お膳立てトラップス
<1>
頻繁に勇者軍に従軍し、実際は胆力のある宮廷僧侶の彼女だったが、周囲で起こる出来事は、何かとその彼女を驚かせる事がしばしば。
「――えーーーーーーーーーーーーッ!!!!!」
心底から直通で飛び出す吃驚の声で、最たる長さと声量、反応速度の全てを更新したのが、今この時であった。
「ま、ま、まって下さい……ね」
とりあえずストップを掛けてみる。
場所はライナーク王国の王城城下にある、ネズミのラドックの研究所。正午頃。そろそろお腹が気になる時間で、同じ部屋にて片づけをしていた隣国の宮廷司祭見習いの親友と何を食べようかと話をしていて、いつも通りと言えばいつも通りの変哲の無い半日を過ごしていて、平凡にして平凡。平和なるかな、本日快晴というありふれた一日の中で。
だが、そこに聞こえたドアの開閉の音でゆっくり振り向くと、見慣れた師であるラドック教授がやはりゆっくり帰って来たのが、そういえばおかしかったのではないか。どこへ行っても忙しさを振りまいている教授の動作が、妙におとなしかったのが。
考えれば、そこからおかしくなったのだと思い、まず納得してみる彼女。前に位置するラドックが、隣のシャルルが顔を引いた形で自分を見ている理由も推測できるほど、まずまず落ち着いていると思う。
だから、大事なことは大声を出した事を詫びるよりも、まず確認する方が先決だとしっかり浮かんでくるではないか。
「えーと……。き、聞き間違いじゃないですよ、ねっ?」
教授の顰められた顔が、戻るや否や。
「いや、おそらく聞いたとおりなんじゃが」
思考は実は無意味だった事を痛感。
「――えぇーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!」
再び二人が、今度は半歩下がる。しかし、二度目なので戻るのも早く、
「んと……。私も聞いてるから、夢じゃないわね」
「――ええぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!」
悲鳴更新中。だが、彼女はこれで少々疲れてしまった。ふらりとよろけるそこに、二人は容赦なく攻撃――してきた。
フム、という声を一緒に出てきた溜息が何なのか、彼女には分からなかった。
横で笑いつつある親友の笑みが、何であるのか彼女には分からなかった。
「もう一回言った方が良いかの。頼みたいんじゃよ、タムタム。お前さんに……」
「お見合いだって! もう、私もビックリしちゃった!」
そうして、今日最後の古今最大規模の悲鳴が、ラドックの研究所をしばし震わせた。
「……落ち着いたかの。まあ、単刀直入に言ったワシも悪かったかもしれん」
雑多としたテーブルの上の書物をとりあえず、隅に追いやることで確保したスペース。椅子に座り、ぐったりとしたタムタムの前に、シャルルの淹れた紅茶が出てきた頃合で、向かいのラドックが白いヒゲを揺らした。
「…………」
ラドックの声に反応はなく、横からシャルルはそっとタムタムを覗き込んで聞いてみた。
「紅茶に砂糖、何杯入れる?」
「……」
「うーん。重症っぽいから、甘くしておくわね」
と、深刻そうに言いつつ、シャルルは砂糖を普段よりかなり多めに、きっちりスプーン五杯をティーカップに入れ、しっかりと混ぜてしまった。
ラドックは哀れんだ目をして、溜息を吐くしかなかった。
「タムタムや。こうなった経緯を説明するから、聞いてくれんかの?」
「ええ……もちろん聞きますとも。ちゃんと説明して下さいね、教授……」
疲れている声だったが、語尾にはそれ以外の凄みがあった事に、ラドックは気づかないふりをした。
「……実はな、昨日久しぶりに、うむ。ほんに懐かしいのぅ。……そう、二十年ぶりかの。ワシの亡くなった恩師のな、一番弟子に当る人なんじゃが、つまりワシにとって兄弟子じゃの。に、バッタリとあったんじゃよ。……ダムレイという人なんじゃが、今でも忙しいらしくての、ライナークに来たのはもちろん用事あっての事なんじゃが、ヒマがないそうで、ワシがライナークにいる事はご存知じゃったが訪ねる余裕は無く、今回も会わずに帰る予定だったそうなんじゃよ。……しかし、偶然はあるものでな。お前さん達も知ってのとおり、ワシもおとといから出張しておったからの。お互いに出先で出くわしたわけじゃよ。……まあ、どちらもスケジュールが決まっていたから、長々と話せたわけではないが、話に花は咲いたかの。長らくあってなかった訳じゃからのぅ……」
しんみりとした調子は要注意だ。忘れてはいけないのである。教授の話はくどい事を。
ダメージを受けた心身であっても、タムタムは力を振り絞り、それを放置したりはしなかった。野放しは危険すぎる。
「教授……! 兄弟子と会って話が弾んだのはよく分かりましたから、どうして…………そ、その……」
しかし思わず怯んでしまったところを、席についたシャルルが代弁した。自身の興味関心も強く、身を乗り出して、タムタムそっちのけであるが。
「タムタムにお見合い話となったのか、私も知りたいんですけど」
『お見合い』の言葉にタムタムが再び身じろぎしたが、もう出るものが出尽くしたところはあり、悲鳴にまではならない。ただ、シャルルが意気軒昂と加わっている状況を考えて、気がますます重い。
教授は教授で、話し始めればずっと自分のペースである。
「うぉっほん。そう、そこなんじゃがの。まぁとにかく、ダムレイにもワシと同じようにお弟子さんがおってな。その愛弟子がのう、実力はあって性格も容姿もいいそうなんじゃが、務め以外の日常生活が少し追いついていないというか、回らないというか。忙しいだけではなく、そういう部分もあっての現状じゃろうが」
口を挟めそうな隙に先に質問をするのは、シャルルなわけで。
「つまり、仕事はできるが、私生活はだらしなくてダメな人って事ですか?」
「いやいや。やろうとすればできる人物という話じゃよ、ダムレイ曰く。要は正すきっかけじゃな」
「なるほど〜。好きな人でもできたら変わるだろうと?」
「そうじゃ。だが、今までダムレイは構う事もなかったし、弟子の就いている役職や立場からして、仕事の場では簡単には相手も見つからんだろうし、もういい歳になってきたんじゃが、そういう訳あって……。うぉっほん。まあ、付き合いの経験もないというらしいし、まだ未婚なわけじゃのう。なんでも、全く興味がないわけではなさそうだと言っておるが」
うなずきつつ、話す二人。
「つまり、出会いもなかったんですね、その人」
「まあ、仕方の無い事じゃがな。元々、我々学徒は未婚の者も多いしのぅ」
「ええ。納得しました。さすがにお弟子さんが心配になってきて、世話を焼こうとしているんですね。そこで相応しいお相手探しを教授にお願いしてきたと」
「おお。分かってくれたかの」
「――わかりませんっ!!!」
と、まとまりを持ち和やかになってきたところで、タムタムは自分をないがしろにする雰囲気を力いっぱい仕草付きで押しのけて否定した。両手で、顔で。勢いで。
「それだけで納得できるわけないじゃないですか! シャルルも他人事だと思って調子に乗らないの!」
「おう……すまんすまん」
「あはは。ごめーん。めったにない面白い事態だからつい、ね」
「もう、どこが面白い事態なのよ! 全然面白くないわよ!」
自分に噛み付かんとする剣幕には、流石に二人とも大人しく従い、謝って見せる。
今度はこうならないよう、タムタムは自分が話しの主導権をとるため、二人に鋭く視線を交互に送りつつラドックを問い詰めた。
「とりあえず、お弟子さんのお見合い話が浮上したまでの経緯は分かりました。でも、ど・う・し・て……その方のお見合い相手が私になっちゃうんですか! 教授はお顔が広いんですから、未婚の知り合いの女性だっていっぱいいらっしゃるでしょう!? 結婚したい知り合いや、別に知り合いの知り合いでも、他にいらっしゃるんじゃないんですか!」
ラドックは、ビクっと、まるでムチで打たれたような反応だ。
「うぐっ。シャルルも言ったじゃろ……。一応、要職に就いておる人物じゃからな、お見合いとなれば紹介する方も、やはり考えねばならんのじゃよ……。難しいんじゃ、分かっておくれ。誰でもいい……たとえば町娘の紹介をして欲しかったら、わざわざワシに頼んではこんじゃろ? もちろん、肩書き重視という事はないんじゃが、見合うだけの娘さんがおらんかと話を振ってきたんじゃから、ワシもそれに応えねばならん」
シャルルがにやりとした。攻める部分を見つけた眼差し。
「あらま。光栄じゃない、タムタム。ほーら、見合うだけの娘さんですって。選ばれたって事よね?」
「うっ。そ、それは確かに光栄な事なんだろうけど……」
