成り立っている。
 分かりやすくアピールするなら、アリーナで順位を上げるのが一番だろう。しかしアリーナばかりにかまけているつもりはなかった。手っ取り早い方法だと分かっていても、アリーナの頂点に立つためレイヴンになったわけではないのだから。
「そんなことは分かっている。ただ……」
 言葉を止めて、後は心中でつぶやく。気味が悪い…と。
 やはり、何かあるようで気になるのだ。前々から、先ほど言ったこととは別の何かが、思惑があるような。正直、レイヴンズ・ネストは何を目的にしているのか分からないところがある。レイヴンの支援組織のつもりなら、もっとレイヴンにオープンになってもいい。もし金儲けの為なら、やり方を変えるなり、今より効率の良い方法があるだろう。
 実はレイヴンズ・ネストは、誰が始めたのかも分かっていない。誰がネストを運営しているのか……大規模な組織ともなると、幹部等も存在すると思うのだが、これも聞かない。
 世界にこれだけ浸透していながら、分からないことが多すぎる気もする。
 モニタをじっと睨んでいると、黙り込んでいる時間はないということか、鼻で笑った。
『まあ、言いたい事は分かるが。だが、一介のレイヴンから警告されるほど杜撰なことはしておらん。レイヴンズ・ネストを無能だと思ってもらいたくはないな。お前に何も言わないのは、問題がないからに他ならない。あの依頼者は、レイヴンズ・ネストを通しているのだからな。もちろんそれから外れた場合は、制裁を加えるだろう。相手も一応レイヴンなのだ。良く分かっていて今のところギリギリの線は守っている』
 辻褄はあうのだが。当たり前のように述べたマネージャーに、わざと思っていることを漏らす。
「……個人的には、どうも…あの依頼人には甘いような見逃しているような気もするんだが」
 ネストのような闇底を覗くような見通しの悪さとは全く異なるが、あの依頼人も少々分からないところがある。全然違う存在感からして繋がりがあるとは考えにくいが、何か…ネストもあれは苦手なのではと思ってしまう。
 届けられる音声は、憎らしいほど変わりはしないが。
『あの依頼者を特別扱いだと? こちらからすれば、お前が甘いからずっと頼られているのだと思うがな。確かに報酬は高いだろうが……他のレイヴンなら、一回受けた後は断るのではないか? あれの依頼は、組織や団体ではなく、個人そのものだからな』
 その話し方、こちらにとっては十分気になることだらけだった。
「色々知っているようだな」
『もちろん、お前よりはな。だが、こちらからお前に教えてやれることはない。一応、依頼者はネストにとって客だ。受けた依頼の遂行に関係のない話はだめだ。守秘義務というものがある。それに、レイヴンと依頼者は契約中だけの関係だ。お前に飼われるつもりがないのなら、必要な話ではあるまい?』
 いくら尋ねても、何も得られないのは分かっていた。レイヴンズ・ネストが馬鹿だとは思っていない。しかしそれでも、最後に聞いていた。
「何故…指名されたんだ? 公募されるのが嫌だったと考えても……新人無名でもないが、有名でもないレイヴン一人に依頼なんて……」
 やはり、それには答えらしい答えはなかったが。
『さてな。こちらはそんなものに興味はない。だが案外、お前を知っていたとか、携帯端末から調べる事ができたのがお前のアドレスだけだったとか、そんな理由かもしれんぞ。疑問に思うなら、直接当人に聞いてみればよかろう』
「……」
『いたく気に入られているようだから、答えてくれるのではないか?』
 その瞬間、見たことも無い顔が、笑ったような気がした。反射的に言い返そうしたもの、相手の方が上手だった。
『ふむ。まあ、とにかく目ぐらいは通すことだ。驚くぞ。今まで、このような依頼はレイヴンズ・ネストに持ち込まれたことがないからな……』
「なに…?」
 体を震わせるほど、露骨に嫌な予感。慌ててたった一つの新着メールを確認すると、いきなり最初の文字で頭を抱えたくなった。
「報酬……3000C…!?」
 レイヴンへの依頼料では、これは到底考えられない…安値の破格だ。というか、いくらなんでも割に合わない。たとえ、全額前払いと書いてあってもだ。
『格安だが…ネストの取り分はさほど変わらないから、依頼を回すことは受諾した』
「……!」
 絶句して、言葉が出なかった。いや、言葉はいくらでもあるが、それ故にどれも一気に出掛かっていて、入り口が詰まってしまったような苦しさ。
『しかし、意外だったぞ。先ほどのような問い詰めをされたのもだが……お前も好きでやっているのかと思っていた』
 そして、最後にまたとんでもない事を言って、通信は切れた。

『珍しいですね。あなたがオンラインで掴まるなんて』
 何分たった? 呆然としていると、どこかから聞き慣れた女の声がする。
『……? あの……聞いてます? ……もしかして、つけっぱなしなのかしら』
 しばらく聞き続けていると、離れていた意識が戻ってきた。モニタに焦点を合わすと、先ほどはレイヴンズ・ネストのマネージャーだった通信相手が、信じられない報酬の依頼を持ちかけてきた依頼人の名前に替わっている。なおかつ、送受信の内容をモニタリングされている可能性も考えられるこのネットワークの中で、自分の顔を映し出す相手は他にいない。
『もしもし? いませんか? ……いないの?』
 スミカ。詳しいことは知らないが、一応同じレイヴンだった。今まで何度か依頼を受けてきたが、高額な報酬を出してきた依頼人だ。しかし、レイヴンをしているだけで依頼人側の報酬を用意するのは難しく、本職は別でどこかの組織に属している様子。財産や資金の類には困っていないように見受けられるし、つてもかなりあるようだ。聞けばとんでもない話が出てくるかもしれない。
 まあ、そのつもりは全く無いが……。やぶへびになり兼ねない事でもある。
『応答無し。やっぱりつけっぱなしのようね。とりあえず催促のメールを出しておこうかしら』
 なにやらオンライン通信を一旦切ろうとしているところで、突っかかった。
「おい…スミカ!」
『え! え? なによ、いるんじゃない。あなたも人が悪いわね』
 少し驚いたような様子。だが、悪いとは思わない。誰のせいで半ば放心状態に陥ったかと考えれば。
『あ……。でも、名前で呼んでくれたのって初めてじゃない? やっとパートナーって自覚が出来たのね。良いことだわ』
 何か嬉しそうな響き。そしてこちらの思考はその場のズレに麻痺している。
「いや……レイヴンと依頼人は契約中はパートナーなのかもしれないが」
『ああ、メール読んでくれたかしら? そうそう、依頼状も送っておいたわ。後はネストのネットワークを通して契約してくれれば、すぐこちらも準備できるから』
「いや……まずそのメールのことなんだが、依頼料が」
『ええ、もちろん前払いだからもう振り込んであるわよ? 安心して』
「……」
 がくりと面を下げた。下がった。何とも言えない。この脱力。
 このスミカという依頼人は、唖然としている間にも話を進めてしまう……つわものだ。どうしてか、有無を言わせない。非常に疲れる相手だった。だがもう、ある程度は会得している。
『どうしたの? 回線の調子でも悪くなったの?』
 地で聞いているのかと問い質したい相手に、それを我慢して言った。
「安心とかそういう事じゃない。……そうだな、前の契約が終了してからどれだけ経ったと思う? あんたと別れてからだ」
 そう、約二十四時間前に契約を終えて、先ほどアイザック・シティに帰ってきたところだ。それまでは、ずっとこの依頼人の依頼を受けていた状態だった。目的が達成されたので別れたのだが、もう臆面も無く、次の依頼を持ってこようとは。
『そうね……まだ二十四時間程度ってところかしら。それがどうかした?』
 さらりと言うところに震えがくる。もちろん、加熱による膨張の震えだ。
『本当は、もっと早く連絡を取りたかったけど、あなた、携帯端末をOFFにしてない? ACに乗っていれば通信機能が使えるけど、繋がらないし』
「……疲れてるんだ。分かっていると思うが、今回の長期に及んだミッションは、楽なものじゃなかった」
『それは分かるわ。けどそこをお願いしたいのよ。分かるでしょう』
 そう言えば何とかなるものではない。そんなもので簡単に人が動かせるなら、もう少し楽に生きられるに違いない。
「まだ依頼を受けるとは言ってない」
 自らを落ち着かせる事も兼ねて、はっきりと。説明してこちらが何を言いたいか分からないなら、単刀直入に言う。
 スミカの言葉が切れたところで、不満が隙を与えまいと口に出させた。
「大体、あの依頼料はなんだ。馬鹿げてる。あれじゃあ、弾薬費にすらならないかもしれない。あんな金額でレイヴンを雇おうなんてな…………」
 ふいに、その時は格安でお願いね、と別れ際に聞こえてきた声がよみがえった。だがやるべきことは、浮かびそうな苦笑いを堪えて備えることだ。
『……』
 モニタを見ながら待った。数十秒だったか。相手に対しての間としては、十分だと思った。スミカが、黙ったのだから。
「……まあ、返さなかったが、別れ際に言ったことは聞いていたがな」
 ようやく少しは分かったようだな、と思ったのが間違いだった。
『何……? つまり、まだ全部読んでないわけね? 最後までちゃんと目を通して!』
「最後まで……?」
 突如不満そうな剣幕を返されて、仕方なくメールの続きを読み進める。その途中で、スミカが色々言ってくる。
『格安でお願いしたいけれど。……でも、今回の依頼料はおそらく適切だと思うわ。だって、起動させるだけで費用の掛かるACには乗らないんだから』
「…ACに乗らない、だと?」
 それだけで、頭を金槌か何かで叩かれたような衝撃。予感が警鐘を鳴らしているようだが、ダメージが大きくて素早く対応できない。ガンガンと外から、内から頭の壁を叩かれ、その反響がうるさくて。このまま倒れて気絶できればどんなに楽かと、意識が逃避したがっている。だが、聞いてしまう。
『そうよ。乗りたくても乗れないのよ。大きいし、とにかく目立ってしまうから』
 確かに、提示された依頼料の下、今回の依頼はまず初めに、ACには乗らないと書いてある。しかし。
 くらくらとしていた心地が、急激な熱に押され、蒸発するように一気に消え去っていった。
 我慢にも限界がある。
「ACに乗らない? 何を…レイヴンはACあっての傭兵なんだぞ? そのレイヴンに、ACに乗らない依頼を持ってくるのか…! 何でも屋と勘違いしているなら、他を当たれ!」
 自分でも驚いた声量。だが自分自身で納得する。スミカが言ったことは、レイヴンにとってとんでもないどころか、話にならないことだ。
