斜陽の争乱
<1>
黒。暗いどころではない、濃密濃厚で、重く厳として立ち塞がるそれは、純然たる闇があるのだと思った。
そこにはかなりの高さをもった、だたっ広い空間がある。そこに、きわめて高い密度で充満し、触れられそうな魔力がある。隅から隅まで、果てしない深遠の色。どこにも届かず、どこにもたどり着けないような錯覚。
ここは王たる者を囲う間。記憶として、物質である石壁にどの程度で阻まれるものか、彼は知っている。しかし今は、その距離感も掴めない。前にあるのは巨大な闇の塊。その空間全体が、彼の知っている黒であり、彼の知らない闇であった。
なるほど、これでは誰も近づけまいと、彼は納得した。そしていったん立ち止まったその場から――巨大な闇を閉じ込めていた、両開きの扉から――ゆるりと一歩を踏み出した。
進めなくはなかった。この力は具現化されていないのだ。黒い闇、暗い色は、奥にいる存在とその魔力を、彼の感覚が捉えているもの。だから実際には、視界が塞がれつまづくわけではないし、塊に思える厚い層にぶつかるものでもない。認識しただけで重く、憂鬱であり、気分は酷く悪いが、床があるはずの底は平らでおうとつもないのだから、黙々と前へ進む。少なくとも半分は自分と同質であろう魔力が、あまりにも濃くその場に満ちているために、黒い塊がイメージできたに過ぎない。しかしそれはどうやっても振り払えるものではなく、冷たく、痛く絡みつく、どしゃぶりの雨の中を進むようだった。
明確な力として発現していないとはいえ、これだけの魔力が満ち満ちていれば、どんな者でも、魔力の本質が分からない者でも、何らかの形で見えてしまうだろう。それは稲妻を轟かせる暗雲かもしれないし、強風が吹き荒れる嵐かもしれない。あるいは溶岩を吐き出す噴火に見えるかもしれない。恐怖を覚える何かを、きっと目にする。そして実際には、何らかの光景を見る前に、扉を前にした時点で恐怖に身を竦ませるのだろう。いや、この間を内包する城を目にするだけで、慄くに違いない。それだけの異常な魔力が、容器としては小さすぎるその間に、消えることなく留まっていた。
だから誰もが、先ほど彼が開いた扉に、触れることはおろか近づくことすらできなかったのだ。
「……!」
彼は思わず立ち止まった。おそらく、空間の半ばまでは進んだと思われる中央で、息を呑み見上げて、心の底から純粋に驚いていた。
こちらはまさしく、実際に質量を備えた、巨大な闇の塊であった。測ることのできない、深く広大な闇にあって、圧倒的な存在感を放つ山。艶のない黒い鱗に覆われた巨躯には、長いかま首が伸び、爬虫類を思わせる頭部には、これまた長い角がある。加えて長い尾、コウモリのような翼を持つ。体勢としては、眠っているかのように体を伏せ、首も下げて四肢を埋めているが、形態で言えば龍、ドラゴンのそれであった。
それは彼を常々、横柄で高圧的な眼差しで睨む、老魔術士の姿をした人型ではなかった。
「黒魔龍……」
そのつぶやきに反応したのか、黒魔龍と呼ばれた巨大な龍は、彼の眼前で閉じていた両眼を開いた。
『何をしにきたのか……』
送られてきたのは思念であり肉声ではないが、腹部に響く、低音で暗い声のような波動だった。目の前に立つ、大きさで比較すればちっぽけな彼に、いまいましげな様子を露骨に表す。
「今の状況をおかしいと思わなければ、ここに戻る用はない」
感情をこめるでもなく、気になったのだという内容を彼は淡々と返したが、言葉は多少皮肉ったものだった。
別に相手の見下した傲岸不遜な態度など、物心ついたときから向き合っていたのだから、まったく気にする必要はない。第一声のニュアンスが、歓迎されないどころか目障りな邪魔者の含みであっても、別にどうということはない。ただ、まるで口実のように、こうして戻ってきている自分に対しての、軽い自嘲。そして状況を――現況をよくよく理解しているだろうに、意識を深くうずめ、こもっているような姿。あるいは殻に閉じこもり、外敵から身を守っているようなその行動に対して、僅かばかりの疑問と苛立ちが、無意識に組み込まれたのかもしれなかった。
そう、疑問だった。これは明らかに異常なことである。常であるなら人型を保ち、めったに見せることのない――彼が目にしたことも数えるほどしかない、黒魔龍の本性で閉じこもり、何もしようとしないなど。いや、何者をも――自分の配下であろうと寄せ付けまいとする、張り巡らされ、満たされたどす黒く異質な魔力の中で、何かに意識を向け没頭しているのか。