うろたえるタムタム。彼女は褒められるのには強くない。お互いの関係は師弟――教授やシャルルの弱点を知っているタムタムであるが、逆に二人に弱点を知られている間柄なわけで。
「ライナーク王国の優秀な宮廷僧侶で、精鋭たる勇者軍にも席を置く、ワシの一番弟子。今、ワシの中で自信を持って紹介できるのは、タムタムや、やはりお前さんなんじゃよ」
ラドックにも攻められ彼女は身じろぐが、追われる故に何とかして足掻こうと、見つけようとする。
「う、う……っ」
そして、シャルルの楽しそうな顔を見て、気づいた。藁にも縋る思いだったが、通せるはずと。
「で、でもそれなら……! そう、シャルルだってお見合いできると思いますけど!」
しかしその瞬間に、タムタムは逃れられないことを悟ってしまった。
言ったその時、実に残念とわざとらしく――そう来るだろうと思っていたのか、シャルルが微笑を浮かべたのだから。
「うん、それねーダメ。だって、マテドラルに仕えている者の九割はカラード教徒で、高官ほど徳の高い高僧って訳なんだけど。カラードの戒律にねー僧職の女人は18歳までお見合いとか婚約とか?そういうのは御法度というのがあるのよね。私、まだ見習いだけど司祭だし」
「えぇ! そ、そうなの!?」
それは初耳だった。タムタムは宗教国家である隣国の、宗教の教義ぐらいはある程度知っているが、もっと突っ込んだ僧の戒律までなるとさすがに知らない。
「残念だけど、ほんとう。まだまだ若いうちはあまり俗なことに触れるなって事かしら。とにかく、だから16歳の私じゃダメなのよねー。分かった?」
残念と言いながらも、まるで今は自慢話のようで、シャルルは制約にもなるそれを重荷と感じている様子はない。ただ、隠すこともない勝者の笑みがあるだけ。
視線を素早く戻し、タムタムは次の手を急ぎ考えた。危機が迫っている。が、まだ完全に負けてはいない。
「でも、私……。そんな、お見合いなんて全くする気ありません! それって、とても失礼じゃないですか、相手には!?」
しかし――既に、隙を与え続け、我がペースを確たるものにしたラドックに与えるダメージなど、無かった。
「なぁに。深く考えなくてよいんじゃよ。……ホッホッホ。お前さんが思うような婚姻とか、恋人とかのぅ……そんな事はとりあえず考えなくて良いんじゃ。言ったじゃろう? きっかけじゃきっかけ。少しだけ、な。お見合いによって女性に対する見方が変わるとかの、少ーしでも変化があれば、元が悪くないとすると、自然に相手は見つかるという事じゃ。とりあえず、実際にお見合いをした形で終わらせればいいんじゃよ」
「でも、でも……私、その……だって…………」
いよいよ窮するタムタム。
彼女にはもっともな理由があるのだが、それはどうしても言えない。そしてその理由は、周囲も――ラドック、シャルルは当然――タムタムが気づいている以上に、知っていることなのだが。
「だって、私は……」
視線が完全に落ちた。そこにラドックは僅かばかり身を乗り出した。
「頼む、タムタムや。師の顔を立てると思って……。なに、一度だけでいいんじゃ、お前さんに断る理由があるのなら、お見合い後に話して断っても構わんのだから」
低姿勢のラドックへ、怪訝そうに視線が上がる。
「そんな…………いいんですか? 一度で断られたり、その気がないのにお見合いに出たと知ったら、その人もショックを受けるんじゃ……」
それにラドックは、優しく励ますように語り掛けた。
「いいんじゃよ。何かしらの刺激になれば。初めてのお見合いを一回断られたぐらいで、どうしようもなく落ち込む人物だったら、そもそも何も上手く行かんじゃろ」
タムタムは俯き加減に向き合いながらも、視線を側める。
「……。でも、私とお見合いを経験したからって、その人が本気で今後女性に興味を持つかどうか、ましてや家庭を持ちたいかと思うかなんて、分からないと思いますけど」
ラドックの態度は柔らかく、口調は優しく穏やかになる。微笑みかけるように。
「それも無論分かっておる。その気にならないのなら、それで良い。それならそれで仕方ない。ただ、今後本気で考える事になるなら歳を取ってからではなく、まだ若いうちが良いと思う、年長者であるワシらのな、おせっかいの気持ちなんじゃ……。ちょっとしたお膳立てなんじゃ、善意のな」
「……」
タムタムは視線を戻さない。そして何も言わない。
大陸有数の高名な考古学博士の弟子である彼女は当然利発で、今この時も考えてはいる。しかし、
「……どうしても嫌だというのなら、もちろん無理強いはせん。ワシだって、タムタムに嫌な思いをさせたくはないんじゃ。……しかし、協力して欲しいとは思っておる。勝手な事を言っておるが、許して欲しい」
「……」
「……ほんに、お前さんは優しい子じゃからの。こんな突拍子もない話を真剣に、悩みながら考えてくれる。ワシは嬉しいんじゃよ。だから、本当の気持ちに従って返事をしてくれればよい」
ラドックの前で、タムタムは相変わらず視線を逸らしたまま。シャルルは口を挟まず見守っている。
固められた雰囲気の中で、互いの秒針が進み、数分が経ち。
タムタムの瞳がごく揺れた頃、ラドックもまたヒゲを揺らし、動いた。
「もう決まっているのかの? ずっと黙っているということは、絶対にお断りということかの?」
「……」
タムタムはやはり答えない。ただただ、瞳が揺れる。
「ということは、受けても良いと……考えてくれているんじゃな?」
それにも、タムタムは答えない。視線は下がるが。
ラドックは、シャルルには分かる溜息をついて見せた。そして彼もタムタムに合わせるように、声の質を下げた。
「……やはり、ダメかの? それならはっきりと断っておくれ。残念じゃが……その方がワシもすっきりする。ただ……そうなるとお前さん以外には今のところ考えられんから、ダムレイには断りを入れるつもりじゃ。喜ばせてしまって悪いが、仕方がない……」
「う…………」
ラドックが再度溜息を吐くと、ようやくタムタムに反応があった。その表情は悩み、憂いており、普段あまり見せることのない弱さが、確かに見えている。
それから、下げている視線を横に逃さないように、ラドックはしっかりと彼女を見つめて言った。
「なかなか答えを出せないようじゃな。しかし、できるだけ今この場で聞きたいんじゃが、無理かのう? 向こうも忙しいんじゃが、なにしろワシも自身も、これから数日は出かける用事が多い。明日からはまたなかなか時間が取れんし、こうお願いするしかないんじゃ……どうか素直な気持ちを教えておくれ」
「……う うう……う……」
気持ちが板挟みになって、それが互いに押しあって、彼女の思いがいっぱいになって、溢れるもの。苦くなって行く。
タムタムは限界だった。
「どうかの……タムタムや?」
「う……わ、わかり、ました! ええ、分かりましたっ! 一度だけですからね!? もう二度とこんなことしませんから……! もうどんな事情があったて、絶対にしませんから! いくら話を振られても、二度と約束してこないで下さいね! 今回だけですからねっ!」
ラドックの問いに、タムタムは爆発したように言い放ち、直後、ガスが抜けたようにテーブルに突っ伏してしまった。
勝者たるラドックは、まんざらでもなかった。
「そうか。すまんのう、タムタム。ワシも助かる。ありがとう。もう日取りも決めておいたからな、あとはお前さんの返答だけじゃったんじゃ」
「がんばってね、タムタム。できることなら私、いくらでも協力するからね!」
シャルルもラドック同様、にこやかに。
「うううう……」
タムタムは起き上がれなかった。こうやって後悔した経験は何度かある。何度もある。数え切れないほどある。
「まあ、気楽にやればいいんじゃよ、気楽に。数時間ほど、話をするだけじゃよ、それだけじゃて」
「私も付いて行きたいぐらいだけど、そうはいかないだろうから。まあ、いい体験になると思うわよ。教授は気楽には言うけど、タムタムも受けるって言ったからには、練習しておいたほうがいいんじゃない?」
「うー……」
完全に沈黙したタムタムの前。ラドックとシャルルは、少々冷めてきた紅茶で喉を潤し、しばらく、好きな事を発言するその口を止める事がなかった。
眠りの浅かった体の足を、初め少々もつれさせつつ――翌日、タムタムがライナークの王城へ向かうと、門のところでばったりと元気そうなシャルルに出会った。
「シャルル……!」
「あ、タムタムおはよ! というのはちょっと遅い時間かな。 それより、なんだかふらついてる感じかも? もしかして、寝ぼけてる?」
「寝ぼけてなんかいないわよ……ただ、今日は起きたって感じがしないだけ」
にこやかにとはとてもいかない対面だが、真っ先に普段との違いを指摘するほど、やはり外面にも影響があるらしい。
