それは夢か幻か
<1>
ラクナマイト大陸の外れに位置する小国、ライナーク王国には古の建造物や宝物が数多く残されている。その中には、長い歴史を持ち現大陸の成り立ちを知る、ライナーク王家にもほとんど記録が残されていないものも含まれる。混沌の龍の支配により終わった歴史――すなわち前時代、あるいはそれ以前より存在する、太古の貴重な遺産である。そしてそれらの大半が、今の技術や魔導理論では解明できない不思議な機能をそなえ、大きな力を宿していた。歴史学者、魔導の探求者たちはその大いなる謎に向かい、こぞって究明に努めたものだが、終ぞ功績を立てた者はいない。
失われた高度な技術、未知なる力を秘めた悠久の財宝――。そのうちの一つに、ミラージュと呼ばれる塔がある。
ライナーク王国に仕える宮廷僧侶のタムタムは、王城内の図書室で一人、何時間も蔵書の整理をしていた。肩までの髪に目立つ、大きなリボンが彼女のトレードマーク。動きやすさ優先の法衣が示すとおり、活発な娘で忙しく動いていたが、それもようやく終りに差し掛かったところだった。
急激に落ちた仕事の速度。一見、華奢に見える手で、最後の本を手に取る。それは重そうな、茶色の装丁の分厚い本だった。
「ふう……。やっとこれで最後ね」
角が磨り減った跡もない、細かな傷もない。艶があり、読まれた形跡がない真新しい本を前に、タムタムは大きく吐息していた。
ほぼ同時、城内には時を知らせる鐘の音が鳴り響く。聞いて時間の経過を辿れば四時間、いや五時間か。
「時間かかっちゃったな……」
誰か聞いているわけではないのだが、口にせずにはいられなかった。膨れっ面でブツブツと、愚痴というやつだ。
「んもう、ひとりでやるなんて効率悪いって分かってるのに、教授ったらみんな駆り出して、誰も助っ人に回してくれないんだから……」
定期的に手入れや清掃をしているとはいえ、ややもすると古臭い臭気漂う部屋にたったひとりで閉じこもり、黙々と作業をこなすとなると、気が晴れることがない。ひとりごとは少し空しい。普段以上の疲れを抱いても、仕方がないと思う。
「さすがに疲れちゃった……。ふぁあ〜」
だから最後に残った一冊、それだけを書架のスペースに収めずに、持ったままくたびれたと腕を上に伸ばしたのは――。終了したかのように気を抜いてあくびをしたのはミスだったと、油断だと言えただろうか。
ただその場所、タイミングが、言うなれば運が悪かっただけなのだ。前面のドアが突然に開いたのは。
「――タムタム、帰ったモー! ……っと」
「……ぁ? キャッ!?」
タムタムは出来事に、驚いて短く悲鳴を上げた。しかしそれだけではすまなかった。
なんと、手が滑った。
「あ――」
焦ったが、時が止まるはずもなかった。
タムタムは、妙に冷静に考えてしまっていた。まるで緩く時間が流れたような、その瞬く間。
なんと本が落ちてきた。
「――だっ!」
頭にあたった。ごつん、と。
目の前が弾けたように時の感覚が戻り、鈍く重い衝撃のそのあとに。一際大きな音が室内に鳴り響き、開かれた状態で投げ出され、床に叩きつけられた本が見えた。
「つ……」
目撃者の肝を消したか、他に音はない。聞えるのは頭を抑え、思わず涙目になって、今ずるずると尻をついた自分の呻き。
「うっ……ううぅう……」
さすがに彼らが固まったのは不可抗力だろう。いきなり、酷いとしか思えない光景が目の前で展開されたのであっては。誰でも、もし自分が見ている側であっても、少なからず驚くというもの。
――状況から逃れられない中、そう考える他なかった。
「「……」」
見える姿は三人だった。屈強な体躯に牛の頭を持つ魔物、ミノタウロス。白い鎧にマントを羽織った小柄な騎士と、黒髪に黒い軽装姿の剣士。
見なくとも分かる、見知った仲間たち。
入ってきたのは、構成員のほとんどが魔物である王国の特殊部隊、勇者軍の主要な三人だった。先頭のミノタウロスが、逞しい腕でドアを一気に開けた当人であるモーモーで、豪快な格闘術を使う頼もしい勇士。しかし今はその姿も見られず、困っているためか、依然ドアをあけたそのままの姿勢だった。そんな彼に行く手を遮られた格好になる騎士が、勇者軍リーダーである雷光の騎士リイムで、若年ながら王国の危機を何度も救い、国王リチャード三世の信頼も厚い。しかし、幾多の死闘を潜り抜け、身の破滅を恐れもせず魔剣を手にとった彼であっても、この状況は咄嗟に動けないものらしい。そして一歩後ろに離れたところの三人目、二人同様に足を止めた剣士は、リイムに打ち倒された魔界の黒魔龍、魔王ゲザガインの息子であるスカッシュ。その生まれゆえ敵対関係となり、彼もリイムが討った相手であるが、運命と呼ぶしか説明のしようがない経緯があり、今は建前上、勇者軍の監視下にあり、刑に服す罪人として身をおいている。ただ、そのような複雑で微妙な立場にある彼なのだが、こちらを見る眼差しには負い目などまったくない。
タムタムは彼らの状態を見て、ようやく俯いた。
しかし双方に生じた沈黙は一分もなかっただろう。いつまでも気まずい間と直面しているほど、彼らも暇ではない。恥ずかしさに動けないのを知ってのことか、三人が止めた足を再び進めたのは、間もなくだった。
酷い光景には違いないが、多くの困難を乗り越え、窮地に立ち向かった彼らは、落ち着くのもさすがに早いものだ。もちろん驚きはあっても、取り乱したりはしない。まず声を掛けてきたのは、リイムだった。
「……大丈夫かい、タムタム?」
タムタムが何とか視線だけを持ち上げようとすると、モーモーがドアを開けた腕を下ろしたところが見え、リイムは真っ先に歩を再開したのが分かった。立ち上がらないことを心配してくれたのだろう。
「ん……。ぅんん……」
タムタムは完全には顔を上げられないまま、聞き取りにくい返事をした。リイムが側に来たが、恥ずかしさは増すばかりで。
「ん……ん……」
結局は口ごもるだけでさらに俯いてしまい、とても顔を上げられなかったのだが、次に自分へと向けられた、抑揚もないくせに呆れていると分かる別の声には条件反射が働き、咄嗟に膨れた顔を上げてしまった。
「何をやっているんだ、お前は……」
苦手なスカッシュである。リイム同様近づいてくるが、相手の態度には遠慮というものがなく、タムタムは真っ赤になって反駁するのがしばしばだ。
「事故よっ、事故! 見てたなら分かるじゃない!」
「……大あくびが、か」
「――ちち、違うわよっ!」
思わず肩が持ち上がり、言い返す勢いで一気に床から立ち上がる。
不機嫌に睨みつけたが、スカッシュは無反応。動じることもなく前に来て、落ちたままの本を拾い上げると、差し出してきた。
「気をつけることだ。重量のある本だからな、もしあのあと運悪く足にまで落ちてきたら、もっと酷いことになっていた」
淡々とそんな言葉を付け加えるものだから、一気に昇ってきた熱だけで頭がいっぱいになった。
「……そこまでのドジ、誰が踏むもんですか!」
一体全体、自分をどういう目で見ているのかと。改めて睨みつけひったくるように受け取ると、タムタムは膨れっ面のままそっぽを向く。
もっとも、そうしたところで相手の表情は崩れることがなく、気にした様子もないのだが。
だから申し訳なさそうな声は、別の相手だった。
最後に近づいてきたのはモーモー。
「さっきのかなり痛かっただろ。……いきなり開けて驚かせちまったな」
先ほど見ていた会話がおかしかったということか、リイムが苦笑を殺し忍び笑いをしている隣で、モーモーは後頭部に右手を回し、どこか気まずそうに。
「悪かったモー」
タムタムは視線だけで状況を確認し、少しだけ俯いた。ここでいつまでも怒っていて、いいことなどない。
「そんな、モーモーが悪いなんて思ってない、けど……」
くるりと三人に背を向けるように回ると、本棚に向かう。
彼らが入ってこれたということは、作業中、図書室に鍵はかけていないわけである。いつ、誰でも入ることができたのだから、自分が悪くなかったとは言い切れず、歯切れが悪くなった。
自制も落ち着きも足りていないのだと、自覚することもままある。笑われるのは当然恥ずかしいのだが、謝られるというのも恥ずかしかった。
「でも……うん、扉を開けるときは静かに、ね」
この話はこれで終り――。そのつもりで短く返した。手にした本を、ちょうど一冊分棚に残っていたスペースに押し込んで。途中、背表紙の角がへこんでいるのに気がついて、嘆息してしまったが。
「きのう、受け取ったばかりの本だったのに……」
落とした本は、タムタムが時間をかけて書き写した写本だった。ここではない、厳重に管理された王室の書庫にある、大半が一冊ずつしかない貴重な蔵書の。昨日装丁が終り、納品されたばかりの綺麗な真新しい香りのする新品。もちろんまだ、誰も読んでいない。
読まれることで汚れたり、経年劣化で傷んだりするのは避けられないが、その前に自分が落としてへこませてしまうとは、情けない限りだった。
「はあ……」
肩を落とし一際長い溜息を吐きだしつつ、もう起こってしまったことだからと、タムタムは考えるのを止めた。いまだに羞恥は残っているものの、へこんだ心の整理をつけ、へこんだ本から再び三人へと向き直る。
「……そもそも、複数でやる作業なのに、私一人でやるはめになったのが問題なのよね」
腰に手を当てて言ったので、開き直ったように見えたのか。言い訳、責任転嫁に聞こえるだろうつぶやきに、リイムが我慢の苦笑を続けていた。
「ハハハ……」
リイムは他人に対し、露骨で不快な笑いを向けることはない。ならばなぜここで笑ってしまうのかというと、彼もまた決して他人事というわけではなく、身につまされる思いが山のようにあるからだろう。
これは別に、今回に限った話ではないのだった。発言内容から推し量るまでもなく、問題というのはとある一人の、タムタムの恩師のことなのだが。
「やっぱり、僕たちも手伝ったほうがよかったのかな」
リイムに言われ、タムタムは決まりの悪さに彼を直視できない。
普段は雑多な仕事をこなしているが、タムタムは勇者軍にも籍があるため、自分が忙しくなったことを彼らも知っていた。そのため今朝ほどは、リイムに手伝おうかと声をかけられていたのだ。
しかし大丈夫、一人でやるからと、断った。
「気持ちは嬉しかったけど……。でも、リイムたちは鍛錬も大事な仕事だもの。適材適所でそれぞれ担当が決まってるんだから、よほどの事態じゃない限り、その通りに従事するべきなのよ。……土壇場でスケジュールを変えちゃうような無茶をして、みんなに迷惑をかける誰かさんが悪いの」
見苦しいがそれが持論であるし、今朝と同じことを述べるだけ。
リイムは否定することもなく、もう一度苦笑を見せた。
「まあ、教授が急に人員を駆り出すのは珍しいことじゃないからね……」
ネズミのラドックと言えば、考古学の権威であり王室の顧問も務めている優秀な人物。しかし、歳や立場を考えているとは到底思えない、無茶な行動をすることでも有名な博士で、弟子であるタムタムが贔屓目に見ても、かなり性質が悪いと思う。なにしろ知る者ならば、愚痴に口を揃えてくれることはあっても、反発や否定を返されたことはない。
話に合わせて頷くモーモーも、そうだった。決して迎合するわけではなく、彼は彼でラドックの被害をよく受けているのだから、他人事ではないのである。
「今回の調査、浮かれてたからなぁ、じいさん。……かなり多く連れてったんだろ? それでも人手が足りないとか、出かける前にブツブツ……いや、ワーワー言ってたっけなぁ」
先日のことだった。ラドック率いる調査隊は急遽、かねての予定より多くの人材を動員して出発した。そのしわ寄せが先ほど、タムタムに見える形で現れたと言えなくもない。それ以前に、これから数日に渡る仕事の予定自体が、既に大きく変わっているのだが。
「そうよ……前日になって急に変更だもの。みんな大迷惑だし、混乱もするわよ。私だって色々、後回しにしなくちゃいけなくなったし。……先遣隊からの報告が、あと一日遅かったらよかったんだけどね」
嘆いたところで今更どうにもならないが、話す口からは溜息ばかり。
調査隊が向かった場所は、王城からさして距離もない丘陵地である。そこは今まで目立ったものもなく、街道が通り抜けているだけの一帯だった。しかしたまたま、いつできたものか深そうな亀裂と空洞が見つかり、危険かどうか調べているうちに、埋没した建物らしき跡が見つかったということだ。それゆえ本格的な調査が行われることになったのだが、ラドックは多忙の身であるので、先に少人数の王国調査隊が編成され、向かうことになった。その彼らがつい先日もたらした報告書が、今回のラドック暴走に繋がる発端となったのである。
驚いたことに、世紀の大発見である可能性を示す内容が書かれていたのだ。
その時のラドックの興奮たるや、昔から師を見ているタムタムでさえ、閉口する酷さだった。飛び回って走り回って杖を振って……鼻息を荒くして。話しが止まらない。
ちなみに長過ぎて――特に後半から、全部聞いていない。
「はあ……」
思い出してどっと疲れたタムタムは、またまた溜息をしてしまった。実際のところ、大発見だと騒ぐ度にそんな光景は目にしているのだが、どうしても自分は師のテンションについていけない。
「教授が大興奮の報告書か……。えっと、見込みでは、ミラージュの塔に関する発見なんだよね?」
「そう。……見込みでは、ね」
リイムの問いに、あくまで見込みであると強調しておく。するとずっと難しそうな顔をしていたモーモーが、疑問を挟んできた。
「なあ、もし報告書通りだったとしたら、じいさんが泣いて喜ぶような、そんなにすげー発見になるのかモー? いや……確かに俺でも、ミラージュの塔がすごいってことだけは分かるんだけどよ」
そこでモーモーは逞しい右手で、同様の左肩を押さえる。何かを探すように。
「……あれだけ戦ってきたってのに、塔を出ればまったくの無傷だモー」
どうやらそこは、本日の鍛錬で傷を負った部位らしい。しかし誰が見ても傷跡などなく、言われなければ分からない幻の跡。それは無傷で無痛で、他人が分かるようなものは一切残っていない。
何が起ころうと、そこで起こったことは現実ではない――。それは幻。残るものがあるとすれば、その幻を体験した記憶くらい。
「本当に不思議なもんだぜ。幻だって分かっていても、塔に入ってる間は本当に襲われて、痛みもあって……戦ってる実感があるんだからなぁ」
王城からさほど離れていない場所に、高い四つの塔が建っている。それがミラージュと呼ばれる不思議な塔で、恐れるものが見え、現れると言われていた。現に、内部の各フロアーに足を踏み込めば、自然が魔物が、仕掛けが――さまざまな幻が襲い掛かってくる。しかも現実性があるその幻の中では、傷も負えば痛みもともなうのだ。仕組みがまったく分からないため、幻を回避する方法はなく、もし心の弱い者であれば、死ぬような思いをして塔から逃げ出すはめになるだろう。それを知って時折、一層の高みを目指し己を試そうとする者、あるいは今の己の限界を感じた者、怖いもの知らずを自負する者など興味本位を含めて、様々な思惑の者たちが塔の幻に挑んでいく。
そして、日々練成を欠かさない勇者軍もまた、戦闘訓練の場に利用している。肉体的な負傷のリスクがないため活用しているのだが、もちろん、実際に戦い抜いてきた彼らの強靭な精神力あってのものだ。
「もしその幻の謎が分かるってことなら、大発見だって俺も思うんだがな……」
「それが分かれば、本当に大発見になるわね。……でも、それだけが謎じゃないのよね」
見てくるモーモーに、タムタムは同意したが、頷かなかった。
「ミラージュの塔ってね、本当に何も分かってないの。私たちが知ってることって、塔に入れば体験できること……幻が襲ってくるってことしかないのよ。いつ誰が、何の目的で建てて、どんな仕組みで幻が現れるのか、まったく不明なの。だから謎だらけの塊」
「あぁ……そういえば、あそこの村長のじいさんに会った時、そんな話聞いたっけなぁ?」
言われて思い出したとモーモー。
「そうか、何にも分かってない塔か。じゃあ何かが分かるだけで、すごいってことなんだな……?」
元々興味に乏しいからだろう。それでも分かったような分からないようなモーモーの様子に、スカッシュがさらに噛み砕いて話し始めた。