ここは――ここだけがまるで違う世界であり、悪寒に意識を奪われそうな場所だった。実際この場は、いまや黒魔龍そのものの領域、精神世界の一部なのかもしれない。酷い疲労感と、気を抜けば蝕まれてしまいそうなむず痒い痛みには、肌があわ立ちそうだが、それは内部から起こるのではなく、外部から進入しようとする何かの意思か力か、だ。
それが表している。自分は意識を向けないように遮断しているが、目の前の相手は違う――。強大な魔力を持ち、魔界に君臨する魔王でありながら、憔悴し、追い詰められるような何かを行っている。
それとも強いられているのか――。
『分からぬか』
思考を見透かしたようなタイミングで、声が届く。乾ききった失望と暗い憤りを吐き出すのは珍しいことではないが、いまさらながら実感していると言いたげな様子があった。
『キサマに分かるはずもないか。黒魔龍ではないキサマでは……』
役立たずだと言われるのも、初めてのことではない。見込む力もなく、望む働きもしないと疎まれるのは、昨日今日の話ではない。いつしか、それが愚痴であることに気づいてからは、返す言葉もなくなった。
僅かばかりの沈黙に、言い終えたことを知ると、彼は話を戻した。
「……天空魔城が降下する今、打倒ゲザガインをはばかりなく掲げ、勢力は日々拡大の一途にある。混乱の兆しを掴み、版図や勢力を増やそうと便乗する者を扇動したのは分かる……。だが、いくら四魔将の動きが後手に回り、当のゲザガインが実際に動いていないとはいえ、相当の力を持っていなければ、短期間でここまで規模が拡大するとは思えない。相手が何者か心当たりがないのか……」
ゲザガイン。それが黒魔龍が名乗る名。凶暴、凶悪な数多の魔物を、その名だけで黙らせ、竦みあがらせた魔界の覇者、魔王――。
まったくもって異常な事態だった。魔王たるゲザガインに表立ってたて突けば、蹂躙され、奪いつくされるのは目に見えている。心では何んと思っていても、実際に行動に起こしてまで反抗する馬鹿者は、ほとんどいなかったのが今までの現実だった。当然、実力的に勝る者もいなかった。失態に恐怖し、自然と消え去るのも一瞬のことであるし、退屈しのぎに潰されたのも同様。それだけゲザガインの魔力は魔界において絶大であったし、凌駕どころか比肩しうる力も存在していなかった。だから、何かの勢いで間違ってしまったとしか言いようのない、偶発的な戯事の発生しか記憶にない。
このような、確実に拡大が認められ、反乱と呼べる事態は――彼が知識として知っている限りでは――ここ何百年と起こっていないはずだ。しかも、自らはこうして居城である天空魔城にこもり、一切動かず、指示を出すことすらなく、魔王の手足である四魔将を奔走させるという事態は、これが初めてなのではないか。もはや独断で動くしかない彼らは、奮戦していると言えるが、すでに勢いづき、飛び火するように広がっていく勢力の前には、目に見えた戦局の変化を起こせないでいる。つまりゲザガイン側は、追い詰められているのである。
これを異常と思わない者など、いるはずがない。
『フン……。昔、このワシが魔界を落としたときに、邪魔をしてきた奴だろう……。息の根は止めそこなったが、今さら出てきて、よもや再び邪魔をしようとは……。ワシを、このワシを出し抜いたつもりか……! 小癪な奴め!』
ゲザガインの思念である声には、ありたっけの憎悪がこめられていた。短気で小物のようにすぐ苛立つ気質であるが、ここまで不機嫌なのもそうそうない。自身の状態を含め、現在の状況は酷く不愉快で不本意なことであるのは間違いない。
「まさか、かつての魔王なのか……」
昔などと一口に言ったが、一体どれだけ以前の話なのか。ゲザガインが魔界に君臨してから、どれだけ過ぎ去っているのか、正確に知っている者など誰もいないのではないか。そしてその間、ゲザガインを脅かす相手がいたとは聞いたことがない。数百年どころではないはずだ。千年近く経っていてもおかしくはない。それに邪魔をしてきたと言ったが、一方的に蹴散らすだけの相手に対して、そんな言い方はしないだろう。ある程度は渡り合った相手、しかも魔界を落とす際と言うならば、立ち塞がるのはそのとき魔界で、もっとも実力を持った者――すなわち過去の、当時の魔王だと考えられる。
『――何者かなど、そんなことはどうでもよいわ!』
全身に衝撃が走る、落雷のような一喝だった。話すことでより不愉快になったらしく、苛立ちは倍増している。否定もしないし、この場合、事実なのがますます気に入らないということだろう。
八つ当たりとしか言えないが、太刀打ちできない強大な力を前にする以上、大抵の者は恐れながら耐え、唯々諾々と受け止める。魔界は力こそが絶対的で確かなものであり、勝る力がなければその前に屈し、従うしかない世界だ。