宮廷僧侶であるタムタムの務めは、普段は早朝から。しかし昨日は数少ない休みの日で、次の日の今日は午後から城勤めとなっている。それよりは、二時間ほど早く来たのだが。
「久しぶりに家で休んだのに、ゆっくりできなかった?」
「それは、ね……」
特に含みが感じられないシャルルに、何とは言わないが、少しあてつけの視線を送る。
タムタムのおおまかな日常としては、午前はお城で古い蔵書の整理や写本をしたり、訓練後の兵士の面倒を看る当番など。午後はリイム達と一緒で勇者軍に関わっていたり、数日に一回、城下で医師の手伝いや孤児院を回る事もある。勇者軍に同行する特別な任務の期間を除けば、一日のほとんどは城内にいるのと、対する評価もあり、彼女にはお城に個室が用意されているのだが、昨日は城下にある自宅に戻っていたのだ。
「今日は、ちょっとだるいかな……思った以上に」
しかし自身でも分かるほどシャッキリしないのは、もちろん、日常ではなくなった自宅で就寝したためではないし、午後出勤だからと、だらけてしまったわけでもない。
「昨日の事は、なんだかぼんやりとするわ。あまり覚えてないし」
昨日は、あれ以降からあまり記憶が無い。覚えていない。確か、シャルルに送ってもらった気はするが、ずっとぐったりとしていて何かをする気にもならなかったし、食事もそこそこに休んだはずだが寝付きが悪かった。ぼんやりと夜が過ぎるのを数えていたような、夢にうなされていたような、寝苦しさに朦朧とした状態になっていたか。疲労がとれていないのは、その証だろう。だるい、重い。
シャルルは少々眉を寄せて、確認するように聞いてきた。
「そうなの? 昨日の事、覚えてる?」
「覚えてるわよ。教授もあなたも、紅茶を飲みながら楽しそうに話をしてたわね。私も後で飲んだけど、やたらと甘くて、二人とも一体どれだけ砂糖を入れてるのかと……」
あ〜〜〜〜と、ばつの悪い面持ちで、シャルルはタムタムの言葉を途中で遮った。
「それはまあ、置いといて。それよりも、少しほど前の話なんだけど……」
タムタムは心中を語るように、溜息をついた。
口にしろというのか、全く。したくはないが、不機嫌そうな表情になっているはず。分かって欲しいものだが。
「……忘れたりなんか、しないわよ。どうやったら忘れられるのかしら」
今さら非難しても遅いが、つんとして横を向いて見せる。
シャルルは半分謝り、半分は舌を出すちょっとしたいたずら後の侘びのように、人懐こく親しみのある低さで弁解した。
「ごめんごめん! 悪気があるわけじゃないの! 昨日はかなりダメージがあったみたいだから言わなかったけど、私だっておもしろおかしいと思って教授を押したわけじゃないんだからね」
「……ほんとう?」
「ほんとう! だって、タムタムの意中の相手が誰かぐらい、知ってるんだから」
「……うっ」
ジロリと横目で見やって返ってきたその言葉には、目を逸らすだけで何も言えなかった。
シャルルが自分の言葉に確信を持っているのは、今までの彼女のちょっかいやら、からかい様から分かるが、もちろんタムタムが直接教えた事は一度たりともない。まだ、誰にも話したことなどないのだから。ただ、ラドックやシャルルの場合は、師や親友だからなんとなく分かるのだろうと一応、納得しないでもない。
だから、実は彼女が思う以上に態度に出やすくウソをつけず、そもそも既に周知の事実という実態には、あまり気づいていなかったりする。
「だからねー今回のお見合いを後押ししたいわけじゃないのよ。お見合いをするって話が大事なわけ!」
「は、話??? なにが大事なのよ……!」
なにか徐々に勢いづいてきたシャルルに押され、タムタムは思わず後退った。
「ふふ〜ん。だって、このお見合いの話って凄くいいチャンスだと思わない?」
得意そうに、シャルルはにやりと笑う。
「な。……なにが?」
シャルルはもどかしそうに、タムタムに詰め寄った。
「もう! 分からないのタムタム? だってね。……うん、そう。今ここに、ある男の人がいるとするわよ。その人はね、ある女の人を好きだって思っているの。それで……もし、その女の人がお見合いをするって聞いたら、好意を持っている側の男の人って、どういう反応をするかしらねー?」
「えっ!? ええっ、え、えと……」
分かれば理解の遅い彼女ではない。タムタムの赤くなった反応を見てさらに、シャルルは押した。
「たとえ、ちょっとした興味だけだったとしても、よ? 教授だって言ってたじゃない。これをキッカケにどんどん気になってくれる可能性だって、あると思うわけよね! どう?」
「ど、ど、ど、どうって……ええ、えっと、あるかもしれないし、でも人それぞれだから分からない……し、そんなの…………」
しどろもどろになるタムタムに、浮かれた様子のシャルルはすらすらと語る。
「ね。分かるでしょ、このお見合い話って絶対使えるんだから! 私はそう考えて昨日は反対しなかったのよ。いい、タムタム? 強力なライバルがいるんだし、敵はたぶんそれだけじゃないわ! 狙っている人はいっぱいいるのよ? 勝つためにはこれぐらいしなきゃ! 待ってるだけじゃだめなのよ。普段一緒にいられるからって、満足しちゃダメ。相手をその気にさせる事もきっと必要よ。もっと積極的にアプローチしないと、特にあの勇者殿の事だから、ね? 私、応援してるんだからね」
「っ……!」
あの勇者殿と出されて、さらに顔が赤くなり固まるタムタム。もうだるいだけの状態ではなく、そもそもそんなものは吹っ飛んで、遥か彼方。
ムフフフと笑うシャルル。凄く、嬉しそうだ。
「ちょこっとだけどね、種は蒔いておいたからね〜。でもちゃんと実るかは、タムタム次第よ。だから、しっかりがんばって! じゃあね!」
そしてガッツポーズなどすると、彼女は城内ではなく、城下の方へ歩き出した。
慌てて、タムタムは呼び止める。
「あ、ちょ、ちょっと! シャルルどこへ行くの?」
すると、くるりと振り返ってシャルルは手を打つ。
「あ、そっか。言ってなかったわね。私、これからマテドラルに帰らないといけないの。元々、当初の滞在期間は過ぎてるし。大事な任務ができちゃってね。今朝、書簡が届いてたのよ」
四日程前から彼女は隣国マテドラルの使いとして、他数名の司祭や兵士達と共にライナーク王国に来ていたのだが、色々と用事ができて戻るのが遅れていた。呼び戻しがあったとしても、不思議ではない。
「そうだったの」
「うん。だから気になるんだけど、これ以上はね。これから戻からって、タムタムの家に寄ろうと思ってたんだけど、今ここで話が済んで良かったわ。ちょっと司祭様やみんなを待たせてたから」
タムタムはそこで自然と口にした。
「あ、ありがと……」
シャルルは遠慮もせず頷いて、それから、耳打ちするように近づいてくると、小声で、
「それより……いい、タムタム? 私がいなくてもしっかり勇者殿を掴むのよ?」
「んんっ……」
タムタムは答えられず、思わず俯くと、シャルルがふいに優しく言う。
「大丈夫。大丈夫だから。諦めなければ……脈あるわよ、きっと」
「え?」
「ふふふ……。行くね!」
目を合わせる前に、元気のよいシャルルは、熱の冷め遣らぬタムタムに一方的に手を振り、駆けて行く。
「――あ、そうそうー! 結果、ちゃんと聞きにくるからねー!」
それから遠くで大きくそう言って、タムタムをまた恥ずかしさで赤くさせると、今度こそどんどん小さくなっていく。
こうして残されたタムタムは、最後まで見送って、そして俯いた。
「……」
考えはまとっていない、まとまらない。心音が響くほど緊張している。震えそうで、なぜか足が、動かない。
「ううん……。と、とにかくこうしてるわけにはいかないんだから……。私にはお城に行って、することが……いっぱい仕事があるんだから……。行かなきゃ」
身体に言い聞かせるようにつぶやいて、門の向こうを凝視する。仕事仕事と心で念仏のように唱えながら、ようやく一歩踏み出せたのは、数分後。
「よし……行くわよ……」
踏み出せてからは、重いながらも足が進んだ。少しずつ少しずつ歩くスピードに意識を乗せ、タムタムは城内に向かって歩を進めていった。
まず、視線。自分に向けられた意思の矢尻。控えめながらも、狙いは一定。しかも一つではない? あちらからも、向こうからも、そして後ろからも。
――囲まれている。
「っ……!?」
タムタムは思わず身構えそうになり、歩みを止めた。
そこは城内。目的地へと向かうための、分岐するエントランス。見張りの兵がいて、連れと歩く文官がいて、図書閲覧の為に来た市民もおり、王国に仕える魔物達もいる。それだけ見れば、何の変哲も無い様子。しかしそこに居る者達のほとんどが、なぜか自分に視線を送っているのにタムタムは怯んだ。いつもはこんな歓迎はされない。ライナーク王家に仕える宮廷僧侶の彼女は、他の皆と同じように、城内にあって不信な人物ではないのだから。
