ミラクルサンフラワー
<前半>
呼吸を止め僅かに上向いて、満ちるものをゆっくり吸い、行き渡ったところでそして吐く。
早朝。吸気に一切の障りも無い、一日の中で最も澄み、ほどよく冷えたすがすがしい空気に満ちた一時。
歩き出す。気分も軽く、足取りも軽い。起きて間もないが、眠気もだるさもなかった。
朝一番がその日の行く末をあらわすものだとすれば――そう、とても好調なスタート。このままの気分で、このままの調子で過ごせたならば、きっと次の朝にも繋げられるだろう。昨日もおとといも、そうだった。そのまた前も、そうだった。
だから、今日も。
ライムは今日も今日とて、城の中庭に向かって歩いていた。寝間着を着替え、顔を洗って口をすすぎ、髪にくしを通し……深呼吸を一つ。それら朝のおきまり事が、少し早く起きたため、いつもより少しずつ早かったが。
そして歩く今も、少し早い時だった。
静かな廊下は乏しい廊下。見えた人影は一人だけ。
「おや、姫様…おはようございます。きょうは普段より、お早いんじゃありませんか?」
すれ違うまでに、声がかかった。兵士達の身の回りの世話をあれこれする、恰幅のいい中年女性、リターナ。服の両袖を肘上まで捲り上げ、大きな白い前掛けが様になっている。手には木桶があり、その中には洗濯板が見えた。
ということは、これから朝一番に洗濯を始めるわけだろう。
「待ち遠しく思っていたら、少し早く目が覚めたみたいで…。2、3日中に咲くんじゃないかって、モーリスも言っていましたし…」
ライムはおはようと先に返し、近づいてから言葉を交わす。
「実際、蕾も随分膨らんできました」
「そうですか。しばらく前から、庭師さんの代わりに姫様が花の水遣りをされてますよねぇ。ふふ…もしかしたら、花も嬉しがって、早く咲かせてくれるかもしれませんよ」
何気ない冗談であることは、分かった。機転を働かせたわけでもなく、当然の成り行きのような自然さをもって、すっと出たもの。笑みもそうであった。気に留めることでもなかったが。
「そうだと私も、嬉しいのですが」
ライムは微笑を返した。そうだと嬉しいが。嬉しいのだが。その域は超えていないのが正直か。待ち遠しく思うもまた、楽しみの一つであるからには、叶ったところで、ささやかながら失われるもまた事実。
見ているだけでは分からなかっただろう、僅かながら確かな気持ち。ただ見とれて眺めていただけでは、気づくこともなかったそれ。手を伸ばして、良かったと思う。だからはっきり気づいたことだ。大きな感動を呼び込む前の、小さな下準備のようなもの。
それがあるから、喜びがひとしおになることが分かる。しかし実際あればこそ、到達して失せてしまうのが、どこか名残惜しい気がする。早く咲いて欲しいという願いは大きいのだが、今時点ではその気持ちが、かろうじて押し止められている状態。今にも溢れ出さんばかりの気持ちが、ぎりぎりの線で。
ライムは1ヶ月程前から、毎朝中庭の花壇の植物に水遣りをしていた。本来は庭師――ラビットマン、モーリスの仕事であったが、熱心に頼んだことがあって、やらせてもらえる事になった。
ライナーク王国、第一王女という身分のライムには、それは初めての体験だった。今までは世話をする行為など、したことが無い。彼女は常々、そうされる立場にあるが。
「…まあともあれ、もう少しですねぇ。恒例のお花見ってわけじゃあないですけど、楽しみにしているんですよ、みんな。今はさすがに早いですけど、最近は様子を見に行く者もいて。…私だって、待っているんですけどねぇ…これが、以前ふっとこぼしたら、全然似合わないって、遅刻常習犯の若造2人に笑われて」
リターナは苦々しく言って、顔をしかめた。
「笑われた?」
尋ね返すと彼女は、
「…ええ。ですから、少々お灸をすえてやりましたけどね。毎日の奮闘で鍛えているこの力こぶを、使ってやりましたよ、アハハハッ」
大きく笑うリターナ。その時は何とも満足そうな顔をする。
ライムは彼女が兵士に何をしたのか、少々の不安を持って気になった。
「お灸とは、一体どのような…」
「いやだ姫様。心配されなくても、ただ小突いただけですって。…それより聞いてくださいよ、酷いんですよ。私が花を見てうっとりするなんて、とてもじゃないが想像できないって言ったんですよ、その2人。…そりゃ、姫様みたいに若くはないし、可憐でもないですけど…花より団子のほうだろうって…ねぇ…しかも肉だんごなんて! …幾つになっても女は女。心ぐらいは、まだ若いつもりなんですよ? ほんっとに、最低で失礼な奴等だと思いません? 日頃の恩義を忘れて、あだを返してくる輩には、遠慮なんてまったくもって不要なんです! よく覚えておいてくださいね。…男はあまり、つけあがらせちゃ駄目ですよ? 姫様はやさしいから、私それが気になるんですよ…」
