それは夢か幻か


<2>

 最初に気がついたのは、においだ。
 暗闇に足を踏み入れ、僅か数歩先へ進んだか。焦げた臭い。それも色々混ざっているようで、何が焼け焦げたものか分からないが、口と鼻を覆いたくなる嫌な――不快な臭気に顔を顰めたところで、目の前にその答えが現れた。
 瞬きをし、閉じた目を開いた一瞬の遮断。戸惑い驚く余裕など、その瞬間にはない。身体には何の影響もないまま、視界だけが忽然と、完全に変わっていた。
 立ち昇る大量の煙に、燃盛る炎。中心にて発生源となっているのは家屋なのか。
「――えっ……」
 光景を認識したと同時に、タムタムは足を止めた。
 身構える準備もなく飛び込んできたのは火災。熱い風が吹き付けられ、火の粉が舞う中、思わず数歩後ろに下がる。
「家が、燃えてる……!」
 どこにいるのか。無意識に見回せば、前だけではない。激しく燃え始めているものや、まだ煙しか見えないものなど様々だが、周囲に密集して並ぶ家のほとんどに火の手が上がっているようだった。
「ひょえぇーっ!? なんでなにこれ? 俺様の嫌いな火がいっぱいじゃねーか!!!」
 パニックになった声の主は側のミラクルだったが、前方から目を逸らせるはずもなかった。
「大変だわ! 火を消さなきゃ!」
 悩み、迷う状態にない。切迫する事態に突然置かれた結果、体は考えるよりも動くことを優先した。その手段、方法には考えが及ばず、タムタムは衝動的に駆られる行動を即、叫んでいた。
「どうにかしないと、みんな燃えちゃう! 早く……!」
 そこで視界の隅に現れ、声を発したのはスカッシュだった。
「無理だ。この状況はもう、手に負えない」
 燃える家屋を前にして、泰然とした佇まい。淡々と述べられた否定の意見。
「無理って――」
 冷徹な相手であることは分かっている。だがそれでも今、甚大な被害があり、なお広がっているだけに。今、まさに自分の目で見ているだけに。タムタムには彼の姿が異質に映り、不可解な言動となった。
「前にして、どうしてそんなにあっさりと言えるのよ! 放っておけるわけが――」
 かっとなって非情だと非難しようとしたが、向けられた視線の鋭さに、思わず身を竦める。
「油が撒かれている。……これはただの火災とは違う」
「……油?」
 頭に入る彼の言葉。浮かんできたのは、混ざった臭いのことだった。異臭には油も混ざっていたのか。だがそれだけのものではない。もっともっと多くの、色々な何かが含まれているはずだ。家屋に絡みつき、燃やし尽くそうとする炎からの焦げたそれには、すっぱさもあれば、甘さもあるだろう。生焼けのおぞましい臭気も。
「うっ……」
 タムタムはそこまで考えが行き着いたところで、気分が悪くなって思考を止めた。とたん、臭いに耐えられなくなる。思い浮かんだ単語をつぶやくのが精一杯。
「放火された……」
 ここは街中だろう。皆の財産が、日々の生活が、尊い命が炎に飲まれていく。そのすべてが失われる臭いが充満している。
 そして、動く人影は付近にない。動きがないから今までよく見えなかった。いや、見なかったのだ。視界の端々には、倒れている何かも点在していることに気づく。まったく動くことのなくなった重い塊が。遠目からでも、既に屍であることが分かる。
「そ……んな……」
 認識すればするほど声が震えて、体も震え始めて、まともに言葉を発することができない。
 周囲の凄惨な光景が、状況だけが飲み込めないまま次々と、無理やり入ってくる。無我夢中で動くことすらできず、行動も思考も塞がれたタムタムは、平静を失い立ちすくむだけだった。しかしそこに、再び彼の言葉が投げかけられる。
「……落ち着いて、先ほどまでの行動を振り返ってみるんだ。今置かれた状況が現実かどうか……分かるな?」
 今できることを求めて、言われるままその通りに考えを巡らせた。
 確かに忘れるほど時は経っていないし、分からなくなるほど複雑でもない。自分たちは、現れた知らない塔に先ほど入ったばかり。そしてほどなく、この現場に居合わせている。
 相手が何を言いたいかは、つぶやいていた。
「幻……」
 だがタムタムは納得できなかった。起こった事柄から、理解はできるが。
「でも……でも初めて入った塔で、これが必ず幻だって言い切れる……?」
 思ったが、入った塔に前例はないのだ。あまりにも突然なこの状況が、現実かどうか分からない。だが、必ずしも幻だとは断定できないはず。
 現時点で、もう突き詰めたと言うのか――。タムタムは返答を強い視線で要求したが、スカッシュはその前に素早く横を向いてしまった。
「な、何よ……」
 一瞬、振っておいて答えないつもりかと、まだ冷静にはなれない感情が隆起したが、再び細められていた相手の厳しい眼差しを見て、気がついた。すぐさま同じ方向を見やる。
 先は、まだあまり炎が広がっていないと思われる、街並みだった。
「面倒だな……」
 直後に彼がつぶやく。何故そう思ったのか、尋ねる前に判明した。
「――おい! 誰かいるぞ!」
 家屋の中か路地からか、人影が現れた。ひとりと思えば続いて現れ、合計六人の男たち。年齢は様々のようだが、揃いの鎧兜を身につけ、抜かれた剣を握る武装した人間が。
 見るなり、タムタムは嫌な予感がした。
「こいつら……まさか仲間なのか? 魔物までいやがるとは……。町の者には見えないな。生き残りじゃないとすれば、怪しい連中だ……。油断するなよ!」
 見ながら聞きながら、体が強張った。男たちはこちらへ向かって駆け出してくる。武器を握ったまま。
「あ……」
「な、なんかめっちゃ……感じ悪い、な……?」
 ミラクルが不安そうな声を上げた。そしてリイムが向こうを見据えたまま、無言で一歩、前に出た。
「……」
「リイム……」
 彼の剣、魔剣ガラバーニュを握る手に、力が込められているのが分かった。
 そして既に目前。彼我の距離は、元々遠くなかったこともある。見る間に近づいてきた男たちに、胸騒ぎは拭えないどころか強まるばかり。タムタムは思わず後退った。
 後ろからはモーモーの怒鳴るような声。
「後ろからもきやがったぜ! どうやら同じ連中だモー!」
 驚いて、タムタムは後方を振り向こうとした。しかしその前に、前方のひとりが剣を振り上げたので、行動に移れなかった。
「――逃がすなよ! 殺せ!」
「な……!?」
 悪い予感こそあったが――。初対面でいきなりのことに、敵意しかない言葉に、面食らった。耳を疑ったためか、目を疑ったためか、咄嗟に身体は動かない。
 だが剣を振り上げた男は止まることなく、迫る。
「やだ……」
 このままでは斬られる――。そう思ったところで、目の前を遮るように俊敏な影が飛び出した。
 低姿勢の黒い姿はスカッシュ。
 動揺している最中の、瞬時の出来事。彼は振り下ろされる剣を、左手に握られた抜かれないままの刀で払うやいなや、右手を柄頭に添えると、鞘の先端を男の鳩尾に突き入れた。
「――ぅごッ!」
 まともな悲鳴も上げられず、後ろに倒れ行く男。だがそれを完全に見届ける前に、スカッシュが叫んだ。
「走れ!」
「えっ、あ……」
 ところがいまだ、頭も身体も即座に反応できなかった。しかし戸惑っている中で、片手を引っ張られる。暖かい手、強い力で。
「タムタム、行こう!」
 一度だけ見てきたリイム。足はもたつき、思うように動き始めなかったが、彼に腕を引かれてなんとか走り出す。
「――オラぁっ! ぶつかるとめっちゃ痛いぜ! どけどけーい!」
 すぐ横を、低空飛行のミラクルが抜けていった。
「どわぁっ!」
 流れの早さについていけなかったのは、男たちもだった。仲間がひとり、あっという間に倒されたので怯んだか。そこにミラクルが勢いよく飛び込んでいったため、慌てて避けたり腰を抜かしたり、酷く驚いたようだった。
「あーばよーっと!」
 そんな男たちの間をミラクルが抜け、直後リイムに手を引かれたまま、タムタムも通過する。
 その頃には自分の足もしっかり走るようになり、何とか後ろを振り向く余裕ができた。後方ではスカッシュもこちらの後を追い、走り出している。さらに後ろには、モーモーも。
「何をやっとるかお前ら、ひとりやられたくらいで! 動けるならさっさと追わんか!」
 聞えてきた怒声は、後方から現れた男たちで、同じく六人組だった。驚いて取り乱した男たちも、一括されたことで我に返ったか、再び動き始める。
 走ることに集中できないとは分かっているが、タムタムはまだ顔を正面に戻せなかった。
「モーモー!」
 彼が最後尾で、まだ男たちの側にいる。心配になって声を掛けたが、モーモーは笑い返してきた。しかも逃げるどころか一旦止まって、こちらにくるりと背を向ける。
「仕方ねえな……。いつもは前を行くんだが、今回は俺がしんがりだモー!」
 まさか逃げる足を止めると思わなかったのか、動き始めた男たちはまた驚いている。
 対して仁王立ちになったモーモーは、目前で慌てて足を緩めたひとりの男を見たようだった。
「さてと……」
「――いっ!」
 彼の右手が動いたかと思えば、声を上げた男の剣が落ちた。一瞬にしてはたき落としたのだろう。それから相手の腕をおもむろに掴むと、簡単に捻り上げる。
「ぐあぁっ……!?」
「き、キサマぁ……!」   その頃には、後からやってきた六人が追いついてきていた。当然男たちは群れるように、モーモーへ向かっていく。
「危ない!」
 タムタムは走る最中、精一杯叫んでいた。だが同時に、モーモーは動いていた。
「捕まえても仕方ねえからなぁ……。ほらよ!」
 捻り上げた男を放し、前に押し出したかと思えば右足を上げ、たたらを踏んだその背中を、前に向かって蹴り飛ばした。
「――ヒぐうっ!?」
 モーモーの蹴りが突き刺さった男は、無防備に前へ吹っ飛んだ。その先には後続の六人がいて、中に突っ込む形で数人を押し倒し、倒れる。
「「うわぁあっ!」」
「……正直よく分かんねぇが。悪いな!」
 男たちに言って、モーモーは彼らに背を向けた。
 不敵な笑みをこちらに送り、すぐさま走り出したのを見て、タムタムは安堵した。
「良かった……」
 やっと前を向いて走ることに戻る。すると待っていたのか、今も手を引いてくれるリイムが僅かに振り向いた。
