訪れた、時

<1>

 クルクルの森と名付けられたその樹海では、まず不思議な現象に対面する。地域一帯に広く分布するある木を見れば、初めてそれを目にした者は、とにかく驚くだろう。クルクルと、その名が示す通り、くるくるくるくると、まさしく木が回る様を見ることが出来るのだから。色とりどりの葉を揺らす、とても鮮やかな木だった。
 クルクルの木はそこでしか育たず、また、そこにしか無い。ライナークでしか見られない現象だった。非常に物珍しい光景のため、遠路はるばる見に訪れる者もいるほど。それは、記録にある歴史が語られて以来、不変の事象であった。クルクルの木は回る。クルクルの森は回る――。
 そして、彼等は驚いていた。クルクルの樹海に足を踏み入れ、その、初めて見る光景に。
「クルクルの森が…止まっている」
 リイムはそう認めた。いくら見渡しても、回っている木は無いようだ。森を通り抜ける道からずっと遠くを見やっても、同じ事。クルクルの森は、今無い。
「確か、初めてなんじゃないかしら…こんなこと…」
 タムタムは回らない静かな森の様子に、普通の森であったなら感じる事など無い、不気味さを覚えてつぶやいた。モーモーはそれに続き、険しくなった顔で懸念を口にした。
「まさか…もう遅いんじゃねえだろうな…?」
 タムタムは不安を打ち消すように、否定する。
「そうだったとしたら、精霊の鏡から龍が復活するじゃない。だからノームが何か…しているんじゃないかしら…。そう…わざと止めているとか…とにかく、止まるような理由があるのよ…きっと」
「その通りだ」
 抑揚なく彼女に答えたその声は、彼等の真後ろ――完全に振り返った先から聞こえた。
 一瞬で、緊張が走る。いつから、そこにいたのだろうか。少々の距離を置いて佇んでいる、知った黒い長髪の男の名をリイムは叫んだ。
「…スカッシュ!?」
「ノームは自ら、地下洞窟にある神殿を離れた。…地の精に紛れるほど、自らの力を極限まで押さえ込み、今はこの広い森のどこかにいる。だが、いずれ来るだろう」
 突然の事で驚きながら構える彼等を前にし、彼は何かしらの態度を示す前に、ただ諳んじているかのように語った。
「…完全に欺くことは不可能。しらみつぶしにでも必ず探し当てる奴に対しての、これはいわば時間稼ぎだ。頼みの綱は、一人しかいない。…魔剣ガラバーニュを携えし者。すなわちリイム…お前だ」
 そこでやっと、彼等二人の視線は符合した。
「スカッシュ…」
「しばらくぶりだな、リイム…。元気か…は、聞くまでも無いな?」
「……」
 感情の色も、まして忌憚も無く彼は言って、視線を横に一線させた。
 一応の、それは形だけだろう。問いを放つのに、目を凝らして見るまでも無い。一目で済む。勇者軍はリイム、モーモー、タムタム、アラビア、そしてミッキー、ロビー、ジョージだけの構成だ。
「あの女がいないが、どうした?」
「……」
 意味が分からないのではなく、リイムが黙っていると、彼は慣れきったような微苦笑を見せた。
「まあ、関わる役者はじきに揃う。たとえ…望まなくともな。ましてやあの女は布石を口にした。…来るだろうさ」
「そのあいだ、君はどうするつもりなんだ…?」
 彼はさして間も置かず、装いも変わらずだったが、ごく僅か上向いて返した。
「そうだな…。別に、一戦交えてもいい」
「またやるつもりかモー!」
 モーモーが強い語勢と共に半歩出るが、リイムはそれ以上を差止めた。
「モーモー。…スカッシュ、僕にそのつもりはないよ」
 告げると彼は、頷く代わりだろうか、やや目を伏した。
「なら、待つとしよう」
「…どういうつもりだモー!」
 合点のいかない顔つきでモーモーが聞くと、スカッシュは視線を上げて、つまらなく返した。
「決着はもう、つけたはずだ。それともモーモー、お前は俺と戦いたいか?」
 それには、タムタムが我を忘れて叫んだ。
「あなたはどうして生きているの!? そうよ…決着はついたはずじゃない!」
 スカッシュは顔ごとゆっくり視線をそちらにやって、つぶやく。自嘲らしい笑みで答えた。
「この前聞きたかった事、か…。確かに、俺は死んだよ。だが、無理やり起こされたのさ。角を立てられても、それは俺のせいじゃない」
 リイムは聞く。
「ゲザガインに…?」
「そう思うのか、リイム…? そもそもあれが、ゲザガインだと思うか?」
「…じゃあ、違うのか?」
「ゲザガインさ。だが、俺の親父じゃない。分かるだろう?」
 ひどくあっさり返す。その彼に、リイムはさらに尋ねた。
「僕達の知っているゲザガインとは違う…。それでも君は、ゲザガインだと言うのか…?」
 スカッシュはごく、目を細めた。声はうめくようにも聞こえた。
「あれは正真正銘ゲザガインなんだ…。姿形は関係無い。強大な魔力を持つ、邪悪な黒魔龍である存在だ」
「どうして姿形が変わって、あれがゲザガインって言えるんだモー!」
 モーモーは単純にぶつけた。彼からは、冷ややかな眼差しと声が返った。
「黒魔龍だからと、言っているんだ。お前達が分からなくとも…そうだな、そこの剣の魔人は分かっているはずだ」
 とたん、視線が集中する。アラビアはその中で、無言のまま顔を俯けていた。
 驚いたより、かなり呆然としてモーモーは言った。
「…アラビアが?」
 一瞬、スカッシュは眉を上げる。
「そいつが何なのか…聞いていないのか?」
「何なのかって…アラビアはそりゃ…」
 わけがわからない表情で、ぼそぼそモーモーはつぶやく。が、途中からはっきりとリイムが答えた。
「アラビアは…ガラバーニュの魔人。初代雷光の騎士とも、共に戦ったんだ」
 その発言により、知らない彼等の中にはつかの間、動揺が走った。
「え…そうなのかモー?」
 リイムはそれ以上答えない。アラビアもまた、答えない。その二人以外は言葉など無く、当惑した様子が明らかだった。
 スカッシュは場から、大方の事を導きだしたようだった。
「…そうだな、間違ってもいない。しかし様子を見ると、聞いたわけでもなさそうだな……知ったのか?」
「最近ね……見るんだ」
 そこは二人を除き、相対する彼のみが納得していた。残りの彼等は、固唾を呑んで話しに聞き入るしかなかった。
「なるほど…あるのかもしれないな。近づき、力が増している…。剣の所持者であるお前に、そいつの記憶が流れこんだとしても、別におかしくはないか…」
 スカッシュのつぶやいた見解に、アラビアもまた、つぶやく。
「それでリイム殿が知っていたでおじゃるか…アラビアの記憶が、リイム殿に…」
 リイムはアラビアを見ることも無く、彼に先を求めた。
「スカッシュ…。それと…アラビアが君の言ったことと、なんの関係があるんだ? アラビアがガラバーニュの魔人だったら、どうしてゲザガインの事が分かるんだ?」
「…。俺はそいつの事に関して、間違ってもいないと言っただろう? 初代雷光の騎士とも、共に戦った魔人…。そうだ、間違ってはいない。だが…まだ他に、知ったことがあるんじゃないのか?」
 リイムはそれに即答した。
「僕は、アラビアがどんな存在でもいいんだ。僕達は仲間で、雷光の騎士もそうだった…」
「どんな存在でもいい、か…」
 特に表情を変えることなくつぶやき、それから彼は指摘した。
「だが、お前は確実に蝕まれている。…もう、自覚しているはずだ」
 そして、彼等の中に再び動揺が走った。スカッシュが言った事が何の事を示すのかは、瞬時に悟ることが出来た。纏わり。ひとつしか、ない。
「リイム…! そう…なのかモー?」
「リイム……やっぱり…」
 心配する仲間達をも見ず、リイムは強く言った。その対象は、目の前の彼以外でもあったから。
「アラビアは関係ない。…分かっていて僕は、ガラバーニュを手にしたんだ」
 沈黙する中で、アラビアだけが彼を見上げて、言葉を漏らした。
「リイム殿…」
 それからスカッシュは、唐突に沈黙を破った。事も無げに。
「考えたことはあるか? その剣は…何のために存在すると思う?」
「…?」
 リイムが眉をひそめると、彼はいささか目を細めて、言葉を続けた。
「リイム。その剣が、目的も無く作られたと思うか? その強力な武器が、人の手によって作られたと思うか? …分かるな? そんなはずはないんだ」
「……」
「お前達は…お前は、何も知らない。知るはずも無い。遥か昔の、この世界ではない場所で作られた剣のことを、人が知り得るはずが無いからだ。…知っている事といえば、その剣が破滅の魔剣であり、強力な武器という事だけ。それは、初代雷光の騎士も同じだろう…」
 そんな事を語るスカッシュを前に、リイムはもっともな疑問を抱いた。
「君は、知っているのか…? そうならなぜ、知っているんだ…」
 彼等にはその意味が分からない、些細な微笑を湛え、スカッシュは答えた。
「俺もお前と同じさ。…これは、知ったんだ」
「知った…?」
 スカッシュは返すリイムを見るでもなく、眼差しを暫し遠くした。そして、ぼんやり浮かび上がったかのように、ぽつりぽつり切り出した。
「そうだな…猶予がある間、話してやろう。信じなくてもいい…。俺はこれから語るだけだ。誰も知らない話…そう、神話をな…」
「神話…?」
「要は太古の話しだ。ある欲張りな邪神が、四つの世界を狙っていた…。神々がいるとされる天界に、人間が繁栄していた人間界、精霊が住まう精霊界に、魔物がはびこっていた魔界だ。邪神はそれらの世界を、あわよくば一辺に手中へ入れようと、悪知恵を働かせて強力な手駒を作ったのさ。…自らの魂を分けて、三つの分身を生み出した。黒魔龍、混沌の龍、狂いし龍だ…」
「…!? ゲザガインとカオスドラゴン…そして、精霊の鏡に封じられているという、ディンガズスのことなのか…?」
 言葉尻に、彼等は反応した。彼のほうは淡々と、まさしく物語るように、続きを口にするだけだったが。
「邪神自らは天界を攻め、ゲザガインは魔界に。カオスドラゴンは人間界、ディンガズスは精霊界に送った。その結果は…邪神自身は、神々の用いたガラバーニュによって退くを余儀なくされたが、ゲザガインは早々と魔界に君臨し、カオスドラゴンもほぼ人間界の制圧を終えていた。そしてディンガズスのみは、精霊達によって完全に封印された…」
