斎藤さんとワイルドタイガー
シュテルンビルト全市民の命をかけ、ヒーローとの戦いを挑んできたネクスト、ジェイク・マルチネス。その戦いに敗れたヒーローのひとり、ワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹が運び込まれるなり、彼が所属するアポロンメディアのメカニック、斎藤は駆け寄った。
「おい、タイガー!」
集中治療室へ向かうことは分かりきっていた。二人の医療スタッフが走ってくる。担架に乗せられ、仰向けに横たわった体は、治療や測定の器具をつけるため、揺すられることはあっても自ら動こうとはしていない。周囲には慌しい声が飛び交うが、何も反応を見せることがない。それは死の影が忍び寄り、著しく生命活動が低下している身体だった。焦点のない開かれている瞳に、映るものはあるのか。
「しっかりしろ!」
声をかけると、周りの医療スタッフが一瞬首を傾げ、不思議そうな仕草を見せた。自分では精一杯叫んだつもりだが、何を言ったのか聞き取れなかったのだろう。そんな反応は今さら珍しくもないし、そもそもこの今、気にすることではない。
だが、意識がはっきりとし、健康で難聴でもない相手でも聞き取れない小声だ。朦朧としているタイガーに、届くはずがない。ただ声を掛けずにはいられなかったから、そうしただけのことだった。まさか反応があるなど、思いも寄らず。
「……」
「……タイガー!?」
ところが、半ば開きかけた生気のない口元が、微かに動いた気がした。斎藤は何が何でも聞き逃すものかと、身を乗り出して顔を寄せた。そして、タイガーが自分に対してそうしていたように、口元に耳を近づける。
「さい……と……さん……来てくれたん……ですか……」
息も絶え絶え。自分よりさらに小さな声で途切れるが、おそらくタイガーはそう言った。
「すい……ません……。なんか声でなくて……近づいてもらって……。それに、斎藤さんのスーツを着て……派手に負けて……しまって……」
それを聞いて怒りがこみ上げてきた斎藤は、自らの口元に手を添え、さらにタイガーの耳元で怒鳴った。
「何を言ってるんだタイガー! そんなことは気にしなくていい!」
「でも……斎藤さんのスーツのおかげで……なんとか命がありますよ……。分け分かんないくらい……ボコボコに……やられたんですけどね……。能力も切れてたし……。やっぱり……よくできてますよ……」
半死半生の相手が、こんな時まで自分のスーツのことを口にするなど。
確かに自分が開発したヒーロー用のスーツには自信があり、常々自慢していた。他社のヒーローが着る、どんなスーツよりも出来がいいと思っていた。
しかし結果は目の前にある。耐久性と着用者の防護に関しては、特に力を入れていたのに。
斎藤は自らに対する怒りのため、わなないた。
「タイガー、すまなかった。まだまだ自分のスーツも『クソスーツ』だった……。あの程度の攻撃で着用者に酷いダメージがあるようでは、そう言わざるを得ない……。だから……」
斎藤は決意した。たった一人の着用者すら救えないスーツになってはだめなのだ。今のスーツは、ただの人間の犯罪者であれば問題ないかもしれないが、特殊能力者、ネクストに対しては心もない代物となった。今のスーツを超える、もっと高性能のスーツを開発しなければならない。
「これからすぐにスーツの強化に取り掛かる。比較するには、同一の着用者であるのが望ましい。……タイガー、またお前に試してもらわないといけない」
虚ろな眼差しのままのタイガーだったが、どこか笑ったような気がした。呆れたように。
「分かって……ます……って……」
そして、確かにタイガーの片手が持ち上がった。親指を立てて。
だが、その手は医療スタッフによって静かに下ろされる。それによって周囲に気を向ければ、人数は増え、動きも早まっていた。何か言う暇もなく、斎藤は医療スタッフによって引き離され、彼らによって完全に取り囲まれたタイガーの顔には、酸素マスクが取り付けられた。
「すみません。すぐICUに向かいます。もうこれ以上は……」
「……分かりました。タイガーをよろしくお願いします」
本当は、話をする余裕もなかったに違いない。タイガーを心配するのは、自分だけではないのだ。彼を心配する者たちのためにも、今は一刻も早く治療を受けることが必要で、これ以上邪魔をするわけにはいかなかった。
斎藤は静かに頭を下げた。すると向こうも軽く会釈をして、後はタイガーの乗る担架を走りながら押していく。取り巻く緊迫した空気が離れていく。
斎藤は廊下に、ひとり残された。足早に集中治療室へと向かう彼らとタイガーを見送ったのは、僅かな間。程なくきびすを返して、自ら距離を離していく。
後はもう、ここにいて、自分ができることなどないと理解している。頭にあって、これから自分ができることはただ一つ。
ワイルドタイガーが復帰するまでに、スーツを強化しておかなければ――。
徐々に足早となり、斎藤は急ぎ、アポロンメディアへの帰途についた。
おわり