「……ライナークは、初代雷光の騎士がラクナマイト大陸を支配していたカオスドラゴンを討ち、興した国ということは知っているだろう。今あるラクナマイトの歴史は、そこから始まったと言ってもいい。以来、現在まで絶えず続いているライナーク王家は、その長い歴史の証人でもある。それでもミラージュの塔に関しては、情報をまったく持っていない」
「なるほど……。ライナークに建ってるのに、誰も知らないんだもんな。国のことを一番よく分かってる、王様たちも知らないってことだよな」
「つまり塔は、王家よりもっと古い建造物である可能性が高いわけだ。……カオスドラゴンと多くの魔物によって、大陸は蹂躙、破壊尽くされ、繁栄していた人間は追い詰められた。それまでの文明、文化はおろか、人間が作り出した形あるものはほとんど残らなかった。だから王家より古いものとなると極めて貴重で、そう確認されるだけでも考古学的に価値があるんだろう」
「ええ。教授も似たようなことを言ってたわ」
タムタムは説明に頷いた。今話があった相手は興味もなさそうで必要最小限、ラドックのほうは興奮を抑えきれず、時折外れて延々くどい長話と、かなり違いはあるが。
「ライナークにはね、王国暦以前のとっても貴重な遺産がそれでも残ってるほうだって。そして、それらのどれもが、ほとんど謎のままだって。だから生涯、研究には困らないだろうってね……」
小国だが、ラクナマイト大陸で最も古く、長い歴史をもつ国家がライナーク。あらゆる武器が通用せず、どんな攻撃でも傷を負わせることができなかった混沌の龍、カオスドラゴンに人々はなすすべがなく、古来、大陸は魔物に支配されていた。しかしある時、光り輝くつるぎをもったひとりの勇者が現れ、激闘の末、カオスドラゴンを討ち取った。それがライナーク王国誕生のいきさつであり、王家の記録の冒頭である。
当時、カオスドラゴンによる大陸の破壊と、人間への攻撃は苛烈を極め、人々は常に怯え逃げ惑い、絶望していたという。人間は追い詰められ、生存は危ぶまれたとあるのだ。しかし、カオスドラゴンには敵わなかったものの、決して力がなかったわけではなく、それまで人々は文化的で豊かな生活をしており、文明も今より高かったのではないかと言われている。その拠りどころとなるものが、大陸にごく僅かながら残された、建造物やアイテムだった。誰が何の目的で作ったものなのか、いつの時代のものなのか分かっておらず、不思議な力を秘めたものが大半で、その原理や仕組みを解明できた者はまだいない。そんな謎の代物だから、中には神が人に与えたものだと主張する者もいるが、どちらも今のところ確実な証拠がないというのが現実である。
「あったはずの、今は失われた歴史だね……」
リイムがつぶやき、モーモーは得心がいったと笑う。
「……とするとだ、今まで誰も知らなくて分からなかった大昔のことが、もしかしたら何か分かるかもしれないってことだもんな。古いもんが好きなじいさんには、たまらない話だよな」
しかしタムタムはとても笑えない。
「……気持ちは分かるんだけど。だからって、みんなを振り回しちゃだめなのよ。歳も歳なんだし、教授もほんと、いい加減落ち着いてくれないと……。でも、私がいくら言っても聞いてくれないし……」
前々から思っていて、何かあればたびたび口にしてしまうのだが。慰めてくれるような返答は今まで皆無だ。
今回もリイムと目が合ったが。
「うーん……年々、元気になってる気がするよね……」
「……」
自分もそう思う。彼の言葉を否定できないタムタムは、ただうな垂れるだけに終わった。
その直後であった。
「あ」
リイムがそう細く発して振り返り、スカッシュが僅かに顧みる仕草を見せ、モーモーが首を傾げながら歩き出だしたのは。
「……?」
タムタムは何事かと顔を上げる。
三人が反応した先には、扉があった。そこにモーモーが手をかけ開く寸前に、タムタムも遅れて何事か察知した。
何しろ距離を、壁を隔ててなお叫び声が聞こえたからだ。もう嫌というほど聞き覚えのある、やかましい声が。
「あぁ、来たってわけね……」
アレが。またかと、内心に少し煩わしさ。悪い予感と共に、ドアは一気に開かれる。
直後、思ったとおり勢いよく何かがそこに飛び込んできて。
「タぁームぅーチャぁーあぁァアア!? ――でボふぉッ!!!」
甲高い声が潰れた。ごくごく短く、瞬きほどの間。姿を捉える前に、ドカンガタンと騒音が来た。
かなり痛そうな音に、タムタムは思わず目を閉じ、腕を寄せ、身を竦めていた。
「……?」
重かった音に怖々と目を開けてみると、机と椅子が散乱している始末。
何が起こったかといえば、飛び込んできた影が、前にあった読書用のそれにぶつかったのである。そして開けた扉を閉めたモーモーが、酷く呆れた顔をしつつ、倒れた机の側から片手で摘み上げたもの。
「モー……。なんだかなぁ……」
彼の鍛え上げられた前腕より垂れ下がる、花のヒマワリ……そっくりの精霊。
「うららぁ……」
それは心配するわけでも、暖かく迎えるわけでもない微妙な面持ちの面々の前、しなびた様子で口を開いた。目を回しているようで、ろれつが回っていないが。
「ふらららぁ……た……タ、ムちゃん……ぶっ、無事なのかぁ……」
「え……ええ……? あなたのほうが、無事じゃないような気がするんだけど……」
言っていることが分からず、タムタムは困惑しながら返す。
この相手が飛び込んでくるだけなら、日常茶飯事の範囲なので、呆れなり怒るなりで済むのだが。
「あハ〜。オレはへいき平気……! びっくりするくらいの薄さで堅いのが自慢だからさあ……なんかちょっと、今回は当たり所が悪かっただけぇ…………って、おいこらモーモーぉぉお! 嫌なもんでもつまんでるように持つんじゃねぇ!」
周囲の誰もが理解しかねる中、精霊、サンフラワーのミラクルは、激しく揺れるとモーモーに罵声を浴びせ、その手を振りほどくように離れた。
そして床に降りたミラクルが無駄に一回転するのを見ずに、モーモーはさっさと倒れた机と椅子を持ち上げて、元通りに戻す。
「良かったモー。机と椅子は無事だな」
その机の上に即、ミラクルが飛び乗った。不満そうで、ふんぞり返るという表現が相応しい。
「お前、血も涙もない奴だなぁ。俺様のほうをふつー心配するだろーがっ!」
「さっき自分で平気って言ったじゃねえか……」
面倒そうな態度を見せるも、モーモーは腕を組んで見下ろす。
人懐っこく、大雑把で細かいことを気にしない彼が呆れる相手というのは、そう多くない。むしろ限定されており、極めて少ない。
「……それより毎度毎度のことだが、なんとかしろモー。物が壊れて怒られるのは俺たちなんだからな」
ミラクルはライナーク王国の第一王女、ライム姫の客人扱いなのだが、かなり勝手きままな性格で、よく勇者軍に同行、もとい付きまとっている。おかげでこのひたすら騒がしい精霊の面倒を見る役目は、ライム姫より勇者軍のほうが多かったりする。そしてサンフラワーは、移動手段として低空飛行ができるのだが、これがかなりのスピードだ。やたらと飛んでくる相手なので、たびたび衝突する事態が発生する。
モーモーだって、説教したくもなるだろう。もっともミラクルは懲りず、まったく効果などないのだが。
「バッカバカ! 無理に決まってんだろ〜! お花は急に止まれねー! これ常識だぜ? 何度も言ってるだろーが!」
「……言ってたかぁ?」
「おう! ……たぶんなっ」
「ほお〜」
白い目で見られても、ふてぶてしくまだ続く。それがこの相手だ。
「……それにー! 俺は姫様に言ってるぜ! 危ないよ、お花は急に止まれない!って標語を城内に掲示して欲しいってさ! ……まあ、ちょっと無理って言われたんだが。しかしよー、そん時その場に居やがったウサギ野郎とコアラ野郎にボコられたんだぜ! まったく酷い話だろ! 俺は心配しての提案だってのによ!」
「ああ、そりゃあ酷い話だ……」
眉間にしわを寄せるモーモーが、誰の何を酷いと言ったかは、どうでもよい事らしい。
「そうだろだろ!? だがまぁほら、大丈夫だって。人にはぶつからない自信がある……ぅう、うううっ!?」
しかしそこで、妙に自信たっぷりの言葉が止まり、ミラクルがわなないたのは、背後の気配に気がついたからだろう。そういうところは鋭い。
タムタムは腰に手を当てながら、真後ろに立っていた。
その時点で、モーモーが身を引く。まあ、手に余る相手なのである。
「……」
結局、ミラクルへ説教するのはいつもタムタムだった。譲られるのが嬉しいはずもないが、この精霊を懲らしめることができるのは、自分以外いないだろうという嫌な自負はある。
タムタム自身は笑っているつもりだが、振り向いたミラクルの、腰にあたると思しき茎は引いていた。当然、モーモーの時の強気な姿勢はまったくない。
「いつも思うんだけど、あなたが歩けばいいでしょ、あ・る・け・ば……。みんなそうしてるでしょ、ね?」
「はぁ、はぁぁい……。そうですねっ……。で、でもさぁでもさぁ! ちゃんと理由があって急いでたんだよ俺! タムちゃんが危険だと思ったからさ、慌てて駆けつけた……飛んで来たんだよ! ほんとこれマジ!」
首を傾げる。許しを請うかのように机の隅で顔をふるミラクルだが、タムタムが気になったのは低姿勢よりその発言。
また、である。
「私が危険……?」
そう、疑問だ。タムタムがいつものようにすぐミラクルの相手をしなかったのは、飛び込んできた直後の発言が、いまいち理解できなかったからだ。無事かと問うそれを素直に受け取るならば、身を案じたものだったが、なぜ心配されるのか覚えがなかった。だから少し戸惑い、すぐ説教とはならなかった。それに加えて相手が相手である。おしゃべり、いきあたりばったりで真面目とは言いがたいミラクルのことであるから、意味のある発言とは思わなかった。よって、問いただすという当たり前の対応もとらなかったのである。それは見ていたリイムたちも同じで、まともに相手をしないことで分かるだろう。些細な疑問をいちいち確かめることなどせず、せいぜい会話に耳を傾けるくらいだ。
しかしミラクルが理由があると、危険だと思ったから来たのだと再び心配を口にすれば、適当な発言だろうという認識を改めざるを得ない。
「そういえば、さっきも無事かどうか聞いてきたけど、どういうこと?」
見方を変え、注目する周囲と同じく、タムタムは真面目な面持ちで尋ねた。
「何かあったってことなの?」
すると怯えていたのが一変して、ミラクルは隅から側にやってくる。ころっと表情を変え、実に得意そうな顔になったところで、タムタムは先ほど改めたことを即時また改めた。
この相手を常識で量るのは、そもそも間違いである。
そしてつまらない、悪い予感ほど当たるものだった。
「あ、それなー。ほら、なんつーか? 俺ってお花の精霊だしー? こう、勘はかなり鋭いというか、まあたまに見えちゃうっていうかー? いやさぁ、ここに来る前まで俺、姫様と話してたんだけどさぁ、姫様にお仕事入っちゃって。その直後だったぜ! ものすごーく悪い予感がしたんだよな、これが! 突然脳裏にパパっと現れて! そう、お花パワーで予知しちゃったってやつ? その瞬間、俺は咄嗟に飛び出したんだ!」
はしゃぎ、嬉しそうに顔を突き出してくるミラクルに、笑いかけるのは無理だった。
自分でも違和感があるくらい、重い声が出る。
「で?」
「ああ、タムちゃんが一人で本の整理してるってのは聞いてたんよ。でさー、ここからが見えちゃった部分なんだが、たまたま本を持って腕を上に伸ばしたんだと思うんだな、タムちゃん! そっからポロっと本が落ちてさ、ゴチンと頭に当たってさ! 痛いからよろけるだろ? そしたらたまたま後ろに落ちてた書類に足を滑らしてさ! つるって見事に転んじゃうんだよ! しかも運が悪いのかさらに後ろの本棚にぶつかってさ、それで済んだらまだよかったんだが、やっぱり転んだ勢いがあったつーか? その当たった本棚から整理中の本がドサドサって落ちてきて……もう、俺は絶望したぜ! 見てらんねーよ! 酷過ぎるのなんのぉ……おおお?」
そこまで聞けばもう十分。
まだ大口を開けている途中でタムタムは指を伸ばし、ミラクルの顔にある花びらを一枚つまんだ。
「おっ……お、おぉ?」
顔を振り葉を振り、しゃべることに夢中だったミラクルだが、止まる。
不思議そうなのは、顔が突っ張っているためなのか、それとも見上げる先の表情の変化か。
タムタムは笑った。ミラクルはそこに何か耐え難い恐怖を感じたらしく、逃げようとしたのだが、自分の花びらをつままれているのだから逃げられず。
「お、おおぉぅ……っ!」
「そうよね、やっぱり意味なんてないわよね……」
相手にするなど馬鹿馬鹿しい、ろくでもないと思うのだが、裏腹に力が篭ってしまう指。
ミラクルの顔が青ざめていく。
「あ……あーれぇぇ……! えっ……と、タムちゃん……今日もしかしてすごく機嫌悪くねぇ……っ!? ちょ、ちょっと待っ……でぇええっ!」
「それにしても想像力、ほんと豊かね。なんでそんなこと考えちゃうんだか……」
もう片方の手も伸ばし、左右から摘んで引っ張る。
ミラクルは震えながら、より騒ぎ出した。
「ヒィヤァァ! やめてェ! ぐいぐいしないでェェッ!」
悲痛な悲鳴が上がる。だが、動いているのは自分とミラクルのみ――。
まったく、毎度毎度どうしようもない精霊だ。周囲は変えようのない相手に、困ること以外の行動も思い浮かばず、佇むだけなのだ。どんな困難にも負けない勇敢な彼らだが、これには極力、立ち向かいたくないというのだろう。見守るというほど温かくはなく、見限るほど冷めてはおらず。
「ちなみにその妄想、完全に完璧に外れてるから」
「――キャァア、抜けちゃう取れちゃうはげちゃうぅっ!」
「……一度丸坊主になって、反省してもいいんだからね」
「抜ける、マジハゲるぅぅ! あぁ〜ダメ! やめてぇぇーー!」
「……反省する?」
「するっ! するする、するってぇっ!」
ミラクルは喚く、小刻みに動く。
見るに堪えない聞くに堪えない。ある種、拷問だろう。長時間耐えられるものではないし、こんなことに時間を費やすこと自体、馬鹿らしい。もちろんよく分かっている。考えたくもない。たとえ数分だろうと無駄である。まさにこれは、百害あって一利なし。
「もう、毎回やってるんだから、分かるでしょ。なのにどうして懲りないのかしらね……」
疲れるのだ。タムタムは溜息を吐き出しつつ、つぶやいた。それは少々の同意を求めたものだったが、誰も言葉は返してくれなかった。ただ、何か言いたげな視線が一斉に、揃って向けられたような気はしたが。
「……どうかした?」
尋ねようとしたところで、変化があった。
「ん?」
タムタムはふと気づいた。自分に向けられていた視線が、皆の雰囲気が、瞬時に変わったのを。
彼らの意識は、もうこちらにない。まったく反対の、向こう側に。
また誰か来る――。そう推察しドアを見やったところで、確信した。依然として続くミラクルの悲鳴とぶつかり合うように、再び扉が無遠慮に大きな音を立て勢いよく開く。
その時は身構えもしなかったし、面食らうとは思わなかった。何しろその人物を、今日見るはずがなかったので。
「タムタムやーッ!!!」
音に声に、思わず身が竦む。
場に恐れもせず乗り込んできたのは、半身を見せる小柄な影だった。見えるその頭部は、皺を重ね白ヒゲを生やしたネズミのもの。
「ほれ、今度こそ間違いなく大発見じゃぞ! 大発見も大発見じゃ! とんでもなくすごいぞい!」
小さいのに大きな声で。入り口で全員の視線を集めたのは、なんと先ほど話題に上がったネズミの老博士ラドックではないか。着衣のローブが乱れ、息を切らしていることから、走ってきたと思われるが。
だが、そんなことはタムタムは気にならなかった。真っ先に抱いた疑問はそこではなかった。
「は……? 教授ぅ……!?」
予想外の登場人物に、タムタムは酷いくらい衝撃を受けた。ぽかんと口が開いてしまう。
「え、えええっ……!?」
なぜ、ラドックがここにいるのか分からなかった。おかしいではないか、先日出かけたばかりだ。調査の期間は数日程度ではない。近場とはいえ、テントを設営しキャンプを張っているので、いちいち城に戻ったりしない。それに重要なことだが、ラドックは調査チームの総責任者であり指揮をとる立場だ。
――なぜ向こうに、今現場にいないのか?