「なんなの……?」
不安を抱く。初めての事態だったため、タムタムは自分に注がれる視線の種類に気づけなかった。
そして、立ち往生して視線に晒される彼女の前には、いつの間にか人影があった。
黒い軽装、黒い長髪の青年で、彼もまたタムタムに視線を向けている。
「え? あっ! なに、スカッシュ? ちょっと、いつの間に……ビックリするじゃないの」
気づいた時に少々驚いてタムタムが非難すると、相手の造作も僅かばかり似たようなものを返してきたようだった。ただ、彼は普段から愛想良い表情をしているわけでもないので、特に気にはならないが。
「あのね。普通、まず声ぐらいかけるものでしょ」
「そうだったな。……普段はこちらが何か言うまでもなく、お前が先に気づく方だから、うっかりしていた」
指摘すると、悪びれるでもない素の返答。相手を考えると白々しいと思う言葉なのだが、しかしそれに、タムタムは突っ込むでもなく何となく納得する。
「ん。言われてみると…私が先に声をかけてる方かしら? リイム達と一緒にいるのが普通だもの。モーモーは特に離れていても目立つし……」
過去に事件があるスカッシュは、今は勇者軍の所属。しかしそれは、真実全てを公にできないための建前で、大罪人である彼の処遇は王国一の精鋭である勇者軍の監視付きだ。ただ、酷遇も承知でここに残ったと思われる当人に言わせると、それが逆さまになっており非常に不満らしいが。
タムタムにとっては建前だの本音だの、ましてや彼の扱いが実質許された形についてはどうでもよかった。リイム達もそれは同じだから。関係者の意見陳述の時も、最終的な国王の決定時も、目くじらを立てたのは裁かれた一人だけだった。大体、もう半年も経っている事で、彼が一人でどこを歩いていたとしても、別に気にならない。
「そっか。今日は一緒じゃないから、一人なわけね」
「……ああ。先に戻っていてくれと言われたからな」
分かり難い表情の持ち主だが、こういう時はいつまでたっても得心とは思えない様子。
今後もそれは変わらないかもしれないが。
「いい加減、諦めることね。ずっとあなたの面倒を見ていられるほど暇じゃないのよ、みんな」
笑ってやると、嫌そうな顔だった。
「……で、じゃあリイム達はどこにいるの?」
「まだ練兵場だ。しばらく前まで訓練の時間だったからな、熱心な兵士に付き合ってやっているのさ。そろそろ終わる頃だとは思うがな……」
「ふうん。で、あなたは戻る時に私を見つけたって事ね」
「そうだ」
こういう答えが明らかな時はにべもない。
なんとなく軽い息を吐いて唸ってから、タムタムは言った。
「まあ分かったけど。ちゃんと声は掛けてよね。あなたって、たまに人を驚かすのが好きそうな感じを受けるから」
それはちょっとした冗談で、やり返したつもりだったのだが、
「……」
向こうの方が身長が高いので、見下ろされている――タムタムが見上げたその黙って下を見る視線は、もの言いたそうに見えた。
彼女が疑問符を思い浮かべたところで程なく、軽い吐息。
何?と問い返そうとしたところで、彼の表情が崩れたように思えた。
「それはこちらも同じ事だがな……。いや、実際そうだが」
どうやら呆れ顔らしい。見下ろされて溜息を付かれて。なぜ突然そうなるのか分からない態度だったから、タムタムはムッとする。
「何がよ?」
向こうは遠慮のない、真正面から探りの視線。
「……入ってきてから、気づいていないのか? 気づいたから、立ち止まっていたんじゃないのか」
「ん? 確かに、今日は変なの。妙に視線を感じるんだけど……今日は別に、遅刻した訳じゃないんだけど?」
彼の息は、何かと溜息に聞こえるタムタムである。
「気になるだろうさ」
「……だから、何が?」
どうも肝心な部分を語らない相手に、少々苛立ちという険を加えると、スカッシュは疑心の眼差しを見せた。
「今、城内はお前の噂でもちきりだ。その噂が本当の事実なら、こう言えば分かるはずだが……」
「えっ。うわ…さ?」
そのほんの一時は何の事か分からなかった。
「昨日は聞かなかったはずだ。今朝から突然湧きあがっているようだな。……詳細は不明だが、王国随一の宮廷僧侶が見合いをするらしい」
「――なななななッ……!?」
スカッシュに真っ向から言われ、一気に上気したタムタムはよろめくように数歩退いた。
「そんな……どうして……!? うう、まさか……」
彼女の中に警報が鳴り響き、映像が映し出される。
去る間際のあの笑顔、あの台詞。
「種を蒔いたって……シャルル!」
映像の彼女が舌を出した。そして、くるくると回りだす――。
タムタムは頭がくらくらして、目眩で倒れそうなのだと、思った。
「その様子だと、やはり本当なのか……」
当てつけのように、実に溜息が多い。
「……何の思惑があるのか知らないが、周囲はしばらく、話題に事欠かないだろう。すぐに城下にも広がる。顔がよく知られている分、話題性は抜群だからな」
脅しと変わらないその事実たりえる発言に、タムタムはただただ慌てた。
「お、思惑だなんて……頼まれてすることになっただけよ! 別に、本意じゃなかったのよ。でも、これも人助けだと思って仕方なく受けることになったの! 事情がいっぱい、いーーっぱいあるんだから!」
「なるほど、丸め込まれたのか……」
並べだすタムタムに、スカッシュは納得の様相。僅かながら、それは結局呆れと同情の顔であって差異はないが。
「……どうして一言、初めに絶対嫌だと言えないんだ。お前は、迷ったとき考えれば考えるほど負ける」
「うぅ……」
仕草こそ伴わないが、今、かなり心底、どうしようもないと思われているのが感じ取れるような。目も当てられないといった感じの。
しかしそう思うのは、やはり自分でも少しは気づいている部分があるわけだから。
「……分かっているのに、頼まれれば嫌と言えなくなるお前達だ。向こうが上手だったのは察しがつくがな」
「ううううう……」
今までに失敗、後悔、反省を何度も経験している事実があり、ある程度自覚がある以上やり返す言葉もない。タムタムは俯きながらうめくだけだった。
「ただし、そうでなければお前達じゃないんだが……」
そして、何かスカッシュがつぶやいたかとタムタムが思ったところで、騒ぎが突然飛んで来た。
「はいはいはいよぉ! お花が通るよ危ないよー! ごめんよごめんよごめんなさいよー! すまんがちょっとどいてくれーい!」
見えるのは、城内をまさしく飛ぶ、飛行するヒマワリ。外見は花そのものだが、かなり高位の珍しい精霊である。
「タムちゃんみーぃっけー! くぉおおおらぁあああ! 俺のタムちゃーんを泣かすのはぁー! どこのどいつぅー!?」
それがタムタム達の方へいきなり突っ込むように飛んできて、
「――ごげはぁっ!?」
それは早業。
難なくタムタムに掴み上げられる。折れそうなほどの弾性でしなる茎。花がじたばたともがいた。
「こら、城内は飛ばないの! 何度注意してもダメなんだから。ね……誰かにぶつかったらどうするの?」
「いや、やややや、お、オレ様の全方向感知可能なタムちゃん探知機能がビビッと来たもんだから駆けつけて来たまで……ですってのはウソです……いやぞれいじょ……はマズイマズイマズイッズッ……ッ……!!!」
と、少し手に力を入れると大人しくなったので、タムタムは手を離してやった。
その花の精霊――サンフラワーは、ひらりと床に降り立って、しなやかな身体を見せ付けるのか、ぐるりと右回転。止まって葉っぱを上げるのは、たぶんポーズ。
「で、さっき言ってた俺のタムちゃんって、なに?」
無視して、見下ろす。
「あ、その。いやだなぁタムちゃん。えーと、確かに俺様、本命は姫様なんです。あぁゴメンよ酷い精霊で! でもよゴメンゴメン、タムちゃんもやっぱり好きなんだあぁ!」
「あー……。もう、ハズカシーから止め」
掌で花にある口を塞ぐ。吸うよりも吐き出す――激しく喋っていたせいか、三十秒ほどでその精霊の顔が青くなってきた。
「……あ……」
そしてゆらりと前に倒れ、なにやら乾いた音と共に床に伏せったあと、動かない。
「ふう」
と、タムタムが溜息を吐き出したところで、その花は倒れた時を遡るかのように、ゆらりと起き上がった。
「……。っはー! 甘い甘いぜタムちゃん。俺はお花だからっ! 口を押さえても死なないんだ! 凄いと思わねー? 俺の口はおしゃべり専用! 自慢じゃねぇがそれ以外の用途は無いぜっ! フハハ。これっぽっちもなぁ!」
「だから困るのよね……」
もちろんあれでどうなるとは思っていないし、実際どうもならないし。
それは、いつの間にか王城にいるが、名をミラクルという。以前は気の向くまま旅をしていたらしいが、今は居座り続ける先でこうやって騒ぎ立てる毎日。
