謎の依頼人は | 前半
広大な土地と空間を、建物の形で整えた内部。持て余すほどの間取りで、数え切れないほどの区画を内包するのは、たったひとりの所有する大邸宅。
大工業都市ネージュにあって、屈指の資産家である者の、それが住まい――。それが世間の認識。そんなもの。大方。彼にはどうでもいい思われ方、だった。それらは問題のない、知られている事であるから。全てが慣れていると言って良い。
そして今、数多ある部屋の内で、たった一つの少々手狭の部屋に、彼は居る。
他の場所になら目を回すほどあるのだろうが、調度の類はほとんどない。厚い装丁の本がぎっしり詰まった棚が両側を占め、中央に大きめのデスク、隣りに一段低い台がある。そのような硬さから、そこは書斎のようにも見えた。
彼はそこで、ペンを走らせていた。正確に言えば、執務室だった。側、内、共に、今は違和もなく定まって見える、一つの変哲ない場だった。
そこへ性急そうなベルが鳴った。側の電話からの呼び出し。彼はそちらを見ることもなく、慣れた手つきで素早く、それでいて緩やかに受話器を取り上げた。
「なんだ?」
『あの御方より、お電話でございますが。…いかがいたしましょうか?』
受話器から聞こえてきたのは、彼の最も近しい老執事スチュワードの、次の指示を仰ぐ言葉だった。
彼はスチュワードの対応に納得し、暫し考えた。
「そう、か……今ごろにか…。まあいい。とりあえず繋げてくれ。私から話す」
『かしこまりました』
スチュワードの声が切れた後に、向こうの極小さなノイズが変わった。
「…わたしです」
回線が切り替わったことに、彼は相手へ短く言った。
この時、余計な言葉はやり取りに必要ないもの。必要なだけを、話せばよい。世辞を含める社交辞令など、両者間に益も不利もない、まったく関係ないものだ。
普段は向こうも気にする事などなく、ただ声を届けるだけの回線を使い、用件のみを彼に伝える。
しかし――。
どういった事かは、電話が掛かってきた時点で、既に分かっている。これは決まった事だった。相手からの用件は、ひとつこと。だから、
「これが普段なら、他でもないあなたからの依頼です。どのようなものでもすぐにお受けするところですが…あいにく、今は時期が悪い」
彼は持ちかけられた依頼の話について、普段無いことだったが、内容を詳しく聞かないまま、向こうへと返した。
「私は何をしていようと、明らかな現、リヴァル家の当主という肩書きですから。あなたも知っての通り…興味はさほどありませんが、国家にも介入ぐらい可能な位置におりますし、昔よりネージュの富豪であった我が家系により、世間にもそれなりに知られている身分でもあります。地域差はありますが。……。ええ、持って回った言い方は必要ありませんでしたね。お分かりになるように、私が、リヴァル家の当主でなければならない場合がでてくるのですよ…」
話して、彼は少し憂鬱になった。リヴァル家の当主というのは、枷になることもしばしばある。
一時言葉を止めていると、向こうが話し出した。彼は聞いて、気だるい様子の面持ちを、僅かに微苦笑とも見える具合に変えた。
「…さすがに早いですね。ならば、言いたい事が分かっていただけましたか? ……。そうです。近いうちに、元首と国会議員である各自治区の市長、それと一部の有力者達も交えて会議が開かれます。ですから私も、オブザーバーとはいえ、体面上、出席せねばなりません。…。はい、臨時議会です」
彼が一旦そこで話を切ると、相手はすかさず聞いてきた。
「内容ですか…? …。確かに、特定緊急時における、他国家との一時的な領空域往来の件は既に話がついていますが…そこまでご存知でしたか。…。そうです、最近国家間を越えて活動する空賊がかなり増えた様子ですから、いい加減見過ごすわけにもいかなくなったのでしょう。組織的に大きなものも増えていまして、警察機構からの要請が強くあり、そのことについては今…」
途中だったが、向こうが話す。
「…。ほう…あの男の仕業でしたか…。どこへ行ったものかと思えば、そんなところに納まっていたとは。…なるほど、わかりました。その件に関係があった訳ですか。…しかし、非常に残念ですが、今回はさすがに動けません。出席を反故することは、我が家の沽券にも関わることですから…」
彼としては本意ではなかったが、依頼は断るつもりだった。我知らず、言葉の端々に苦味が出る。
相手も向こうで、残念だと言った。
「…他の者を知らない…ですか。しかし、光栄ですが…実力者なら私の他にも居ることは確かです」