面倒見が良いというか、はたまた心配性あってなのか…過ぎるとひっくるめて、お節介とも言うが。
ついでにいえば、流れがちょっとした不満をこぼすはけ口であったはず。
ライムは少し苦笑した。笑ってはいるが、少しほろ苦い感じかもしれないと、自覚する。しかし向こうは、気を悪くすることもないだろう。むしろこの反応の方が、自然と言える。元より、おかしく笑ってもらおうとか、心底から話を聞いてもらおうと思って言った話ではあるまい。話しをすぐに変えていることでもあるし。
その、変えた話についても、それほど固執することはないだろう。彼女にとっては、親身な中での、ただの――まあ、所詮は――他愛ない世間話のようなものだ。
「ところでリターナは、これからお洗濯ですか?」
ライムはひとしきり笑った後、話しを変えた。どう返してよいかも、分からなかったこともある。男と…男性と言えば、とりあえず一人浮かんだが、彼はそんな人物ではなかった。
リターナの方は、やはり話しを変えられても、気を悪くした様子はない。
「そうなんですよ。もう洗濯物がね、これ以上はないってぐらい山積みになって、溜まってるんですよ。兵士の連中ときたら、そりゃもう遠慮なしに、いっぱい汚しますからねぇ。まったく! こっちは忙しいのに…どうにも世話の焼けるやつらばっかりで!」
言葉だけでは、愚痴や悪態をついているとしか思えないが、そんなものとは全くかけ離れた見える笑顔とやる気が、それをどのようなものか物語る。
彼女は兵士達からはもとより、皆々からも評判が良い。厳しいことも言うが裏腹。誰に対しても、例えれば母のような大きな存在だ。ライムに対しても、あまり遠慮などなく、気軽に話しかけてくれる。もちろん、節度は守っているが。
「がんばってください。兵士の皆さんは、あなたをとても頼りにしているのですよ」
「ええ。あたしがいないと、いまいちしゃんとしない連中ですからね! 嫌でもがんばらないと!」
リターナは右腕にちからこぶしなど作って見せ、にかっと快活に笑った。そして会釈すると、ライムとは反対方向へ向かって行く。
忙しそうに去っていく、後姿を少し見送って、ライムもそれから歩き始めた。
その後は、角を曲がったところで2人の衛兵に会った以外は、誰にも会わなかった。彼等2人とは、挨拶を交わしたぐらいで終え、距離的にもそう離れていないことがあって、程なくライムは場所に着いた。
途中会話をしたものの、まだいつもより早い。
ライムが少し新たな心構えで、一応の隔たりである地面と石床の境界線を踏み越えれば、居るそこはもう中庭となる。
まるで装身具でもあるような朝露が、上りつつある太陽の光でちらちらと輝く。
中庭は、しっとりした水気の中にまだまだあった。後一時間ほどは、少なくともこうだろう。その間、バラ用のアーチとレンガを組んだ花壇の若若しい緑が、一段と生き生きしている時でもある。
展開する一面の、緑――花咲く前の色。
蕾はまだ、開いていなかった。
「…今日はまだね。やっぱり、ちょっと残念…かな」
ぽつりとつぶやいて、そうがっかりしたわけでもなく、次なる目的地へと歩き出す。
隅の方にある大き目の水桶。ライムはその側にあるブリキ製のジョウロを手にとって、中に水を汲み入れた。
「んしょ…」
欲張ったまでにたっぷりと水の入ったジョウロ。持ち上げれば、法則として重みが両腕にかかり、掛け声なども思わずでる。
聞いている者などいるわけがないが、しかし彼等は聞いているだろうか。
風がさぁっと吹きぬけ、植物が軽く揺れる。あたかも頭のような蕾、手足のような枝葉。揃って、そしてばらばらになって。
「私…おかしかったかな?」
ふっと漏れる。ちょっとした偶然に、ちょっとしたことをちょっとこじつける――自然と微笑む。
それからライムは、いつものように水遣りを始めようとした。水桶から遠い花壇からやり始めるようにしていた。そこまでジョウロを持って、歩いていく。
その間は、下を見ていたわけではない、だからジョウロを見ているわけでもない。ライムは前を見ていた…ごく当然と見えているものを、視界という枠に収める。
そして、気づいた。違う、違い。全ては瞬く間、刹那その中で。
「え…?」
何故か見える異色の点。濃い向こう…城内との境目、影ある出入り口より。
そこに黄色など、どこにあったのか?