「さあさ、これを見ておくれ!」
呆気に取られる様子が目に入らないか、気にもせずラドックは小走りに入ってくる。その間、手が止まったことをチャンスとし、ミラクルがするりと机上から逃げて降りるが、咄嗟に阻む余裕はなかった。そこへ入れ替わるように置かれたのが、四角い箱らしきもの。
小脇に抱えられるサイズで、何らかの金属製だろうか。宝飾品ではなく、地味な意匠で全体的に黒く変色していると思われる。
「……」
タムタムは何か言おうと、口を開けようとしたが、そもそもそれは開かれたままだった。
結局、動揺した気持ちの収拾がつかず、間抜けに数回開閉するに終わると、リイムが先に尋ね話を始めてしまう。
「教授、これは?」
「もちろん、出土した遺物じゃよ。他にいくつか見つかった物の中で唯一、劣化や損傷がほとんどなかったんじゃ」
皺とヒゲの奥に極上の笑顔。上機嫌、弾んだ声で答えるラドック。
「いくつか時代を感じるそれらしいものがでてきたんじゃが、ほとんどがバラバラボロボロでのう。しかし分かるじゃろう? これは見てのとおり黒ずんでいるぐらいで、欠けたり割れたりしておらん! 蓋もぴったり閉まっているからのう、きっと中は良好な保存状態のはずじゃ!」
「ということは、まだ開けていないんですね。……開けられなかった、から?」
リイムの推測に、ラドックは白ヒゲを揺らした。かなり高かった興奮も声も肩も、少し下がったようだ。
「うむ……。まあ、そういうわけじゃな……。これがのう、これが、どうしても開かんのじゃよ! だから急いで城に戻ってきたんじゃが」
「――だ、だからお城に戻ったってっ!?」
ようやく出たのは、上擦った声だった。タムタムはすかさず、身を乗り出す。姿勢を固定させるため机に両手をついた音が、強さも相まって厳しく周囲を打ちつけた。当然、笑ってなどいるはずがない、自分を含む誰もが。
落ち着きは取り戻しつつあったのだが、ラドックのさも当然の行動だと語る様子に、気持ちは再び乱れ始めた。話に、待ったをかけるための一声だった。一瞬で怪しい雲行きになったのは分かる。それでも引っ込むつもりはなく、自分が言わなければならないと、タムタムは思った。
一つ息を吐き、上がった肩をなんとか下げて。
「……教授、聞きますけど、調査は終わってないですよね?」
「もちろん継続中じゃて。ワシだけが戻ってきたんじゃよ。先日始まったばかりじゃぞ? まだ調べる場所はあるからのう。日程が延びることはあっても、早まることはまぁありえんよ」
「ワシだけって……いや、総責任者で監督者で、陣頭指揮をとらないといけないんですから……教授が向こうにいないと駄目じゃないですか!」
タムタムは真面目に調査の影響を心配してのことだが、相手はのん気に笑うのだ。
「フォッフォッ。なぁに、大丈夫じゃよ。ワシは皆を信じておる。この老いぼれがおらんでも、やってくれるとな」
タムタムは頭を抱えたくなるのを我慢する。だが、感情的になるのを抑えることは無理だった。
「……何を信じているんですかっ。それに、信じる信じないは関係なくて、仕事を放棄したら駄目です!」
悲鳴と共に。昂りのため、思わず机を再び叩いた。
ドンと一瞬、浮いたかもしれない小箱。
すると威勢に怯んだようで、ラドックは視線を外した。
「……まあのぉ、一応ワシは、調査隊の指揮を任された身ではある。だがのう、タムタムや……。体力もない老人が実際現場に立っても、お荷物になってくるもんじゃよ。おらんほうが、スムーズに進むかもしれんぞ?」
自分は既に、役立たずで不要の人材だと語るラドックであるが、誰がそう思うのだろう。
呆れて先に口にしたのは、モーモーだった。
「いや、じいさんは体力がかなりあると思うぜ……歳のわりには。だから今でも現役なんだろ? いつもピーコックが、どこにそんな元気があるんだって不思議がってるぞ。ひいひい言いながら……」
この今もまた、嘆いている姿が目に浮かぶというものだ。リイムたちにラドックが苦手だとこっそり打ち明けながらも、その助手を務め続けるピーコック。皆、彼の愚痴を何度聞いたか知れない。働き者だが少し気が弱く、常に振り回される一人なので、同情は禁じえないところだが。
「いまだに第一線で働いて、認められてるんだぜ。そのじいさんを、誰が荷物扱いするんだよ……。誰かそろそろ引退しろって言ってくるのかモー? 少なくとも王様や姫様は言ってないよな」
「そ、それは、のう……」
戦うことは得意でも、考えることは苦手。難しいことは他人にお任せのモーモーだ。だからそれは率直な感想なのだろうが、彼だからこその、歪みのない正論であった。
「何じゃな……うむ……」
咄嗟に抗しきれず、ラドックの言い訳が鈍ったのを察して、間髪いれずタムタムは畳み掛ける。
「――大体、体力的にお荷物だって思っている人が、自分で自分を調査メンバーに選びますか? 出立の際も、自ら率先して前を歩きますよね……教授? みんな言ってますよ。本当にお元気でって。ちょっと疲れた顔で。……あれ、社交辞令だと思ってました?」
「ややっ、それは……気持ちとしてはまだまだ現役でいたいからのう。なにしろワシの生きがいじゃし、フィールドワークあっての元気なんじゃよ。城にこもってばかりになると、どんどん衰えるんじゃろうな。……やはり刺激も必要というか、適度な運動をせんとな」
「――教授の運動量は、年齢を考えて適度な量を超えてますっ!」
かなりラドックの言い訳が苦しくなり、自らも、もはやヒステリックに叫んでいた頃だった。
机を挟み、相対する中間にリイムが立った。
「リイム……!」
見やると、彼は穏やかな苦笑を浮かべながら提案してきた。まず、目上の者であるラドックから。
「教授、とりあえず話は中断して、みんなでいったん休憩に入りませんか。タムタムは長時間の図書の整理がさっき終わったところで、教授も忙しい中、急遽お城に戻られたんですよね? 実は僕たちも出ていて、戻ってきたばかりなんです。……タムタム。君も疲れているんだから、少し息抜きをしようよ」
タムタムには、慕うリイムに言われてなお食い下がる反抗心はなかった。自分でも、熱くなりすぎているのはよく分かっている。
気づけばラドックと同時だった。しぶしぶ、仕方がないといった表情で顔を反らしたのが。
「まあ……そうね、そろそろ休憩を挟んだほうがいいかもしれないわね……」
「うむ……そうじゃな、この後は研究所へ行かねばならんからのう……。ここらで一休みしておこうかの」
不毛であることは重々承知。内心、タムタムは安堵したものだ。それもラドックと一緒だろうか。
「……」
いやしかしここで引き下がれば、傍目には誰かが止めに入るのを待っていたように見えるだろうか――。
ふと浮かんだことだったが、とたん、タムタムは恥ずかしくなった。
やや下向きのまま、ちらりと師を見る。続けてその目だけで周囲を窺う。
「仕方がねえな」と口にこそしないものの、モーモーは僅かに肩を竦めている。隠しもしない彼の笑みにつられてか、リイムも同じように笑っている。
そしてそれは、ラドックだけではなく等しく自分にも向けられているので。
つまり――。
「ううぅ……」
解に至るその前に、タムタムは自ら拒絶して考えるのを止めた。
同時にまたやってしまったと、滅入る。重い気分が圧し掛かり、思わず猫背気味になってしまった。
そのため視線も下がったのだが、それによってはっきりと見えたものがあった。
タムタムは瞬時に閃いた。
「ん……!」
つかえる、と。ほんのしばらく忘れていたが、今の雰囲気をさっさと流し、話題を変えるにはもってこいの代物がここにあるではないか。目の前――机の上に置かれている、問題の小さな箱だ。
タムタムは即、背を伸ばし、わざとらしく咳払いした。
「んんっ、んー。……そういえば教授、大発見ってこの箱のことなんですよね? 見て欲しいっておっしゃってましたよね? それに開けてないって……」
言葉に皆の視線は動き、一斉に一点へと集中した。
「――おお? そうじゃそうじゃ、そうなんじゃよ!」
思惑どおりである。小箱へ。周囲の意識は視線と共に机の上へと注がれる。
もっとも、先ほどまでの流れが外れに外れた横道であるから、ここで話を戻すのに口を挟む者など、いるわけがないのだ。それにラドックが来る前には調査の話をしていたこともあり、今その出土品には、少なからず関心が芽生えているはず。
そして、ラドックといえばひとたび何かに夢中になると、それ以外のことはもう上の空である。箱のことですぐ頭がいっぱいになったのだろう。ただ箱を差して、深い顔のしわを増やす。
「これがのう、なんと男四人がかりでも無理じゃった。皆で一時間くらいあれこれ試したんじゃが、びくともせん。しかし見て分かると思うが、鍵穴らしきものもないときた。中身のことを考えると、激しく振ったり強い衝撃を与えたりはしたくないしのう……。向こうでは開ける方法がないと思って、持って帰ったんじゃ」
「なるほど……」
経緯を聞きつつ、タムタムはそっと小箱を手にとった。
小柄で老人のラドックが脇に抱えていただけあって、あまり重さもない。上下はぴったりと締まっており、何かを差し込む隙間はない。しかし触れていると、出っ張りがあるわけでもないのに、妙に指に引っかかる気がする。
「うん……?」
眺めていただけでは分からなかった、何かがあるというのか。指先が熱いような気もするし、見ている箱がどこか変わったような印象も受ける。その違和感の正体が特定できないため、言葉を濁すだけで説明にもならないが。
「何かしら……。何か、ありそうな気はするんだけど……」
その時には早くも、先ほどのことは頭から消えていた。
触れていて、不思議な気持ちに満たされたから。
「これって……とにかく、単純な力じゃ開かなかったってことですよね。何かの手順を踏むような、難しい仕掛けでもあるのかしら……。それとも……」
半ばひとり言でつぶやきながら、考えられそうなことを探していると、スカッシュが続けるように言葉を挟んできた。
「魔法による施錠だな」
「ふむ……。やはりそうなるのか」
ある程度は見当がついていたようで、ラドックが頷く。
大事なもの、貴重なものを守るために、保管場所そのものや箱、壷などの入れ物に仕掛けを施すという方法は、古くから存在する。今回の場合では、お宝が入っていると思しき箱――俗に言う宝箱になるのだが、これに鍵がかかっていたり、手痛い罠や解かないと開かない仕掛けがあるのもよくあることだ。ただし、その中でも魔法の錠というのは一般的な仕掛けではない。特に魔力では他種族に劣り、使える魔法に限界がある人間にとっては、難度の高い、施すのも解くのも難しいやり口になる。
「マジック・ロック……? それで何となく、持っていると気になるのね……」
黒魔龍の血によるものか、スカッシュは人間にはない感覚を有しているようだった。時折目の当たりにするそれが確かなものであることは、結果から理解している。頭では分かっている。だから納得は一応するのだが、魔法の錠前が見えるわけではなく、つい目を凝らし首を捻ってしまう。
「鍵ねぇ……」
ラドックは溜息をついた。
「やっかいだのう……。力任せにするしかないワシらでは、開けられんわけじゃよ……」
魔力は物理的な力とは異なるものであるし、魔法が結果として物理的な作用や事象を起こすことは当然あるのだが、魔法そのものにはどんなに筋力があったとしても、干渉できるものではない。魔法を阻害、打ち消すには、同様に魔法で対抗するか、発現する前に行使する者をどうにかするか、だ。
そこに素朴な疑問を挟んだのは、モーモーだった。
「蓋が魔法で開かないって言うならよ、こんな小さい箱だし、壊せばどうにかなるんじゃねえか?」
それで済めば、ラドックはお城に戻ってこなかっただろう。
タムタムは首を横に振って見せた。
「それが駄目なのよ……。箱に魔法が掛けられているわけなんだけど、その箱がなくなっちゃえば、魔法が解けて消えるって単純なことにはならないのよね、これが……」
「……ヤバイのかモー?」
語感から穏やかでない響きを感じとったモーモーに、タムタムは説明する。
「魔法ってね、法則があって厳密なものなの。いま話している施錠の魔法で言うとね、箱全体に、形状の保護も含めて掛けられたものになるはずだから、その対象が崩れた時点で不成立になっちゃうのよね……。でも、一度発現した魔法って引っ込みがつかなくて、なかったことにはできないの。だから、解かずに箱を無理やり壊したとすると、秩序の崩壊した魔法が暴走する何らかの力に変わっちゃう可能性もあって……。まあ、何も被害が出ないのは稀で、大抵は酷いことになるのよね」
「酷いことって、具体的にはどうなるんだモー?」
「そうね……中身が壊れるだけならまだいいわ。普通は強引なことをした当人にも、降りかかってくるでしょうね。判断が出来ないと、とても危険な罠にだってなるわ。たとえば盗人が知らずに壊そうとして、ドッカーン!って……実際たまにあったらしいわよ」
さすがのモーモーも、眉間にしわを寄せた。
「……危なくて難しいもんなんだな。魔法自体が」
「ええ。私たちが扱える魔法が限られているのも、そういった理由があってね。私がいつも使っている回復魔法だって、間違えば逆に相手を傷つけちゃうものなのよ。もちろん魔法の失敗は、自分にも跳ね返ってくるものなんだけど」
「……よいか、モーモー。ワシは過去三回、魔法修行中のシャルルに研究所を吹っ飛ばされたのじゃぞ」
倣うようにラドックが口にした名前、シャルルもまた彼の弟子であり、タムタムにとっては一緒に学んだこともある親友だ。そして黒琥珀使いの彼女が得意とするものは攻撃魔法であり、その威力はすさまじく、目を見張るものがある。しかし話の当時は修行中のことだ。使った魔法など初歩的なもので、高が知れているのだが、それでも研究所を文字通り吹き飛ばしたのだから、暴走は酷く危険なのである。
「小さな被害は頻繁にあったからのう……貴重な品や文献は、当然違う場所に移しておったし、建物だけで済んだわけじゃがのう」
そこで懐かしいと笑うラドックだから、タムタムは頭が下がる。
「教授、建物だけじゃないですよ……。だって、一度は冗談みたいに真っ黒けの煤まみれになったじゃないですか。私、さすがにあの時だけは慌てました。奇跡的に軽い火傷で済みましたけど……」
「おお、そうだったかのう? まあ、当時の失敗あっての上達じゃろう。昔は昔、今は今。いまさら気にしても、どうにもならない話じゃて」
実に想像できる駄目押しであったためか、モーモーはもう参った両手を上げた。
そしてタムタムも溜息。ラドックはともかく、本来は笑い話ととても言えない内容のため、その話はさっさと打ち切ることに。
「まあとにかく、解錠以外の方法は困難極まるってことなんだけど……」
いくら話したところで小箱を開ける手段が増えるわけではなく、困難であることをより認識するだけだった。
「問題は、解錠するのも魔法じゃないとダメってところよね……」
自分は魔導を扱う琥珀使いの宮廷僧侶だが――。ずば抜けた回復魔法の才能があると誉めそやされたところで、魔法による解錠ができるとは限らないのが事実。周りの評価がどうであれ、もどかしく思うこともある。
「私が使えるのって、回復魔法だけだから……」