タムタムはふいに嘆息した。今では、城に入るまでのあの緊張はもう分からなくなってしまって、これもまた普段と同じように疲れているだけで、なんとも良いのか悪いのか。スカッシュは介入してこないので、自分の目の前にミラクルがいる時は、自分がなんとかしなければならない。
ただこうなると、気を取り直すのは早い方だ。
「それより、何か用なの?」
「あぁん? っとな、だからー! タムちゃんのピンチにさっそうっと現れ……じゃないですないですないですなっと!」
しつこいのでタムタムがちょっと握り拳など作ってみたら、牽制になったようだ。
「で、何? 私に用があったの?」
ミラクルは、花の頭を上下左右に激しく揺らした。
「おぉよ! だってすげーびっくりなわけよ!? 聞いてくれよ!!! タムちゃんがお見合いすんだとよ!? 信じられるかあぁ!? ウソだぁ俺は信じないっ! どこのどいつの陰謀なんだそれはっ!? だから俺が打ち砕きに今ここに!!!」
「あー!? わああああああぁあああー!? やあーあーあー!!! あー!!!」
それがまた大きな声だったから、打ち消そうとしたタムタムも思わず大きな声で叫んでいた。
「……つぶっ!」
タムタムが、ミラクルの顔の前と後ろを両手でパシンと挟み、押さえつけたのは咄嗟のことで、僅差にやってきた恥ずかしさが彼女を俯かせた。
確認しなくても分かるが、見回す勇気もない。視線の数が増していた。このままミラクルを抱えて、逃げ出したい気分だった。
「ブシュ…ッ…ぐるじ、の……た、タム、ぢやん……」
かなり力が篭っていたので、それを慌てて離したが、心なしかへこんでいるような気もしなくもない。だがそれより――タムタムはミラクルをまず引き寄せて、小声で言った。
「いい? まず、ぜーーーーったいに、大声でしゃべらないとにかくしゃべらないなにがなんでもしゃべらないこと」
「……お、押忍!」
カクカクと返事をしたのを確認して、放す。しかし、ミラクルはまた寄ってきた。
「で、でででっ。どうなのタムちゃんっ。それマジなのかよっ……」
そう聞かれると、罪悪感に苛まれるような、沈鬱な気分になる。ウソを付いてもいいのだが。
「……事情があるの」
「――ウソだろっ!!! だって俺しってっぞ! タムちゃんはなぁ、リイむんがうぐふぅぅっ!!!」
真っ赤になりながらも、タムタムは再びミラクルの口を押さえて、吐息した。
「油断しなくて良かった……」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
とにかく、たとえ意識しても喋らずにはいられない相手に、タムタムは顔を近づけ、懇願するように言ってみる。
「もう何も言わないの。とにかく私には色々と事情があっての事で、気持ちは嬉しいけどあなたが心配してくれる必要はないから、大人しくしていてね。お願いだから……」
実際は本音。既に噂が広がっているというのに、それがこの精霊のおかげで乗算されては、当分近隣の村や町も恥ずかしくて歩けなくなる。
「〜〜〜。…………」
落ち着いたらしい頃合で手を離してやると、ミラクルは不満そうだった。
「タムちゃんいいのかよ。何の事情か知らねーけっど。まあ、タムちゃんがそう言うんなら、俺は止ねぇよっ。……ヘンッ。とにかく、花びらがみんな飛んでいく気分だったんよっ……! 俺から花びらを取ったら何が残るんだよっ……! シャルちゃんから聞かされた時はそれぐらい、もんんんんんんっの凄く仰天したわけだよ……!」
「まあ……私だってとても驚いたから。今でもだけど……。でも、ありがとうね。心配してくれて」
「心配するに決まってんだろ、タムちゃん。一大事だと思ったよ! なんとかしなきゃと思ってなっ。思わず叫びながら城内を走りまわっちまったい!」
と、その瞬間タムタムは思わず震えた。
「……。そう、それで城内に拡がっているわけ……」
どうやら種を蒔いたのは、一人だけではなかったらしい……。
「ああ、たぶん、五週はしたと思うっ。つかれてやっと落ち着いたってわけ! いや、さっぱりしたな……ぁあれ?」
ミラクルが見上げてみたところ、そのゴゴゴゴゴ…と地鳴りのような気配から、爆発三秒前ぐらい、か。
「はぅわぁ……て、てて、てっしゅうぅぅ!!!」
「――まぁちなさーい!!!」
タムタムの手が伸びるより僅か早く、ミラクルはその場から跳躍できた。
「――うーーっ?……べげっ!!!」
前も見ずに、だった。その結果、ゆっくりとそこに近づいていた、魔導の影響で生命を得た岩石の魔物――ゴーレムのミッキーに、ビチャっと生々しい音で張り付いたが。
「……」
意思はあるものの、ゴーレムは言葉をもたない。ただ立ち止まったその岩の巨体は、特に困っているようにも思えなかった。
「ありがとうね、ミッキー」
はらりと剥離して床に落ちるミラクルを見届けて、タムタムはミッキーに礼を言う。
「……よくも飽きないな、お前も」
ずっと無関心と思われたスカッシュが、そこでつぶやいた。それを境に、またもや呆れ顔。
「別に、好きでやってるわけじゃ……!」
タムタムはいつになく無遠慮な視線に、遠慮なく条件反射で反駁しようとすると、
「ついさっきから、聞かれていたし、見られていたんだが……」
外れた彼の視線が、ミッキーに移る。
「……。まぁ……ミッキーになら、まあいいわよ。どこかのだれかさんみたいに、おしゃべりじゃないし」
タムタムは自分がおてんばと言われることは不本意で、なのにしっかりと、いつもおてんばにより恥ずかしい思いをしている。
しかし、見られていたのはしゃべらないゴーレム、おとなしいミッキー。
「……あれ?」
だから問題ない。と思ったところ、そのミッキーの後ろの方から、誰かが姿を現す事に気づいてしまった。
スカッシュは、ミッキーを指したのではなかった。少し後ろに居たらしい人物達について、言っていたのだ。たまたま近づいていた巨体に隠れて、よく見えなかっただけの。
「あー……」
その脳裏に過ぎった嫌な予感は、当ると思った。今さら分からない相手ではないから。
「……やあ、タムタム。今日も元気みたいだね。一段と」
「シャルルから、もしかしたら元気がないかも、なんて聞いてたんだが、全然そんな感じじゃねえなぁ」
死角から苦笑をまとい現れ出でたのは、王国が誇る勇者軍を率いるリーダーと、勇猛な魔物の戦士。大陸全土を襲った魔王、ゲザガインを打ち倒した雷光の騎士である勇者リイムと、その親友である牛頭のミノタウロス、モーモーだ。
今なお人々の記憶から薄れることのない、あの強大で無比な黒魔龍をどうやって屠ったのか――。彼らは屈強ながら、こうして普段は温和で人懐っこい。さらに言えば、こういう場面に直面するのも珍しくないから、もちろん驚いてもいない。
「騒がしくなったから、ピンときたよ。やっぱり君だったみたいだね」
「まあ、元気に越したことねえよな」
白い鎧の小柄で穏やかそうな騎士と、厳つい巨漢のミノタウロスが、肩を並べて一緒に歩く。それは一見混ざるところがないのだが、ここでは普通。どこへ行っても好意の視線を集める彼らのお陰で王国は存続し、今の平和がある。国王リチャード三世の信頼は厚く、強さと優しさを持つ頼もしい二人。
だから、今この瞬間から、そこがさらに注目されるのは仕方なかった。それを気にしている余裕など、もちろんタムタムにはなかったが。
「り、リイム……!」
そちらの方はマイナスになりつつあった温度が、ここにきて一気に限界まで上昇し、怒りではない熱が彼女を瞬く間に赤くした。
たとえ一時忘れるような事態になろうとも、その存在が目の前に現れたからには、意識せずにはいられない。一瞬のうちにガチガチに緊張してしまう。さらに、柔らかな笑顔の中に彼もまた、控えめながらも呆れた様子を隠しきれていないのが、タムタムには痛いほど、実際痛く良く分かってしまったし。
「うう……」
いまや彼の前にいる事自体が、恥ずかしくて仕方がなかった。緊張して何も思い浮かばない。いつもなら声をかけることに何の意識も必要ないが、今日は例の件で意識しすぎて何を言っていいのか分からない。
「俺もいるんだぜ、タムタム? おいおい? どうしたんだモー?」
理由は全く分からないが、リイムを見て固まっているタムタムの前で、モーモーは自分をアピールするように、少しかがみ込む。
彼女にしてみれば、抵抗のないモーモーの体躯が視界にぬぅっと突然現れたものだから、半ば焦りの八つ当たりのように、抗議した。
「な、なによ……もう! 見ていて楽しかった? 見てるなら、先に声をかけてくれれば良かったのに……!」
全く身に覚えのない剣幕だ。モーモーは、何かぶつけられている気分に困惑して、首を捻りつつ身を引いた。
「あぁ……? 別に楽しんでたわけじゃないんだが、そりゃ悪かった。いや、いつもはそういえば、タムタムから声をかけてくる方が多いもんだから、たぶんうっかりしてたんだモー」