 AC。通常そう略して呼ばれるのは、アーマード・コアと呼ばれる武装化した、ある一定の規格に基づくロボットの総称だ。ベースにコアと呼ばれる胴部分のシャーシを置き、共通化された取替え可能のパーツによって形成される、汎用性を備えた戦闘用兵器。能力の違うパーツへ替えられることにより、様々な状況に対応可能となるわけだ。それなりに巨大なメカで、コクピットがあり人が乗り込んで操縦する。AIによる制御、遠隔操作も可能だが、力不足とされ現在のところ一般的ではない。
 企業などもACは所有し使用しているのだが、乗り手として一番に名を上げるのがレイヴンだ。あらゆる部分で機器が利用される世界では、傭兵もまたそれを用いなければならない。名実ともに浸透し、もはや切っても切り離せないものだった。
「……断る。何をさせるつもりか知らないが、例え汚い仕事でも請け負う傭兵だろうと、意地やプライドはある」
 顔を背け通信を切ろうとした。その手前で、静かな声が操作するこちらの手を止めた。
『いいえ、あなたには受けてもらうわ……。約束してくれたわよね、ファンタズマ計画に関する依頼だけは、最後まで協力してくれるって』
 反応には、多少の時間を要した。先ほどより長い沈黙。黙考しているわけではない、本当の間。そしていつもなら次から次へと話し出すスミカが、こちらの反応を待っている。
 一体何を言いだすのかと、一瞬咄嗟に反駁しかけたのだが、みるみる濁り始めた思考の濯ぎを選択した。
「……どういうことだ? それは終わったはずだ。ウェンズディ機関の残党に関しても、鎮圧できたんだろう? 既に武装蜂起できるほどの力が残っているとは思えないし、出来たとしてももう、再興は無理だ…。機関のデータ・バンクは無くなったし、試作機、完成型共に破壊された……。長年の研究の成果が、全て失われたんだ。裏で支援していた複合企業も、今となっては疎ましく思うに違いない。睨まれていて、ファンタズマの開発に関わった者達も、運良く拾われた先で今何か起こそうとは思わないだろう」
 もう終わっている話。終焉を迎え、それを見送った。最後に残された、ファンタズマ計画の最終段階に到達した直後、終わったのだ。完成された兵器システム、ファンタズマが用いられた唯一の兵器……ある一人のレイヴンが融合した『ファンタズマ』が破壊されたその時に、もう。
 確かに、残されたモノはある。厳密には、残ってしまったモノというべきか。ファンタズマとそれを造り上げた機関は無くなったが、関わった技術や人物、組織が全て完全に消え去ったわけではない。それが何れ、再び第二のファンタズマを生み出す可能性はあり得る。いや、たとえ関わった全てが消え去ろうとも、より深く高い場所を目指す人の業が、新たに生み出さない可能性は無いのかもしれない。それでも、
「少なくとも今は……息を潜めるしかない」
 失われたモノを取り戻すには、さすがにまだ時が要る。再起を目指す者がいるとしても、無くした力をすぐに取り戻せる状況ではない。公に公表されてはいないものの、一つの高い技術力をもった機関が壊滅したのだから、裏では騒がせる程の話題になっている。まだ全てを知らない者がいるとしても、話題は波及し、近いうちに真相へ辿り着くだろう。そんな状況であり、今はいつでも騒ぎだせる中にあるのだから、下手に動けない。そこから表に流れることもままある。密かに行っていた計画とは、知られてはならないという意味があるのだ。金銭に関わる、命に関わる、名声、権力に関わる……世界、都市、企業の存在と同じように、単純な話ではない。世界を変える程のものだ。前にも後ろにも、常に危険が忍び寄る。
 もし、今動く者がいるとすれば……それは馬鹿の類だ。
 頭を振る。
「つい先日の事…実際先ほどだが、たったそれだけしか経っていない後に、一体何が、誰が動くと言うんだ」
 現実的な話とは思えなかった。思えなかったが、それでもこんな笑えない冗談を、真剣に言う相手ではない事ぐらい……分かっているつもりだ。
『私も信じられないとは思ったわ。私だって、終わったと思った』
 話す当人も困惑が強い。話すようで、思案しているようで、時折独り言を混ぜた。
『けれど、ファンタズマの図を見たって言う話を聞いたのよ……。分析班の一人が、持ち帰ったファンタズマのデータを見て、同じものがって……そんな最重要な機密がいつどこから漏れたのか知らないけれど、アンバー・クラウンの一企業が所有しているって、話。だから本当かどうか確かめないといけないわ……。もし本当だったら、私達の目的が……やり遂げた事が、また振り出しに戻るから』
 データの流出。どんなに固く閉じているつもりでも、存在するものを完全完璧に隠す手立てはないだろう。例えばスパイが紛れ込んでいるならば、そこから流れ出る。データを記録しているコンピュータが外部と接続可能なら、いくらセキュリティを強化してもハッキングされるかもしれない。そして、隠そうとすればするほど、不審に映ることもある。
 真偽はともかく、流れ出たと言われればそれを否定することは出来ない。むしろ業界ではよくあることだ。スミカも、信じたくはないだろうが、その甘い考えでいれば後悔に繋がる現実を分かっている。
 だから依頼を出したのだと分かる。
『この依頼……受けてもらえる?』
「受けさせるつもりなんだろう? 依頼料もさっさと振り込んでおいて……」
 何を言うのか。全く、気味が悪い。
「こんな依頼がくるとは思わなかった。ああ、全く考えが足りなかった。馬鹿だったよ。……約束してしまったものは、仕方がない」
 疲れた声を強調させて。随分と殊勝なスミカに苦笑を浮かべながら、自分の気が変わらないうちにそう返しておいた。


 地下複合都市の一つ、アンバー・クラウン。大破壊以前より存在した地下都市とは違い、その後に出来た新興都市だ。地下世界で有数の規模であるアイザック・シティと比べるならば、発展途上となり田舎都市に見られてしまうが、良いこともあった。後発はハンデともなるが、今までの他の都市のデータがある分、分析や比較によりより良い方向を試せる強みもある。さらに人が増え続ける地下のことだ、順調に伸びていた。これからの発展が期待できたのだ。ウェンズディ機関がここを本拠にしなければ、これから先どうなっていたか。
 今や都市の急速発展に貢献し、ファンタズマ計画を支援してきた複合企業は撤退する準備をしているようだった。それだけ、ファンタズマの存在は巨大な物だったと物語る。企業の資金提供、技術の助力を得た機関が、自然とアンバー・クラウンを潤した。だから結果がでなければ、裏切られれば、既に期待するものでなくなれば、打ち切られた。
 これから先どうなるのか――。早々に見限られた都市に、まだ大きな変化はない。

 契約してから数日後の夜半。数時間前の連絡で指定された場所で、じっと待っていた。実に閑静な住宅街の一角であり、この区画に屹立する巨大なビル郡はない。整然としているが、低い建物ばかりだった。密集というほど隙間がないわけではなく、ゆとりがあり、居住性を考えている。大都市ならば居住区であっても、避難勧告が出されない限りこの静けさや密度は考えられない。ただ今は、事件の影響があるのかもしれないが。
 ひっそりとしていて、灯る照明は少なかった。何より、人の姿が見えないのだから静かだ。日夜うるさいアイザック・シティより、住人の夢見については随分よさそうだった。
 時間を確認して、吐息する。やはり、まだ疲れは取れないらしい。うっかりぼんやりとしていた。いくら何も起こりそうでなくとも、ここで弛緩していてはいざという時に痛い目を見るものだ。そういう状況が十分あり得る。自分の身はレイヴンであり、平和を望む一般市民ではないのだから。
 もう一度吐息して、頭を振った。気配がする。人の近づくそれだった。ごく普通に歩いてくるようなシルエットだが、警戒が微か、音に隠されている。
「山?」
 建物の暗い重なった影の中にいるこちらへ、そんな女の声。
「……川」
 再度吐息。それはさすがに聞こえないだろうが、言われた通りに返した合言葉は聞こえたようで、山と言った相手が小走りに駆け寄ってきた。
「……? こんなときまでそんな格好なのね」
 そして、こちらを見るなりそれ。不満そうにスミカ。暗緑の動きやすい軽装、ハーネス、背中に身長に合わない大きなバックパックといった姿で、遠慮も無く不満を漏らす。
 そんな格好とは、ACに乗り込むときの防護服のことを言っているようだった。暗色の、見た目で判断するなら地味なもの。しかし環境の変化にある程度対応する機能をもった、身体保護に特化する最新の衣類だ。上下一つのスーツで、もちろん動きを妨げないよう出来ている。
 戦闘を行うような激しい動きのAC内では、身体に加速度や遠心力等の負荷もかかるし、武器の使用や攻撃を受けた時、どうしても温度が上昇して高温となってしまう。内部環境を維持するシステムは働いているが、完璧ではないから乗るには気休めでも着用が好ましい。どれだけ気にするもレイヴンがいるか疑問だが、周りが精密機器の塊なので静電気の発生を防いだり、塵を出さない目的もある。
 着てきたのは何のことは無い、金が掛かっているので下手なものより丈夫だからだ。ACに関係する分野の技術は、関係しない同業種のそれより上を行く。装備としては劣るものではない。念のため、防弾目的のベストぐらいは着けているが。背負った荷物を除くならば、後はベルトにホルスターやポーチを下げているぐらいだ。
 またまじまじと見て、再三呆れたようにスミカは溜息付いた。
「上から下まで、普段と変わらないかもね」
 顔を見て言った様子からすると、頭部がヘルメット、ゴーグルという装備も気に入らないらしい。
「レイヴンは簡単に顔を晒せないのは分かっているだろう……。通っているのはACとレイヴンとしての名前だけだ」
 レイヴンは通常身元を隠している。やっている事は穏やかな話しではないし、恨みを買ったり命を狙われることもある以上、当然だ。公開されているパイロット名も本名ではない。レイヴンとしての、職業上の通り名。
「私は本名だけど?」
 たまにこういうのもいるが、大体変わり者だ。アリーナを主な活躍の場としている者に多いが、素性を匂わせたり、特技や経歴をアピールしているレイヴンもまあ、いる。
「とにかく、そういう事だ」
 それ以上のことは無いので終わらせる。しかし、スミカはまだ不満を見せていた。
「それは分かるけれど。私の前でぐらい、顔を見せたっていいでしょう?」
 確かに、スミカに顔を見られたところで今更ではあるが。
「それは、別にわざわざ見せる必要もないという事だ。それにあんたの事だ。見せなくても、どんな顔があるか知っているんじゃないのか?」