「急ごう。……とにかく今は、逃げ切らないと」
「うん……」
 先ほどよりは落ち着いている。だが不安は募る。いまだ自分は、冷静に考えられる状態にないと感じた。それが繋ぐ手から伝わったのか、リイムがつぶやいた。
「考えて話せる場所と時間が、少しでもあればいいんだけど……」
 そして彼の心配や不安も、伝わってきた気がした。リイムにも少なからず動揺があるのだ。
 タムタムは悪い考えに向かわないよう、今はただひたすら、走ることに専念しようと決めた。


 焼き討ちされる街――。走り続ける先でも、変わらない光景が続いた。火をつけたのは、襲ってきた男たちであると理解したのはすぐ。火災は広範囲で、おそらく街中、至る所で火の手が上がっている。そしてこの中にあって、不思議と悲鳴も逃げ惑う人々の姿もないのは、もういないからだとも。生き延びた者がいるとすれば、既にこの場を離れ逃げているのだろう。動くものといえば、襲ってきた男たちと同じ姿の者のみで、住人と思しき多くの者たちは、誰一人として起き上がりはしなかった。違う防具、武具を身につけ武装し、街を守っていた者もいたようだが、やはり息をしている者は見当たらず、憶測の域をでなかった。ただ襲ってきた男たちが何をしているかは、事後処理なのだろうと見当がついた。先に街は蹂躙され、最後に燃やされようとしているのだと。隠れているならあぶり出して、僅かでも生き残りがいれば、始末しようというのだと。

「……この辺りが限界か」
 以前、雨が降ったのだろうか。中途半端に燃え焦げた残骸が散乱するが、かなり開けた広場と思われる場所で、前を走り先導していたスカッシュが速度を緩めた。大小の砕けた石材で歩きにくい中、原形がわからなくなった石像が転がり、色ガラスの破片や、煤けひしゃげた金属の食器が落ちている。僅かな壁面、高い位置の大きな丸窓は破壊から逃れたが、天井がないため、聳え立つ墓標のようでもあった。
 恐らく故意に壊されたのだろう、何か象徴的な建物。その残った壁の側で完全に足を止め、振り返る前にそう微かに呟いて。
 個々の足も彼に倣った。だがいまや、会話は完全に途絶えていた。後に続いた誰もが、彼が止まるのをただずっと待っていた。不安をひたすら押さえ込みながら、周囲に細心の注意を払いながら。しかしこうして、やっと止まった直後に話しを始められる者はいなかった。
 ――重い空気、重い身体。
 タムタムは今以て変化のない相手の表情を、荒い呼吸を繰り返しながら、見上げることしかできなかった。上下するより、震えそうな肩を抑える気力もない。そして、止めてしまったからだろう。先ほどまで走っていた足が、ここで立たなくなった。
「……ぅ」
 瓦礫が散乱するその場で、がくりと膝が折れる。
「タムタム……!」
 側にいたリイムが咄嗟に支えようとしてくれたが、体は踏みとどまる力が一切働かず、助けがあってなお地面にへたりこんでしまった。
 両膝をつき、両手もついた。身体が落ちる際には一瞬気が遠くなったが、それだけは辛うじて振り払った。座り込むには邪魔な破片が、当たる痛みもあったおかげで。
「こめんなさい……」
 焦げた臭いの充満する中でも、体は何より空気を欲し、喘ぐ。耳障りなほど荒い呼吸に自覚せざるを得なく、情けなく、悔しかった。
「お荷物で……」
 今に限ったことではなく、前から分かってはいた。必死に走ったところで、自分の足では皆に追いつけない。だから共に逃げるとなれば、周囲が自分に合わせることになる。性別や体格、種族も異なる中で、足の速さだけではなく体力も大きく違っていた。リイムたちと比べると、自分ひとりだけが酷く消耗しているのは明らか。さらに言えば、足を引っ張っているのはそれだけではない。
 激しい動悸には肉体的な限界のみならず、内面の疲れも関わっていた。意識して我慢しないと、泣いてしまいそうだった。
 塔に入る前は、動揺しても自ら立ち直ることができた。あの時はまだ気丈だった。しかし今の様は。
「私だって、前よりずっと強くなったと思ったのに……」
 僅かな声でも判るほど震えてしまう。
 どれだけの燃える家を見て、新たに遭遇する男たちから逃げ、動かない人々の横を走り抜けたか。目にしてなお、走り続けたか。リイムに手を引かれていたから、ここまで止まらず来れたのだろう。だから止まってからが辛かった。後に残した感情の大波が追いついてくる。周囲の凄惨な光景と、ひたすら逃走するという状況は精神的な負担が大きく、地面に座り込んでからは涙を堪えるだけで精一杯。
「……タムタムが謝ることはないよ。この状況は、誰のせいでもないんだから」
 付き添うように横で片ひざをつき、優しくリイムが言ってくれたが、沈んだ気持ちが楽になることはない。ずっと最後尾を走っていたモーモーも、立ち止まったところで慰めてくれるが、顔を上げることはできなかった。
「逃げ続けるってのはな、戦うよりずっと大変だモー。大体、何が起こってどうしてこうなってんのか……。俺もさすがに参るぜ……」
「――ぁあっ! なんなんだ、なんなんだよぉ! なんでこうなっちまったんだよぉ」
 しおれ、枯れたような花びらをかさかさと揺らし、怒り嘆く様子のミラクルも、戸惑いと疲れが大きいことが分かる。
「そりゃ滅入るわ! 俺だってヤダ! こんなのがずっと続いたら枯れちまうって……。それにタムちゃんがお荷物っていうんなら……お花の俺は一体どうなるんだよっ!」
 皆、自分を気遣ってくれていた。それが痛いほど分かるから、ひとり甘えてはいられないとタムタムはとにかく立ち上がろうとしたが、スカッシュが制してきた。
「いいから、そのままで休め」
「だって……いつ見つかるか分からないでしょう? どこに何があって、どんな道になっているか……。ここは全く知らないところだし、すぐ動ける状態でいないと……。私が座っていたら、いざという時、遅れちゃうわ……」
「その時は俺たちがフォローする」
「……これ以上、迷惑を掛けたくないのよ」
「そう思うなら、それこそ座っていることだ」
「でも……っ」
周りはよくても、自分自身が納得できない――。その気持ちを訴えようとしたが、視線が合致するなり、スカッシュは小さな溜息をついた。
「今、周囲の気遣いを無視して強がった挙句、後で倒れるようなことでもあれば……お前はその時、どんな顔をして何を言うつもりだ?」
「そ、それは……」
 相手の細められた視線から逃れられない。言い返せる言葉など、ない。
「……それが重要な局面で、足を引っ張ることにでもなればどうする? お前は認められるのか、自分自身で」
「……」
 ぐうの音もでない。再び体が震えて、たまらず俯いた。
 自分があまりにも惨めに思え、感情が堰を切って溢れ出ようとする寸前。リイムの声は優しかった。
「タムタム……今はスカッシュの言う通りだよ。僕たちはひとりで行動しているわけじゃない。それは迷惑をかけるためじゃなくて、協力しあうためだよね。ひとりひとりは、長所も短所も持ち合わせている。体力や足の速さの違いなんて、みんなよく分かってる。でもそれをみんなで補っている。僕たちは、仲間なんだよ。みんなの力も、タムタムの力も必要なんだ。……僕はリーダーとして、誰かが途中で欠けることは認めないし、許さない」
 そして、とても力強かった。タムタムは驚いて見返したほど、彼には強い意志がにじみ出ていた。
「……これは幻なのかもしれないけど、終わって塔を出るまでは判断を下せない。苦しいけど、幻だと考えないほうがいいと思う」
 しかし視線が合ったリイムは、厳しい表情を緩め、少し苦笑を含ませながら微笑んだ。
「みんなが君を、過保護に扱おうとしているわけじゃないからね。今休むことは、甘えとは違うよ。それが必要だって、仲間だからこそ思ったんだから」
「う、ん……本当に……ごめんなさい。わがままだったわ……。こんな時に、みんなを困らせてばかりね……」
 今度は素直に謝ることができた。意地を張らず、休めるうちに休もうと思った。力が抜けてしまい、どのみちしばらく、立ち上がれそうになかったが。
 スカッシュが再び、溜息をついた。
「戦うことは容易いが……今後もあえて逃げ続けるつもりなら、休まないと体が持たない。……それに話す機会は、今をおいてないかもしれない」
 彼はそれから、リイムを見やった。
「スカッシュ、追っ手は……」
 リイムはこの機会を待っていたのだろう。聞くなり立ち上がって、尋ねる。
「無論、街に居続ける限り振り切ることは不可能だ。仲間が街中に散っているようだな。時間の問題でいずれは見つかるが……幸いこの街はかなり広い。向こうが人数を揃えてこない限りは、建物に隠れるなり、当面相手をしなくてもやり過ごせるはずだ。……各所で火の手が上がっている中、ここに長居するのは避けたいところだが」
「そう、だね……」
 確認するように軽く頷いたリイムだったが、考え始めたのか、少し俯き気味のままで止まった。
 そこで話しかけるスカッシュには、気に掛けていたことがあったようだった。
「リイム、落ち着いたか?」
「……うん、ごめん。だいぶ、冷静に考えられるようになったと思う」
 虚心に彼は肯定した。行動からは、とりわけ混乱している様子は見られなかったが、やはり内心には少なくない動揺があったようだった。手を引かれて逃げる際、触れて感じた通り。
「駄目だな……。さっきはえらそうにタムタムに言っちゃったけど、リーダーの僕が動揺したら、それこそみんなを危険な目に遭わせてしまうよね……。どんなことがあっても、しっかりするべきなのに、情けないよ」
 彼の先ほどの強い発言はそのためか。
 勇者軍を率いる立場として、責任があると言いたいのだろう。リイムはまだまだ自分は未熟だと、憤っているようだった。自分を振り返り、皆の前で戒めなければならないほど彼は真剣で、起きている事態が深刻であると考えている。
 しかし聞いたスカッシュに、リイムを責める気配はなかった。それどころか、話を突然変えたように思えた。
「……先ほど、これが幻かもしれないとタムタムに言っていたな。お前は何を根拠にそう思った?」
 問いかけに、リイムは一拍ほどの間をおいて、スカッシュから顔を逸らした。
「塔に気づいたから、かな……」