そう話していて、彼の脳裏には、先の依頼の途中に遇ったガンナーの姿が浮かんだ。
それから、ふと話していた。
「今回の依頼ですが……私から一案があります。私自身は動けませんが…私の知るガンナーならば、間違いなくご希望に添えることでしょう。腕はこの私が保証します」
伝えると、向こうは回線を通しても分かる興味を示してきた。腕の良いガンナーについてではなく、他のガンナーを口にした事に対してだろう。
それに、こんなことを言い出したのは初めてのことでもある。彼自身、少し驚いてしまったほどだ。自分は他人と組むこともない、裏側の、世間からすれば外れたガンナーなのだから。
微苦笑が浮かぶのをそのままに、彼は付け加えた。
「ただ…ちょっとした面識がある程度のことで、親密な関係ではありません。ですから、数日だけ返答の猶予をいただきたいのですが。すぐ、彼らに依頼を持ちかけてみます。…はい、もちろん、依頼主は私という事で話は進めます。手筈は全てこちらで整えます。…。ではこれで」
彼は向こうとの会話を終え、受話器を置くと、席から立ち上がった。そして止まることなく部屋を出る。
「お出かけでございますか?」
早くも無く遅くも無い。決して滞ることのない声が、普段通り掛けられた。
「ちょうど倦んでいたところだ。少し出かける。リーヴ行きの高速飛行船の搭乗を手配しろ」
用があるときには、いつも控えているスチュワードへ直ちに告げた。
「客船がなければ、貨物船でもかまわん。一番早くリーヴにつく便の席だ」
「自家用の飛行船は、おつかいになられないので?」
「大仰に行って騒がすこともない。それに、ファントゥームも持ってはいかないからな…」
「かしこまりました。すぐに搭乗手配をいたしましょう」
「それと、リーヴ市を通して、ガンナーに依頼があるとの旨を先に伝えておいてくれ。三人指名だ。名前はシエル、コパンにファム」
名前を出すと、スチュワードが穏やかな表情の下で、珍しく多少の驚きを見せた。それを口に出すことはなかったが。
「正式な依頼ということでございますか?」
「うむ。あまり隠密裏に進めると正当性がなくなる。それでは、ガンナーの方が依頼を胡乱に思うかもしれないから、な…」
そこまで言って、彼は苦笑を浮かべた。なにしろそんなことをしなくても、相当怪しい見方をされるに違いないからだ。
「まあ、私が出向くということ自体が、彼らにとってはあやしいものだろうがな」
そのことには何も返さないスチュワードに向かって、彼は薄い笑みを浮かべたまま、最後に付け足した。
それはスチュワードから見れば、ちょっとしたいたずらを思いついたような感があった。
「そうだな…。依頼の件、私の名はガンナー達には伏せておくよう伝えろ」
分かる。笑顔だった。彼が普段見せることのない、混じりっけの無い、面白そうな笑みであった。
ガンナーカフェの格納庫兼整備場にて、リーヴのガンナーシエルは、困惑の表情で受話器を壁掛けの電話機に戻した。
「――アルディじゃなかったみたいだな」
やや奥から戻ってくるシエルに、作業の合間の休憩用に置かれたテーブルに掛け、ひとりカップを傾けていたコパンが声をかけた。
コーヒーを飲みつつ、耳を傾けていたのだろう。ガンナーを楽しんでいる彼は、この場合、コーヒーよりも、シエルが受話器を通して交わした話の内容だ。依頼の話であるから。
「で、どっからだ? ダイレクトにか? それとももしかして…」
「うん。リーヴ市仲介の、紹介所から」
「そうかぁ」
シエルの返答に、コパンはカップを置いて、だるそうに頬杖をついた。
アルディ――リーヴ市警の警部からもちかけられた話ならば、大概は報酬も仕事も大きなものとなるのだが、役所からの斡旋の場合、依頼主はごく普通の市民の割合が多く、その分仕事も地味であったりする。そして、個人的に直接話を持ってくる場合は、つまり彼らのことを知悉して頼んでくる依頼主のため、そうではない場合が多い。
派手な――自分が活躍できるような仕事を好むコパンは、地味な仕事だと引き受けないわけではないのだが、やはり残念そうにつぶやいた。
「じゃあ、あまり大きな仕事でもないか」
「ううん、もしかすると、そうでもないかも知れないけどね…」
「…もしかすると…そうでもないかも知れない依頼だって?」
シエルのはっきりしない言い回しに、コパンは眉をひそめて頭を上げた。
「どういう事だよ?」
「それがさ。依頼主はネージュの凄い貴族なんだって」
肩をごく竦めるシエル。コパンは、先ほどの彼の調子に納得した。