 スカッシュは言葉を切って、リイムを見た。彼の方は驚きを隠せない様子で、一拍置いた後、尋ねた。
「じゃあ…神々がガラバーニュを作ったのか…?」
「…そうだ。邪神を討つために、神々が力を合わせて作り出されたガラバーニュは…言わば神剣だ。神をも切り裂く力があるからこそ、混沌そのものであるカオスドラゴンにも、ダメージを与えられる。その邪悪な魂をも、封印することができる…」
「……」
 リイムは黙りこんだ。話しを疑う余地も無く、相手の目を見返した。
 ガラバーニュに関して、何も知らなかったのは事実。カオスドラゴンを討てる唯一の武器として手に取り、初代雷光の騎士が自害して封印した、破滅の魔剣と知っていて振るった。それだけしかない。途方もない話を聞かされても、否定するものが無い。そして言う通り、カオスドラゴンの魂は封印された――ガラバーニュが呑み込んだ。
「神様が作ったって…じゃあ、なんで…。なんでそんな剣に、使ってる奴を狂わしちまうような…そんな呪いがかかってるんだモー!」
 モーモーは納得いかないと、震え、張り裂ける声で叫んだ。
「…神々は、なんとか邪神を退けたに過ぎない。邪神はガラバーニュに貫かれた事で力を削がれ、神々の手の届かない深い闇へ逃げ潜ったが…その間際、怨念で剣に魔物を植え付けたんだ。使い手を呪う、魔物をな…」
 彼等は絶句した。スカッシュの話しの通りであるならば、その魔物に該当するのは、ただ一人になる。
「……」
 その彼は、何も語らなかった。つまり、否定するつもりは無い――肯定するに他ならない。
「……じゃあ、それが…」
 微かに、思わず漏らしてしまったモーモーのつぶやきに、スカッシュははっきり答えた。
「そこの剣の魔人だ。そして、魔剣と化した剣は神々の手から離れ、天界から人間界へ落ちてしまった…」
 重い沈黙が訪れる。誰も、何も言えなかった。思い付いて、言う事すら無い。
 そんな一切の事には構わず、彼のみは再び語り出した。
「上出来とは言えないものの、事は邪神の思うように進んでいた。ディンガズスは封印されてしまったが、ゲザガインは魔界を掌握し、カオスドラゴンも、絶望や恐怖する人間の負の心によって力を強大化させ、もはや人間界が完全に落ちるのは間近と思ったからだ」
「でも…大本の邪神ってのは、神様に負けちまったんだろ…? それでも、思い通りなのかモー? よりによって、自分が負けたのに…」
 モーモーの疑問の眼差しをスカッシュは見るが、調子は変わらなかった。ただ続けた。
「…邪神は周到でな、自らが敗れる事を想定していた。むしろ、それも計算済み…奸計のうちだったんだ。あわよくば、世界を一辺に手に入れる事も考えてはいたが…第一の目的は、自らが天界を攻めることで、神々の注意を全て自分に引きつける事だった。思惑通り、神々は天界を守ることに必死で、他の世界に手を回すことをしなかった…。まあ、できなかったんだろう。とにかくその甲斐あって、ニ龍の分身の大きな成果があった。そして弱っていた邪神自身といえば、早々に力を取り戻すため、自ら魂を分けたその分身の特性を利用するつもりでいた…」
 スカッシュはそこで一旦切った。今度疑問を投げる者はいなかった。そして彼は、まとめにかかった。
「…邪神の計画はこうだった。自身が神々を引きつけ、たとえ自らが負けることになっても、他の世界を制圧した分身の力を得てすぐに復活を果たし、今度は分身達と共に、残る天界を攻めるつもりだったんだ。ディンガズスが封印されたのは、多少は考えていた、支障をきたさない程のアクシデントに過ぎない。だから邪神は闇の底でほくそ笑みながら、待っていた。だが後で起こった事は、完全に予想外だった…」
「雷光の騎士が、カオスドラゴンを討った…」
 リイムのそれに、スカッシュは緩やかに頷いた。
「そうだ…。人間がガラバーニュを手にし、カオスドラゴンがまさかの敗退…。その裏には神々の…直接的ではない、僅かばかりの働きかけがあったんだが、それが…ラムフェリアとか言ったな、あの女だ。そして、邪神はその伏在を見逃したことによって結果、極限まで弱りきることとなり…外界から全てを断ち切って、深い闇の中、永きに渡る眠りに落ちなければならなくなった…」
「それで、終わりじゃないのね。今…起こっていることは…」
 落ち着きを取り戻した――驚きを通り越したのだが――彼女にも、彼は頷いた。
「そうさ、邪神が目覚めたからだ。だが目覚めただけで、邪神にはまだ、自ら深い闇底を抜け出る力まではない。だから今、手駒として動いているのが…あのゲザガインだ。唯一封印されていない状態の分身が、邪神から力の供給を受け、復活したのさ。ただし…見て分かるように、ただ復活したわけじゃなく、作り変えられているがな…」
「それは一体、どういうことでごじゃる…」
 ようやくまともに口を出したアラビアに、スカッシュはやはり僅かながらだが、反応らしい反応を見せた。持ち上げるように、やや首を傾げる。
「…気になるのか?」
「……」
 アラビアは口をつぐむ。相手はごくごく薄い笑みを浮かべて言った。
「それは、お前のようなものだ。親父は邪神が眠りに入ったときから自我を得て、どうやら本体である邪神を超えようと画策したらしいからな。つまり謀反…裏切り行為だろう? そんなことを企てた奴を、普通、そのままにしておくか?」
「あ、アラビアは…アラビアは…」
 うろたえる彼を視界に入れながら、スカッシュは続けた。
「親父は…俺がサンクリスタルを与えて復活した後、クリスタルの力でガイアの城塞ごとカオスドラゴンを復活させ、奴を邪神に歯向かうようそそのかした。そして…再び支配されることを恐れた親父は、既に眠りが浅くなっていた邪神の目覚めを、力で妨げた。そのときに、企みを気づかれたんだが…もっとも、そんなことは承知の上だったろうさ。…まさか、クリスタルの力を得た自分がまた倒されるとは、夢にも思わなかっただろうからな」
 最後は、リイムを見ながら彼。自嘲を浮かべて、言葉を切った。後は出方を待つように、そのままで待っていた。――そして、その彼に今度問いを投げたのは、そこにいた誰でもなかった。
「そんな存在と…トランプに何の関係があった!?」
 声と共に現われる。森より飛び出してきた人物は、速く、蒼かった。
「…蒼月!」
 リイムの呼びかけに反応せず、彼等達とも、スカッシュともやや間を置いた人狼は、今はただ一人を見ていた。
 横目で視線を返す彼は、冷たく言い放つ。
「お前は招かざる客だな…何をしに来た?」
「私は…勇者を見届ける為に来たのだ」
「そう、か」
 ぽつりとつぶやいて、そこで終わった。それだけで十分だったのか、スカッシュは目を閉じて開くと、話し出した。
「…邪神は親父によって再び眠りに入った。だがその邪神を、偶然……思うに、ひどい偶然だな。起こしたものがいた」
「それが…トランプだと言うのか…!」
「邪神がいる場所は、お前達の知る、どの世界でもない。神々すら分からない…途方もない場所。手の届かない深奥だ。そんなところへなぜあの魔物が辿り着いたのか…。それは知らない。お前達の方が、知っているんじゃないのか?」
「トランプは…」
 蒼月はやや俯いた。彼は言葉にこそしなかったが、それが何なのかを、スカッシュは見て取った。
「思い当たる節があるようだな。…それで納得できたか?」
「――スカッシュ。あなたのことがまだよ…。答えて」
 タムタム。見据える彼女に向かって、物憂げな眼差しを彼は向けた。
「…タムタム。もう、あらかた分かるだろう…?」
「答えて」
 一言。引く気を見せない彼女の様子に、スカッシュは微かに顎を引いて、苦笑した。
「俺が今生きているのはつまり…運が良いのか悪いのか…まあ、付いてきたおまけみたいなものさ。曲がりなりに黒魔龍の血を引いている俺にも、邪神から力が流れ込むんだ。…言いかえれば…ゲザガインに与えられ、流れ込むはずの力が、俺にも流れてくるんだ。…だから、死ななかったと言った」
「……」
 もはや黙った彼女に向かって、彼は自嘲的な笑みを見せた後、特定の誰かに言う感じではなく、つぶやいた。
「…色々知った。…邪神の奴は俺の存在に気づいて、さぞ驚いただろうさ。正直俺も、驚いたがな…」
 肩すら、竦めて見せる。彼がその仕草をゆるりと終えたところで、リイムは残る事を聞いた。
「君は…どうするつもりなんだ…。君はゲザガインとは…」
「対立している事ぐらい、聞いているはずだ…。俺は支配されないし、従うつもりも無い。俺は、俺の意思のみで動く。今までも、これからもだ…」
 目を細めて、スカッシュは見返す。
「君は…」
「リイム。奴は…いや、やつらはもう、お前しか倒せない」
 彼は言った。
「――君はじゃあ」
 そこでリイムが見ていた眼差しが、つと揺れる。それにより言葉が失われた。スカッシュは横に視線を向けた。
「時間だ。…まずは一人、正賓が来るぞ」
 須臾の間だった。蒼月の正面に当たる――リイム達とスカッシュからは斜めに位置する場所へ、岩の形をした地の精が、すっと現われた。
「え? …地の…精…?」
 リイムがつぶやくと同時、それは別の姿に変わった。黄土色のローブを纏った、背の低い白髭の老人へと。それが何者なのか、そこに居る誰もが瞬時に理解できた。高位精霊、ノーム。
「勇者よ…。もはや私ひとり…私が残る最後となってしまった。貴殿らのもつ精霊の鏡の封印…古の邪龍の封印が解かれるか否か…それはもはや、この私一人の存否によって決められた…」
 視線を注がれたノームは、顔を上げるなり話し始めた。リイムのみを見る。
「勇者よ…我等に言いたい事はあるだろう。しかし、その猶予も許さぬほど、事は切迫している。すぐに、私の位置を突き止めた、別なる龍がくるであろう。邪悪の龍を止められるものは、貴殿のみだ。宿命と…享受されよ。選択するは叶わぬこと。この世界へ訪れる運命は、貴殿ひとりにかかっているのだから…」
 そこでスカッシュが鼻を鳴らした。拱手している。
 気にしたのか、ノームは視線だけだがそちらを見やった。