 一つのその単語に気づいて、タムタムは周囲を見回した。
「塔……。えっ、塔って?」
 リイムがスカッシュから顔を逸らしたと思ったのは、間違いだった。彼は自分が言った塔を見たのだ。
「あれは……」
 逃げることに必死だった。迫りくる男たちに、火の手に。立ち上る煙で視界が広く遮られる中、いたるところで、息をしない人々を見つけてばかりいた。
 言われるまでタムタムは気づかなかった。遠くに見える高い建造物。数は四。
「……ミラージュの塔だよ」
 塔を注視しながら、言葉を引き継ぐようにリイムが言った。
「少し離れてはいるけど……でも、判断できる距離だね」
 そこで慌てふためいた声を上げたのはミラクル。
「へえっ!? マジかよ……! 俺、気づかなかったぞ! ミラージュの塔に入ったのにミラージュの塔が見えてるって……どういうこった?」
 スカッシュが見たのはリイムだった。ミラクルは視界にも入っていない。
「だから幻だと思ったのか」
「うん……。ワープパネルみたいに、飛ばされたわけじゃなさそうだなって」
古代の遺跡や塔などの仕掛けには、触れた者を一瞬にして別の場所に連れて行ってしまうものもある。可能性としてそれも考えたようだが、彼の首は横に力なく振られた。
 話すリイムからは、憂いが感じられる。自分の判断に確信までは持てない様子で、言い切れないわずかであろう不安が、彼の表情を大きく曇らせていた。
「だってここは、ライナークじゃ、ないよね……」
 その現われが小さな声となって、視線を下げる。そして、誰かに確かめるような響きでもあった。
「僕たちの国じゃ……ない」
 疲れのためだろうか。タムタムは二人の会話をうまく整理できなかったが、その否定で見えてきた。
 咄嗟に声を上げるのが早かったのは、モーモーのほう。
「そうか……。塔には途中から気づいてたが、ここがライナークだなんて、思いもしなかったモー……」
 素早く口をつっこむミラクル。
「はっ、ライナークなわけねー! 結構広いみてーだし、街並違いすぎるぜ。まったく知らんぞ、こんなとこ。……つか俺はっ! 何気にモーモーが先に塔に気づいてたってことがびっくり仰天だっ! ありえねえ……」
 普段なら絡まれて嫌そうな顔をするモーモーも、さすがに相手はしなかった。
 タムタムも頭に浮かんだことが気になって、雑音はほとんど耳に入らなかった。顔も上げる気になれず、黒ずんだ瓦礫を眺めながら。
「でも……塔が見えるって……距離からすれば、ライナーク内になるわよね……」
 返答がないのは、答えられないためか、答えたくないためか。
 誰も口を開きたがらない中で、スカッシュだけがリイムを見続けたまま、つぶやき始めた。
「それがお前の動揺か。ここがライナークかもしれないという懸念。絶対に違うと否定できなかった不安……」
 リイムは視線を感じているのだろうが、下げた自らのそれを上げることはなく、話す彼のほうを向かなかった。
「そして、明らかに人間同士の戦争状態にある、この状況か……」
 いかに声が小さかろうと、誰も話さない中ではよく聞こた。沈黙はさらに重くなり、身じろぎする者も現れず。その声だけが続く。
「魔物の件を除けば、周辺国家の関係は良好にあり、ライナークは内戦も起きていない。他国と比べれば、遥かに平和と言えるだろう。あまり縁がないのは知れる。お前たちが慣れない出来事に戸惑い、動揺するのも仕方がない。……もっとも、理屈だけではないがな」
「……」
 スカッシュの視線が移ったことには気づいたが。タムタムはますます、顔を上げられなくなっていた。収まっていた震えが再び起こりそうになって、自分の腕で自分の体を抱きすくめる。
 分かっていはいたのだ。だが考え、理解することからも逃げていたと言える。しかし、耳で聞いてしまったことにより、考えざるを得なくなってしまった。
「これが幻なの……? だったら、どうしてこんなものが現れるの……。草原だったり、森の中だったり、洞窟、お城……色々見たわ。でも、いつも立ち塞がるのは魔物だった……」
 見たところ、盗賊などの物取りではなかった。そして人間同士、同族でありながら、統一された武装の男たちは躊躇いもなく殺そうと襲い掛かってきた。周囲は焼き討ちにあう街で、既に冷たく、息のない人々の姿ばかり。その中には街を守るために戦い、倒れたと思われる者たちも多かった。攻撃してきた集団とはまた異なる、同一の装備で身を固めた姿の。
 思いつかないはずがなかった。
「そうだね……いつも幻には魔物が現れて襲ってきた。でもここには、僕たち以外にその姿がない。倒れている中にも……」
 そしてそれは、リイムもショックだったのだ。勇者軍は魔物との戦いこそ何度も経験したが、人間同士の大規模な争いに関わったことはない。スカッシュの言った通り、必要に迫られることがなかったためである。自分たちの知るライナーク王国にとっての脅威は、魔物であり、同じ人間ではなかった。たとえ人が関わろうと、その裏にはやはり魔物がいたのだ。人間は騙され狂わされた被害者で、真の敵は魔物だった。人間だけがいがみ合う戦いではなかった。
「だとしたら、敵は人……人間なのか……。でも、倒れた人々や焼かれている街は一体なんなのか……。それに、ミラージュの塔が見えるここは……」
 相当自制しているようだが、やるせない声が聞こえる。リイムは納得できず、状況を受け入れたくないのが分かる。それはみんなも同じだ。
 だが容赦なく、目の前にある。自分ひとりではなく、仲間全員の前にその光景が広がっている。とても夢、幻とは思えないような現実さをもって。
「確かにこの幻は、お前たちの恐れるものなのかもしれないな……」
 囁くように小さなスカッシュの声だった。
 塔の幻は、恐れるものが現れる――。ミラージュの塔へ挑む者に、必ず掛けられる忠告。幻が敵意を持って襲ってくることを伝える言葉。
 誰も否定できるわけがなかった。モーモーは歯をかみ締めているし、ミラクルは半月のような大きな口をへの字型に変えている。
「……」
 タムタムはまた、深く俯いた。認めてしまえば楽になれるなら、どんなにいいだろう。それこそ気持ちの整理は理屈ではなく、やるせなさに胸が張り裂けそうで。
 ひとり、彼の示唆に鋭く反応したのはリイムだった。
「君も、これは幻だと思っているよね。……君の根拠はなんなんだい」
 するとスカッシュの左手が、素早く動く。
 一瞬の、僅かな仕草のこと。何があったかといえば、かなり小さなものが投げられたらしかった。リイムが咄嗟に視線で追い、慌てて出した手の中にそれが消える。
「この二つは……徽章?」
「見覚えは……ないだろうな」
「うん……。全く覚えがない紋様だよ、僕の知らない国のものだと思う。どちらも盾の形みたいで、よく似ているけど……微妙に異なっているね。何を示したものかも分からないけど、やっぱり階級や所属なのかな……」
 受け取ったものを確認し、投げてきた相手に確認し、再度手の中に視線を移したリイム。
「つけているとすれば軍人だけど……。……じゃあ、この二つは武装していた?」
 つぶやきながら、彼はすぐ何かに気づいて顔を上げた。
「そうだ。襲ってきた男からひとつ、倒れていた男からひとつ。どちらも兵士だろう。……お前が全く見覚えないとあれば、関係ないはずだ」
 後で付け加えたようなスカッシュの言葉に、タムタムも相手を見た。
「ここは、ライナークじゃない……それでいいのね?」
 静かに頷きが返った。
「ライナークとするには、あまりにも異なっている。街の構造や規模も違えば、どこでも見かけるはずの魔物もまったく見当たらない。そして、兵士の身柄もライナークを示していない。……今わかる範囲で、この街とライナークとの共通点は、ミラージュの塔が見える位置しかない」
 そこに頭を突っ込んで割って入ってきたのは、ミラクル。
「――じゃあナニかアレか! たまたま偶然塔が見えるってだけの、悪趣味で生々しい幻か!? それでいいんだな、いいんだろ? あー、いいにしろ!」
 尋ねるのは癪に障るが、はっきりさせないと気分が晴れないといった態度に、スカッシュは眉一つ動かさなかった。
「……幻の景色の中で、塔だけが実在するものの像というのは、少し引っかかる」
「はぁん?」
 声を上げたのはミラクルだけだったが、視線は全てスカッシュへ集まった。
「こうなった状況を踏まえて考えるならば、この幻はもしかすると……」
 だが、その先の肝心な内容は聞けなかった。どこかから悲鳴が聞こえ、彼の言葉が途切れたために。
「――やめてーーー!」
 明らかな悲鳴だった。女性の張り裂けるような。ただ、すぐ側ではなく、いくつかの建物を挟み、少し距離がある――。
「どこから!?」
 タムタムは聞えた方向を探し、咄嗟に立ち上がっていた。思ったよりも軽く体が持ち上がったもので、足は既に前へ踏み出している。
 声からして、一刻をあらそう予感だったのだ。それは皆同じか、全員が迷いも無く一斉に駆け出していた。
「向こうだモー!」
 種族による野生の勘とも呼べる反応と、強靭な脚力の速さで、今度はモーモーが一番に出る。
 聞こえた方向から判断しているのだろう。路地に入って角を何度か曲がり、通りを突っ切って、タムタムは後を追う。全く知らない街、激しく流転する視界の中、がむしゃらに走り抜けた。
 そしてモーモーの足が僅かに止まったのは、また別の通りに入った直後のこと。
「くそ、またあいつらだ!」
 叫ぶなり、再び彼が全力で駆け出した理由は、同じものを見て分かった。
 女性がうつ伏せに倒れ、血を流しており、その後ろには六人組の武装した男たち。今まさに、付近では一番大きな家屋へ油らしきものを振り撒き、火を放とうとしている。
「やめろォー!」
 怒鳴りながら、モーモーが突進していく。男たちは突然の大声に驚いたのか、手を一旦止めてこちらを見た。そこへ全速力の彼が突っ込んでいく。
 あっという間の出来事だった。体当たりで三人を一気になぎ倒したかと思えば、一人の頭を掴んで別の男の顔面にぶつけ、さらに二人を瞬く間に叩き伏せた。
「ひ……ヒィイイッ!?」
 仲間が吹っ飛び倒される中、突っ立って見ていることしかできなかった男の一人が、数歩後退る。