軽い溜息を一つつき、タムタムは何も言い出さないスカッシュを見た。
才能、天性の資質が大きく関わっているので、魔法は誰にでも扱えるものではない。城内では数えるほどで、王国全体で見たとしても魔導を嗜む人間はごく少数。しかしスカッシュはスカッシュで、強大な魔力を誇る黒魔龍を父親に持つ身であるが、魔法は苦手だと断言している。それでもこの面子の中では、他に頼れる人物はいない。
笑っていたラドックも、すぐ困った表情に逆戻り。こちらも溜息。
「して、鍵は開けられるかのう……?」
振られた先の彼は思ったとおり、首をすんなりと縦には振らなかった。
「強固で限定的な魔法とは違うが、俺に解錠はできない」
できないと言い切られ、ラドックはショックで放心したかに思えたが、諦めきれない気持ちが頭を振らせたのだろう。見てくる瞳からも、必死な思いが伝わってくる。
「タムタム、シャルルやリルルはどうじゃろう?」
「……シャルルは魔導の適性からすると、難しいと思います。リルルは分からないですけど、魔法の鍵の解錠なんて学んでいるかどうか……」
タムタムは言葉を選んで答えた。心苦しいが、変に期待させる言い方はできない。
「神官として習得が望まれる魔法とは違いますから……。現時点では無理じゃないでしょうか」
ラドックは口を噛み締めた様子の後、それ以上聞いてくることはなく、再びスカッシュに向き直った。
「なんとか……。何か、他の方法がないものか……」
「……より高度な魔法に消去と解除があるが、何れも無理だ。魔法の自然消滅はあり得る現象だが、全く期待しないほうがいい」
応じる相手の表情には僅かな揺れもなかったが、声が一旦途切れた。
「ただ……」
そこで何か気になったのか、スカッシュは視線を落とす。
タムタムも追って視線を下げると、先には手元にある小箱。
「……ただ?」
尋ねると、彼は箱を見つめたままで一瞬続きを迷ったようだった。
「……話からすると太古に掛けられたことになるが、いまだに効力の衰えがない魔法だ。洗練されたものだが、施錠の術式自体はずいぶんと大雑把に組んでいる。……適当にやっても、案外開くものかもしれない」
タムタムは納得できなかった。
「魔法としては完璧なのに、つけた鍵は適当って言ってるの? こっちが分からないことだからって、いい加減過ぎない?」
疑わしい眼差しを送ると、相手は面倒そうな視線を返してきた。
「俺の発言をどう思うかは勝手だが、おそらく意図的なものだろう。分かりやすく言うと、単純な構造の正しい鍵穴が複数あるようなものだ。ひとつでも合えば魔法は解ける。……術者は開けられるようにしたつもりかもな」
その間に入り、ラドックが身を乗り出してくる。もちろん仲裁するつもりではなく、開けられるかもしれないという可能性に即座反応して。
「――ということは、解錠できるかもしれないんじゃなっ!? どうすればいいんじゃ?」
「難しい話じゃない。魔法を掛けて、鍵が反応するかしないかだ。幸い、失敗してもトラップが作動することはないから、リスクはないだろう」
ラドックは頷きつつ、皺に隠されてしまった目を輝かせ、見てきた。
「……ほうほう、ほう。ならば、手当たり次第やってみればいいんじゃな」
何が言いたいかは、考えるまでもなかった。
「……はいはい。まず私が試せって、言いたいんですよね」
仕方がないと嘆きつつ、タムタムは持っていた箱を再び机の上に戻した。
しかしそこには、先ほどまでなかったものが存在した。
「あら?」
ヒマワリ。いつの間にかミラクルが立っている。いつも開いているはずの口は閉じて、脂汗が浮かんでおり、妙に苦しそうというか、固まっている様子だが。
「……まだここにいたのね? ずいぶんと静かだから、こっそり部屋から出て、どこかに行っちゃったかと思ってたわ」
タムタムが話しかけたとたん、ミラクルは心外だといわんばかりに顔と口をゆがめた。息を止め我慢していたのを、ようやくやめた時のように。
「うっへえっ! ひっ、酷いぜタムちゃん! ……俺だって少しくらい静かにできらぁ! 大体、俺が大好きなタムちゃんを置いて出ていくわけないだろっ!」
発言の一部は無視。
「……あのね、ずっと静かでもいいのよ?」
「あ、そりゃ……むり。うん、無理無理ー! ぜってー我慢できないっ! だって俺、呼吸をするようにしゃべらないといつか死んじゃうし、たぶん!」
怯んだようでいて、しゃべり始めると生き生きしてくる。言っていることは、まんざら嘘でもないのかもしれない。
「だからまた出てきたの?」
「うん……い、いやぁ違うって! まぁここは一つ、俺の頼れるところをタムちゃんに見てもらって株をあ……じゃねえよ! 一つお花を咲かせて、俺も箱を開ける手伝いをしてみようかと思った次第だ! ――てぇぇいっ!」
言い終える前に素早く一回転。葉を揺らし、何かポーズを決めたつもりらしいミラクル。
「どーよ!?」
その直後。箱の上に芽が出て葉が出て茎が伸び――蕾がついて。見る間に一輪、赤い花が咲く。
これが植物の精霊である、サンフラワーの能力であり、魔法だった。
既に知っているタムタムは驚くこともなく、箱に手を掛けて開けようと試みた。しかし蓋が緩むことはなく、やはりビクともしない。
「……残念、開かないわね」
決めポーズのままだったミラクルは、一気に仰け反った。
呼応したかのように、咲いた花は枯れ、箱からぱさりと落ちる。
「うええええっ!? ――おいコラ、スカァァ! 開かねーじゃねーかっ! どうしてくれるんだ!」
まるでならず者が、因縁をつける様である。
相手にしたくないと態度ににじみ出ているスカッシュなのだが、それでも酷い言い掛かりなので、さすがに黙してはいられなかったらしい。
「必ず解錠できると、俺がいつ言った……。それに人間の仕掛けた魔法だ。普通に考えて、精霊であるお前の力とは反応しにくいだろう」
「く、くっそー。それならそうと早く言えよっ! 謀られたっ! 騙された! 紛らわしい分かりづらいでなんだそりゃだ! 勘違いするじゃねーか! 酷い話だ最悪だ!」
喚いた挙句、じたばたと騒ぎだすミラクル。
「そういうのはね、早とちりって言うのよ。知ってる?」
「ぇえ〜!? 知らないしっ! 教えてくれないと分からないしー!」
そこで、小難しい顔をしていたモーモーが腕を伸ばし、騒音であるミラクルを摘み上げた。
「もう分かったから、お前はこっちにきてずっと静かにしてな」
「――ひギャアアア!」
精霊であるサンフラワーに性別はないのだが、ミラクルは女好きで、男嫌いという分かりやすい性格だ。そのためなのか、モーモーに掴まれるとそのうちぐったりしておとなしくなる。当然、最初は嫌な相手から逃げ出そうとするが。
「だぁあっ! 放せコラっ!」
身体を捻り大きく揺れる。大口を開けて、威嚇するように花びらを尖らせた。
「だーからー、俺を摘むなってしつこく言ってんだろ、モーモー! てめーに持たれるくらいなら、俺はリイムのとこにいくぜ!」
今回はつい緩めてしまったか、モーモーの手から飛び出したミラクルは、リイムの肩にひらりと飛び乗った。その上でまた威嚇。
「くるなよモーモー! しっしっしっ!」
リイムには母親から受け継いだ、魔物と心を通わせる生来の能力があるため、魔物には好かれやすかった。勇者軍のメンバーが、ほとんど魔物で占められているのもそのため。もちろんミラクルに纏わりつかれるくらい、彼はまったく気にしない。
モーモーは手を出すのを止めて、溜息。そのうち七割程度は、ミラクルのせいかもしれない。
「ほんと、困った奴だモー……」
「困らなければいいだろ! いいか、俺様をどうにかしようと思うのが間違いだぞっ」
やかましいミラクルが側にいるにも関わらず、リイムは苦笑しつつも優しく諌めるだけだった。
「ミラクル。僕はいいけど、おとなしくしているんだよ? みんなあまり怒らないけど、だからって、迷惑は掛けないようにね」
「……まあ、努力する。とりあえず、失敗したから悔しいだけだぜ、ふ〜んだっ」
ふて腐れて、特に反省の色も見えないミラクルに、タムタムは呆れながら指摘した。
「きっとね、何か下心があるから失敗するのよ」
「――ぎくっ」
「……でも、手伝ってくれようとした気持ちはもらっておくわ」
「へへ〜。タムちゃんの為ならなんだって手伝っちゃう、俺〜」
結局、嘘はつけない精霊であるし、口は悪いが性根まで歪んでいるわけではないので、憎めない相手ではあった。かなり疲れるものの。
ミラクルはリイムの肩に掴まったまま、人で言うところの鼻の下を伸ばした顔なのか、大きな口をさらに開けてふにゃふにゃ揺れた。
そうしてお調子者がおとなしくなり、周囲も落ち着いたところで気を取り直す。タムタムは再び、開かない箱に向き直った。
「じゃあ、私の番ね」
タムタムは常に身に着けて持っている、小袋を取り出した。中には綺麗な琥珀が入っている。
人間は自らの身一つで魔法を扱うには、魔力の総量が足りない。そのため魔法を行使する者の大多数は琥珀を用い、その力を解放して使用する琥珀使いだ。タムタムも例外ではなく、琥珀がなければ魔法は使えない。
「これで上手くいけば、早いんだけど……」
袋の中から大事な琥珀をひとつ取り出し、手に握れば準備は完了。周囲はそれを黙して注目し、魔法をかけるのを待っている。
慣れたものだ。手間などかからない、それこそ数秒のことだ。だがそこで何となく、気後れを感じてしまった。
「……ぅ」
集中するため小箱へ注いだ視線は揺れ、思わず周囲を見る。
ミラクルのように、勢いで済んでしまえば気になることもないだろうが、場は一旦仕切り直した後である。自分もあの流れのまま、一気にやってしまえば楽だったのに。
「忙がしいとか、周りを気にする余裕がないときは、何も考えずにできるんだけど……。怪我をしている誰かにかけるわけじゃないし……。なんだか……」
緊張してきた。普段からしていることでも、魔法を使う目的は違うし、いざ皆が見守る前という状況がなにやら恥ずかしく思えてくる。一挙一動見られているという心理に加え、やはり失敗は恥ずかしいという観念も頭を掠めるからだろうか。
しかも、それを覚ったらしいリイムが微笑んでくるので、タムタムはますます意識してしまった。
「気が散るかい? 僕たちが見ている必要はないし、出ていたほうがいいかな? こういう時、緊張するっていうのは僕も分かるよ」
「う、ううん……。大丈夫よ、大丈夫。気になるって言ったけど、別に使えないわけじゃないもの……」
一部の目には、はにかんでいるとしか見えなかったかもしれないが。タムタムは少し俯きながらも、平常を装った微笑みを返して、平気だと告げたつもり。少し火照った顔で。
ただ彼をこのまま見ていると、きっとぼろが出る――。そう思ったからこそ、すぐ箱に向き直った。
「やだ、私ってこんなにプレッシャーに弱かったかしら。集中よ、集中……!」
言葉を吐いて気を紛らわそうとする。まったく、ありがたいはずの気遣いだったのに、それがリイムからだったので、逆効果になってしまった。つい素直になるより強がってしまう嫌いがあるので、なおさらだった。
特に彼には、いいところを見せたいものだから。
「うう、ん……」
ここで先ほどの自分の発言が思い出されてしまった。何か下心があるから失敗する、と。
「うぅ……」
鼓動が速くなるのが分かる。内面はざわつき始め、落ち着かない気持ちでいっぱいだから、外見はますます緊張した面持ちになっているだろう。箱だけを見ようとするのだが、それでも集中しづらい。とにかく、落ち着いてやろうと思うほど、逆に余計なことを考え始めていた。箱だけに意識がいかないので、目を彷徨わせてしまう。その先で視線が合う。
「普通にすれば、いいのよね……」
「考えても詮無いことだ。技量や経験より、性質に左右される。生まれながらの魔力によるものが大きいだろう。完全に運ということだ。……気楽にやればいい」
つぶやきに返してきた相手が、また悪かった。動揺を見透かして答えるスカッシュは、自分とは対照的であり、つねづね泰然とした態度で冷静さを窺わせる人物だ。それは羨ましかったり、時には気に入らなかったりするのだが、冷静でないほど、大体は感情優先の後者になる。これまた言葉がたとえ気遣いであったとしても、やはり素直には受け取れないのである。
「……ねえ、適当にやっても解錠できるかもしれないなら、あなたでも開けられるんじゃないの?」
募る焦りが、スカッシュに放たれる形となった。それを知ってか知らずか、彼は溜息を吐き、抗する様子を見せない。
「そう思うだろうが、加減のできない俺だと、成功する以前に壊しかねない」
「ああ、そう……」
別に期待したり、張り合ったりする気などなかったが、なんとも潔い発言に気が抜ける。
そうこうするうちに、再び机に降り立ったミラクルが、また余計なことをする。
「フレーフレー、タームーちゃんっ!」
いつもと違いも分からず、顔をただひたすら揺らしているが、一度変わった流れのためか、張りつめた空気が抜けてしまったためか。どうして、タムタムのテンションは下がるばかりだった。急激に。
「うーん、なんだかやる気が失せちゃう……」
「――なんでえー!? 俺がこんなに熱い思いを込めて言ってんのに!?」
しかもショックだと伝えるのが、あまりにも大げさ。
「何が足りないんだ! これだけの気持ちを込めてまだ足りないものって何なんだっ!? 教えてくれタムちゃん! もしかして愛か、愛なのか!」
急転直下のそれに、気持ちがまた変化してきたところでやめるべきなのだが、それでもつい相手をしてしまう。冷たく睨んでまで。
「何でそこで愛なわけ……」
「いや〜。だって、他に俺に求められることって思いつかねーじゃん? でも、まてよ……これ以上求められると俺、姫様とタムちゃんを天秤にかけなきゃいけなくなるじゃねーか! 困ったなぁ! ワハハハ!!!」
一人仰いで、高笑い。白ける雰囲気。こぶしを握って振り上げたくなるような、むくむくとわいてきた腹立ち。
「ハハハ――って……あれ? た、タムちゃん……? その拳は……アハハ、なんでしょかね……」
タムタムの中には、さっきまでの緊張など、すでに微塵も残っていなかった。それが結果として、さっさと片付けるという意志に変わったのは、皮肉としかいいようがなかったが。
「いいわ……えーい! もうどうにでもなれよ!」
タムタムは魔法を使った。感情の赴くまま、琥珀を握った拳を振り下げた。ミラクルが驚愕の大口を開け、避けるように後ろへひっくり返ったのと、箱がほのかに白く発光して見えたのは、ほぼ同時。
そして――。誰もが静止し、声を発せなかった間を置き。何とか耳に届く、吐息に似た一声を漏らしたのはスカッシュだった。
「……ほう」
硬直が解け、おそるおそる確かめるように、ラドックがゆっくり箱に顔を近づける。
「もしや開いた……かのう?」
「運とは言ったが、実際運が良かったな。開く確率は決して高くないと思っていたが」
タムタムは下ろした手を再び持ち上げ、握った手をまじまじと見た。
「うん……何となくね、手ごたえがあったわ。一瞬、手が押し上げられた感じ」
しかしその感覚を思い返すなり、仰向け状態のものが視界に映って、思わず溜息。
「……あなた、何してるの?」