「ふん…勝手なことを言うものだな。たとえ事態が差し迫っているとしても、人にものを頼む態度としては、不遜極まりないと思わないか? この世界に災厄をもたらしたという自覚がそれでもあるのなら、もう少し遠慮した物言いをしたらどうだ」
 ノームはしわがれた声に、力を込めていた。拒絶する響きだ。
「黒魔龍の血を引く者よ…口出しは無用ぞ。これはお前の決めることではない、決断するは勇者だ」
 言い放ち、再びリイムを見る。だが、声量は明らかに衰えた。
「…我らは過去、とれる最良の手段を選んだのだ。我らがこの世界にこなければ、今あるこの世界の姿はないはず。人々が再び繁栄することはなかったはずだ…。魔界の姿を見るも同じだろう。我らが宿す力…自然の恩恵なくして、荒廃した大地のもと、どれだけのか弱き人々が生きていけたか…。我らはこの世界に対し、精一杯のことをしたつもりだ…。我らの誠意だったのだ…」
「今度はずいぶんと恩着せがましいな…。そのお前達の誠意が今、この世界の運命を左右しているんだろう?」
 スカッシュは腕を解き、再び口を出した。どこか冷笑を浮かべているようで、しかし彼は笑っていなかった。そしてノームは今度、そちらを見なかった。
「…こうなる事は、十分予測できたはずだ。お前が何と言おうと、たとえ結果が同じになろうとも…これはリイムの宿命でも運命でもなんでもない。お前のおごり…お前達が考えついた、勇者の宿命という作られてしまったプロセスだ…」
 一時静まり返ったそこで、突然含む笑いが彼等の耳に届いた。
「フフフフフ…。そんなことを言うようになったとは…小僧達の影響か、スカッシュ」
 声の元は、スカッシュの位置から横に伸びた先。漆黒の姿が出現した。リイムは歯を食いしばった後、相手の名を叫ぶ。
「…ゲザガイン!」
 スカッシュはちらりと一瞥した後、そちらにゆっくり向かい合った。ゲザガインは口元を歪めたまま。
「ククク…。なかなか愉快だ。それは義憤だな…? ハハハハッ! ずいぶん善良になったではないか、勇者に肩入れするとは」
「気に入らないか、そうでないかだ…。俺は誰の味方でもない。だが…貴様は敵だ、ゲザガイン!」
 静かに言い、最後に彼は腰元の刀を抜き放つ。ゲザガインは対照的に、薄笑みを浮かべ、僅かに首を振ったのみだった。
「いつまでも懲りぬ奴め…。だが私はお前など、もはやどうでもいいと言ったはずだ。相手をするつもりはないぞ。後は…」
 その視線がノームを射ぬいたとき、リイムもガラバーニュを抜いた。
「…させない! お前の思うようにはいかせない! モーモー、みんな! ノームを!」
 彼の指示に従い、モーモー達は即座にノームの周りを囲んだ。ゲザガインは顎をしゃくるような仕草を見せた後、両腕を開いた。
「フム…さすがに、多勢に無勢では埒があかないか」
 ゲザガインの頭上に、三色の球体が出現した。赤、青、緑のそれは、高位精霊達が封じられたモノ。
「火の精、水の精、風の精よ…我が呼びかけに集え」
 命に従い、三種の精達がゲザガインの周囲に現われ始めた。ノームはそれを見て、怒りに身を激しく震わせた。
「…ぐううう…同朋の力を利用し、精を操るかっ…! だがここは私の領域、好きにはさせぬぞ! …地の精達よ! 我を守護し、他の精達を止めるのだ!」
 ノームが命ずると、地の精があふれ出るように現われた。ここはその老精霊が言った通り、地の領域なのだろう。それは半端な数ではなかった。
「うわっ…! 精がいっぱいだモー…!」
 モーモーは周りに現われた地の精の数に驚く。精は現われるなり、与えられた命――ノームを取り巻き、そしてゲザガインを取り巻く他の精達に向かった。
「フフ…賢しいことを…」
 ゲザガインは全く動揺しない。冷笑を浮きだたせて、動こうとはしなかった。
 ノームは叫び、さらに命じた。
「みなを…! サラマンダーを…ウンディーネをシルフを、奴の手から取り戻すのだ! 行け!」
 群れた地の精が一斉に動く。向かう相手――ゲザガインは右手を上げた。
「フン…たかが地の精ごとき、いくらいようと吹き飛ばしてくれる――ぐっ!?」
 フードに隠された、下半分の表情が歪む。ゲザガインは、前に出した右手を横にずらしていた。生み出した魔力障壁で、迫ったスカッシュの刃を止めている。
「…俺の相手は、せざるをえないぞ。どうする…?」
 告げるスカッシュに、ゲザガインは無言で残りの左手を突きつけるように出す。が、彼は後方に飛び退いた。そこへリイムが駆ける。
「ゲザガイン!」
 バヂッ!
 接触に、音が鳴った。体勢を低くしたゲザガインの左手に、ガラバーニュが止められる。しかしリイムは一旦引き戻し、強く突き出した。
「…くっ!」
 ゲザガインは貫かれる前に転移した。その先には、既に腕を振り上げた蒼月。
「…!」
 面を上げたゲザガイン。振り下ろされる蒼月の手に、ただむきで顔面を覆う。
「ちっ…!」
 蒼月の鋭い爪に裂かれ、腕から血が吹いた。しかしそちらではない片側の腕を、ゲザガインは躊躇無く突き出す。手が、触れる瞬間。蒼月は大きく後ろへ吹っ飛んだ。
「――っ!」
「蒼月!」
 リイムが駆け寄る。蒼月はすぐに、軽々と起上がった。
「…大丈夫ですよ。ゲザガインは、私を突き放しただけですから」
 そのゲザガインは、再びスカッシュの刃を血の滴る腕で止めている。彼等の周りには地の精が群がっていたが、側に近寄る精はみな消えて行く。
 力の衝突により発生する力場に、近づけないのだろう。攻撃が繰り出され、それをゲザガインが防ぐたび、反動によってか、凝らせば一瞬視覚出来る程の衝撃が生まれる。
「精はやはり、戦力にはならないようですね。…さて、行きますか」
 蒼月はつぶやいて、前のめりに飛び出した。数秒に満たないうち、攻撃に加わる。それも、阻まれたが。
 二人による攻撃を防ぐゲザガインは、腕を横に振るった。
「ぐっ!」
 放たれた不可視の圧力に、肉薄していたスカッシュと蒼月の二人は、ほぼ同時後ろへ飛び退いた。ゲザガインもさらに後ろへ退いて、距離を取った。
「蒼月! スカッシュ!」
 走ってきたリイムが、彼等に加わる。ガラバーニュを構え、今は笑みの消えたゲザガインを睨み付けた。
「フン…。ならば、まとめて相手になってやろう…」
 心持ち面を上げたゲザガインは、不敵な笑みをふっと浮かべて、右手を突き出した。
 と、爆発が起こる。――狙いは誰でもなく、大地。
「うわっ」
 近距離のでの爆風と、炎熱、そして膨れ上がった爆煙と粉塵が彼等を一気に襲った。
「つまらないことを!」
 放たれた一撃は威嚇だったのか、目くらましか。片手で顔面を防いだスカッシュが叫ぶ。
「…フフフ」
 ゲザガインが爆煙にて視界が失われたそこで、笑った。彼等は感じ取って動いた。
「はっ!」
 リイムはそこに、ガラバーニュを振って衝撃波を放った。牽制。間髪いれず、そちらへ向かう。一気に煙の中を突き破って外気に触れると、前には先ほどの攻撃をやはり魔力で相殺したゲザガイン。気配で、左右には蒼月とスカッシュ。
「フッ!」
 最初は蒼月だった。腹腔にてためた力を全てそれに乗せるように、鋭い手刀を一直線に放ったが、フードを掠めただけでかわされた。その反対側からスカッシュが刀を一閃させるが、ゲザガインは読んでいたらしく、消えた。同時、上半身を捻り、蒼月の頭を狙ったニ撃目も虚しく空を切る。
「やっ!」
 再度の衝撃波を、リイムは気配が出現したそこへ放った。しかし、突き出された片手に――またしても魔力によって打ち消される。それからさらに追撃しようとした彼等を、ゲザガインは残りの手を突き出して、差止めた。
「うっ…」
 押し返される不可視の力に彼等が抗うと、その隙に、ゲザガインはさらに後方へ移って、また距離をとった。
「フフフ…三人がかりでこんなものか?」
 ゲザガインは薄笑う。
 周囲は既に――彼等がいるのは、日の光を遮る薄暗い森の中。ノーム達の姿は、見えなくなった。
 リイムはどこかに違和感を感じつつ、それでもゲザガインに向かって行った。
 直立する相手に向かってガラバーニュを横に払うが、手の甲で止められる。弾けるような音がまた鳴り、直後、反対の腕が軽く振るわれたかと思うと、蒼月が肩から胸めがけて投げつけた数本のクナイが、落とされた。それが地に落ちるまでの間に、ガラバーニュを引き戻して斜めから切り返したリイムだったが、触れる寸前、ゲザガインはまたも姿を消した。
 離れて現われたそこでは、スカッシュと接触する。姿がそこへ現われる前に振られた刀だったが、やはり届かない。そんな状態で、ゲザガインはなお薄笑みを浮かべていた。
 しかし、スカッシュは言った。
「どうした…? ずいぶん逃げ腰だな…。やはり、ガラバーニュが恐ろしいか…?」
 その言葉に、リイムは違和感の正体を悟った。ゲザガインには、攻撃する素振りが無い。攻撃をことごとくかわし、防ぎきったが、まともな攻撃は無い。守備に徹して、機会を狙っているのとも、何か違う気がした。それは蒼月もどこかに思っていて、今同様に悟ったらしかった。
 ゲザガインは低く笑う。
「そうだな…。長々と続けるつもりはない。だからもういいだろう。こんな茶番は」
「…なに?」
 変わらず刀を押しつけていたスカッシュの、片眉が跳ねあがる。ゲザガインもまた刃を止めている状態で、動作も無しに、頭上に漂う三色の球を、さらに上へと上げた。
「ずいぶんと気にかけていた…。フフ、これをこうすれば……さて、どうなるかと思ってな…」
 球体が消えた。リイムはそれを見て、怪訝につぶやいた。
「…消した?」
「それがなにを…」
 スカッシュも怪訝そうにつぶやきかけて…しかし、瞬時眉をひそめた。
「――行かせないぞ!」
 叫んで刀を突き出す彼だったが、ゲザガインはそれを魔力で防ぐことなく横にかわし、振り上げた手を振り下ろす仕草で、下に放った。
「ぐうっ!」
 スカッシュが苦痛を発して膝を付く。彼を中心とし、円形状に、まるで重いモノで叩きつけられたかの如く地面が陥没した。
「スカッシュ!」
 リイムは走った。嘲笑が上がる。
「ハハハッ! 言ったはずだ。私の目的はお前達などではない…!」
 ゲザガインは数歩後退した後、消えた。そこから――彼等の側から。森の中から。