「ななっ、なんで……なんでこんなところに魔物がぁ!? なんで……!?」
「お前たち! ……なんて酷いことするんだモー!」
 右拳を前に突き出したモーモーの背中からは、怒りが滲み出ていた。それを前にした男はさらに後退ろうとしたようだが、足がもつれたか派手に尻餅をつく。
「わっ、わ……わひ……。な、なんだ、何なんだよぅ、お前ら……」
 男は恐怖と驚きでパニックに陥っているが、そんな存在はどうでもよかった。
 モーモーの側にようやくたどり着いたところで、タムタムは即座に倒れている女性の上半身を抱きかかえ、仰向けにした。
「……しっかり!」
 持った体は温かく、生きていると思った。だが、遠目にも明らかに出血が確認された程の傷は、肩から斜め下に斬りつけられた広いもので、上半身を赤く染め上げてなお、流れ続けている。
「くっ……」
 思わず顔を逸らしかけたが、それ以上は確認もせず、タムタムはすぐ回復魔法へ入った。
「ううっ、このぉ……っ。いきなりよくも……!」
 その頃にはモーモーにやられた男たちが、呻きながら動き出していた。だが依然として拳を向けたまま立ち塞がる姿の彼に加え、今は帯剣に手をかけるリイムやスカッシュの姿もあるためか、睨み付ける中にも焦りや恐れが感じられる。
「できるなら戦いたくない……。でも、僕たちは退かない……ここは」
 そして気圧されて、耐えられなくなったのだろう。ひとり難を免れた男が、後ろに下がりつつ言った。
「なぁっ……に、逃げよう!? どう見たって、俺たちだけじゃ無理だよっ! なんか魔物も仲間みたいだし、こいつらやばい感じだ……やだよ、俺!」
 もはや逃げることで頭がいっぱいだったのか、叫んで早くも背中を見せる。
「ちっ、あいつめ勝手に……重罪だぞ」
 別の男は忌々しそうに逃げる仲間を見やったが、戦えないと自らも思っていたか、すぐ後退った。
「くそっ、ここは退くぞ!」
 声に、残る男たちもめいめい走り出す。慌てた様子で、一心不乱に。
 そうなってから、モーモーより前に飛び出すミラクル。
「懲りろよーー! 絶対戻ってくんなよ! いいかーー後悔するぞー! 泣くだけじゃすまんぞーー本当になぁーーー!」
 飛び跳ねながら威嚇する。その声に振り返って確認した者はいなかったが。
 それから、背を向けた男たちが完全に視界から消え去るまでの間、三人は誰も構えを解かなかったが、ずっと気にしていたのだろう、見届けるなりリイムが振り向き、駆けてきた。
「タムタム、どうだい……」
 側に屈み込みながら、ようやく女性の斬られた部位をはっきり目にして、顔を険しくする。
「この怪我は……」
 彼も戦い続けている身だ。出血や斬られた痕から、怪我の程度くらい分かるだろう。
 タムタムは今なお、回復魔法をかけ続けていた。傷自体はなんとか塞がったはずだが、女性の顔は蒼白のままで生命力が戻る手ごたえもない。それでも繰り返しながら。
「出血が……」
 答えようとしたが、好転を伝えられる言葉を見つけられず、声が震えた。
 あえて言う必要もないような、誰でも判断できる状況しか口にできない嘆き。
「酷く、て……」
 体から流れ、失った血液は魔法でも戻せなかった。深い傷であれば回復魔法は当然、一刻も早くかけるほうがよい。しかし何でも癒せるわけではなく、立ち直るかどうかは、当人の体力や精神力に因る場合もある。
「……」
 リイムは聞いても、何も言わなかった。そのままの姿勢で、女性を見ながら待っていた。モーモーやスカッシュ、おしゃべりなミラクルさえも無言で、ただ見守っている。長い長い沈黙が続く。
「お願い……」
 できることは何もないから。これ以上できることは何もないから願った。無力なのだ、魔法をかける以外は。
 だからタムタムは、その魔法だけは止めなかった。
「ぅうっ……」
「……!」
 やがて女性の口から、苦しそうな呻き。痙攣したように、右手が僅かに跳ねる。タムタムはその手をすかさず取り、両手で握って、祈りながら魔法を継続した。
「がんばって下さい、どうかがんばって……」
 ところが、そこで周囲の沈黙は終わる。僅かに変わった空気。スカッシュが唐突に、前後を見やったためだった。理由もない仕草をする相手ではないから、リイムも立ち上がり、すぐに反応した。
「どうしたんだい」
「……挟撃だな。人数を増やして、前後から来たようだ」
 何が来たかすぐ分かったのだろう。聞くなり、怒りと花びらを振りまいたのはミラクル。
「なにぃ……? 俺があれだけ戻ってくるなよって、威嚇したってのに……連中!」
「また挟み撃ちになるのかモー。しかしもう、さっきみたいに威勢を殺いで追っ払うって訳にはいかねぇな。こっちがここを離れるか……」
「――ダメっ!」
 タムタムはそこで咄嗟に叫んでいた。
「モー?」
 モーモーが驚いて振り返る。まだ提案とまではいかず、彼はつぶやいただけだったのだから。
 魔法に集中しているため、会話こそ耳に入ってくるが、深く考えることは好ましくない。もし集中できなくなれば、魔法は簡単に途切れてしまうもの。それどころか暴走もありえ、最悪の事態にすらなりかねない。今、魔法を止める訳にはいかないため、短い一言で強い拒絶となってしまった。
「駄目……!」
「タムタム……」
 どうしたのかと見てくるリイムに、タムタムは言った。今度は懇願だった。
「ダメなの……」
 声が震えた。集団で行動している中、自分勝手な頼みであると分かっているが、それでも口にするしかない。
 一瞬だけ、リイムの目を見た。
「動けないの……。今動いたら魔法が……」
「……うん、分かったよ」
 すると猶予がないこともあったか、リイムは長く考え込まず、承諾の意味で微かにだけ笑って、頷いてくれた。
「魔法が終わるまでここは動かないから、そのまま続けて。大丈夫、心配いらないよ」
「……ありがとう」
 優しい言葉に、タムタムはただ感謝を口にした。彼に任せることに不安はない。これでずっと集中できると思った。
 周囲から反対の声も上がらなかった。スカッシュとモーモーの眼差しのみを感じる。唯一ミラクルだけが、うろたえた様子になったが。
「えっえっ……じゃあさ、どうすんの? 連中、仲間連れてくんだろ」
 前を見て後ろを見て、左右に揺れる。
「大丈夫って、本当にそうなのかよ〜……多勢に無勢って言葉は間違ってもいないぜ……?」
 戦いは避けられないとの身構えか、モーモーが肩を回す。男たちが一旦逃走した方向を向いたまま。
「なんだ、珍しく弱気じゃねえか。そう思うなら、お前も手伝えモー」
 とたん、真っ赤。
「――はっ、この俺様がぁ!? 弱気じゃねーよ! 心配してるって言えよ、懸念だよ、け・ね・ん! いやそれより簡単に言ってくれたがな、俺は戦うためについてきたんじゃねーぞ!? 大事だかんな、それ! 俺は幸せ振りまきたいためであって、そういう要員じゃないし! すっごく期待してもらって悪いが!」
 必死に言い訳を喚くのがうるさかったためか、やはり相手を見ることはしないものの、スカッシュが溜息をついて言葉を加えた。
「……タムタムを守れと言うなら、お前も文句はないだろう」
「――よおぉぉし、任せろッ!」
 即、だった。あまりにも分かりやすい。状況だけに呆れる余裕すらないが。
「タムちゃんの為ならオッケーだよ当然だろ! たとえ火の中水の中、雨にも負けず風にも負けず、現実でも幻でも俺が守りきってみせるッ!」
 回転したりジャンプしたり、それから一瞬、顔を向けてきたようだが。
「……みせる! マジみせるから、俺! ……大丈夫! 心配なしなし!」
 ちらりちらりと何度か。妙に強調してくるのは耳障りなほどだったが、タムタムは魔法に集中していることもあり、仕草も何も返さなかった。
「……っ」
 サンフラワーが溺れることがあれば、そんな青く苦しそうな顔をするだろうか。ミラクルはそれでも必死な様子だったが、スカッシュの立てた鯉口を切る音に慌てて振り返った。
「うぐぐっ……。で、連中どれだけくんだよ!? タムちゃん守るってことは、俺は必要なときだけ動きゃいーんだな! ってか、それしかやんねーしー!」
 八つ当たり気味だが、そんなものが通用する相手でもない。スカッシュは刀を抜いて、ひとり言でもつぶやくように、振り返りもせず答えた。
「六人一組で行動しているようだが、それが前後で二組、合計十二人だ。間違いなく勝てる相手だが……」
「あの逃げ出しようで、こんなにすぐ戻ってくるにしては……ちょっと数が少ないかな」
 必ず戦いになるとの予感だろう。リイムも帯剣のガラバーニュを早々と抜いた。
「ああ。何か勝算でもなければ、考えにくい」
 二人の会話に、花びらを震わせるミラクル。
「あああ〜二人して脅すようなこと言うなよな! ますます嫌な感じがしてきたじゃねーか。ったく……リイム、一体全体どうするつもりだよ!」
 名前を呼ばれたためか、リイムが少しだけ振り向いた。注意としては前方のようだが。
「どうするって……タムタムと女の人は動けないから、僕たちが側を離れるわけにはいかない」
「じゃあ、連中が攻めてこようが何しようが、待ってるだけなのかぁ……」
 選択肢がないことに、ミラクルは不安を感じたようだが、スカッシュの短い一言がそれ以上考える時間を与えなかった。
「来るぞ」
 直後、路地に潜んでこちらの様子を窺っていたのか、男たちが素早く一斉に現れた。スカッシュが言ったとおり、挟み込む形で前方と、続いて後方から。
 そして男たちが新たに持ち出してきた武器が目に入り、真っ先に悲鳴を上げたのはミラクルだった。
「げっ! あれ弓じゃねーか……。前……くっそ、なんだ後ろの連中もかよ!」
 余裕が感じられないのは、置かれた状況のためなのだろう。揺れているのは普段の行為であるが、今は動作が硬く不安定で、動揺によるものだ。
「な、なになに……尻尾巻いて逃げておきながら、わざわざ戻ってきて……そんなもんで遠くから狙ったら、俺たち倒せると思ってるわけっ!?」
 饒舌なのも。
「バーカバーカ! 浅はかだっつーの! いいか! いくら俺たちが動けないからって、矢の一本や二本、痛くもかゆくもないぜ! おお、そうだっ、当たらなきゃな! 当たるかよ!」
 大きな声で強がりを言う相手とは対照的に、スカッシュの声は鋭い囁きで、小さかった。