机の上に倒れこんでいたミラクルは、声を掛けられるなり飛び上がって、真っ赤な顔を揺らし始めた。何かの水分が飛び散ったのが、少し気になったが。
「や、やたぁー!!! さすがはタムちゃん、すげーぜ! サ、サンフラワーに伝わる祈祷をしながら信じてた甲斐があったぜ……! さあさあ、早く開けようぜ! 大発見だろ、大発見!」
「サンフラワーに伝わる祈祷って……」
口からでまかせとしか。怪訝に思ったタムタムが突っ込む間もなく、ミラクルはハイテンションで、箱の周りを回り始めた。
「ほらほら早く! もーどんなものがはいってるかドキドキって奴!? こうして話してる間も、興奮がとまんねえ! ――ラドックのじいさんもそうだろ! なっ!」
そこで呼ばれたラドックの、心配そうだった面持ちはどこへやら。顔がほころんで仕方がない師を前にすると、タムタムもさすがにミラクルを問いただす流れには戻せなかった。
「うむ! ミラクルの言う通りじゃ、なんといっても、世紀の大発見じゃからな! まずは、早く中を確かめようぞ!」
「うんうん。で、やっぱりここは功労者のタムちゃんが開けないと!」
「そうじゃな。タムタムのおかげで開いたことだし、ここはこのまま任せるかのう!」
「さー、タムちゃん、みんなが待ってる! どーんと開けてくれい!」
こんな時の立ち回りには、タムタムも感心せざるを得ない。呆れて。
「はあ……分かりました。じゃあ、開けますからね……」
リイムが控えめに苦笑し、モーモーは肩を竦め、スカッシュは無表情。二人しか盛り上がっていない前で、タムタムは箱に手をかけた。
まったく気にならない、小さな箱の重み。いまかいまかと覗き込んでくる両者のためか、微妙に冷めた気分で、男四人掛かりで開かなかったという蓋を持ち上げた。
「「お、おおーーーーーー……お、おお……お……?」」
両名の、高く上がっていった声だったが。しかし、早くも蓋を完全に開いた時には途切れ途切れ。タムタムが中身を覗き込んだ時には、完全に止まっていた。
そして次の瞬間、一気に仰け反り、馬鹿笑いを始めるミラクルが。
「ぷっ……ぷ、ぷぷーっ! くっ……グヒャハハハハハハハヒャ!!! こりゃあすげえ!!! てこずってここまで時間かけて……さすがにこんなものが入ってるとは思わなかったぜ、俺様! ビックリもビックリだ! ワハハハハハ!!!」
じっとしていられないのか、転がるように動き回り、机に葉を叩きつける仕草がまた酷い。
「これ……」
元から期待していなかったためか、驚きも失望もなく、タムタムは箱に手を入れ、それを取り出した。
軽く、やわらかい布の感触。縫われ、繋ぎ合わされた人型のもの。茶色の毛糸で作られたお下げ髪に、生成りのワンピースのような服であるから、少女を形どった代物と思われる。お世辞にも上手とは言えない出来栄えの。
「……お人形、ね」
魔法で鍵まで掛けられていた、ラドック曰く、世紀の大発見となる品がそれ。
「ぶっひゃひゃひゃ!!! ほんと驚いたぜ、まったくよぉ! まあこんなもんだよな、いつものことだし!」
相当期待していたのは、明らかだった。当のラドックは、ショックの為か、あれから一言も発さないし動かないし。箱の中を呆然と見つめたまま、まるで時が止まっているようだ。
さすがにこの出来事に慣れている者たちは、動き出すのも早かったが。
「やっぱり、ハズレかモー。……そりゃなぁ、当たりなんて滅多にでないのはよくよく分かってるけどな。それにまだ……まあそうだな、調査は途中だしな……」
「でも、魔法で鍵がかけてあったんだから、期待するのは仕方ないよね……。簡単に開かないってことは、やっぱりすごい物が入ってるような気がするし」
ほどなく、慰めのような会話が出始める。タムタムもようやく、笑いがこみ上げてくる。
「さすがに保存状態はいいわね、このお人形。古代の物とは思えないもの。小さな女の子が作ったのか、簡単で荒いものだけど……これはこれで、調べてみると興味深い何かが分かるかも……? だから元気出して下さいね、教授」
箱から取り出した人形を調べながら、声を掛ける。すると凍りついた時が動き出したか、ラドックがビクリと震えた。
「……う、うぐっ。そんな……そんな馬鹿な! 良好な保存状態で、強固な仕掛けが施されていたのに、その中身がいかにも素人が作ったような人形ひとつとは……!」
心身に堪えたか、ふらふら机に寄りかかるラドック。それでもまだ箱に手を伸ばしたのは、期待できる条件が揃っていたこともあり、信じられないという思いが強いからなのだろう。
「隠してある何かが出てくるとか……ないのか!」
自ら手にとって中を見るラドック。その、既に希望を失っていたはずの声が急に弾んだ。
「おおっ!? これは底を板で仕切ってあるぞい! さっきまでは人形で見えなかったが、引っ掛けて外せるように、小さな穴が開いておる!」
言うや否や、手を突っ込み爪を立て、仕切り板を外すラドック。
「まだ、他に何か入ってるんですか?」
覗き込みながらの問いかけに答えるように、必死なラドックは悲鳴ともつかない歓声を上げた。
「――おおおおっ! なにやら二つ折りの紙が入っておるぞい!」
今度こそ、と言わんばかりに、ラドックはその紙を取り出した。すぐさま閉じられたそれを開き、一枚だけらしいそれを皆の目の前で裏返し、再び戻し……。たった数秒ほどで、動きが固まってしまったが。
「……」
タムタムはさすがに、返す言葉もなかった。
裏返したので誰の目にも両面が見えたわけだが。折られ閉じられていた内側、片面にだけ何か描かれていた。赤や青や黄色など、カラフルでごちゃごちゃとしており、それと緑が組み合わさっていたので、たくさんの花の絵に思えたが。子供の落書き状態だろう、間違いなく。
非常に寒い間を置いて、再び激しく転がるミラクル。
「ぷふ……ぶふふふっ。なんつーオチだ……! もうこれ以上、笑うことはないと思ってたがよ、こりゃひでえ! ブハハハハハ!!!」
これには、普段ラドックに振り回されている側も、同情を禁じ得ない。
「なんというか……。踏んだり蹴ったりだな、じいさん……」
モーモーの言葉に、ラドックはわなないて、地団駄を踏んだ。
「くっ、くやしいぞい! なんなんじゃこれは!? もしこれがビックリ箱だとしたら、根性悪すぎるぞい! いや、これはガッカリ箱じゃぁーー!!!」
取り乱すラドックを、タムタムは宥める。
「教授……! あの、気持ちは分かりますけど、落ち着いてください。……ほら、大昔のものなんですから、それだけで凄いですよ。綺麗に色が残っていて、保存状態もよくて……。ただの子供の絵かもしれませんけど、現存してるものって、これだけになるかも知れないですよ。この人形だって、一応調べてみないと。小さなことでも、調べてみれば意外な発見があるものだから、決め付けてかからないことが大事だって、教授が教えてくださったじゃないですか。それに意外と箱が一番興味深い結果になるかもしれないですよ。そう考えたら、まだ決め付けるのは早くないですか?」
「うむむむむ……。まあ、現時点では完全否定はできんが……」
調べてないのだから、違うとは言い切れないだけ。言ったタムタムも本音は期待していないし、それは否定しないラドックも同じだろう。それでも多少心を静める効果はあった。
どこか空しい二人の会話だったが、そこにスカッシュが加わる。
「最初は施錠の残滓かと思ったが……。その人形、微かに魔力を帯びているな」
「えっ、そうなの? じゃあこのお人形、何かあるのね?」
まったく自分では気づかないことだったので、タムタムは反射的に、再び手の内にある人形を見やった。しかし当然ながら、少し歪んだ目と口が縫い付けてあるそれに、変化が見られるわけはなく、すぐ彼を見上げることになった。
横に振られた僅かな一往復の仕草には、期待を匂わせるものは何もなかったが。
「……この状況だ、ここ肯定してやりたいのはやまやまだが、さすがに知る由もない。ただそれだけの話だ。……まあ、嫌な印象は受けないから、呪い人形のようなやっかいな代物ではないだろう」
「の、呪いっ? それで、実はやっぱり呪い人形でしたっていうのは嫌よ……!?」
言葉に思わず人形を落としかけたが、スカッシュはもはや一瞥すらせず、返答ではない発言で締めくくった。
「わざわざ嫌がらせのために、魔法で封じていたというなら、よほどの暇人がいたものだ……。一見ただの人形であっても、重要な何かになるかもしれない。……そう思いたいところだな」
それで誰かの表情が晴れるというわけでもなく、とりわけラドックは落胆ばかりで、今更元気は出せないようだった。
「魔力を帯びていることしか分からないのでは……いくらなんでも難しいのう。入っていた紙に書かれていたのは、文字ではなく絵であるし……。はぁ……しかしまぁ、とりあえず持ち帰って調べるだけ調べてみるわい。手探り状態じゃから、最悪、何も分からず終わるかもしれんが」
最初から最後までぬか喜びだったと言いたいか、投げやりな様子で、自信もない。
そしてラドックは疲れたと首を回し、自らの肩を叩いたところで、出てきたものを全て小箱の中に回収し、再び脇に抱えた。
「さてと……ワシは研究所に戻ることにするわい。現場にもできるだけ早く戻らないといかんしのう。……これに関しての吉報は、まぁ……期待せず待っていておくれ」
とぼとぼと遅い足取りで部屋を出ていくラドック。声を掛けることなく見送ったその場に残る全員は、既に先ほどまでの話と今回の調査に興味を失いつつあった。
「なんだかもう、調査自体が期待できない気分になってきたわね……」
「それこそ毎度のことだモー。ま、発掘やら調査はじいさんとそのチームに任せて、俺たちは俺たちのことをしようぜ」
「そうだね……。うん、休憩はこれくらいにして、僕たちも部屋に戻ろう」
めいめい、予定が組んであるのだ。すぐに気持ちを入れ替え、行動に移す。何より考えるよりも、そのほうが楽だ――。
タムタムもまた残りの予定を思い出し、腕と背筋を伸ばして不要な気疲れを追い出した。
「うぅーん。あまり休んだ気がしないけど……今日の仕事はまだまだあるし。私はこれから外回りにいってくるわね」
「あ〜。んじゃ、これで解散ってことだな。しっかし、俺様もさすがに笑い疲れたぜえ……。戻って姫様に水かけてもーらおーっと!」
まだ机の上にいたミラクルが、すっと床に降り立つ。
一人の足が動き出せば、皆の足もそれに続く、ぞろぞろと。
他愛のない話を交わしながら、タムタムも早々に図書室を後にする。
以降、発掘調査とその出土品の話が会話に上ることはなく、その日はもう、何事もなく過ぎ去った。
今日も今日とて――。城内の廊下で、なんとなく背後を察知したタムタムは、溜息をついてから後ろを振り向いた。
「おー! タームちゃーん! みーっけた!」
やはり、傍迷惑な大声でやってくるヒマワリ。
「あなた……今日もなの? 姫様一途って言ってる割には毎日浮気ばかりよね、ほんと」
「なっ、ちがぁ!? ……ち、違うってぇ! うん確かに姫様一途だけどさー! いま姫様、王様と仕事で長々と接見中だしさー。暇じゃんか! いいじゃん、いいじゃん甘えたってー!」
翌日のこと。ミラクルが飛んできたことで、医務室を後にした勇者軍四人の予定が少しずれ始めた。ただし、それはまだ誤差の範囲であり、誰もが気にすることではなかった。ミラクルがタムタムの名を呼んだ逆方向から、今度はラドックに呼ばれるまでは。
「甘えたって……?」
すぐ側にこられると、見下ろす形になるので話し難い。タムタムが腰を落としたところで、その台詞だ。
「そうさ! もー嫌なんだ! モーモーに掴まれてばかりなのは! 俺だってマウスマンやコアラ野郎みたく、女の子に抱っこされたい! きゃ〜かわいいって言われたい! 俺の傷心を、どうか受け止めて癒してくれ! タ――」
「――大変じゃー! おおーい!」
変哲も無くミラクルが戯言を言い出して、眉根を寄せたところであった。
「教授?」
後方から恩師の慌てた叫びを聞き、タムタムは再び立ち上がって身体を捻る。もちろん無意識、反射的なことである。
「無いんじゃぁ! 探しても探しても見当たらんのじゃー!」
杖を振り上げ、こちらに全力で走ってくるラドックの姿。しかし必死なそれ以外に、横をすり抜けたミラクルの、石床に滑り込んだとしか思えない跳躍を目にしたので、思わず気をとられる。
「――ブッ、ヂャン!!!」
顔と床。強い摩擦を裏付ける嫌な音に眉を潜めたあと、タムタムはうつ伏せ状態で滑り、先で止まったミラクルに声をかけた。
「何、してるの……?」
「ビ、や……ぞの、顔が……か、痒かったので、い、勢いつけてぇ、スライディングじで……み、まし……だ……」
「そう……?」
いまいち納得のいかない返答だったが、向かってくるラドックがいるため、気にするのをやめた。おかしな行動を見せるのは、今回に限った話ではないし。
リイムは優しい性格だから、心から心配そうに声をかけていた。
「なんだか焦げ臭いんだけど……大丈夫なのかい、ミラクル……。手を貸そうか」
「だ、だ、大丈夫で、ず……。顔……焦げてるくらい……ほっといてくだし……」
痙攣しながら、ミラクルが介抱を拒む。そこへようやくラドックがたどり着いた。
「はぁ……はぁ……! 困った……困ったことになったぞい……!」
肩を大きく上下させ、大きな呼吸を繰り返す老人が前にいるとなると、さすがにリイムも注意がそこに向かうようだった。結局、誰もミラクルに触れないまま、場は流れる。
タムタムは辛そうな様子のラドックに怒りつつも、心配になった。幾度となく繰り返したお願いを、無駄だと分かっていながらも、また。
「教授、何かあったのは分かりますけど。でも、もう若くはないんですから、無茶はしないで下さい。本当に……そのお歳だと、無理が祟れば魔法でだって回復できなくなるんですから」
「はう……。う、うむ、それは分かっておるんじゃが……。まあ……」
頷き、言葉を濁しはしたが、やはりラドックである。我が身などどうでもいい、もどかしいと言わんばかりに、すぐ話を切り替えた。
そうなるのは分かっていたので、タムタムも半ば諦めて接する。
「とにかく話を聞いておくれ……! 無くなってしまったんじゃ、あの人形が……!」
「人形? というと……昨日のあの人形、しかないですよね?」
「そうじゃそうじゃ。ワシの部屋に置いていたのじゃが、ないんじゃよ! 必死に探したんじゃが、やっぱりない、どこにもない……」
腕を揺らし足踏みをし、落ち着かないラドック。
そこへモーモー。
「置き場所が違うんじゃねえのかよ。部屋って、城のじいさんの部屋だろ? でも昨日、研究所に行くっていってたじゃねえか。そっちじゃねえのかモー」
最初としてはもっとな問いかけであろうが、モーモーの言い回しは、ラドックと少し相性が悪いようだ。
「――なんじゃ、モーモー! ワシをボケ老人だと思っておるのか!」
「あ〜……違う違う、そうは言ってねえモー……。誰だって勘違い思い違いなんてあるんだからよ……確認はしたんだよな?」
「無論じゃい! そもそも昨日、部屋に置いてから研究所に向かったんじゃ……。それでも念のためどちらも調べたが、やはり見当たらないんじゃ!」
怒り出すととたんに元気になる。しかし、モーモーにとってはやりづらいだけ。次はリイムに交代する。