貴族からとなると、依頼の内容はまず二分できるものだ。報酬はどちらであっても、高いに違いないが。
「へえ、ネージュのお貴族様。それなら、大げさめいた護衛やお使い程度のことか…あるいは案外、ドンパチできる仕事か…」
再び頬杖をつきつつ、コパンはシエルに視線を送る。
「それで、依頼主はどなた様だって?」
それにシエルは、なんとも言えない顔だった。声は困ったふう。
「それが…聞いたんだけど、教えてくれなかったんだよ。名前は伝えないようにって、言われたからってさ」
即座にコパンは怪訝を露にした。
「…はあ? なんだよそれ。名前を伝えない依頼人の仕事を引き受けろって…そう言うのか?」
「僕もどうしてか分からないけど…。でも依頼人自身は、あさって話を直接持ち掛けに来るそうなんだ」
やはり怪訝そうなシエルに、コパンも顔を一層顰める。
考えれば考えるほど、おかしな事である。
「なんなんだそれ? なんか意味あるのか? 大体そう言って、本当に当人がくるんだろうな…? まったく、あやしいもんだぜ」
「僕もそう思うよ…。でもまあ、だからって無下に断るわけにもいかないし…とりあえず来るって事なら、話ぐらいは聞いてあげないと。…受ける、受けないは、また別としてさ」
語勢の弱い、しかしシエルの言うことは、これが最もである。コパンは憂鬱そうな、長めのため息を吐いた。
彼らガンナーにとって、話も聞かず、一方的に断ると言う行為は、信頼を、世間の評価を下げることにつながるからだ。ガンナーは、とりわけ注目される花形の職業という事と、責任重大な仕事を請け負う事が多い性質上、対する評価は実に厳正なものである。依頼を断る場合は、仕事が出来ない理由が事前にない限り、とりあえず話を聞いてからだ。だが話を聞いた後でも、断る場合には、依頼を持ちかけた向こうを納得させるだけの理屈がない限り、少なからず評価が落ちると言って良い。
「確かに、会うだけはしないといけないか…。しかし一体、何を持ちかけてくんのか…。正直、なんか気が進まないぜ…」
コパンが嘆いた時に、整備場へファムが入ってきた。
「どうしたの。なんだか、やる気なさそうじゃない?」
二人の顔を窺い。
借りた自室で彼女は本を読んでいたはずだったが、カフェのオーナーからでも、依頼の電話が掛かった事を聞いたのだろう。
コパンは彼女を見やって言った。
「楽しい仕事だったとしてもなぁ…。聞いてくれよ。名前を事前に伝えておかないで、でも、直接自分が来るって依頼主、露骨にあやしいと思わないか? 名前を伝えないようにって、わざわざ職員に口留めしてるんだぜ? 誰だか知らないけどさぁ、めちゃくちゃ胡散臭いだろ」
ファムは不満がありありとする言葉を耳にして、少し考えた。
「そうね…当人が来るのなら、名前を事前に伝えないのは意味がなさそうだけど。…じゃあ……つまり、何かその行為に考えがあるわけじゃない?」
「考え? 例えば?」
嫌そうな顔でコパン。ファムは小首を傾げた。
「う〜ん…。案外こっちが知っている人とかで、向こうはちょっとビックリさせようとかって。ただ、そんなことだったりしてね」
特に考えたわけでもなさそうな彼女の発言に、彼は苦笑した。
「それ、性格悪いって。ともあれ。俺はネージュに貴族の知り合いはいないぜ…。…シエルは?」
シエルは即座に首を横に振った。
「僕も、ネージュの貴族に知り合いなんて覚えがないけど。大体、ネージュの知り合い自体、多くはないし」
それから二人が視線を向けたのは、彼女だった。
「確かに、私はネージュ育ちだし、一応貴族の知り合いや友達もいるけれど…。そんなことする人なんているかしら…?」
「じゃあ、やっぱり胡散臭いに変わりなしだな」
コパンはカップをとって、決め付けたように言い放ち、コーヒーを一気に流し飲む。
「まあ…とりあえず考えるのは、あさってになってからだね」
シエルのそれで、謎の依頼主の話題は途切れた。
詮索は出来ず、結局何を言おうと思おうと、後は訪れるのを待つしかない。依頼主の到着を、彼らはどこか心に留めつつ、その日まで普段どおりの時間を過ごした。
リーヴ市街地から少し離れた海上に位置するガンナーカフェに、飛行タクシーが到着した。
事前に、依頼主が乗った便がリーヴ空港に着いたことを知らされたシエル達は、少々抵抗を感じながらも、カフェのロビーにて相手を待っていた。
飛行機器の音に、いよいよかと疑問渦巻く思惑を溜め込んだ彼らだったが、ドアがゆっくり開くと、一気に場の雰囲気は散逸した。
高級スーツを着こなした気品ある男性が姿を現すや、シエルは無言で後退り、ファムは目を丸くする。