「違う。狙っているのは……」
「ああそうか、ちがぁ……えっ、はぁ? な、なんだって……おい、そりゃなんだ!」
 冷静ではなかったためか、途中まで相槌を打つように頷いて揺れたミラクルだったが、気づいた時は慌てぶりが酷かった。
「あいつらが何で戻ってきたか、分かるってのかよ!」
「もともと何の目的でこの街中にいて、はじめに何をしていたか目にしてきただろう。周りをよく見ろ」
 ミラクルより先に声を上げたのは、リイム。苦く、押し殺すような。
「……油か」
 男たちは辺りに油を撒いていた。燃えていた街並には、油の臭気も混じっていた。浮かんだ答えを疑えるはずがない。
 さすがのモーモーも、心底はき捨てるような口調だった。
「俺たちと戦うために戻ってきたわけじゃない。……そういうことかモー」
「……じゃあ火をつけるのが目的で、あわよくば俺たちを射抜こうとか火に巻こうって魂胆か!? くっそー、その他大勢みたいな連中なのになんか小癪だぞ!」
 ミラクルが騒いでいる間にも、男たちは矢を番え、何かの小さな道具を使ってのことか、予測どおり火をつけはじめた。すぐに射ってこないのは、前後でいっせいに放つタイミングを計っているためか――。
「こいつはさすがに、出ないわけにはいかねえな。よし、ここは任せたモー!」
 そして最速は、リイムたちと背を向けている格好のモーモーだった。誰かが反応する前に飛び出していく。
 タムタムは視線だけでも追おうとしたが、彼は横を一瞬にして通り抜けてしまった。その後、リイムが肩越しに振り返っていた。
「……モーモー!」
「あっ、おい! ……いいのかいいの?」
 モーモーが向かった先は、後方から現れた男たち。こと戦いとなると本能的なものか、彼の判断は早いものがある。考えなしの突撃と思える時もあるのだが、モーモーが切り込むことによって、迷いを断ち切る切欠ができることもある。
「――リイム」
 ミラクルがおろおろと、視線をリイムとモーモー間で往復させた中、次に動きを見せたのはスカッシュだった。
 始まってしまった以上、動かなければならない――。状況は今、彼にとって望むところなのだろう。
「こちらは俺が行こう。……お前はそこのサンフラワーと、タムタムについていてやれ。到達まで遅れが出る以上、届く矢も増えるだろう。落としきれない分は頼む」
 そう告げると、彼もまた返答は待たず、モーモーが向かった先とは反対の方向、別の一組のほうへ駆け出した。
 急な場の流れに、あちこちを見やるミラクルの混乱は、拍車がかかってくる。
「あー、あいつまで!? しゃーねえなあ、リイム! ……どっ、どういうことなんっ?」
 弓を構えた相手である。その場で守っているだけでは、矢が尽きるまで放ってくるだろう。一本や二本では済まないのだ。守るだけではあまりにも危険すぎる。だから二人は止めるために向かっていった。
 パニックのミラクルに、リイムは余計なことを言わなかった。
「僕は前からの矢を防ぐ。だから君は後ろからの矢を防いで欲しい。守らなければならない二人に、撒かれた油に、届かないようにね」
「りょっ、りょーかぃ……!」
 何度も頷き、慌てながら動くミラクル。
 そうして前にはリイムが、後ろにはミラクルが背を向けて立つ形。だがタムタムは、彼らがどんな形で自分を守ろうと、一切の不安を感じてはいなかった。
 既に戦いのただ中。もう何度も身を置いてきた奔流の中。心構えはできている。
「よっしゃこー――どひゃーぃ!?」
 ミラクルは気合を入れようとした矢先だったのか。微かな風切り音が聞えるや否や、硬い衝撃の音が耳朶を打つ。
 早くも矢が飛んできて、それが突然生えた竹に突き刺さった音だった。
「あっ、あぶね……。成長の早い竹じゃなかったら防ぐの間に合わなかったぜ……やっぱり俺様天才だな……」
 ミラクルが植物を操る能力を使い、間一髪防いだようだが、タムタムは反射的にびくつくこともなく、気にしなかった。
 胸の鼓動を聞く。心は落ち着いている。
「……」
 後は黙って目を閉じた。
 仲間を信じることが彼らに対する最善の行動で、自分の力を尽くすことができる役割。それが何より、我侭を聞き届けてくれた彼らに応じ報いることだ。だから終わるまで迷わないよう、まず視界を遮断した。戦うわけではないから、聴覚も必要ない。嗅覚も味覚も。五感は今、女性に触れる手の感覚さえあればいい。鋭く深く研ぎ澄まして、その一点だけに意識を集中させる。命を感じ取る。冷気のように感じる生気を失いつつある体に、回復魔法による生命の熱を絶え間なく流し込む。繋ぎ止めるため、ただ一心に願った。

 そして――。ふと意識が揺れた時、時間が過ぎ去った感覚はなかった。だからどれだけ続けたのかは、分からない。矢が飛来し、リイムが剣を振るい、ミラクルが怒声を上げたであろう諸々の音は、はっきりとした覚えがないが、今聞こえないのは確か。突撃したモーモーの雄叫びや、男たちの悲鳴も。あるはずであろう音が、耳には一切入ってこない。そのため酷く静かに思った。緊迫した渦中に身を置いていたが、その空気を肌に感じることはない。ただ少し、地べたに座っているためか肌寒い気持ち。同じ景色でも、どこか違う場所に来てしまったかのよう。遠いところでは何かの騒音があるのだが、ここだけは閑寂に沈む。
「……ぁ……ぁ、ぅ……」
 口から漏れようとしていた。魔力は空っぽになってしまったのに、それを埋めるように激しく湧き上がってくるもの。自分の胸中に、張り裂けんばかりに。ただただ必死に、それを防ぎ押し止めている。
 先ほどまで、自分の体は燃えるようだった。続ければ続けるほど、熱く高じた。なのに反して冷たくなっていく、握った手。自分の上がった熱が完全に戻ってなお、その感覚は変わらない。この今も失われていく。
「ぅ、ううっ……。ぐ……」
 タムタムはとにかく、口をあけないように歯を痛いほどかみ締めた。拍子に出てしまえば、我慢できる自信はなかった。きっと全て流しきるまで、ひとり声を上げてしまう。皆の中で。相手の前で。
 リイムたちの戦いは、はや終わっていた。だから静かになった。周りにはいくつかの矢が落ちていて、リイムが傍らに立っている。ミラクルも揺れることなく立っている。いつしか戻ってきた二人、モーモーとスカッシュも、少し離れた位置で佇んでいる。ただし、誰も何も言わないのだ、一言も。どんな声も上げなかった。全員の戦いが終わっていたから。だから静かにこちらを見ている、目を逸らさずに。
 タムタムも見ていた。消え行く命の女性を。どうすることもできないまま。
「ごめんな……さい……」
 前ではまだ泣けないと思った。それだけが感情を辛うじて押しとどめていた。だが苦しくてもう限界で、自身以外に謝りたかった。
 聞いていたのか、それとも思いが届いたのか。女性の口が僅かに動いた。
「どなたか……分かりませんが……。子供が……娘……そこの家、いるん、です……。特別な薬……必要で……逃げること……できなくて……。ていぐう……用意されているはず……です。どう、か……どうか……お願、い……」
 繋がれた手の感覚を頼りに話したのだろうか。もはやその閉じかけた眼差しは、見えているのか定かではなかった。意識が戻ったのではなく、うわ言だったのかもしれない。
 それでも頷いた。口を開くことができず、言葉を発することができず、タムタムがもう一度強く手を握り返すと、女性は目を閉じて微笑んだように見えた。
「……ありが、とう。暖かい……とても……楽になりま…………」
 女性の声が、そこで途切れた。
「あ……ぁあっ……!」
 その今しがたの表情も変わらず、手にはまだ、僅かな温もりが残っている。だが、微かにあったはずの息遣いと脈動は完全に消えている。
 それに気づいた瞬間、辛うじて塞き止めていた涙がどっと溢れ出てきてしまった。
「ううっ……ああああっ……!」
 塔に入ってから何度か涙を堪えてきたものの、もう無理だった。握り続けたその手を抱え込むようにして、タムタムは泣いた。考えは何もなく感情のまま、目の前で起こった死に、触れた死に、ただ涙した。
「……タムタム」
 前に来て、膝をついたリイムの声は物静かだった。彼自身も悲しみに満ちているだろうに、沈んでいるだろうに、気遣ってくれている。向けられた視線は愁いに曇っていて、それでもきっと優しいまま。だがタムタムはどうしても涙を押しとどめることができず、顔を上げることができなかった。
「うっ……うっ……」
 そして気づけば、また別の気配が側に立っていた。足音もなく、近づいてきたことも感じられなかったが、見下ろす視線だけははっきりとしていた。深い海の底を思わせる、時に冷気を宿すかのような印象の瞳にある、やや鋭い眼差しは変化がない。
「立て」
 明確な意思の伝え方に、タムタムはまるで胸を突き飛ばされたような気がした。そのショックにより、漏らしていた声が引っ込む。
「……早いほうがいい。今際のきわで頼まれた願いを、聞き届けるつもりならば。現状、最悪の事態は進むばかりで、待ってはくれない」
「……」
 普段と変わりなく淡々と言ってきたスカッシュに、言葉はおろか、返せる思いもなかったが、沈黙の間はあかなかった。
 髪いれずに怒声がとぶ。
「だぁーっ! 悲しんでる暇はないってか……このスカ! もうちょっと優しい物言いができねえのか、おいコラっ」
「……」
「ほおぉ〜、そうやって無視か! 無視すりゃいいと思ってんな! だんまりで逃げんなよ! なんか言え!」
 ミラクルが顔を赤くし、激しく揺らしている。この精霊も、気持ちをぶつける先がないのだろう。
 返答が少し遅れたのは、スカッシュが聞こえない溜息をついたためか。
「それでお互い気持ちの整理がつくなら、お前が言って聞かせるんだな……」
「あぁ〜〜っ!? こうだよこいつ、ああいえばこういう、こういえばああいう……。えーっとだな……そういえばどういう!?」
 喚きはじめるミラクルに、リイムが控えめながら困った声で言った。
「ミラクル。ごめん、少し……」
「あっ、す、すまん……! ……もちろん俺だって悲しいし、起こること何から何まで納得いかねえよっ……。何で、何で次から次へとこんな酷いことばっかり……。なあ……ほんとに、ミラージュの幻なのかよ……。これが……」