「どこかで落としてしまった……ってことでもないんですよね?」
「……それもない。皆、ワシが小箱に人形を収めたのは見ておったじゃろう? 蓋を閉めたまま、しっかりと机の上に置いたんじゃ、部屋に行く途中では開けておらんし、持ち直したこともないからのう」
それには、皆が一瞬黙り込んだ。ラドックが言うことが確かならば、落とすこともないだろう。箱に人形が落ちる穴が開いていれば、開けるのに苦労するはずはないし。
だが、話には続きがあった。少しばつが悪そうに。
「ただのう……置いたあと、蓋を開けて中身を取り出そうとしたところで、来客があってのう。そのまま部屋を後にしたんじゃよ。それから少しばかり話をした後、部屋に戻らず研究所に直行して、資料を取ってくるつもりだったんじゃ。しかしな、まあ……調べ始めるとついつい夢中になってしまってのう。結局、研究所で一泊して、今朝戻ったわけなんじゃ」
タムタムは思ったことを言葉にせず、大きく溜息だけをついた。
「はあ……」
研究所では夢中になって読みふけっていたというのだから、睡眠時間はどうせ短かったのだろうと。
元気すぎるのも問題だと思いつつ。
「まあともあれ、教授が戻ったときには人形だけがなくなっていた、と……」
日頃、口がすっぱくなるほど注意している弟子が何に呆れているのか、分かっているのか、いないのか。ラドックは負い目を感じたのか、目線をリイムにずらした。
「う、うむ……。しかし、ワシが落としたわけでも、置き忘れたわけでもないのは、分かってくれるじゃろう……? ほら、絵は残っておるぞい、ちゃんとな!」
逃げ出したラドックにリイムが笑ったのは、一瞬だけだった。
「そうですね。でもそうなると、他に考えられそうなことは……」
徐々に声が細くなる。考え難い、考えたくないことだからだろう。タムタムが思ったことと、きっと同じで。
あまり口にしたい言葉ではないが、リイムに代わって述べた。
「半日以上、教授が部屋を空けていた間に……盗まれた?」
真っ先に否定の意見を出したのは、モーモーだった。
「城のじいさんの部屋からか? 城内には色々なところで見張りが立ってるし、見回りの兵士もいるんだぜ。……泥棒なんて中に入れないと思うがなぁ」
「そう思うかもしれないけど、泥棒が必ず外部から侵入するとは限らないのよ」
「外からばかりじゃない……?」
モーモーの意外そうな顔は、すぐに消えた。
「じゃあ、元から中にいたって……って、まさか城の中にいる誰かが、か?」
「絶対無いとは、言い切れないことよ。考えたくはないんだけど……」
疑心なしには進まない話となり、沈んだ雰囲気に言葉が途切れる。
流れを明るく運ぶのは無理があった。一旦静まると、言い出し難い。
次に誰が、何を言うのか――。互いに機会を待ち窺っている中で、ためらいなく淡々と話し始めたのは、ずっと黙視していたと思われるスカッシュだった。
「盗まれたかどうかは不明だが、あの人形なら今、城の正門近くにあるようだ」
さらりと飛躍したことを言ったので、タムタムは少なからず面食らった。
「分かるの? どうして?」
「昨日言ったが、あの人形は僅かだが魔力を帯びている。その反応があるからだ」
事も無げに返ってくる。昨日と同じで、彼には分かるものなのだろう。それはいまさら驚く話ではない。
しかしタムタムの内には、皆が顔を合わせて困っているときに、一人無関係のように佇んで、何をしていたのだという気持ちが湧き上がった。
「分かるなら早く言ってくれればいいのに!」
スカッシュは変えたのか判断出来かねる表情を残し、視線を横にずらした。
「微々たる魔力反応なら、人間や魔物を含めて、辺りにいくらでもある。時間がかかったのは探していたからだ。生憎、即時に分かる能力は持ち合わせていないからな……。別に、誰かの困った顔や不機嫌な顔が見たいわけじゃない」
「何よ、それ」
当てこすりだと思われる言い方に気色ばんだところ、相手の視線は既にリイムへと移っていた。
「探しに行くんだろう? 近くにあるうちはいいが、距離が開けば分からなくなる。見失わない保証はできない」
「うん……。とにかく今は、あの人形を探してからにしよう」
リイムは余計な口出しはせず、ただ頷いた。
彼に振られた時点で、勝負は決まったようなものだ。私情抜きで、確保優先なのは分かりきっている。タムタムは頬を膨らませるだけで片付けるしかなかった。
「……分かったわ」
「早く見つかりそうで良かったじゃねえか?」
攻防が分からなかったか、モーモーは不思議そう。リイムがそこで一人微笑んで、会話を打ち切った。
「では教授、僕たちが人形を探してきます。すぐ見つかるか分かりませんから、教授は待っていてください。今、興奮はしていても実際は寝不足みたいですから、その間、休憩をとるくらいの気持ちで」
「う、ううむ……っ。なら……頼んだぞい」
近くだからと、向かう様子を見せたラドックをしっかり押し止め、リイムが軽く駆け出した。
タムタムも自然に足を踏み出す。
「じゃあ教授、行ってきますね!」
「ま、じいさんはのんびり横にでもなって、待ってなよ」
モーモーもラドックへ声を掛けてリイムを追い、スカッシュもまた、僅差で走り出した。
その時点で、もはや後方に残すものはないと思っていた。しかしすっかり忘れていた存在が、最後に声を上げた。必死な。
「ちょ……ちょい待ちー! おい、俺も行く! 俺様も行くよ行くってば!!! ここで忘れ去られてたまるかってんだーー!!! ちくしょー!!!」
タムタムは振り向こうと思ったが、すぐ止めた。
どうせ何を言ってもついて来るのは目に見えている。誰しも同じようで、振り向く者も足を止める者もいなかった。
一同は通路を素早く抜け、高い城壁に囲まれた郭内に出た。前には、開け放たれている重い城門が見える。差し掛かったところで、先頭を走っていたリイムが足を緩めた。
「この辺りなんだよね……」
ほどなく止まった彼に合わせ、全員が一旦、足を止める。不審人物が潜んでいないか、あるいは人形が落ちていないものかと、なんとなく辺りを見回すものの、敷地内には二人組で見回る兵士たちの姿しか映らなかった。
「怪しい奴がどこかにいんのかー? どっかに隠してあんのかー? なーんもなさそうだがなー」
顔をただ振っているだけで、探す態度には見えないミラクル。期待を寄せているわけではないので、誰も咎めはしない。むしろ、この場で見える範囲の感想は同じである。
これに関しては、自分たちが探すより聞いたほうが早いだろうと、タムタムはスカッシュに確かめた。
「近くにまだあるの?」
「……門の向こう側だ。位置はほとんど変わっていない」
答えると、スカッシュは歩を再び進めた。ゆっくりとした動作で急ぐ様子がないため、焦る必要はないものと、言葉を挟まず後ろに続く。
一同はそのままの歩調で門を潜ると、城下の景色を阻む、城壁の向こう側へと移動した。厚い石の壁に占められていた視界が開け、日差しを浴びる城下町へと移る。そこから僅か数歩進んだところで、スカッシュは止まった。
「この辺なのかモー?」
そのモーモーの問いかけは、投げかけられただけで終わった。仲間の誰でもない、太めの男性の声が横手から掛けられたからだ。
「リイム殿!」
振り向いた先には、鎧を着込んだ二人の兵士が見えた。片方はベテランと思われる、髭に覆われ、日に焼けた精悍な顔つきの中年男性。もう片方は、比較して青さと白さを感じる二十歳頃の青年。
「あら……?」
そしてタムタムは気づいた。彼らの後ろにもうひとつ、小さな影が動いたから。若い兵士に片手を引かれ、たどたどしい足取り、裸足なのが目に付いた。年齢は七、八歳くらいだろうか。茶色のお下げで、白い寝間着のような服装の女の子。
声を掛けてきたのは、声質からすると、板に付いた姿のベテラン兵士だろう。リイムが彼らの様子を察知して、向こうが再び声を掛けてくるより前に、先に尋ね返した。
「何かあったんですか?」
「はい、それが……少し困ったことがありまして。お急ぎでなければ、話を聞いてもらえないでしょうか?」
側まで来ると、中年の兵士は後ろを示すように少しだけ振り返り、言葉通りの表情を見せた。
しかしリイムが返すより早く、顔を突き出した者。
「――おうおうおーう! 俺たちは今ちょうど忙しいところだぞ! そりゃ、困って困ってどうしよ〜〜〜もっ! ないことなんだろーなぁ?」
割り込んだミラクルは、忙しいと強調させて、えらそうな態度だった。
兵士は足下を見て、不思議なものに目を奪われたというより、どう対応すればよいか思いつかなかったのか、一瞬言葉を失ったようだ。
「これは……あぁ、ヒマワリだから、あれでしたかな? 姫様のお客人? あ、人ではなくて精霊でしたか……」
「カーーッ! コレじゃないしアレでもねぇよっ! いいかっ! 俺様はなぁ…………あっ、あぁっ……あっ、ちょっ」
文句を述べだしたミラクルを、タムタムは無言で後ろから引っ張る。
「あ、やぁぁ…………」
後方に押しやり、退場させたところで、リイムがスカッシュをちらりと見やった。
人柄が良く、慕われているリイムである。困っている者を放っておくはずはないが、今回は先約がある。消えた人形を探している最中であるため、話を聞く時間があるか確認したのだろう。
彼は相手の無反応を受けてから、兵士に問いかける。
「困ったこととは、その子ですか?」
「ええ、その通りで……。この女の子、どうやら迷子なのですが……」
度々だが、後ろを振り返った後の表情は深刻そうだ。少しではなく、ほとほと困っていたことが見えてくる。
「一人でどうやって入ったのか分かりませんが、なぜか城内をさまよっていたところを保護したのです。ですがどこから来たのか、家のことや家族のことを聞いても、話してくれなくて……。話もなんだかかみ合いませんし、たぶん異国から来たのだと思います。気になるのは、父親がミラージュの塔にいると言うことで……塔に向かって、自分も入るといってるんですよ……」
「「えっ」」
ちょうどタムタムは声をあげ、リイムと重なった。
兵士が言ったミラージュの搭は、くしくもそれに関する発見として、ラドックが期待していた自分たちの探し物と縁があるではないか。また、搭に向かうと言っていることも驚くことだった。
「いけないわ……。搭に入るなんて、無理よ」
感情の含まれた表情はないように思えるが――。ぼんやりしているような、どこか遠い眼差しの少女を見ながら、タムタムは潜めた声でつぶやく。
搭の幻は真に迫るもの。襲われても、塔を出た後に身体に傷が残らないだけのものであり、幻の中では普通に傷や痛みを負っている。それは少なくない、精神的なダメージがあるということだ。だからこそ実戦と遜色ない戦いが経験でき、鍛錬になるのだが、もし極限の状態になれば、精神が崩壊する恐れもあるだろう。勇者軍に随伴し、戦いを何度も経験しているタムタムですら、頭では幻と分かっていても恐怖がないとは断言できず、平気だとは言わない。間違っても、肝試しではすまない幻なのである。小さな女の子が一人で入るなど、考えられなかった。無茶な話だと思う。
「さすがに、村の人たちが止めてくれると思うけど……」
そのつぶやきを聞いたリイムは、次の問いを見つけたようだ。
「幻影の村の子供では、ないんですよね?」
少なからず危険を伴う幻であるから、ミラージュの搭には誰でも気軽に、好き勝手に入れるものではない。本気で挑戦しようとする者を拒みはしないが、小さな子供や搭について知らない者が迷い込まないようにと、搭の側にある幻影の村が管理を任されている。
「違うと思いますね。ご存知だと思いますが、幻影の村はほんの小さな集落ですから、村民の顔は大体知れています。それになにより、この子自身があの村のことを知っている様子がない……」
返事にリイムの顔は沈んだ。ただの迷子だろうと、楽観できない流れになってきたからだ。
「なら、最近住み着いた誰かの子供というわけでもないですね。……そうなると、この子一人を残して、塔に入ってしまった人が実際にいるのか……もしくは……」
それ以上の続きを口にしなかったのは、女の子を前にしての彼の優しさであり、気遣いだろう。だが、言わなくとも周囲には伝わる。
放置かどうか分からないが、印象としては危なっかしい子供一人を残し、ミラージュの搭に向かうというのは、少なくとも彼らの中では無責任極まりなく、考えられない行動だ、親であろうとなかろうと。
タムタムは感情を言葉にしない代わりに、歯を強く噛み締めた。
「……」
ならば、初めから置いていくつもりだったのではと、そんなやるせない可能性は考えたくなかった。だが誰もが今、同じことを考えているはすだった。豊かで平和な国に位置するライナークであっても、捨て子は特別珍しい存在ではないのだから。
リイムが言う前から、兵士たちもそのことが頭にあっただろう。彼らもまた、重い息を吐き出すだけで、続きに触れることはなかった。
「とりあえず……この子の親の目撃情報がないものかと、我々なりに聞いて回ったのですが、まったくなく……。あとは、この子の言う父親を、搭へ探しに行くしかありません。しかしそうなると、持ち場を離れることになりますので、さすがに我々では決められず……詰め所に戻って、隊長に相談しようと話していたところなのです」
「分かりました。この子のことは、僕たちが責任を持って引き受けます。後のことは任せてください」
一部始終を聞き終えたところで、リイムはすぐに頷いた。既に心は決まっていたのだろう。
「これからミラージュの搭に向かい、確かめます。子供を保護したことと、僕たちの行き先を王様にお伝え下さい」
「――おいおい、リイム。ラドックじぃっ、イッ……」
タムタムは声を聞いて、反射的に手を伸ばしていた。手ごたえあり。
「イ、イあ……!」
ラドックの探し物はどうするのかと、待ったをかけようとしたのだろう。ミラクルが前に飛び出そうとしたところを、むんずと捕まえた。
「アアア、ウウウ……」
「いい? リイムが決めたことに、勇者軍じゃないあなたが口出ししなくていいの」
勇者軍は王国騎士団の中でも特殊、特別な部隊だ。成り立ちは近年であり、ゲザガインがライナークに侵攻した時から。魔龍軍に追い詰められていた国情を憂い、立ち上がったリイムとモーモー、そして彼らの元に集まり共に戦った魔物たちが、ゲザガイン討伐後、そのまま王国軍として置かれた部隊である。国王直轄であり、指揮系統は完全に独立しているため、彼らに命令を下せるのは国王のみ。勅命により行動していないときは、リーダーであるリイムの判断に任されている。彼に対する国王リチャード三世の厚い信頼もあり、城の周辺地域であれば行動制限もない。
つまり、命令を受けていない現時点での勇者軍の行動は、リイムに一任されているので、彼が向かうと言ったならそれに従う。もちろん意見が駄目というわけでなく、この場合たんにミラクルが口を開くと、無駄話が増えるということで。
「やっ、ねぇ、口出しっていうか……いや口出しだけどさっ……あれが、あれだ……」
「もちろん教授の件は忘れてないけど、今は優先させることじゃないわ」
リイムは少し苦笑を浮かべながら、もがくミラクルのほうを見やったが、すぐに兵士たちに向き直った。