そして、かま首をもたげ、怒れるゲザガインに呼応して、内部の魔力が荒れ狂った。
『キサマ……安逸をむさぼっておいて、ここでわざわざ戻ってきたと言うなら、少しは役に立つつもりだろうな……!』
猛々しい魔力の奔流に吹き飛ばされないよう、構えた彼にそれだけ言い放つ。
思っていた通り――ひとつの疑問が解け、芳しくない状況を察した彼は、構えを解くと同時に告げた。
「動けないんだろう……? 好きにやらせてもらうだけだ」
直後、排斥するかのように荒立った周囲の魔力が、聴覚では捉えられない轟音がぴたりと治まる。しかしそれに反応することもなく、彼はゲザガインに背を向けた。
現魔王と前魔王の因縁、行動の背景は不明だが、尋ねて説明が返る期待などなかった。他に得られる情報は何もないと判断した彼は、もはや無用となったこの場を後にするため、歩き出していた。
数分ほど掛かったか。その間、背中を射抜くようなゲザガインの視線と、彼の淀みない歩みに変化はなかったが、小さな黒い人影がその領域から消え去るのと同時に、忌むような鼻息がひとつ吐かれた。
まるで、城主そのものであるかのように、重圧感を覚えずにはいられない。見上げる度に、息が詰まる。決して澄むことのない魔界の空に浮かび、威容をまざまざと見せ付ける天空魔城。そして恐るべき魔力を持って、その城を支え、主として君臨する者こそ魔王。
今は、以前の半分ほどの高みにしかないが――。その魔王が王座に腰を下ろし、あらゆる者を睥睨する黒魔龍の間は、まさに城の中枢でありながら、何者であってもおいそれと近づけない場所であった。
それは傅き、じかに勅命を受け、手足となるべく行動するゲザガイン四魔将――そのうちの一人であるバンパイアの彼、バンピーも例外ではなかった。
「スカッシュ様!」
細身に合わせたベストにズボンのいでたちは身軽で、たまに羽織ることもある黒い外套は、今回身につけていなくて正解だった。わずかばかり増える衣擦れの音や、裾が翻る抵抗も、この今ならずいぶん煩わしく感じるに違いない。
長身で普段、細面に不敵な笑みを浮かべていることが様になっている彼にしては、余裕を感じさせない足早の歩みがさらに速まる。それは天空魔城の城内、黒魔龍の間へ続く広い歩廊の先に、こちらへ向かって近づいてくる見知った人物を、思いもよらず見たからだった。
屈強な肉体だけでなく、角、牙や翼など、禍々しく恐ろしい外見を持つ者も多い魔界のこと。姿形は、小さく取るに足らない印象がないわけではない。人間とまったく差異のない外貌の人物は、黒髪に黒い軽装姿で、取り分けて目を引くものではなく、握られた黒鞘に収まる刀の存在も、見落としてしまいそうな主張のなさだ。しかし、バンピーは真っ先に気づき、他に目を向けることもなかったが。
声をかけても、元から緩いわけでもない相手の歩みに、変化はなかった。視線もおそらく変わってはいまい。だが、自分の知る相手は無視を決め込む人物ではなく、その耳で聞いているはずだ。だからバンピーは半ば駆けつける形で、向こうとの距離を縮めた。
「スカッシュ様……。お戻りになったのですか」
「ああ。……しばらくだな」
バンピーが止まったところで、スカッシュと呼ばれた相手もまた、歩みを止める。
淡々と返ってきたが、この再会は数年ぶりなどという話ではなかった。だが力によって左右されるという、この世界の根幹は在りし日より変革はなく、何百年もの歳月が過ぎ去ることも、その間を実際に経験した長き時を生きる者たちにとっては、昨今の感覚と大差がない。よって、時間など軽視されがちな魔界においては、久方の再会においても互いに感慨にふけることなどなく、今や脳内で思考に暮れている、かつてない、差し迫っている事態の収拾についての話が、真っ先にでてくるのだった。
バンピーは暗い奥を見て、すぐに視線を引っ込める。
「ゲザガイン様のお側へ……黒魔龍の間へ、向かわれたのですか?」
行動についてもそうだが、発言や表情にも余裕の無さが表れるのは、今の彼では御しきれないところだった。尋ねる相手に恐れは抱いていないが、近くにいると思えば肌が粟立ち、口にするのもどこか憚られるのが、魔王ゲザガインの確たる存在である。
「向かわないわけにはいかないだろう。この状況で……ここに戻ってきた意味がない」
肯定を示す言葉の最後だけは、どこか憂鬱そうな響きがあった。
彼は自らの意思で、長らく天空魔城から離れていたのである。何があっても、喜んで戻ってくる場所ではないことをバンピーは知っているから、微妙なそれにも気づけたと言える。
しかし些細な観察であったが、それだけで、相手が何ら変わってないことを確信したものだ。