しかし、疑問を思おうとしても、その時の流れる早さに応じて別の反応が早かった。
「キャアアッ!」
ライムは既に叫んでいた。
目の前に、黄色――
ライナーク城内の台座を居所とする。
彼の任務である。都合が良かった。彼が珍獣ゆえに。望んでもいる。彼はブロンズコアラ。居心地も良い。
「む〜ん」
王室専属警護獣兼王城内警備獣。
彼の肩書き――自分で勝手に名乗っているだけだが――は、彼自身の示す色と同じようなものか。
外見が固いと中身も固まってしまうかは、やはり多少なりとも事実としてあることか。
「む〜ん」
考えるらしいぶろんずこあら。
ここの台座のプレートには、そう明記してある。オブジェ製作を主に手がけていた芸術家J・L・ピカードが、未だ構想さなかにあった時――その時の一作。自らの形を顕現するための途中、模索段階で戯れ半分に作ったと一説にはある、ブロンズコアラのブロンズ像だった。
だだ今は、ブロンズコアラのブロンズ像にすりかわった、ブロンズコアラのブロンズ像の真似をするブロンズコアラだが。
違いは…生身であるかそうでないか?
「む〜ん」
――今日も良い一日となりそうだな。
台座の上に立ち、考えているらしいポーズ――首がこころもち斜めなだけ――で、彼は思う。
都度繰り返されてきた言葉は、無意識の現れ。同じ朝が訪れることに慣れてしまった安堵。
「む〜ん」
――何事も無く、このまま一日が終われば良いが…。何事も無く、ただみなの明るい声が届き、途切れることが無い…。これほど幸いなことはない。たとえ私が、ただのブロンズコアラのブロンズ像と勘違いされることになっても…。
それは、儚さで寄せる意識の細波。それは、普遍ではあっても、不変ではなりえない。だからどんなに心中満たしても、一時だけの感情に他ならない。
…とどのつまり。数分、そのようなしんみりとした境地でいられた。
ベチャ
その無造作な音が、彼を無常の現実へ連れ戻す。そして、無情そのもの。
目の前は暗い。見えない。
「…むむ〜ん」
――ぶぶっ。
何かで塞ぐように押さえられた顔。…当てられた不快な感触。滴り伝うものが気持ち悪い。
しかしこれが何かを、知っていた。
『おりゃぁ…? まぁた間違えたか。悪いなァ』
上げた声で気づいたらしいが、それは全然全く反省の色なしの声。
それから、目の前を覆っていたものが取り除かれる――すぐに睨み見た。
その人物は、またも前に居た。顔だけ覚えのある男。
少々あっちの世界に浸っている時に限ってこうなる。これで4度目。
「むむ〜ん」
――くっ…く…いつもいつも言っているではないか! 何回言わせれば気が済むのだ! 私は本物だ! 濡れ雑巾でふくんじゃない! …しかもろくに絞ってない雑巾とは何事か! 固く絞れ、固く! 基本中の基本だろーが!