 とたん、しおれる様子で声を萎ませる。そして、その疑問に返す者はいない。
「……」
 沈黙があって、タムタムは知った。自分の泣き声がないことを。先ほどまでのやり取りで、自分の感情から離れることができたためか、止まったままでいる。
 そして気づいてしまう。ミラクルの気持ちも分かる、スカッシュの言い分も理解できる。皆が自分を待っている。それなのにまだ顔を上げられない、なお立ち上がることができない。
 何度同じことを繰り返しているのか――。つくづく自分の弱さに呆れ、嘆く。
「うっ……」
 自分自身で立ち直らない限り、弱さから綻んでしまう。止まっていた涙が、再びこぼれようとしていた。
 だがその時、手に温もりが触れた。
「……あ」
 そっと上に置かれた手。驚きの反動もあってか、あっけなくタムタムは顔を上げていた。
 前にはリイムがいて、先ほど感じたとおりの、包み込むような眼差し。
「……リイム」
 それだけをつぶやく。彼は見ている前で、力の抜けた両手を優しく静かに解き、亡くなった女性の手をとると、腹部の上でもう片方の手と組ませて置いた。
 女性に黙祷を捧げたリイムが、顔を上げる。
「……最期にありがとうって、言ったよね。それはこの人の、嘘偽りのないタムタムへの感謝だと思うよ」
 彼は言って、ゆっくりと立ち上がった。
 リイムはもう手を差し伸べてくることはなかったが、待っていた。
「さあ、行こう。頼まれた子を助けに」
 タムタムはまっすぐなその瞳に吸い寄せられるように、ふらりと立ち上がった。
「……ええ。リイム、みんな……待ってくれてありがとう。私は……大丈夫。もう立ち止まることはしないから……行きましょう」
 握る手に、地面に立つ両足に力をこめる。
 迷わずに見たのは、もはや誰かの顔ではなく、前に進む先の家。その扉。
 ところが足を踏み出すや否や、ミラクルが側でちょこまかと動き出した。ぶつかりそうで危なっかしいステップ。
「あっ、ちょ、ちょい待って。もうちょーい、な?」
 呆れる感情が今、湧き上がることはないが、見やれば女性の周囲を回って、頭を振り始める。
「んーっと……そうだな……。――ほいや!」
 植物を操る能力の開放だった。女性の組まれた手の側にふわりと現れたのは、一輪の透けるような花弁の、白い花。
「お花……。そう、手向けなのね」
「おう。この花な、天国の入り口に生えてるって花なんだぜ。もっちろん、ほんとかどうか知らねーけどな! 一体誰が見て来たんだっつーの。……まあ、迷わないようにさぁ、せめて安らかにって……な」
 タムタムは少しだけ、微笑むことができた。
「優しいのね」
「へえっ……!? そ、そそそりゃももう、俺様……だし、うん……どうも。じゃっ、いこかっ」
 ミラクルはなぜか驚いた顔をして、珍しくもごもごと口ごもった様子を見せると、唐突に飛び出していった。
 その慌てた精霊に誰も指摘することはなく、ただ各々が足を進めだす。
 幻か、否か――。もうそんなことは関係ない。立ち止まれない、戻れないのであれば。
「……」
 タムタムは最後に一度振り返り、女性に向かって頷いてから、彼らの後に続いた。
   家の内部に進入したときから、何か違和感があった。それはミラクルを除くリイムたちも感じたようだったが、口に出す者はいなかった。もしかすると彼らは、違和感が何なのか、初めから気づいていたのかもしれない。それでも見定める必要があると判断したのだろう。ミラクルだけが気を紛らわすためか、忙しく無駄話をする中、タムタムも雰囲気と違和感のことには触れなかった。どんな結果が待ち構えていようと、子供を助けるという行為を見失わないためには、前へ進んで行くしかないと。

「よぉし、ここが最後の部屋だぜ! ……いる、よな」
 ミラクルもようやく雰囲気に気づいてきたのか、最後は誰かに確認するようなつぶやきだった。
 二階の並ぶ三つの部屋のうち、階段から一番奥になる部屋。家屋に入った入り口から、最も距離がある場所。その閉じられたドアの前で、誰もが一旦足を止めた。そして、そこからは申し合わせたように踏み出さない。
 一拍置いたのち、タムタムは自分が前に出た。彼らはこの時を待っていたのだろう。開けるのは自分だと思い、深呼吸をしてドアノブに手をかける。
「もう、逃げた後とか……隠れてるとか、ないよな」
 不安しか残らなくなったのか、再び返事を求めるミラクルに、タムタムはドアノブをまわす手を思わず止めた。
 だが、スカッシュが横から発する。
「……開ければ分かることだ」
 ここで迷って、変わるものなどないのだと。
「開けるわ」
 声に出して、タムタムはドアノブを回しドアを開けた。そして立ち止まることはせず、そのまま部屋の中に進む。
「……?」
 一見して、広い部屋ではなかった。しかし空白を感じるほど、置かれているものは少ない。あるのは真っ白いシーツがかけられた小さめのベッドと、側にある一脚のスツール。汚れのない壁にはひとつ、カラフルな絵画があるものの、これも小さくさほど目立たない。片付いているのではなく、取り上げるものが何もないという感じ。子供部屋にしては、かなり寂しい内部に思えた。
「ここ……」
 子供部屋だとふと思ったのは、床に小さな熊のぬいぐるみが一つ、落ちていたから。それが目に入った。
 入り口付近のその場から、さらに数歩進んだのはなんとなく、拾おうと思ったからだろうか。だがタムタムは屈む前に足を止めた。いなかった――いや気づかなかったのか。すぐそこに、傍らの白いベッドの上に、腰掛けている子供がいる。病弱を思わせる青白い肌、細いのではなく、やや痩けた頬、華奢な手足。茶色のお下げ髪に、真っ白い寝間着のような姿の女の子がぽつんと。
「あっ……」
 見覚えがあった。いや、当たり前だ。元々、この子を助けるために塔へ入ったのだから。
「あなた……」
 決して忘れていたわけではなかったが、前にしての一番は驚きで、即考えを巡らせることはできなかった。最初に浮かんできたのは、やはり彼らはある程度分かっていたということだった。人がいるという気配を、人間の気配を感じていなかったのだろう。そして自分自身が感じた違和感が判明した。初めて会ったときのそれだったのだ、女の子と。
「あなたは……」
 タムタムは呆然とするように、女の子の顔を見た。しかしすぐに違うことに気がついた。
 その目は確かに、こちらを見ていた。自分を視界に捕らえ、意思を持って見ていた。深く悲しんでいる輝きで。どこをどう見ているのか分からなかった、塔に入る前の瞳とは異なる。
 タムタムは衝動のままに駆け寄って膝を床につき、女の子の手をとった。
「お父さんが……出かけたまま帰ってこないの……ずっと……」
 女の子が弱弱しく口を開いた。
「お母さんとずっとずっと待っていたけど……。いつの間にか外が騒がしくなって……攻めてきたって、誰かの大きな、怒ってる声がしたの……。泣いたり、叫んだり、それと逃げろって、何度も……。なんだかとても怖くなったけど、それでもいいこで待っていたの……。外でお母さんの声が聞こえて、それから家が……家がね、赤くて……ぁあ、熱い……」
 震え始めた女の子を、タムタムは素早く、そして優しく抱きしめた。
「大丈夫、もう大丈夫よ……。悪いことをしようとした人たちは、私たちが追い払ったから……」
 女の子はしばらく震えたままだったが、抱きしめているうちに静まった。やがて、顔が少し動く感触。
「……本当?」
 小さく微かに不安の残る声に、タムタムはゆっくり体を離して、女の子から見えるよう頷いた。
「ええ。懲らしめたから。もしも……それでもまたしつこくきたら、何度でも追い払ってあげる。酷いことはさせない」
 微かではあったが、思いを伝えるために笑みを見せると、女の子の表情が少し和らいだ。
「……うん」
 そして、その顔が僅かに横を向いたのは、リイムたちがようやく部屋の中に入ってきたためだった。だが広くはない子供部屋には、少々多すぎる人数である。自分の体格では狭すぎると思ったか、モーモーは奥に進まず、入り口付近ですぐ止まった。ミラクルは小さい体をいいことに、女の子のベッドへ飛び乗ってしまったが。
「とぉう! ……やー悪いな嬢ちゃん! 小さな部屋にでかいのがどかどかと邪魔してな!」
「あなたがまず、ずうずうしいと思うけど」
 効果はない。言っている側から、ミラクルは女の子をじろじろと見るように顔を近づけた。
「なあなあ嬢ちゃん。嬢ちゃんは、嬢ちゃんなのか?」
 尋ねられ、女の子はそちらへ顔を向けたものの、きょとんとした様子。
 呆れてつぶやいたのは、モーモーだった。
「……何が聞きたいんだモー」
「何って、やー、だからさ……ここにいる嬢ちゃんは、あの嬢ちゃんでオッケェィ!? ってことだよ。いやもうだって、説明しなくても分かんだろフツー!」
 何で分からないのかと怪訝そうに歯をむくミラクル。
「大体、モーモーお前、おんぶしただろ! 顔髪型服装いっしょだろ、身長もこんくらいだったろ、体重……は分かんねぇけど、まあたぶん同じじゃん!」
 言いたいことは分かる。目の前の女の子は、塔が見せる幻なのか、それとも追いかけてきた人形なのかということ。ただタムタムには、それが確認すべきことか、その質問には意味があるかどうか、分からなかった。
「私たちには分かるけど……」
 言葉を濁したのは、何から尋ねるべきか悩んだため。余計なことを尋ねたくはなかった。女の子が悲しい目にあったことは十分なほど感じ取った。その心を突き、乱すような話は気が進まない。
「タムタム」
 どうしようかと視線を落としたところで、リイムに呼ばれた。見やれば、彼は隣に進み出て、小さく頷く。ここは任せて欲しいと。
タムタムは何も言わず、視線で彼の表情を追う。
 その顔――優しい顔立ちである彼も、塔に入ってからは表情が強張り、ずっと硬くなっていた。起こる出来事に酷く心を痛めているのだ。だが、片膝をついて女の子に向き直った横顔は緩んでおり、優しい普段のリイムに思えた。
「君のお父さん、なかなか帰ってこないから心配しているんだね。どこに行ったのか知っているかい? それが分かれば、探せると思うんだけど」