「そうですね……」
そして、我ながら間の抜けた問いかけをし、返事をしたものだと思った。だが同時に、今まで胸中に閊えてきた、焦燥感やぬぐえない苛立ちも一緒に抜け、消えたように感じる。
とにかく、急く気持ちを極力抑えて、相手のペースに合わせたのが良かったのかもしれない。安堵とまではさすがにいかないが、落ち着きはずいぶんと戻っている。こうして僅かばかりの変化を、即座に思案するだけの余力は取り戻しているし、言葉足らずだったとはいえ、なぜ自分がそう問いかけたのかも理解している。だからパンピーは、続けて述べることにする。話をここで、終わらせないために。
「しかし今、あの間に近づこうとする者は……。四魔将であっても、あの場に向かうことは命取りになりますので……」
ゲザガインが間にこもって以来、四魔将の誰もがそこへ足を踏み入れたことはない。相手が彼だからこそ話すのだが、言葉にするのは慙愧にたえない思いだった。しかも、どうあがいても認めるしかない事実は、この場からですら感じる。魔法として、何らかの事象を起こす力として発現してないというのに、これだ。間の扉を前にすれば、絶え間ない内からの警告が足を止めてしまう。
何者であろうと近づくことは許さない――。黒魔龍の間を埋め尽くす禍々しい魔力は、そう告げているとしか思えないほど激しく、攻撃的なものだった。強い思念が魔力となり放たれていると言っても過言ではなく、そこには強烈な憎しみや怒り、敵意がとぐろを巻いていて、もし踏み込もうものなら、問答無用で襲われるのは見えていた。暗く燃え盛る意思に精神が、重く荒れ狂った魔力に肉体が持つかどうか。強者揃いの四魔将であっても、まるで下等な者たちのように、純粋に本能が身の危険をひしひしと訴え、伝えてくるのだった。
――だからこそ、他に戻る理由がないとしても、向かったのかと尋ねていたのだ。あの間の主――魔王、黒魔龍ゲザガインを父親に持つ彼であっても。
「たとえスカッシュ様でも、危険なことには変わりないと思いまして……」
魔界に生れ落ちた時から、赤子の頃から知っている相手だ。仕える主の子息とはいえ、発言を遠慮することはなかったし、何よりそれは事実だった。ただ当然のことながら、危険など相手は百も承知であり、バンピーもまた、分かっている彼にあえてそう言ったのであるが。
返ってきたのは、何が言いたくて何を言わせたいんだと、酷くつまらなさそうな、おそらく呆れた視線だった。
「この状況でなくとも、いつ殺されるか分かったものじゃない。いまさら躊躇してみたところで、何かが変わることはない……。親父の存在も、俺の末路も」
その視線を逸らすと、彼は止まっていた歩みを再開し、バンピーの横を抜けた。
「……」
抜けるのを見送っても、バンピーは何も返さない。スカッシュの言葉は冗談ではなかったし、実際、過去に何度も気の短いゲザガインの逆鱗に触れていた。父子の相性は最悪で、口を出すことしかできなかったが、彼が目の前で半死半生になり、止めに入ったことすらある。聡明であるのに、器用とは言えない性格の持ち主なのだ。なお悪いことに、ずいぶんと無欲で自身などどうでもよいと思っているふしがある。
困ったものだと思う。まったくこんな差し迫った時に、なぜかのこのこと戻ってくるのだから、おかしい。
背中を見せた彼に、そんな笑みは見えなかっただろう。一瞬浮かべた後、追いかけようとしたバンピーだったが、その前を自分より頭一つは大きい影が遮り、足を踏み出すのが遅れた。
一瞥すらなく、横を無言で通り過ぎていったのは、屈強な身体に牛の頭部をもつ、獣人のミノタウロスだった。褐色の肌、頭部に黒く曲がった角を持ち、左目の刀傷が物語る隻眼が特徴的だった。
スカッシュより長身の自分より、さらに上背も横幅もある相手だ。決して目に入らなかったわけではない。ただ、気づいてはいたが、余裕がなく真っ先に尋ねなかったために、今まで気にかけることを失念していたのだ。目立つ体躯のわりに、黙して後ろを歩くだけと、これといった主張が見受けられなかったこともある。
バンピーはもう一度ミノタウロスを見やってから歩を進め、何事もなかったように、スカッシュの横へ並んだ。
「……ところで、後ろのミノタウロスは?」
「連れている。ブラックという」
判断が容易い、尋ねるまでもない問いに、聞くまでもない答えがすぐに返ってくる。ごく当たり前のやり取りでしかないが、しかしバンピーは驚いた。ミノタウロスの付き従うような姿を見れば、他に考えようもないのだが、それでも尋ねたのは、スカッシュが配下をつけることを嫌がり、頑なに拒んできたのを知っているからだった。