今も前も、迂闊だったと言えばそうであるが、何もこう決まって起こるとはないはずだ。わざと狙ってやっているのか…あるいはとんでもないほど底意地の悪い神が、こちらに向かってほくそえんでいるとしか。
「…いやいや、いっつもなのに全然怒った顔しないんだもんな。お前、良い奴だなぁ。今度から気をつける、うん。たぶん」
笑ってそう返すなど、もってのほかだった。しかも再三やっておきながら、たぶんとは。
彼は怒りを持って、笑っている男をさらに睨む。
二週間ほど前から城内で見かけるようになった、早朝の静かなとき、掃除係として働いている学者のたまご。それ以上の事は聞いていないから知らないが、はっきりしていることは、いつまでたっても締りがないこと。
「む〜ん」
――私の感情はこれほどなく最高潮の域に達しており、表してしまえばぷりぷりぷ〜んと至極分かり易く怒っているのだ! 何故わからん!? こんなに睨んでいるのに!
彼は男をとにかく睨む。まるで黒ごまのような点目で、睨んで睨む。
が。
「はははっ。コアラ族ってのんきな連中なんだよな。この色は頂けないが、ちっちゃな目ってかわいいもんだ。どうしてこんなのが強いんだかなぁ」
見たことを信じてしまう――見える事をまず基準としてしまう人間なれば。
「…じゃ、俺はまだ掃除が残ってるから」
「む〜ん」
――まてっ! 話しはおわっとらん! 待てとゆーとるに! おい、待たんかい!
呼びかけているにもかかわらず、バケツを揺らして去っていく掃除役の若者だった。
「……」
残された彼は、コアラ族の超難解高等言語と自らの外見を、心底恨みはじめていた。
…その時が、合わさった時。
『キャアアッ!』
事象。――紛れもない悲鳴。
それは、沸き立つ彼の感情を一瞬にして書き換え、衝動的に動かすには事足りた。
「むむ〜ん」
――なぁっ!? ライム姫様のご悲鳴だと!
――同時刻。同じようにライムの声を聞きつけた者達がいた。
朝も早いその時、珍しくも起きていた一人と、共に歩いていた一人。そして、そんな姿を発見し、近づいた残り一人。
最初交わしたのは通例。三人それぞれが朝の挨拶。珍しい一人がいるせいで、笑い出す始めとなっただけの。
そんな、互いが今日一番に、顔を合わせた直後のことだった。
「この声は…ライム姫!」
「向こうの中庭の方からだモー!」
「行きましょう!」
勇者リイムと、ミノタウロスモーモーと、宮廷僧侶タムタムは揃って駆け出す。
何かが迫ってくる――それが頭の中に言葉として出なくとも、身体は瞬時に反応していた。
思わずライムは目を閉じ…
――ボゴンッシャアアアン!
ジョウロを前方に投げていた。
『ごぁあ…ぬあ…』
それはくぐもった、誰かのうめき…?
ライムが恐る恐る目を開けてみれば、前辺りでずぶぬれになって滴を落としている、痛そうな面持ちの黄色い花が。
「あ…あなたは…?」
その存在には、一応見覚えがあった。暑い季節、大きな大きな花を咲かせるヒマワリに似た顔。あくまでも、似たような花が在るだけで実際それはヒマワリではない。なにしろ、地面を離れて高速低空飛行すらする植物の精霊――サンフラワーだった。
「ぐふ…なかなかやってくれるなぁ、おじょーさん…。確かに、余所見なんぞしていた俺が悪かったよ…でも、まさかジョウロが飛んでくるたぁな…」
ライムの目線の位置で停止しているサンフラワーが、未だ痛そうな顔で苦々しく言った。
「ご、ごめんなさい…私、驚いてしまって…」
黄色の点はサンフラワーの黄色だったのだ。ものすごい速度で迫ってきたから、思わず身体が即時に…。