 裏の情報をかなり得ている相手が、知らないはずはないだろう。自分の素性も、おそらく調べようと思えば暗がりに落ちている。わざわざそう有名でもないレイヴンを指名してきたのだから、下調べぐらいしていると普通に思う。
 スミカは、何か苛立たしげな様子で、
「そうなんだけど……! ああ、もういいわよ! いいです。遊びに来たんじゃないんだから、行動に移ります」
 睨み付けてくると、話に移った。
 やはり、疲れる相手だ。
「そうしてくれ」
 言ったことに同意しただけだが、再度睨まれた。それでも、仕事モードに入ったようだった。
「……。事前に言ったとおり、これから…ファンタズマのデータを持っているという企業に侵入します。目的は、話の真偽の確認と、事実だった場合データの完全消去。形としてあるものは、可能な限り破壊します。侵入先の企業については…ほぼ未確認」
 意外だった。全ての企業の詳細なデータがあるわけではないが、ほとんどの企業はリサーチ系の企業のデータベースに情報があるものだ。もちろん、裏側の市場調査のデータも存在する。
「未確認? あんたの力をもってしても、ほとんど分からないのか。……そういえば聞いていなかったな。その企業名は?」
 どうせ大手系列だろうと思っていたのだが。
「私も初めて聞く企業なの。タナカファクトリー」
「……」
 何故か、途端に嫌な予感がした。知らないのだが、そのごく一般的な、どこにでもありそうな響きを含む企業名から何かが届く。危険な仕事をしているせいか、我ながら勘はよく働くと思っている。
「規模は、経営者一人、従業員数は二名。一般機械からメインの中型作業用MTまで、幅広く修理や整備をやっているらしいわ」
 深い地下に都市があり、息ができ、環境に急激な変化がないのは装置の恩恵あってのこと。今の人類は科学と機器がないとまともに生きられないし、生活していけないレベルだから、その分野の企業は星の数ほどもある。大から小まで。さらに、その中で目覚しい発展をし、マーケットの推進力となっているのがACとMTの分野
 MTとは、ACが提案、実用化される前から既に浸透しているロボット技術のことで、今ではAC規格に当てはまらないロボット類はもっぱらそう呼ばれる。意味も広ければ用途も広く、戦闘用から作業用、一般家庭レベルのものから、企業しかもてないような特別巨大なものまで、数え切れない数に及ぶ。
「融通は利くし、大企業と違って身近と言えば身近だから、近所の評判は良いみたい。腕も、大企業に入れるレベルらしいの」
「……個人でやってる零細企業、か」
 語調に訝りを含めたのだが、しかし、スミカは真面目に話し続けた。
「それは誰だって分かるわ。でも、表向きなだけかもしれないでしょう?」
「一見ただの町工場だが、裏ではファンタズマを造っていると……?」
「否定できない話じゃないでしょう。どこかの企業の傘下だとか、関連といった関係は全く分からないんだけど……でも、区域の公開されている企業データから発見したの。代表者のタナカという人物、ウェンズディ機関と繋がりがあったかもしれないわよ」
「本当か?」
「ええ。ファンタズマ計画の開発主任…の、妻の弟の妻の…叔父の甥の父親の妹の知り合いの……ウェンズディ機関所属の男の兄の……親しい友人がMTの関係でよく修理を頼んでいて、親密な関係であるのがタナカファクトリーの代表らしいの」
 ……意地になってないか? どんな顔をすればいいのか。
「……」
 一応、言いたい事は分かる。注目されるはずも無いごく小さな企業のフリをして、その裏では世界を変えてしまうような開発を進めている……。絶対あり得ない話とは言えない。いや、ウェンズディ機関との繋がりというのは非常に解かりかねるが。
「表側はどうでもいいとして……。ほとんど裏側の情報が得られなかったんだろう? 渡ったルートがあって、誰にも知られず開発に着手できるかと言えば、スクープが数分で世界中にばら撒かれる情報網が敷かれているんだ、あまり現実的じゃない。データの量や内容にもよるが、そもそも全員天才だとしても数人でファンタズマが造れるとは思わないし、設備も大大的なものが必要だ。小規模のはずが、大人数が出入りしていたり、大きな施設があるといった話になればまた目立つだろう」
 既によく分からない無理な人物関係を探り出してくる、とんでもないスミカの力をもってして、ほとんど裏の情報が得られない企業とは何か。
 存在を偽って、情報を全く漏らさず密かにファンタズマを開発している、見た目ただの整備工場ではなく。裏も何もない、実際、本当に、何の変哲もない、ただのMT整備工場である可能性の方が高い。
「……話しをどこのルートから入手したのか知らないが、信憑性はあるのか?」
 今更であるが、聞けば聞くほど頭の中では話しが怪しくなってくる。今騒がれていることでもあるし、情報が氾濫したときによくあるようなデマじゃないか?と思ったことが分かったのか、ムッとした気配が一瞬した。
「現実的かそうじゃないかの話で決めると思っているの? これは絶対に確認しなくてはいけないことなのよ…! ほんの些細な疑惑でも、徹底的に調べるの……。見つからなければそれに越したことはないんだから」
 内心嘆息を禁じえないが、納得の出来るものではある。ファンタズマに関する実験や研究は、スミカにとっては一つも世にあってはならない代物なのだろう。いくら奔走しても、完全に防ぐのは無理だと分かっていながら。
 それでも見過ごすことが出来ないタイプなのだろう。
「…………」
「分かってくれたわね? じゃあもう行きましょう。この区域の端に工場があるの」
 そろそろ驚くことにも疲れた。
「これから隣の工業区にいくとばかり思っていたが…ここなのか……」
 都市は機能化されているから、大体、目的毎に分けられている。もちろん効率が良いためだ。例外の一つとして、大企業などは別に専用区域や、地上に施設を持っていることがある。アンバー・クラウンの一般的な工場の区域は、今いる居住区の隣にあった。しかし、零細企業となると、工場が住居を兼ねている場合もあるし、居住区にあってもそう不思議ではない。
「なるほど……騒ぎになったら困るな」
 ここの居住区では、ACの搬入は組み立て前の状態でも、申請しない限り通常許されないらしい。ACが進入すれば、即、都市のガードが出てくるだろう。絶対騒ぎになる。そうなれば、誰かの口癖を真似るわけではないが、面倒な事になる。ファンタズマに関わる事なら出来る限り騒がれたくない。
「何があるか分からないから……ACなしというのは不安だけど、可能な限り調べましょう。でも今回はさすがに、人命優先でね」
 そう言うと、スミカは歩き出す。その後を追い、並んで、後は無言のままに目的までの道を進んだ。

 外見上おかしければ怪しまれるので当然ではあるが、タナカファクトリーの工場の外見は、特別怪しい所はなかった。作業用MTのためだろう、広く高さのある搬入口は、営業外の時間ということでシャッターが降りている。工業には事務所が隣接し、小さく、ライトに照らされた入り口あった。中は暗く今現在誰もいないようだが、代表者であるタナカという人物が、真向かいの住宅に住んでいるらしい。
「そろそろ出しておいたほうがいいわね」
 周囲をぐるりと回りドアの前に立ったスミカは、つぶやくとバックパックを降ろしてきぱきと開く。中から取り出したのは銃で、サブマシンガン、アサルトライフル、ピストルが出てきた。
 スミカは、マガジンやらサウンドサプレッサ等を取り付けながらこちらの腰を見る。
「ひとつ貸してあげるわ。拳銃をもっているみたいだけど、一つじゃ少し心配だから」
 アサルトライフルを渡してくる。
 受け取った直後、相手ははたと何を思ったか、
「……それ、グレネードも装備できるんだけど、する?」
「ここで撃ったらまずいだろう……テロリストにでもなるつもりか」
 閉口する。考えなくても分かりきっていることを、あえて聞いてくるか。そんなものを使ったら小火器の被害とは比べようにならない。活動的なところからも、本来は騒ぎ好きなのだと思うが…。
 そうですよね……などと相槌ではない小声を漏らしつつ、考え事の最中のようなおぼつかなさで、スミカは銃を装備しながら言った。
「壁を壊すこともできるんだけど…派手な音が鳴ってしまうから、ここから入りましょうか」
 ドアを軽く、コンコンと叩く。
「何でも簡単に言うが……」
 とりあえず頭を切り替え、口を出した前で、相手はポケットからカードキーを取り出した。目をやると、ドアの横に取り付けられているリーダーにさっと通し、数字のボタンを幾つか押す。
 機械はかなり旧式のようだが一応警備システムを備えているもので、ピーと電子音が鳴り、警備とロックが解除されたことを小さな画面の文字が知らせた。
「いつまでも外で話していたら誰かに目撃されるかもしれないし、とにかく入って」
 おかまいなしといった感じで、スミカはドアを開き、何とか内部のシルエットが見えるだけの暗い事務所の中に入ると、こちらを招く。
 それがあまりにも無造作だったので、入ってから気付いてしまった。
「いつのまに? …いや、それよりいきなり入っていいのか……」
 普通なら、この時点で警報機から大音量のサイレンが鳴るなり、侵入者を感知したセキュリティメカが出るなり、最悪、問答無用でいきなり攻撃されたりする。
 スミカはドアを閉めて返す。
「キーができたのは昨日。下調べしてすぐに取り掛かったから。複製は簡単だったわ。ここ、セキュリティメカも置いてないし、センサも監視カメラもないわよ」
 内部を見渡して――また、いつの間にか暗視ゴーグルを着けている――つかつかと歩き出す。
「どうやって調べたんだ……」
 こちらも準備していた暗視スコープをゴーグルに着ける。
 事務所内は、応接間も兼ねていて、書類棚やデスクの他にテーブルや無数の椅子があり、お世辞にも広いとは言えない。……狭い。
 スミカが立ち止まったところは、棚が並ぶ前だった。
「整備工場として営業しているから、お客として行ったの。ちょっとだけ強引に、小型のMTを壊してね」
「……」
 その時点で言葉を失ったが、隣に並んで前の棚に手をかけた。スミカはまだ話し足りないか続きがあるようで、黙ることなく話し続ける。
「すぐに応対してくれて、三十分ほどで直ったわ。お茶をいただいている間に色々チェックしたの。経営者のタナカは出ていていなかったけど、邪魔にならない程度に見学させてくださいって言ったら、即OKが出たわよ」
 思わず手が止まる。この相手には、何を言っても無駄口にしかならない気もするのだが、どうにも口を出さないと気がすまなかった。
「……その行動力や実力は認めるが、何かあったらどうするんだ? 向こうが本当にファンタズマに関わっていて、もしあんたの事を知っていたら、どうなっていたか分からないだろう」