<2>

 そこでは競り合いが続いていた。しかし、徐々に勢いが衰えつつある。ゲザガインが呼び寄せた精達が、少なくなっていた。数の多い地の精と、ノームを囲むモーモー達が奮戦したからだ。
 そして、それは突然起こった。火の精、水の精、風の精の動きが止まる。攻撃がなぜか、ぴたりと止んだ。地の精も相手の反応が変わったためか、やはり攻撃を止める。
「どうしたの…?」
 ノームの傍らにいるタムタムはつぶやいた。
「…影響が、切れたようだ」
 ノームが言った。
「ゲザガインの命令が…失われたのだ」
「それって…」
 やはりノームの側にいるモーモーが、尋ねかけたときだった。やや彼等から離れた上の虚空に、三つの光輝く球体が出現した。
 面々が見上げる前でそれは地に落ちると、四方へ好き勝手に転がった。
 モーモーは見ながら、言葉を変える。
「…あれって、精霊が封じられた……あ、ノーム!」
 彼等の気のゆるみ。それから、老精霊の衝動的な、突発なる行動。
 ノームはモーモー達の側を離れると、一散に落ちた球体へと向かった。散らばっているそれを、かき集める。
「おお…! 封じられた同胞達よ…! すぐにその桎梏から解き放って…!?」
 震える歓喜の声をノームが上げると、そのすぐ側に黒いローブを纏った男――ゲザガインが現われた。立ちあがりかけた精霊の首を掴んで、宙に吊り上げる。かき集められた精霊の球体が、再びぽろぽろ地に落ちた。
 モーモー達は叫んだ。森に、響く。
『ノームっ!』
「ぐううっ!?」
 片手で首を掴むゲザガインの腕を、両手で必死に振り解こうとするノームだったが、相手には全く歯牙にも掛けない。堪え切れないように、ひたすら大きく哄笑する。
「フハハハハハッ! 容易い! 笑いが止まらないぞ! こうも簡単に引っかかるとはな!」
「ぐううううっ!」
 さらに身体を振って抵抗するノームに、ゲザガインは酷薄な笑みを見せた。
「フフフ…ずいぶん仲間思いではないか。だが…せっかくこの上ない守衛がいるというのに、自らその防壁を出てしまっては、意味がないだろう?」
「ぐうううっ…うぐぐ…」
「…ノーム!」
 離れた位置。リイムと蒼月が、森から飛び出してきた。急ぎ走ってくる彼等を、ゲザガインは首を捻って見返した。
 そこへ瞬時に、険しい顔のスカッシュも現われる。先ほどのダメージか、至るところに血を滲ませている姿だった。
 痛みのためではない。うすうす感じながらもしてやられた事に、彼は苦々しく言った。
「くっ…やはりそうか…。初めから、相手にするつもりなどなかったな…」
「クク、当たり前だ。お前達など真っ向から相手にするか。私が今遂行するべきことは…ただこれだけ…。こうだからな…!」
 ゲザガインはにたりと笑って宣言すると、掴んだノームを高く突き上げた。
「ぐわああああああーっ!!!」
 黒い力がノームを包み、縛る。森には今度、絶叫が響き渡った。リイムは叫んだ。
「ノームーっ!」
 老人の姿を取ったノームは、彼等の前で呆気ないほど簡単に、黄色い球と変わってしまった。そして絶叫は、耳をつんざくほどの哄笑に変わった。
「ククククク…フハハハハハッ!!! 解けたぞ!!! 四精霊による封印は、今崩れた!!!」
 ゲザガインは両手を広げ、後ろに倒れこみそうなほど仰け反り、上に向かって笑い続けた。精霊を封じた四つの球体は、ゆっくり上昇していく。
 それにまるで呼びこまれたかのように、不吉が現われた。封印が破られた、証ともなったのか。空が見る間に、暗雲に閉ざされる。稲妻がほとばしり、激しい雷鳴が天に轟く。
「封印が…解ける! 鏡は――鏡はどこだ!?」
 声を張り上げて、スカッシュが叫んだ。僅差で、悲鳴が上がった。
「キャアアアアッ!」
「――タムタム!」
 今度はリイムが叫んだ。その先のタムタムは、鏡を両手に持ち、やや前へ屈みこむ体勢で、苦悶の声を上げていた。
 彼女を蝕むモノは――精霊の鏡より発せられる黒い衝撃。幾重にも分かれた、黒い蔦にも似ていた。それが彼女を伝っていた。取り巻いている。
「タムタムが持っていたのか…! 早く鏡を捨てるんだ! 早く!」
 スカッシュが切迫した声で言ったが、彼女はさらに身を屈める事しか出来なかった。
「手が…てが……はなれな…キャアアッ!」
 タムタムを縛る力が増しているのは明瞭だった。刻々と、黒き力が増量していく。
 動けない事を感覚的に知った、一番彼女に近いモーモーが、走り寄って鏡を乱暴に掴んだ。
「タムタム!」
 掴んだと同時、モーモーにもまた、黒い力が伝う。顔が歪んだ。
「ぐぅぅ…タムタムを放せっ! ぐっぐぐぐ…ウモォォ!!!」
 しかし彼は歯を食いしばって、タムタムからひったくるように、精霊の鏡を宙へ投げ捨てた。
 バオオオゥ…
 そんな、声ともつかぬ音がした。
 投げ飛ばされた鏡は、放電するかのように黒い衝撃を放って、宙に浮いた。もやがかった鏡面に、亀裂が入る。
 その鏡に向かい、ゲザガインが狂気に満ちた声で呼ぶ。
「さあ…出て来いディンガズス! 永き封印より、お前は解き放たれた。縛るものはもはや無い。…さあ、出でよ! 狭き鏡の門より出でて、広き世界にて存分に暴れ回るがいい!」
 ――バオオオオオオウ!
 応じるような暗い咆哮。亀裂の入った鏡面が、一枚、地に落ちた。
 剥落した後の中は、闇色があるのみ。それからは次々と、鏡の破片が見る間に下へ落ちていった。最後の欠片が落ちたとき、枠の中は、完全に闇に満たされる。
 そこが、吼えた。
 ――バオオオオオン!
「…うっ!」
 鏡から放たれたプレッシャーに、彼等は歯を食いしばり、また後退し、防御姿勢を取った。風ではないはずのそれが、髪や衣服を、激しくはためかす。
「…出てくるぞ」
 スカッシュがひどくポツリと言った。
 ――オオオオン!!!
 一際大きな咆哮が、浮いた鏡の枠から発せられたとき。枠は粉々に粉砕し、闇の塊が膨れ上がった。それに長い首が生え、足が突き出し、尾が伸びる。
「これが…狂いし龍、ディンガズス…」
 リイムは見上げた、その醜い龍を。大きく、鈍重そうな体躯――四足の太く短い足で大地に立ち、亀の甲羅が無い身体にも見えたか。今まで見た、どんな龍よりも巨大。肌に鱗は無く、褐色の体色で、太い首がかなり長い。角は数本あり、ばらばらに生えている。口はかなり大きく、特に目が異様だった。一つしかない。丸く大きな目と思われるものは、半球のようにせり出し、真っ黒だった。まるで後から、埋め込まれたような。
「オオオオオオオゥ…!!!」
 ディンガズスは鎌首を持ち上げて、さけんばかりの顎を開いた。
 すると、付近にいた精がわらわらと、逃げるように散って行く。しかし、次々と消えて行く。それが本来の自然に戻ったわけではない事が、リイム達にも分かった。
「精達が…逃げるそばから消えていくなんて…これは…」
 リイムのつぶやきに、スカッシュが龍を見上げながら答えた。
「食らっているんだ…。あの龍は、息を吸うように精を呑み込む…」
 そして、それによる変化は瞬く間に訪れた。龍の周辺から。緑に茂る草花がしおれ、枯れていく。木々が次々と葉を落とし、枝を下げ、生気を失う。
「木が…草が…!? 精が食べられて…森が死んでいくの…!?」
 広がる光景を、タムタムは理解した。精がいなくなり、活力が失われたそこは、宿る自然の生命が急速に失われている。
「フフフフ…久しぶりだから、さぞ空腹だろう。そんなただの精どもでは腹の足しになるまい…」
 ゲザガインが、ディンガズスの側に近づいた。と、宙へ転移する。浮いていた四色の球体を、側に集めて言った。
「ここに極上の料理を用意しておいたぞ…。食べるがいい。これで衰えた力も戻るはずだ」
 右手の一振り。ディンガズスの前へ球体を投げる。龍は一口で、それを飲み込んだ。
「…上位精霊達が!」
 リイムが見上げる前、精霊を飲み込んだディンガズスは首を振り、しきりに吠え出した。
「バオオオオオオ…! オオオオオオオン!」
「離れろ!」
 スカッシュ。リイム達はみな、危険を感じとって後退した。
 龍が吼え立てる度に、突風がふき、大地が揺れ、地割れが起こる。空はますます暗くなり、雷鳴も激しくなった。
 暗い空を背景に、微動もせず浮かぶゲザガインは、その高みから彼等を見下ろした。
「ハハハハハッ! こいつは頭こそ悪いが…その分狂暴だぞ。いくら精を食べたところで、その空腹は満たされん。世界に満ちる精を食い尽くすまで、暴れ続けるだろう。フフ…貴様等など眼中にないが、立ち塞がる相手は叩き潰す。…このディンガズスが倒せるか? 小僧!」
「くっ…」
 ディンガズスが吼え続け、リイム達がそれを見上げる中、突如として妙に緊迫の無い声が上がった。
「な、な、な、な…なんじゃあやつぁー!? ま、まさか賞味期限が切れたのかっ!? それとも中身が発酵してるのか…!? 俺はどっちも嫌いだぞ!?」
 驚き叫んだミラクルの前に、ゆっくり同じ物を見上げる、ラムフェリアが出た。
「…狂いし龍。やはり封印が、解かれてしまったのですね…」
 ようやく来た彼女に向かって、気がついたゲザガインは嘲笑を浴びせた。
「ククク。今更何をしに来たのか知らないが、遅かったではないか」
「……」
 無言と視線を返すラムフェリアの横には、さらに人影が出た。彼女達の、やや後方にいたのだ。地味な色のショールと、顔を隠すためだろう、ベール状の被り物が普段の姿と違っていたが、誰も見間違う事など無かった。
