奇禍遭遇

<1>

 神殿が現れたという目的の湖は、奥地の山々が連なる山間部の中腹にあり、最も近い人里がそこだった。
 僻地ということもあって、山裾にひっそりとある鄙びた寒村のように小さな村だったが、決して忘却されたことはなかった。湖の絶えず湧き出る清水は、ありがたく霊水と呼ばれており、解毒や解熱作用などの効果が確認されていたからだ。
 そして、それ自体も不思議なことであったが。さらなる不可思議とされていたのは、霊水の効果が湖から直接汲んできた水だけにあるということだった。湖の水は村を通り下流へと流れて行くが、村で汲んだ水には効果がなかったのである。
 だからその村の村人は、山中の湖まで霊水を汲みに行く。万能の薬ではないため、多く必要とはされなかったが、苦い思いも咀嚼する必要も無い、その無色透明の神秘の薬は、周辺地域でそこそこの需要があった。
 小さな村のささやかな恵み。人がその場所に居座り続ける、少ないながらの理由でもある。多くもないにしろ、人足が絶えることはなく、今のところ廃れる心配だけはない。多く得るものはないにしろ、穏やかに過ごすのならば、何もそこに支障は無い。
 ここに残る村人達は、少なからずそんな思いを持ち、平穏の生活を長らく送っていたのだろう。騒ぎとは無縁の村だった。
 その村が今、初めて騒然としていた。
 そこへ勇者軍が到着したのは、ライナーク王城を出発し、四日後の昼を過ぎた頃だった。
「…どうなってるんだモー? あれは…何があったんだ?」
 村に足を踏み入れれば、向こうでしきりに人の叫ぶ声が聞こえる。辺りに人の姿はなく、彼等が立ち止まったそこで見れば、遠目ながら、声のする辺りに人が集まっているのが分かった。そしてその辺りには、倒壊、あるいは傾いた数件の民家らしきものがあり、ひどく目立つ、盛り上がった土砂や岩などが確認できた。
「向こうに行こう!」
 リイムは言うなり走り出した。
「これは…」
 駆けつけて近くに行けば、酷い有り様だった。大量の土石が、村を寸断している。実際そこには、川があったのだと知ることが出来た。壊れた橋の跡がある。
「鉄砲水を被ったのね…」
 タムタムがつぶやいた。
 川の水が濁流となり、大量の泥と岩を運んできたのだ。それが川沿いにあった民家を襲い、なぎ倒した。その跡。
 集まった人々は、奔流に巻きこまれ、今や埋もれるか壊れているかの家に集まり、土石を撤去しようとしている。
「あなた方は…救援に来てくださった方々ですか…?」
 いつのまにか、初老に差しかかろうかという男性が近寄っていた。
「僕達は、王の命でやってきました。突然現れたという神殿を調査しに…」
「そうですか…。確かに、そのことをお伝えするよう、手配しておきましたな…」
 リイムが答えると、男性は深い縦皺を眉間に作った。
「なあ、どうしたんだよ? これ…いつあったんだ?」
 尋ねるモーモーを見て、彼は背後を顧みて、再び戻した。
「…今朝ほどです。四時間か、五時間ぐらい前でしょう。轟音と共に、突然です…」
 男性は再び振りかえった。そして、山肌を見上げた。
「その前に、一回ほど、山のほうから爆音が聞こえました。何か煙が上がったと、誰かが言っていましたが…。神殿が現れた、湖の方角だったとも…」
「じゃあ…何か、そこであったのか?」
 分からないだろうが、モーモーも山を見上げた。巍然と構える山々からは、今何も聞こえてくるものはないが。
「…とにかく、僕達も今から手伝います!」
 リイムが進み出て言うと、しかし男性は首を横に振った。
「いえ…ここは我々だけでも大丈夫です。あなた方は、先を急がれたほうがいい。何か起こっているのなら、なおさらです」
「あの、あなたは…?」
「私はこの村の村長ですよ。そしてあなた方は、勇者軍ですな?」
「はい…」
 悲壮な表情は晴れることがなかったものの、それでも満足そうに村長は頷いた。
「お気持ちはありがたいが、あなた方は急ぐべきです。われわれのことなら、心配ありません。あと小一時間…いや、二時間もすれば、隣町から救援が来てくれるはずですから。…あいにく村はこのような状態で…案内の者をつけることも出来ませんが…。これが我々にできる、精一杯です」
「しかし…」
「このようなことは…川が氾濫するなど、今だかつてありませんでした。驚いています…何が起こったのか…」
 彼はそこで、初めて茫然自失としたように、つぶやいた。数十秒にも満たないほどだったが。リイムを再び見て、続ける。
「神殿がある湖へ行くには、険しい山道を進まねばなりません。慣れた者でも半日近くかかります…。それに、氾濫の影響で道が寸断され、遠回りをしなければならないかもしれない…一日近くかかるかもしれません。神殿らしきものを発見した者は…遠目に見ただけでしっかり確認してはおりませんし、気味が悪いので、それから誰も湖へは行っていません。どうなっているのか、全く分かりません…。我々も、不安で仕方がないのですよ。もしかすると、一刻をあらそう事なのかもしれませんし…誰もこれ以上の被害は望みません。だから、我々のことは気にせず…ここは急がれたほうがよろしい」
 真摯な村長の目に、リイムはやがて頷いた。
「…分かりました。すみません。すぐに湖へ向けて出発します」
 それから彼は、不安な面持ちのタムタムを振り向いた。
「タムタム。嫌な予感がするんだ…僕達は先を急ごうと思う。けど…その前に、君に頼みたいことがあるんだ…」
 タムタムはその言葉に、一瞬身を固くしたように見えた。
「ここに残って、村の人達を助けてあげて欲しいんだ…」
「――駄目よ!」
 予感した通りの言葉――。タムタムは半ばその言葉を、予想していた。首を振る。
「それは駄目よ、リイム…。何があるか分からないのよ…危険だわ…。心配よ、私がいないと…駄目………私も…不安なのよ…」
 彼女の声は小さくなった。今にも、泣き出しそうなほど。
 しかしリイムは言った。彼女の目を見つめて、
「君だから頼むんだ…。これは、君にしか頼めない。頼むよ…」
「……」
 タムタムに言葉はなかった。だが、横からモーモーが出た。彼女の肩を軽く叩く。
「心配いらねえよ、タムタム。リイムにはこの俺がついてるモー!」
 モーモーは笑い、意味があると思ってのことだろう――それから右腕に、力瘤を作って見せた。
「なっ? だから大丈夫だって」
 全く根拠のない発言だったが、タムタムは僅かに、それを見て緩むほどに微笑した。
「そうね…。リイム、モーモーはすぐ飛び出しちゃうから、注意してね…」
「うん…分かった」
 モーモーは隣で、力瘤を作ったまま、顔をしかめて固まった。
 そして、彼等より下の位置で、声が上がる。
「ボク達もいるから大丈夫だよ。心配なのはやっぱり…モーモーだよね」
「そうそう…やっぱりと言えばやっぱりだね」
 ラビットマンのロビーに、チキンマンのジョージ。
 モーモーは憮然となった。
「何だよ、みんな揃いも揃って…。…俺だって大丈夫だモー! なあ、そう言ってくれよ」
 そんなモーモーに、タムタムは笑いかけた。
「うん…。みんなをお願いね、モーモー。…頼りに、してるからね」
「よっしゃ。任しとくモー!」
 モーモーは彼女を見返して、にかっと笑った。
「じゃあ、僕達はもう行くよ」
 それからリイムは言って、背を向けかける。タムタムは声量を上げた。
「…リイム!」
 振りかえりざまの彼に、タムタムは最後に告げた。
「リイムも…リーダーだからって…無理しないで…」
「…うん」
 リイムはしっかり頷くと、完全に彼女に背を向けた。
 村長から湖への山道を聞いたリイム達は、そうしてタムタムだけを残し、村を出ていった。

<2>

 ふもととはいえ、山に近いその村の早朝はやや冷えた。それでも、その空気は彼女にとって気持ち良いものだった。気を抜いたところで、ようやくそれに触れることが出来たところだ。
 今、村の中に人の姿はほとんど見えない。昨日の騒がしかったときとは打って変わり、静けさのみに包まれている。水禍の跡はいまだ残ってはいるが、これが本来の、この村の朝なのだろう。
「…静かになりましたね、スラー先生」
 タムタムは隣を歩く老医師に言った。
「うむ…そうじゃなぁ。ああ…わしらも一段落ついたことじゃし、やっと落ち着けるわい…」
 疲れもあらわ。六十も後半に入ったその老人が、村唯一の医師だった。
 タムタムとスラー医師は、昨日から怪我人の手当てを夜通しで行い、つい先ほど、全ての措置が終わったところ。さすがに年のため、老医師はたびたび休息を入れていたが。
「何年ぶり…いや、何十年ぶりなのかのう…忙しかったことは。まあ、人数が多かったものの、死人だけは出なくてよかったわい。しかしそれも…」
 スラー医師は白い眉と髭を揺らす。
「みんなタムタムさんのおかげじゃな。手腕に一瞬見とれたほどじゃからのう。場合が場合でなかったら、完全に見入っておったところじゃよ。てきぱきとした素早い処置もさることながら、何より回復魔法がずば抜けておる。まったく、あんたは大したもんじゃわい」
 褒めちぎる言葉に、タムタムは面映く笑った。
「そんな…いくらなんでも誉め過ぎですよ、スラー先生。私なんて、まだまだの若輩者ですから…」
「いいや。若いからなんて、謙遜せんでよい。自慢しても良いくらいじゃ。大した天分じゃよ。わしと、駆けつけてくれた医師の二人だけではこうも早く終わらなかったし…死人もきっと出ておったことじゃろう。ほんに助かったのじゃ。言っておくが、わしはおべっかなど使わんし、過大評価しとるとも思わん。何よりのう、わしらは事実あんたに感謝しておるのじゃよ。その気持ちはきちんと受け取らねばならんぞ、タムタムさんや」
「スラー先生…」
 そう言われると打つ手がない。タムタムは言葉に詰まってしまった。かたやスラーの方は、小さく微笑む。
「ああ…しかしいいのう、若いということは。わしもあと五十歳若かったら…」
「…五十歳も若かったら?」
「ほっほっほっ。…秘密じゃよ」
 尋ねるタムタムに、スラーは見返した後、それを笑いうやむやにした。
「おねーちゃーん!!!」
 そこへ突然、彼女を呼ぶ声が聞こえた。子供の、まだ幼い男の子の声。後方からのそれに、タムタムは止まって振り返る。
「…クレオ?」
 声には聞き覚えがあった。スラー医師の孫の少年だ。年は十歳に満たないか。その彼が、向こうから走ってくる。
「――おねえちゃんっ!」
 すぐ側まで来て、少年はまた叫んだ。
「どうしたんじゃクレオ…そんなに慌てて。こんな朝早くから、大声なんて出すもんじゃないぞ。昨日が昨日じゃ、まだ寝とるもんがかなりおるはずじゃからな」
 不思議そうに、しかし窘めてスラーが言うと、少年は一瞬、そちらをそわつきながら見たが、
「だって…! ねえ、ねえお姉ちゃん! 一緒に来て!」
「えっ?」
 クレオはかなり慌てた様子で、タムタムの手を取った。
「…クレオ、一体どうしたんじゃ? おじいちゃんに話してみなさい」
 気ぜわしそうにタムタムの腕を揺らす孫に向かって、スラーはゆっくり前屈みになる。
 クレオは、その祖父を見ずに言った。
「おじいちゃんじゃ役に立たないよー! …お姉ちゃんじゃないと駄目なんだよー!」
 その言葉で、老医師の表情は…。
「……。ああ…かわいい孫の言葉が突き刺さる…。おじいちゃんじゃ役に立たないかのぉ……寿命が三年は縮みそうじゃ…」
「お姉ちゃん、早く…早く!」
 かなりショックを受けているスラーなど、まるで目に入っていないのか。クレオはタムタムの手を離すと、元来た道を戻り出した。
「ちょっと待ってクレオ! もう…。スラー先生、何か分かりませんけど…とりあえず行って来ますから」
「あぁ……用のないわしは…診療所に戻っておるからのぉ…。…老体に夜通しは辛いしのぉ……」
 まだ立ち直っていないスラー医師も、気にはなったが。
「…。行って来ますね…!」
 タムタムはしばし迷った末、クレオの背中を追って駆け出した。