 スミカは棚を調べていた手を止め、顔をこちらに向けて、きょとんとしたようだが。
「……心配してくれてるの?」
 出てしまった溜息の後に動きを再開して、書類棚の引き出しを開けた。
「いや、そもそも、どれだけ無用心な行動か分からないのか?と言いたいんだが……」
 その直後、スミカは棚の並ぶ引き出しを、片っ端からガッと乱暴に引き出した。
「おい……」
 声をかけると、刺がある調子で紙の書類やらをめくり出す。
「なによ。軽率だって思ってるの…! 私だって、自分の身を危険に置いているぐらい分かってるわよ。今回だって、ちゃんと備えて行ったんだから…。別に遊んでたり、くつろいでたわけじゃないわ! 言われなくたって…!」
 カリカリとして、見終わった書類が入った引き出しを、バン!!!と戻す。
 見ては来ないが、止まって黙するその姿が、不機嫌を放っていた。肌で感じる。物凄く…………。
「……いや、その、悪かった」
「…分かればいいけど」
 それだけ返し、スミカは別の引き出しの中に手をつける。しばらくは触れない方が良いだろう。
 奥の栓になっていた溜息を一つ吐き出して、棚の中の発掘に取り掛かった。小分けされたそれぞれの引き出しには、時期や種類で紙の書類がたっぷり詰まっている。
「…………」
 手に取った書類に向き直っても、考えさせられる。何しろ今の時代、記入も保管も紙というのは非常に、稀で珍しい……。少なくとも事務所内には電子計算機の類は見られなかったから、この束を探す必要がある。だが、コンピュータでデータを検索するようにはいかないし、ここからあるかないかの情報を探すのは一苦労だ。さらに、暗視スコープがあったとしても、肉眼で見るのとはさすがに違って疲れる。ついでに、下を向く形になるので少し重い。
 全て確認するのは、どれだけ時間が掛かるものか……そんなことをぼんやり思いながらひたすら紙を捲っていた。
 そして、探し始めてから十分程度は経過していただろうか。黙々と探していたスミカがあっと声を上げていた。
 反射的に見れば、手に持っているのは書類が閉じてあるファイルで、今まさに開いた直後か。
「やっぱり……」
 ――即座、本当か?と、発したくなったものの、小さく最後までとどかない重い声の前に、口から出ようとしなかった。
 片隅の零細企業、無防備に近い事務所内で起こり得る事なのか……あれだけ、今でも信じられないと思っていながら、それほど驚かなかった事には驚く。ただ呆然と立っているスミカが見えていたからだろうか、静かに動けた。
 自ら確認するために、横からファイルを覗き込む。
「……ファンタズマ」
 言葉を押さえるのは無理だった。後部へ行くほど細くなる長い胴部、突き出された二本のアームを備え、どこか甲殻の生物を思わせるフォルムの赤いメカがそこに描かれていた。
 他には箇条書きも何も書かれていないが、その図だけで断言できる。忘れるはずもない。
「ええ…ファンタズマに間違いないわね……」
 返すのを思い出したように、この場に戻ってきたように、スミカは苦く言った。それからファイルをさらにめくり確認する。元々あまり閉じられているものはなかったらしく、他に関係ありそうなものは、挟まっていたメモだけだった。
 書き殴った字を読み上げる。
「完成間近。調整のみ。連絡して一度見てもらう……か」
 日程の予定も書いてあった。スミカは声を震わせる。
「明日の日付…まさか、もう出来ているの? 一体いつから……見せるということは、どこかに頼まれている……。諦めきれない企業がまだいるの……。それともまだ、把握できていないウェンズディ機関の関係者が残っていた? …………とにかく早く、探して早く破壊しないと!」
 呟いていたかと思えば、いきなり駆けて横を通り過ぎ、工場内へ繋がっているらしいドアのスイッチに手を掛ける。
「――破壊すると言っても、どこにあるか分かっているのか」
 衝動的な背中に浴びせると、震えたように動作が止まった。
「その先にファンタズマがあるとは考え難い。まさか本当に……再び作られているとは思わなかったが、ここでは無理だろう。さすがに、居住区の下に施設を持っているとも考え難い。どこか別の場所じゃないのか」
 スミカはそのままで、少しうな垂れたように見える。
 黙ったかと思った頃合に、振り向いてはこないが、顔が上がった。
「そう…ね。工場にあるとは考え難いわ。ファンタズマのデータがあったとしても、ここで作っているとは限らないわね。でも、調べて行きましょう。何か少しでも、手がかりがあるかもしれないから」
「分かった」
 聞こえるようにそれだけ返して後を追う。
「ごめんなさい。やっぱり……終わったと思い込みたかったのね。私も、ファンタズマがまた造られているなんて…思っていなかったわ。こんな時は、一人じゃなくて良かった」
 ドアを開き工場へ踏み込む手前で、スミカはごく小さく囁いた。
 工場内に足を踏み入れると、変化があった。自動的に切り替えられる設定になっていたのだろう、肉眼では足元もよく見えないだろう暗さが、奥まで見渡せる程度の明かりに変わったようだ。幸い、工場側の換気システムは働いておらず閉じられているし、明かりが漏れる窓もないため、問題はないだろう。スミカは知っていたのか、驚きもせず暗視ゴーグルを取っていた。
「見る感じ、あるのはやっぱり普通のMTぐらいね。……私は工場の管理用コンピュータを確認するから、あなたは…一応変わったものがないか良く見てもらえないかしら」
「ああ」
 少し遅れて暗視スコープを取りはらい、明かりに目を慣れさせながら見渡した。
 工場の内部はとても整理されているとは言い難く、最低限の通路となる部分は確保してあるようだが、大きいもので人間の身長の二倍、三倍程度のMT、小さいものは家庭用の掃除ロボットのようなものが、これでもかというぐらいバラバラに並んでいる。随分忙しいらしく、容量をオーバーして無理に詰め込んでいるのは明らかだった。数を照らし合わせなくても、設備の方が完全に不足している。ごちゃごちゃとしていて、一見しただけではとても分からない。
 確認するのはこれも骨の折れる仕事だが、一機一機調べるしかないだろう。スミカが工場のコンピュータを忙しく叩いている間、一番近い物から確かめた。
 半分ほど見終わった時点でやはり怪しいものなど見当たらなかったが、ちょうどそこの隅にあった灰色のシートが目に付いた。幅は大体五十センチ前後か。そんなに大きくないので、下にあるのはせいぜいパーツか小型メカだろうが。
「オーバーホールの途中で、埃でも入らないようにしているのか……」
 思ったが、それでも手を伸ばしてシートを取ろうとした。その時に、ダンと鳴る音で振り返る。
 スミカがコンソールを叩いたらしい。両手を着いて画面を見ている姿が、頭を振った。
「何もないわ。プロテクトされているものもないし、怪しそうなデータ自体一つもない」
「簡単に部外者がアクセスできる場所にあれば、それはそれで驚くがな……」
 何もないことに驚きはしないが、しかしこれで、ファンタズマの所在地が不明となった事になる。現時点では何も手掛かりがないのだから、気分が沈むのは押さえられない。
「時間がないわ。できるだけ、利用される前に押さえたい。知れ渡るほど、誰かがその見えた領域に手を伸ばそうとするから……」
 こちらを見てきたのは、次の言葉を言いたいからだろう。それに考える必要はなかった。
「どうする?」
「……手っ取り早いのは、関係者に直接聞くこと、ね。すぐ近くにいるから」
満足したのか、スミカは僅かながら面持ちを上げて、微かに笑った気もした。
 しかし、何をしようというのか、分かってしまうのが……。
「……このまま、家宅の方に乗り込むつもりか?」
「そうよ。この工場の前だって、話したわね。いるのかいないのか、セキュリティはどうなっているのか分からないけれど、乗り込むしかないわ」
「真偽の確認が、今回の目的じゃなかったか……? そのための準備しかしていないんだ、人命優先ではもう進めない」
「このままじゃ帰れない……。ファンタズマのデータが流出して、メモによると完成しているのよ。とにかく今は、一刻も早くどこにあるのか調べるのが最優先なの。予定は変わるけど、手掛かりを得るためよ、仕方がないわ。状況から判断して無駄を省かないと、あるはずの機会も逃がすかもしれない。この先あるかも分からないから、この機会は絶対逃せないの……」
 意味のない事を相手に言い続けて、これ以上口上を聞く必要はない。もう何を言ってもそのつもりだから。
「そうか……」
諦めるのに慣れてしまっても、何故か嘆息だけは止められない。
 そんな事だったから異変に気付かなかったか。事務所側の入ってきたドアが開き影が入り込んできた時には、声を我知らず最大に張り上げた。
「スミカ!!!」
 それの返答が、次の瞬間続く銃声に蹂躙された。三連が三回。静かだった工場を一気に波立たせたが、それも遠耳。別の音に意識が行った。
「――――!」
 耳には聞こえなかったが、声は聞こえた。尻餅をついた時の、悲鳴。
 確信すると、銃声が追いかけきたのがようやく耳の奥を裂いた。減音器はとりつけていないようで、うるさかった。
 考えていても、息が荒れて体が動く。スミカが二足のMTの影に転がり込んだ後で、自らも躓いたように同じ影に隠れ、屈む。
「大人しく出て来い! 命までは取らない」
 銃声が途絶え静かになるや、こちらが何か考えるまでに、入り込んできた闖入者はいきなりそんなことを言った。
「……いきなり発砲しておいて、何を言うのよ」
 スミカは体勢を正してうなる前に、まず文句を言った。
「それにしても、ばったり会ったような登場の仕方じゃないわね……。まさか、待ち伏せしていたとは思えないけれど……」
 みるみる言葉が苦くなっていく。
 状況として、こちらは既に端の方へ追い詰められている状態。見るところ、相手は三人。出入り口を押さえ、各々ライフルを構えているようだ。双方の距離は少なくとも五十メートルはあるか。十分明るいわけでもなく、はっきりは見えないが。
「奴らは何者だ。タナカファクトリーの関係者なのか…?」
「今のところ他に考えられないけど……。服装からして、不法侵入者を捕らえに来たガードじゃないのは確かね……」
「早く出て来い!」
 出てこないからか、一人が怒鳴るとまたライフルの銃声を無駄に鳴らした。
 時は数分も経っていない。相手の出方から、長々と話しているわけにはいかないだろう。
「かなり短気なようだな。要求しか言ってこないから、無駄話し好きでもなさそうだ。どうするんだ? まさか全面的に戦うとは言わないな?」