ライムは現在の状況をほとんど掴みきれていなかったが、とにかくとても悪い気がして謝った。
「ま、そりゃそうだわな。俺達かなりのスピードで飛ぶからなぁ…気づくのが遅かったら、あんたにぶつかってたとこだった…あぶねぇあぶねぇ…」
サンフラワーはつぶやくように返すと、地面に降り立つ。そして、彼等特有の笑み――にぱにぱと口を大きく開けて笑いだす。
「いやいや、俺も実際悪いんだから、あんま気にすんなよ。これでも打たれ強いからな! それに水は大好きだからよ!」
すると、ブルブルブルッと身体を揺らすサンフラワー。水滴が一斉に追い出され、四方に見境なく飛び散った。
「キャッ…」
ライムは半歩後ろに退く。水しぶきが振りかかった。
「おおっと、こりゃあすまねえ。冷たかったな…。ああっ、俺ってかなり迷惑だねぇ〜」
言った頭が揺れる揺れる。あまり済まなそうに見えないが、別に怒っているわけでもないので、それは何となく面白くも見えた。
ライムはクスリと笑う。やはりよくわからないままだが、今はとんだ珍客という存在であった。
そもそも、お客と言えるお客など…彼女には無いも同然。
たかが早く起きたぐらいで、こんなことに出会うとは。全く予想外の出来事。
そわそわする…何か考えようとすると、何故か心がはしゃぎ出すような感じを覚える。
ライムはその胸中に僅かばかりの期待を見出だした。そして、それを運んできたサンフラワーを見る。すると、
「あ? うん。と、言うわけでだな、運悪く見つかっちまった事でもあるし、ぶつかりそうになった非礼を詫びる意味でもある。ついでに言うなら、こんな朝っぱらから水遣りをするなんてぇ、健気なお嬢さんに惚れ惚れ〜ってな訳よ?」
サンフラワーはライムを見上げながら、そんな、全く繋がっていないことを繋がっているかのように、唐突に言い出した。
「? よく分からないのですが…」
と言うより、何が何だかさっぱり分からなくて、皆目見当つかなかったが。ライムは小首をかしげた。
サンフラワーはそれを見て、どこか悦に入る。もったいぶったように口上した。
「言ってしまえばつまりだな、それを今からこの場でな、老若男女に分かるよう、教えてやるっていうわけよ。…よくよく見てな、お嬢さん! 俺はこうするってぇ、寸法さ!
特別の特別で特別に。…一挙公開!」
彼は激しく、頭を揺らす。
「むむ〜ん」
――何じゃあこりゃあ!?
中庭に辿り着いたと思えば。あまりにも一変したその姿に、一時愕然とする。
…昨日までの中庭は、緑であったはずだ。緑の色であった、揃う若き姿。これから先を膨らませる、彩る為の準備にいそしむ、それも彼等植物の姿。
華々しい――あるいは清楚、あるいは可憐でまた、趣もある様々な姿に変わるには、まだ少し早かったはずなのに。
…いや、例え時が少し早まったとしても、その光景は異常としか思えない。
一面の、花花花花花花はなはなはなはなはなハナハナハナハナ――!?
取り乱れる色合い。色の嵐。
完全に埋め尽くされた中庭。
見たことも無い花や、季節が外れた花もあるではないか。
彼の中には、漠然と不安がよぎった。見事なまでの花園を前にして、あまりの急変が見とれる心を越えたゆえに。
『どうだい、おじょーさぁん? 俺の手に掛かればこぉ〜んなもんなのよ。…あ、これ二人だけの秘密だぜ…な〜んてな! ワハハハハハッ!』
聞きなれぬ声――愉快そうに、高らかに笑う声。
そちらに見知らぬサンフラワーが……向かいながら、口元を手で覆うライム姫――!
これは…
「む〜ん」
――曲者!