「召し抱えたのですか……」
「……根負けしてな」
経緯より何より、従えている事実、それだけが驚きである。スカッシュからは疑問に気づいての返答が短くあったが、だからと納得し、すぐに解消するわけではなかった。
ミノタウロスが相当気に入られたのか、それともスカッシュは一見変わっていないようで、大きな変化があるのか。バンピーがその時真っ先に気づいたことは、彼自身もおぼろげになっていた、歳月という流れの実感と、不変をよしとしてそれ以上を考えない、自分の怠慢だった。延々と、いつまでも続くような錯覚すらある滞った魔界の世で、僅かでは見向きもしなくなった移り変わり、気づかなくなった些細な変化の中に埋もれてしまっている。
そんな状態であるから、いざ津波のような流れが起こった時には、今までの堆積に足をとられ、ろくに行動もできず、もがき流されるだけなのだろう。現状のように。
「……」
変えようがない思っていたのだ。自分にとっても畏怖の対象であるが、絶大な魔力を持ち、魔王として君臨し続けるゲザガインの支配は。そこにあぐらをかいていたわけだ。牙城に攻め込まれることなど、夢にも思っていなかった。何せ、ゲザガインの力は強大すぎる。比肩しうる者など想像がつかない。その下に自分たち四魔将がつき、固めていれば、崩されることなどないと思っていた。しかし、甘かったのだ。何も見えなかった節穴だ。まさか、磐石である支配の要であり、拠り所たるゲザガインが、動こうとしないアクシデントがあろうとは。四魔将が手を尽くしても、止められない流れが出来上がろうとは。一転、いかに考えが浅かったのかと、愕然とする。
苦々しくバンピーが奥歯をかみ締めると、しばらく無言だったためか、不意に名前を呼ばれた。
「バンピー」
「は……はっ」
「お前はこれからどうするつもりだ。奥に向かうつもりで来たんだろう」
一瞬だけ、視線をくれたかもしれない問いかけに、バンピーはそこから考え始めた。スカッシュに遇ってからは、自分の行動に理由がなくなっていたために。
「向かってはいましたが……。私も守りを固めようと天空魔城に戻った直後で、黒魔龍の間に不吉な異常を感じたものですから」
それが駆けつけた経緯であった。異常といえば、しばらく前からずっと異常続きであるのだが、さらに酷い胸騒ぎと悪寒がしたのだ。おののく体に鞭打って、ここまで来た。黒魔龍の間に入ることなど、考えての行動ではなかった。一心で夢中で、慌ててやってきた。とにかく向かった。それだけのことで、その先は空白だった。
「先ほども申し上げましたが、私の身で、今あの間に立ち入ることは不可能です……」
「そうか」
一言で済ませ、細かく追及してこないスカッシュに、バンピーは再び恥じる思いを抱いたが、それを忍んで問いかける。尋ねられる流れでもあったからだ。
「しかし、私を急かした異常の原因が、スカッシュ様であることは分かりました」
異常の中でさらに感じた異変。その原因は、ゲザガインと隣の人物との接触に間違いない。彼はゲザガインに会ったと、先ほど答えたのだ。今、誰もが知りたい疑問を、知っているはず。
「して、ゲザガイン様は何をなさっているのですか……?」
その時のスカッシュは、嘆息したようにも見えた。
「あれで、何かと戦っているらしい……」
「何かと……?」
言われて実感もなく、おうむ返しに口にするのが精一杯の反応だった。それが詳細の催促と受け取ったのか、対する答えが返る。
「俺では、それ以上分かり得ないもののようだ」
語調に変化はなかったが、バンピーはそこに、言わなかった言葉が含まれているのを感じた。彼の力が能力が、劣る劣らないの話ではないのだろう。不変であり、どうあがこうが変えられない、どうにもならない事がある。その意味に聞こえた。
近くで見てきたのだから、分かることだ。スカッシュは生まれた時より、彼の意思とは関係なく、存在そのものを黒魔龍ゲザガインと比べられてきた。それは血の繋がる親子であり、魔王とその息子という立場上、当然であり避けられないことだった。しかし現実は、逆に作用してしまったかのように、父子の存在は似て否なるもの、異なるものだったのだ。ゲザガインがスカッシュを、スカッシュがゲザガインを疎ましく思うのは、仕方がないことに思える。
バンピーは一瞬、返す言葉を考えかけたが、そんな気遣いこそ不要なものだったと、すぐに改めた。
「……それならば、私どもでは何一つ分かりますまい。しかし、苛立っているはずのゲザガイン様が今、ご命令の一つもお寄こしにならない理由は、分かりましたよ」
スカッシュの呼気は、微かに苦笑を帯びた。