コパンはそんな二人の様子に、眉根を寄せた。
「…どうしたんだよ、二人とも。どうもリアクションからして、顔を知ってるような…」
「非常に驚いているわけだ。私だったという事が、言葉も出ないほど意外…夢にも思わなかったわけだな」
銀髪を後へ撫で付けた、紳士然たる青年。コパンはあまりにも自然な微笑のそちらを見やって、ますます顔色を曇らせた。シエルがやはり言葉も出ない様子で、さらに後退る。
「おいおいシエル…。そんなに驚く相手なのか?」
空で起こった二人の出会い方を知らないコパンは、予想も出来ず驚いたとはいえ、過剰反応だと思って、少し呆れ気味にシエルへ言った。
そう言われた当の彼は、しかしまだ青年の方から目が逸らせず、ようやくといった様子があからさま、口を開く。動転気味で。
「り…り…り…りり…リヴァルッ!?」
知り合いのオバケでも見たような声だ。そして、さらに数歩後ろへ下がるシエル。
リヴァルと呼ばれた青年は、薄い笑みを湛えたままでそれを見やり、後はまるで何事もなかったように、ファムとコパンへ視線を送った。
「さて…。君達は、ここで話を聞こうというわけでもないだろう?」
「あ…。はい…部屋は用意してありますので、そちらへこれから案内します…」
ファムがぼんやり答えると、相手は、
「慮外な事だが…もし、君達が良ければ、ここの整備場で話を進めたい。構わないだろうか?」
答えたのは、未だ晴れない顔のコパンだった。変わった申し出に、さらに訝しさをもって、リヴァルをじっと見返す。
「そりゃ整備場でも、俺達は別に構わないけどさ…」
「なら、そちらへ向かうことにしよう。なに、君達の機体を間近で見たいだけだ」
露骨な眼差しにすら表情を変えることもなく、リヴァルは言った。
それから。どうにも納得の出来ない顔のコパンに、ぼんやりが続くファム。動きがギクシャクなシエルが、緩やかな挙動のリヴァルの後を追って、整備場へ向かう形となった。
整備場へ着き、水上機発着場から、今は並べて上げられた三機の機体をリヴァルがつぶさに見ている時、片やぼんやり、片や緊張が見え見えの二人へ、コパンが囁いた。
「なあ…あのリヴァルっていう貴族と、どんな関係なんだよ?」
「え…。私はただ…顔を知っているぐらいよ。以前…一回だけ会ったことがあるわ…」
ファムからは、微かに戸惑いを孕む返答が。しかしシエルは依然として、リヴァルの姿を追ったまま。混乱した様子が残っていた。
コパンはリヴァルを一瞥して、シエルへ再び言った。
「おい、シエル…。お前あの…よりにもよってリヴァル家の当主なんかと、なんの関係があるんだ?」
「…リヴァル家の…当主…?」
シエルが実感の伴わない反芻をする。それでコパンは気がついた。
「お前…そうだって、知らなかったのか?」
「コパン。あなた、知ってるの…?」
ファムが口を出す。コパンは二人をそれぞれ見やってから、話中の相手に顔を向けた。
「名前ほどはな…。けど会ったこと無いし、それだけさ。…確か、ネージュの大富豪じゃなかったか。上流貴族で、名家の人士ってやつ。俺は二人が、そんな世界が違うような奴と、何かしらの接触があったってだけで驚きだぜ」
「…あ、あのリヴァルが…?」
シエルが遅れた反応で、目を白黒させた。コパンはほんとうにどうしたんだ?といいたげに、彼を見てため息を吐いた。
「シエルは…戦闘艇に乗っているあの人しか、知らなかったのね?」
そこでファムが口にした事――すぐさま、どんな意味だとコパンは問うた。
彼女は、やや伏せた思案顔を見せる。
「ねえ…コパン。ヴァントルと最後に戦ったとき…一時だけシエルの周りにいた、黒い機体を見てない?」
そんなことを言われ、彼は思い出した。天才的犯罪者、ヴァントルが造った、巨大な――空中城塞戦艦との戦い。それを、彼からしてみればバラしていた時に、視界を掠った程度のことだったが。
「ん…ああ。一瞬、なんかシエルが、ヴァントルのものとは違うような戦闘艇と戦ってるのは見えたけど…あの時だけは、さすがにのんびり悠長に戦っている暇はなかったからなぁ…。後は結局、あれがなんだったか、聞いてないままで忘れてたな」
だから何?と、残りを視線で。ファムは一度伏目を見せたが、上げた。
「私もあの時は手一杯で、夢中だったから…。終った後でその事を思い出したときには、なんだかいまさらって感じで…そのまま聞かなかったんだけど。…とにかく、その、シエルと戦っていた戦闘艇に乗っていたのが、あの人なのよ…」