「おねーちゃんっ!」
 村の外れに差しかかり、側に民家はなかったが、クレオが導いた場所は川辺だった。一段下がった場所には、押し流されてきた巨石や木々が流れ付き、大量の土砂にまみれた有り様が依然としてあった。
「クレオ。危ないわよ、こんなところに来て…。またいつ氾濫するとも限らないし…」
 タムタムはクレオに近づきながら言った。
 川は昨日の氾濫で姿を一変させた後、さらに、昨夜の深更に降った雨によって増水していた。現在も濁りきった水を流しているところ。
「お姉ちゃん! えっと…こっち!」
「あ、クレオ!」
 クレオは平然と、川原だったであろう場所に入りこみ、進んで行った。タムタムは慌てて後を追う。
「危ないから入っちゃ駄目よ!」
 岩や木がゴロゴロしているので、進み難いことこの上ない。追って捕まえようにも、距離は縮まらない。
「ちょっとクレオ! 戻りなさい!」
 タムタムが止まって叫んだとき、
「――お姉ちゃん! 早くこっちへ来てよ! 早く…早く早くっ!」
 少年は呼びかけには応じなかったが、止まってしつこくも催促してきた。
「早くー!」
 巨大な岩だか、剥がれた土の塊かは判断しかねたが、とにかくその付近に立って、彼は食い縛るような顔で足踏みなどしている。
 ――急げと言うことか。
「…一体何なのよ…もう」
 溜息をついて、タムタムはゆっくり近づいて行った。しかし、近づくにつれ、彼の側――塊の陰に、何かそれではない別の、黒っぽいモノを見付ける。
「…?」
 足を速めさらに近づくと、それは足であり手であり――座りこんでいる人のようにも見えてきた。
「――人!? 大変!」
 タムタムは慌てて近づいた。
 一瞬、別の何かと錯覚しかかったが。やはりそれは人だった。泥水にまみれ、さらにぼろぼろになっていたが、おそらく黒い服を着ている。弛緩しているように両足は投げ出され、だらりとした腕には、力が入っているとは到底思えない。
 その人物は背後の塊にもたれかかるでもなく、前に倒れこむような形で、かろうじて座っているようだった。頭もやはり下がっている。頭髪も黒い――体型はやや痩躯か――の、男性だ。
 そこまで判断して。後は身体が動くままに、彼女は腰を落として素早く屈みこんだ。
 そして、倒れそうな背中に手を添えた時点で、何か違和感を感じた。いや、違う…?
「……?」
 えもいわれぬ感覚は、人物の横に位置し、長髪の俯いた横顔を窺った瞬間、冷めるようにあっさりと判明した。
「こ…この人……!?」
 衝撃は思考を停止させるのに十分だった。足腰の力が一挙に萎える――膝が落ちただけで、後ろに尻餅をつかなかったのは、前に重心があったせいだけだ。声をあげたくなったが、震えるばかりで出そうにない――。
「ボクね…よくここで遊んでるんだ。だからどうなったのか心配になって、見に来たんだよ。そしたら…このお兄ちゃんを見つけたんだよ」
 側でクレオが、つまりようやく落ち着いたということか――話している。
「凄くビックリしたんだ! だってまさか、人がいるなんて思わなかったし…それに、しばらく見たけど全然動かないんだもん。死んじゃってるのかと思ったけど…生きてたから、慌ててお姉ちゃんを呼びに行ったんだよ」
「…生きてる? この人が…?」
 耳を疑いそうになる。タムタムは思わずつぶやいた。
 クレオの様子が変わったのは、その声で分かった。
「だって…分かるでしょ?お姉ちゃんなら。ボク、怖かったけど、おじいちゃんがしているみたいに、脈を調べてみたんだよ」
 タムタムは言われ、何とか手を伸ばした。そろそろと…触れて一瞬ためらったが。冷たい、力のない腕を取る。
 姿ではまるで、弛緩して見えたが、実際はかなり硬直していた。重い、手。しかし、
「………生きてる…」
 信じられない言葉を吐く。ひどく弱々しいが、脈動が指先に感じられる。ますます頭が、白で塗りつぶされるようだった。
「……」
 タムタムが腕をとったまま呆然としていると、それがひどく謎めいて見えたのだろう。
「……どうしたの、お姉ちゃん? 早く魔法をかけてあげてよ」
「魔法を…かける?」
 タムタムはピクリと動いた。頭を現実に、強く打ち付けられたようだ。だが、戻らない。
「…出来るでしょ? 昨日お姉ちゃんが、みんなにやってあげたみたいにだよ」
 クレオは不思議そうに、まるで当然と――。当然だ。クレオは知らない。何も知らない。
「――この人は…」
 タムタムは言いかけて、しかし思いとどまった。
 話して、どうなるというのだ?十歳にも満たない子供に。何を説明するのだ。ライナークを襲った、邪悪な黒魔龍の息子だと言うのか?話してそれで、どうなるというのだ。何がわかる?何が変わる?どうするのだ?見付けたこの少年は。自分は?
 ――ひどく混乱したままだ。実感する。取った腕を放した。
「……」
「どうしたのお姉ちゃん? 早くしないと…」
 クレオは心配そうに言うが。
「でも…だってこの人は…」
 ふいにそれでも言いかけたが、それ以上やはり、何も言えなかった。口をつぐむ。クレオはいよいよ、怪訝そうに、切羽詰った声を出した。
「ねえ、ほんとどうしちゃったのお姉ちゃん? 早くしないと、このお兄ちゃん死んじゃうよ…!?」
「……」
「お姉ちゃん!」
 クレオは悲痛な声をあげた。
「お姉ちゃん…人が死んだら悲しいでしょ、泣いちゃうでしょ…。ボク、泣いちゃうよぉ…」
「クレオ…」
 見上げれば、少年は顔をくしゃくしゃにしていた。
 タムタムは顔を落とす。何も考えていなかった、もはや、何も。
「お姉ちゃん…」
「…クレオ……人を」
 少年はその意味を、測りかねたようだった。
「…え?」
 その一言を聞いたとき、見上げた彼女の言葉は、一気に口を衝いて出た。
「人を…誰か人を呼んできて! 私一人じゃ運べないから…お願い!」
「う、うん!」
 クレオはすぐに駆け出して行った。タムタムはそれを少し見送って、彼に向き直った。
「……」
 よく見るが、変わったところはない。
 それからはもう、見る必要もなかった。目を閉じる。魔法をかけるための琥珀を、強く握る。後は何も考える必要はない。意識を集中させれば、何を考えることもなく、その力は解放されるのだから。