「もちろん、ここじゃ無理だわ…。置かれている完全な状況が分からないし、もし増援が来るような事があったらおしまいだわ。ACもないから逃げる方向じゃないと……でも」
 三人が邪魔をしているので直接見えるわけではないが、スミカが見た先と同じものを見た。
「ああ、出口は押さえられているな。……前のシャッターは簡単には開けられないのか?」
「レバーで開閉できるけど…。さっきコンピュータを構ったときに見たわ。今は主電源が落とされているから、簡単にいきそうにないわね」
 と、今度は長く乱雑に弾丸が撒き散らされた。辺りが弾け、工場の悲鳴のようでもある。
「――出てこないなら、こちらから行くぞ!」
 焦れたらしく大声でわざわざ宣言すると、一人はそのまま銃を構えて残り、後の二人は別の方向から回りこんでこちらを押さえようというのか、離れて動き出した。
「囲まれて銃を向けられたらどうにもできないわ。ちょっと牽制して、出来るだけ時間を稼いで」
 スミカが背後で囁く。敵を見失うわけにはいかないので振り向けないが、何かやろうとしている気配がする。
「どうする気だ?」
「すぐ分かるわ。徐々に下がりつつ、適当に撃って足を止めて」
 返事の代わりに、屈んでまずライフルを数発鳴らした。暫し銃声が止んでいた空間に、新たな緊張が生じる。その瞬間、足を止めたのが分かった。そして数秒後、もはや叫ぶより、向こうも自らの銃で答えを返してくる。
 付近の小型メカがのたうつように転がった。
(時間稼ぎか…)
 声には出さず呟いて、スミカと離れないと思う範囲で、相手の姿を探しながらMTの陰を移った。
 出口を固めている一人は、こちらを狙ったとしても、退路を断つため、確保するためにまず位置を変えないだろう。だから特に注意するのは移動している二人だ。相手は陰から忌々しく思っているだろうか。そうそう姿を見せないが、警戒しているから、つまりよほどの隙さえ見せなければ突撃などという行為はしてこないはず。様子を窺いながら移動している。様々なMT郡がかなり入り組んでおり予測しにくいのだが、隙間は開いているので移る時には姿が大体見えた。
 ただ、それはこちらも同じことで、現状のままではそのうち追い詰められる。
(考えるのは止めだ…)
 結局何だかんだ言っておきながら、自分も詰めが甘かったと冷罵して、ちらりと見えた間の影に、反応で銃弾を撃ち込む。
 向こうは言ったとおり、ここで射殺するつもりまではないのだろうが、わりと安易に撃ってくるところから、当たって死んでしまったなら仕方がないという程度のもの。命の保証は期待できず、こちらから出ることは不可能で、結局撃ち返し続けるしかない。
 銃弾を止めれば向こうの足が速まる。適当すぎては、姿を補足できていないことを知らせるだけ。目を凝らして、とにかく影を追い、撃った。
 数分だろう。三方向からの苛立ちと威嚇の射撃が、屋内をうるさく満たし続けた。その度に床や壁、置かれているメカが次々と穿たれていくのを無視して、こちらも被害を上乗せした。どちらも衝動と緊張、冷却の上がり下がりで同じ事を繰り返し、銃声が重なり乱れるまま。この間に体感できる時間などなかったかもしれない。それでも、距離が狭まっているのはよく分かる。もともとそう距離があるわけでもない。
「まだなのか…!」
 マガジンを交換する間がもどかしい。流石に三対一で撃ちあっているのは分が悪すぎた。位置をあまり変えていないのがやはり分かるか、狙いも近づいてきている。
 もはや側の銃声も気にならなくなった頃に、陰りが過ぎた。撃ちながらでは聞こえないと思っていても、口が急いた。
 スミカは何をやっているのか――。一気に気になりだした時に、突如低い振動が体に伝わった。身に染み付いている。
「……この音は」
 次々と震え始めたのは、周囲だった。スミカは撃ちあいの最中にMTを構っていたか。二足、逆関節、キャタピラ、多足、中型、小型、飛行系構わず、様々な用途、種類のMTが一斉に目覚めたように続々と動き出す。
 銃声が悲鳴に変わるのはすぐだった。
 こちらも叫びたい。
「……無茶をしたな!」
 動きが怪しい。動き出したMTは何れもでたらめだった。工場内は、瞬く間にMTが暴走している危険地帯となっている。起動したメカは他のメカをなぎ倒し、またろくに制御されていないためか、すぐにバランスを崩し、多くを巻き込んで派手に倒れた。それが自律的に再び立ち上がるようになっているものだから、被害はなお拡大していく。その騒ぎの前には、もう銃の音など聞こえない。内部は振動と騒音で、揺れている。
 内部から、割れてしまいそうだ。
「何をしたんだ…どうするつもりだ……!」
 下手をするとこちらが危ない。それを聞いていたか、後ろから返事があった。
「他に方法がないでしょう! 即席だからこれ以上は無理なのよ。もともと整備中のMTだからまともに動くか分からないんだし、とりあえず制御系統を改竄して無理やり起動させたわ。たぶん、グレネードを使うよりは安全よ。とにかく、時間はないから!」
 スミカは言い放ったと思えば、次にはこちらの返事も聞かないまま、恐れもせず足を踏み出した。
「いきましょう!」
 そして混乱の中をすり抜けて向かったのは、出口ではなかった。方向が違う。便乗して逃げるのかと思いきや、便乗して、慌てふためき逃げようとしていた一人に近づいた。
「待ちなさい!」
 平静ではさすがにいられなかったろう、すぐ側の、間近の声に思わず反応して振り向いたその男の腹に、
「えい!」
 かなり無造作な一足が突き刺さった。
「うぐッ…!?」
 折れ曲がるまでのその時の形相は、少し遠めのマスク越しであっても見えた気がした。しばらく忘れられそうにない。
「…!」
 瞬間、殺気を受け取った。横に飛ぶと、玉突き状態らしい同じほどの背丈の二足MTが、銃弾を受けながら今居た場所に倒れ込む。
 さらに飛び退いて、かなり潰され完全に沈黙したMTの陰に移る。戦意を取り戻したか、ライフルを構えた男が走るのを見た。それから即、飛び出す。
 あれにもこれにもどれにも、気を回してばかりいられない。冷静になった相手に、このただでさえ危険な状況下で様子を見ながら戦うなど、リスクが増すだけだ。
 相手を視界から逃さないように走る。邪魔になるのでライフルを止め、ピストルに変えた。狙いを変えさせるために、撃って立ち止める。撃ち返してくるのをMTでやり過ごして、また撃ち返し、注意を周囲から逸らせた。
 騒ぎの中でも届く。別方向のサブマシンガンからの銃撃に、男は適当だろう、それにも撃ち返してMTの後ろを移る。が、
「うわあ!?」
 横倒しに倒れて滑った逆関節のMTに、ぶつかったプロペラを持つ飛行型。その二つが男の進路を邪魔した。接触寸前に、裏返った悲鳴。
 その間だけは、何も聞こえていないし、見えていない時だ。
「…………。う、うあ」
 呻いたのは自分の失態に気付いてしまったからか。こちらは全速力で飛び出している。数秒間、息もせず。ようやく振り向いても遅い。もはや思考も真っ白になったか、反応も遅かった。ライフルを構えかけた男には、そのままタックルした。
「――――!!!」
 何か言ったものの、小型MTの残骸に突っ込んだ音とごっちゃになった。それは派手な、一際盛大な音だった。
 ふと気付く。
「…? 暴走が止まったのか……」
 妙に静かだと思えば、周囲は止まっていた。あれだけ好き放題に暴れていたMTが、全て停止している。倒れ、重なり、砕けている散々な跡は、もちろんそのままだが……。
 と、溜息づく前に忘れていた事を思い出し、身を震わせることで意識を尖らせ、付近のMTにすぐ身を伏せた。
「…出口を確保していたもう一人は、逃げたみたいだわ。それは大丈夫よ」
 スミカの声を聞いて、止めていた溜息をようやく吐く。立ち上がって、安堵というところだが、どうにも。
「全く…上手くいったから良かったものの、こっちがMTの餌食になるところだったぞ……」
 無念にも、これ以上ない位の勢いで走ったつもりだから、疲れていて強い声音にならなかった。体当たりした後は、そのまま自分も倒れてしまいたかったぐらいだ。
 拘束具で自分が倒した人事不省の男を縛っている相手には、せめて視線だけでも強く訴えた。
「むちゃくちゃだ……。こっちは生身なのに、MTを暴走させるなんて……グレネードを使った方がマシだ…」
 あえて危険なことばかりやっている気もする。生憎、自分はスリルを楽しむ人間ではない。
 男を拘束し終えて立ち上がったスミカの方は、くたびれた様子も見せなかった。
「そうかしら。危険だと思ったから、MTの起動時間を数分だけにしたのよ。それで十分だと思ったし。ずっと暴走したままだったら、さすがにね」
「こんな賭けみたいな事ばかりやっていれば、何れ運が尽きるからな……。どうなったところで、誰のせいでもないぞ……」
 悠悠と近づいてくるスミカに、後は他所を向いて言い捨てる。どんな顔をしていたのか分からないが、笑ったのか。
「そうね…その時はその時で考えるわ。怨んだりしないわよ。私は信じてるし」
「…………」
 何も分かっていないと思ったが、既に言いたい事は言っていたので、もう返さなかった。
 片付いたわけでもないことだ。
 側のMTの残骸に近づいて屈む。投げ捨てられている、突っ込んだままの男の胸倉を掴んで、上半身を持ち上げた。
 気絶はしていなかったが、意識は十分朦朧としているようなので、乱暴に揺すって目を覚まさせる。
「おい。お前達は三人だけか?」
 正直に答えるとは思っていなかったが、一応聞いてみた。今のところ他に現れるような気配はないが、増援が来るなら早く、すぐにでも撤退しなければならない。判断するにあたって、少しでも推測するための材料が欲しい。
「ぐぐ……う…。…は……、命が惜しい…なら、聞く前に……逃げだしたら…どうだ……」
 やはり明確に答えないが。増援がいるのなら、到着までの時間、引き止めようとする事も考えられるがそれがない。さっさと逃げろと言うのは、捕まった相手からすればここで始末されるかもしれないし、捕虜として連れて行かれるかもしれないから、他に味方がいて近づいている時ならばそうそう口にしないだろう。実情としては、味方が来たとしても見捨てられる可能性はあり得るし、プライドで口にすることもあるだろうが、この相手から聞き取れるのは開き直りとこちらに対しての侮蔑ぐらいだ。
 スミカと顔を見合わせてから、質問を続けた。
「お前達は何者だ? なぜ襲ってきた……」
「我々が何者かだと……。分からないのか…貴様ら、なぜ襲われるのかが……分からないほど、フ、フフ……愚かなのか……? ファンタズマに……たかる蝿どもが……」
 掴み上げられたままで抵抗もしなかったが、形にならない嘲笑の口元。途切れかかる意識を語る怒りと失せない高揚が支え、言葉を唱えるのか。