ゆっくり彼女が視線で差し、見る方向を追ってから、コパンは身を引いた。
背中――漂うゆかしい物腰を見るからに、戦いとはまるで無縁そうだから。
「マジか? あれで、ガンナーなんてやってるのかよ…」
「――凄い、ガンナーだよ…。よく分からないけど…それだけははっきりしてる」
そこで、やっとまともにシエル。リヴァルの背中をじっと見る彼に、コパンが言葉を呑んでしばらく。
シエルの機体、アヴニールを丹念に見ていたリヴァルが、ゆっくり振り返った。
「どうやら、私の話は終った様子だな」
突っ立っている三人に近づく。じっと見てくる彼等に、
「君達はまさか、詮索などしまい? 肝心の話を始めてもいいかな?」
「つまり、目障りなマネごとでもすれば、火傷するってことか」
コパンのどこか挑発する薄笑みに、リヴァルは変わらない――それが常の顔なのだろうか。湛えたままの微笑を返しただけだった。
「あの、コーヒーです。お口に合うかどうか分かりませんけど…よかったらどうぞ…」
整備場の小さなテーブル。そこへ優雅に腰をかけたリヴァルの前へ、ファムはコーヒーを置いた。
「ありがとう。いただくとしよう」
「……」
向けられた何気も無い視線に一時動きを鈍らせると、ファムは今度、正反対の位置へコーヒーを置いた。
おそらく、手をつけることはないだろうが。
「シエルも…はい」
「…ありがとう、ファム」
リヴァルの真向かいに座るシエルの声は固い。直視が躊躇われるのか、僅かに視線が落ちていた。
それから、ファムは自分のコーヒーをテーブルに置き、さらに最後のコーヒーを渡すために、そこ――二人の側から離れた。足は一人、作業用のスツールへ座っているコパンの元へ。
その近くの、作業台の横。スペースが他にない。
「この上に、置いておくわね」
「ああ…」
コパンも飲みはしないだろう。彼女の方を見ずに少し頷いた。ずっと、向こうを一方的に見たままだ。
明らかに不機嫌そうな、疑念を抱く面持ちである。身を置いた位置こそ、まるで静観するような間合いだが、それはないだろう。テーブルに添えられた椅子の数が足りないのは事実だが、暗に同席はごめんだと言っているようなものだった。
ファムは工具や何かが乗っている台に、彼の分のコーヒーを置くと、静かにシエル達の元へ戻った。
ややシエル寄りの位置へ着席する彼女。と、
「さあ、話してくれよ…。俺達に頼みたいって話をさ」
出端から険のある声でコパン。しかしリヴァルは、何事でもないようにコーヒーを一口含む。
「では、彼もああ言っていることであるし、依頼の話をしよう」
軽い一瞥をコパンへやると、リヴァルは前を向いた。
「まず、単刀直入に、何をしてもらいたいか言っておこう。君達には、ある空賊と戦ってもらいたい」
「空賊と…」
シエルはリヴァルの視線を見返して、つぶやいた。
彼は、一体全体どんな内容なのかと内心落ち着かなかったのだが、やや緊張が解れる。
ガンナーにとって、客船や貨物船などを狙う盗賊と戦闘になることは、珍しくもない。むしろ、大半がそうだ。護衛としてつき、襲ってくる者達を撃退すること。主に行政機関からの要請で、こちらから出向く場合もある。
「で、どこの空賊だよ? わざわざネージュから出張って、俺達に頼みたいっていうんだ。かなりの大物なんだろうな?」
コパンの言い方に、シエルはそちらを少し見やった。そして前を見る。
表情だけで最初から十分発露しているので、気づいていないはずはないだろうが、リヴァルは一向に気にした様子はない。そもそも怒りや苛立ちとは、無縁そうな佇まいだった。
「その通り…大物だ。しかし、君達は名を聞いたことはないだろう。ヴォワルーと言う名に、聞き覚えは?」
「無いな、全く」
向けられた視線に、にべもなくコパンが返す。リヴァルは微笑を浮かべたままで、シエルに視線を戻す。
「君達には、私が指定するポイントで、ヴォワルーとその取り巻きを落としてもらいたい。…まんまと逃れてくるだろう賊を、君達で阻んでもらいたい。…それが依頼したい件だ」
「…?」
シエルとファムが怪訝そうな顔をするなり、横手から声が出た。
「おい。逃れてくるだろうって、どういう意味だ?」
リヴァルは軽く息を吐いた。微妙な中に、微妙に呆れた感じがある。
「現在、警察組織による、ある計画が進んでいる。それがヴォワルー一味の掃討計画だ。ガンナーが少ない地域…言い方は良くないが、つまり警察が幅を利かせている地域で、ずいぶん手痛くやられていてな…国家の保安組織としての威信を取り戻すため、その計画実行に力を注いでいる」