<3>

 村の診療所。小さな村に唯一ある、目立つこともない小さな木造の建物。間取りなどどいうものは考えられておらず、部屋といえば、一つを適当に区切っただけの、ごくニつ。
 彼女がいるここは、そのニつの内の、奥の方の部屋だった。手前の部屋――診察室に通じるドアと、そこから正面の位置に木窓がある、簡易かつ簡素な造り。
 使用頻度が低いのか、あるいは往診を主にしているのか――広さの関係もあるだろうが、手前の部屋にもニ台ほどしかなかった――こちら側に置かれたベッドは、たったの一台ほど。側には小さな木の棚があって、その上には花が飾られていない、やはり小さな花瓶が取残されたように乗っている。
 ものさびしい部屋には、ベッドが二つあって適度な空間と言えた。彼女には、妙に空疎な感じを受ける。ここは物足りないだけではない。ずっと、こうだったのだろうと思う。
 決して広く無い部屋の使用感はまるで皆無で、止まることのない時が、無価値の古さだけをこうして見せる。何もしないまま、色褪せている。蒼然とした、部屋だった。
 そこは、明るくはなかった。木窓は開け放たれているが、後ろの木々が茂っているせいか、差しこむ陽光は微弱なものだった。
 だから、青白く見えるわけではなかったが。何とは無しに…することがないから、離れることは出来ないから。ただ彼女はぼんやりと、ベッドからやや離れた椅子に座って、そこから見える顔を見つめていた。
 あれから――おそらく、三時間は過ぎただろうか。そろそろ四時間になるかもしれない。時間はあまり分からない。思えばそんな気が、彼女はするだけだった。本当のところは、既に五時間でも経っているかもしれない。だがそうなっていたところで、現実に大差ある変化などないだろうが。
 いや、あるとすれば――。リイム達が湖に着くのではないかと、それをにわか思いだす。しかし彼女はそのままで、音にならない嘆息をした。
 ここでは意味がない。考えたところで分からない事だった。あくまで予定であったものであり、現実はとっくの間に着いているのかもしれないし、まだ山道を歩いているのかもしれないし…それは、分からないことだ。
 分からないことばかりだ。見続けて、その通りだと思う。そして、彼女は考えることを止めにして、ぼんやりを続けた。
 …他に、見るものもなかったが。わざわざ横の方を見ても、後ろを見たとしても、面白いものなどない。気分が紛れるわけでもない。かと言って、目を閉じるつもりはまったくない。
 結局。そんなことは、出来なかった。本当は警戒している。その反面、そこまで気を使わなくても大丈夫とも、強くどこか思う。
「……」
 彼女は再度、嘆息を漏らした。
 前――些細な事で葛藤するぐらいなら、やはり逸らさない方がいい――息すらしていないように思える、静止された顔。
 ぼんやりを止める――彼女は一度、よく見やった。変わって、いなかったが。
 以来それに、変化は全く現われていない。死人のように。顔色もあいまって、尚更そう見える。だが実際は、そんなことはない。その顔は、硬直されたものではない。
 ――急遽、癒しの魔法をかけた後、村人に手伝ってもらいここまで運んだ。手前の部屋に今もいるはずの、スラー医師にも手伝ってもらい、一通りの処置を終えた。
 顕然としている。彼は確かに、生きている。
「……」
 口元が開きかけた。しかし閉じる。ひとり言など、彼女はそこで言うつもりはなかった。そう、虚しくなるだけだろう。
 …大体、一体何を言えばいいのだろう。それは彼女にとって、たとえ時が来ても、同じ事だったが。
 今この部屋には、途方もなくただ待つ彼女と、次第に時間が経過する彼しかいなかった。クレオは一緒に看たいと言ってきたが、彼女はそれを優しく――断わった。
 万が一、だった。何かあったときの、万が一だった。
 思って、自問する。何かあったときとは、何だ? ひどく馬鹿げている。相手が手負いだから、どうにかなるとでも思うのか。疑問でしかない。思えば実にそうなのだ。
 …つまり所詮は、たんなる気休めだと知っていた。口実だ。分かっている。その域は超えないことも。
 そして、可能性は否定できないが、そんなはずはない、と思う。強く思う。酷い状態だった。体力もひどく消耗しているはずだ。自分が癒したところで、おいそれと目覚めるものか――。
「……」
 もう考えることは止めよう。彼女はつかの間面を下げ、首を振った。それから、辛抱強く、再び顔を上げかけた。
「う……」
 たったその一瞬で、彼女は動揺した。ハッとする。息を呑み込む。
 判断は即座。自分ではない。自分以外の声だ。声とは、間違い無く彼の。
「……!」
 僅かな唸りだったが、彼女は座っている椅子から、腰を上げかけた。
 少なくとも、ニ日はさっきまでの状態が続くだろうと思っていた。まるで死んでいるような、深い状態が。
 ただの唸りであって欲しい――。そう思った彼女の見る前、彼の、閉じられていたスカッシュの瞳は、ゆっくりとだが開かれた。
「……」
 ぼんやりしている…。それだけはすぐに分かった。考えれば当然か。
 彼はまだ、なににも気付いていなかった。まだ、開いただけの事だった。その視界に映るはずの光景は、瞳で捉えていないのかもしれない。現を見ている様子はなく、夢から覚めやらぬそのような間で、彼はおそらくとどまっている。
 だが、もう起きている。後は変えられない。いずれそこからも、覚めるだろう。現実を直視した彼が、何を言うのかは分からない。
 まさか、驚くのだろう…か?
「もう、気がついたのね…」
 それは彼女自身驚くほど、静かに言えた。動揺などひとかけらも出ずに。
 思えば、何の事はない。漏れたのだ。ぼそりと。それだけ、出来ると分かっていたからか。何を言えば良いのか――その答えは、見つかっていないながらも。
 ただし、果たして彼に聞こえるのか分からない声が、出たぐらいだったが。
 だが、彼には届いたらしかった。ひどく明瞭だったのか。目が大きく見開いて、彼の首は横に向けられる。
 タムタムの脳裏を掠めたように、スカッシュは驚いていた。
「……タム…タム!? ぐっ! …う…う」
 驚いた勢いで起き上がりかけた彼だったが、直後苦痛に顔を歪め、深く頭をベッドにうずめこんだ。
「ひどかったから…」
 身体が悲鳴を上げるはずだ。傷と体力を、半々回復出来たぐらいか。それでなお、重体が何とか持ちなおしたぐらいだったか。
 はっきりその時の事は覚えていないが、いまだ重傷のはずだ。
「魔法はかけたけど……動ける状態じゃないわ…しばらく…」
 告げても、何も返らなかったが。
 痛みのせいだろう、目を細めたままでスカッシュは、天井を、上を見ていた。
 それは考えているのだろう。と、タムタムは思った。…彼は、痛みに苛まれてもだ。何かを考えている、無言のうちに。
 ほどなく、緩やかにだが、ちらりと視線で窺ってきた。先ほどの痛みはどの程度か分からないが、それでも落ちついたらしく、表情は戻っている。
 もう、驚いたものではない顔。しかし少しだけ、不思議そうな眼差しがあった。彼はそれを、言ってきた。
「…リイム…は? モーモーは…いないのか…?」
「……」
 まずはそんなこと――そんなところかと思ったが、タムタムは答えなかった。
「そうか……いないようだな」
 彼は問いを、自己完結した。沈黙から炯眼によりその正しい答えを導きだしたようだが、そこで彼も止まった。
 何も思わなかったことは、まさかありえないだろう。だから言うつもりだけがなく、内で思案しているはずの彼は、視線を上に戻して目を閉じた。が、直後、それはすぐに開いた。
「まさか……リイム達は…」
「今この場所に、いないだけ…」
 タムタムは言葉を続けさせなかった。スカッシュは聞くと、やはり必要の無くなった言葉を終えた。
 そしてまた、途絶えた。タムタムは彼に、やはり言う事がなかった。彼女は俯いているので、今は床が見えていた。もう、直接顔は見れなかった。
 沈黙だが――沈黙と、片言を交わすやり取り。そして沈黙。しかしそこには、ふたりだったのだ。ひとりが口を閉ざしたところで、場の沈黙は保たれはしない。
 スカッシュが、視線を向けていた。
「なぜ、黙っている…? 言いたいことがあるだろう…? …いくらでも言えばいい。…今なら…」
 弱々しい彼の言葉は、それでいて明らかに自嘲めく。こんなときですら。
 タムタムは顔を上げて、やっと気分が言いたくなった。
「たくさんあるわよ…たくさん…いくらでもあるわよ。……でも、今のあなたに言ったって…」
「ならなぜ…助けた?」
 問う視線に、タムタムは再び面を下げた。
「…俺が何者なのか……忘れるはずがないな? 何をしたのかもだ…」
「……何も。…何も、聞けなくなるでしょう…?」
 顔は、完全に上げられなかった。スカッシュが吐息を吐いた。
「聞きたいのか…? 何が、聞きたいんだ…?」
 彼の言葉は、疼いているだろう傷痍のために、力こそなかったが、淀みは感じられなかった。
 タムタムは再び、顔を下げた。
「……」
「どうした…? 問いただしたい事が、山ほどあるんじゃないのか…? …あるはずだ」
 視線がじっと、当てられているのが分かる。タムタムはそれをやっと見返して、ある胸中を答えた。
「あなたは、それに答えるの…? もし答えたとして…それは真実で…真意なの…? それが、欺くための言葉じゃないって保証は…」
 スカッシュは、目をにわかに側めた。
「蓋し至言だな。だが……それなら、お前の行為は矛盾だろう…?」
「……」
 返す言葉がない。その通りかもしれないと、彼女は思った。他に、あるだろうか。その通りだから自分は、行き詰まっている。…返せない…何もかも出来かねている…?
「…例えば前のように…仕組まれた謀計とは、思わなかったのか…?」
 スカッシュが、逸らしたまま――上を向いて言ってきた。
「一瞬だけ…思ったわ。でも…でもそうだったとしたら…」
 考える。あのような場所で――氾濫の後で人など来ない、来るはずもない場所で、わざわざ瀕死になって倒れていてどうなる? 
 見つかったのは恐ろしく運が良かったのだ。これは、そうだと。
「そうよ、自殺行為じゃない…」
 それから彼の吐息は、聞こえよがしの溜息だった。含まれている意味が多い、とくに重い吐息。呆れているのか、嘲笑っているのか、失望しているのか…どれも、明確なものは決してないが。
「おそらく、リイム達も以前のままだろうな…」
 何か含んでいる――そんな話し方だった。奥歯に物がはさまったように。何を彼は思ったのか――しかし、どうしてそうなるのか。
「それが、何よ…」
 タムタムはスカッシュを、睨み気味に言った。見てはいないが、分かっているはずだ――彼は再度、上を向いたままで、長い溜息を吐いて見せた。
「相手が虫の息だからといって、大丈夫だと…高を括るのは誤った判断だ…。甘い…。そうだろう…?」
 その言いぐさに、一瞬タムタムは言葉を失いかけた。が、強く言う。否定する。
「何言うのよ……話すことだって、辛いはずよ…!」
「確かに…辛いな」
 彼は実にあっさりと、肯定した。しかし、相変わらず上だけを見ていた。
 タムタムは睨み据えながら、震える声で言い出した。
「…あなたに……何があったのかは…知らないわよ…」
 変化に気づいたのか、スカッシュはゆっくり見てきた。
 タムタムはそれから考えるまでもなく、堰を切るように言葉が続いた。
「あなた…自分がどんな状態だったか分かる?」
「……」
「今朝…クレオが呼ぶから、何かと思って行ってみれば…あなただった。正直に言えば、動転したわよ。それに初め見たときは、ぼろか何かだと思ったわ。めちゃくちゃだった。まず魔法をかけてここに連れ込んだけど、見れば喉が潰れた後があったし、全身あざだらけで、とにかく傷が多くて…大量に失血して、どこか骨折だってしていたはずだわ。全然動かなかったわけよね。意識なんかなくて…当然だわ、そんな傷を負っていたんだもの。本当は分かっていないんだわ、瀕死の瀕死だったなんて! 血のけのない死人のような顔色で、岩か何かに隠れているようなあなたはもう…」
「死ぬと、思ったんだな…?」
「……。死んでるんじゃないかと、思っただけ…」
 タムタムは語気を弱めた。
 スカッシュはまた上を向いた。そして、目を閉じた。タムタムは、その彼に続けた。
「第一……あなたが…生きてるはず、ないじゃない…」
 そう、生きているのが不思議なのだ。彼はリイムに、倒されたから。
 どうして生きているのか――。
 タムタムが自らの言葉を追い、やっとそこを思考したところだった。
「――不安だった」
「え…」
 突然だった。スカッシュは目を開いた。
「そのとおりだ」
 彼はそう言うと、止まることも無く簡単にベッドから身を起こした。
 タムタムは椅子から腰を跳ね上げた。
「…そ、そんな…!? もう起上がれるなんて…」
 スカッシュは無言で一瞥を返してくると、さらに躊躇なく足を床に下ろして、ベッドからゆっくり、立ちあがってまで見せた。
「なっ…!?」
 ガタッっと、その場に音が鳴った。タムタムが下がった拍子に、引っ掛って倒れた椅子。
 彼は、そんなものは見ないが。
「…考えていただろう?こうなることを。…当たりだな」
「……」
 タムタムはさらに、後ろへ下がった。しかしそこにはもう、無慈悲な固い壁があった。
「迂闊なんだ…。俺は、お前達とは違う…。だが、お前は考えたはずだ…」
 言いながら。小さく半歩、スカッシュは前に出た。
「……!」
 今は彼の顔から、タムタムは視線を全く逸らせなかった。
 信じられないこと――驚愕に打ち勝つことが出来ない。考えていたのに、考えられないこと。考えていたのに、何も出来ない。まさしく油断していたから――?
「言葉も出ないか…? 前も、そうだったか」
 タムタムは壁に両手をつけた。彼は一方的に言った。
「お前も甘い…。真っ先に俺を疑って…苦い思いをしても、懲りない」
 それからスカッシュはまた、半歩でた。
 タムタムは必死に、彼の考えられる状態を反芻した。
 頸部から腹部、腕は下膊部まで、上半身はほぼ全体が包帯によって覆われている。それだけ酷い状態――酷い状態、だった。魔法をかけてすら癒されなかった、見るも痛ましかったおびただしい傷口は、まだ残っているはず。動けるはずがない――動けるはずが、なかった。だが彼は起き上り、立ちあがった。そして歩いている。
 ――とても信じられない。
 しかし、それを確かに考えていた自分はいた――なのに、何も出来ないのは。
「…疑うなら、最後の最後まで疑っておくべきだったな。…お前もお人よしだ。お前は…お人よしだな」
 彼は僅かにそこで、微苦笑したように見えた。
「――あなたは…! あなたは、今度は何をしようとしているの。また、ゲザガインを…」
 無意識に口走っていた。止まったように見えた彼は、答えないかと思ったが。
「……。もう遅い」
 それがどんな意味か、タムタムは掴みかねた。どうとでも取れる言葉でもあった。
「遅い…? …!」
 スカッシュがさらに、距離を縮める。だがそのときに横で、ガチャリと音がした。
「…タムタムさんや。クレオがのう、外でしょげておるんじゃよ。やはり一緒に看たいようで……ん?」
 向こうから、こちらにかけて。ドアを半ば開け、半身を出したスラーは止まった。
 めったに使われることも無い部屋だ。普段は、開け放たれたままだったかもしれない、色褪せたドア。たった二つしかない部屋を繋ぐそこに、鍵などなかった。利用はせいぜい、村の者ぐらい。遠慮もない関係だろう。何より彼は、ここの主。いちいち確認をとったことがあるのかは――。
 スカッシュを見て、ノックも無しに顔を覗かせた老医師は、目を皿のようにして驚いていた。
「…なんで……あんた…立っとるんじゃ…?」
「スラー先生…」
「いや、信じられんの…。タムタムさんが癒したとはいえ、それでもまだ重傷じゃったぞ…」
 スラーは半ば感心するような様子で、それでもやはり驚きを隠せないようにつぶやいた。
「…死ななかったさ。放っておいても…俺は死ななかった」
 彼はまたそこで、突然言った。
 タムタムは、一時スラーに逸れかけていた視線を戻す。
「真実だ。他に偽りのない」
「……」
 言質とでも、言いたいのか。彼はじっと見返してきた。
 しかし、僅か緩む。どこがどのようにそうなったかは分からないが、そう彼女は思った。
「だが…お前の魔法はよく効くよ」
「えっ」
 ――刹那だった。彼の姿が、まるで嘘のように掻き消えたのは。
「なっ…き、消えおったぞ!? これは一体…どうなっとるんじゃ…? 夢か…? あ、タムタムさん、どうしたんじゃ!」
 何もかも解けて、身体が一切の支えを失ったのだと。固い床にくず折れた時点で、彼女は気付いた。
「…私は……」
 力は入らなかった。視界も――視点が定まっていない。ぼやけて見えた。
 だから彼女は、そこまで来るまで、騒がしい足音には気づかなかった。
「――おじいちゃん! お姉ちゃん! 大変だよ!」
 クレオが部屋に入って来て叫んだ。そして別の声が、間髪入れずに続いた。
「僧侶殿! 大変なのです! お願いです、どうか力を貸して下さい!」
 若い青年の声だった。逼迫した様子であるのは、見ていなくともすぐ分かった。
「どうしたんじゃ? 何かあったのか!?」
「それが私達の町が……! 隣町です、突然魔物に襲われて、何とか追い払ったのですが、怪我人が大勢でて…」
「魔物に襲われたじゃと? …なんと言うことじゃ……」
「…この村へ来ていて、早朝に戻ってきた者から聞いたのです。僧侶殿、どうか私達の町へ来てください!」
 絶句したスラーから、声の向けられる方向が変わった事に、彼女は気づいた。しかしまだ、顔は上げられなかった。
「…事情は、あいわかった」
 スラー医師。次に何を言うのか――彼女は大まかに察しが付いた。顔を上げる。
「じゃがのう、タムタムさんは昨日から…」
「…わかりました」
 タムタムは答えて、立ちあがった。スラー医師は驚いたように振り返って来た。
「…タムタムさん!」
 青年の顔だけを視界に入れて、タムタムは言った。
「私…行きます。…案内してください」
「はい、もちろんです」
 その間に、スラー医師が入ってきた。首を軽く左右に振る。
「タムタムさん…いかん。あんたは昨日から一睡もしとらんのじゃぞ…いくら若いとはいえ、立て続けに魔法を使ったら…」
 タムタムは老医師をようやく見た。
「スラー先生。…お願いがあります」
「…なんじゃ?」
「リイム達が…勇者軍が私のいない間に戻ってきたら、事情を伝えてもらいたいのです…。それと……スカッシュにあったと…」
 スラーは、一拍置いた。顔色こそ変えはしなかったが。
「あの若者と、知り合いじゃったのか?」
「……」
 ただ、彼女は見返した。スラー医師は頷いた。
「…わかった。伝えておこう。じゃがタムタムさんや…くれぐれも、無理は慎みなされ」
 軽く頭を下げる。後は青年に視線を送った。
「ありがとうございます…。行きましょう」
「はい」
 歩き出す青年の後に、彼女は無言で続き、そして部屋を出た。

 一気にがらんどうと化した。自分達はたとえ居ても同じ。彼女達は、出ていった。
 スラーは僧侶の少女の事が気になって、しばらく開け放たれたドアから視線を外せなかった。
 何か一線、越えた…抜けてしまったような顔だった。本当に行かせて良かったのだろうかと、彼は徐々に思ってきた。
「ねえねえ、おじいちゃん。どうなってるの?」
 下を見やれば、孫のクレオが白衣の袖を引っ張っていた。
「お姉ちゃんはいっちゃったし、それにあのお兄ちゃんはいないし…どうなってるの?」
 スラーは不思議がる孫を、複雑な目で見つめるのみだった。

<4>

 湖へ続く山道は、かなり険しかった。道はまともではなく細ければ、剥き出しの岩や木がたびたび歩行の妨げとなる。そして、夜間になってからは雨も降ったため、無理をして進んでも状況の悪化を招きかねないとの判断から、進行は一時中断した。そのときについでながら必要な休息も入れ、ようやくリイム達が目的の場所に着いたのは、結局村長が言った通り、ほぼ一日後のこととなった。日が、かなり高い。
「やー…驚きだね…」
 ロビーとジョージが呆然とする。
「んー…ビックリだね…」
 そこ自体は静かなものだった。生き物の動きすらない。鳥の声、虫の音すら聞こえない。逃げたのだろうということは、一目で分かったが。湖は確かに、存在はしていた。おそらく、昨日の朝方まで。
 湛えられているはずの霊水は、無かった。代わりにくぼんだ湖の底面が、それに隔てられずあらわとなっているだけ。片隅に無残にも崩壊した、荒々しい姿を残して。
 モーモーは山腹の高みにあって、崖状になったそこから下瞰した。木々がなぎ倒され、削られた地肌が覗く有り様が、下に向かって長く続いている。一通り見やってから、元に視線を戻した。リイムに。
「すげえな。吹っ飛んでるモー」
「それで、湖の水が一気に流れ出たのか…。一体何があったんだろう…」
「分からねえが…ま、アレに関係あるんじゃねえのか…?」
 モーモーが肩越しに振り向いた先には、奥に白い建造物。枯れた湖底から高くせり出している、幾つもの円柱で支えられた、いかにもらしい神殿が構えていた。
「アレが、例の神殿だよな…。こんなのを見た後じゃあ、静か過ぎるとなんか不気味だモー」
「うん。特に気配は感じないけど…とにかく、行ってみよう」
 リイム達は止まっていた足を、神殿に向けた。