「あれは……我々の…長年に渡る研究の成果だ……。数多くの同胞の犠牲で…悲願を果たし、ようやく完成したのだ……。それ…を、貴様らのような何も知らぬ、何も分からぬ俗物に渡すなど……例え僅かなデータであろうと……渡してなるものか……。ただの兵器としか見ない愚かな連中が……あの段階に行き着く真価が分からぬ貴様らの手に…渡っていいものではない……」
「あなた達…ウェンズディ機関の……。まだ……組織が壊滅し、仲間や味方がいなくなってまだ、ファンタズマを見ているの……」
 同情すら含むようなスミカの眼差しを、男は見ていないだろう。その瞳の先にあるものは、ファンタズマしかないのだから。
 その薄ら笑いは、むしろ満足げに映る。
「フ…フ……。我々は…最後の一人となっても諦めないだろう……ファンタズマは、我々が生み出し、保持し、さらなる進化を遂げなければ…ならないのだ……。貴様らが密かにファンタズマを造ろうとしても…我々は……必ず見つけ出し、奪い返す……」
 男の戯言を長々と聞くつもりは無かった。興味もなければ、理解するつもりもない。揺すって、言葉を止めさせる。
「とりあえず、勘違いをしているようだから言っておこう。こっちは、お前の言うファンタズマを利用するつもりなんて欠片もない。そんなことをするほど暇じゃないからな。むしろ逆だ……」
「な…なに……!?」
 硬直したか。驚きに反して男の体は動かず、顔だけが変わった。
「…貴様ら、まさか、ここの関係者ではないのか……!? 流出した…ファンタズマのデータを手に入れた企業では――」
「生憎だけど。私達はたまたま今日、ここへ忍び込んでいただけよ。そこを、タナカファクトリーの関係者と勘違いしたあなた達に襲われたようね」
 同情などするわけもなく、スミカは前に出て、否定を見せつけた。
「な……な…」
 男は目を回す寸前だったかもしれない。目当ての連中ではない相手を襲い、逆にやられるなど、そんな考えは頭にそもそも無かったのだ。
 男は自力で身を起こせなくとも、わなないた。
「ば…馬鹿な……わ、我々は……」
「間抜けだったな。…だが、こちらもまさかウェンズディ機関の残党が、まだ性懲りも無くうろつくとは思っていなかった」
 馬鹿の類だと思っていた人間が、こうしていた。スミカが入手した情報を、男達も手に入れたのだろう。そして奪うため、こちらと同じ都合で、出来るだけ目立たないようにやってきたのか。人数がいなかっただけかも知れないが……どっちにしろ、馬鹿だ。向こうからすれば、愚かで馬鹿な連中とは、目の前の相手のことなのだろうが。
 男はこちらの心中に構わず、敵意を剥き出しで睨んできた。
「…………貴様ら…何者だ…! 我々の事も、ファンタズマのことも知っているなど……何故、ここにいる……!」
 スミカはただ冷たく見下ろした。
「さっき言ったでしょう。あなた達とは逆の用で、ここにファンタズマを探しに来たの。流出していたデータがあるという話の、真偽を知るためにね……。信じたくはなかったけれど」
「逆……。……まさか……!」
 答えたスミカの方を見て、思考しながら呟いていた男は、途中で突然目を見開いた。
 衝動が体を突き飛ばしたか。胸倉を掴んでいる腕を振り払う。
「――貴様ら…! 貴様らか!! 我々の計画をことごとく潰したあの――うはっ!!」
 見下ろしていたスミカに飛びかかろうとした男は、その相手にスタンガンを突きつけられ、あっさりと倒れた。
 気絶した男を見てから、珍しく、スミカが小さく溜め息づいた。
「私達…実はまだまだ甘いのかしら。個人でならともかく、もう、ウェンズディ機関が機能するなんて無いと思っていたけど…こんな少人数でも仲間意識を持って、ファンタズマを取り戻そうとするなんて。機関の残党については、下層の人員でも放置できないわね……」
「しつこくて諦めないから、ファンタズマなんてできたのかもな……」
 同じように男を見下ろしていると、そこに、ドアの開閉の音がした。
 はっと、ピストルを抜いて、銃口をそちらへ向ける。トリガーに指を掛けたが。
「な、ななななっ!!! ど、どうなってるんだ!? 何だ!? そんな…いつのまにこんなことに…!」
 現れたのは、中年も後半に差し掛かりそうな小太りの男。ブルーの作業着を着ていて、手にもどこにも、一見何も持っていない。
 絶叫したのは、目の前に展開する惨状のせいなのだろう。特に出入り口に近いほど盛大に散らかっていて、目につかないはずはない。
「――手を上げて!」
 その場に針を突き刺したのは、スミカの声だった。サブマシンガンを今現れた男に向けている。
「…っ! な、なんだお前達は…!? これはお前達がやった……」
「こちらに質問させなさい」
 言って、数発付近に撃つ。男はその後、両手を上げて黙った。
 スミカが近づいていく。男は、銃を間近にして、すがるような顔つきになった。気は見た目ほど強くないらしい。
「…や、やめてくれ……。俺には、妻も娘もいるんだよ…。これから色々大変なんだ……。妻はしっかり者で働き者だし、娘は優しいいい子なんだよ…仕事疲れで、ついテーブルでうとうとしている父親に、毛布を掛けてくれるような…。ああっ、二人には手を出さないくれ…!」
 一人で喋って何か言っているが。スミカは、とにかくやりにくいと感じたのだろう。少し、間があった。
「……。答えてくれたら、手を出したりなんてしないから」
「本当か…? 何を…聞きたいんだ…?」
 素直になる男の前で、銃口を下げることもなく、スミカは男を今一度見たようだ。
「…ここには、何をしに来たの? 今は深夜だけど」
「変な音が聞こえたからだよ……。それに、閉めたはずの事務所からは誰かが出て行ったし…泥棒でも入ったのかと思ったんだ……。しばらく考えたんだよ。だってうちには取るものなんてないんだから…! ええと、警備会社からは、もっと厳重にしたほうが良いっていつも言われてるんだが、今まで一度も取られたことがなかったからね! でも、つまり…その、どうしても気になって、しばらく行ったり来たり迷って往復していたんだが、こうやって確認しに来たわけなんだよ……!」
 心配そうな、しかしよく見ると皺や様子が顔にしっかり馴染んでいる表情へ、振るでもない、頷くでもないスミカは何か言いたそうだったが。
「…あなた、タナカ、ね。ここの工場の持ち主。タナカファクトリーの代表よね?」
 その問いに、顔色はさらに青ざめる。
「あ、ああ……そうだ。だ、だが! 代表でもお金はもってないぞ…! うちは大企業と違うんだから……! 大企業が幅を利かせる中、がんばって細々とやってるんだよ……!」
 調子も強く、何かと言いたい事があるらしい。普段色々思っていることや、溜め込んでいることが、こんなときについ口から余計な事として出てしまうのか……?
 スミカは、
「あの…物取りじゃないの。とにかく、余計なことは控えて、質問させてくれないかしら…」
 少し、怒っている。それが分かるのか、タナカは手をさらに上げて頷いた。
「わ、わかった。分かりました……」
「じゃあ、単刀直入に聞くわ。……ファンタズマはどこ?」
 いきなりで、理解しかねたとでも言うのか。タナカは首を傾げた。
「ファンタズマ……?」
「ええ、ファンタズマよ。完成か、完成間近なんでしょう? どこにあるの…」
「いや、うちにはそんな名前のようなものはないんだが……」
 凄みを効かせた質問に、演技とは思えないように白を切る。
 すぐにスミカが、再び横に発砲する。
「ひっ…」
「そう……じゃあ、少し変えるわ」
 縮み上がるタナカの前で、今度は怒気も出さず質問を続けた。
「名前は違うものをつけているかもね。でも今、密かに造っているものがあるでしょう? 知っているのよ……。これを事務所で見つけたんだから、白を切るなんて許さない」
 スミカは、事務所で見つけたファンタズマの図を取り出した。見ろと目の前に突きつけて。
 タナカはそれを見やって、程なく、ああ…と言った。そして、次に言った事は……こちらの理解を凍結させた。
「なんだ、ロブくんのことだったのか」
「へ?」
 スミカの向けた銃口が、一瞬下がる。きっと、何も思考が出来ていない。それを見ているのかいないのか知らないが、タナカは繰り返して聞かせるように、尋ね返してくる。
「ロブくんだよ。ロブくん。この図のメカを聞いたんだよね?」
「ろ…? ろ、ろぶ君…???」
「向こうがそう呼んでるんだよ……。まあ、おえらいさんが適当につけたんだろう。仮称だよ。正式な名称は公募で決めるから、それまで便宜上にね」
「…??? 公募…???」
 目が点になっているかもしれないスミカに、タナカはどこか微妙そうに眉根を寄せた。
「三十一区に今度出来る水族館のマスコットだよ。館内のガイドロボなんだ。当然大量生産するわけじゃないし、特に目新しいでもない、既存の技術でできるメカだろう? 売上も宣伝効果も薄いだろうし、大企業は儲けにならないと踏んだらしくて引き受けなかったそうでね。それで、こんなうちに製作を頼んできたんだよ。まあ……こちらとしては十分大きい仕事なんだがね……」
「…………」
 冷静に感じようとしたが、言葉が無い。言葉が出ない。むしろこれ以上考えられない。頭はその事を遮断して、通そうとしない。
 どうやらタナカは、黙ったこちらも気になるし、向けられた銃口も気になるようで、顔と銃を交互に見ていたようだが、それよりもまだ気になることがあったようだ。機嫌を伺うように、無理をしているが少し笑った。
「で……。あの、ロブくんが何か…?」
 思わず引き金を弾みで引いてしまいそうな勢いで、スミカは突っかかった。
「――う、嘘!? そんな話……嘘よ! 冗談でも信じられないわ! ちょっと、ファンタズマがある場所を教えなさい!!! 早く言いなさい!!!」
「え、ええ!? ロブくんなら、ここにありますよ…! あ……こんな状態で壊れてなければ……」
「ここにあるの!?」
 剣幕に引いていたタナカの腰だが、やけくその声の後に、正された。
「ありますよ…! や……み、見せればいいんでしょう…!? そんなに見たけりゃ、ついてきてくださいよ…!」
 視線に押し出されて、ずんずんMTが転がった中を歩き出す。その足が止まったところは、様子こそ変わっているものの、ふと気になって自分も一度足を止めた場所だった。あの、灰色のシートの前だ。
 タナカはシートを掴んで、それが乱れていないことに息をついた。
「ああ、どうやらロブ君は無事なようですよ…。さあ、とにかくよく見てくださいよ!」
 シートが取られ、台の上、明かりの中に姿を現したメカは……
「…ファンタズマだな。…………小さいが」