「それから……保護していることについて、城下にも回すよう、手配してもらえますか。もしかしたら、違う場所でこの子の親が探しているかもしれませんし、入れ違いがないとは言い切れないですから。城下町の子供である可能性も、完全には捨て切れません」
「分かりました。そのように致します。親が見つかればいいのですが……。リイム殿、皆さん、よろしくお願いします」
兵士たちは一礼して、少し気がかりそうに女の子の頭を撫でると、その場を離れた。
そして、持ち場に戻っていく彼らを見送って程なく。リイムが腰を落として、ほとんど動くこともなく、つっ立っているだけの少女に声を掛けた。
「話を聞いてもいいかな? 僕はリイムって言うんだ。ライナーク王国の騎士だよ。君の名前は?」
「……」
リイムが笑いかけても、ぼんやりとした表情は変わらず、聞こえていないのか返事もない。
一拍ほど置いてから、彼は再び話しかける。
「どこから来たんだい? ……分からない?」
「……」
「……遠いところ? ライナークじゃないところから、来たのかな?」
「……」
やはり無反応。
側で見ていたタムタムは首を傾げた。隣のモーモーも同様にて呟く。
「まさか耳が悪いとか、聞こえてないってわけじゃないよな……? 見えてる、よな……? 元気がないのが気になるモー」
誰の目から見ても、女の子は弱々しく、顔色も悪いだろう。歳相応の目の輝きもない。反応らしい反応すらないのだから、見えているのか聞いているのか、怪しく思えてくる。
「知らない大人ばかりで、怖がってるのかしら……」
表情をよく見るため、タムタムもリイムに並んで屈みこんだが、女の子のそれは歪みなどなく、もちろん怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもなくて、無表情に思えた。
「この子……」
何か普通ではないという予感は、初めからあった。しかしそれを口にするのは、躊躇われた。自分がたまに覚える、勘というか感覚というか、根拠のないものだから。
不安を察してくれたのか、リイムが辛抱強く、優しい口調で続けた。
「どうしてお城に入ったんだい? いつから一人になっちゃったのかな?」
「……」
「答えたくないなら無理強いはしないけど、君から言いたいこと、知りたいことってない? 何でもいいんだよ」
「……」
やはりうんともすんとも言わない女の子。さすがのリイムも少し戸惑ったようだが、一度にっこりと笑うと、すっと立ち上がった。
「大事なことは、ちゃんと聞いているよ。お父さんを探しているんだよね。でもミラージュの搭は、ちょっと危ないところなんだ。だから僕たちと一緒に行こう」
彼は話を聞くのをすっぱりと諦めたのだろう。しかしそこで、思わぬ小さな声が漏れた。
「お父さん……」
初めての反応に、タムタムは瞬時、耳を傾けた。
皆の視線も集まったところで、女の子の顔が持ち上がる。相変わらずの表情ではあったが、リイムを見上げた。
「お父さん、搭にいるの。だから……」
本当にか細い声。面が上がったとは言え、実際に相手を見ているのか判然としない瞳であったが、彼はにっこりと笑って頷いた。
「うん。僕たちも探すのを手伝うからね。心配しなくていいんだよ」
「じゃあ、ミラージュの搭に向かうで、決定ね」
女の子が答えてくれたことで、タムタムもひとまず胸を撫で下ろした。
態度が、というわけではないが、どうも気に掛かる子供。もやもやとする。見覚えがあるような、ないような、引っかかりがあるのだが。
「とにかく、まずは行ってみて……村の人たちに聞いてみればいいのよね」
自分に言い聞かせるように、二回頷く。はっきりさせたい、白黒つけたい性格で、わだかまりを抱えるのは苦しいし、好きではない。しかし今は考えないことにした。
考えすぎても動けない。なにより、自分一人ではない。きっとリイムと一緒なら解決するはずだと信じて、女の子に笑いかけた。
「私はタムタム。リイム以外を紹介すると、一番背が高い牛さんはモーモーで、黒っぽい人がスカッシュ。……ああ、それから、この揺れてしゃべるお花はミラクルね」
わざとらしく揺れながら自己主張激しく前に出てきたので、仕方なく紹介に加える。様子としては、ほとんどしゃべることができなかったせいだろうか、どこか不機嫌だったが。
「ん、まぁ? 向かうのはいいけどさー? ラドックじいさんが言ってた人形、ほっといていいのか? もちろん俺としては、そんなの後回しにするべきだとは、思うがなっ!?」
さっき言いたかったことだろう。それに真っ先に答えたのは、タムタムではなくリイムでもなく、ずっと黙っていたスカッシュだった。
「あの魔力は、この子供からだ」
「なぁんだよ、この子が持ってんのかよ。それなら初めから言えよな! ま、分かってんなら安心だ! 落としてないとかなんだかんだ言い訳してたが、やっぱりじいさんがどっかで転がしてたんだろ! 歳のせいっつーか、元々の性格か分からんが、あれで結構なうっかり者だよな〜ワハハ!」
周囲が驚く間も与えず、とにかく衝動的に口をついてでるのか、ミラクルはひとりしゃべって笑って、顔と大口を空に向けた状態で、はたと止まった。
と、次に動き出した時には、女の子の周囲を飛び跳ねて怒りだす。
「……って、待てよおぉい! どこに人形があるってんだ!? どっからどー見ても、この子なんも持ってねえだろが!? なに言ってんだコラ! てきと――」
「お人形……。うん、お父さんにあげたよ」
瞬間、最大に開いた大口がぴたりと止まる。
聞えたのは、思わぬ返事だった。声を発した女の子は、今まで見せなかった表情で、笑っていた。
「おっ、おごご……うう……」
踊りかかるか噛み付くか、そんな寸前だった。スカッシュに悪態をつこうと、顔を突き出したところで出鼻をくじかれたミラクルは、大きな口をわななかせて、ようやく言葉を呑んだようだった。
苦しいのか、首を曲げるのもぎこちなく、まるでおぼれたように。
「あげあげ、あげたって……。じゃあ……なに、なにかっ!? この子の親父さんを、何が何でも探さなきゃ、戻ってこないんじゃねえかよっ……!」
「この子の父親が人形を……?」
突然、人形と迷子の女の子が繋がったことに、さすがのリイムも、怪訝そうな顔でつぶやかずにはいられなかったようだ。
何故、何の関係があるのか。二つの件の繋がりである、未知の部分の強い疑問。それはタムタムも同じ所感だった。スカッシュを見やる。
「どういうことなの……?」
深意があるのかと、切欠を作った当人に問いかけてみたが、視線が合ったところで逸らされた。
「お前が言ったとおり、とにかく、搭には行ってみるべきだろう……」
返答はそれだけだったが、何か考えていることや、気づいていることはあるのだろう。
求めたものが何なのか、思惟は読めているだろうに保留されたのは不満があったが、側ではモーモーが女の子の前で片ひざをつき、腰をかがめたので、そちらの動きに目がいった。
「おい、おじょうちゃん。裸足だが、ずっとそれで歩いてたのか? 痛くないか、怪我してないよな?」
「ない……」
モーモーの問いかけに、笑顔も消え、生気のない顔に戻った少女だったが、前とは違い、ぼそぼそと答える。
「そうか。だがミラージュの搭はちょっと離れてるし、道中も街中と違ってて、でこぼこする道もあるからな。大人と子供じゃ、一緒に歩くとなると大変だモー。俺たちはよく遠くに出かけて悪路も慣れてるから、足もかなり速いぞ。すぐ着くから、搭まで俺がおぶってやるモー」
モーモーは種族柄、大雑把で少し短気な部分もあるが、それ以上に特徴的なのは、リイムと肩を並べるほどのお人よしということだ。考えることは苦手でも、気が利いた行動として、善意が真っ先に現れるタイプだった。
彼は大きな手で女の子の頭を一度撫で、そのまま背中に乗れと後ろを向く。
しかしすぐその横から、わざとらしく青ざめた顔を作るミラクルが。
「うーわー……俺だったら遠慮するなー……。だって筋肉ゴツゴツして堅そうだし、何よりむさくるしいし……」
心底嫌だと言うミラクルに、モーモーは毎度のように呆れず、むっとしたようだった。
「誰もお前に乗れって言ってねえよ」
「へっ。でも大丈夫かぁ。しっかり持てよ、落とすなよー? 間違っても振り回すんじゃねえぞ! 身体がでかいから、高さもあるんだからなー」
ミラクルのほうは、毎度のただのちょっかいなのだろう。ところが、モーモーは何故かあしらえないことらしい。今回は不満がありありと伝わってきた。
「なに馬鹿なこと言ってんだモー。大体なあ……これでも俺は、リイムが小さい頃、よくおぶってたんだぞ。あやしたり、高い高いをしたりだな……。リイムはよろこんでたぞ。経験者だ経験者。だから大丈夫だモー」
「うぁぁ。すまん、悪いこと聞いた……」
事実だと分かるからか。ミラクルが真っ青になった。
ミノタウロス族は人間よりも長命で、倍以上の寿命を持つ種族である。ミノタウロスとしてはまだ若者となるモーモーであるが、リイムが幼い時分に亡くなった、彼の父親とも親友の間柄だった。昔から王国に仕え、ほんの小さなリイムを知っており、世話もしたということだ。そしてリイムの父親、ライトが亡くなった後は引き取って一緒に暮らし始めた。リイムにとっては、彼もまた父親と呼べる存在だ。
つまり、子供を育てた実績がある身としては、聞き捨てならなかったということなのだろう。
「なんでそこで謝るんだモー……。それに悪いこと聞いたって……」
「いや、想像するだけで震えちまう光景だろう、それは……! なんというカタストロフィー……」
「はあ、なんでだモー? いや、終わってねえだろ……!」
「ぃやぁ、リイムはよくここまで素直に育ったな。俺だったらグレてるぞ。うむ、間違いなく。……ムキムキな牛と毎日一緒とか、イ・ヤ!」
怒った相手から逃げるようにくるくる回り、調子づいたミラクルは、実に好き勝手なことを言う。
リイムはおかしそうに笑った。
「ムキムキなことは置いて……。僕は感謝しているよ。戦い方も教えてもらったし、みんなを守れるほど強くなれたのは、モーモーのおかげだからね。もしモーモーと一緒じゃなかったら……今頃どうなってたか、分からないよ」
リイムが言葉通り、素直に言ったからだろう。ミラクルが回転を一瞬で止めて、面映い表情を見せた。
「そりゃあ……ほら、リイムの性格で、『モーモー、僕は恨んでるよ!』 なんて言うはずねえし……」
脱力か、モーモーががっくりとうなだれた。
「あー……もういい、もう。ったく、お前を相手にしてたら先に進まないモー。時間がもったいねぇ。……とにかく、この花は気にしないで乗ってくれよな」
再び腰を屈め、背に乗るように促すモーモー。
「……うん」
立ち尽くしていた女の子だったが、微かに頷くと、戸惑うこともなく大きな背に乗った。
「よし、いいこだモー」
女の子をおぶさり、モーモーは立ち上がる。その横で、ミラクルはまだ言い足りないのか、減らず口を叩いた。
「ま、父親代わりだったなら、まだマシか。これが母親代わりだったら…………うっ」
しかし、言葉途中で蒼白を通り越し、しおしおになると、前にぱさりと倒れる。
当然ながら、誰もが呆れる以外にできることはない。
「ほんと、なに考えてんだこいつ……」
「変な想像力だけは豊かなのよ」
ただ、呆れることもいい加減飽きた。
掛ける言葉も少なく、それ以上ミラクルを構う者はいなかった。
「よし。じゃあ、この子の親父さんを探しに行くか」
「何かあったら、遠慮なく私たちに声を掛けてね」
構わなければ進行も早い。モーモーが歩き出したので、タムタムも歩き出した。後ろからはスカッシュ、リイムも。
ミラクルだけは、くずおれて地を這っていた。
「ううぅ……。ま、待ってぇ……! 悪かった、悪乗りしすぎた! 俺が悪かったってば! すまん、ごめん! 置いてかないでくれぇぇーー!」
そして、黙殺され泣きっ面のミラクルが慌てて追いつき、一行はミラージュの搭へ向け、足を速めた。
ミラージュの搭の近くにある幻影の村は、王城から東側に位置するとても小さな集落だった。搭がある以外は、本当に何もないところだ。時折、搭に挑むためやってくる冒険者など、村外の旅人、客人がいなければ、のどかというより閑散としている。村人たちはミラージュの塔と幻に挑む者たちを見守っており、いかに塔の幻が生々しく危険かを、来訪者に説いている。彼らは時に軽視する者を引きとめ、時に幻に敗れた者を介抱しながら、この地でいつからとも知れない、細々とした生活を続けている。それが与えられた使命であるかのように。
「どうだった?」
幻影の村の村長から話を聞き終え、家から出てきたリイムにタムタムは聞いた。
彼の浮かない顔からして、少なくともよい話は聞けていないと判断できるが。
「この子のお父さんらしき人の情報は……あった?」
リイムは頷くことも、首を横にふることもしなかった。
「今のところ、塔に今日入った人は数組あるらしいんだ」
「数組……?」
「うん。ひとりで入った人はいないそうだよ。みんな、しっかり武装した冒険者だって。この子のお父さんがその中にいたのかどうかは……分からないね」
リイムが言いながら、女の子を見る。幻影の村に入ってからは、タムタムが手を繋ぎ、引かれるままにここまで歩いてきた。村に到着するまでに話すこともほとんどなく、いまだに名前すら聞いていない。当然、父親の詳しい話や、容姿、年齢などの特徴もまったくだ。
「それにまだ、村に着てない可能性だってないとは言い切れないし……」
困った顔はできるだけしないように心がけているのだろうが。彼の笑顔が複雑になってしまうのは仕方ないだろう。
「とにかく、話してもらえれば今より分かることもあるかもしれないんだけど……」
リイムが女の子の前で、問いかけるようにしゃがみ込むが、やはり反応はない。
さすがの彼でも、話を聞くことがこれほどまでに困難では、それを諦めざるを得ないと判断したのか。微かな溜息と笑みを垣間見せて、立ち上がろうとした。だがそこで息をのむ。
「……君は」
女の子を注視して、何かに気づいたのか。
リイムの言葉は止まってしまったが、立っているだけでどこを見ているかも分からなかった女の子が、確かに彼を見上げた。
「お父さんは塔にいるよ、ずっと。だから私が行くの」
今までたまにしか口を開かず、ほとんど表情すら変えない女の子が、その時ははっきりと話し、リイムに向かって笑いかけたこともあって、タムタムは気を取られた。
「――あっ」
声を思わず上げたときには、繋いでいた手を解き、走りだした女の子。
突然の出来事に、咄嗟の行動が取れなかったのは皆も同じで、数秒遅れて声を上げる。
「待って、どこへ行くんだい? そっちは……!」
「塔はダメだモー! 危ない、戻ってくるモー!」
行くつもりなのだ――。駆け出した先には、聳え立つミラージュの塔がある。考えるまでもなく、追いかけるため走り出す。
しかし、すぐ異変に気づく。
跳躍し、先を行ったミラクルだったが、止まって激しく揺れた。
「お、おいっ! おかしーぞ! あんなちっちゃい女の子の足だぞ!? ひとっとびのはずなのに! なんで俺が追いつけねーんだ!?」
低空飛行ができるサンフラワーは、人間が走るより早く進める。そして、人間より強靭な脚力を持つ、ミノタウロスも同様なのだが。
「まさか俺と同じ速さなのか……!? いや、あり得ねえ! どうなってるモー!」