 女の子はリイムを見返すと、小さな声で答え始めた。
「あのね……お仕事で遠くに出かけるって言ってたの」
「遠くに、か……。普段から遠いところへお仕事に行っているのかな。それとも今回だけ、遠くへ行くことになったのかな?」
「いつもは陛下の帝宮なの。お父さんはね……えっと、ミラージュの塔、知ってるでしょ? あの塔を調べるお仕事なんだって」
 そこでミラージュの塔が話に出てくるとは思わなかった。タムタムは黙って聞いているつもりが、内心の驚きを尋ねるようにつぶやいていた。
「ミラージュの塔? あなたのお父さんが……? それは……」
 女の子の目を見るが、返ってきたのは話の続きだった。
「でもね、大事なお仕事ができたんだって。私たちの国を狙っている大きな国を、懲らしめることが決まったから、みんなと一緒に行くことになったって。しばらく戻ってこれないって。だからその間は、いい子にして待っているんだぞって言われたの」
「……」
 静かに耳を傾け、気を遣いながら尋ねていたリイムだったが、直後に口を結んだのが分かった。
 感情を秘め、口を閉ざすことで一段と静かになったその場。唯一つぶやきを漏らしたのは、ミラクルだった。
「おい……それってあれじゃねえか、戦争だろ……。戻ってこないって、じゃあもう――」
 タムタムは反射的に立ち上がる。
「それ以上は言わないで!」
 女の子の前で言わせてはいけないと、衝動で強めの口調になってしまった。だがその女の子の視線を受け、なんとか声を抑える。
「……今、私たちが判断できることじゃないでしょう」
「うっ……。すまん、ごめん。……だよな」
 さすがに失言だと感じたか、ミラクルがしおれて謝る。
 タムタムは気にして女の子を見たが、特にショックを与えた様子はなかった。むしろ、笑っている。
「約束したから、大丈夫なの。絶対だもん。今回のお仕事が終わった後に、連れて行ってくれるって、約束」
 それが楽しみだから、嬉しいから、笑みが浮かんだのだろう。だからといって笑い返すことのできないミラクルが、言いにくそうに尋ねた。
「約束……なぁ。どこに連れてってくれるって……?」
 女の子は手を持ち上げて、指をさした。
 タムタムも追う。その方向は壁――先ほど気づいた、色もとりどりの小さな絵。
「あの絵?」
 あまり気にしなかったが、よく見てみると、小さな花がたくさん描かれているようだった。拾い野原一面に、咲き乱れている絵なのだろうか。似たような配色から、発掘された小箱に入っていた絵を思い出したが、巧拙から同一人物が描いたものではない。
「お花が、いっぱいね」
「うん、綺麗でしょ。楽園の絵なの。平和で、みんなが楽しく幸せに暮らせて、とってもとっても綺麗なところなんだって」
「そぉっかぁ、楽園なあぁ……ってーと。あれ、じゃあ約束がこの絵で……? 連れてくって……あの絵に、かぁ……?」
 考えながら発言中、途中で無理だと思ったからだろうが。ミラクルは間抜けたように伸ばしながらつぶやいて、固まった。
「おしゃべりなお花さん、勘違い? あの絵の中じゃないよ。楽園に連れていってもらうの」
 だが嬉しそうに、無邪気に話した女の子。
 タムタムは何も言えなかった。ミラクルは勘違いしたわけではないだろう。争いがなく、美しく花が咲き乱れる楽園と呼ばれる場所が世界に実在したかどうか、見て聞いたことはない。昔も、今も。理想郷だ。
 ミラクルは女の子の手前、どうにかして笑おうとしたようだが、ぎこちなく、視線もあさっての方を向いていた。無理をして、沈黙を回避しようと。
「あ〜……そりゃいいよな、楽しみだよなぁ〜……! そりゃ待ち侘びるわなぁ〜……分かる。あぁ、分かる、分かるなぁ……」
「うん。だからね、寂しいけど我慢もできるんだよ」
 本当に信じていたのだろう。待っていたのだろう。満面の笑みがこぼれた。
「お嬢ちゃん、いい子だな、うん……。いい子でずっと待ってたんだな……」
 普段から笑って見えるはずの顔が、もはや笑っていなかったが、幸いなのかその時、女の子は絵のほうを見ていた。
「それでね、しばらく会えないから……私は我慢できるんだけど、お父さんは寂しくないかなって……。だから私ね、お母さんにお裁縫を教えてもらってたから、お人形を作って渡してあげたんだ」
 またも意外なもの。だがここに至れば、連想できないはずもなかった。反芻し、タムタムは女の子を見返す。
「お人形……」
 その人形が、発掘された小箱の中に入っていたあの人形なのか。その人形が、今こうして話すこの女の子なのか――。
 あの女の子の人形は、父親を探していると言った。父親はミラージュの塔にいると。それから勇者軍はその子を追いかけ、人形という鍵によって現れた五番目の塔へ突入した。そして塔内で会った、姿を同じとする目の前の女の子は、つい今しがた言った。父親はミラージュの塔を調べる仕事をしているのだと。寂しくないよう、手作りの人形を渡したその父が、帰って来ないのだと。
 今に辿り着く発端と経過を考えれば、答えは既に出ている。だが、確かめる言葉は出せなかった。
「……」
 密度の高くなった小さな部屋での沈黙は、より重く色濃い。雰囲気を好転させる話が見つからない。何を言い出せばいいのか、どう切り出せばうまく話を続けられるのか。苦しい黙考がじわりと満ちていく。
 リイムたちも同じ。互いの心情が伝わり、分かるからこそ、考えれば考えるほど深みにはまっていく。
 ところが、その重い沈黙が一瞬にして打ち消されることになった。
 ふと変化に気づいたのだ。すぐ前にいたから。
「え……?」
 場を変えたのは、勇者軍の誰でもない。女の子が突然前屈みになったかと思えば、かきむしるように胸を押さえ、苦しそうな息遣いを始めたから。
「あ……ぐ……」
 タムタムは慌てて顔を覗き込んだ。
「どうしたの! 苦しいの!?」
「お父さん……ね。ずっと、ずー……っと、帰ってこないの。本当はね、ちょっとおかしいなって……思ったの。大変で戻れなくなったんだと……思うの……。だから……だから……私が迎えに行けばいいんだって、考えたけど、私……たまに倒れちゃうことがあって……お外にも、出ちゃ……ダメ……だって……」
 病名は分からないが、発作だ。瞬く間に症状が悪化したようで、顔面は蒼白になり、口唇も青紫を帯びている。
 それでもまだ話そうとする女の子を、タムタムは止めようとした。
「いいの……! もう、今はもう話さなくていいのよ。私たちがあなたのお父さんを探してあげるから、無理をしないで。ね?」
 先ほど外で最期を看取った、母親であるはずの女性の声が浮かんだ。特別な薬が必要な子だという。
 その間に、側ではミラクルが騒ぎ出す。焦った顔を突き出してくる。
 元々落ち着きのない精霊であるが、立て続けに起こる出来事が相当のストレスになっているようで、完全に冷静さを欠いている。
「だっ! 大丈夫なのかじょーちゃん! 病気かー!? な、治んのかー!?」
「……そう、薬がいるわ。帝……宮ってところにあるって……」
 言いながら、タムタムは回復魔法行使のための集中に入った。
 時間経過により戻ってきた魔力も、残る琥珀もごくごく僅か、疲労の蓄積も身体に響いているが、それでも躊躇はなかった。魔法で病気を治すことはできないが、対症的に痛みを緩和させたり、体力の低下を遅らせることくらいはできる。
「薬かっ、あ、そうか薬がていぐうねっ……って、それってどこなんだよぉ!? いや俺だって聞いた、うん、話聞いてたけど、その前にていぐうってなに!?」
 叫びは最もな疑問だった。だが悩む暇すらない。できることをするだけだと、体が動いていた。
「この子もさっき言ったじゃない、陛下の帝宮って……きっとお城の呼び名よ――」
 横で騒がれると魔法に専念しにくくなるので、とりあえず返答した。
「あ、じゃあ……この国の王様がいるとこか。それなら、きっと見たら分かるか……!」
「もう騒がないで」
 落ち着かせて念を押して、そしていざ魔法に入るという寸前だった。タムタムは身に起こった衝撃に、止めてしまった。
「――!」
 完全に、不測の事態だった。それが驚きと焦りに変わろうとしたが、一瞬自分の身体が動かなかったことで、混乱する前に気づいた。
 思わず真っ先に見た、ミラクルではない。その相手ならむしろ、自分同様に驚いている、側で。
「あっ……」
 強く抱きつかれていたからだった。魔法を掛けようとした、目の前の女の子に。
 何が起こったか判断したところで、どんな言葉を掛け、その後どうすればいいのか、数秒の時間では考えるにも至らなかった。
「ありが……とう」
「えっ……?」
 聞こえたというより、胸に伝わってきた微かな声。
 女の子の苦しそうな状態は変わらなかったが、見上げてきた表情には、紛れもない精一杯の笑みがあった。
「おねえちゃん……お母さんを……助けようとしてくれて……あり……がとう」
 だが、タムタムは笑いかけることなどできなかった。心が、身体が震えた。
 胸騒ぎが。
「おにいちゃんたちも……あり、がとう……」
 声は小さくなっていく。その瞳の光は、失われていく。初めて出会ったときのような、感情のない表情に変わっていく。
 タムタムは女の子を離すまいと抱き返した。
「駄目よ! 一緒にお父さんを探すんでしょう!」
 強く言ったのに。確かに温もりもあったのに。手ごたえがあったのは、腕を回したほんの一瞬だけだった。
 あまりにもあっけなかった。腕の中で淡い光が弾けただけ。先ほどまでの感触が嘘だったようにすり抜ける。
「どうして、なの……ここまできて……」
 放さないつもりだったのに、その抱え込むものがなくなってしまった腕が、力なくするりと落ちた。
 自らの両腕が、あまりにも重たく感じた時。
(お父さん……は……塔に……いる、の……)
 最後に聞こえた気がしたのは、覚えのある、塔に入る前の言葉だった。
 タムタムは一瞬だけ、心に空白を作る。
「……」
 そして、床に座り込んだ。ベッドから転げ落ちたのか、前にはうつ伏せの人形が落ちていた。少し縫い目が揃っていなくて、少しバランスが悪くて、茶色の毛糸で作られた不揃いのお下げ髪。ラドックが発掘した、あの。
「……タムタム」