「…リイム!」
 ライムの自分を呼ぶ声に、リイムは心底驚いた。
「――なっ!? ライム姫!?」
「ほう…これはこれはどうしたことか…。麗しき姫君がこのようなところに足を運ばれるとは、一体どういうことなのか…? 勇者の小僧の身を案じ……殺される様でも見に来られたのか? ハハハハハッ!」
 ゲザガインは言葉とは裏腹に、とりわけ感心も無く言って、大きく笑う。
 その皮肉の効いた傲慢な態度に、ミラクルが頭にきたらしい。飛び跳ねながら怒り、頭を揺らしたが、
「くっわー! なんか手前勝手な事ばかりぬかしやがって! 俺がっ!てめーのどたまにお花咲かせるっ! …って? ななななっ!?」
 驚きに目を剥いて、後ろへ飛び退く。彼は今ようやくまざまざと、森の様子を目に入れた。褐色の枯れた森を。
「何だ…? 変だな…この辺土の精も水の精も…いや、せ、精が全くいやがらねーぞーおいっ!? こ、これじゃお花がさかーん! ど、どういうこったぁーっ!? ――ぶわあぁぁぁぁぁっ!」
 ただただ驚き叫ぶミラクルだったが、軽い彼はジャンプした矢先、ディンガズスから放たれた突風に煽られ、あっけなく後ろへ吹き飛んで行った。
 リイムは荒れ狂う強風に耐えながら、まずライムの身を案じた。彼女の方に顔を向け、何とか大声にする。
「…ライム姫、危険です! お下がり下さい!」
 それに動いたのはミッキーだった。吹き飛ばされないよう、座りこんだライムとラムフェリアの前に立つ。
「……」
「ありがとう…」
 ライムはミッキーの後ろで立ちあがった。その、重量のある大きな岩の身体で強風を防いでくれるゴーレムに、礼を言う。
「バオオオォン!」
 上にひと吼えして、ディンガズスは足を動かした。道からはみ出した図体が揺れ、枯れた木々がなぎ倒された。
 モーモーが数歩前進し、構えた。
「動きやがるぞ! 止めねえと…! 森がさらに死んじまう!」
 さらに踏み出そうとした彼の前に、スカッシュが出た。前を見たままだったが、告げる。
「一旦奴から少し距離をおけ。…一時的だが、俺が足留めする」
「…分かった」
 考える暇も無く、またするつもりも無く。構えた姿勢で、モーモーはスカッシュを見ながら後退した。
「うん? 何をするつもりだ…」
 ゲザガインは彼等のやり取りを上から見下ろしながら、魔力の収束を感じとって、怪訝そうに漏らした。
「オオオオン…!」
 ディンガズスも何か感じ取ったのか、そちらを向き、鎌首を高く振り上げた。
「スカッシュ!」
 攻撃が振り下ろされようとしている――。リイムは叫んだが、龍を見上げる彼からは、逆に鋭い喚起が返った。
「放つぞ…構えろ!」
 刹那。ディンガズスが叩き付けるため、首を振り下ろそうとした瞬間、スカッシュは右腕を横に払った。
 ――爆発。
「…!」
 轟音、振動、爆煙、そして放射される衝撃。スカッシュの意図を汲んだ彼等は、それらに耐えた直後、ディンガズスを見やった。姿は見えない。煙と粉塵が塔のように高く、立ち上っている。
「魔法…効いたのかモー?」
 燻る中、モーモーは前に向かって聞いた。そこから返答は、素っ気無いがすぐ返った。
「いや。…同質である俺の魔力は、奴等に全く効かない。だから地面に向けて掘り下げた」
「バオオゥ! オオウ!!!」
 そこでしきりに、ディンガズスが短く吼えだした。たちまち風が巻き起こり、一気に煙と粉塵が払い除けられる。その姿が一同の前に、露になった。
 地割れに半分飲み込まれたか、陥没した地面にはまったかのようだった。龍は前足で地を掻いている。伸びた首はそのまま。しかし、下半身は見当たらない。地の中だ。
「落としたのか…。――!?」
 ディンガズスの様子を見てつぶやいたリイムだったが、移ってきた気配に反応した。やや離れていたが、下げられた右手には、微かに見える魔力を集めたゲザガイン。
「…くっ!」
 スカッシュが焦りを表してそちらを見やれば、ゲザガインのその手は素早く動いた。
 全く見えなかったが、魔力弾は確実に一点へ命中した。悲鳴は上がらず、頭が一度激しく後方へ揺れた。倒れこそしなかったが、彼は数歩よろけた後、足を開いた体勢で面を下げた。ぽたぽたと落ちるものが、地面にしみを点々と付けていく。
「…だが、純粋な黒魔龍ではないお前には、このとおりだがな」
 解説だと言わんばかりのゲザガイン。リイムはスカッシュの側に駆け寄ろうとしたが、出された手は明らかに拒否を示した。
「スカッシュ…!」
 彼はゆっくり、血が淋漓する面を上げた。視線はゲザガインに向けられているが、
「……これぐらいなんでもない…すぐ癒える…」
 ゲザガインは薄笑いを浮かべながら、顔付近に上げた手のひらを手前に向ける。
「気が変わった。また相手をしてやるぞ、スカッシュ。フフ…来るか?」
「望むところだ…」
 スカッシュが睨んで返す。と、相手と彼は全く同時にそこから消えた。
「つあー!? なんかせこいぞお前らーって感じがするのは俺だけー!? ぶわあぁぁぁーっ!!!」
 声を上げたのは、匍匐前進でずりずり地を這って戻ってきたミラクルだった。が、一時だった。ディンガズスより再び突風が起こり、顔を上げたとたん煽られて、彼はまた後ろへ飛んで行った。
「バオオオオオオオオン! オオオオオオオッ!!!」
 龍が吼える。すさまじい風に、モーモーは踏ん張りながら舌打ちした。
「ちっ。さっきからなんて風を起こすんだ…。まともに近づけないモー…うわっ!?」
 その彼が、突然引っくり返った。突き上げられ、バランスを失った――。足元が、地面がいきなり隆起したのだ。二メートルは盛り上がっただろうか。そして広がるように、今度は次々地面から岩盤が突き出し始める。
「わああああっ!?」
 アラビアも隆起に転げ落ちる。リイムは彼等を一瞥してからつぶやいた。
「モーモー! アラビア! 奴の力は、飲み込んだ精霊達の力なのか…!?」
 ディンガズスを睨み据えると、リイムの足元も隆起した。しかし彼は上手くかわし、平たい大地に降り立った。即座に、ガラバーニュを横に構える。
「近づけないなら…ガラバーニュ!」
 リイムは剣を振り、球状の雷光を放った。一直線に、標的へ向かう。
 今動けないディンガズスに、それは命中すると思われた。だが、光が届く寸前、地面がまたも隆起する。
 岩盤が盾のように現われ、放たれた力と衝突。岩は粉砕されたが、雷光も同時に消滅していた。
「防がれた…!?」
 相殺された事実に、リイムは驚く。ディンガズスはまるで彼を嘲笑うように、口を大きく開いて低く吼えた。
「オオオオオン…」
「うかうか出来ませんよ。次が来ます!」
 蒼月が前に出る。ディンガズスは喉を膨らませると、口を開き、そこから燃え盛る炎のブレスを吐いた。彼等は横に跳んでかわす。
 ディンガズスは炎を吐き終えた後、再び鎌首を持ち上げて、上を向き吼えた。
「ルゥオオオオオン…!」
 すると周りに、一抱えもありそうな氷の塊が無数に出現した。蒼月が苦々しくつぶやく。
「今度はあれですか…。あくまでも近づけないつもりですね…」
「バオオオオ!」
 首を突き出す動きに、氷塊がつぶてとなって放たれた。次々と降り注ぐ。砕ける音が当たりに響く。リイム達は軌道を読み、攻撃を避けていたが、
「っとあぶねえ! …なっ!?」
 隆起した岩で氷塊を防いだモーモーだったが、彼の身の上に、瞬時はぜ割れた岩が襲いかかった。頭を庇って何とか屈みこんだその上に、降りかかる。
 炎によって熱された岩が、氷塊によって急激に冷却された結果、砕けた。
「モーモー!」
 リイムは気にしたが、矢継ぎ早に襲いくる氷塊が、彼をモーモーに近づけさせなかった。何とかディンガズスに接近しようと、それでも前進していた蒼月も、ちらと見た。
「…あの男、ゲザガインは頭が悪いと言いましたが…。もしもアレを計算していたとなれば、そうとも言えませんかね…。!? ぐうぅっ!」
 つぶやきが終わったとたんだった。彼の勘であっただろう。腰を落として腕で顔を庇った姿が、後方へ大きく弾き飛ばされた。リイムはそれを目にして、名を呼ぶ暇も無い。
「バオオオオオオオン!!!」
 一段と大きな咆哮がディンガズスから発せられた。すると、地より突き出た岩が全て崩れ去り、そして今まで以上の暴風が吹き荒れた。嵐が、招かれたように。
「わあああああ…と、飛ばされるで…ああああ…っあ!」
 アラビアが風に飛ばされて、後方の木に叩きつけられた。ロビーもジョージも、やはり風に飛ばされて行く。悲鳴は、激しい嵐の音に掻き消されたが。元からやや距離を置いていたタムタムは、彼等の事を気にしながらも地に座りこみ、何とか木にしがみついている状態だった。
「……!!!」
 重い体のミッキーは、何とか立ったまま風に耐えていた。それでも、徐々に後退している。
 ライムはそのゴーレムにしっかり掴りながら、なんとかリイムの名を呼び、身を案じた。
「り、リイム…!」
 もはや、正面切ってディンガズスに相対しているのは、彼だけだった。しかし動く事は出来なかった。ガラバーニュを地に刺し、それを握ってひたすら堪えるリイムだったが、彼もまた、勘で悟った。蒼月が勢いよく飛ばされた攻撃が、向けられた。
 迫りきたその刹那に、視る事が出来た。
 圧縮され撃ち出された、空気の塊。
「! ――うわあああぁっ!」
 リイムは自分が弾き飛ばされた一瞬だけ、そこに意識があった。