 神殿には飾りめいた物は皆無で、地下へ続く階段がひとつだけあった。彼等は躊躇なくそれを下り、さらなる奥へ侵入していた。
 内部は高さもあり、並ぶ円柱と周りに澄んだ水が湛えられた、見た目に美しく、整然とした造りになっていた。地下であり、灯りなどの光源はないのだが、不思議とそこはやや薄暗い程度で保たれている。そして、依然として何者の気配を感じることも無く、ただひっそりとしていた。
「…変だね」
 前を歩きながら、リイムがポツリと言った。
 それに、モーモーが止まる。続いてジョージとロビーも止まった。リイム自身も止まる。
「…やっぱり…そう思うか? 俺も、何か変だと思ってきたんだ…」
 モーモーは辺りを見る。
 静寂な部屋。水はそこにあるのみで流れるものではなく、音は無い。さらに誰もが停止したので、微かな足音をも絶えた。
「実はさ、僕も変だなぁと思ったよ…」
 ジョージ。ロビーも首を傾げた。
「うん、やっぱり変かと思う。だって…ずっとこんなだよね」
 階段を下って進んで以来、ずっと変わらない光景だ。誰もが慎重に進み、気を配って確認していたからよく分かる。何一つ変わらない。
「ああ…それに、ずっとこうやって真っ直ぐ歩いてるしな…」
 同意するモーモー。入ってきた闇と、出て行く方向の闇の口を、それぞれ見やる。
「いいかげん、三十分は経つんじゃねえか…? ここには角とか分かれ道とか…ないのかモー」
 ロビーは飽き飽きとした表情で頷く。
「そうだよねぇ。僕、今まで、こんなに真っ直ぐな遺跡や建物には入ったことがないよ。…いくらなんでも、長すぎやしない?」
 何より変化の無いそこで、彼等が変化に気づいたのはそれだった。
 節目こそあったものの、リイム達はずっと、直進しかしていなかった。
「…どうするリイム? 戻ってみるか…?」
 モーモーの、そしてロビーとジョージの視線がリイムに集まる。
 彼は、しばし置いた後、頷いた。
「よし、戻ってみよう。…少し、急いだほうが良いかもしれない」
 彼等も、頷いた。

「くそ…当たりだな、こりゃ」
 モーモーがつぶやいて小走りの足を止めたのは、リイム達が来た道を戻ってから、ゆうに二十分は過ぎた頃だった。
 彼等は再び止まった。変わらない場所で。両側にある、入口、出口。水の中に立ち並ぶ柱――。
「…何で階段がないんだよぉ。戻っても戻っても」
 ロビーが嘆くような声をあげる。
「絶対、歩いた以上に戻ってるよ…ボク達。何でないのさ…!」
 座りこんで、石床をぺちぺち叩いた彼。不安と一緒に、いらいらも募ったらしい。側に、何も言わなかったがジョージも座りこんだ。リイムの顔は、険しくなった。
 戻る前の僅かながらの不安が、現実となった…。
「やっぱり…ここは、ループしているのか?」
 延々と同じ場所を巡る。長い通路を歩いていたわけではなく、その現象下に置かれているとすれば――。出口も無ければ、入り口も無いだろう。
 モーモーも苦々しく唸った。
「手を出してこないのは、つまりこういう事ってわけかよ…。どうすりゃ出られるんだ…?」
 リイムはしばし黙考したが、
「…もし、空間が繋がっているとしたら…原因があると思う」
 視線が集まった。
「…何かの力が、ここに働いているんだと思う。…それを、打ち消す事が出来れば……?」
 つぶやきながら、彼は自分の腰元を見た。帯剣が、何か一瞬、震えたような気がしたのだ。
「リイム、どうしたんだモー?」
「ガラバーニュが……」
 答えながら、リイムはその剣の柄に手をかけた。
 ガラバーニュ。太古、ラクナマイト大陸を支配していた混沌の龍を、唯一打ち破った伝説の武器。ライナーク王国の歴史を最初に語りながら、長らくその存在自体を隠匿され、洞窟内に封印されていた破滅の魔剣。
 復活した混沌の龍――カオスドラゴンを討つために、その剣は再び人の世に現われた。そして、手にしたのがリイムだった。
「何か変だ…」
 それから彼は、ガラバーニュをゆっくり引き抜いた。するとその刃が淡く、青白く光っていた。
「…どうしたんだろう? …うわっ!?」
 誰もがその光を不思議そうに見ていれば、突然ガラバーニュは強く輝いた。一瞬。
「な…一体、何だったんだモー…?」
『――うわあでごじゃるー!!!』
「へっ?」
 光輝にゆっくり驚いているヒマは、彼等に無かった。
 上方からの叫び――見上げるのが精一杯。降ってくるそれに、身をかわす間もあらばこそ。
『う、うわあああっ!?』
 彼等の絶叫が見事に重なった瞬間、鈍い音と振動が、神殿内に大きく響いた。
「うっ…あいたたた…。ここは……どこでおじゃるか…」
 リイム達をなぎ倒し、降ってきたそれが、まず最初に動いた。ターバンを頭に巻き付けた、かなりずんぐりした体形の人物。周りを見渡して、倒れている複数に気づいたらしい。立ち上がり取り乱した様子で言った。
「リ…リイム殿!? それにモーモー殿も! 一体どうしたでおじゃるか!? しっかり! しっかりするでごじゃるっ!」
「いや…。つっ…アラビア…お前が突然降ってきたんで、ぶつかったんだろ…」
 モーモーは上半身を起こし、しかめっ面で頭部をさすった。
「そ、そうだったでおじゃるか…。申し訳ないでごじゃる…」
 言葉の通り、そのアラビアと呼ばれた人物は、縮こまった。
 そこでリイムも上半身を持ち上げる。他の面々も軽く頭を振りつつ、のろのろと起上がる。
 ジョージはふらふらと、しかし完全に振り払うように、ぶんぶん頭を振ってから、
「いやもー、二度ビックリだね…」
「だね…」
 ロビーも同様にして、一言続けた。
 リイムもやはり頭を振ってから、アラビアを見上げて尋ねた。
「でもアラビア……どうして君が突然…」
「えっ? アラビアは、呼ばれたからここにきたでおじゃるよ…」
「呼ばれた? あ、さっきガラバーニュが光ったけど…それでかい?」
 すぐ近くに落ちている、ガラバーニュを引き寄せる。アラビアは目で追ってから、静かに彼へ頷いた。
「そう、アラビアは今も剣の魔人…ガラバーニュの魔人でごじゃる…」
 アラビアは剣に宿り、その剣を守護していた魔人だった。リイムが魔界の竜の洞窟で、そしてガラバーニュが封印されていたソドムの洞窟で、それぞれ眠る剣を手にしたときに、彼は守護者として現われたのだ。
 リイム達とは共に戦った仲間でもあり、数年前からの顔見知り。モーモーはすぐに気を取りなおして、立ち上がると親しげに話しかけた。
「ってことは…まだ新しい剣は見つけてないのか? どこにいってたんだモー?」
「新しい剣は見つけていないでごじゃる。アラビアは宿りし剣ガラバーニュと、いつも共にあるでごじゃるよ…」
「じゃあ、ずっとガラバーニュの中にいたのかよ?」
「アラビアは、主を得た剣には入らないでごじゃる。そう、決めているでごじゃる…」
「え〜っと、じゃあ…」
「――モーモー。とりあえず、そういう話しは後にしよう」
「…ああ、そうだモー」
 モーモーのアラビアへの質問攻めは、すぐに止まった。
 それから、立ちあがり話しへ割って入ったリイムは、ガラバーニュを鞘に収めると、アラビアに向き直った。
「アラビア。僕達はずっとこの場所を巡っていて、出られなかったんだ…。たぶん、何かの力が働いていて…。抜け出す方法を知らないかい?」
 アラビアは即答してきた。
「それならきっと、ガラバーニュが光った時点で解けているでごじゃる。ガラバーニュに破れないものは、無いでおじゃるよ」
「そうか。なら行こう」
 リイムは皆に頷いた。モーモーが胸の前で拳を握る。
「よし、行くか!」
「アラビアも、行くでごじゃる。…良いでおじゃるか?」
 言ってきたアラビアに、当然彼等は肯定した。
「もちろんだよ、アラビア」

 そこには既に、先客がいた。リイムはその後姿を見るなり、思わず叫んでいた。
「――蒼月!? どうしてあなたがここに!」
「勇者リイムか…!」
 蒼い人狼が、肩越しに振り向いた。
 天井が一段と高くなり、ようやくリイム達が開けた場所に辿りついたのは、僅か五分後の事だった。再奥と思しきそこには、かつて刃を交えたこともある、蒼月とその配下の者達が数名いた。
 そして、まさに彼等が対峙している前――階段があり、数段高くなった位置には、黒い人影。それもそのはずで、漆黒の色のローブを纏っている。
「誰だ…?」
 リイム達は見やって、その風体に少なからず警戒心を呼び起こした。
「ククク…辿りついたのか」
 黒い人物。声からして、少年ではない男。フードの隙間からは、まだ若いと思える鼻梁と頤、明らかに冷笑を浮かべる口元が見えた。
 モーモーが数歩、疑わしい表情で歩み寄る。
「誰だモー? お前がまさか…上位精霊のウンディーネなのか?」
「そうか。ウンディーネに会いに来たのか」
 男は軽く言うと、右腕をゆるりと動かし、肩口の高さで手のひらを上に向けた。そこへ、拳大ほどの、宙に浮く青い球体が現われる。見せ付けるように、やや前に出した。
「これがウンディーネだ」
「…!?」
 リイム達が驚く前、男は次に左腕を動かし、やや下の位置でやはり手のひらを上に向け、
「そしてこれは、サラマンダーだ」
 赤い球体を出現させる。
 モーモーは悠然と構えた男を、睨み据えて怒鳴った。
「てめえ…何モンだモー!」
「ククククク…分かるはずも無いか」
 まるで小馬鹿にする口調だった。男は冷笑を強める。
 フードと影に遮られて、目線はわかるはずもないのだが、それでもリイムは自分に視線が注がれた事を感知した。
「…フム。そこの小僧は、先ほど人狼が言ったな…リイムと。しかし私は、お前の名前も知っているぞ…モーモー」
「なっ…!?」
 モーモーが絶句する。それを低く笑いながら、男はさらに影の奥で視線を変え、言った。
「そして…そうそう、そこのお前はアラビア…だったな。ククク…剣の魔人だったか?」
「…!?」
 アラビアは目を見張って、半歩下がった。リイムは、不気味な男を睨み付けた。
「何で僕達の名前を知っているんだ!」
 黒いフードが揺れる。小刻みに。声も無く、笑っているのだろう。ひどくおかしいといったふうに、
「私が覚えているからだよ…小僧。しかしこれは…久しぶりの再会とは言いがたいか」
「――誰なんだ!」
 リイムが嬲る調子に声を張り上げたが、男はその態度を一切変えず、ただゆっくりとそれに答えた。口の端を、ひどく曲げて。
「…ゲザガイン。黒魔龍ゲザガインだ」
 リイムは一瞬、言葉を失った。
「…ゲザガイン!? そんな…!?」
 二度も自らの手で倒した、黒魔龍ゲザガイン。男はそう名乗った。しかし――。
 アラビアが慄然とした様子で、さらに下がった。
「まさか……まさか…復活したで…おじゃるか…?」
「そんな、そんな馬鹿な!」
 男に、周りに、否定するように叫ぶ。そんなはずがない――。リイムはその男など知らない。彼の知ったゲザガインとは違う。
「フフフ…」
 男は静かに佇み、フードの隙間から明らかな嘲笑を浮かべた。そしてほぼ同時、周りに浮いていた二色の球体が忽然と消える。
「さて…話はここまでだ。私は次を探さなくてはならないからな」
 そう男が告げた直後、異変は起こった。地響きのような音と共に、そこが震え出す。
「…? 地震!?」
「主の力途絶えた後、今まで支えていたこの私も、その力を止めたのでな…この神殿はじきに消える。言っておくが、ここはラクナマイトとは違う次元に存在している。もし逃げ遅れた場合、永遠に戻れなくなるぞ…クククク」
「…くっ!」
 男はそれから、蒼月に視線を向けた。
「蒼き人狼よ。最後にひとつ、問いに答えてやろう。お前の探している存在は、おそらく付近にいるはずだ。…どうも分別がないようだからな、近くに村でもあれば、襲っているのではないか?」
「…襲う!?」
 リイムは思わず声をあげた。悪い予感が胸中に走った。
 男は声を上げ、大きく笑う。
「ハハハハハッ! …さあ、出でよ水の精ども! 侵入者を生かして、この神殿より逃すな…!」
 姿が、刹那消えた。それから次々とその場に、命を受けた者――水滴の形をした水の精が現われる。
 リイムは一瞥すると、判断し、すぐさま言い放った。
「みんな、すぐにここから脱出する! 水の精を相手取るのは極力避けて、とにかく急いで戻るんだ。――蒼月!」
 呼びかけた先の人狼は、黒装束の配下へ静かに言っていた。
「各個この神殿から脱出せよ。変更は何も無い。…散会」
 その言葉の後、黒装束の者達は各自動いた。素早い動作で、あっという間に場を去っていく。そして、残った彼自身は視線を返し、
「…勇者よ。生き延びた後に、機会があればまた会いましょう」
 一瞬でその場から消えた。彼はまるで、疾風のように素早かった。
「さすがに早いな…」
 つぶやきつつ、リイムも動いた。時間が無い。
「さあ、僕達も行くぞ、みんな!」
 彼等は急ぎ神殿を離れるため、水の精が現われる中、一斉にそこから駆け出した。