「……さしものゲザガインにも、恐れるものがあるようだ。あそこまで怒りを撒き散らし、憎悪を剥きだして縮こまる姿は初めて見た」
今は未曾有の危機と言っても、過言ではない状況だ。そこに主君であるゲザガインさえ、危ういかもしれないという話。到底、笑い話にならないのだが、その時はバンピーも、にわかに気分が緩んだ。
「ゲザガイン様が……。俗輩の我々とは違って、恐怖など知らぬ御方かと思いましたが、そうでもないということでしょうか。初めて親近感を覚えますよ……ごく僅かですがね」
ゲザガインの話題は憂鬱でしかないためか、スカッシュの声はすぐに、起伏のない元の声音に戻った。
「あれほど本能と感情任せでいながら、恐怖心だけが都合よく欠落するとは思えないがな……」
「むしろ人一倍だと……? しかしお仕えしてから、このような事態に遭遇するまで、分からなかったことですよ。足下にも及ばない我々などでは……あの御方が恐れるものなど、想像がつかないのですから」
言ったことは本音であるが、ゲザガインの存在がいかに強大であるかなど、分かりきっていた。いまさら語ることではないし、彼自身さほど興味はない。スカッシュも同じだろう。一拍ほど間を置くも、やはり返ってくる言葉はない。
「……考えるだけ、無駄なことでしょう。今、四魔将たる私がすべきことは、それではない……」
バンピーの本意としては、ゲザガインが動けないと分かった以上、もうその話を続けるつもりはなかった。早く切り上げ、次へ――。考えを聞きたかった。
ゲザガインからの命令がないとあれば、己の意思で動くしかない。しかし言い換えれば、己の自由に動いてもよいということだ。気兼ねする必要もない。
バンピーは足を止め、尋ねた。
「スカッシュ様は、これからどうなさるおつもりですか?」
スカッシュは一歩前に出たところで足を止め、後ろを振り向いた。
「……俺の意見を先に聞きたいということか」
「そうです」
即答すると、スカッシュは再び前を向き、話し始める。
「ゲザガインは一向に動かない。日に日に天空魔城は降下し、機に乗じた反乱は急速に拡大する一方……。誰の目にも、戦局は向こうにあると分かる。ここまでくると、自軍からも日和見を決め込む者や、離反する者が少なからず出てくるだろう。刻一刻とと不利になっていく。もはや、降りかかる火の粉を振り払うだけでは、収拾がつかない戦況だ。この流れを断ち、打破するには、打って出るしかないだろう。だが……」
「四魔将は防衛で手一杯です。なにしろ、今守っている地点は、どこも天空魔城に続く要衝ばかり。万が一落とされれば、ますます勢いは増し、この地へ大量の反乱勢が流れ込んでくるのは目に見えています。つまり、主力部隊が動ける状態にない」
バンピーは繋がる事実を述べた。不利な状況であるのを、今は気にせず、視線とともに淡々と。
スカッシュは割り込まれたことを気にする様子もなく、視線を落としたのか、僅かばかり下を向く。
「支配者たるゲザガインが、突如として沈黙した影響は大きい。生じた混乱は、行動の遅滞を招いた。その中での、予測を超えた反乱勢力の拡大。対応できるはずもなく、四魔将は結果として思うように身動きがとれないまま、守りに徹するほかなくなった……」
そこで彼は完全に振り返る。内容通りの厳しい表情であるが、悲憤ではなく、先見の明を感じる。鋭い眼差しで、かつてないこの事態を見通そうとする意志が表れていた。
「今の状況で命令に従い、十分戦える士気が維持できる手勢となると、四魔将率いる軍勢か、天空魔城を守るゲザガイン直属の部隊くらいだろう。しかし、先に言ったとおり、四魔将の軍勢は動かせない。そうなると残るは、この城の少ない戦力だけとなる。精鋭であっても、多勢に無勢だ。まともにぶつかって勝機はない」
バンピーはそこで息を凝らし、スカッシュを今一度、見返した。
こちらの勢力が減少、消耗する一方で、あちらは勢いに乗り、増え続けている。もしこのまま時間が経過すれば、間違いなくどこかが突破され、攻め込まれる形勢を、彼がどう逆転させるつもりなのか――。ここからが聞きたかった話だ。
それを見透かしてのことか、スカッシュは先に問いかけてきた。
「バンピー。……反乱がなぜ、どのように起こったか、お前は知っているか?」
「反乱が……どのように、ですか」
軽く、はぐらかされた気分になる。しかし、真面目な話を誤魔化す相手ではないので、問われるままバンピーは答えた。
「最初はおそらく、ただの小競り合いだったと思います。魔界では日常的におこるいがみ合いで、気にかけることもなかった……。ゲザガイン様も同じだと思いますが」