 龍には見覚えがあった。戦った事があるからだ。その身体は赤く、蛇のように細長い。腕は翼状で、足は無い。
 口蓋を開け、激しい憎悪を吐き出し、それは吼えていた。
 見た事がある。そこはガイアの要塞。そして、目の前の龍は混沌の、カオスドラゴン。ただし、知った姿よりゆうにニ倍を超える――数倍も巨大だった。理解は、容易かったが。この時が訪れたように。既にあった。
 このカオスドラゴンは、絶望に満ちたラクナマイト――そこに住む大勢の人々の暗い心を糧として強大化した、それだった。
「うおおおおおっ!」
 何度も聞いた、知った男の声――。雷光の騎士だ。腕に握られたガラバーニュが、カオスドラゴンの身体を貫いていた。
「こ…この…人間めがアァァァァッ!!!」
 伝わる。カオスドラゴンは猛々しく吼えながら、ガラバーニュの力に抗っている。その衝撃が、雷光の騎士を押し返そうとしている。
 騎士は耐えながら、ガラバーニュに力を込めながら言った。叫んだ。
「ぐううう…! 駄目だ…! こんなんじゃだめだっ!!! こいつを倒すにはもっと、もっとだっ…! ガラバーニュの力はこんなもんなのかっ!!! おいアラビアっ、お前なら分かるだろう!」
「だ…駄目でごじゃる…! それ以上出すのは駄目なのでごじゃる…。アラビアはここにいるから、だから…駄目でごじゃる…!」
 後方から聞こえたアラビアの声。姿は見えないが、うろたえているようだった。
 そんなアラビアに、彼は催促した。
「…出来るんだな!? 何でもいいから、早くこいつを倒せる力を…!」
「――駄目でごじゃる!!! そうすればきっと、お前が持たないでごじゃる…!」
 今度はアラビアが叫んだ。悲鳴のようにも聞こえたほど、張りさけんばかりの声で。
 間は、ほんの数秒だっただろう。彼は怒声を発した。
「…んなことはどうでもいいだろうっ!!! 大体お前は俺を呪い殺すんだろうが! さっさとしろよ! うおおおおおっ!」
 さらに激しい力が押し寄せる。彼は気迫で、負けじと押し返す。しかしじわじわと、押されているような気がした。
 自分が戦ったカオスドラゴンより、何倍も強力な同じ敵。ガラバーニュの力を、押し返すことさえ出来る相手なのだから。
「…あ、アラビアはお前を…お前を…!」
 泣き出しそうな声は、猛る龍と騎士の叫ぶ声の中にあって、どうにか届いた。
 分かる。彼の心にはよく届いたはずだ。ガラバーニュを握る手に、さらに力が込められる。だが、やや俯いた。
「ぐうう…っ! わ…わる、悪かった…。けど、頼む…頼むよ…っ! お願いだ! そうしないと、俺がお前を呪うからな…っ。だから、頼む…! 力を貸してくれ!!! 頼む…!!!」
 自分でも、無茶苦茶を言っていると思った。
「お前…最低でごじゃる…! 勝手でごじゃる…! アラビアはもう…もうどうなろうと知らないでごじゃる…!」
 アラビアは怒っていた。足を踏み鳴らして、たぶん彼の背中を睨み付けて、そして、震えたのかもしれない。
「ガラバーニュの真の力がどれほどか…教えてやるでごじゃるっ…!」
 そして、感じた。ガラバーニュから一気に力がほとばしった。抑えも、出来ないほどの。溢れ出す。
「…ッ! オオオオオッ!!!」
「ゴアアアアアッ! ガ…アアアアアアアア!!!」
 カオスドラゴンが悶え出した。首を持ち上げ――。騎士への抗う力が弱まる。
「い…いける…! この力があればいけるぞ…あ、アラビア…!」
 アラビアは何も答えなかった。それから、彼は一気に終わらせようとした。力を、意志を、ガラバーニュに注ぐ。剣は応じ、光を増した。混沌をその光にて、焼く。
 カオスドラゴンの力は確実に、しかも急速に弱まりつつあった。咆哮も弱まっていく。だが、その龍に変化が起こった。
「…うっ、な…なんだ!? カオスドラゴンの力が……! なぜだ…っ!?」
 急速に弱まりつつあった力が、今度は急激に膨らんでいく――。そうとしか、思えなかった。しかもガラバーニュに――アラビアの助力を得て、真の力を解放したその剣で貫かれてなお、力を増している。
 とてつもない何かが、カオスドラゴンに力を与えているのか。それ、なのか。言った。
「…滅する…! ガラバーニュよ、その使い手よ……共に闇へ滅びよ…」
 と、そこで、涼やかな声が耳に届いた。力が轟々と渦巻く嵐の中で、たったそれだけが、音としてあったような気がした。
「やはり来ましたね…邪神ヨグド。ですが、あなたの思い通りにはさせません。これから私が、あなたを封印します。世界に大いなる災いをもたらした邪悪よ…今、光の中へ消えなさい…」
 彼女の、声。そして、まばゆい白光が満ちた。