<5>

 日頃実戦、自己鍛錬で鍛えられている彼等でも、さすがに息があがった。呼吸を整えることがまず先決であり、しばらく誰も言葉を発しなかった。
 執拗に現われ、追ってくる水の精の攻撃をかわしながら、終始全力で神殿内部を走りぬいた。――そして、一人も欠ける事は無かった。
 今は各々、無言で徐々に消えゆく神殿を見ている。くぼ地の中に立つその神殿は、薄っすらと希薄な存在になっていた。陽炎のように揺らめいて、幻だったかのように、ゆっくり消えていく。
 数分。モーモーがやがて、大きく吐息した。
「はあ……。何とか無事に出られたな…。お、いよいよ完全に消えるみたいだぜ…」
 急速に色が失せていく。半透明の建物は、それから見る間に透明と化した。――消滅した。彼等はやっとそこから、視線を外す。呼吸ももう落ち着いた。
「…蒼月達は無事かな」
 ポツリとリイムは思った。ここに姿は無い。よって、彼等の安否は掴めないが。
 モーモーは、顎をしゃくる仕草。
「ま、みんな手練だ。きっと無事だモー。中で倒れてる奴も見てねえし…」
「うん、そうだね」
 まさしく考えればそうだろうと、彼は思った。あれしきで終わるとは、さすがに思えない。きっと既に、山を下りているのだろう、素早い彼等は。
「ああ〜…とにかく。ちょっとヤバイかなって思ったよ、僕は…。疲れたね…」
 ロビーから、長い吐息が吐かれる。
「うん…。それに、熱いねぇ…」
 頷くジョージなどは、自らの翼で扇いでいる。
「水かけられたけど、熱いね熱い……コケッ!?」
 と、彼はいきなり飛びあがった。その変化に、周りは察する。いち早く、モーモーが構えた。
「しつこく追ってきやがったのか!」
 彼等の視線の先に、一体の水の精。いつのまにか、側にいた。
「だが、もう逃げる必要はないモー! 俺が相手になってやる!」
 飛び出ようとした彼だったが、しかしリイムの出した手によって、すんでに制された。
「ちょっとまって、モーモー」
「なんだよ、リイム…?」
 威勢を削がれ、彼は怪訝そうに尋ねるが、リイムはじっと水の精を見ていた。そのままで、静かに言う。
「…この水の精、敵意が無いみたいだ」
「えっ? そうなのかモー?」
 モーモーも水の精を見るが、確かに、襲っては来ない。来る気配も無い。
 リイムはその水の精の前へ、構えることなくゆっくり近づいた。
「…君は、僕達に何の用なんだい?」
 水の精はしばらく無言だった。やはり動こうともしない。だが、そのままでリイムが待っていると、か細く答えた。
「…私……ウンディーネ…です」
「えっ?」
 微かで、しかも途切れ途切れの声。リイムはさらに近づいて、片膝をついて屈みこんだ。
「…ウンディーネ?」
 彼の声に、モーモー達もリイムの側に駆け寄った。
「シルフとノームを…どうか…。もし…力…途絶えれば……大変なことに…。封印が……で…す…精霊…かがみには……りゅう…が………おね…が………」
 水の精の言葉は、ほどんど話さない間に、聞き取れなくなった。リイムはさらに屈みこむが、
「りゅうが…龍? あっ…」
 目の前で、水の精が崩れた。水の如く地に触れたそれは、染み渡り吸いこまれ、消える。
「…消えちまったな」
 跡を見つめるモーモーのつぶやきに、リイムは無言で立ちあがった。
「リイム殿…。どうするで…おじゃるか…」
 背後から尋ねるアラビアに、リイムはややあってから振りかえった。するべき事――。
「お城へ戻って報告しないといけない…。それに、あの男が言っていたことも気になる。村が、タムタムが心配だ。とにかくまずは、村へ急いで戻ろう」

<6>

 薄暗くなってきた…。タムタムは処置を施していた手を止めて、面をふと上げたときに気がついた。
 周囲の、通風、採光用の窓から入ってくる光が無い――むしろ今度はそこから、夜の予兆が徐々に忍び込んで来る。既に、夕方か。人々が次々とやって来る広めの室内で、彼女は思った。
 たぶん、この町にやって来たのは昼をとっくに過ぎていた。まだ、数時間経ったぐらいだろう。しかし連れ込まれるほどひどい怪我人は、ほぼいなくなったはずだ。今は自力で歩ける軽傷の人々を手当てしている。騒がしさも多少は落ち着いてきた気がする。夜になる頃には、何とか終わるかもしれない。町には他に数名医師がいるから、たとえ負傷者の人数が多くても可能だろう。もう少しだ。後少しのこと――。
 思考が目まぐるしく働いた。同時、指先も動いていたが。
 慣れているから、考えなくても適切な処置は出来る。深く考えこむ必要は無い。傷を見て、手当てする。それを行う。今は考えている暇は無い。
「あなた、大丈夫ですか?」
「…?」
 突然間近で聞こえた女性の声に、タムタムは横を向いた。
 多少薄暗くはなっていたが、その人物の姿は良く見えた。白い法衣を着ているので、その白さがここでは目立つ。しかしそれ以上に目を引いたのは、容貌全てだった。歳は二十歳ぐらいか。細部まで細工されたかのような、均整のとれた顔立。双眸は翠玉で、髪はゆるいウェーブがかかった、腰元近くまである長いブロンド。
 明らかに異彩を放っていた。同性のタムタムでも、しばらくその姿に魅入ったほど。
 しかし彼女は、我に返った。女性がこちらを見つめているのに、気がついたから。先ほど聞こえた声は、この人物に違いない。ただ意味が、分からなかったが。
「あ、あの…」
 戸惑いながら声をかけると、女性はやんわりと微笑んだ。
「…私は、紛れも無くあなたに言ったのですよ」
「私に…ですか…?」
「ええ。見るところ、顔色が悪いですよ。無理をせず、休まれてはどうですか?」
 言われて一瞬、タムタムは言葉が出なくなった気がした。だから返すのに、間が開いた。随分と時間がかかった気もしたが、首をとにかく横に振る。
「私……。あの、平気です、私。…怪我を負った人はまだいますから、全て終わるまで休むわけには…。…?」
 言葉を続けかけたが、途切れていることにはたと気づいた。…いや、間があった?
 タムタムは無意識のうちに、女性の顔を確認した。だが、一気に暗くなって、その美しい顔が見えなくなってしまった。
「あ…」
 ――声が、洩れる。その自らの声を聞いて、タムタムは最後、意識が薄れて行くのを自覚した。