「……そうね」
一度沸き立った機嫌はすぐに直るはずもないが。
先ほどと似たような事を言われてみればその通り。リイムの父親とも親友であったモーモーは、今でも保護者の如くほとんどいつもリイムと共にいるから、彼もまた真っ先にタムタムが気づく相手のうち、だ。
タムタムは肩で息をして、落ち着こうとしたのだが、
「ところでタムタム。ミラクルが今日は何をしたのかな?」
リイムの問いに、責められたわけではないが、タムタムは気まずく反応する。
「な、何をしたかって……っ。それはその……」
さすがに言えない。自分のお見合いをするという噂を城内に振りまかれたなど。
また顔が赤くなる。今は相手を見る事ができず視線を彷徨わせれば、いつの間にかずるずると這いながら進んでいたミラクルが、リイムの足に纏わりついていた。
「タムちゃん許して〜〜〜。もうほんと、なんにもっ余計なこといいませんっ!」
そこが安全地帯と分かっているらしい。その通りで、タムタムにはもう何も言えない。
開きかけたタムタムの口元が仕方なく締まる頃、ほんの少しの苦笑も抜けて、リイムが柔らかないつもの視線で言った。
「悪気はないと思うから、そろそろ許してあげて欲しいんだ」
「リイムっ! やっぱ、やさしーぜリイム! うおおおぅ!」
いちいち騒ぎたてるミラクルは、もう気にならない。見られていて気になる余裕も無く。
「分かった、わ…」
そんな返答でさえ、自分でもギクシャクしているのが分かって、さらに恥ずかしい。頭の中の隅から隅まで、にやけたシャルルと一緒に彼女の言葉が走り回っている。平静を装うと意識するものの。
そんなタムタムを幸いなのか注視しておらず、リイムは足元のミラクルに構っていた。
「ミラクルも何をしたのかしらないけど、タムタムに謝らないといけないよ」
「ぁあ……分かってるぜ、リイム。 ごめんな、タムちゃん。ただ俺は、タムちゃんの幸せを応援したかっただけなんだ。それだけなんだっ。後はがんばってくれ、タムちゃん!」
ミラクルの熱のこもった、期待するような視線――。やはり、シャルルの差し向けなのか。
「うううう……」
熱っぽいのと目眩がするのは、緊張だけではないはずだった。シャルルが抜擢した相手がどうしようもない……。
「タムタムの、幸せってなんだモー??? がんばるって?」
そんな突っ込みをしたのはモーモー。
タムタムがビクつく前に、激しくミラクルは顔を振る。
「モーモーには残念ながら全く関係無しっ。俺とタムちゃんとシャルちゃんとリイムに深い関係があるから、除者は突っ込むな、頼む。見るのは構わんが、隅の方でこそこそしててくれ!」
「モー? シャルルもか?」
「え、僕に何か関係あった事なのかい?」
悪化させているほか、ない。なにしろ視線が向けられるのは、ミラクルよりもタムタムだ。
そして彼女に、いま平然と答えられる冷静な部分など微塵もあるはずはなく。
「え、ええとね…その、ええっと……」
「? タムタム、どうかしたのかモー?」
何か様子がおかしいと、二人が思い始めた頃、案外どんな反応をしても納得されがちのミラクルが、リイムを呼んだ。
「やあやあ、そんな事よりリイム!」
「……なんだい?」
リイムに言いながら、その視線はタムタムへ。
彼女の中に漠然と起こった不安。その視線、その顔は、やっぱり俺に任せておけと如実に語っているから。
気づいたときには時すでに遅いが。
「――ないか? タムちゃんに言うこと。あるだろあるだろ、なー? ないとは言わさん。なぁなぁ?」
「……!」
結局、なんとか息を吐き出したばかりのタムタムだったが、それにまた心を揺らし、身を固めるはめになった。ただしそれでも、ミラクルに向かうリイムを盗み見るようにうかがう。
「あるな、あるな〜? あるよな、もちろん? さあさあ!」
「え? 今のところない、かな……?」
迫られて、リイムは何だろうと首を傾げつつも、特に引っ掛かりなくそう答えた。
「――う、ウ、ウウ、ウソだ! そんなはずがないっ! 城内で持ちきりなのになんでだっ。まさか……俺よりも百倍勝るというのかっ! に、にぶちーん」
タムタムが思わず肩を落とすよりも、ミラクルのまるで、見えないパンチを顔面に食らったかのような吹っ飛び方の方が目立った。
「いや、そもそも何言ってるのか全然わかんねぇよ……なんなんだモー。何が言いたいんだ? さっきから」
モーモーがしゃがみこんで、ミラクルを摘み上げたところ、
「……城内に流れている噂の事だろう。俺は直接聞いていないが、耳に入った。ここに来るまでの間、聞こえなかったとは思えない……」
こちらは全身で見ていられないと言っている。悲惨すぎて目も当てられないと、スカッシュが嫌そうながらも口を挟んできた。
「あー?っと……」
モーモーが腕を組んだところ、隣ではリイムが確かに逡巡していた。
「う、ん……」
考えるような素振りを少し見せて、口をつぐみ、何かしら思い当たるのがありありとうかがえた。
タムタムの以外の周囲も我知らず、彼の言葉を待つと、リイムは言い難そうに答える。
「確かに……聞こえてきた話があったね」
それから、タムタムは困惑気味の視線を向けられて、どきりとした。
いよいよだと息を一つ飲み込んだところで、なぜか旗など振って応援するシャルルの像などが脳裏に現れ、それを押しやるのに必死になりながらも、耳は澄まして、
「本当かな?って思ったんだけど。そこかしこで同じような話しをしていたね。でも、さすがにこういう話は……ちょっと言い難いよ、僕だって」
「う、うん……」
「……王様、張り切りすぎて、ぎっくり腰になっちゃったんだって?」
とたんに、沈黙。正確に言えば、その瞬間に何もかも、凍りついた。裂け目ができて、音が吸い込まれたようだった。
モーモーは己の野性的な感覚で尋常ならざるその場を察知し、不可解な雰囲気に焦りを覚え、話すリイムもまた、途中でようやく気づく。
「歳が歳だし、みんながほどほどにって言ってたのに、久しぶりだから……って、みんな?」
感じるならば、色彩の失われたモノクロのそこで、ミラクルなど泣いていた。
「あれ……。何か、違うのかな? 今朝、聞こえてきたんだけど」
ミラクルは、もうやめてという嘆きようだ。
「いや、そういやそれは俺も聞いたぜリイム……。で、でも……あぁ。それよりあるだろ、あれが!? もうひとつ、話が……あ、あった……だろがっ! くはっ……」
そう言って力尽きたらしく、倒れる。
タムタムは、思わず目を伏せた。
――こんな予感がなかったわけではない。リイムはひたすら手強い……。
すっかり冷え切ってしまったその場。もう再起不能と思えたのだが。
「…もうひとつというと……タムタムのお見合い?」
今度はあまりにもあっさりと言われて、周囲は今度、反応が遅れた。数秒の間のあと、
「……や…リイム……!」
何度も赤くなったタムタムだが、今までにないほど、赤い。それは自分で言葉に出せないほど意識していたものだし、それをリイムに面と向かって言われて、平然と済むはずがない。
しかし彼は、ごく普通に聞いてくる。
「聞いたよ。最初誰の話かと思ったけど……。相手は、教授の兄弟子にあたる人の、弟子なんだって?」
「え…………っと、うん……」
「聞いた時は少し驚いたけど、考えてみれば、こういう話があっても不思議じゃないんだよね」
「ん……」
「なのに、どうしてこんなに噂になっちゃってるのかな。ここまで噂されていると、タムタムもさすがに恥ずかしくもなるよね」
「……」
さすがに隠しようがないが、赤くなっている顔を見て言っているのだろうか。
確かに恥ずかしいが、噂を恥ずかしがって、わざわざ目の前で今、赤くなっていると思っているのか……。
タムタムは俯いた。彼女の中にあれほど騒ぎ立てたシャルルの姿は無く、入れ知恵も熱と共に失われ、その口は固く閉じられた。
「まあ、噂って広がるのは早いものだからね。しばらくは色々な場所に顔を出し難いと思うけど、そのうち静まるのを待つしかないと思う……。さすがにこればかりは、僕も力になれそうにないから……」
気休めほどの微笑みが、それでも彼の気遣いなのだろう。彼らしい、飾らない、素朴で、誰かに対する平等な優しさだ。
良く知っているリイム。変わりのない彼の前でなら、心中そのままに蕭蕭と佇むタムタムも、微笑を返す事ができた。
「うん……。そうね……」
そうして無言が拡がる。二人の間にも、その周囲にも。
二人の視線が合わさっていたのは、数秒程度だったが――。気まずさが入り込んでくるまでに、ふっと視線を切り替えたのはリイムだった。
「……じゃあ、そろそろ僕は戻る事にするよ。時間もしっかりオーバーしているからね。待っているアラビアやロビー達に、遅いって怒られちゃうし」