すぐにシエルは疑問に思った。被害が酷いなら、たとえ地域が違ったとしても、片鱗ぐらいは流れてくるはずなのに。
「やり手の空賊一味を、警察が挙げて逮捕しようとするのは分かるけど…そんな相手なのに、どうして名前が知られてないんだろう?」
それには少し、つまらなさそうな返答。
「おためごかしだ。元々ほとんど証拠を残さない連中のうえ…そこを警察が報道機関に歯止めをかけていて、情報が流れにくくなっている。だが、分からないといっても続けば見当はつくものだ。放っておけば、いずれ人伝いで広がるだろうが、それまでに警察は計画を実行に移すだろう。…一味は、ガンナーが多い地域では活動しない。だから、そこに住む住民に対して、不確定要素の高い情報を伝え…余計な不安を与える必要はないとの判断らしいが…実によく分かる建前だな。面子を保とうとして、つまらない意地を張っているだけだ」
何かなりを求める視線を向けられるが、シエルは戸惑っただけで、何も返せなかった。
そこへ再び、コパンが口を出す。
「それにしても、警察から逃れた賊の相手をするって言うのは何だ? それじゃあ計画が失敗するって、俺には聞き得るんだけどな…」
「今回の計画を進めている幹部は知らないことだが、既に情報がリークされている。現状のまま進めば、失敗するはずだ。もし捕り逃したとなっては、まず国外逃亡するだろう。ほぼお手上げ状態になる」
淡々と言ったリヴァルに、コパンはますます声を固くさせた。
「よく色々と知ってるな…」
「訳を、聞きたそうだが?」
「いや、引けなくなるのはごめんだ。分かっていても、深追いするつもりはないぜ…」
「賢明だな、君は。…心得ていると、言った方がいいかな?」
穏やかにリヴァルは言って、ただひとり、構わずコーヒーを飲む。
シエルとファムは、考える余裕などなく、無意識に息を呑んでいた。
リヴァルはガンナーであっても、それが未登録の…どこかで裏に通じ、暗躍しているガンナーであることは流れで分かる。元々ファムは知っていたし、シエルも薄々は気づいていた。だが――
どの街にも登録しないガンナーは、呼称こそ彼らと同じ、ガンナーとまとめられる存在であっても、違うのだ。規制された銃器、兵器を所持することもあり、正式な許可を受けていないということは、位置付けとして犯罪者と同類になる。その為というわけでもないが、彼らは警察組織と関わることはさけているし、通常表側に出ることはしない。そして、捕まることもない。どこかで仕事を請け負っていながら、その実態はようとして掴めない。
はっきりしていることはひとつだった。やっていることがどうであれ、彼らという存在は、屈指の、指折りのガンナーである事。
存在としては広く知られているが、誰がそうなのか――誰がやっているのかなど分からない――。それが彼ら。
こんなことは奇怪で、非現実的ですら思われた。普通、知り得ることもない存在のガンナーが、ここでひとり、正式なガンナーに囲まれながら、平然と素性を明かすようなことを話しながら、コーヒーを飲んでいるというのも。
だから。そんな相手が依頼を持ちかけているのだと分かって、どう対応すべきか迷っているのが二人。分かっていて、態度を硬化させているのがコパンだった。
その為、一時言葉が絶えた後、変わらずリヴァルに話しかけられたのは、彼しかいない。
「…。今までの話からすると、あんたは警察が自分達でカタをつけようって計画に、勝手にコマを送ろうとしてるって事だろう。…口幅ったいかもしれないが、立場が悪くなるんじゃないのか? どんな位置にいるか知らないけどな…」
リヴァルの表情は、微笑している基本から変わることはないが、ささやかと言える変化は、感心を示したそれだった。
「それは無いとは言わない。だが、錯綜としたところ…誰が誰を評価するのは、さまざまだ。取り逃がすよりはいい結果だろう。筒抜けだった事実があれば、心中何と思っても、非難ばかりは言えない」
「…。知らない幹部の連中に、教えてやればいいんじゃないか。あんたが。それぐらい出来るんだろ?」
次の指摘には、苦笑が浮かんだ。
「なにぶんにも、頭の固い方々でね。話を通すのも骨が折れるが、それより今回の作戦は成功するものと確信している。今は進言しようにも、杞憂だと下げられるのが落ちだ。ガンナーの力を借りることも拒否するだろう。なら、初めから苦労することもない」
コパンが笑った。放胆だった。
「へえ。何もかも、計算済みって事か」
「――コパン…!」
ファムが言いすぎだと、視線を送る。しかし、構わないと返したのはリヴァルだった。苦笑はより、濃くなったが。