 どういう事か、明るかった。…薄暗かったはずなのに。そう、記憶では薄暗かった。暗くなるのならともかく、明るいのはどうしてだろう?
 意識の食い違いに気づいたとき、タムタムは身を起こした。
「…? 私…」
 起こした…今はベッドの上にいる。見れば、部屋も記憶と食い違う。もっと広かったはず。このような個室のように狭い部屋に、いなかったはず。ここは――。
「…お目覚めですね。調子はどうです?」
 聞き覚えのある女性の声に、タムタムは思考を中断して、そちらを向いた。
「あ…あなたは…」
 どうなろうと見間違えることの無い、鮮やかなる顔。記憶のあるその顔に触発されてか、彼女はまざまざと自分の身に何が起こったのか、一辺に思い出した。失態に、思わず俯いてしまう。
「私……倒れたんですね…」
「無理をするからです。聞きましたよ、あなたのこと…」
 美しい女性は、少々咎めるように言ってきた。
「昨日とおとといの連日、間に睡眠も取らず動いていたそうですね。隣村でも魔法を使い、休息もろくに取っていないまま、この町でも魔法を使って…。極度に疲労した状態で、さらに魔法を使うなんて…倒れるに決まっています。分かるはずですが…」
 頭を下げるしかない。その通りだった。
「すみません。大変…ご迷惑をおかけして…。助けに来たはずの私が…倒れてしまうなんて……あっ、怪我を負った人達は!?」
 ハッとして尋ねると、女性は微笑んだ。いや、苦笑だろうか。
「私が引き受けましたから、ご心配なく。負傷者の処置はもう、昨日のうちに全て終えました。後のことは、この町の方々に任せて大丈夫です。皆さん、あなたには大変感謝していらっしゃいますよ。だから、安心しておやすみなさい」
 タムタムは女性の答えに、まず疑問を抱いた。
「あの、引き受けたって……あなたは…? それに町の人じゃあ、ないんですか?」
「私は…そうですね、この場合、こう言ったほうが良いでしょうね。あなたと同じ、癒しの力をもった僧侶です」
「僧侶…!」
 少なからず、その言葉に彼女は驚いた。そもそも魔法を使う琥珀使いの中でも、癒しの力を解放できる者は少ない。
 タムタムの様子には構わず、女性は先を続けた。
「実は私も、怪我を負った方々を看ていたのですよ。この町に立ち寄れば、事態が起こった後だったのです。ただ、私が担当した先は早めに処置がすみまして、一番患者の多いあなたのところへ手伝いにきたら…。その後は、お分かりですね?」
「…そうだったんですか。でも…あの、失礼ですけど…ライナークの外からこられたんですよね…?」
 女性はそれに、気を悪くしたような様子は無かった。ただし、しっかり聞いてきた。
「ええ。ですが、なぜそう思ったのですか?」
 顔を見て、少しためらったが。
「それは…その、あなたのような綺麗な人がライナークにいる僧侶だったら、すぐに噂が立ってるんじゃないかと思って……」
 女性は見れば見るほど、とても美しい人だった。王女や、貴族の息女といっても、全く疑いを抱かないぐらいの。それに、仕草もどことなくたおやかで優しく、何か上品な感じがする。服装は飾り気が少なく、ただの白い法衣なのだが、これをドレスにでも替えれば、今以上に美しさが引き立つだろう。
「…あの、気を悪くされたのなら、すみません。変なこと言ってしまって…」
「いいえ。ありがとう。気を悪くなどしていませんよ。…ところで、私もひとつ聞いてもよろしいですか?」
「はい。なんでしょうか?」
 タムタムはそれに、何気なく即応した。しかし次の問いには、顔が知らず強張った。
「あなたはなぜ、こうも無理をするまで動いていたのですか?」
 一瞬、言葉を詰まらせた。タムタムは顔がたちまち直視できなくなり、女性の瞳から、視線をやや逸らす。
「どういう、ことでしょうか…? 私はただ、怪我をした人達を助けないといけないって、そう思って…」
「そうですか。…私はあの時、しばらくあなたのひたすらな…一心の姿を見て、どこかそれ以外の…そうですね、無理にそうしているような。そんな感じを受けたものですから」
「……」
 顔を俯けるしか出来なかった。女性はすぐに言ってきた。
「たとえ何かあったとしても、答える必要は、もちろんありませんよ。私もあなたとは会ったばかりだというのに、失礼なことを聞きましたね…。流してください」
「…あなたも僧侶なら、沢山の人々を癒してきたと思います」
 終えようとした女性の言葉を聞きながらも、それはいつのまにか出ていた。たぶん、考えてはいなかったが。
「……」
 タムタムは少し俯きながら、横目で女性を見た。それから自分が呆然とつぶやき出すのを、自分の耳でぼんやり聞いた。
「その中に…嫌いな…ううん、悪いことをした人は…いませんでしたか…? 町を襲ったり、森に火を放ったり、みんなを騙して…本当にひどいことを…。…ひどい目にあわされた人を、癒したことは…」
「……」
 女性はただ、無言で聞いていてくれた。だから、誰に言うでもない披瀝で――そのように、続けられたのかもしれない。
「虫の息で…ぼろぼろで…目の前で今にも死にそうで……。でも、その人は…。迷ったけど私は…」
「癒したのですね?」
「…どうしたら…いいのか…。消えてしまって……私が、私がしたことは…」
 いよいよそこまで続けていて、タムタムは言葉を切った。片手で額を押さえる。小声になった。
「…すみません、忘れてください。こんなこと、人に決めてもらおうなんて…私…」
 彼女は俯けた顔を、上げることができなかった。結局それを期待して、吐露していたのか。会ったばかりの人に。
 ないまぜの感情が内に満ちた。それは、泣きたくもあった。意識は押さえることで精一杯で、どれだけの間があったのかは分からない。しかし静かな場所で、僅かばかりの微動はなぜか感じ取れた。女性。
「まだ、終わったわけではないのでしょう?」
「…えっ?」
 側でかけられた言葉に、顔を上げる。彼女はずっと、見ていたらしかった。瞳をこちらに向けて。
「…まだ、分からないのでしょう? まだ、何があるのかわからない…まだ、終わったわけではないのなら、あなたにできることが、まだあるのではありませんか?」
「私に、できること…」
 思わず、タムタムはつぶやく。女性はそれに、静かに頷いた。
「そうです。たとえば…やるべきことがあるのでは…? …ありますね?」
 問いかけに、力を得た如く、彼女は瞬く間に自覚した。
 ――やるべきことは、まだあった。まだある。しかもたくさんだ…。これから。
「そう…そうです。…何かが起こるなら、まだ、止められるかもしれない。…早く、速く戻らなくちゃ…」
 タムタムはベッドを離れようとした。しかし、差し出された女性の手に止められた。すぐに見やるも、相手の首は横に振られる。
「まだ無理です。一晩休んだとはいえ、完調にはほど遠いですよ。いけません。また無理をするつもりですか? あなたが出来る事とは、その前にあなたあっての事なのですよ」
 強く言う女性に、タムタムはそれでもせがんだ。
「お願いです、行かせてください。…私、リイム達と早く合流しないといけないんです」
 女性はその手こそどけなかったが、言葉を求める様子で尋ねてきた。
「リイム達…? あなたは、勇者リイムと知り合いなのですか?」
「ええ。私は、勇者軍に同行しているんです。…あなたは、リイムを知っているんですか?」
 問い返すと、当然とばかりに女性は言った。
「それは知っていますよ。黒魔龍ゲザガインを討った勇者殿の名は、国内で知らぬ者はいないほどでしょう? 有名ですからね」
 そうなのだった。タムタムには身近すぎて意識が薄れてしまいがちだが、彼はまさしく勇者であり、国内では隅々まで名が知れ渡っている。近年中で、目覚しい働きをしたのだ。隣国でももちろん、遠方の国にも名が出ているに違いない。全く納得。
「そうですよね。そう…魔王を討ってお姫様を救い出して、王国に平和を取り戻した…。まさに謳われるような、勇者で…。王様から、雷光の騎士という称号まで授かった、本当の勇者なんですよ、彼は」
「雷光の騎士…」
 女性はどこかぼんやりつぶやく。タムタムは簡単に――それが知っている範囲だが――その名の由来を説明した。
「えっと、ライナーク王国を建国した初代国王が、そう呼ばれていたらしいんですけど。…光り輝くつるぎを持って、当時ラクナマイトを支配していたというカオスドラゴンと、魔物達を打ち払ったからだそうです」
 過去、国王のリチャードから聞かされたことだった。カオスドラゴンが復活したときのこと。その混沌の集合、混沌そのものである龍を倒すには、あるひとつの武器しかなかった。それが、初代国王が携えていた、光輝く剣だった。
 タムタムは意識せず、視線を伏せていた。
「…リイムは、その光輝くつるぎを持っているんです。本当は、危険な剣なんですけど……」
 それゆえに、国王の命によって封印された剣――。
「それは…魔剣ガラバーニュですね?」
 女性の口から剣の名が出て、タムタムは驚いた。
「えっ!? 知って、いるんですか…?」
 少なくとも、自分は国王に聞かされるまで知らなかった。リイム達もそうだった。しかし世界は広い。誰も決して知らなかった事だとは、言い難いが。
 見れば、女性は眉根を少し寄せていた。
「ガラバーニュ…所持者の心に呼応し、力となる光を生み出す強力な剣…。徐々に持ち主を狂気へ誘う、呪われた破滅の魔剣…」
「…その通りです」
 答えたが、タムタムは目を側めずにはいられなかった。女性はそれからも続けた。
「…ガラバーニュに飲まれた者は、破壊と殺戮を繰り返し、やがては最後、自らの命をも断つ…」
 女性は淡々と。そして目を見てきて、問うてきた。
「あなたは、どう思うのですか…?」
 それが何を期待して、何に対して聞いてきたのかは分からなかった。しかし、答えはある。ずっと決まっていたからだ。これだけは言える事がある。だから揺るぎ無いそれを、タムタムは返した。微笑、していただろうか。
「リイムは、自分を信じてガラバーニュを手にしました。だから私は…彼を信じています。前から…これからもずっと、信じていますから…」
 何か聞きたかっただけかもしれない。それに納得したかどうかは分からないが、女性は小さく頷いて、ほんの僅かばかりの微笑を見せた。
「そうですか…」
 それからしばらく、沈黙が続いた。しかし、一分とはもたなかった。別の声が、それをあっさり裂いたのである。
「――やはり世の中、でかいだけじゃあいかん訳だと実感するか? ああ思え。…そう、たとえばこの俺のよーに、スマートでコンパクトに生まれたほうが得な場合もあらぁな」
 その場に、まるでそぐわぬ明るい声が満ちた。タムタムが顔をしかめて声を追えば、入り口に思った通りの――笑顔を振りまくサンフラワーが、揺れながら立っていた。
「あ、あなた…」
 何が一体どうなっているのか? 判断つきかねて、タムタムは言葉を失った。相手は元気に、気軽に言ってくるが。
「おーっ! タムちゃん元気か? というのは咄嗟のあいさつだ実はよ。だってなぁ…倒れたって知っているぅ〜俺っ!」
 意味も無く回転する。それにかける言葉など無かった。
「……」
「サンフラワーとは…珍しいですね」
 女性は言葉通り、珍しそうにその闖入者を見た。そして、サンフラワーの方は見返すなり、素早く近づいてきた。
「――お…おおおっ! なんと見ればすげえ美人だっ! だれだれだれよ〜!?」
「全く失礼ねっ! この人はね………えっと…」
 タムタムは手を思わず上げ、言いかけて。…名前を思えば聞いていない。あっさりと言葉に詰まった。
 まずそうな顔が出ていたか。相手は何も考えていないようで、これが妙に鋭いところがあった。笑って――いつもだが、にこやかに言ってくる。
「はははぁ。タムちゃん意外とうっかりさんだな〜。ああ分かってる。そんなとこがちょっとかわいらし〜って周りの男どもは全然思わねんだ、なんでかコレが」
「…ちょ、ちょっと何言うのよ!」
 顔が熱くなったタムタム。女性はくすくすと笑った。
「ふふ、まだ言っていませんでしたね。私の名前は、ラムフェリアです」
 サンフラワーは、葉っぱをピッと立てた。手を上げたつもりらしい。
「はいっ。俺はなんでかミラクルって名前だ。でもちょっとお花ちゃんって、呼んでほしいお年頃。素敵なお花さんでも可。あ〜ん、ヒマワリだけは不可ね。ほら、単純すぎるし」
「もう、調子に乗らないの! えっと、私の名前は…もう知っていると思いますけど、タムタムです…」
 ラムフェリアは、またひとしきり笑って。さらに入り口を見やった。
「…もうひと方は、どなたですか?」
「あぁ、後ろのね…」
 実に気の無いミラクルの返事。タムタムは聞いて、そちらに目を凝らす。
「後ろって…」
 最初は声を追って見て、まずミラクルに視線が行ったので気づかなかったが…やっと、いるのが分かった。それはまるで、何か大きな岩が、入り口を塞いでいるかのよう。
「ゴーレム…。ミッキーも一緒だったのね」
「おおよ。一緒に来たんだが、奴のでっけー体躯じゃこの入り口通れんわけだよ。しかしタムちゃん、よくミッキーだって分かったな〜」
 ミラクルは何故か感心したように言うが、タムタムにとっては別にどうということもない事だった。
「…分かるわよ、私だって」
 現在勇者軍所属のゴーレムはミッキーしかおらず、まず名前を出すとすれば自然とそうなる。それにしばらく一緒に行動していれば、何となくでも判るというもの。
「リイムみたいな能力はないけど、仲間だもの」
 やや憮然として見せれば、ミラクルは納得したのかゆらゆら揺れる。
「うんうん、そーかぁ…よく見てるんだなぁタムちゃん。やっぱ奴の身体の、十万分の一の確率で出現する珍しー模様が目印かっ!」
「わかんないわよそんなの!」
 即刻突っ込むと、ラムフェリアはおかしいらしく、また笑った。タムタムは恥ずかしい思いに、面を下げた。
「わははははー。タムちゃんってツッコミ魔だからなー」
「あなたね…!」
 タムタムはやはり反射的に怒りかけたが、笑顔の彼はそれをかわすように揺れ動いた。
「よぉ〜し。じゃあ俺がラムフェリアさんのため、奴の事を適切に紹介してやろかね」
 それから入り口に向かうと、こちらに向き直った。無意味に胸を張って――彼の場合それは茎だが――葉っぱを動かし、ゴーレムを差す。
「ラムフェリアさん、こいつぁ見た通り、ゴーレムのミッキーだ。なんと…でかい、重い、固いっ! と、三拍子揃ってる」
 あんまりな説明だが、ミッキーは微動だにしない。
「……」
「あーそれとな、すっげー無愛想だ。うんともすんとも全くもって何も言わん。だって分かるよな、ゴーレムだから」
 ミラクルは言って前に出たが、止まってまた振りかえり、
「…おお、大事なことを言い忘れていた。好きなことは水浴びな。きれい好きなんだよ、こいつ。んでもって、昼寝と日光浴も好きらしいな。…以上が私見だ。まあ参考までに」
 ラムフェリアは、やはり控えめに笑いながら、
「…タムタムさん、面白いお友達がいますね」
 タムタムは思わずうめきそうになったが。否定はしなかった。
 …そうなる。そうなってしまうが、彼女自身、とにかく相手に関しては呆れるしかないと思う。嘆息した。
「まあ…王女の、ライム姫になついているんですけど…」
 ミラクルがにぱにぱ笑って、ベッドの側に寄って来る。
「そう、俺は姫様だ〜いすきだ。だから姫様の願いでここにきた、訳有りの身!」
「え…ライム姫様の願いで? それ、どういうこと?」
「ん〜。姫様がよ〜、勇者軍が出た後に、なんか胸騒ぎがして心配だって言うから、この俺が手を貸してやろかと思って、わざわざ幸せ置いて出張ってきたのな。もー俺って良い奴だよほんと!」
 後半ラムフェリアに向かって、彼は自己PRのつもりか。かたやタムタムは、横目で見ながら再度嘆息した。
「自分で言っちゃあね…」
 彼は僅かにうめいたようだが、
「…まあ、なんだ。それでまっしぐらする予定が、偶然この町突っ切ろうとしたときさぁ、なんかかわいい僧侶が倒れたって聞こえたから、こいつぁもう、ぜってータムちゃんだ〜と思った俺は鋭かったわけだろ〜。んん?」
「……」
 タムタムはまた、赤くなって俯いた。元々、からかわれるのは苦手だが――。どうにも、慣れない。まさしくこんなとき、すぐさま顔に出るのは何とかならないかと、彼女は思った。前面に感情が出てしまう。だからどこか――悪気が無いにしろ、こちらを思惑や意図も無く揶揄する事が性分の相手は、やりにくいと意識しつつある。リイム達勇者軍には、いないタイプだ。
 ミラクルが非常に愉快そうに笑う。
「わははっ。俺が姫様一筋じゃなかったら、ほっとかないんだけどもなぁ。うん、たとえ意中の奴がいようとも、奪ってみせますって感じなんだが。…しっかし、そーゆー奴って全然いないわけだよな。はぁ、全くもってもったいねー話しだぜ。推察するに、何となく押しに弱そうなんだがねぇ。なぁタムちゃん?」
「っ! 話しが逸れてるわよっ!」
 わななき、上気して怒鳴っても、相手は笑ったまま。これではまさに思う壺だと分かっていても、どうにもならない。
「わはははっ。俺も、どーも話が逸れがちで困ってるから参る」
「誰が一体参るのよ!」
 また怒鳴れば、相手は回る。悪びれた様子など欠片も無く、ミラクルはやはり笑顔だった。
「ああ、そりゃあ…当然参ったぜ。大変だったんだぞ、道中よりもさっき。だって、ここって魔物に襲われたんだろ〜。俺達だって一応そうだからさ、通してもらうの苦労したわけ。つまり、ここに俺とミッキーが入るのを許されたのは、このこの俺の巧みな話術が役に立ったってことよなぁ」
 誇らしげに胸を張る彼に、タムタムは出来るだけ冷たく、
「…どーせ、呆れられたんでしょ」
「いやー。五十歩譲ってそうだった節はあったが。けどな、タムちゃん。最後の決め手はやっぱり、勇者軍と姫様の名前名前。そりゃびびったぜぇ、俺達を止めた兄ちゃん達よぉ。言ったらすんなり通してくれたさぁ。公務執行妨害は一週間から十年の禁固刑、もしくは…ぎゃ!」
 タムタムは無言で、ミラクルの花びらの部分を摘み、ぐいと引っ張った。
「ぃやああぁー。お花を引っ張らないでえぇぇぇ」
「みだりにそーゆー権限を口走ったり乱用しないこと…」
「は、はひぃ…。止めます以後は慎んでぇ」
 涙目を見て、パッと、タムタムは掴んだ花びらを離した。しかしミラクルは花びらを揺らして――頭髪を整えてでもいるつもりか。それから一回りして、さっきのことなど無かったかのように、平然と尋ねてきた。
 まあそんな相手と分かっていたので、タムタムはもはや怒りなど沸きあがってこなかった。怒るだけ無駄なのだ…。
「にしても。タムちゃん、リイム達はどこなんだ? な〜んか姿が見えんなぁ?」
「それは…私は、色々あってリイム達と別れたのよ…。でも今から、隣の村に戻って早く合流するつもり…」
 そこで再び、ラムフェリアの手が塞いだ。彼女を見るが。
「駄目ですよ、タムタムさん。まだ無理と言ったでしょう?」
「ラムフェリアさん…お願いです。行かせてください。彼等のことが心配なんです…」
「あなたが途中で倒れたら、どうするのですか…? それこそ大変なことではないのですか?」
「…お願いです。昨日のような無理は、もうしません。…行かせてください! 行かないと行けないんです! お願いです!」
 瞳を見つめて頼みこむ。行かなければならないのだと、タムタムは心中でも訴えた。
 行かなければ――。
「……分かりました」
 ラムフェリアは嘆息しつつ、目を伏せる。しかしその手は、まだどけなかった。
「ここは、仕方ありませんね。ただし…」
「ただし…?」
「ただし……条件がひとつあります」
 じっと、見てくる。
「…なんですか?」
 覚悟を決めたかのように、真剣に見つめ返して問うと、その顔はなぜか突然笑った。
「…?」
 タムタムが一瞬呆気にとられた前、そして彼女は、
「私も一緒に、ついていきます」
「…はっ?」
 口がぽかんと開いた。
「あなたが無理をしないように。…目を離すと心配ですから。それに、万が一あなたが倒れてしまったら、私が疲労を少しでも癒して差し上げます。…良いですね?」
 彼女はもっともらしく――しかしその行動に、全く有無を言わせるつもりはないようだった。にこやかに笑っているのだが…。
「……」
 そこでしばらく…タムタムはただただ、絶句していた。ミラクルは、意味も無く揺れていた。