 もちろん銃火器など積んでいないが、形としては図に描かれた……そして、実際に見たことがあるファンタズマとほとんど変わらない、それ。やはり、幅五十センチ前後程。赤く彩色された……ここでは、ロブ…くんと言うらしい……。
 スミカが、まるで貧血でも起こしたように、ふらふらと頭を押さえて屈み込む。
 タナカはシートを両手に持ったまま、こちらの様子がおかしいと分かるのか、やはり不安を隠しきれず聞いてきた。
「納得したんですよね…? 探し物に間違いないんですよね…? これなんですよね…? あなたが見せた図と同じですから…!」
 よろよろとスミカは立ち上がって、まだ突っかかろうとする。
「そうよ……。この図…この図はどうしたの…!? これは間違いなくファンタズマのものだわ…! どこから入手したの!」
 目の前に現れた小さなメカがなんであるかよりも、図が間違いなくファンタズマであることに、着目……することにしたようだ。
 タナカは、質問度にそれぞれ違う困った顔を見せた。難しい顔をする。
「どこって…デザインについては苦手でね、特に今回は外見も重視されるから、外注に出したんだ…。妻のいとこの兄の嫁さんの知り合いだったかな…? 妻のいとこの弟の義姉だったかな…? ちょっともう少し複雑だった気もしたが。とにかく知り合いがいる先で、モチーフは海洋生物でって、注文を出したうちのひとつがこれだよ……。数枚のうち、水族館側からOKが出たのがこれだったから……」
「これが…!? ファンタズマは……最新の兵器システムを…」
 ロブくんとやらが乗っている台を叩んで睨むスミカに、そんな目で睨まれても困ると、視線で返しながらタナカは、
「え? 兵器とかシステムとか知らないが、それは関係ないんじゃないかな。向こうは、魚も哺乳類もありきたりだからって…ロブスターに……」
「……」
 うな垂れる。たぶん、今度は突っかかれないのではないか。
 開いた間も長くて、タナカはもう言って来ないだろうと思ったか。
「あ…あの……もう、いいんでしょうか…? ロブくんはただのガイドロボで、別に珍しいものじゃないですよ……。たぶん価値もないし……ね、ね、分かりますよね?」
 それに、なんとスミカは顔を上げて首を横に振った。
「これが……こうやって見たって、人畜無害なメカかどうかなんて、分からないじゃない……!」
 既に、ファンタズマかどうかという話ではないが……。
 そのやり取りは、我侭なお嬢様と、ご機嫌をひたすら伺う使用人のような気もしなくもなかった。
「小さい兵器ぐらいよくあるわよ! これが危険なものじゃないって証明は…!」
「え、えええ……じゃ、じゃあ、分かりました。動かせばいいんでしょう、動かせば…! もうこれ以上は何を言われても無理ですからね…!」
 タナカはそれを持ち上げて、スイッチの類を入れたのだろう。手から離れて、静かに宙に浮かび上がる。大体、視線の位置ほどの高さまで。
 三人が注目する中で、そのロボは……数回回転した。
『キドウ カンリョウ。コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ……』
 何か言い始めたと思えば、こちらの周囲をぐるぐる回りながらコンバンハを繰り返す。
「エンドレスか……?」
 スミカが何も言わないため、自分で聞いた。
「…AIはまだほとんど何もしていない状態で。明日水族館側から許可が出たら、必要な情報をインプットして調整をするんですよ……だから」
 頭脳はほぼ真っ白な状態らしい。ハードウェアに組み込まれている最低限の事しか出来ず、外部の事象も処理できないので、こんなことになっているようだ。
『コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ、コンバンハ……』
 それにしても…
「しつこい……」
 執念とは違うが、形が形だからか、どうも誰かを思わせる。
 タナカは、それはそうだと答える。
「まあ、初期設定で人懐っこいに設定してあるから」
「人懐っこい……」
 やはり、何も考えない方が良さそうだった。もうこれ以上聞くこともないだろう。落ち着いたというよりはただ疲れただけだが、幾分考えられるようになった。ここが、引き際だ。
 頭の中でさっさとまとめると、もう一人を促そうと振り返った。
「……これ」
 が、じっと黙って回るロボを見ていたと思われるスミカが、何か意味ありげな視線をタナカへと転じた。
 まだ何か言いたいのかと、タナカと二人で注目すると…
「…な、なんでしょうか……?」
「言わないの? 面倒は嫌いだとか」
「は…?」
 ぱかんと口が開いた。分かるはずがない。その意味が。
 …自分とは違うが、まあ似たような感想を抱いての事らしい。全く、何も言う気になれないが。
「……」
 スミカは、いつの間にか興味がありそうな眼差しだった。やはりぐるぐる回っているロブ…ロボに、話しかける。
「もちろん、学習能力はあるのよね」
『ラーニングアビリティ ハ ON ニナッテイマス』
 単語に反応できたのか、ぴたりと止まると、発音が微妙な合成音で答えた。
 それから、何をするのかと思えば…………もはや目も当てられない。
「面倒だ、面倒だ。はい」
『フクショウ シマス。メンドウダ、メンドウダ! 面倒ダ! 面倒だ!』
 なかなか優秀らしく、発音を修正しながら復唱している……。
 タナカも、笑えないらしい。
「ちょ…そんな変な事覚えさせないで下さい! 止めてくださいよ、接客するロボなんですから!」
「ごめんなさい。つい」
 つい、なのか。スミカは悪びれた様子はなく、苦笑した。
 だがそう笑っていられるのも長く続かなかった。
 場の軌道を変える異変は、程なくして耳に届く。それは聞き慣れた不快。建物の中にいてなおよく届く音波の、耳障りな音だ。深夜にあって、多大に迷惑なサイレンが外で鳴り響いている。静かな居住区が、ごったがえしているのが目に浮かぶようだ。
「この音……」
「警報だな。ガードが出動したんだろう」
「え。や、や……俺は通報してませんよ…! 確認してないのに通報して何も無かったら、連中うるさいですから!」
 タナカを疑ったわけではなく、スミカが眉根を寄せるのが分かる。
 主に大企業が都市の治安を保つために抱える部隊は、ACに乗っているときなど敵ではないのだが、さすがに今は立ち向かうわけにもいかない。
「逃げた一人か……こっちか…それとも全く別の事件か。とにかく、早く立ち去ったほうが良さそうだな」
 それにはスミカも同意して、早々に頷く。しかしその視線は、こちらでもタナカでもない、別の転がった二人を見ていた。
「そうね…。質問でもされたらやっかいだし……。でも…………。あのタナカさん?」
 移動した視線に当てられ、さらに唐突に名前を呼ばれたことで、タナカは悪寒でも感じたか後退った。
「は、は……」
 たぶん、その怯えた目が見ている相手は、にこやかにでも微笑んでいるのだろう。
 声は実際、騙されそうな物腰の柔らかいそれだ。
「少し、お願いがあるのですが。向こうに転がっている二人を、ガードに突き出してもらえませんか? 工場がめちゃくちゃになった原因の二人ですから」
「おい……!」
 思わず突っ込もうとしたが、スミカはもう走り出す。出かかった言葉は、うやむやに、走り出すと共に流れてしまった。
「では、よろしくお願いします」
「あ…………え……? え……」
『面倒だ! 面倒だ!』
 散乱の激しい工場に立ち尽くすタナカと、その周囲をまた回り始めて何か言っている……ファンタズマ似のロボを残して駆ける。
 もう振り向けない、気の毒で……。
 後ろを振り返ることもなく、スミカについて走った。これから先は、あまりおしゃべりをしている暇はないだろう。外に出るまでに、気になったことを聞いておいた。
「あの二人、ガードに渡していいのか?」
「連れて行くわけにはいかないでしょう。でも話は聞く必要がある……。だから面倒…だけど、裏からこちらに回るよう手配するわ」
 既に開けっ放しの事務所のドアを抜け、外に出る。空気の熱を感じる。眠りを止めた野次馬、人の熱気を含む居住区。あちこちに、警告を示す赤い灯火。思った以上に、ガードの行動は早いかもしれない。
「災難だな……」
 それは別に今の自分達の不遇にうめいたものではなく、行動の切り替えにおいてごく生まれた隙間に芽を出した、総じて何かと同情したものだった。
「全くね」
 何に同意したのやら。
 住宅の間を抜けながら、付近を確かめる。時が経つにつれ、向こうから人の騒ぎが焦げて匂うのだ。かなりの規模か。その大きさから、ここは決して広くないのに、ガードはAC並になる全長のMTを出している。ファンタズマだけではなく、ウェンズディ機関が絡んだ事件はアンバー・クラウンの各所で起こったから、まだ相当ピリピリしていて当たり前だが。
「…別に誰と言ったわけじゃないぞ……。だが、一番の被害者はタナカファクトリーだろうな……」
 注意を怠らないようにしても、スミカと会話を交わしていると、固く縛って結んだロープが、弛んでいく気分になる。
「……。まあ、気の毒だったわね。でも仕方ないじゃない。さすがにちょっと悪いから、後で見舞金ぐらい振り込んでおくわよ」
「見舞金…?」
「だって、弁償金にしたら私達が一番悪いみたいじゃない」
「……」
 ああ、何も言うことはない……。
 歩を速めるにつれて、人の数、赤色光も目立っていく。居住区から他の地区へ抜ける道路には、装備を固めたガードが走り回っており、何か見つければ即鎮圧しようというのか、頭部の赤く浮かび上がるモノアイで、MTが周囲をくまなく睨んでいる。
 建物の陰に入ったスミカは、軽く息を吐くと、こちらへ向き直ってきた。
「ガード、はりきっているわね。ウェンズディ機関の件だろうけれど、上から締め付けがきたのかしら。絶対捕まえるって意気ね」
 それから再び向こうを向いて、様子を窺う。もう、ここで終りだとは分かっていたが、後ろから訊いた。
「ここから、どうしたいんだ?」
「ん……。今回の依頼は終わったし、この辺で別れましょうか。私達をもし探しているとなれば、二人組より一人の方が誤魔化せるかもしれないから」
 付近の市民を引き止めているのか、退避するよう話しているのか。そんなガードの動きに注目しているスミカを見ながら、身に着けている余計なものを外していく。
「分かった。ここで作戦終了だな。あんたはとかく無茶をして捕まりかねないから、気をつけてな」
「どういうことよ……!」
 忠告したつもりだが、何か勘に触ったようで即座に振り向いてくるが。
「?」
 文句の一つもなく唖然として顔を見てくるので気付き、言ってやった。