 まばゆさに、リイムは目を細めた。しかし、開いたそこはもう、暗かった。暗雲に包まれた空からは、眩しい光など届くはずもない。
 側には蒼月がいた。膝をついて、しっかりしているかと、尋ねる。
「リイムよ…どうした?」
 リイムは蒼月を見返して、自分が一時気絶していて、今気がついたことを知った。上半身を、倒れた大地から持ち上げたところ。
「…蒼月。ディンガズスは?」
「我らを吹き飛ばし…今ようやく、身体を持ち上げていますよ…」
 蒼月は首を振る仕草で示した。
 ディンガズスとは、飛ばされた事で以前より距離がある。彼の言う通り、龍は前足を動かして、はまった大地から抜け出しかけていた。
 少々、ぼうっとしていたリイムだったが。不意に現実が鮮明になった。
「あっ、アラビアやモーモー達は…!? ライム姫達は!」
 蒼月に聞いたが、答えは後ろから返った。寄ってきたモーモー。側にはタムタムも、ロビーもジョージもいる。
「リイム。俺はもう大丈夫だ。タムタムに癒してもらったモー。ライム姫達も、ミッキーのおかげで無事だよ」
 振り向くリイムに、モーモーは後ろを一回、肩越しに振りかえった。そこには、後退していたミッキーと、立っているライム、ラムフェリアの姿が確かに見えた。
「アラビアもここでごじゃる。それよりリイム殿こそ…大丈夫でおじゃるか?」
 今度は横から。リイムはアラビアを見上げて、それから立ち上がって切り出した。
「僕は平気だよ…。それよりアラビア、お願いがあるんだ…」
「なんで…おじゃるか?」
「ガラバーニュの力を…」
 リイムがそう言い出したとたん、不思議そうに聞き返したアラビアの顔が、引きつった。
「――駄目でごじゃるっ!!!」
 アラビアはさらに強めた。
「絶対駄目でごじゃるっ!!!」
「アラビア…」
 周囲が絶句する中。彼の急に変わった強い態度に驚く事も無く、リイムは普段の、優しげな眼差しをアラビアに向けた。
 アラビアはそれを直視する事が出来ず、震えて逸らした。だが、再びその目をそろそろと見上げる。
「リイム殿…それだけは、駄目でごじゃる…。アラビアの力も今以上に…一気に強くなるのでごじゃる…一気に…! 力を使えば…リイム殿は………だから…」
 彼の言葉は弱くなっていった。瞳を見るのが辛いのだろう。決意の揺るがない目。優しいその目が。
「アラビア。お願いなんだ…」
 とうとう、アラビアは耐えきれなくなって俯いた。そして首を振った。
「リイム殿…。駄目なんでごじゃる……嫌でおじゃるよ…もう…アラビアは…」
「――バオオオオオオオオン!!!」
 ディンガズスが再度吠えた。やっと地中から抜け出た龍は、首を数回揺り動かし、地響きを轟かせながら、進行を開始する。黒き瞳が見る先は――。
 モーモーが前に出ながら、毒づく。
「あんのゲザガインの野郎…。俺達なんか眼中にないって言っときながら…全くの大嘘付きじゃねえかよ! 見てやがる…。こっちに向かって来やがるぜ!」
 それを合図に、二人以外は構え、あるいはモーモー同様、迎え撃とうと前に出た。
 リイムも一度ディンガズスを見据えて。また、アラビアを見返した。一度目を伏せたが、次には彼の目を真っ直ぐ見返した。
「アラビア…ありがとう。でも、僕はライナークの騎士だ。ライナークのみんなが大好きで、この国を守りたい…。かけがえの無いみんなを守りたい。…雷光の騎士として……たとえそうじゃなくても…僕はラクナマイトのみんなを守りたいんだ。それには君の協力が要る。だから、お願いだよ…」
 蒼月がそこで叫ぶ。見かけに比べ、ディンガズスの接近は早かった。
「――来ますよ!」
「……」
 リイムは動かなかった。アラビアは、俯いた面を上げた。
「オオオオオン!」
 止まって鎌首を持ち上げ、喉を膨らませた姿は、炎を吐くそれだった。彼等はすぐ察知してその場を離れるが、二人だけはまだ、そこにいた。
 ディンガズスの牙をむいた口が、大きく開け放たれる。
「ゴオオオッ!」
 炎のブレスは二人の姿を隠し、簡単に、あっさりと包みこんだ。モーモーが叫ぶ。
「リイムーっ!!! アラビアーっ!!! …なっ」
 しかし、モーモーは目を瞬いた。なお吐き出される炎の中から、光が無数に――四方に放たれたのだ。
「オオオオゥ…」
 怯んだように、ブレスが止まった。光は、ガラバーニュから放たれていた。徐々に強くなっていく。
 剣を縦に構え、目を閉じていたリイムは、全くの無傷だった。アラビアの姿は、もう無い。
「いくよ…アラビア…」
 リイムが目を開いたとき、膨れ上がったガラバーニュの光が彼の姿を覆い尽くした。そして――次には、既にディンガズスの胸に剣が吸いこまれていた。
「バオオオオオオオオオオーン!!! オオオオオン!!! オオオオオーオオオオーン!!!」
 ディンガズスは首を振り乱し、吼えた。ガラバーニュが刺しこまれた身体からは、光が洩れる。
「リイム…!」
 ライム達が、呆然と成り行きを見守る彼等のもとに駆けて来た。
「ガラバーニュの真の力をもってすれば…いかに邪龍であろうとも、抗うことなど出来ません。勝負はありました…」
 ラムフェリアが言う。ディンガズスの身体から突き抜ける光は、増していく。
「くそっ、また奴か! 忌々しい奴め…」
 光の増加と、苦しげに吼える龍に気づき、そこにゲザガインが戻ってきた。リイムを憎々しく睨み据えて、右手を上げる。
 それを気配で察したモーモー達が、阻止しようと動き出すと、彼等に向かって勝ち誇った笑みを浮かべた。
「だが…今は隙だらけだ!」
 存在に気づいたリイムがそちらを見、ゲザガインが右手を突き出そうとする――。
「ぐうっ!?」
 しかし歪む顔。鮮血がそこに散った。引っ込めかけたその右手を、現われたスカッシュが斬りつけた。
 深かったのか、手を抑え、ゲザガインは睨む相手を変えて半歩退く。
「…まだ、俺がいることを忘れるな。邪魔はさせないぞ、ゲザガイン!」
 戦っていた跡だろう。ところどころ負傷している様だったが、彼の覇気は衰えておらず、すかさず機敏な動きで再び斬りつける。ゲザガインは魔力で防ぎながらも、差し迫った状況に、いよいよ焦りの色さえ濃く見せた。
 ディンガズスの四肢を貫く光は、眩しくなるほど強さを増す。咆哮は、確実に悲鳴と成り変る。
「オオオオオン! オオオオオオン!!! バオオオオオオオオォー!!!」
 光は見る間に膨れ上がり、龍の全身すらも覆い尽くした。そのときに響き渡ったひと吼えは、最期の――断末魔であった。
「…オオオオーン!!!」
 その巨大な姿、巨大な光は、一旦四散すると、リイムの持つガラバーニュに集まった。剣は、その光を全て吸収する。そしてディンガズスがいた後には、半透明の、宙に浮かぶ四精霊の姿があった。
 生きているかのように揺らめく、赤い炎。青く長い髪の、線の細い女性。儚げだった眼差しに、僅かな笑みを見せる少女。頭を下げた白髭の老人。
「あ…精霊達だモー…! 良かった、無事だったのか…」
 モーモーが見上げて言うと同時、彼等はそれぞれ別の方向を向き、すうっと姿を消した。
 スカッシュはなおもゲザガインに斬りつけながら、それを一瞥する。と翻し、また横から斬りつけ、やはり防がれても今度は押し付け、相手に迫った。
「…ディンガズスの魂はガラバーニュに封印されたぞ。残る分身は貴様だけだ…!」
 ゲザガインは防いだ刀に押されながら、怒りの形相を返した。
「ぐうううう…! だが…だが、貴様等に決定的な手段は残されていないのだ! どうなろうと貴様等にはな…!」
 二人が相対している先。激しい光が収まり、ディンガズスの魂をガラバーニュが呑み込み終えた事を知ったリイムは、次の相手がいる方向を向いた。が、堪らず両膝をついてしまった。
「…う…ぐ…」
 病魔に蝕まれたように、寒気が彼を襲う。頭が掻き乱れそうな感覚に、生まれそうな喜悦に、頭を振って払おうとしたが、それも出来なかった。ガラバーニュを握らない方の片手も、地につける。息も荒かった。
「リイム…!」
 リイムの様子に、一番に何も考えず飛び出したのは、ライムだった。それを視界に捉えて、ゲザガインは両手に魔力を込めると突き出し、スカッシュを押した。
「――貴様は邪魔だ!」
「っ!」
 倒れず、後方へ数歩だけ押し返された彼。だが、ゲザガインにはそれで十分だった。ごく近く。体勢を立て直したスカッシュが、瞬時に刀を一閃させたときには、もう消えた。
「あっ…キャアアっ!」
 悲鳴が、上がった。ライムの後を追っていた彼等も、立ち止まりざるをえなかった。
「くっ…ゲザガイン…!」
 ライムを左手で捕まえたゲザガインを睨み、何とかリイムは立ちあがった。
 ゲザガインは、今や完全に狂気に満ちた表情で笑う。
「フ…フハハハハッ! まだ…まだまだだっ! 小僧…ガラバーニュを振るえば、この娘も死ぬぞ…! さあ大人しくしていろ…殺してやる!!!」
 右手が上がった。動かないリイムを見て、ライムは身悶えしながら叫ぶ。
「いや…! やめてー!!!」
「ハハハハハッ!!! さあ死ねっ!!!」
 それらは、数秒間に起こった事だった。ラムフェリアが叫んだ。
「ライム! 祈りなさい!」
「――リイム!!!」
 ライムは咄嗟に祈った。叫んだ。すると、彼女の身体から爆発的に、白光が放たれる。
 瞬きするほどの間、起こった。光はすぐ収まって、今はライムの胸元で僅かに発光しているだけだった。しかし、ゲザガインは彼女を放すと目を押さえ、よろめき悶えながら後退る。
「…ウオオオオオッ! さっきの光は…っ!? 馬鹿な…あの光はあぁぁ!!! なぜだ…なぜ、何故この小娘があぁっ!?」
 解放されたライムは、ドレスの下、胸元にある光るモノを、首筋に手を廻して取り出した。
「これが光を…?」
 チェーンのついたペンダントが発光していた。ライナーク王家の紋章を表したモノ。
 ゲザガインはなおよろめきながらも、大きく目を見開いた。
「な…!? それは…そ、そんなはずはない!!! 消し去ったはずだ、あの時…! なぜだ、なぜだぁあっ!!! その力は人が扱えるはずが無い! 無事でいられるはずが無いっ!!! なぜだぁぁっ!!!」
 ひどく動揺し、混乱し、狂い叫ぶゲザガインの前に、ラムフェリアが静かに出た。
「…あなたが消し去ったのは、私が昔使用したものです。あのとき…ライムが身に付けていたモノと、咄嗟にすりかえておきました」
「な、何だと…!?」
「さすがのあなたも、こればかりは知る由も無かったでしょう。…ライムは紛れも無く、私の子孫。私が身に付け、唯一残したそれと…私が生んだ血筋は、失われること無く現在まで、連綿と受継がれたのですよ…」
 静かに語るラムフェリアとは対照的に、ゲザガインは目を剥き、叫んだ。
「その娘が貴様の子孫だと…!? 受継がれただと!? 馬鹿な…馬鹿なっ!!! ふざけるなあぁぁっ!!!」
 苦しみながらも怒るゲザガイン。ラムフェリアは、目をすぅっと細めて告げる。
「あなたの負けです、ゲザガイン。いえ…ヨグドと言った方が正しいですね。…なまじ力の器の形状を覚えていたせいで、それに本当に力が秘められているのか…その大事な確認を怠ったのですよ、あなたは」
 それからゲザガインは、身を仰け反らせ、崩れたように笑い出した。
「フ…フフフフ…フフフ…ハハ…ハハハハッ…! 私の…この私の負けだと…? ――っはぁ!?」
 ゲザガインの声と動きが一瞬止まった。胸から刀の切っ先が鋭く突き出ている。背後から、スカッシュが貫いた。
「貴様の負けだ…ゲザガイン」
 やはり告げたスカッシュに、ゲザガインは震えながら首を回し、背後を見ようとした。
「負け…だと…!? ぐふっ!!!」
 今度はその身体が、跳ねるように動いた。被ったフードが、拍子に外れる。しかし、倒れる事は無い。口からは、血が流れ出る。リイムのガラバーニュが、前からゲザガインを貫いた。
「ぐ…ぐううオオオオオオォッ!!! お、おのれえェェェ!!!」
 ゲザガインは真上を向き、空に向かって吼え叫んだ。
「ゲザガインが存在していられるのはあと僅か…。さあ…来なさい。もはや、出てこざるをえないはず…。来なさい邪神よ! 前のように!」
 ラムフェリアは一歩前に出て、ゲザガインに言った。ライムから受け取ったペンダントを、両手で握りしめて。
 ゲザガインはガラバーニュに貫かれていながらも、それでも笑い続けて、彼女を開ききった目で見た。
「フ…グググ…ハ…ハハハハハハッ…! まったく…まんまと出し抜かれたわ…! ハハハハッ! だが…同じ手を何度もくらうと…思うのかああっ!!! 出てこざるを…えないだと…!? フフフフフ…ハハハハハハッ!」
「…あなたが、ヨグドが魂を分けた、残る最後の分身。あなたがそのガラバーニュに封印されれば、もはや使える手駒はなくなる。…出てこなければ、ヨグドは力の大半を封印された状態で、自ら逃れた闇の深奥から出ることすら、容易ではなくなるはずです。何千…いえ、何万年も。それだけの時が過ぎれば、神々の力も癒えるでしょう…。そうなれば、手はありません」
 笑いつづけたままで、ゲザガインは彼女の言葉を肯定した。
「フフフフ…そうだ、その通りだっ!!! だが…グググググゥ…! だが…だが! 前と同じようには…いかんぞ!!!」
「――!?」
 リイムは驚いた。どこにそんな力が残っていたのか――両手を振り上げたゲザガイン。
 ところが、攻撃するのではなく、驚く面々の前で、自らを突き刺しているガラバーニュの刃を握った。手から流れ出る血が、剣を伝い落ちる。
「…往生際が、悪いぞ!」
 ただならぬ様子を感じたスカッシュは、刀を一度引き抜くと、再度深深と突き刺した。
「グフゥッ!」
 口からさらに血が流れ出る。ゲザガインの黒いローブには、刀が一度引きぬかれた事によりどっとあふれ出た鮮血によって、たちまちどす黒い染みが広がった。
 ガラバーニュを握った手は、震えながら一時ゆるむ。
「ウ…ぐぅ…」
 しかし、ゲザガインは片手で自らの前に突き出た、刀身を掴んだ。低く笑う。
 スカッシュはかなり驚き、柄に力を入れて試みるが。
「くそっ…動かないだと…!?」
「これ以上の邪魔は…ごめんだからな…フフフ…」
 それから。残った片手で再びガラバーニュを握り、ゲザガインはそこに力を込めるように吼えた。
「グゥオオオオオオッ!!!」
「何をするつもりです!?」
 問うラムフェリアに、ゲザガインは血を吐きながら、血走った目であくまで笑う――凄絶に嘲笑した。
「グフ…フフフフッ!!! ばか…め…手がないだと…!? わら…笑わせるなあぁぁっ…! 私には、このときのための…力が与えられた…のだ! 同じ手が…通用すると思う…な…!!! グウウウウ…今…いま…返してもらうぞ! カオスドラゴンとディンガズスの魂をォ!!!」
 リイムも必死にガラバーニュを抜こうとしていた。しかしどうしても抜けなかった。
「う…ガラバーニュが…!」
 彼は感じた。ガラバーニュが身震いしたのだ。ゲザガインによって、引きずり出されようとしている。呑み込んだ二つの魂が――。
「…させませんよ!」
 悪い予感に、蒼月、モーモーが阻止しようと動いた。が、相手は弱っていながらも、猛々しい声を張り上げた。
「邪魔をするなあァァァッ!!!」
 ゲザガインから、黒い波動が放たれた。身に受けたそこにいる誰もは、金縛りにあったように動けなくなった。
「うぬっ…!」
「くそぉ! 身体がうごかねえ…!」
 震える彼等。術を必死に破ろうとするが、全く動けない。そして、
「…グウウオオオオ!!! こうなれば…もはや手駒など要らぬのだあああっ! 再び…元にもどれば…!」
 ゲザガインが凄まじい形相でそれを行うのを、彼等はひたすら歯を食いしばり、見届ける事しか出来なかった。
「う…うわああああっ!!!」
 リイムが悲鳴を上げる。ガラバーニュが黒い力に包まれた――いや、黒い何かが急激に膨れ上がって、上に。
 剣から分離したそれは、二つになって尾を引きながら、上空の渦巻く暗雲の中へ勢いよく昇っていく。届く瞬間、雲が割れ、吸いこまれた。
 真上を向いて、雲の割れ目を凝視しながら、ゲザガインは笑う。
「ハ…ハハハハァッ! 私の役目も…終わった…ぞ! ハハッハハハハハハッ…ハハッ…ハ…ハ……」
 ようやく、力を使い果たしたのか。彼等の動きを封じた術は、解けた。しかし、もうその相手に手出しは出来なかった。自らも、終わらせたのだから。
 ゲザガインの笑みは弱くなり、身体を一度震わせた。直後、貫かれたままの黒い姿は黒い魂となって、先ほどの二つと同様に急上昇し、厚い雲間に消え去った。