「権謀術数をめぐらすことが、私の仕事ではないのだが…。そう思われても、仕方が無いのかもしれない。もちろん何も考えず、依頼を頼みに来ているわけではないからな。だが、然るべきかと思うが?」
そこで、相対する彼の笑みが一切消えた。
「…あんたみたいなのとは、そもそも関わり合いにならないほうが賢いんだよ」
「コパン…」
今度はシエルがコパンを見た。彼からは強い視線が返ったが、言葉が向けられたのは別の相手へだった。
「…聞くぜ。じきじきにやらない理由は?」
「単純だ。動かせない予定が既に決まっている。顔を出さなければならない会議があってね」
コパンは聞き終えると、突然スツールから立った。
「俺達は、危険な仕事でも引き受けるさ。けどな…ヤバイ仕事はゴメンだぜ」
驚いたのは二人だけで、相手とされた方は、常に身に纏う姿勢を変えはしなかった。ただ――厳しさの見える瞳を、紫の鈍い虹彩の瞳が、ひたと捉える。
僅かに顎を引くと、しかし真っ向から対立するように、コパンは続けた。
「あんたに持ちかけられた仕事じゃないのか…? それをこっちに回そうってことなら…」
と、リヴァルは一瞬、目を細めた。言葉がふいに途切れた中で、彼は目元を戻して言った。
「君の、思いやりか」
「……」
返事は返らず。そして一拍ののち。彼としては、そのさほど変わらない笑みが、破顔したものらしかった。
「私は、君が思うような事に巻きこむつもりはない。君自身はもちろん、シエルとファムもだ。持ちかけたのは、そんな依頼ではない事を保証しよう。…信じられないかな?」
それにコパンは黙り込んだかと思ったが、ややあって口を開いた。
「…なんで…俺達なんだ?」
響きが重い。彼は真剣に聞いていた。しかしリヴァルは、その表情に明瞭な、愉快そうな微笑を見せたのだった。
「腕。それと……」
緊迫した雰囲気が軽くなる。コパンすらも、詰まったものが抜けてしまったよう。
リヴァルの答えは――
「君達が気に入ったからだ」
少々待たせた後にあっさりと言って、彼はシエルを見た。
「…???」
シエルは相手からすれば、少々間抜けな顔をしているに違いなかった。
その場の沈黙をひととき、ひとり楽しんだリヴァルだったが、面々の前ですらりと席を立つ。
「急かせて申し訳無いが、返事は夕刻までに聞かせてもらいたい。私も今日いっぱい、暇というわけではないのでね。とりあえず、最終の定期便の時間まではリーヴ市街に滞在している。より詳しいことは、依頼成立時に話そう」
直後だった。――迎えか。彼らの耳に、飛行音が聞こえてきた。
十二時過ぎ。交わした言葉少なく、リヴァルがカフェを去った後で、三人は喫茶店内で軽食を摂ることにした。
普段とは比較にならないほど静かに席へ着席。頼んだ料理はテーブルに乗っているものの、いつものように忙しく口は動いていない。
深刻といえば良いか。当然、分かっているのだから。依頼を受けるかどうかを話し合うのは、この場において他にない。
だが、心を据えていても、最初の一言がなかなかでなかった。そして、ペースが遅いとはいえ、料理は黙々と、刻々と減っていった。
「……」
フォークを置く。ファムが最初に、最後の紅茶を一口含んだ。
かぐわしい香りのはずが、この時ばかりは気を滅入らせるのか。カップを置くときは力が抜けたか、やや耳障りな音だった。
「ね…どうする…」
言葉は拍子だった。当人が考えていたより遥かに、予想外にあっさり、ぽろりと出てしまった。溜めておくのに限界がきたのか…。飲んだ後の――強さすらも、吐いた息と同じくして。
「……」
シエルとコパンは僅差でフォークを置いた。視線は皿からあがらない。
が、コパンがだるそうな眼差しで、やおら頬杖をついた。
「あいつが信用するに足りるか…俺には分からないぜ。二人はどうだよ…?」
振られたことに、シエルは視線を落したまま、
「僕も……よくわからないよ。リヴァルとは戦ったことしかないし…それに、全然あんなリヴァルじゃなかったんだよね…」
その発言に、コパンは「…はぁ?」と、言葉の意味を計り兼ね、同時に尋ねたのだが、そこでファムがどこか上の空で――彼ら二人のやり取りを聞いていない体でつぶやいた。
「悪い人じゃ…ないと思うけど…」
コパンは、頬杖の腕を変えて、ほろ苦く笑った。
「ああいう連中は、表面上ならいくらでも繕えるもんだよ。…何を考えてるのか、わかりゃしない。…そうだろ? 俺の曲解だと思うか?」
彼女は否定しなかったが、まるで弁解でも探すように視線のみを落とし、黙り込んだ。