「すごい…」
ライムは片言以外の言葉を失っていた。
サンフラワーが揺れたと思えば、周りで次々と蕾が開花して――さらには地面のあらゆる所から芽が伸びて――あっという間に中庭が満開の花園と化したのだから。
もはや惜しくも思っていた気持ちなど、その一瞬に全てはじけ、そして全ては大きな衝動へ変わっていた。ざわめき…盛大な拍手、大きな歓声。たとえ声には出なくとも、彼女の中はそのように、圧倒的に膨れ上がっていた。
「…きれい」
しばらく見とれ続けて、二言目をようやくつぶやく。それから少しずつ、思考が回るようになる。
「…夢?」
ライムは一瞬、目の前で起こったことながら、夢とさえ思った。サンフラワーが花をどこにでも咲かせることは知っていたが、しかし、こうも見事に埋め尽くしてしまうとは、想像をはるかに超えている。
当のサンフラワーは、やはり前で楽しそうに笑っている。
「ううん…これは夢じゃ、ない…。本当に、お花がいっぱい咲いているのね…!」
そうだ、夢であるはずが無い。夢がこんなにも気持ちを満たして高ぶらせてくれるものか。そうならば、きっと目が覚めてしまうに違いない。
これは現実なのだと確信を持って、さらなる高揚を感じながら、ライムはサンフラワーを見やった。
「いやいやいや〜、いつ見ても我ながら見事なモンだよ、ほんと。この広い庭を所狭しと咲き乱れる花、花、花! とーってもきれいだろだろ? な、おじょぉ―――ぐごふッ!!!」
「あっ!」
それは。あまりにも突然に起こった衝撃的瞬間だった。
おりしも、サンフラワーに向かって、高速回転する何かがぶつかる。
そして何かは…弾き飛ばされた、元サンフラワーの居場所でなおも回転し、それが徐々に遅くなっていくと…
「む〜ん」
と、止まる。
ライムは、溜息が一緒に出そうになった。
「ローリー…」
ありていに言えば、それは珍獣ブロンズコアラ。自らの特徴を生かしているのか、人知れず、城内の台座在るところで警備をしているという、ちょっとした変わり者のローリー。
「むむ〜ん」
彼は、ライムを見上げてきた。
「私は大丈夫ですよ」
そう返したものの、ライムは彼が何を言ったのか分かっていなかった。コアラ族の言葉を判別し、理解できるものは、同族以外は極少数しかいない。しかし、大体このような場合としてはおそらく、こちらの身を案じたことを言っているのだろうと思ったので、返すことが出来た。
「でも…サンフラワーさんが…」
ライムが、そちらを心配して振り返ろうとした側、
「――っコラァ、イッてーだろがぁッ! 何しやがんだこの不気味コアラぁー! この俺の素敵な超スレンダーボディが折れたら、どぉぉお責任とるんだっ! ぁあッ!?」
怒りで顔を真っ赤にしたサンフラワーが、飛んで戻ってきた。一見したところ、わりと平気そうだ。
ブロンズコアラの攻撃力はかなり高いが、サンフラワーの守備力は高かったので、幸い大事には至らなかったのだろう。
ローリーは、全く表情を変えないまま――いかなる時でも誰一人、顔色を変えたところなど見たことはないが――喚き散らすサンフラワーを向いた。
「む〜ん」
食いつかんばかりに、サンフラワーがローリーに迫る。
「何様のつもりだ、てめえは! ああ、言うなよ分かってるよ知ってるよ見たまんまだよコアラ様だっ! だがなっ、いくらコアラ様だからって、いきなりアタックが許されるとでも思ってんのか!」
「む〜ん」
「俺を見ろよ、笑顔の一番似合うサンフラワーだろーがっ! 一体全体、何をしたってんだ!? 俺は俺は…飛んで笑って敵を仕留める、とっても微笑ましいお花さんなんだぞ!? てめえはお花さんをいじめたんだぞっ! 心底悪いとおもわねーのかっ!」
「む〜ん」
「もし俺がいたいけなマウスマンだったりしたらなぁ、即刻ぶるぶるぶるでぴよぉ〜んだぞ!? 経験値がゼロになっちまうだろっ!」
「む〜ん」
「くっ…くそったれーッ!」
何か言われたのか、サンフラワーが突如仰け反ってたじろぐ。
そして、頭を下げて…ふるふると揺れた。
「こいつ……何言ってんのか全然わかんね…」
全く何も、わかっていなかったらしい。
「えっと…」
ライムは彼等のやり取りについて行けそうもなく、どうしようかと、何かしらの救いを求めて周りを見た。
それがちょうど、密かな願望を呼び込んだのだろうか。
「…姫! ライム姫! ご無事ですか!?」
「――リイム!」
声が聞こえた方を向けば、雷光の騎士、勇者リイムが、向こうからやってくるのが見える。