力が鉄則。それ以外の秩序はなく、暗く、乾き荒廃した地において、凶暴かつ飢えた魔物が跋扈しているのが魔界である。奪う、襲うは当たり前。当然、争いはどこかで絶え間なく起こっているものだ。しかし苛立ちやすく、無慈悲なゲザガインであっても、ケンカのような程度の低いものまで、神経質に踏み潰すような真似はしない。
「どれかが発展したというわけではなく、どれもがそんな流れになっていったのか……縄張り争いが長期化し、さらに飛び火して広がる。そんなこともたまにはあるだろうと、その時は深く考えたわけではありませんでした。たださすがに、これ以上広がれば散らすのも面倒になると、動向が気がかりに変わりました」
暴君ゲザガインは、魔界を治めることなど興味がない。そのため、支配といっても、中身は実に単純で大雑把なものだった。頂点にゲザガインがあり、その下に四魔将がいて、睨みをきかせているだけ。人間の世界のような、統治などという整った体制はなく、広い大地には国という概念すらない。ゲザガインの支配が直接及ぶのは、四魔将の目が届く範囲までと言ってよい。後は実質、放置なのである。魔界全土は無法地帯で、要はゲザガインに目障りだと思われなければ、何をやろうとお咎めなしになるわけだ。争いが多いのは、魔物の性質のみならず、ゲザガインのいい加減な支配、あるいは寛大と呼べなくもないそこにも起因していた。勢力間の抗争は、そのお目こぼしがある中で、自分の権力を握ろうとする者が、好きなだけ起こしている結果だ。数人の徒党から、何百と手下を抱えるそれなりの集団まで、数多の勢力がひしめいている。根城を構える者も多く、領地だと主張する場所で、支配者気取りの者もいる。
――しかし全てにおいて言えるのは、台頭著しく、目立つようになれば、ゲザガインの逆鱗に触れ、滅ぼされるということ。
今まで、ずっとそうだったのだ。無秩序のような荒れた世界であるが、その中で小規模な争いこそあるものの、魔王が存在することで、大規模な混乱は起こらないという奇妙な治世があった。長らく。
「その時点でご命令がなかったため、こちらから指図を仰ぐつもりでした。しかし我々は同時に、違う異変に気が付いたわけです……。天空魔城を中心に荒れ狂った魔力が渦巻き、四魔将の我々ですら、側に近寄らせない敵意……。しかも、城が降下し始めたではありませんか」
その時の衝撃は、冷静でいられる範疇を一気に超えた。バンピーも狼狽し、動揺は隠しきれなかった。そして原因は不明だが、一大事が起こっていることだけは即、理解したのだ。抱え込むことになった不安と共に。
「それは日に日に進行し、はねつける魔力は止む気配がないと察した我々は、とにかく今、拡大する勢力を放置するのは問題だと、各々掃討することに決めました。しかし、それでは遅かった。先ほどスカッシュ様が言われた通りで、我々が異変に気づいてから抗争は激しさを増し、いつの間にかゲザガイン様に対する反乱となっていました。それも何倍ものスピードで、急激に。……おそらく、こちらがなかなか動かなかったことに加え、天空魔城が降下し始めた影響が強く出たのだと思います。誰がどう見ても何かあると、ゲザガイン様に何かあったのだと思うのが普通です。混乱に乗じ動き出す、またとない機会であるのは間違いありません」
バンピーが知る限り、天空魔城は何百年も空にあり、動いたことのない本城。なにより、揺ぎない地位を示す、ゲザガインの強大な魔力の象徴たる代物だ。それが高度を下げ、大地に落下となれば、前代未聞であると同時に、魔王の失墜を予期させる出来事となるだろう。野心を抱いている者の立場なら、地に落ちた威光、チャンスの到来と映るに違いない。拍車がかかり、拡大するのは当然と言えば当然の流れだった。
スカッシュの目は、さらに問いかける眼差しだった。
「お前が気づいたのは、それだけか」
「いえ……。そうでもあっても、反乱の拡大は速すぎる……そう思いましたよ。事前に分かっていて動き始めたような、まるで待ち構えていたようなタイミングであることも、気になりました。もしやこの反乱、仕掛けられ、扇動した者がいるのではないかと……」
思ったが、今の今まで防衛に尽くすこととなり、それを探る余裕はなかった。
だからバンピーが話せることは、それで全てとなる。スカッシュは理解している様子で、後に触れることはなく、また自分から話し始めた。
「俺も同じだ。この反乱の背景には、ゲザガインが動けないことを知っている黒幕がいて、反乱を起こすよう仕向けた結果だろうとな……。しかし、確実に物言うのは力だけだ。有利な条件が揃い、餌が目の前にぶら下がろうと、甘言だけで釣れるほど容易くはない……。手際の良さから考えるならば、相当の力を持った相手が動いている。……ゲザガインを脅かそうという者だ。先ほど、心当たりがないか尋ねた」