コパンはどこか投げやりに、しかしどこかおかしそうに言った。
「まったく…俺達が気に入ったとは、一体どんな了見だよ。こっちがまともに取り合うと思ってんのか…」
「…だから、色々話したのかもね」
ファムがぽつりと吐くと、コパンは頬杖をやめて、椅子の背もたれに大きく身体を預けた。
上を見ている。
「…だから、自分に関わることを話したって? 俺達が、あいつの事を知らないから?」
「もちろん、分からないけど…」
姿勢は持たれかかったままだったが、彼の顔は持ちあがった。相変わらず、ほろ苦い口元。
「フェアに行こうってか? けど、聞かせて何になるってんだ? ますます不審に思うだけさ…あんな話し…」
「だから、このままじゃ気味が悪いよ…」
シエルが口を開いた。二人には唐突であった。彼は、やはり視線を落していたが、
「リヴァルが何を考えてるのか全然分からないけど…。断ったら、結局全然分からないまま…なんだよね…」
「じゃあシエル。お前…受けるって言うのか?」
問われて、シエルはようやく視線を上げた。
「受けてみないと…誰もスッキリしない。それって、違うかな…?」
シエルが視線を返した先は、再び上を仰いで、笑った。
「へへっ…。まあそうだな…。そう、結局…そうなるんだよな…。大体、いつまでも進展の無い事で悩んでるのはむかむかするぜ」
「コパン…。受ける気が全然ないと思ってたわ…」
意外そうなファムの言葉に、コパンは背もたれから身を起こした。
「まあ、そう思うよな。けど俺も、このまま放っておくってのも、これがまた気になるんだよな…。あいつが一体全体何を考えてんのか…もし腹を知る方法があるとすれば…それは結局、受けるしか手がないって事だろ。それこそ、手の内みたいで癪でもある…でも、他にないんなら仕方が無いぜ」
苦笑いで答える彼と、そして晴れてはいない表情のファムに、シエルは真顔で確認する。
「二人とも。決まりで…いいんだね?」
「私は……構わないわ」
「…ああ。さっさと子細とやらを聞かせてもらうおうぜ」
ホテルへ連絡を入れてからのち、再びやってきたリヴァルの口調は、興味深そうだった。カフェのロビーで迎える三人に、近づきながら聞いてきた。
「ずいぶん早かったな。私は、ゆっくり食事を楽しむ暇もなかった」
その言葉に、コパン。
「へえ。ってことは…」
「…意外だったかい?」
シエル。
リヴァルは同じ表情の二人へ、今までより顕著な微苦笑を見せた。
「私としては半分ほどだった。怪しまれるのは分かっていたからな。こうも早く決まった理由があるのなら、聞かせてもらいたいほどだ」
「…へっ、単純。スッキリしないのが嫌いなだけさ。どうにもムズムズするのは、解消したい性質なんだよ。…結構、突っ込んで行くタイプだろ? そこまで考えつかなかったのか?」
手応えを感じた事に、コパンは普段通り自信に満ちた笑みを見せる。
対して、リヴァルは面々を窺い、まるで意味ありげに薄く笑い返す。
「ふむ。そうか…なるほど。さすがに軽率ではないと思っていたからな」
コパンはすぐ反応した。
「あ、おい! じゃあ、なにか?俺達が軽率だって思ったのかよ!?」
「慎重過ぎて固まっていることもない…。そう思ったまでだ。確かに、あまりに保身的では、名うてのガンナーも勤まらないだろうな」
あくまで己の流れを変える事のないリヴァルに、コパンは沈黙し、再び不機嫌そうな顔に戻る。
隣りで失笑を押さえているのはシエル。ただひとりファムが、話しの軌道を元に戻した。
「それで…話しの方は?」
ごく顔が上がる仕草。一瞬でも、忘れていたかは分からないが。
「ああ。では詳しく話すとしようか。納得のゆく説明ができればいいが」
<あとがき>
とりあえず前半です。あぁ、校正は一番嫌いです。見直しとかチェック作業とか嫌いなんですよねぇ。
と、関係無いことでしたが。私のくせで言うと…好きなキャラはいじめられるし、他のキャラも微妙に根性悪になりがちに…なるような。表(メイン)の小説の方ではパターン的に夜の語らいが多いのですが、何故かSGではお昼、食事が多いようですね(笑)。しかし…タイトルが結局良いのが出ませんでしたねぇ、苦しいなちょっと。
作ったものの、やや気になる点があるのですが、まあ許せる範囲内なので上げました。絡み(苦笑)として珍しいかと。
ただ、二人は気が合いそうとは思わないので、おかしいとは思わないのですが…どうでしょうかね。
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