 控えめなリイムの声。気丈に大丈夫だとは返せなかったが、タムタムはそっと人形を両手で拾い、抱え上げた。
 塔に入ってから幾度となく去来して、一つとして同じではない感情に、胸がつまる。
 心苦しいのはリイムたちも同じだろうが――。沈む雰囲気に音が消えていた中で、スカッシュだけが淡々と語り始めた。
「その人形が実在のものであり、五番目の塔を現出させる鍵であり、なおかつ助けを求めてこの幻を俺たちに見せているのだとしたら……現実と幻には繋がりが生まれる」
 遮る動きもなく、耳にそのまま入ってくる声。怒りでも悲しみでもない言葉が、やるせなさに打ちひしがれた小さな空間内にただ放たれ、紡がれていく。
「人形はミラージュの塔に関係する太古の遺物で、その塔はライナークに現存する。そして、塔に入ってから目にした光景……ライナークとは異なる塔周辺の街並に、見知らぬ兵士。これらが関係しているとすれば、導き出されるのは過去と現在だろう。おそらくこの幻は、初代雷光の騎士が現れるもっと以前……ライナーク王国が建国される前のかの地で起きた出来事を、なぞっている」
 そうなのだろうと、タムタムは思った。昔のものと、今のものを繋げる考察。疑問も、反論もない。だが、それが分かってどうなると言うのか。時に今――。自分には空しさしか覚えない話だった。もしこの場にラドックがいれば、騒ぎだしたかもしれないと、おかしなことにそんな考えは浮かんだ。
「それで……私たちはこれからどうすればいいの……。向かった先は聞けなかったし、この状況でそれが調べられるかも分からないし……。この子のお父さんをどう探せば……」
 返答を求めたのではなかった。悔しさと空しさと、嘆きだった。手がかりとなる女の子は、物言わぬ人形に戻ってしまった。自分たちの目的は当初から何一つ変わっていないが、どこへ行けば、どうすれば女の子の父親を見つけることができるのか、見失った。闇雲に探してどうにかなると、いまさら楽観視などできるはずがない。幻だとしても、スカッシュが何度も念を押してきたように、それが許される状況にはないだろう。今までの遭遇から身にしみている。
「この場所とライナークが……過去と現在の姿であることが分かれば、この子のお父さんが見つかるの……?」
 もって行き場のない気持ちは、出て行く言葉にこもってしまう。ここに来て、もはや道はないのかと。彼を責めるように向かってしまった。
 再びの重い雰囲気の空白に、スカッシュは黙ってしまったのかと思った。だが、先ほどより近くの距離から、一言だけ聞えてきた。
「……塔へ」
 タムタムは声の方向を見上げて気づいた。自分に向けてかと思えば、少し違う。彼が側で見ていたのは、手にしている人形のほう。
 何かの言葉が頭を過ぎりかけたところで、リイムのつぶやき。
「塔というのは……」
 彼もまた、スカッシュを追ったのだろう。人形へ視線を移したところで、はっと何かに気づいたようだった。
「あの言葉は……」
 彼らの様子には、大人しかったミラクルの表情が歪む。
 さすがにこの場では、黙っていることが自制だと理解があるが、悲しみを内に秘めたままにするのは、どうしても無理なのだろう。
「あ〜……ああ〜、もし?」
 呼びかけに、リイムだけが見やる。
「なぁなぁ……その、二人だけでなんか分かった感じになってもらっても困るんだけどよ……何、何なの? 説明をまず入れてくれよ。ほら、モーモーが困ってるぞ……」
 引き合いに出されたモーモーが僅かに嫌そうな顔をしたが、知りたいと思うのは一緒か。
 タムタムは彼らと共に、リイムの話を待った。
 佇まいからして、決して穏やかではないはずの彼が、静かに語る。
「見失ってないんだよ。その子は……ちゃんと教えてくれたんだ、僕たちに」
「ほぉ、そうなんか。……えっと……何か俺、こればっかり言ってる気がするが……だから何を???」
 さらに尋ねるミラクルに、リイムは小部屋の窓に向かって顔を向けた。
 しかし、閉じられたままの窓である。見ているのは、そのもっと先か。
「あ……」
 タムタムはその時、なんとなく気づいた。だが戸惑いもした。さっきスカッシュも言ったが――。
 再度リイムを見やれば、彼は頷いた。
「そう、ここにも塔があるんだ」
 とたん、素っ頓狂な声を上げるミラクル。  「ハアァッ!? 塔ってなぁ……と、塔……だとっ? ままま、まさかここの塔に行って入るってことじゃねえよな、うん……さすがにな」
 嘘だろう、それはないだろうと否定が混じり、混乱しかけているミラクルに、スカッシュは一言で肯定した。
「そのまさかだ」
 納得できないのか、ミラクルは一度口を真一文字に結ぶと、暴れるように騒ぎ始めた。
「あ? 待てなんだよそりゃっ! だって、ここがそもそも塔の中だろ! だよな、だよな!? なのにまた塔に入るってそんなのあり!?」
 ミラクルはスカッシュだけでなくその場全員に顔を向けたが、同意する者はいない。
「ぐっ……。ありってか……そうかよっ」
 僅かな呻き。分かっていて、なお納得できない気持ちの表れだろう。そして、そんなミラクルを止めないのは、胸中に同じものがあるからだ。塔に入ったときからある、強く蟠り続ける不安をここで捨てきることは、容易ではない。
 スカッシュだけが話を続ける。
「父親が塔にいると、先ほど聞いただろう。悩む必要がない……。それしか手がかりがない状況だ」
「ヘン……。あぁ、そーだったな。じゃあどの塔にいくんだ? 悩む必要ないんなら、分かってんだろ!」
 絡まれることに対してなのか、溜息をついて彼は言葉を一旦切った。
「分かっていないのか。手はずは整っている。……随分とできた話だと思うが」
 その間にミラクルが叫ぶことは分かっていただろうに。
「えっ……? な、何の……何がだ、コラ!」
 そこでかわすように、彼の視線は落ちる。再び、手元の人形へ。
「……ここに、鍵があるだろう。五番目の塔の鍵だ」
「ごっ、ごぉ……!?」
 大きな口のままで、ミラクルが絶句した。塔と自分で言っても、五番目の塔とは考え付かなかったのだろう。思考が止まったためか、威勢も消える。
「ごっ……って、え、え? 五番……? いや……それな……訳分からんし。ほれ、あれだよ……なんかヤバくない……? 大丈夫なん……? 行けるの、ほんとに……!?」
「それは誰にも答えられない。だが……ここにきて勇者軍の方針が変わることは考え難い」
 スカッシュの視線がまた移ろう。
 いまさら尋ねる必要もないことぐらい、彼は百も承知だろう。だが、勇者軍での行動について、向かうか否かを下すのは、一人だけと決まっている。
 タムタムもまた、同じ相手を真っ直ぐ見つめる。
「リイム……」
 彼の言葉で聞かなければならない。信頼する彼についていくことで、勇者軍は困難を乗り越えてきた。塔に入るか否か――再び決断する時だった。
 その瞳は逸れることはない。逃げることがない。その先は、タムタムが見た先には、曇りのない眼がある。彼は優しい眼差しもする、悲しい、厳しい目もする。だが今は、強い意志だけを感じる純粋な目だった。感情が不安を、迷いを生み出すのを知っているからこそ。
「行こう。分からないものも、見えないこともある。でも……僕たちには確かな道がある。目的があるんだ。……約束したからね。その子の願いは消えていない」
 リイムの指し示した道。それは信じる道だ。素直で真っ直ぐな彼の気持ちだろう。仲間を、自分を信じてきた彼が、女の子の願いを見捨てるはずがなかった。彼は女の子もまた、信じているのだから。それがひいては、自分たちの問題の解決になると信じているから。
「その子はずっと、ずっと助けを求めてきたんだと思う。今も……。だから、進もう。塔へ……」
 リイムを信じているのだから、言葉は必要なかった。
 タムタムは力を込め、確かな足取りで立ち上がり、ただ一度だけ頷いた。皆と一緒に。


 時間の経過は状況の悪化を辿る。相手など、とてもしていられない。執拗に続き、人数を増やしてくる追跡者たちから、勇者軍全員が離れず逃げ切るためにも、その選択はどの道避けられなかっただろう。
 建物が少なくなり、身を隠すのも限界がきたところで、後はただ、塔に向かって走った。そして四本だった塔の向こうに、新たなる塔が再び現れる。
「うわっ、出たよ出やがったー……! マジでぇ……マジかよ、本当かよ、またあれに……! もうどうなっても知らんからな!」
 ミラクルの泣き言。だが、他には誰も叫ばない、振り返らない。
 予想通りなのだ。驚くことではなく、確信する。
「いるのね……あなたのお父さんが」
 タムタムは、抱え込んだ女の子の人形に小さく語りかけた。
 勿論返事はないが――。導いてくれている、そう思う。
 塔が現れたとなれば、進むだけだ。走る延長上に目的がある。互いを確認する必要はなく、もはや言葉も合図も交わさない。煩わしい後方の大勢も、こうなれば関係ない。
 飛び込むだけ――。勇者軍は再び、第五の塔へ。ただ前だけを見て、待ち侘びていたように大きく開かれた、真っ黒な扉の奥へ突撃した。


 
<3へ>

 
<もう疲れた>

やっと2。修正必須だったとはいえ、まさか続き上げるのにここまで間があくとは思いませんでしたね(汗)
しかもあと3が残ってるわけですよ。一番短いここの倍くらいの量になりますが……。
とにかくやる気がない。ない、ない、ほんとない。このSSも書くのやめとけばよかったと思うものだったのでなおさら。
最後上げるのは、さすがにここまで時間かからないはずですが、時間があくほど自分が苦しくなるのが辛いですね。
上げたところで、サイトに昔のように人が戻ってくることもないし、特に急ぐ必要もないのですが……。

で、なんでしょうね、ここが一番動きがある章になりますかね、バトルとか……。
何度も何度も戻って進んで修正したSSですが、思うのはまず、スカがめっちゃしゃべってるなぁってところですね(苦笑)
最初から寡黙な感じで作ったことありませんが、それでも私のSSでおそらく一番スカッシュの台詞が多いものになると思います。
タムタムと絡んでいるのもありますが。結局いいところは残念ながら?リイムが取るんですがね。



妄想TOP