分からない雰囲気なのに、なぜか圧倒的に押され口を全く挟めなくなっていたモーモーに、リイムは視線を送る。
「お、おう。……そうだな。ひとまず戻らないとな」
動きを得て、歩む一歩。リイムとモーモーがこのまま去っていく寸前で、しかしタムタムは思わず呼び止めていた。もはや、言いたい事があったわけではないのに。言うのは止めようと諦めたところなのに。苦しかった。
「リイム……!」
一瞬の衝動後、自分が困惑する。目を伏せようと思ったが、視線はリイムから離れない。
振り返ったリイムは、分からないながらも、笑みを見せたと思う。
「一週間後…だったっけ。いや、もう一週間もないのか。急な話だから、タムタムも落ち着かないかい? ……こういう時は、どう言えばいいのかよく分からないけど……いい人だったらいいね……」
「……」
「……なんだか、自分で言って、妙に寂しい感じがするな。気の利いた言葉が分からなくて、ごめんよ」
そう言った彼も、どこか困惑した笑み。少し気恥ずかしいように、リイムはモーモー一緒に去っていった。
リイム達の姿が向こうへ消えると、タムタムは息を吐いて、緩やかに緊縛の力が抜けるのを確認する。そしてその後はいつも少し濁った諦めが残って、その甘さにほろ苦く、自嘲する。
彼女の周囲は静かだった。城内にあって、人の声や足音や、重なりあう諸々の音は消せないにしても。
感じると、タムタムにはそれがおかしく思える。騒がしくて困るのが毎度だから、張り合いがなくなるのだ。こんな時だから。
揺れもせず立っているミラクルを、タムタムは突付いた。
「妙に、大人しいわね。……もっと色々騒ぐかと思ってたのに」
するとうろたえる様に、相手は揺れだした。
「やや、いや。おかしーなーと思ってたもんで……」
「何が? 私が結局、何もしなかったから?」
我ながら自虐的で、厭味な言葉を言ったものだと思えば、ゆるゆると首が横に振られた。
「いや、な…そうじゃなくて。……だってよぅ、俺、タムちゃんのお見合いの相手が誰かなんて、聞いてなかったし……そういえば、いつやるものかも知らなかったし、なんでーってな……」
戸惑っているサンフラワーが見えてはいるが、タムタムは思い出すのに精一杯だった。
「……え? あなた、シャルルから話を聞いたんでしょう? あの子、種は蒔いたからって……。マテドラルに戻る前、門のところで会って聞いて……」
「そうだけども。シャルちゃんに聞いたのは、タムちゃんがお見合いするってだけだぜ。だってもう俺、それだけで吃驚仰天で、飛び回ってたから! あぁ、俺が聞き逃しただけかっ!?」
その時を再現するかのように、仰け反って、回って、激しく揺れた。
それとは反対に、タムタムは静かに考えていた。
「そう、なの? じゃあ、リイムは誰に……。あなたが広めてないとしたら…でも、知っているのって、私と教授と……」
自分はもちろん話せるはずがない。教授については、昨日はあれから準備、今日は早朝から出かけており、城には立ち寄っていないはず。
となれば……
「直接会って聞いたそうだ。……聞き返したらしい」
「え?」
方向の違う――振り向いた先は、スカッシュだった。そして彼の示す視線の先には、再びミッキーがいた。
「……そこのゴーレムが、リイム達と一緒にいたそうだ」
「……」
答えているのかどうなのか。ミッキーはいつだって無言。
人の身にして、良く魔物である彼らと話しているリイムが言うには、それは聞こえるという事だが、言葉ではない声をどうやってどこで聞いているのか、タムタムには分からない。しかしその目も口もない相手が、こちらをじっと見ているのは彼女にも分かる。
なんとなく、励ましてくれているのかもしれないと、思う。
タムタムはミッキーに向かって言った。
「それって、リイムがシャルルと会って……って、事?」
「……」
すると、ミッキーの片手が上がった。返事だろうか。
「……訓練が終わった直後だろう。一時、席を外していたからな」
「シャルルったら、直接話したなんて…一言も言わなかったわ……」
自然と溜息がでる。
何を話したのか。あんなに嬉しそうだったのは、どういうことだったのか。何を期待していたのか。彼女の思惑通りだったのだろうか――。
考えたところで分かるはずもないのだが、ふいにタムタムの中で、大丈夫と繰り返した時のシャルルの声が甦った。
そして、先ほど聞いた言葉。
微かに口にする。彼が去っていた方へ、問う。
「リイム……」
(聞き返してくれたんだ……)
実に些細な事だと思う。それに、それは縋りたい一心で見つけただけのもので、何も確かなものはない。自分がそうと決め付けているだけで、彼の心が実際どうなのか分かるわけではない。
それでもひとつだけ見つけた。困惑した顔。その時も見せたのかどうか分からないあの表情も、もしかしたらと。動揺してくれたのだろうか。平静を装って。
(気にしてくれたの…リイム?)
都合のいいように、いいように。考えてしまう。そんなもの、すっきりと割り切れるはずがない。けれども、先ほどよりいいではないか。諦めきってしまった先ほどより。
「……」
タムタムは瞳を閉じて、薄く、笑えた。
足元でこそこそと、動く影は分かっていた。
「あ、あー。ああああー。な、なんか俺ってもしや降格……? ミッキーばっかり上がりやがってるよ、油断ならんっ。実は狙ってるなっ!? くそぅ。こうなったら俺がもう一つ二つ三つや四つぐらいリイムにけしかけ……ぶほっ!」
ヒマワリを両手で抱え込んで阻止する。
しかししばらく、タムタムは仄かな余韻に浸る我が身をそのままにしておいた。
ライナーク王国は、ラクナマイト大陸に存在する中ではかなり平和な国だ。近年、大陸全土に渡った魔王ゲザガインの侵攻など大きな混乱が起こってはいるが、建国より続くライナーク王家による王制は受け入れられ、安定しており、国民の信頼を得ている。内戦もなく国土は豊かで飢えや貧困も少なく、穏やかな人々と魔物が暮らすこの国は治安が良い。
しかしちんけなならず者や賊の類はどこにでもいるもので、騎士団の巡視の時は鳴りを潜めて機会を待ち、一人や少人数の旅人を、人気の少ない大きな街道から外れた場所で、ぽつりぽつりと忘れた頃に襲ってみせる。
彼らは小物。獲物が来るのを待つだけだ。相手なんか弱ければそれでいい。
「おい、おっさん。あんた、どこへ行くんだ?」
まだまだ口にはしないが、命までは取らないと刃こぼれしている光り物をちらつかせ、怯える相手にはしめたものと、へらへら薄い笑みで話しかける。
薄暗い早朝、さらに暗い森の小道。近隣の者は、ちょっとした近道であることを知っているぐらいの、荒れかけた古い道での事。
無精髭を生やし、粗野な感じを受ける浅黒い人相の男は、後退る相手に問いかけた。
「急ぎなのかい? まだ朝も早いよな。わざわざこんな人気のない道を選んで、人気のない時間帯で…しかも一人とくれば、さすがに襲ってくれって言ってるようなモンだと思うんだがね。そう思わないかい?」
「うぐぐ……」
面と向かう少々小太りの中年は、しまったと青ざめながら後悔しているところ。振り向きはしなかったが、後ろからの気配にも気づいたようだ。
「いやまぁ、知ってるけどな。急いでるのも、城の方に向かってんのも。聞いてたからな、たまたま運が良くってな。聞こえたんだよなぁ」
質の良さそうな旅装姿である男は、目を白黒させた後、歯を噛む。そうして、背後から迫ってくる気配に、ようやく後ろを向いた。
中肉中背の、どこにでもいるような冴えない男、背丈はあるが、猫背気味のひょろ長い男の二人。
「そうそう。聞いてたって訳さぁ〜。あんたが泊まってた村の宿に、オレいたんよ。へへへ。今、思い出したって顔だな? まぁだから、あんたが出る仕度をしてる間にね、オレたちここで待ってたって訳だよな、説明するとね!」
普通の村人のような格好で、その話の宿屋にいた中背の男は、今けらけらと笑う。
「ライナークは…平和だけど。やっぱり…暗いところで一人歩き…危ないな」
もともとそんな顔なのか、目も開いているのかいないのか、申し訳なさそうなひょろ長。
中年の旅人は、無駄だと分かりながらも言った。
「待ってくれ。何も、何も持っていない……! 私はただ、手紙を届けに行くだけなんだ。言う通り、急ぎだ。だから余計なものは何も持ってない。ただの使いであって、君たちの望むようなものは何一つ……」
「いいさ。無いなら無いでそれは仕方ない。俺たちはただ、あるもの全部で十分ということにしてる」
「そうよそうよ。だしゃあいいんだよ、だしゃあ。多かろうが少なかろうが、文句いわねーって。すまねぇが、一人旅してるような相手にはじめっから期待なんてしてねぇからよ!」
中背が笑いながら、いかにも安物と分かる剣を抜く。