<7>

「は〜。川まで渡り急いで来てみれば、なんとここではこうなんか。煙がもっくもくあがってんなー。つまりこんな場合、なーんかあったってわけだよこりゃま」
「どういうこと!? この村に…また何があったっていうの!」
 タムタム達四人が山村に着けば、そこはただならぬ様子だった。勇者軍が初めて訪れたときのように、人々の声が辺りで飛び交い騒がしかった。あちらこちらの家屋からは、燻る煙が立ちのぼっている。火の手は一見見えないが、木おけに水を汲んだ人が走っており、いまだ消火活動が行われているようだった。
 タムタムはしきりに村の様子を窺い、そしてある家屋の一隅に、呆然と立ち尽くしている見知った姿を発見した。
「…スラー先生! クレオ!」
 二人は呼び声に気づき、顔を上げ、向けてきた。タムタムは走って、彼等のもとへ向かう。ミラクル、ミッキー、ラムフェリアの三人も後に続いた。
 そして、老医師は弱々しく言ってきた。
「タムタムさんか…戻ってきたのか…」
「先生! この有り様は…一体何が? 私がいない間に、何があったんですか!」
 深い皺に覆われた顔に、影が出来た。
「それが……魔物が襲ってきたんじゃよ、この村にも…」
「…そんな。この村にも魔物が…」
「ちょうど、往診の途中じゃった…。わしとクレオも、危うく襲われかけてな…」
 スラーは傍らの孫を見やる。少年は放心しているらしく、おとなしかった。
 しかしタムタムを見てから、安堵と共にようやく恐怖心が蘇ってきたのか。クレオは口を開きかけるなり、震える声を出し始めた。
「う…う…おねえちゃん…。こわかったよ…う…うっうう…」
「クレオ…」
 タムタムは屈んで、クレオの肩に手を添えようとした。が、横から、
「ぬあ〜じゃりはこれだからうっとおしーんだっ。おら、泣くなっ! 泣くなよっ!」
 ミラクルが笑顔をしかめて割りこんできた。ぐずつくクレオは、そちらを見やった。
「ぐす…ううっ…ううう…う…う…」
「泣き止めー! 湿っぽくなる! 俺は水は好きだが、暗いのは嫌いだお花だからっ! くさくさするのは嫌なんだ! あ、説明するが草じゃないぞ! ホラ泣き止め! 止めー!」
 ぶんぶん顔を振り始めるが。
「うううううっ…う…」
 いっそうぐずつき、泣き出しそうな顔になるクレオ。ミラクルは反りつつ唸りつつ、顔を振るのを止めた。
「ぐう…仕方が無い。分からないなら…教えてやるぞ! 泣きやまんとどうなるかっ! …ぐふっ!」
 タムタムは、クレオに迫ったミラクルの首根っこを素早く掴む。
「ちょっとね! 脅さないでよ、小さな子に向かって! 全く口が悪いんだから!」
「ぐふぐふっ…なんの…これしき…。ぐ…見やがれ…こ、こうだぞ! こうしてやるっ、こうしてやらあぁっ!」
 彼は掴まれていながらも、じたばたして顔を必死に動かした。直後――。
「…え」
 変化に、彼女は無意識に手を離す。ラムフェリアとスラーは、目を見張った。
「あら…」
「これはなんと…」
 ――突然にして、見る間にだった。あたりかしこに色が溢れた。地面から生えたモノ。村中のそこら一帯に、色とりどりの花が咲き乱れたのだ。
「う…う?」
 誰もほんのしばらくは、声もまともに出せなかったが。やがて、村中で次々と驚いた声が湧き上がった。
「…なんだこれは…?」
「どうなってる…なぜこんなに突然花が…」
「一面花だらけね…」
 ざわつく中。そこでひとり声高々にワハワハ笑い、それは大層ご満悦の花。
「うわはははっ! どおぉだ! 俺の力にびびりまくったかっ! ふはは、泣き止んでよーしだ!」
「……」
 クレオは無言で、相手をじっと見た。そちらのほうは、またさらにご機嫌になったようだった。
「ん〜む、関心関心! 驚いて言葉もでないな? よし、じゃあ…サービスだ! うりゃ」
「…あっ!」
 ミラクルが頭を一振りすると、クレオの頭と首もとに、白い輪が現われた。小さな白い花が、集まって出来ている。タムタムは、それを見ながら言った。
「へえ…お花の冠に、首飾りじゃない」
「へへへっ! 俺の秘奥義だぞ! なんつっても、繋げて輪っかにするのがむずかしーんだよこれがっ! 凡人にゃわかんねーだろうが、高等テクニックを要する…ぐぶっ…」
 再び首もとをギュッと掴まれ、調子付いたミラクルはあっさり沈黙。
「…はいはい。黙っていればいいんだけど」
 やはり呆れかけてタムタム。作ったらしい青い顔など見せるミラクルを、苦笑してから解放してやる。すると遠くから、
「――おおーい! タムタムー! 無事かモー!」
「モーモーの声! リイム達だわ!」
 呼ぶ声に、彼女は即座振り返った。その先からは、リイム達が走ってくるのが見える。
 彼等はすぐに近づいて来た。
「…タムタム! 無事だったかい?」
 タムタムは先頭に立ち、走ってきたリイムの顔を見て、やっと安堵できた。
「ええ…。リイム達は…?」
 尋ねると、リイムはやや浮かぬ顔をしたが、頷いて後ろを振り返った。
「僕達も…なんとかね…」
 誰も疲れた――しかしそれでいて緊迫した顔をどこかしていた。モーモーも、ロビーもジョージも、アラビアも。
 と、彼女はそこで異変に気がついた。何故か一人、増えているではないか。
「え…ちょっと、アラビアがいるじゃない!?」
「あ…お久しぶりでごじゃる…。タムタム殿…」
 アラビアは隠れるように最後尾にいて、軽く会釈した。
「ねえ、どうしたの…?」
 タムタムの問う視線に、モーモーが眉を上げて、顎で上を差した。
「上からな、降ってきたんだモー…」
「上から???」
「えっと…それは後で話すよ。それより、様子からすると村は襲われたようだけど…。やっぱり、魔物なのか?」
 リイムはタムタムに尋ねた。だが、彼女が何かを返す前に、覚ったスラーが先に答えた。
「そうじゃ。突然襲ってきたのじゃよ…また騒然となってな…この通りじゃ」
 モーモーは首を振って、周囲をよくよく見た。
 村は魔物に火を放たれたらしく、まだあちこちで煙が上がっていた。しかし、全焼している家屋はないようで、壊されて破片が散乱していることも少ない。立ち止まっている人も少なく、ほとんどが何かしら修繕作業なり、片付けを行っているようだ。
「けど…魔物に襲われた割には、被害が少ないみたいだモー。怪我人もあまり出てないみたいだし…。なんだ、数が少なかったのか?」
「いや…三十以上はおった」
「あのね、魔物さんが助けてくれたんだよ」
 クレオがそこで口を開くと、モーモーは疑問符を浮かべた。
「…魔物が助けてくれた? って……魔物が襲ってきたんだろ?」
「うん。…でも襲ってきたけど、助けてくれたよ」
「あ〜…つまり…」
「魔物と魔物が、戦ったのね?」
 しかめっ面のモーモーに成り代わり、タムタムが聞いた。
「うん、そう!」
 頷くクレオに、今度はリイムが、屈みながら尋ねる。
「…襲ってきた魔物って、どんなやつらだった?」
「んっとね…オークとか、ポンポコとか、クロコダイルとか…いっぱい」
「はははっ、烏合の衆だな!」
 笑うミラクルは置いて、さらにリイムは尋ねる。
「じゃあ、助けてくれた魔物って…どんな魔物だった?」
 しきりに首を傾げるクレオ。しばらくそれが続いた後の答えは、さほど変わらないものだった。
「…えっと。…カクタスとか、カンガルーとか、ペリカンマンとか…いっぱい」
「――わはははっ、有象無象だな!」
 ますます笑うミラクルは完全に無視して、モーモーは眉をひそめながら唸った。
「う〜ん。……なら、目立ってた奴って、いなかったか? 他の魔物と比べて…」
「目立ってた…?」
 クレオは一回、また首を捻りかけたが、
「あ…うん。いた、いたよ。蒼い狼さん! カッコよかったよ、すごく速くてねぇ…あっちにいたと思ったらこっちにいて、こっちにいたと思ったら、あっちにいたんだ。それに、何か黒い人達もいたんだよ。頭巾を被ってたから、よくわかんないんだけど…」
 リイムはすまなそうに見てくるクレオに微笑んで、姿勢を正した。そしてつぶやく。
「そっか…。感謝しないとね」
「リイム…。蒼い狼って…もしかして蒼月?」
 タムタム。たとえ見ていなくても、蒼い狼でまず思い浮かぶのは、彼しかいないだろう。
「うん、会ったんだ…向こうでね」
 あまり言葉も交わしていないが。彼等は確かに無事に脱出し、自分達より早く村へ下りた。そして、襲っている魔物と遭遇したのだろう。
「なあ坊主。他にはいなかったか? 目立ってた奴」
 モーモーはさらに尋ねていた。クレオは再び首を捻るが、その顔が突然強張った。俯く。
「他に……」
「…どうしたモー?」
 モーモーも変化に気がついて、しゃがみ込むと顔を窺った。
「いるのか…?」
「…ちょっと。…ちょっとだけ見えたよ。骸骨…おっきな骸骨だった…」
 それを聞いて、リイムも再び屈みこんだ。
「骸骨って…もしかして…。ねえ、イカリみたいなもの、持ってなかったかい? えっと、知ってるかな? 船を止めておくときに、水底へ降ろす重りで…とても変わった形の、大きな武器なんだけど…」
「…もってた」
 クレオは俯いたまま、小さく頷いた。リイムは苦い顔で、屈んだ姿勢を再び正した。
 少年の言う骸骨の魔物は、知っているある魔物の特徴と当てはまった。おかしなことだったが。
「間違いない、トランプだ…。じゃあ蒼月は、トランプを追ってきたのか…? でもトランプは、確かヤゴによって…」
 考えていると、その下でぴょんぴょんしきりに跳ねる者がいた。思わず思考を止めて、彼はそちらを見やる。
「ああ〜おい! さっきから聞いてりゃ、なんだか俺にはさっぱりわからん話だ! つまんねえぞリイムぅー! わかる話で親切に頼む! 俺もだってしゃべりたいー!」
 ミラクルは飛び跳ねて、つまらないを連発した。そしてリイムはそこでようやく、まともに彼を見たのだった。
「ミラクル。…花が咲いているから、もしかしたらとは思ったけど…君はどうしてここにいるんだい? ミッキーも…?」
 それからやっと、もう一人にも気づく。側にいるが、全く見知らぬ女性だった。
「あの…それに、あなたは?」
「あ〜んだよリイム! なんか、今やっと気づいたって感じだな?」
 女性が答えるより早く、ミラクルがここぞとばかり割り込んできた。葉っぱをひらひら揺らす。呆れているつもりらしい。
「かあぁーっ! おっそいおそい! こーんな美人が真っ先に目に入らんとは、何処見てんだお前さぁ? あ…いやだが誤解するなよっ! 俺は誓い宣言する! 俺は姫様ファンだ! 断じて裏切ったわけじゃない!」
 それは一切無視して、タムタムは女性を紹介した。
「…あのね、リイム。この人はラムフェリアさん。私と同じ、僧侶なのよ。…実は私、この村をさっきまで離れていて…。隣町も魔物に襲われたの。向こうで知り合って…お世話になったの…」
 続くように、ラムフェリアは軽く会釈した。それから、アラビアに視線を向けた。
「初めまして、ラムフェリアと申します。それと…お久しぶりですね、アラビア」
 それにリイムは、思わず後ろを振り返った。
「えっ? アラビア。知り合いだったんだ?」
「…あ、えっ!」
 一瞬まごついたようなアラビアだったが。やや前に出て、おずおずと頭を下げた。
「あ、あの…ご、ご無沙汰でごじゃる…ラムフェリア殿。しかしなぜ、タムタム殿と一緒に…」
「――ああんそりゃな、タムちゃんが心配だって、ここまで一緒に来たんだぜ〜。なんかとにかく倒れちったからなっ!」
 ラムフェリアが答える前に、またミラクルがべらべらしゃべった。タムタムは意識的に、身を固くした。
「えっ、倒れた? 倒れたって…」
 やはり疑問を、彼は言葉に感じたようだった。そして、スラーはすぐに分かったらしかった。厳しい眼差しで、不面目に顔を下げている彼女を見た。
「タムタムさん…やはり、無理をしおったな」
「すみません…スラー先生…」
 さらに頭を下げるタムタム。リイムはそのやり取りで、理解した。
「タムタム…君が倒れたのか? どうして…」
「タムタムさんはの、村で徹夜した後、ほとんど休まずに隣町へ救援に向かったんじゃよ。強引にでも、引き止めておくべきだったか…」
 リイムは聞くと、責めるようにタムタムをひたと見た。
「タムタム…」
「ごめんなさい…リイム…」
 彼女はいたたまれなくなって、見返すのもそこそこに、悄然として俯いてしまった。
 そこでスラーが、息を吐いた。
「じゃが…この村もこうして襲われたからのう。結果良かったのか悪かったのか…。わしらと一緒におれば、襲われておったかもしれん。あの若者の助けがなければ、ほんに危ないところじゃったからな…」
 タムタムは、僅かに気になった。老医師には、何の事は無いつぶやきだったのだろうが。
「スラー先生…あの若者…って…」
「あのねえお姉ちゃん。お兄ちゃんが来てくれたんだよ」
 微かによぎった予感を確認しようとすれば、クレオがそれに応えた。だが、彼女の思考の縺れは、洩れた言葉が明示する。
「え…?」
「…分かるでしょ? 昨日のお兄ちゃん。お兄ちゃんが僕達を助けてくれたんだよ。あんなにひどい怪我してたのに、もう動けるようになったんだね。お姉ちゃんの手当てが良かったんだよ、きっと」
「…そう」
 クレオに言われ、タムタムは返す言葉が見つからず、また俯いた。誰のことかは、スラーがつぶやいた時点で、薄々わかってはいたはずだったが。
「…タムタム、どうしたんだい?」
 リイムは訝った様子だった。彼等は何故彼女が俯くのか、何も知らない。
 タムタムは誰を見るでもなく、ぽつりぽつり話した。そのために、この村に戻ってきたのだから。
「あのね…つい、昨日の事なの…。川辺で、ひどい怪我を負っていたのをクレオが見つけたのよ…。死んでいてもおかしくない状態で…当然意識もなくて…。私……癒したの。でも、当分動けるはずがないって思ってた…。それが迂闊だったのよ…私の目の前で、消えてしまったの…」
 彼女の様子と話し方に、他ならない苦衷を感じとって、リイムは漠然と不安を抱いた。
「…タムタム? それは…一体誰のことなんだ?」
 タムタムはしばし黙って俯いていたが、やがて顔を上げ、しかし視線は逸らし気味に答えた。
「スカッシュよ…」
「――スカッシュだって!?」
 彼等は驚かずにはいられなかった。