ライムには、この瞬間ほど――このような瞬間ほど、純粋に嬉しさだけが跳ねあがることは無かった。迷惑をかけているとは分かっていたが、それがどうしても勝ってしまう。
「リイム…!」
「ライム姫!」
悲鳴を聞いて駆けつけてくれたのだろう。無事と知って、安心したかのようなリイムの顔を見たところで、ライムは残り二人に気づいてしまった。
「おっ…姫様全然無事みたいだモー。……んっ? おかしいな…いつもならすぐにでも…」
後ろに続いていたのだろう、ミノタウロスモーモーに、僧侶のタムタム。
「あ…」
2人もまた、自分の身を案じて駆けつけてくれたというのに。
ほんの少し、残念な気持ちが過ってしまったライムは、少し俯いた。
「む〜ん」
「あら、ローリーじゃない。あなたが私達より先に駆けつけたのね。…こっちのサンフラワーは…?」
む〜んに気づいたタムタムが、すぐに側にいたサンフラワーにも気づく。
リイムもそちらを見やり、モーモーは、何故かしきりに辺りを見回していたが。
「む〜ん」
ローリーはリイムを見てそう言った。彼は、分かっているのだ。
「『曲者だ、離れろ』か…」
リイムがつぶやいたそこに、割り込むようにサンフラワー。
「おいコラまてや! 違うって、違う違うちがーう! 俺は…」
「む〜ん」
しかし即座にローリーに返され、サンフラワーは止まった。困ったような、嫌そうな顔でリイムの方を見あげる。
「うむむ…通訳さん、何て言ってるんだ?」
「僕は通訳ってわけじゃないけど…『問答無用! 王がご不在のこの時にライナーク城に忍び込み、あまつさえライム姫へ危害を加えようとは不届き千万! どうあっても許すわけにはいかぬ!』って、怒ってるよ」
「だからー――ってぇ!?」
すかさず返そうとして、飛び退いて、二度揺れて。サンフラワーは目を丸くして、口を大きく開ける。驚きを全身で表しているらしい。
「…お…お前、人間なのにこのコアラの言ってることわかんのか…? だってだって、俺にだってわからんぞ? どう聞いても『む〜ん』だぞ? む〜んだからむ〜んじゃないかぁっ! これを他にどう取るってんだ?」
それはリイム生来の、魔物や動物と心を通わせる能力あっての事だろう。しかし、彼自身はそれほど特異な能力とは思っていないようだ。彼にとって彼等は、特別異質な存在であるはずがない。リイムの周りにはいつも、彼を慕う魔物達の姿があるのだから。
「…どうって言われても…どう言えばいいのかな…何となく分かるって言っても、理解してもらえないよね…さすがに」
リイムが考えながら首を軽く捻っているとき、モーモーが一人、頷いていた。
「…そうだそうだ、そうだったモー。王様いなかったんだよな、だからだ。…いつもなら真っ先に駆けつけてるはずだから、おかしいとおもったんだ…」
納得顔になった彼を見て、なるほどと、ライムもまた納得して思ってしまう。
モーモーが見回していたのは、現ライナーク国王リチャード三世が娘のライムを…悪く言ってしまえば、随分と溺愛しているためであった。
娘の悲鳴を、聞きつけない父親ではないのだ…。ライムはその愛情のおかげで、窮屈に思うこともある。
今日からしばらく、いくらか羽を伸ばせるなどと思っていることがもし、父の知るところとなれば――酷く悲しがるだろうとは思うのだが。
「もう忘れてたのね、モーモー…。…昨日私が言ったばかりじゃない、王様はダイナの街の復興具合を視察されに向かわれたから、しばらくご不在よ。って」
言ったタムタムの顔は、いささか呆れ気味だった。
「む〜ん」
そこへローリー。
ビクッと、サンフラワーが過剰に反応した。ただし、分かる者は本人とリイムのみだから。
「んあ…! …こここ、今度は何て言ってんだっ?」
理解できないものは、時として恐怖の対称になることもある。大げさだが、そんなところか。
「『そこに直れ!』だって」
リイムの訳を聞くなり、ブブブブブンっと、サンフラワーが頭をふる。
「いやあのそのね…だから俺はそんなんじゃないって! 昨日この国に来たばっかで、この人がお姫様だって事も知らなかったし、もちろん王様がお留守って事も知らなかったし…」
「む〜ん」
「『言い訳などまかりならん! 王族に手を出した罪は重いぞ。これ以上罪を重ねたくなければ、神妙にしろ』…だね」
「だあぁぁぁッ! だーからー違うってばさ! 誤解だって! たぶん話せば分かる…うっ…!?」