<3>

 時に、まだ夕闇が訪れることはないだろう。しかし、厚い雲が渦巻く空は、暗さを増すばかりだった。連想させるほどに。もう…二度と日の光は、地上に射すことがないのではと。
 彼等の多くは、無言でその天を見上げていた。動かず、見上げるのみ。
「うっわーくれーなぁ! これじゃ光合成ができねーよっ! おおっ、しかしバカでかいのと黒いのはいなくなったじゃねーかっ! …って、何でそんなに暗いんだみなさーんっ!? 俺がせっかくひぃひぃ言いながら戻ってきてやったってーのにっ!?」
 今ごろそこに、ミラクルが戻ってきた。ずいぶんと彼方へ飛ばされたらしかったが、誰も彼など相手に出来なかった。きっかけには、なったが。
「邪神が…分けた魂を再び取り込んで…復活するの…?」
 座って俯いているリイムの側で、タムタムがようやくつぶやいた。ラムフェリアは、静かに答える。
「すぐには動かないでしょう…。しばらくは深淵にて、力を回復させようとするはずです…。その後で、邪神は…」
 そこで、彼女の前にスカッシュが立った。刀は下げられたままだった。
「その力を渡せ…。まだ、失われていたと思っていた…お前が邪神を封印する力があるのなら…」
 彼の要求には、やや俯いた顔。首が横に振られる。
「…無理です。前の邪神ならば、それも可能でしたでしょう。ですが、今の完全体なる邪神を封印するには…あなたでも…まして解放するのが私でも…不可能です。この力は…以前ほど強力ではありません…。何とか達した、ぎりぎりの力なのですから…」
「…どうすればいいんだモー? もう…その邪神って奴が世界に現れて、襲うのを見るしかないのかモー!!!」
 やる方無い。モーモーがいらついたような、怒ったような、激しい感情が入り混じった声で叫んだ。
 その場は静かになったが、ラムフェリアがポツリと言う。
「でもたったひとつ…ひとつだけ、まだ方法が残っています…」
「なんですか…! そのたったひとつの方法って…?」
 一手に同じ問いを引きうけて、タムタム。ラムフェリアに視線が集まる。
「いまだ果てしない闇底に潜む邪神…その力を今のうちに弱らせることができれば…きっと封印できます…」
「どうやって!? そこにはどうやって行くんだモー!?」
「邪神に対抗できる武器は、もちろんガラバーニュしかありません。そして、神々すら計り知れない闇の深淵…邪神のたもとへ行くことが出来るのは…」
 ラムフェリアは前を見る。そこでは先ほど彼女の前に立った人物が、目を僅かに細めたところだった。
「…スカッシュ…?」
 タムタムが些細なやり取りを見ながらつぶやくと、ラムフェリアは頷いた。彼を見て。
「そうです。…あなたは、現在も邪神と繋がっている。辿れるから、私の力を狙ったのでしょう。そうですね?」
「俺に、連れて行けと言うのか…? だが、リイムはどうだ…」
 スカッシュはやや不満そうにラムフェリアを見返して、それから視線でリイムを追った。
 彼は、相変わらず座りこんでいた。目を固く閉じ、俯けられた顔には、汗が無数に浮き出て流れている。そこで、うめきを発した。
「……う…うううっ」
 リイムは顔を片手で押さえた。側で彼を看ているタムタムとライムは、呼びかけた。
「リイム…リイム…」
「リイム…!」
 つかの間、その様子を見ていたスカッシュも、彼の名を静かに呼んだ。
「リイム…。…いけるのか?」
 対しリイムは、俯いた顔を僅かに上げた。そして剣を杖代わりに、それでもよろめかず立ちあがった。憔悴した感はかなり見受けられたが、瞳の輝きだけは、変わり無かった。
「…僕は…まだ大丈夫…。まだ…まだ、僕でいる…」
「でも、もうこれ以上戦えば…!」
 ライムは横ですかさず叫んだが、リイムはスカッシュを見ながら、前に歩き始めた。
 ラムフェリアが告げる。
「堕ちてはなりません。いいですか…? 私は必ず…邪神を封印してみせます。そのとき、光は因果を断ちます。…必ず、戻ってくるのです」
「…はい」
 リイムはしっかりと頷いた。ラムフェリアは佇むスカッシュを見やる。
「…異存は、ありませんね?」
 彼は答えの代わりか、しばし、目を閉じた。
「大勢は、連れて行けない…。どのみち、リイム以外を連れて行っても役に立たないがな…」
 告げてから、スカッシュはゆっくり瞳を開いた。言葉にこそ皮肉は入っていたが、今はそれを真に受ける者などいない。言った事の意味を捉えて、まずモーモーが歩み出た。
「俺は行くモー! 俺は、俺はいつだってリイムと一緒だ…!」
「私も行くからね…。私が行かなくちゃ…心配だもの」
 タムタムも出る。そんな折に、ミラクルがぶんぶん頭を振った。何か踏ん張った顔で、考えているらしい。
「お、おれどーしよっかなー…! どーしよどーしよ…どーすればっばっばっ!?」
「リイム…! 私は…」
 ライムが言いかけた。それに振り返ってリイムは、普段通り優しく微笑した。
「ライム姫…。必ず戻ってまいります。だから、待っていてください…」
「はい…」
 素直にライムは頷いた。ラムフェリアは一時ほど、ごくごく微細に微笑んで、リイムに向き直った。
「…私はここであなた方を見守り、時を待ちます。私が行けば、真っ先に狙ってくるでしょうから…邪神が弱った暁に、あなた方のもとへ行きます」
「そんなことが、お前に可能なのか…?」
 疑問を投げかけるスカッシュに、ラムフェリアは説明した。
「これからあなたの位置を常に捕捉しますから。あなたが存在する限り…行けます」
「そうか…」
 納得したらしく、彼は視線を彼女から逸らし、後は待つように腕を組んだ。
 リイムは蒼月の方を向いた。
「蒼月。頼んでばかりだけど…ライム姫とラムフェリアさんを…お願いできるかな…? 残りのみんなも…」
 ミッキー、ロビー、ジョージを見る。彼等からは頷きが返った。ミラクルはまだ一人唸って、しきりに頭を振っている。そして蒼月は、かなりわざとらしく、考えるフリをして見せた。
「そうですねぇ…。必ず戻ってくるとあなたは言いましたし…この前の約束と交換という条件で、引き受けましょうか」
「ありがとう…」
 そこで、スカッシュが腕を解いた。
「…そろそろ行くぞ。ここにいても時間の無駄だ」
「分かった。…行こう。スカッシュ、モーモー…タムタム…」
 リイムは彼等を順じ見た。彼とモーモー、タムタムは、スカッシュの周りに集まる。
「…心の準備はいいか?」
 スカッシュは無表情で、視線は投げずそれぞれへ言った。モーモーは態度で示す――拳を上げる。
「…万全だモー! で、俺達はどうすりゃいいんだ…?」
 ムッと難しい顔をした彼に、スカッシュは微苦笑を見せた。
「別に何も。いや…目を閉じておいたほうがいいかもな。…ただ、意識は失うな。途中でどこかの闇に落ちても、俺は探してやらないぞ。…出来ないからな」
 そう言って、彼は目を閉じる。薄い笑みを残したままで、僅かに上向いた。
 それを見て、リイム達も目を静かに閉じた。
「さて…行くか」
 脳裏に見えざる道先を掴んで、彼は上向くのを止める。笑みだけは、まだ消えなかったが。ひどくささやかな声で、つぶやいた。
「こうなっちまうとはな…」
「ああーあー! 気になるからやっぱ、俺も行くとするぅー! オッス、飛び入りぃぃっ!!!」
 多少諦めのあるつぶやきを打ち消し、飛び出すミラクル。と、姿が消える一同は、一条の黒い筋となって、暗雲を一挙に突き抜けた。
 
<次へ>

 
<つぶやき…>

※もう最後まで上げてしまいたい気分なのに、それができない根性なしの自分がいやーんです…(02年5月19日)

■1より

クルクルの木
非常に書き辛い理不尽な木(苦笑)。説明もあまり触れないように(苦笑)
具体的に葉っぱはどういうふうになっていて、枝はどうなっているのか知りたいですよ…。

彼等の真後ろ――完全に振り返った先から聞こえた
私が書くスカッシュはですね、中身がどうにも根性悪ですからね、なんかああいう場合(?)後ろを取っていて、澄ました感じで出るんですよね(笑)
今回はほんと彼の台詞ばっかしです。まあ、お約束みたいなもんですが。

「考えたことはあるか? その剣は…何のために存在すると思う?」
魔剣なんてものはありがちでー。神話とか称されるものもありがちでー。自分では「リトマスらしくこれは王道パターンなんだ」ということで心に決着。…。
でも、3だと、ガラバーニュなんてほっぽられて、かわいそう(?)でしたし、剣のグラフィックは戻っちゃうし、アラビア出番なしだし(笑)、自分の、こうも屁理屈こねる強引さにさっさと上げて忘れたい気分…ときます…。

「答えて」
ふふふ、集団だと強くなるんですよね、一人ではできなくても(それとは違います)

ノーム
なんでこんなに堅物っぽくなっちゃったんだろうなキャラ。実際は、お気楽な人柄なのに。
あ、でも自分の話しでは、こやつのおかげでクルクルと森が回ってるんですよねぇ(苦笑)


※次で上げるのラストです。…最後の方になると思いが卑屈になってくるもので、微妙に前向きにっ。(02年5月25日)

■2より

「フハハハハハッ! 容易い! 笑いが止まらないぞ! こうも簡単に引っかかるとはな!」
たやすいですねっホント。考え安易で…わは!

四精霊による封印は、今崩れた!!!
もう、最初からこうなる展開が分かる辺りが王道。リトマスっぽい(殴)

「ぐぅぅ…タムタムを放せっ! ぐっぐぐぐ…ウモォォ!!!」
このシーン、彼にやらせたかったのですけど、あんまりすると気分を害される方が増えそうで、控えました。
気配り気配り(苦笑)

バオオオオオオウ!
ぞーさん。…。あの、鳴声はぞうさんをモチーフとした…。その、長いし。…。声にこまっちゃって。馬鹿だし。こんながお似合いかと。

ディンガズス
当初は翼竜状の奴を考えておったのですが、思えば飛ばれたら困りまくりなので(苦笑)話のようなのっそのっそタイプに。

さけんばかりの顎を開いた。
あぎと。あぎとです。あごぢゃないです。

森が死んでいくの…!?
城が壊れなかったと思えば、また森です(苦笑)。リトマスは、シリーズ全作森が被害にあってますね。1はなんか謎ですが…。

こ、これじゃお花がさかーん! ど、どういうこったぁーっ!?
私の頭の中では…精がいないとサンフラワーも花を咲かせられないのです。サンフラワーは、地の精や水の精なんかに影響を及ぼして、花を咲かせると…。だから、その精がいないとダメなんです。
サンフラワーやらスノーマンなんかは、亜種というかハイブリッドというか…。ともあれ、四元素の精達より上位としています。

魔法
いやー、あの世界の魔法はどうなってるのかさっぱりです。体系化されているものでしょうか…。とりあえず、タムタム達が琥珀使いとしか分かりませんね…。他に人が使える魔法があるのか…も、よく分かりませんし。とりあえず私は、人が使う魔法と魔物が使う魔法は違うと考えておりますが。人は琥珀媒介で魔力を増幅し、魔法を。魔物は媒介を必要とせず、己の魔力のみで。

彼はゆっくり、血が淋漓する面を上げた。
血も滴るいい男…(蹴)うわーすんません。

炎によって熱された岩が、氷塊によって急激に冷却された結果、砕けた。
熱膨張とか云々。岩は魔力で一時的に作られたものであり、強固な一枚岩などではありませんので。ぼろぼろと。

■3より

今ごろそこに、ミラクルが戻ってきた。
戻ってこんでいいものを(苦笑)。でも、最初から、次の最後に出番がなぜかあったもので(笑)



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