<8>

 寂寞とした夜だった。月こそ顔を覗かせているが、二度も災厄が訪れた村は、恐怖に隅々で息を潜めているかのように、ただひっそりと静かだった。夜は早く訪れ、村人達は早々に作業を中断した。今村の通りには、人っ子一人いないだろう。誰しも、出歩きたい気分などではないだろうから。
 こんなときは、過ぎ去るのを待つのが賢明かもしれない。だから夜を、ずっと待つ。次に日が昇るまで、何も刺激しないように、静かに待つこと。何の解決にもならないのだろうが、時は少なくとも人を、気分を変えるもの。
 ――風も、今は無かった。月の明かりは申し分ないが、照らし出したところで、顔には濃い陰影を刻むだけだったが。
 村長の家は、さすがに他の民家と比べれば広さがあった。村には宿が無いということで、客を迎えるときには、村長の家の客間を解放するそうだった。元々その為に作られているらしく、村長が普段使用している部屋より随分広い。そして、他の民家よりも高い位置にあり、バルコニーも取り付けてあった。
 そこに晧晧と、月光は注がれている。彼女にも。
「タムタム…そろそろ休んだほうがいいよ」
 リイムは後姿へ、静かに声をかけた。夜も遅くに差しかかり、いまだ就寝していないのは、彼と彼女ぐらいだった。
 今日は一晩村に泊まり、勇者軍は明朝一路、城へ向けて出発する予定に決まった。強行軍にも限界がある。誰彼無しに倒れてしまったら、どうにもならない。
「……」
 タムタムからの返事は無かった。リイムもそう広くは無いバルコニーの中へ、足を向けた。少しほどで立ち止まると、彼女はそれに気づいたようだった。木製の手すりに腕を預け、背中を向けたままだったが。
「悪い事が起こってる…とても…悪い事だわ…。言わなくても、分かりきってるけど」
「……」
「驚く気力も、もう失せてしまいそうね。…少なくとも、偶然じゃない…偶然じゃないもの。…でも、整理がつかないのよ。腑に落ちないの。色々起こったけど…でも、私達が分かっている事って何?」
「確実に分かっているのは、ゲザガインが…いや、ゲザガインと名乗った男が、上位精霊を封じていること。聞いた事が正しければ…精霊の鏡には、何かが…言葉通りなら、龍が封印されていること。…合わせれば、上位精霊達が鏡の中の龍を封印していて、ゲザガインと名乗った男が、それを解放しようとしている…」
 互い、起こった事は話し合った。しかし、それだけだった。後は早々に明朝の準備をした。交わされた言葉は、少なかった。誰もが不安を、表立たせていたから。タムタムは特に。
「じゃあスカッシュや、トランプは…何?」
「分からない…果たして関係があるのかも」
 そう答えると、タムタムはややあってから、聞いてきた。
「…リイムは…これが偶然だと思うの?」
「まだ分からないよ、タムタム…。スカッシュは生き返っていて、トランプは町や村を襲っている…まだそれだけだから」
「それだけで、十分よ。…違うの?」
 彼女はやはり、振りかえらないままだった。リイムは何も返せなかった。
「…知ったときには、遅いかもしれない。犠牲者が大勢出てからじゃあ、遅いのよリイム…。止まってるわけじゃあ、ないんだから…。今このときだって…」
 彼女は、さらに面を下げた気がした。
「…悪いことが起こってるって分かってるのに、それが見えないことばかりで不安なのよ…。私達が知らない間に、もう手のうちようが無くなってるかもしれないって…そう思うとね…」
 それから彼女は微苦笑を浮かべたのだと、リイムは思った。事実、振り向いた彼女の顔は、そうだった。
「私自身が、それを押し広げたのは間違い無いけど」
「でも…スカッシュは、先生達を助けてくれたんだよね」
 間があった。動きの無い彼女だったが、それでもその挙措が止まった。
「そのまま受け取るの…リイム。何かあるとは…思わないの…?」
 彼女の瞳は、よくは見えないが、ひどく揺らめいているように思えた。過去の事もあり、それは当然なのかもしれない。しかしそれ以外のことが、彼女を苛んでいるのは明らかだった。
「君は…スカッシュと、何を話したんだい?」
「言ったでしょう…。何かの手がかりになるようなことは、何も話してないわ。ゲザガインのことを口にすれば…もう遅いって言ったけど…。それぐらいよ…何も分からない」
「じゃあ、それ以外のことは…」
 すると彼女は、確かに笑って見せた。普段の彼女からは見られない、随分自嘲的な笑みだったが。
「…聞きたい? お前もお人よしだって、言われたわ。……ほんと、そのとおりね。言われた通りだったの。当たってた。助けなくても死ななかったって、強がりまで言われちゃって…でも、私の魔法はよく効くって…。皮肉よね」
 言ってから、また背中を向ける彼女。リイムは構わず述べた。
「もしそれが本当だとしたら…君が彼と会っていなくても…君が、傷を癒していなくても…彼はどこかで、今と同じ事を考えているかもしれない」
「うん…。そうね…わざわざ、念押しされたわ。真実だって。でも……それが何だっていうの? 関係ないのよそれは。だって、これは私の…私自身の問題なんだもの…」
 リイムは露台の中央付近まで出た。彼女の姿はいっそう浮き彫りになる。
 やはり風もなく、よく聞こえるだろうと、彼はふと思った。
「僕が君だったら、同じ事をしていたと思うよ…」
「リイムなら、きっとそうね」
 タムタムは素早く、再度振り返る。その前は一瞬、微笑を浮かべていたのかもしれない。弱々しさは、同じだったから。
「でもね…慰めにならないよ」
 時の間だった――。僅かにこちらを見据えた瞳。すぐ俯いた。
「ごめん…ごめんなさい。まだ……無理みたい。…やつあたりよね。私、苛立ってる…」
 彼女は片手で、俯いた表情をさらに隠した。
「らしくないよ、タムタム…」
 言っても、しばらく彼女は俯いたままだった。だが、やがて手を下ろすと、俯いたままで小さな返事が返った。
「うん…そうかもね。でも…でもね。私だってたまには…こんなに気を落とすことだってあるんだよ、リイム」
 タムタムは面を上げる。その視線が交差したとき、彼女は何も言わず歩き出した。足取りは早く、横をすっと抜ける。
 リイムは言葉を失って、彼女の姿のみをただ追った。その先の姿は、バルコニーの出入り口手前で、立ち止まっていた。やはり、振り返りはしなかったが。
「もっと、私のこと…分かって欲しいな」
 つぶやきが聞こえた瞬間、その姿は奥へ消えてしまった。
 リイムはしばらく、そのままでそこを見ていた。
 何か言いたいのか…風が吹いてきた。冷たい風だったと、思った。

<9>

 知らない場所だった。広く、荒涼としている。大地は一面が黒い――焼き尽くされた後の、焦土に思えた。辺りには、黒い大小の残骸としか言えないものが色々散らばっている。それが元々何なのかは、何となく、分かる気がした。
 ふと魔界を思い起こしたが――違うと思った。知らない地だと。見知らぬ世界のどこか?
 そこで、アラビアがひどく怪訝そうな顔をしていた。しかめっ面と言ってもいい。そんな顔のアラビアを見るのは、初めてだった。
「…名前?」
 戯言だと言わんばかり。彼はこちらを向いていた。
「そう。思えばお前さ、名前はなんていうんだよ? ガラバーニュは、剣の名前だろう? お前の名前は?」
 声。誰が言ったのかは、分からなかった。だが、アラビアはやはりこちらを見ていた。
「そんなものないでごじゃる」
 彼はぷいと横を向いた。
「そうなのか。なら…そうだ、俺がつけてやるよ。いいだろ?」
「なっ…何を言っているでおじゃるか! そんなもの必要ないでごじゃる!」
 知らぬ声が言うとアラビアは狼狽し、それから怒った顔つきで、こちらに向けて怒鳴ってきた。
「まあそう言うなよ。とにかく、俺が不便なんだよ。…そうだなぁ、お前にピッタリな名前は…」
 誰かはアラビアの剣幕などに全く動じず、ひとり唸り出したらしい。ものの数秒だったが。
「え〜っと、ピッタリな名前っていうとなぁ…。う〜ん…アラビア…か…アラビアだよな…うん、まさしくアラビアって感じだろ!」
「あ、アラビア!?」
 アラビアは目を丸くして、一歩下がると驚いた。
「…アラビアっ!?」
 彼はさらに下がった。そしてもう半歩下がったところで、
「あ…アラビ…わぁっ!」
 石でも踏んづけたのか、バランスを崩した彼は両手を振って、地面に尻餅をついた。
 とにかく慌てふためく彼の姿は、とてもおかしかった。つい、笑ってしまった。誰かと一緒に、そこで笑った。
「ああそうだ。アラビアに決定な。たとえお前が気に入らなくても、俺はこれからお前をそう呼ぶからな。まあ…よろしくな、アラビア!」
 
<次へ>

 
<つぶやき…>

※この章は長いので、分けて上げさせていただきます。一回目は1〜3まで。(02年3月12日)

■1より

ラビットマンのロビーに、チキンマンのジョージ
います。存在は薄いですが…。タムタムがこの時点で抜けたので、勇者軍はなんと、リイムとモーモー、それと彼ら二人しかいない構成に…少ない。

■2より

スラー老医師
設定にあることで余談ですが、このオリキャラのフルネームはクレシェンド・スラーです。記憶にある音楽用語より…。意味はなんだったか…だんだん強く、二つ以上の音をなめらかに?

クレオ
これまた設定にある事ですが、彼の名前は、フルネームでクレオ・ソートと言います。両親は父が医師、母が看護婦さんで、大きな町へ出ています。忙しいためクレオをスラーに預けており、たまに帰ってきます。母親がスラー医師の娘となっております。ちなみに名前の由来は…正露丸の成分中より(笑)。どーでもいいですが、正露丸ってラッパのマーク以外で沢山ありますよね…。

かわいい孫の言葉が突き刺さる…。
この展開が出てきた時点で、あの一時有名になった…演歌の「孫」を思い出しましたね。…子供は呵責なく無邪気で残酷、ある意味素直ですからなぁ。

黒っぽいモノ
勘が良い人ならすぐわかったのではないかと。やっぱり私が作る物はこんなんなっちゃうんですよ。変わった展開は望めませんねぇ(苦笑)

■3は…もはや何も書きたくありませぬ。でもここの展開、最初っからあってほとんど変更無し。さすが自分(泣笑)


※二回目です4〜5までですねぇ。みじかっ。(02年3月21日)

■4より

『――うわあでごじゃるー!!!』
皆さん彼の存在は忘れられないでしょうが、メインキャラにしては存在がいまいち過ぎるし、言っちゃうとなんかどーでもいいキャラになっちゃうのでしょうから、ここは狙って出してみました(苦笑)
最初は彼なんてあまり出すつもりなかったですけど…ええ、出せれば出すけどってぐらいで…。でも、出したら皆さんある意味驚くかなーって(苦笑)。捻ったら、なんとか出番がやってきましたよ。

黒い人影
それなら蒼月の配下だって黒い人影でしょ…って突っ込まないでくださいな。
このキャラは結構ごちゃごちゃしましてねえ…。中ごろから出る予定に入りつつ、その後かなり変更入ったし…。となると、当初のキャラとは違うのか…。

■5より…は、特に無し。特に…無いなぁ。


※三回目です。6だけですが…。次でこの章終わりです。(02年3月28日)

■6より

ラムフェリア
オリキャラさんです。名前に由来は特になしです。
最初から構想中に出ていて、色々な面で最後までほとんど変化が無かった…ある意味稀有な人物。

奴のでっけー体躯じゃこの入り口通れんわけだよ。
部屋の中に入れない…そんなことが、ドラゴンやゴーレムはありそうですよね…。…モーモーなんか…角が引っかかったり、しょっちゅうしてそうな気がします(笑)。ま、お城は広いでしょうから問題なさそうですけども。

止めます以後は慎んでぇ
語呂がよいので気に入ってます(何?)


※四回目はこの章の残り全部ですね。7と8と9。(02年4月4日)

■7より

川まで渡り急いで来てみれば
つまり、みっきぃぃが橋になったわけですが。…一応、話中で時間とか、考えて作ってあるんですが。ただ、その考えた時間、作ってる途中でうっかり設定部分からも消しちゃったんですけど(汗)

繋げて輪っかにするのがむずかしーんだよこれがっ!
妙な特技を覚えさせてしまいました。基本はやはり「君に花を贈ろう」ですねぇ。

■8は、何も言いますまい(苦笑)

■9は、ただ、明確に分けるかどうか迷ったぐらいのとこですが…それ以上は。



もどる