サンフラワーは分かりそうな方と思ったのだろう、リイムに突っかかって行った。しかし突然、慌てた様子で周りを見出す。
直に、ライムも気づいた。
どやどやどや…騒々しい音がそこを取り囲む。大勢の足音、声が。
『姫様! どうされました!? こ、この庭は何だ!』
『ライム姫様! 一体何が!』
『ご無事なのですか、姫様! リイム殿、姫様はどうされたのですか!?』
いくぶん遅参であるが、城の兵士達が集結してきた。すばらしい庭の有様に少々途惑っているが、放っておけばじきに入ってくるだろう、忠義ある彼等は。
「悲鳴を聞きつけたみんなが来たみてえだな。…なぁ、このサンフラワーどうする、リイム?」
モーモーが周りを見てからサンフラワーをちらりと見やり、そしてリイムへ。
サンフラワーは無視されていると思ったのか、自己主張だろうか、跳ねあがった。
「うわあぁーっ! おー願いですから聞けやプリーズぅッ!! コアラの言ってるこたぁ早とちりの勘違いだぁ! 俺はお姫様に手ぇなんかだしてないって! ほんとだって!」
ぶんぶん揺れて揺れて叫んで、激しく抗議しているようだ。
その様子が一生懸命で、とても真剣そうだからでもないだろう――彼の場合、誰でもどんなときでも親身になってくれるだろう――リイムが、尋ねてきた。
「ライム姫、そうなのですか?」
「ええ…その、突然サンフラワーさんが出てこられて、ぶつかりそうになったから驚いて声をあげたのです…」
その後は、ジョウロを思いっきり投げつけてしまったことがあって、ライムは少し目線を下げた。
「…どうされたのですか、ライム姫?」
「えっ? あ…いえ…何でもありません」
下げていたことに気づいて、ライムは慌てて顔を上げる。が、リイムの顔が直視出来なくなって、また下げる。
思われたくは、ない事。自分ではとてもはしたない事に思えて、続きは口には出来なかった。
リイムは少し気になった様子だったが、追及まですることはなく、サンフラワーに向った。
「じゃあ…みんなに戻ってもらってから、ゆっくり君の話しを聞こう。ローリーも、とりあえずそれでいいよね?」
「む〜ん」
返したらしいそれにリイムが頷いたので、ローリーは承諾したということだろう。
それからリイムはライムが見守る前、兵士達に彼女の無事を伝えて、各々の持ち場に戻らせた。
その時はまだ、序の口だったのだ。
これから先が回りくどくおかしな事になろうとは、さすがに予感出来なかった、今は誰も…。
<前半のあとがき>
なんかライムなんですよ…これ(苦笑)。こっちの後書きでは、余談でもだらだらと連ねますか…。
お世話になってますShow1様へ、一応…記念ということで差上げた作なんですけど…ファイル作成したの、実は…5月末…! 申し訳ないです…一体完成するのに何ヶ月かかってんだ自分って感じです…。いい訳を述べると、なかなかに話がまとまらなくて…その間にほっぽいて寄り道ばかりしてたせいですけど…毎日確認してたわけじゃないですし…。大体ギャグに走るととかく長引く結果ですから…ごふごふ…う、だからですね…贈り物にするからには、どうしても手を抜くわけにはいかないですからね(そのわりに駄文である)結構悩んだんですよ、ええ。
なんか…予想外に長くなりまして…まあ、主に会話ばかりですけど、普通原稿用紙にすると112枚ぐらいですか。実はもっと長かったんですけど、色々削除しました(苦笑)。あまりにもライムに寄る部位を削りました。最初ももっと意味不明の堅苦しくて(苦笑)…いや、私個人が固い文章を密かに好むだけですが、たんに。
ブロンズコアラは使いまわしです(おい)。何のとは申しませんが…でも、ずっと前から決まっていたオリキャラだったりします。一番最初に考えたリトマス小説(廃棄…にしたつもりもないけどもう…)に気持ちでてたんですね。忘れましたけど、一年半以上前です…名前もローリーって決まってましたです、はい。なんていうか…コアラはなんかローリーだろって決め付けで(笑)…それと、名前しか出てない庭師…ラビットマン、モーリスは、自分お気に入りのラビット・スナイパーの名前でした…。おばちゃんは適当です。なんでおばちゃんなんて出てるんだよ…結局あれだけキャラ…。掃除役の若者なんて、雑巾ネタキャラかい…。
あとサンフラワーについては、後半にて述べようかなと思ってます…。
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