誰もが必死に追いつこうとしているのに、何故か女の子との距離が縮まらない。
「そんな……!」
話すこともままならないほど、タムタムも全力で走った。驚くべきことが起こっているが、それでも走るのは止めない。止まれば女の子を見失い、もう追いつけない気がして。
「待って……! ひとりでいっちゃダメー!」
前を行く女の子の背中は呼びかけに応じない。それでも声を掛け、とにかく走る前方に、やがて一番目の塔が近づいてきた。
「塔の扉は重いから、小さな女の子には開けられない。止まってくれれば……!」
ところがリイムのその期待の前に、女の子は走ることを止めなかった。一番目の塔を向くこともせず、駆け抜けていく。
「……! あの子はどの塔に向かうつもりなんだ」
「お父さんがどの塔にいるか、分かっているの……?」
疑問は深まるばかりだった。体力があるとは思えない、小さな女の子の足は止まらないばかりか、速度も落ちない。ほぼ同じ距離を保って、追いかけている形になっていた。運が悪いのか前方に人影が見えることもなく、誰にも阻まれないまま、ひたすら前を走っている。
だがそれもさすがに、最後である四番目の塔で終りだと思っていた。
先頭を行く、ミラクルの悲鳴が上がる直前までは。
「……お、おいおい! 待てよお嬢ちゃん! 塔はなぁ、四つしかねーんだぞ! 知ってっか!?」
また、予想できない出来事が起きた。女の子は足を緩めることもなく、四番目の塔の入り口まで通り過ぎてしまったのだ。
モーモーの言葉に驚愕が収束される。
「どういうことだ、塔に行くんじゃないのかモー! その先は何もないんだぞ!」
これ以上先は、道も消え村ではなくなる。森林や野山があるだけだ。それでも女の子の足は止まらないし、振り向くこともなかった。
「どこへ行こうとしているの……! あなたは一体……」
もはや女の子の目的がなんなのか、どうして走っているのか、今のタムタムには分からなくなった。戸惑いながらも、追いかけ続けることしか出来ないのが歯痒かった。リイムたちも同じだろう。しかしどんなことが起ころうと、足は止めない。それは諦めてしまうことだと、自分の勘が、経験が告げているから。
ところが、その考えあって女の子の後を追い、走り続けた一同の足を止める事態が突如、一瞬にして起こった。
「……えっ!?」
音もなくそれは現れ、眼前に聳え立っている。まるで、初めからそこにあったかのように。
ずっと前を見ていたのに。
「う、うそ……!」
塔が――ある。そんなものはなかったはずなのに。視界がぼやけたような、歪んだような気はしたが、目を擦る前に異変が見えてしまった。見覚えのある形の、高い建物があるのだ。
他の四つの塔と同じなのか。
タムタムは思わず立ち止まり、見上げた。
「何なの……あの塔は……!」
激しい鼓動に胸を叩かれる中、辛うじて口にした感想だった。前にあるのは、知らない塔。冷静な状態ではないが、見ている事実だけなら間違いない。既に塔は四番目を通過した。後ろを振り返って、再確認もする。
少し先を行っていたリイムも、立ち止まっている。
「五番目の塔……なのか」
「何が起こったんだ! 五番目の塔なんて、誰か知ってるのかモー?」
モーモーもさすがにひとりで突っ走ることはなかった。巨大なものが先に突然現れて、驚かない者などいるはずがない。日頃の癖で、どうしたものかとリイムを見やったようだが、自分が口ずさむ言葉に、すぐ塔へ向き直った。
「いや、でも塔ってことなら……あの子が向かってるのは、あれだってのか!」
モーモーが口にする前に、タムタムも同じことを思った。だからすぐさま女の子の姿を追ったが、入り口を目と鼻の先とする、その先に見えた光景に愕然とした。
「うそ、どうして!? あの塔、扉が開いているわ!」
ミラージュの塔は、普段厚く重い扉で閉ざされている。間違って侵入しないように、開放されままの状態におかれることはない。だが現れた塔は初めからか、それともついさっきの間なのか、大きく招き入れるように開け放たれていた。
タムタムは咄嗟に腕を伸ばし、女の子の姿に重ね、叫んでいた。
「危険だわ! 入っちゃダメよ! ――ダメーッ!」
声は届かなかったのだろうか。それとも最初から一切聞えていなかったのか――。
張り上げた声も空しく、真っ暗闇に見える塔の内部に、小さな白い姿は消える。そしてその瞬間を境にして、焦りに張り詰め、取り巻いていた空気も霧散した。
無意識に駆け出そうとした足が、数歩進んで止まる。
「……」
重苦しい中に、それ以上の静かな憤りがある。誰かにではなく、自らへの。
止められなかったという、悔しさだけが残ったのだろう。リイムもモーモーも、厳しい顔で立っていた。ミラクルだけが動いており、泡でも吹きそうに口を開閉して、うろたえ始める。
「う、うぁあああ……! どーなってんだ、どーなってんだよ!? 塔は増えるしあの子はためらいもなく入っちまうし……!」
感情を堪えないそれを見て、タムタムの中の気持ちも溢れてきた。
「こんなこと……」
しかし声にしたとたん、ここまで追いかけてきて徒労となった落胆と、実際の疲れがどっと圧し掛かってきた。それが追い撃ちとなって、後悔が頭を掠める。
「私が……私があの時、手を放さなかったら……」
嘆く気持ちが重さとなる。我が身を支えられなくなり、足下がよろめいた。しかし拍子に踏み出た足が、再び身体を支えた。
「私……」
気づかされた。今まで何度となく困難に立ち向かってきたゆえに、咄嗟に体が反応したのだろう。こんなところで迷い、呆然としていられないのだと。
「そうよ、こんなところで立ち止まってる場合じゃないわ……!」
弱音を吐くのが早すぎた。
タムタムは顔を上げリイムたちに向かい、自分を奮い立たせるためにも声を張り上げた。
「すぐに追いかけないと! あの塔はまだ誰も入ったことがないのよ! もし本当に危険な塔だったら……あの子が心配だわ!」
そうだ。女の子が先に塔に入ったからもう終りだと、まだ決め付けられない。今だからこそ、追いつくことができるはずだと考えた。もちろんそれは、早ければ早いほうがよいとも。
心は既に、暗い口を開ける塔の中。再び焦り、急ぐ気持ちが再度、駆け足に向かわせる。
だが、前進できなかった。引っ張る力に引き戻されて。
「な……?」
何事かと後ろを振り向けば、スカッシュが立っていた。
「少し待て。話がある」
見れば、後ろから片腕を掴れている。タムタムは反射的に振り解こうとしたのだが、相手も見越してのことか、相当の力を込めてきた。
「や……放して! 追いつけなくなっちゃう! 今ならきっと間に合うわ! 話なら中に入って走りながらでもいいじゃない!」
感情的になり、喚くように訴えたが、スカッシュの表情も握る手も緩まない。
「駄目だ。これは入る前に話しておく必要がある」
そこまで話してスカッシュが見やったのは、リイムだった。何かの覚悟を予感している顔つきの。
「リイム、お前も少し前に気づいたな? ……あの子供は人間じゃない」
淡々と述べられた言葉が、頭の中を一瞬だけ真っ白にした。
「えっ……?」
振り解くことを忘れて相手を見上げると、視線が合った。
「人形だ。昨日、お前が魔法で開けた箱に入っていただろう」
掴まれていた腕が放されたが、止められた足は動かないし、考えも浮かばない。
「……」
当然言い出す言葉も見つからず、タムタムは呆然とするだけだった。だが側には、大人しくしているのが稀な存在もいた。
それは頭を左右に激しく振ったかと思えば、顔を真っ赤にして何度も飛び上がった。
「な……ななぁ、なんだとぅ!? あの子が人形拾ったんじゃなかったのかよ!? お前、そーゆーすっげー重要そうなことはな、はっきり分かりやすく言えよっ!」
怒るミラクルに、スカッシュは眉一つ動かさなかった。ただ、呆れた様子がどことなくある。
「……むしろ、高位の精霊であるお前がなぜ気づかない」
言われたとたん、ミラクルは茎を曲げて身じろぎした。
「ふぐっ……。お、俺はなぁ……いちいち疑ってかかるとかなぁ、詮索とかなぁ……あれだその……嫌いなの! わりぃなぁ! あ〜、そうさそうさっ! 俺は人間の生活にどっぷり浸かっちまってるよ! あーあー、俺様ボケてるよ鈍ってるよ! そう言わせれば満足か、コラ!」
自分でもショックはあったのかもしれない。ミラクルは拗ねて、半分は八つ当たり気味に叫んでいた。
面倒だと思ったのだろうが、スカッシュの僅かばかりの吐息は、それに掻き消されていた。
「あの場では、まだ話すべきことではないと判断したからだ。その事実がどうなるのか、あの時には分からなかったからな。連れている限りは見失うこともないと思って、経過を待つことにした」
そこで彼は一旦切って、再度吐息したようだった。
「……それにお前たちのことだ。塔に連れて行くと先に決めたからには、どうであれここに来ていただろう。人形の願いだろうと、人間の願いだろうと……」
真っ先に反応したのはミラクルだったが。
「あ〜? なんかやっぱりてめーはムカつくな! なんだなんだ、その言いはよ! 感じわるーっ! 大体だな、自分の立場わかって――ングぉ」
しゃがんだモーモーが、大きな片手をミラクルの頭部に乗せてわしづかみ。花びらはぐしゃぐしゃ。
「……」
「で、他に何か分かったのかモー?」
「先ほど起こったことが、そのままだ。あの人形は塔の鍵だった。魔力を帯びていたが、近づけることで塔が現れる仕掛けのようだな。ミラージュの塔に関する発見という話だったから、辻褄は合う」
タムタムは少なからず、ショックだった。
「そんな……。あの女の子が……」
否定を持ち出す根拠がない。スカッシュの言っていることは、悪い冗談ではなく、事実なのだと認めざるを得ない。話しかけてもほとんど反応がなかったこと、誰も追いつけなかったこと、そして自分自身、妙に違和感を覚えたのは、人間ではなかったからと考えれば納得も出来る。
「でも……」
それでも、あの女の子は塔の鍵という、ただの道具でしかないとは思えない。
タムタムはスカッシュを再び見上げ、正視した。どうして止めたのかと。
「そう……だったら。あの子が人形だから、放っておけって言うの? あなたは」
「そうは言わない……。お前もついさっき、自分で言っていただろう。あの塔はまだ誰も入ったことがない未知の塔だ。外観は変わらないが、今までの塔と同じとは限らない。本当に危険な塔かも知れない。……それはあの人形にとってではなく、こちらの話ということだ」
相手は怯むこともなく見返して言って来たが、タムタムは押し返すつもりで睨んだ。すると、半歩下がって溜息をつかれた。彼なりの、それが譲歩らしい。
「分からないことが多すぎるんだ……。誘い出す罠である可能性も、絶対ないとは言い切れない」
「だから?」
何かと溜息の多い相手だが、今回のそれはかなり長く、大きかった。
「……これは、少し頭を冷やす時間だ。勇者軍に置かれる以上、俺はお前たちの判断に異を唱えることもあるが、決定には従う。それでも、あのまま勢いで突入してもらっては困る。覚悟を決めて入るべき塔だと言いたいだけだ」
「念押しってことは分かったわ。それで、もう話すことはないんでしょう? 早く行かないと!」
話は終わった。タムタムは急ぐべきだと、すぐにリイムを振り返る。すると後ろから続きが追加された。
「あるかどうか期待はできないが、念には念を入れるなら、それでも情報収集をしてから入るものだがな……」
呆れはこちらに向けられたものだったが、背中越しの目は違う相手に言っていた。タムタムも今、ちょうど目を向けた、前にいる彼へと。
塔を見上げていたその顔が、振り向く。同時にして、タムタムも今ある思いを、気持ちを訴える。
「あの子はきっと、ただの鍵なんかじゃない……。だって、あんなにお父さんを探していたんだもの……何かあるんだわ。だから、助けにいかないと!」
目が合ったリイムは、優しい眼差しで頷いてくれた。
「うん。そうだね……村長や村の人に、一応話を聞いてみる必要はあるのかもしれない。でも、その時間があるのかどうかも、分からない。あの子は人形かもしれないけど……僕には助けを求めているように思えた。どのみちこの塔は誰かが調べないといけないし、迷いはないよ」
リイムは自分と同じ考えだった。タムタムはそれが嬉しく、そして何より頼もしかった。だがそれ以上に、一刻と過ぎていく時間が惜しいと思った。
その思いも伝わったのか、リイムが周りを見て言った。
「みんなも、いいよね?」
「分かった……」
諦めの余韻を含んでいたが、スカッシュも食い下がることはせず、短く同意した。
「――話は決まったわね」
全員の発言は待てなかった。待ったはこれ以上掛からないと踏んでのこと。
タムタムは自分自身で頷いて、最後に現れた塔をもう一度だけ振り仰ぐ。初めて入る、おそらく誰も知らないミラージュの塔。一体何があるのか。他の塔と同じなのか、違うのか――。これから起こるであろうことは、幻か現実か。
不安を上げればきりがない。しかし自分たちの目的は確かで、みんなも一緒なのだから、足を踏み出せる。
「じゃあ行きましょう!」
息を一つ飲み込んで、後は駆ける。どうなるかは入ってみないと分からないのだから、立ち止まっていても時間が無駄に過ぎるだけだ。今はとにかく、急ぐことが最優先。
「おい、タムタム……。ちょっと急ぎすぎだモー!」
「ちょい待ちー! 俺たち同意すらさせて貰えてないし……って、あああっ、タムちゃん! 先頭はマズいって危ないって!」
数秒遅れた彼らはすぐ並び、それから少し前に出た。
近づいていく、開け放たれた塔の重い扉。そこからは音も聞えてこない。ただ真っ暗闇がぽっかりと口を開けており、外からはまったく中の様子が窺えない。
「みんな、離れないように進もう! 気をつけて!」
気を引き締める、リイムの最後の一声。
速めないが、緩めない。わき目も振らず、見えない闇の奥を見据える。
間近にして、ミラクルが喚いた。
「えぇーいままよ! 何かが起こったら、そん時の話だぁ!」
何も分からない以上、備えることもできない。勇者軍の態勢は、投げやり気味なミラクルの言った通り――。だからこそ足並みを揃えて、一気に塔の内部へと突入した。
<もう無理>
これねぇ、作るんじゃなかったとめちゃくちゃ後悔してます。はっきり言えば失敗でした。
ミラージュの塔使ったら面白い話できるんじゃない?って考えたんですが、全然ダメでしたわ。
とにかく長さだけはあります……。でも面白くないです。
あまりにも時間がかかってしまって、その時間を無駄にしたくなくてどうにか終わらせたのですが、さっさと没にするべきだったなぁ。
毎回ですが、前半はまだマシなんです。後半とか特に修正するつもりなので最終的にどれくらいになるかわかりませんが、前書いた長編並みに長いかもしれません。
いつも思っていますがタムタムとヒマワリ出すととんでもなく長くなる。あと教授も出すと長くなる。
何回も見直してますが嫌々やってるので(苦笑)、変なところはたくさんあるかもしれません。最後まで上げてからこっそり前半修正したりするかもしれません。でも面倒だからしないかもしれません。分からん。
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