途中から内心震え、スカッシュが一段言い終えた時には、身体が、口元が強張るのを感じながら、バンピーは先を尋ねる。
「ゲザガイン様のお答えは……?」
「魔王だ。既に、親父以外知る者のいない、かつてのな……」
打開策を求め、話を聞いていたはずだった。だが、スカッシュは皮肉にも、逆に打ちのめされる存在を明らかにした。そして、絶句したバンピーに向けて、他方から張り上げられた声は、そんな彼を容赦なくどん底に突き落とすかのような、酷い仕打ちの連続だった。
一つ目巨人であるサイクロプスが巨躯を揺らし、取り乱しながら走ってくる姿に、バンピーは何かを感じた。だが、それが悪い予感だとは気づかなかった。既に思考が凍りかけ、麻痺しようとしていたからだ。
「バンピー様! たた、大変、大変です! 砦が! 南の砦が落ちました!」
「な……」
度重なる衝撃に、冷静にあろうとする自己は、完全に働かなくなっていた。めまぐるしく感情が乱れ、焦りだけが必死に考えようとするが、できたことは身体をわななかせるだけ。
報告は、事態が早くも終局へ向かっていることを示していた。サイクロプスの言った南の砦は、屹立する険しい山中に構えられた、天空魔城に通じる最大の難所。しかしそこを越えれば、この城は目と鼻の先。突破されてはならない、防衛線だったのだ。だからこそ、ありったけの兵を配備し、防備を最大に固め、万全を期したつもりでバンピーは戻ってきたというのに。
「そんな馬鹿な! どこよりも堅牢だったはずなのに……! そこを突破するなど……」
とうとう、怒りに近い感情と共に、悲鳴が口をついてでる。最悪な状況の急進に、スカッシュも眉を顰めた。
「あそこが陥落したとなれば、ここまで阻むものはない……。一気に押し切るつもりなのか……」
つぶやきはそこで一旦、止まることとなった。その時、足下が大きく、一度揺れたのだ。
「……っ。な、なんです? 今のは……」
状況が状況だけに、過敏に反応してしまう。激しい横揺れがあったわけでも、轟音が鳴り響いたわけでもないが、咄嗟に構え、バンピーは足下を踏みしめた。
スカッシュを見やれば、僅かに顔を上げるような仕草があった。
「天空魔城の落ちるスピードが、速まった……」
「それは……」
えもいわれぬ感覚。まさか不死者の自分が冷や汗でもかいているのか。気分が悪く気持ち悪い。胸中はざわめき、湧き上がるものが多すぎて、バンピーは何をどう言えばいいのか分からなかった。
「わざわざ、最も攻め難い場所を突っ切ってくる……。どのみち俺たちには、取ることができる行動も、時間も限られている。向こうが急ぎ勝負をつけるつもりなら、勝機はそこにあるかもしれないな……」
勝機という言葉に、いつの間にかぼやけていた焦点が、スカッシュに合った。上向きの顔は戻り、じっと見返してきている眼差しは、覚悟を映していた。
「ただの反乱勢が、あの砦を短時間で落とすのは無理だろう。おそらく来ているはずだ。ゲザガインと渡り合った、過去の魔王が……」
そのスカッシュの言葉で、取るべき先は、決められたも同然だった。
<ひかぬこびぬかえりみぬ>
とりあえず最後まで行った後に、一回通して読んで思ったこと。
悶絶しそう(一段落目から頭抱えた)
バンピーがべた惚れ。
というか、自分で書くのはなんだが、スカ愛されまくりじゃ。
なんか余計な描写多いかも?
うぁあ、急展開。
というわけですよ、こりゃ!
――私、頭おかしいじゃん(今さら)
素面じゃ作れないようなブツですが、酒は飲んでません。
でもなぜ作業効率が悪いと分かっているのに、とにかく音楽というかメタルを延々と聞いてテンションあげまくって作っていたのかは納得ですわ……。キツイ(苦笑)
ともあれ、そんなに長くないので、2回で分けてあげようかと思ってましたが、区切りがとっても微妙なので、3回で分けることにします。3回目が一番長いです。
まぁ、最初からイタいのは分かってたんですよ、そりゃね。今回はイタいもの狙って作ろうと思ってたんですよ(苦笑)
……狙ってんですよ!(苦笑)
若さとかやる気とか取り戻すのもいいかなぁと(苦笑)。何を出すかとか考えてた時点で。
いやまぁリトマスでシリアスとか言ってる時点でイタいんですけどね!
で、やっぱり出来てみたらイタかったこれ……ってげっそりしてます。真ん中はまだ許せる。ほんの最初と終盤辛いでず。
一行目読んだあとで、三時間くらい何もする気起こりませんでした……。
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