「ヘルメットやゴーグルで顔を隠していたら、余計気にされたり、怪しまれるかもしれないだろう。装備は適当に処分していくさ」
「ああ、そうね…」
 納得したようで、なるほどと笑った。
「……じゃあ、これで。後の事はメールするから」
「ああ」
 話はそれで最後。後は互いに反対方向を向き、陰の中を駆け出すことで別れた。


 アイザック・シティの仮住まいに戻ってくるなり、普段の癖より多少早く、端末からレイヴンズ・ネストのネットワークにアクセスする。
 アンバー・クラウンでスミカと別れてから、およそ四十八時間経っていた。もっと早く戻ろうと思えば戻れたが、ガードの警戒態勢が解除されてから戻ったので少し遅れた。
 メールを確認すると、新着メールが二つ。先に届いているのはマネージャーの音声メッセージだった。
『どうやらハズレだったようだな。さすがに今回は同情したくなる。ご苦労なことだ』
 たったそれだけか。他に楽しみが無いのか知らないが、人の不幸に突っ込まないでもらいたい。
 さっさとメッセージを閉じようとすれば、まだ続きがあった。
『……ああ、これはねぎらいだ。他意はない』
「……」
 全く、思い出したように付け加えなくていい。笑い顔が見える。
 今度こそ閉じて、もう一つの新着メールを開いた。差出人はスミカだった。どうやら捕まらなかったらしい。アンバー・クラウンから出る途中で、MTを奪った女を追跡中などという話が聞こえてきたときには、わざわざ忠告したのにと、嘆きたくなったものだが。
 思い出してまた呆れそうになったのを、無駄にエネルギーを消費するなと切り捨てて、メールを読んだ。
『お疲れ様。こちらも捕まらずに済みました。ガードが追っていたのは、やはりあの時逃げた一人だったようです。ウェンズディ機関の残党の三人は、居住区に入る前から既に騒ぎを起こしていて、追われていたようですね。知っているかもしれませんが、みんなガードに捕まりました。このメールを送った時点では、まだ三人の身柄はこちらにありません。渡り次第、話を聞いて連絡します』
 それで終わった。スミカはメールとなると、妙に丁寧で用件のみとなる。
 こんなものかと、メールを閉じた。その時点で、どこかへ押し込めていた疲労感が再発する。
 全く、良く持っていると思う。さすがに限界だ。モニタを見るのも疲れる気がして、少し目を閉じた。
「さて……シャワーでも浴びて少し寝るか……」
 連絡すると書いたからにはそのうち嫌でも連絡してくるだろうから、後はただ、残党の三人の尋問が終わるのを待つだけだ。それはこちらの仕事ではないので、任せるだけでいい。契約外の事には一切関わらない。それがレイヴンと依頼者である関係だ。だからしばらく、ゆっくりできるだろう。
『ようやく戻ったのね』
 と、思ったのが非常に甘かった……。今何気に聞こえてきたのは、どんなに疲れていてもスミカの声しかあり得ない……。
 目を開くと、端末のモニタにはいつの間にかオンラインのスミカが待ち構えていた。
「………………」
『……黙っていても、前にいるのは分かっているわよ。ずっと見張っていたんだから。さっきネットワークに繋げたばかりでしょう』
 見透かしたようにスミカ。それに驚くよりも、甚だ疑問だ。
「……ずっと見張っていたって…あんた、暇なのか?」
『そんな訳ないでしょう! 当然、もうメールは読んでいるわよね? 例の三人から話を聞いたのよ! まあ、さっき終わったばかりだけど』
「もう、か? 早いな……」
 思ったことは、もしかすると敵に回して一番恐ろしいのは、この相手なのかもしれない……という事。
『手抜かりはないわ。もともとアンバー・クラウンのガードには、こちら側の人間も入っているから。三人も置かれた身分は分かっていたようね。ガードに自らウェンズディ機関の残党だなんて名乗らなかったから、楽にいったわ』
「そうか…。まあ、分かった……」
 自分で言って本当に分かっているのか?と自問しかけたが、そのままにしておいた。たぶん理解しない方が、楽ではないだろうか……。
「そういう事。……でも、一応心配もしたのよ。遅かったから」
 スミカが付け加えてくる。それは確かに聞こえていたが、ぼんやりとしていたものか、咄嗟に返せなくて間が開いた。
「…………。そう…か……。ああ、悪かったな……」
 向こうでは、眉をひそめるなりしていそうだ。
『…聞いてた? まあいいけど。それより、話を戻すわね』
「ああ」
 すると、前置きのように溜息が聞こえてきた。それだけで成果が無かったことを裏付けるが、声は呆れる様子を伝えてきた。
『…結果としては、大した情報は得られなかったわ。と、言うより、あの三人は三人だけで動いていて、特に他の残党と連絡を取り合っていたり、相互で何かしていたわけじゃないみたい。……どちらかというと、ウェンズディ機関が現存していた頃は、自分達の扱いが不当って不満を持っていた輩のようね。何だかんだ偉そうなことを言っていたけれど、口先だけよ。自分達は違うって、思い込んでるだけのタイプ。実際は企業と変わらないわね。最終的に詰めれば、やっぱりファンタズマによる力が欲しかっただけ。野望だけが立派で、手に入れれば、自分達が強くなったり…この場合、偉くなったりすると思っているのよ。違うのは、あれが自分達の物だって絶対譲らないぐらいかしら』
「実際、欲を叶えるには手っ取り早い方法だしな。これから新たに作ろうとするよりはずっと楽だろう。それが出来ない連中なら尚更に」
『……まあ、そんなものかもしれないけれど。楽なほうがいいと思うわよね、普通……』
 分かっていても不満は解消されないようで、それでもぶつぶつと言っている。
「まあ、特にまた残党が集まっていたりするわけじゃないんだろう? 面倒な事にならなくて、良かったじゃないか」
『ええ。あの三人は別だったし、今のところ不穏な動きはないと思うわ。それと、やっぱり連中の情報源については、私と一緒だったみたい。運良く、鉢合わせしたわけだけど……確かに、あの図はファンタズマだったものね……』
 流れ出たデータは確かにファンタズマの図だった。この場合、情報に踊らされたかどうかは微妙だ。少なくとも嘘ではなかったから、怒る矛先もなく燻るぐらいか。……あれを見て生まれる感情は、怒りなどではないと思うが…。
 スミカの感じは、どうも思い出してしみじみしているところだろうか……。
 しかし思い出して、一応、気になったので聞いてみた。
「…あれは放っておくのか?」
『だって、ファンタズマじゃないもの。いくら似ていても、違うものを破壊したりしないわ。……あれは、役に立つロボットみたいだから、むしろいいかもね。そういう使われ方なら』
 思えば、かなり気に入っているのかもしれない。何か教え込んでいた事でもあるし…それは言わなかったが、
「あんたが気にならないならいいが……」
 あれが良いかどうかは判断を避けた。……まあ、ファンタズマを知っている人物が見れば、脱力するか、そんなところだろう…か。嘆くのか。
 想像は止めた。これも無駄な消費だ。考える必要もない。終わったのに、思い返してどうなる。
「……とにかく、これで今回の件は全部終了だな」
 個人的に、後味は決して良くない。成果と言える成果は、残党三人を捕まえただけの事で、これはとんだ笑い話だ。いや、笑えないが。…ただ、終わったと思えば気は軽くなるし楽になる。過去になれば戻ることなどできないから、可能なことか。忘れることが出来なければ、いつか積み重なった重圧で潰れてしまうかもしれない。代わりに体が睡眠を欲しているが、そんなことに少し感謝する。まあ……今回のことを完全に忘れることは不可能に近いが、隅にでも行ってくれるなら十分だ。
 スミカも少しは気が抜けたのだろう。笑ったのか、声の調子が上がった。
『ええ、お疲れ様。今回もありがとう。でも、まだこの先、ファンタズマに関係する動きがないともいえない。何かあったら、またお願いするわ。できれば、格安でね』
 まだ、苦笑できる元気はあったらしい。自然とこぼれた。
「……今度はせめてACに乗る依頼にしてくれ。…じゃあ、またな」
 そして通信が終わる。たちまち、押さえていた栓が抜けて、意識が逃げていくのが分かった。話しで時間を使い、もう残りが無いらしい。
「今日はよく寝られそうだな……」
 くたくたの体を持ち上げて、仕方ないとベッドに倒れ込んだ。
 その時が一番幸せだったのかもしれない。

 …………。
『…もし! もしもし!』
 夢の中まで誰かの声がすると思った。だが、夢の中まで答える必要はない。夢を見続けていた。深い波にたゆたううち、唐突に、昨日の自分の姿が見えるまで。
 …端末の電源も落としていなければ、ネットワークへの接続もそのまま。オンライン中のままではないか……?
「……しまった!」
『っ。何がしまった!よ。……あ、もしかして、ずっと寝ていたの? じゃあ、メールも読んでいないのね!?』
 このパターンは…。
 都合が悪く、感じた嫌な予感が、纏わりついていた眠気を追い払ってしまった。
 そして、いつの間にかよろよろと端末に向かう自分がいる。どうにかならないものかと、溜息が出ているというのに……。
「おい、何を考えているんだ…!」
『依頼よ。決まっているじゃないの』


おわり

あとがき(言訳という)

うーん、まさか自分がACの読物を書くとは思いませんでした。
まあ、シリアスじゃないので書けたのですが。ああ、落ちが最低ですみません(涙)
特に目新しいようなものはありませんが、それなりに調子良く書けたので良かったです。
個人的にツッコめるところが多いです。なんか誤魔化し誤魔化し、安直に書いております。
スミカがちょっとな…とか思ったのですが、気にしないで下さい。主人公はまあどうでもよいです(苦笑)。タナカさんには触れないで欲しい(涙)
とりあえず、参考にしたものがゲームそのものと、取説と、あとACの公式サイトに上がってる資料だけなので、違っていても怒らないで下さい……。

アーマード・コアですが、苦手でありまする。プレイした順番は、PSのAC、PP、MOA、PS2のネクサスという、なんか変な感じ。これを書いている時点では、2をやってます。もう終わりそうですが。
3とかまだ全然ですが、話を聞くところ、PPはかなり変わっていて好きです(苦笑)。やっぱりスティンガ〜とかスミカとか、他のACシリーズに無い(変な)キャラで。キャラとしては、ネクサスのジノーヴィーもかなり好きですが、まじめでかわいそうな人でー。

長くなってもあれなので、このぐらいで。もっともっと言い訳したいのですが…(苦笑)
う、ロブくんとかその辺(涙)


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