「だからさ、犬にでも噛まれたと思って、大人しく身なり剥がされちゃってくれると助かるな、オレたち」
やや遅れて、ひょろ長もたどたどしくダガーを出した。
「ひ、ひぃっ……」
戦うことのできない襲われた男は、惨めな失態に震えながらも、脅されて逆らう事はできなかった。
「ふ〜ん、まぁまぁの実入りかな。持ってないって、思ってたより持ってるじゃねえかよ。ひいふうみい……」
中背の盗賊は、貨幣が入っている袋を開けて、枚数を数えていた。
道にどっかりと、三人は向き合って座っている。
「これ、どれぐらいになるかな……」
ひょろ長の盗賊が両手に持って広げているのは、真新しかった男の上着だ。
彼らははした金にしかならなくても、とにかく金になるものは奪う事にしていた。
そして、リーダー格の浅黒い男は、奪った他の荷物を探っているところだ。袋に手を突っ込んで、ごそごそと漁る。
初めにまず財布を捜した後は、残りの金になりそうなものを物色するのだ。
「ゴミ、ゴミ、ゴミ……と」
道を聞いて書き込んだらしいメモやら、こまめにつけているらしい日記やら、干し肉、ドライフルーツやナッツなどちょっとした食べ物、薬草袋、お土産がお守りかしらないが、木彫りの小さな像など、彼らにとって不要なものをポイポイ放りだす。
「へへへぇ……。儲け! 楽して今回は懐あったか! いいねぇいいねぇ、毎回こうだといいねぇ!」
一回数え終わったというのに、嬉しいらしくまた数え直す。
「コツコツやってた甲斐があったってね! どーんとでかい事やるのは憧れるモンだが、とてもオレたち三人じゃ数が足りねえし。……へへへ、今日はちょっとマシなもんが食えそうだぜ、アニキよう!」
ほくほくな弟分に、リーダー格はバカヤロウと怒鳴った。
「うるせー! 今は少人数のおいはぎやスリで我慢してるが、いつかでかい事やってやる!って意気込みの俺達が、まともなメシが食えるってぐらいで顔ほころばすなよ?」
彼の盗賊としての目標は、もっと上なのである。ほんとうは、こんなコソコソと地味でいかにも小さい事をやっていて満足なはずがない。
「仲間を増やして、金も少しは溜めて、でかいことやるために備えるんだよ! とりあえずなぁ……そのうち隊商を襲ったり、金持ちの子供をさらって身代金を要求したり、若い娘をさらって売り払ったりするんだよ! さらにその後は、人数が増えてくるから根城を構えて拠点を増やして……」
中背男は、また悪い癖が始まったと、内心肩をすくめた。
「備えるったってなぁ……。周りにスカウトできそうな奴はいねえし、金だって、オレたちのメシ代で既に消えてるんじゃねえですかい? まだまだそこまでは……」
「先の事はわからねえんだ! そのうち、もっともっと金持ちにも巡りあえるかもしれねえ。金がありゃあ仲間も増えるもんだ! 常識だ!」
「はあ」
終いには手に入れた数枚の銀貨を片手でお手玉にして、中背男は生返事を返した。
しかしリーダー格の男も、荷物に夢中で弟分の態度を気に留めることはなかった。
「んん? これは……?」
最後に取り出したのは、封筒だった。乱暴に漁っていたので折れ曲がっているが、蝋で封緘してあるものだ。
「てがみ……だと思うよ」
上着を綺麗にたたみ終えたひょろ長の男が、ぼそりと言う。
「てがみねぇ。あぁ、それが急いでたものなんだろうかねぇ。早く渡さなきゃいけないモノなんだろなぁ」
そんな事を中背男が言っている間に、リーダー格は手紙を開封していた。
「ぁあー。いっけねーの! アニキ、人の手紙を勝手に読んじゃダメだって。ま、オレは文字なんて読めねえから問題なしっと」
「〜〜フ〜〜〜〜ンフ〜〜〜っ! フ〜!」
そこで呻き声。彼ら三人以外の。言葉にしたくても、言葉にできない必死の苦しみだ。
道から少し離れた藪の中からだった。先ほど彼らが縛り、しゃべれないよう口を塞いで転がした男である。
「悪く思うなよ〜。読んでるのはオレじゃねえんだよアニキなんだよ〜」
「ンンンっ! フンンン!!!」
「何言ってるかわかんねえけどよ。ま、心配しなさんなって。 少なくても二、三日に一回ぐらいは人が通るからよ。干からびたりはしねえよ、たぶん、な! ライナークはみんな良い奴ばっかりだから、金が無くても色々世話してくれるって。ハハ!」
愉快そうに襲った相手に話しかけていると、
「――こいつぁ…やれる? いや、やれるっ! おいおいやれるぞ!!!」
手紙に喰らい付くように見入っていたリーダー格は、突然叫んだ。
「へっ?」
「どうした……の。アニキ……」
呆気にとられた弟分達の前で、手紙を握り締めつつ、いつの間にか興奮気味のリーダー格は言った。
「上手くいけば、でかいぞこれは! いままでみたいな小銭じゃねえぞ! これはまたとないチャンスだ!」
「だ、だからなんなんだよアニキ。とにかく説明してくれねえと……」
迫力に怯んでいる中背男を追い立てるように、リーダー格は手を振り上げる。
「うるせえ! 丁度、金も手に入ったことだ! 町へ行って仕度するぞ! ほら、さっさとケツあげろ!」
「な、なんだって! 訳わかんねえよ! せっかく上手いモンが食えると思ったのに、酷いぜアニキ!」
「つべこべぬかすな。ここでゆっくり説明する暇はねえ。もう時間がねえんだよ。すぐに行動に移るぞ。そのついでに話してやる!」
不満だらけの弟分を睨みつけて黙らせる。実はすぐに細かく説明できる自信がないほど、彼は興奮していた。
「な、なに……するの? 手紙に、何かいいこと、書いてあったの……?」
そう、手紙に書かれていた内容が重要だった。全く、馬鹿な話だと思う。詫びが書いてある。確かに急ぎだ。今日の昼の話しだ。差出人は自分が何者なのか書いている。聞かされたらしい受取人の事も書いてある。手紙が届くのが遅れ、もし向かって待っていたらとご丁寧に場所までしっかり書いてある。決め手は、一度も合ったことのないご両人。
上手くいけば、今までの稼ぎの十倍……いやいや、百倍ぐらいは軽く手に入るに違いない。
「そうだよ。とにかくまず、何するって?」
尻を払って、隠そうともしない不満そうな顔も気にならず、盗賊のリーダー格はにやりと笑った。
「ハハハッ。驚くなよ? 見合いだ、お見合い!」
<何書けばいいんでしょか……>
もう久々久々に書いてました〜。ネタありませんでした〜なんか風呂入ってたら思い浮かんだかなこれ……。厳しいのがお分かりだと……。大体2ヶ月半ぐらい掛かってます。
結局長編の後の長編が詰まって、やっと手を出したのは結局こんなんだったということです(汗)
とりあえず辛うじてUPできるようなレベルですが、上げるものないから堂々とアップするよ私(苦笑)。
相変わらずくどいですヒマワリ。でもあれ削った方ですよ三行だけだけど(苦笑)。うーん、もう説明しなくても展開分かりますでしょ。
さてなに語りましょうか……。あ、すみません校正ほとんどやってません。
タムタムはちょっとカルシウムが不足してそうです。歳とるほど落ち着きがなくなる、彼女(苦笑)
おお、やっと少しだけまともといえる出番になりました、シャルル。親友だけど悪友だな。
教授はどうでもいいです。ねずみを語ってどうするのでしょう……。
スカッシュはねぇ……彼書いてる時が一番楽しいよ私。もう救いは彼のみですよ。わふ。
ヒマワリまだいた。もう磁石のように引き合ってぶつかるもんらしい……脳内では……。
ミッキー。みっきぃぃぃ。LM2のゴーレムデフォルトの名前がこれだったはずですが?
リイム。どうにもならんリイム。難しいよリイム。リイムが一番書きたくないよ(苦笑)
モーモー出るけど出番なし。
王様でません。ぎっくり腰か……歳だな。ライム姫もこれにはでません。
アラビアそういやこれ書くときすっかり忘れてたよ私!後で書き加えたアラビアだったなんて秘密。
ロビーはあれです兎です。兎とアラビア次出ます。
盗賊なんて語っても意味ないですね、どうせもう運命は決まってるんだし。あそこの部分ここまで書かない方が多分全体としてはまとまるんだけど。
光の魔剣の後の半年後ぐらいで書いてます。その間にストップ掛かってる長編が入ってます。もー。
タムタムは私には書きやすいがリイムがダメ。とにかく彼がタムタムでもライムでも、その気を見せる事自体が私には思い浮かばない(苦笑)
おかげでなんだそりゃな。非常にその部分は引き付けが弱いもんに仕上がっております。
普通あんな事で期待なんてできません。リイムだからあんな判断にもならん些細な事でタムタムが千千に心乱れねばならんのです……。うわ弱い。なんとかしたいもんです。
ここらへんまではまだマシな方だったんですよねぇ。次の方が痛いです…あああ。とりあえず少しは直さねば……と思ってはいるですが。
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